レターページテンプレートに戻る
未来に羽ばたく君に贈るに戻る
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 01
・・・・・・・・・・・
君は今、未来に大きく羽ばたこうとしている。
夢が有るだろう、そして悩みも色々と有るだろう。
そこで、お父さんが長年探し求め、調べ、研究し、実験して、これは間違いないと確信した事がいくつか有るので、君の悩み軽減と夢の実現のために、そして君がこれから出会うだろう将来の大切な人の為にも、最先端のマインドセット情報を言い伝えておく。
今、正に、秘めたる力に気付き開花の可能性が大いに啓く青春時代だ。この教えを骨の髄にまで染みこませて、自己の無限なる潜在能力を発見して欲しい。
では、本題にいくよ。
人の願望・希望の達成や成就の明暗、つまり成功と失敗を分けるモノは何だろう?
巧くいく人・成績のいい人・楽器の上手な人・勉強とクラブ活動を易々と両立出来る人。
そういう高度なセンスは如何したら磨かれるのか?
・・・実は、その秘密は右脳、つまり、イメージの使い方に有るんだ!
そして、その理屈の理解は左脳がとても重要となる。
解ってしまえば簡単な事だが、こう言う事は学校では全く教わらない。
そこで、高校生の君にも解る様に、その秘密をこれからじっくり話していこうと思う。
願望・希望の達成や成就の為には、そのプロセスとして当然「為すべき事」が顕われる。
考えてごらん。
志望大学を考えれば・・・学力アップ・・・そうすると、日々の勉強
クラブ活動の事を考えれば・・・コンクール上位入賞・・・楽器の上達・・・これも日々の練習
その他にも、体調の調整・時間の割り振り・その他の悩みの解決など、クリア「すべき事」だらけだね。
その「すべき事」を目の前にして、誰でも様々な種類の「衝動・感情・気分・感じ方」というものが内から湧く。
そこで、それに付いて、ちょっと考えて見て欲しい。
ここの処を深く掘り下げて考える人は殆どいないからだ。
が、ここにこそ、人の運命を大きく左右するほどの秘密が隠れているんだ。
誰も気にも留めないが、とてもとても大事な事だ。
成し遂げたい事などの目標を考えて、その為の「すべき事」を目の前にした時、どう「感じる」か?
それは@「意欲」だろうか、A「抵抗」だろうか、それともBその「抵抗を突き通す意志力」だろうか?
@のやりたくてたまらない「やる気」が、心の内から溢れる様なら、それは何も問題は無い。
やりたくてやっているんだから、それは実に楽しくもある。
しかし、Aの抵抗だったり、Bの意志の力で頑張り通さなければならない様に感じるならそれは問題だ。
「やらねばならない・しなければならない」・・・でもその言葉の裏には「本当はやりたくない」と感じているからだ。
Aの抵抗の言いなりになる人は、人生の早々に妥協点を見つけて不平不満の世界観で生きていく。
学生時代にBの「抵抗を突き通す意志力」で何とか巧く行っても、社会で揉まれる内、結局最後に来るのはやっぱり「自分の実力はこの辺」という妥協だ。残念ながらそのタイプの人の多くは、「自分が自分という開花を得ている」感じは無い。
「すべき事」を目の前にした時、それが同じテーマであっても、人間誰でも全員が同じ様に感じている訳ではない。
ある人が苦と感じる事も、人によっては易々とやりこなしている事は多い。
何が違うのだろう?
頭の良さの違い?・・・だったらその人は何故、頭が良くなったのだろう?
周囲を良く観察し、もっともっと根本的な何か・・・何処にその違いが有るのか、また何故そういう違いが生じてくるのか、自分の頭でじっくり考えて欲しい。
勉強でも手伝いでも「すべき事」を「しなければならない」とアタマでは解っているのに、内から湧く抵抗が出る訳は何故だろう?
難しい・面倒臭い・大変だ・しんどそうだ・ムリだ・・・と感じる事は多い。
心理メカニズムを知らないと、幾ら頑張っても、やがてそう感じるプレッシャーに伸し潰される事になる。
「本当に出来るかな?」と、猜疑心が有るまま頑張ったり、抵抗を意志の力で超えようとするのは、結論から言って「労多くて益少なし」だ。
お父さんも若い頃は、心のメカニズムを知らないモノだから、ただ、がむしゃらに頑張っていたよ。
例えて、雨の中で、体を乾かそうと必死でタオルで拭く、みたいな感じでね。
時には、巧くいく事も有ったけれど、頑張れば頑張るほど、結局、目の前に広がってきたのは「絶望」の様な、立ちはだかる巨大な壁だった。
しかし「すべき事」が、弾むような気持ちで「したくてする or やりたくてたまらない」と感じる様だったら・・・。
そう言う気持ちに自分の「感じ方」を誘導出来るとしたら・・・。
それが勉強でも何でも・・・実に単調な基礎訓練の様なモノであっても・・・。
そして、それがその様に「感じられる」様、自分の気分を自分の思うがままに簡単に操れるとしたら・・・。
そこには、我慢もプレッシャーも無い。
それが出来るとすれば超凄い、凄すぎる事だ!
そう、思わないかい?
・・・で、お父さんは遂に、その秘密を解き明かす事に成功したんだよ。
心の仕組み、つまり心には確かにメカニズムがある。
やる気の出て来る心理状態と、義務感や焦りが出てくる心理状態。
そしてそれは、何故か責任感のあるいい奴ほど後者のワナにハマる。
思考や感じ方を「反応する」がままの放任状態にしていてはならない。
心のメカニズム・・・それを知って、目指す処の「願望・希望」に、内から「したくてする or やりたくてたまらない」という「衝動・感情・気分・感じ方」を湧かす方法が有るから、その方法をマスターして、それを活用せよ、と言う事だ。
「〜ねばならない」から「したくてしている」へと感じる、感じ方の変容だ。
「〜ねばならない」時、それは大変な仕事?だ。
「したくてしている」と感じる時、それは正に「遊び」になる。
ディズニーランドに遊びに行かなければならない、と感じる子供がいるだろうか?
それは、そのやり方さえ理解すれば、誰でも出来る事なのだ。
そして、それ自体が興味深く、とても面白く「出来る」と言う事だ。
これこそ人生、今、この瞬間を楽しんで生きる秘訣だ。
続きは、また明日話そうね。
02・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.08.22facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 02
・・・・・・・・・・・
悩み軽減と夢の実現のために、高校生として是非知っておくべき事・・・
昨日の続きを話していこうね。今日は「潜在意識」というモノに付いてだ。
潜在意識という言葉は聞いた事があるだろう?
我々が普通、見たり聞いたり、五感で感じ、それを考えたり思い出したりと、普通に「意識出来る」意識を顕微鏡の「顕」と書いて「顕在意識」という。
表に「顕われている意識」と言う訳だ。
それに対して、潜んでいる意識が在るという。普段の顕在意識では知覚出来ない意識の事だ。
寝た時に見る夢とか、癖、習慣、普段は思い出さない記憶など、無意識に為される行動や思考・判断の基になる部分の事だ。
思い出そうとしたら思い出せる記憶の部分は、顕在意識と潜在意識がオーバーラップしていると言えるね。
意識は、表層から深層域まで一つの連続体だが、理解の為の便宜上、顕在意識・潜在意識という分け方をする訳だ。
で、昨日話した「感じ方」の部分は、単なる記憶(学校で習い覚える事等)より、潜在意識のより深い部分に組み込まれていて、我々の日常生活や行動パターン・思考パターンを裏から司っている。裏から司っていると言うのは、一々考えずとも無意識で自動的に為されると言う事だ。そしてその「感じ方」というのもよく見てみると、それは「心の癖」だと言える。
同じ事柄に対しても、人は皆、感じ方がそれぞれに違う・・・それが好きだったり嫌いだったり無関心だったり、と言う具合にね。
勉強でも趣味でも仕事でも世の中の問題でも異性に関しても・・・と例えを上げればキリ無く出てくる。
みんな感じ方が違う。
そして、ここで重要になるのは、では潜在意識にどんな心の癖=「感じ方」が根付いているか、と言う事だ。
学生として目標を持つなら、すべき事は色々有るね。
そのすべき事に対して、@「意欲」=好きと感じる、A「抵抗」=嫌だと感じる、B「抵抗を突き通す意志力」=嫌だけど頑張る、の大雑把にこの3つがある。
そのすべき事に対して如何「感じる」か・・・これは潜在意識の深い部分に組み込まれていて、普段はその感じ方こそ自分にとっては自然に感じるので顕在意識で変えようと考えても、おいそれと変える事は出来ない。よく言うよね・・・「分っちゃいるけどやめられない」。
AやBのパターンを@に持って行くには、追々話していくが、ちょっとしたコツが在るんだよ。
そのコツ(イメージの使い方)を修得する事をまず楽しみ、それを君の一つの癖にして欲しいんだ。そうしたら癖ってものは自動的だからね、苦しい努力が人生の領域からどんどん自動的に縮小する事になる。それは人間として、人生が自在になると言う事だ。
そして次は、潜在意識という言葉によく似ている「潜在能力」という言葉を説明しよう。
読んで字の如く、潜在している能力の事だ。
ピアノを練習したら上手になるだろう、体操したら凄い技が出来るだろう、仕事したらお金が儲かるだろう・・・と、これも例えを上げたらキリがないが、別の言葉で表せば「可能性」の事だとも言えるね。
その可能性を引き出して、優れたる能力として発揮出来た時、「潜在能力が出現した」という使い方をしたりするけど、「可能性で留まっていたモノが顕在能力になった」という言い方の方がホントは正しいカモね。
人間は平均的に2〜3%しか能力を使っていない、とはよく聞く言葉だ。
では後の97〜98%は如何なってる?・・・そこをして「潜在能力」と言う訳だ。
我々は平均的に見ると、普段2〜3%の顕在意識で人生をなんとかしようとし、2〜3%の顕在能力を使って生きている。
なんかもったいない話だね。
成功している人や幸せになる人は、平均レベル以上のセンスを持ち、平均レベル以上の能力を発揮している。
平均レベルでは使われていない能力を使っているからこそ、成功したり幸せになる訳だ。
そこで、使われていないそれをもっと有効活用する方法が無いかと考え、探したいと思うなら、古今東西の賢者や偉人、成功者の話に耳を傾けてみるべきだ。彼らは、言い方にそれぞれ違いは有るけれども、一様に「潜在意識を使うと潜在能力が出現する」と教えてくれる。
特に特筆し、注目すべき点は「願望は潜在意識に引き渡されると現実化する」と言う事だ。
君の「夢は叶えられる!・希望する事は手に入れられる!」と、言っているのだ。
これは至言だ。
間違いない。
もう一度言う・・・「願望は潜在意識に引き渡されると現実化する」。
それが証拠に、お父さん自身、この法則を自分に応用してね、誰一人知らなかった、とてつもないモノを手に入れる事に大成功したんだよ。
追って、徐々に詳しく説明していくけれど、まずは一般的に「願望は潜在意識に引き渡されると現実化する」と言われるその心理メカニズムを理解する事が重要だ。97〜98%の無意識が強力な自分の味方として働く。
成功している人、偉人と呼ばれた人、そして真に幸せを得ている人というのは、知ってか知らずか、結局はその法則性に則って事を為した人達だ。
高校生にもなったなら、自己啓発と言う言葉は知っているだろう。
書物やセミナーなど、誰か先達の知恵を借りて、自分自身が自分自身に「気づかない点を教え示して、より高い認識や理解に導くこと」だ。
自己啓発と呼ばれる分野には様々な書籍や教材が有るから、是非、関心を持ってみて欲しい。
が、ここにワナがある。
成功したいと努力している人達が、人口比でおよそ1割、10%いる。
が、その成功しようと努力する10%の人達の内、99%の人が陥ってしまうワナが有るんだよ。
自分勝手に我流でやるからか?
いいえ、「こうしたら成功する」と教えてくれるモノを習って、巧く行かなくなるのだ。
自己啓発世界に於いては、とても奇妙なパラドックスだと言える。
自己啓発の書物や自己啓発プログラム、自己啓発セミナー・・・それは実に有用なモノだ。
機会を作って触れて欲しい。
しかし、成功を求める人にして、その殆ど(99%以上)の人は、そのノウハウや真意・奥義を取り逃がす。
それは何故か?
何故、1%の人は巧く行くのか、真意・奥義を取り逃がしてしまう人とのその違いは何なのか?
お父さんの研究の焦点は、そこに有った。
そして、遂にその理由を発見し、仕組みとして説明出来るに至ったんだよ。
一般の自己啓発世界の中で語られていない、本当のコツを知って欲しい。
それを君に伝えたいんだ。
お父さんはその秘密を、一般の人向けに作成したプログラム「弱者の成功戦略」という講義の中で明かした。
何と83時間43分もある。
ビジネス的な話も相当入っているし、高校生の今の君には、とてもそんな時間は取れないだろうから、高校生として是非知っておいて欲しいそのエッセンスをここではメッセージにしてまとめている訳だ。
卒業したら是非、聞いて頂戴ね。
そして、リミティングビリーフという知っておくべき言葉がある。自分の信じる限界点、ここまでは出来るがそれ以上はムリだ、出来ないと感じる処だ。
この概念も、深く掘り下げていくと、とても深いモノになるんだけれど、それは「弱者の成功戦略」の方で詳しく説明している。
だから、はしょって話すが、その代わりよく覚えておいて欲しい事がある。
それは、(自分の信じる限界点)を打ち破るのは意志の力ではない・・・意識の力を味方にする、と言う事だ。
意志の力とは、顕在意識でなんとかしようとする力の事だ。頭で考えてなんとかしようとする事だ。例えば根性を出す、とかね。まぁ、それも潜在意識に良きデータが在っての事だけれど。
それは2〜3%の力の事だ。
それに対して「意識の力」とは97〜98%の側の力の事だ。
「意識の力」は無意識だから「力」とは感じないかも知れないけれど、それは例えて手こぎボートで大洋を渡るか、ヨットで渡るかに似ている。
手こぎで渡るとしたら大変なエネルギーと努力がいるけれど、ヨットなら帆を張って風を受けるだけでいい。
「意識の力」を使うとは、例えて、帆さえ張っていれば後は風がグイグイと推し進めてくれる様なモノだ。
その方が、2〜3%しか使えない顕在意識の「意志の力」でやろうとするより、とても楽だと言う事だ。
セッティングさえして置けば、97〜98%の力の側が、内から働く様になって、衝動として突き動かされる様にすべき事は進んで行く。
感じ方というモノを変容させたい(AやBを@「意欲」にしたい)と2〜3%の顕在意識の力で抗っても、如何にもなるモノでは無い。
相手は97〜98%の力を持っているのだからね。
だから、すべき事を目の前にした時感じる「〜せねばならない」と「したくてする」の大変な違いに気付く事だ。
「したくてする」と感じている時、「意識の力」は正に自分の味方であり、「嫌だけれど〜せねばならない」と感じる時は「意識の力」は、顕在意識の考えに抗っていると言える。
つまり、味方になってくれてはいないと言う事だ。
そして、してはならない事・すべきでないと頭では理解して分っているのに「したい」と感じるとしたら、それも抵抗と言う事になる。
これも問題だね。他にも、一大決心で始めたはずなのに三日でつくだる「三日坊主」。
何故だろう?「やりたい!」とその時は思っていたのにね。
潜在意識は頭の判断とは関係なく、無意識に働きかけてくる「感情・衝動・気分・感じ方」だ。
その「感じ方」というモノは、時に自分に得をもたらすが、時に損をもたらしている。
よく考えてごらん。
タメになるはずなのに嫌だと感じたり、駄目になると分っているのにそうしないではいられなかったり。
如何して?
潜在意識が、自分の内に有るというのなら、総て自分の味方じゃないの?
潜在意識って一体何者?
自分にとって為になる事を「好き」と感じ、ダメに成る事を「嫌い」と「感じる」事が重要だ。
逆に、為になる事を「嫌い」と感じ、ダメに成る事を「好き」と「感じる」事があるが、それが無意識のまま誰も気に留めない事が問題なんだよ。
誰も、そう言う事を深く考えていない。
好きか嫌いかの判断がいつも優勢的に働いていて、タメになるかならないかという見方による判断はいつも後回しか、スルーされたまま。
その心的態度は、総て心の履歴となって、潜在意識の奥深い記憶として蓄積されていくのにね。
顕在意識では「考える」という事が出来るから、理屈が解れば理屈に沿って選択、つまり判断が出来る。
意識レベルの深い処から来る「感情・衝動・気分・感じ方」というモノは、潜在意識の判断という事になる。
だから思考では、簡単にはその判断(癖付いた習慣や心構え)を覆せない訳だ。
なんせ、2〜3%の力の顕在意識に対して、潜在意識は97〜98%の力が有るんだからね。
為になる事を「好き」と感じ、ダメに成る事を「嫌い」と「感じる」部分は何も問題は無い。潜在意識は正しく判断してくれている。
しかし、自分にとって為になる事を「嫌い」と感じ、ダメに成る事を「好き」と「感じる」部分は、正しい判断だと言えるだろうか?
このポイントをよく理解する事だ。
少しずつ、秘密が見えて来る。
そして自分の中にそう言う部分がないか、自分で自分を注意深く観察してごらん。
但し、それを発見しても、決して自分を責めない様に。
もし責めたりすると、逆に外せなくなる。
お父さんのこれからの問いかけに心を配っていると、自然に切り替えていくコツが解る様になるよ。
おい!潜在意識よ、それじゃあオレは困るんだよ!
と言ったぐらいじゃ、潜在意識は聞き入れてはくれない。
イメージの使い方に秘密があるんだけれど、何故それがそうなのかという仕組みを前もって知っておく事が大切だ。
明日は、潜在意識が如何してそう言う判断をするのか、する様になったのか、というそのメカニズムから説明しよう。
ヒントは、
潜在意識は、現実とイメージの区別が付かない。
潜在意識は、善悪の判断が出来ない。
潜在意識は、快か不快かを判断基準にして、それでデータベースを形成して行く。
という、潜在意識自体の性質に拠るんだ。
それが解れば、イメージの使い方で巨大な力を持つ(or 秘めている)潜在意識が手懐けられる様になる。
それはスリーピングジャイアンツの目覚め、アラジンの魔法のランプを手に入れるに等しいモノだ。
おやすみ。
03・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.08.24facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 03
・・・・・・・・・・・
今日は話の本題に入る前に、お父さん自身がとてもタメになっている話を一つ、前置きしておこう。
「読書百編意自ずから通ず」
これは君のお祖父ちゃんから、お父さんが子供の頃、いつも何度も何度も耳にタコができるほど聞かされていた言葉だ。
情報というモノには、一度見て確認出来れば2度見る必要の無いモノと、じっくり読み込んで血肉にまでするほど完全にモノにしなければならない価値あるモノの2種類がある。
前者は、新聞とか、ニュースとか、漫画とか、雑誌とかそう言った類の情報だ。
一度読めば十分だ。速読とか言う技法が流行っている様だが、そう言う情報を処理するには役立つだろう。現代人はそういうモノを求める。
で、現代人の殆どが後者の種類の情報をも、何故か前者の様に扱っているという「愚」に、君は気付いている事だ。みんな忙しいので「はい、次!はい、次!」と言う訳だ。
そして、みんな、大事な事は全然身に付いていないのに「知っているツモリ」だけはしっかりと作り出し、そのワナに入っている事自体に気付いていない。
ましてや、理解しにくいと直観的に感じるや否や、脳が自動的にスルーする仕組みまで出来ている。
そう言う訳で、幾ら歳を重ねても「人間力」というスキルは一向に上がらないが、それ故、人間的成長を得ていない事にも全く気付かない。
この「ツモリ」に陥るワナに、君は最細心の注意をしていなければならない。
自分にとって重要な事が身に付いていないと言う事に気付いていない事を知らない、という二重、三重の蓋を形成している。
こういう、「人の思考パターン」という目には見えない現象に気付いていると言う事はとても重要だ。
そこで、だ。
君は、如何いう種類の情報が後者に当たるのか、という事が自分で解る様になる分別智を育てて欲しい。その分別智から育つそれこそが「知性」というモノだ。
大事な事が、今、目の前を通り過ぎようとしているのに気付かないとしたら、そして取り逃がしている事自体に気付かないとしたら・・・それは知能は高かったとしても「知性が無い」と言う事を示す。
そして、後者に当たる情報に出くわしたら、その時々に「読書百編意自ずから通ず」を実践して、完全に自分のモノにしよう、と決意するのだ。
お父さんは、この言葉を何度も何度も、刷り込む様に教えてくれていたお祖父ちゃんに、今でもとても感謝している。
ちょっと難解な文章でも「読書百編意自ずから通ず」の概念を本当に自分のモノにしていたら、必ず理解が生じるし、高度な理解力や思索力が育ってくる。
お父さんのメッセージは、前者・後者、どちらの種類の情報だろうね?
この「感じ方」と言うのも、今日の話のメインになる事だ。
では、早速、今日の本題だ。
じっくりじっくり時間を掛け、思考を巡らせて読み込んで欲しい。「自分で考える頭造り」の一環だ。
為になる事を「好き」と感じ、ダメに成る事を「嫌い」と「感じる」部分は何も問題は無い。潜在意識は正しく判断してくれている。
しかし、自分にとって為になる事を「嫌い」と感じ、ダメに成る事を「好き」と「感じる」としたら、それこそそれは問題だ。
今日は、如何して潜在意識は、そう言う判断をするのか、また、する様になったのか、というそのメカニズムを少し理解しよう。
それを理解する為に、前もって押さえておくべきポイントが幾つかある。
まずは、潜在意識自体の性質というモノを、重要度の高いものから3つ知っておこう。
1.潜在意識は、現実とイメージの区別が付かない。(時間の観念が無い)
2.潜在意識は、損得や善悪の判断が出来ない。
3.潜在意識は、快か不快かで判断し、それを基準にして、それでデータベースを形成して行く。(それはフィードバックしている。)
これは原則だ。だから、この理解を一つたりともおろそかにしてはならない。
何故それがそうかと言う事を説明するならとても長くなる。お父さんの作成した他のプログラムで詳細に説明しているのでここでは簡単に説明する。
もう一度、3つの原則を読み込んで見て欲しい。
この原則はソラで言える様になっておく事だ。そして人に教えて上げられるくらいになっておく事だ。
この原則を覚えておくと、これから色々な啓発関係の本や心理関係の本を読んだ時、より深く読み込める様になるから理解が大幅に進む。
そして、潜在意識を自在に操る技法を修得する為のコツと言うか、これが基礎理解の核心となる部分だからだ。
さあ、今、ちょっと覚えてごらん。たった3つだ。一つ一つの単語をイメージしてビジョンを描きながら総合的な意味合いを理解しようとするんだ。
潜在意識・現実・イメージ・損得・判断・快不快・基準・データベース・形成etc.・・・それぞれ、一つ一つの単語が頭の中で映像的になっているかい?
その単語の持つ意味合いを「感じる」事がとても重要だ。急ぐ必要は無い。ここの処はゆっくりとやりなさい。
それは文章を読む時もそうだ。目で見た「文字」という言葉から、脳の中にその説明されている概念という映像(感覚)を描き出すんだ。
物覚えが悪いと思い込んでいる人は、字を音声に変えているだけ。イメージが無い。それじゃダメだ。お地蔵さんの様な石頭じゃダメだ。
イメージとか、何か感じる感覚がないと、しっかりした記憶や理解が生じるには、大変な労力と努力がいる事になる。
試験前の暗記科目は如何だろう?ただ言葉で機械的に繰り返していただけか、それともイメージを伴わせていたか?
今日はその中から「3.」を中心に説明する。
その中でもまず知って欲しいのは、顕在意識と潜在意識の判断基準の根本的な違いだ。
それは第一に「潜在意識は、快か不快かを判断基準にしている」と言う事だ。
快と感じたか、不快と感じたか・・・それは自分にとって「得するか損するか」という基準ではない。
いいや、全く違う。
潜在意識は基本的に、損得という意味でのお金の計算はもちろん、人生そのものの「損得勘定」が全く出来ないのだ。これは「2.」の原則だね。
頭では「こうしたらいい・こうすべきだ、その方が得する」と分っていても、潜在意識は全く理解しない。
例えば、居眠り運転だ。
頭では「今眠ったら危ない・死ぬかも知れない」といくら知っていても、潜在意識が「寝ろ!」と命令しようモノなら瞼は開いていても意識は飛ぶ。
「今は勉強しなきゃ」といくら考えても、潜在意識が「遊びたい」と言ったら、テレビやゲームが気になって勉強に集中出来ない。
「もう、言うまい」と思っていたのに、アイツの顔を見たら、つい言ってしまった、とか、よく見たらそう言う事例は幾らでも有る。
頭で考えてちゃんと理解している損得と、内側から出てくる「感じ方」は時にバラバラだ。
アタマでは損すると分っているのに、内なる何かに結局は主導権を奪われ、その何かに勝手に決定されてしまう。
「自分の人生」の筈なのに、だよ。如何して?
顕在意識は、普通の学習を重ねる事に拠って「損得計算」が出来る。
しかし、潜在意識は、その「損得計算」が出来ない。それは命に関わる事であっても!だ。
潜在意識には、自分にとって「得するか損するか」の「良い悪い」も全く判断出来ないのだ。
では、潜在意識は、何を判断基準にしているのか?
それは今までの経験を通して感じた事柄が、それは「快だったか不快だったか」と言う事だけだ。それが基準だ。
何故、そう成っているのだろう?
それは生物として進化して来た、そのプロセスに関係が有る。
動物には人間の様に考えたりする意識次元はない。そもそも時間というモノが動物は認識出来ない。
子孫が先祖の恨みを覚えていたり、未来を想像すると言う事が出来ない。希望も無いだろうが絶望も無い。
動物は、今この瞬間、刹那の中だけに生きている。
だから、見たモノ・聞いたモノに即反応するだけでいい。
快ならば近寄り、不快ならば逃げ出すという反応を以て進化してきた訳だ。
動物には本能がある。動物はその本能に基付いて生きている。それでいい。
人間にもやはり本能がある。その部分は、当然、顕在意識より奥深い部分、つまり潜在意識の中に有る。
顕在意識を通じて学校の勉強とか知識的なモノは、潜在意識の浅い所に蓄えられるから、いつでも顕在意識で取り出し、加工し、収納出来る。出し入れは簡単だ。その知識を使って損得計算は幾らでも出来る。
しかし、体験を通じて得た「快不快」の感覚は、本能とも言えるべき、潜在意識の深い部分に蓄積されてそれがデータベースと成っていく。
顕在意識では、事柄としては忘れてしまって思い出せない事でも、潜在意識には「快か不快か」と感じてしまった体感記憶はしっかり蓄積される。
飼い猫と野良猫の違いを見てごらん。人を見てどう反応するか。
人間も過去の体験データベースを基にして、もう顕在意識を煩わせることなく、それがいきなりの答え「好きか嫌いか」という感じで出てくるのだ。
或いは、「関心が湧くか、無関心のままか」「本当と思うか嘘と思うか」という感じで出てくる場合もある。
パブロフのイヌの如く、条件反射となっているのだ。人間はそれが非常に高度なレベルでそれが働いている。
それが先で説明するオートパイロット機能を形成する事になる。
潜在意識とは、まず第一に、過去感じた快不快のデータベースなのだ。(損得判断は出来ない・・・ここが理解ポイント。)
少し、難しかったかい?
だったら、間を置きながら、また睡眠を挟みながら、何度も繰り返す事だ。「読書百編意自ずから通ず」だからね。
解ってしまえば、逆にこれはとても簡単な事だ。難しい理論などではない。慣れてない概念や言葉が有るから難しいと錯覚しているだけだ。
理解が進まなくなったら、最初に戻ればいい。解るところまで戻ってそこからまた読み始めればいい。質問も待ってる。・・・では、続けるよ。
自分にとって為になる事を「嫌い」と感じ、ダメに成る事を「好き」と「感じる」訳は何故だろう。
その感じ方は自分に損を招く事ではないか!
でもそれは、過去の経験に基付くからそう言う感じ方が出てくるのだ。
その過去感じた「感じ方」の履歴によって、今この瞬間の感じ方・気分が判断として出て来るんだよ。
為になる事なのに「不快」と感じ、ダメになる事なのに「快」と感じてしまった経験が、時間の観念が無い潜在意識には有るんだね。
このメッセージの後半で詳しく話す予定だが、潜在意識の「快不快のデータベース」は次の二種類で出来ている。
自分にとって為になる事を「嫌い」と感じ、ダメに成る事を「好き」と「感じる」顛倒夢想(てんどうむそう)・・・これはとんでもない迷惑な話だねぇ。
自分にとって為になる事を「好き」と感じ、ダメに成る事を「嫌い」と「感じる」直観的判断力・・・・・・・・・・・・・こちらは大変良い事だ。
顛倒夢想?直観的判断力?
今は、軽く読み流してていい。何かそんなのがあったなぐらいの理解でいいよ。その時が来たら思い出して頂戴。
まずは、為にならないのに好き(本当)と感じたり、為になるのに嫌い(無関心)と感じたりする己の感じ方に気付いていよう。
重ねて言うが、自分を責める事無くね。
潜在意識は、アタマで考えた自分の都合で感じ方を出してくる訳ではないんだね。
そして「頭で考える求めるモノ(希望や夢・目標)」と実際の「感じ方」にはズレが生じる場合が有る訳とその成り立ちを知ろう。
そしてこの命題をよりはっきりと理解し、その時に得心ゆく理解を生じさせてくれるのが、先ほどの顛倒夢想という概念と次の原則の理解だ。
それは、・・・意識次元と物理(肉体)次元は「苦楽を引き寄せる法則性」が逆さまに働いている・・・という原理だ。
物理次元では+と−、S極とN極、陰と陽など、異極同士が引き合い、同極同士は反発する。
これに付いてはよく知っていると思うから、もう説明の必要は無いだろう。
しかし、意識次元では異極(質)同士は反発し合い、同極(質)同士は引き合うという原理になっている。
物理次元と全く逆さまだね。
同類親和の法則とか、類友の法則とか、類は友を呼ぶとか色々なことわざがあるが、指し示している事は同じだ。
似たものが集まるという法則性だ。
人間は、意識次元を啓いたので特にこの部分が発達していて、考え方や感じ方など、それは意識部分に特に顕著に表われる。
これも一旦解れば凄く簡単な原則だ。
が、この法則の重要性に気付いている人は殆どいないし、今まで論理立てて説明した人がまだ誰もいない。
お父さんが初めてだ。
えっ?自慢話はいいって?・・・別に自慢じゃないんだけど・・・(_ _。)・・・シュン
でも早く、核心部分が聞きたいんだろう?・・・自分の気分を健やか・爽やかな方向へ誘導するテクニック・・・。
えっ?「今にでもその方法を知って直ぐ使いたい」だって?・・・すぐ教えろだって?
分った分った!・・・忙しくて大変な君の事だ。
では、重要な事ではあるんだけれど、その理屈やメカニズムは、メッセージの後半に後回しして、そこで詳しく説明する事にしよう。
今日話そうとしていた事がまだまだあるんだけれど、それは追々話す事にしよう。
何がまだ言いたかったか、だって?・・・じゃあ、言おうとしていたメモだけ、聞いてくれ。今までに少しは触れた部分もある。
まず、意識していなかった部分に光を当て、潜在意識と顕在意識のベクトルのずれに気付こう。
それは誰しも何処かのレベルで存在し、無意識且つ無自覚なままにカンフォトゾーンを形成している。
自分の考え通りに潜在意識を操るか、それとも無自覚なまま潜在意識に操られたままか。
「〜せねばならない」と感じる時・・・それは潜在意識にそのイメージが引き渡されていない。
その裏には「本当はしたくない」が潜んでいて、願望・希望は大変成就しにくくなり大部分は成功しない。
「したくてする」と感じる時・・・それは潜在意識にイメージが引き渡されている為、建設的な衝動が起る。
そうであれば願望成就は単に時間の問題だ。(・・・同じ命題に対して人は何故感じ方が違うのだろう?)
「〜せねばならない」と感じたなら、「嬉しさを感じるビジュアリゼーション」のテクニックを使う。
(それに猜疑心が湧く様なら、もっと深い感じ方の再生テクニックと解説が必要です。準備しています。)
などなどね。
勘が良ければ色んなヒントになっている事に気付くだろう。予習にはピッタリかもね。
だけど、核心部分を知っても、その後も大切な事はまだまだあるよ。
何故それがそうなのかと言う事をしっかり押さえれば押さえるほど、これから学ぶ心的な技法に確信が深まるからだ。
じゃあ、いよいよ次は、核心部分と言うか、技法の部分を話そうね。
それは「願望・希望する事は喜びと共に在れ!」という話からだ。
お母さんの手伝いも頼むね。
04・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.08.29facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 04
・・・・・・・・・・・
さあ、いよいよ核心部分を語る時が来た!
待っていたかい?・・・ん?・・・待ちくたびれた?・・・では行くよ。
耳をかっぽじって、よく聞いてくれ。人生を自在にする秘密・・・!それは・・・
願望・希望する事は喜びと共に在れ!・・・核心部分を一言で述べるとするなら、これだけだ。
これが分かったら終わりだ。
実に簡単な事だ。
簡単だろう?・・・これで君は人生が自由自在になるパスポートを手に入れてしまったと言う事だ。
メッセージの03の最後で君は既に、究極の核心というか、結論を聞いていた訳だ。
「じゃあ、いよいよ次は、核心部分と言うか、技法の部分を話そうね。それは『願望・希望する事は喜びと共に在れ!』という話からだ。」
と言う事だったけれど、その表明はスタートの様に聞こえたかも知れないが、答えとしての「結論」だったから終わりでもある。
だから、終わり。
だから、それが答えだったのだから、その時それを聞いて以来、もう既に自らその秘密に気付き、ずっと「そうか!」と言う訳で、ワクワクが止まらなかっただろう?
もうその心構えテクニックは使っていただろう?
えっ?今日、これから核心部分が聞けると思っていたって?それを聞くのが待ち遠しく楽しみにしていたって?
困ったな・・・核心は前回の最後に、「これが答えですよ」と言明はしなかったけど、もう既に話していたじゃないか。
逆に、どうしてその時点で、「やった、答えを聞いてしまった!」と気付かなかったのかい?
「お父さん、もったいぶって今度話すとか言ってるけど、既に今、答えを言ってるじゃん、うっしっし。」とならなかったの?
何、ポカンとしているの?・・・鳩が豆鉄砲食らったの?・・・狐に抓まれたの?
いいかい、一つ言っておく。
いつでも、人生というのは試験の終わりの時間だけが告げられる。いつその試験が始まっていたかの「開始時刻」は一切告げられないのだ。
学校の試験とは違う。人生の試験というモノは、いつ始まっているかは一切告げられない。試験の終わり時間だけが突然に告げられるのだ。
多くの人達が、突然の終了時間を告げられて、あたふたとする。
健康問題・人間関係問題・経済問題・家庭問題・病気・離婚・失職・不慮の事故・誰かの死 etc.
事前に準備して置けば、その90%以上は回避出来るモノだ。準備の無い無知さがそれらを招き寄せるのだ。避けられないとしても対処法はある。
しかし、その試験は終わったのだ。後から足掻いても如何にもならない。
だから、常に心準備をして置く事だ。注意深さが必要だ。思考というモノを反応するがままの放任状態に置いていてはならない。
で、ここに知恵がある。
「賢者は歴史に学ぶ」という言葉だ。「歴史に」と言うのは、人の経験を見ただけ、或いは知っただけで学ぶと言う事だ。
だから人生、誰でも、起こり来るだろうあらゆる総ての状況を想定しておいて、「もし」の為の心準備をして置く事が大切だ。
「もし」にも避けられる「もし」と、避けられない「もし」が有る。
避けられる「もし」なら、事前からの準備によって、「もし」を大いに回避出来る場合もあるからだ。
その為にお父さんは、32才の時から19年かけて、今までに集めていた古今東西の知恵を自分で練り直し、2000時間のノウハウをテープにしたためてきた。そしてそれを世間にも公表してきたのだよ。
また、一つの概念を深く理解するのに99個の裏打ち・裏付けが必要と言う事(概念)も合わせて知っておく事だ。
99個と言うのは「一つ」に対して、多い・たくさん・しっかりと、という意味だ。
答えが目の前に有るのに「答え」に見えないのは、チャンスが目の前に在るのに「チャンス」に見えないのと同じ意識状態だ。
今回のメッセージの冒頭で君に起こっていた事が正にそれだ。
一つの事柄を見ても、多くの事前準備的な背景を携えてと言うか、その本質を見通す眼を持つならば、普通の人には見えない次元が見える様になってくる。
「それが何故そうだ言えるのか」という根拠を持っているほど理解は深まる。それは確信・信念と一体となって自分のスキルの一部になる。
逆にそれを持たないと、単なる言葉だけでは表面理解だけに留まり、応用も効かなければ、人に話す事も出来ない。
使いこなせる状態にはない・・・つまり、知っただけで分かっているツモリになってしまう。それは愚か者の意識状態だ。
一聞いて十を悟るとは、正に、準備が出来ている、99個の裏打ち・裏付けを持っている心の状態の時に起こり来るモノなのだ。
前回の最後と今日の冒頭で述べられていた命題に付いて思い起こして欲しい。
「願望・希望する事は喜びと共に在れ!」
一つの言葉を聞いても、それが既に「答え」の様に「深さ」を感じながら聞こえて来るか、それとも単なる切っ掛け程度の「言葉」として聞こえているだけか?
これは大変な違いだ。だいたい、こう言う事を今まで考えた事が有るだろうか?誰もこの様な事を考えようとはしないが、このセンスの違いの有無が、人それぞれに成功者と失敗者という人生に大きな開きをもたらすのだ。「人の立場を考えよ」とはよく聞く言葉だが、誰も深く考えようとしない。「人の立場を考えよ」をもう一段深く掘り下げると、「人の感じ方を考えよ」とも言える。そしてその立場から見ようとしていると、人の感じ方・在り方(being)というモノが見える様になってくる。その人の心とマインドセットは一体如何いう状態になっているのか、が解る様に成ると言う事だ。
では、そのセンスというモノの違いは何処から来るのか?どの様に発達するモノなのか?
そのセンスというモノの違いは、普段から、繰り返すべき重要事項として「分かって尚繰り返す」という癖の有無による。
そう言う癖を「質」として持っているかいないか。
つまり「読書百編意自ずから通ず」と教えられて、更にその向こう側に在った重要なモノに自ら気付いていたかという感性の有無の如何による。
さあ、如何だっただろう。今ここで、更にとても大切な事が述べられている。何か、ピンと来ているかな?戦慄が走るほどのモノを感じているかな?
もう一度、少し元に返って読み返してごらん。一聞いて十を悟るセンスとは?・・・自分の意識がどの程度覚醒しているか判るというモノだ。
「読書百編意自ずから通ず」と教えられて、その「意」が分かった上で更に「分かって尚繰り返す」と言う事に気付けていたであろうか?と言う事だ。
「意味が自ずから通ず」つまり「解った・理解出来た」の更に先に更に重要な事が有ったのだ。
教えられたその一歩先を見通す・・・。
自ら気付くと言う事・・・心眼を持つ・心眼を啓くとはそう言う事だ。自分の頭で考える力を持つとは、そう言う事だ。そしてそれは総て、普段からの注意力という心構えだ。それは訓練によってのみ開発される能力=「気が付き能力」だ。
君は若い。まだまだ、色々な事に認識が浅い。
だから、「結論だけ急いで聞いても役に立たないよ」とはそう言う事なのだ。結局、「何故それがそうなのか」をしっかり説明されないと真の理解に至るには程遠いと言う事だ。応用出来る様にはならないと言う事。現代人は、理解というプロセスをすっ飛ばして直ぐ結論を聞きたがる。そして分かったツモリを作り出して安心するが、そんな事では、それはあっという間に赤方偏移を起こしながら亜光速で記憶の忘却の彼方へと飛び去っていくのだ。だからそれは効率を考えての事だったのかも知れないが、答えだけを直ぐに求めようとする安直な考えではダメなのだ。結論を導くそのプロセスの中にこそ、そのセンスを啓き、それを発達させる鍵が在るのだよ。それは最初はとても時間と手間の掛かる心的作業だ。
しかし現代日本の教育システムの試験は逆だ。
やりかた・解き方を含めて如何に素早く暗記して、それを正確にアウトプットするか、が問われる。だからその術に長けるほど試験の成績は良くなり合格する。しかし、その訓練のみにハマっていると、「自分の頭で考える力」というモノを失い、世のシステムのロボットとしてしか機能出来ない人間に成る。学生時代に勉強が出来た人ほど、多くがこのワナにハマってしまうのだ。注意が必要だ。
だから君は「学ぶ」と言う事も二通りの方向性を知っておかなければならない。
一つには、社会的ポジションを確立するには、既に決まっているルール通りに事を進めねばならない。そしてそれは必要な事だ。我々は社会の一員なんだからね。が、それだけではロボット人間に成る。社会の歯車人間と言ってもいいかもしれない。自己実現には程遠いと言う事だ。自分自身に納得は起こらないと言う事だ。真の自由は無くなると言う事だ。
もう一つは、お父さんがここで伝えようとしている事だ。丸暗記も必要だが、「何故、それがそうなのか」を自ら問い、答えが見出せるセンスを啓く事なのだ。この能力を啓いた人間こそが、これからの時代に求められる人材と成って行く。一昔前は情報化社会と言われていたが、今はもう情報社会となった。この情報中心の時代はやがて意識中心の時代へとパラタイムシフトを迎える。だから準備をして置きなさい。友達にも教えて上げなさい。
解ったね。
さあ、準備しよう。「何故、それがそうだと言えるのか?」という質問を持って挑むのだ。
「願望・希望する事は喜びと共に在れ!」・・・何故その命題はそれが既に答えであり、それが重要だと言えるのか?
それは、その様に「在れる」と願望や希望は、成就するからである。キリストの言った言葉「求めよ、さらば与えられん=求めなさい。そうすればそれは手に入りますよ。」と言う事だ。イエスの言葉はこれだけではちょっと片手落ちだったけどね。
では、初心に返って「何故それがそういえるのか」、と言う説明をしよう。
潜在意識は、快か不快かで判断すると言う事と、現実とイメージの区別」が出来ず、「時間の観念」も無いと言う事を思い出して欲しい。
願望・希望する事、例えば進学や就職、それをプレッシャーや焦りとして感じていたら如何だろう。
アタマではすべき事として、それをやったら得するだろうとは解っている。
しかし、潜在意識は損得の判断は出来ないのだ。
プレッシャーや焦りを感じる事は、潜在意識にとってそれは「不快な事」として捉えられ、避けるべきモノとして益々内側からの抵抗を生じさせる様になる。ここん処はいいね。
しかし潜在意識は、現実とイメージの区別」が出来ず、「時間の観念」も無い、という性質が有るのだ。だから君に「豊かな想像力」さえあれば、潜在意識は自由自在に自分の味方に出来ると言う事だ。
それって如何いう事だろう?
それからどんな「得」が引き出せると言うのだろう?
次に読み進める前にしばし、これ・・・今問いかけられた命題に付いて、じっくり瞑想してごらん。
そしてこれを切っ掛けに、陽転思考とかプラス思考、プラス発想という言葉が有るが、その意味の真髄を掴もうと決心する事だ。
快を感じるビジュアリゼーションの実践をして見よう。それは想像力の中で遊ぶと言う事だ。
良きイメージを心に描き、想像力で喜ぶ・・・達成・成就した時の誇り・自信・得意な気分・注目等、自分自身で思い「描く」事が大切だ。
更にそれが二次的・三次的に如何展開し、発展して行くかまで、想像して遊ぶ。困難だったらそれがタメになる理由を捜し出して楽しむ。
そして「感じる」んだ!・・・この思考パターンが自分のモノになるまでこのメッセージを反復しなさい。
潜在意識は「時間の観念」も無いから、想像は未来の事であったとしても、今現実として起こり来ている事として処理する。
だから目標を「快」として感じる事が重要なのだ。その為には「豊かな想像力」を育てる事が重要だ。
想像力というのは、訓練してこそ発達する「能力」なのだ。
だから、訓練の初期段階は努めて「想像しよう」という強い意志を働かせて、想像する事が重要だ。
そして、殆どの努力する人が目標設定する事を教えられても、ちょっとしたこのコツに気付けず、ここで失敗している事に気付いていよう。
潜在意識の性質を良く理解しないままに進めると、やがてそれは焦りやプレッシャーとなり、自然に放棄する方向へ向かってしまう。
プレッシャーこそ乗り越えていかなければならない事だと心得、そう考える事はいい事だと思ってそれを第一義にしていたりするからだよ。
自然に起こり来る放棄と忘却・・・潜在意識の性質を理解している側から見れば、それは当然の事としての自明の理なのだがね。
が、そのメカニズムに気付かないまま挫折して「俺は意志が弱い」とか「自分は三日坊主だ」とか、勘違いしたままでいる人が殆どである事も事実なのだ。
お父さんが子供の頃の1970年代は「巨人の星」とか「アタックナンバーワン」とか「ド根性・試練の道・苦しくても・・・」ばかりを謳う根性モノばかりだったんだ。多くの人はこれで殆ど潰れる・・・。
潜在意識は現実とイメージの区別が付かない。だから想像した事でもそれが「快」であるなら、それを成就させる為に必要な関連事項を取り入れようと無意識に働く様に成り、オートパイロット機能として働く様になるのだ。これに付いては後半で詳細に解説する。
自分の考え通りに潜在意識を操るか、それとも無自覚なままで潜在意識に操られたままになっているそんな状態でいいのか。
自分の意思でコントロールするそのコツは、・・・直接操る事は出来ないのだが、事前準備によって、・・・つまり、潜在意識がその様に働く様にと仕向ける事に拠ってという事なのだが・・・そのコツは、現実とイメージの区別が付かない潜在意識に 今この瞬間に「目標・願望」を「快」と感じさせる事なのだ。
ただそれだけだ。快と感じる「出来る理由」を想像の中で探し、それを脳裏に描き出す・・・それだけだ。
これは、その気になりさえすれば、誰でも頭の中だけで出来る作業だ。そしてそう言う思考パターンが自動的になる迄、しっかり練習する事だ。
日頃から何事にも感謝をすると言う事は、その能力を磨く事になり、想像の中で喜びを見出すというこの能力を飛躍的に高める。
感謝と言う事自体、喜びを見出すと言う事だからね。因みに、「感謝出来る人間に成る」というのも訓練して身に付ける能力だ。
ついでに言うと、感謝も、成人してからの素直さと言うのも訓練してこそ開発される「能力」だと心得ていて欲しい。
また、同じ命題に対して人は何故感じ方が違うのだろう?
それはその命題を解釈するデータが人それぞれに違うからだ。
願望・希望がプレッシャーと共に在るだけなら、その苦痛を意志の力で超えるしかないが益は少ない。
そのパターンで生きていると、如何しても超えられない人生の壁に早晩必ず出くわす。
喜びは「快」である故に、脳はそのプロセスに対してやる気ホルモンを出すようになる節がある。
「〜せねばならない」と感じる時・・・それは潜在意識にそのイメージが「喜び」として引き渡されていないと言う事だ。
だからそう感じたとしても、自分を責めてはいけない。潜在意識を味方として手懐けるに、自分は何がまだ不足しているかと考えなさい。
これは実に単純な作業の様なモノだ。ただ、淡々と進めなさい。
「〜せねばならない」と感じたなら、嬉しさや喜びを感じる様になるまで想像力を膨らませて「ビジュアリゼーション」のテクニックを使えばいいだけだ。
焦る気持ちが湧いたなら、一旦、目の前のその「すべき事」を放り出して、成就の喜びを想像の中で感じるまで瞑想するのだ。
すべき事を目の前にしてそれが進まないと焦っても、どうせ出来ないのなら、出来ない間、このビジュアリゼーションに専念するといい。
それが「すべき事」より遙かに優先する、今踏み出さねばならなかった「真の一歩」だからだ。それこそが「すべき事」の為の「すべき事」である。
この理を知らない人は、真の目の前の今一歩を踏み抜かしたまま、義務感と焦りとプレッシャーで以前からのdoingに取り組む。そして自ら転けて行く。それは「すべき事」の為の「すべき事」を踏み抜かしているのだ。その様に焦る心は盲目になる。
まず、意識していなかった部分に光を当て、潜在意識と顕在意識のベクトルのずれに気付こう。
そのままでは、「〜せねばならない」のその裏には「本当はしたくない」が潜んでいて、願望・希望は大変成就しにくくなり大部分は成功しない。
また、「願望は潜在意識に引き渡されると現実化する」と言う命題も、色々な角度から見てみよう。
それは「潜在意識にある事が現実化する」と言う事だ。
ならば、「願望ではない変なモノが既に潜在意識に引き渡されているとそれが現実化する」と言う事になる。
言い換えると、「変なモノが既に潜在意識に引き渡されていると願望の現実化は邪魔される」となるわけだ。
それは「成功させないというデータが現実化している」と言える。そしてこの理解が成功を邪魔する感じ方・・・顛倒夢想の理解に繋がる。
何度も言うが、顕在意識で、そして想像の中で、それが成就したらどれ程の得する事が有るかを、事詳細に脳裏に描き出すのだ。
イメージを創作するのだ。
紙に書き出したり、参考になる写真を集めたりするのもいい事だ。大変想像しやすくなるからね。
「したくてする」と感じる時・・・それは潜在意識にイメージが引き渡されている為、建設的な衝動が起る。
溢れる様な「やる気が出る」と言う事だ。そうでないと言う事は「快」を感じる想像力が足らないと言うだけの事だ。これをチェックポイントとして心得て置くといい。
段々分かってきたかい?・・・あっと驚くタメ五郎〜♪・・・知らない?・・・古いからねぇ・・・
解ってしまいさえすれば、何と簡単な事か!驚いたかい?
・・・しかし解った人にはこんな簡単な事でも、人によっては既に顛倒夢想が働き始める。何故なら、それを知ったらタメになってしまうからだ。
だから、それでも猜疑心が湧く様なら、もっと深い感じ方の再生テクニックと解説が必要だ。ここでは割愛しているが、「自分を愛する」などのもっと根本的な事から理解する必要と、その考えを身に付けるエクササイズ等が必要となる。それは誰しも何処かのレベルで存在し、無意識且つ無自覚なままにカンフォトゾーンを形成しているからだ。だからその時は、更に詳しく説明している「弱者の成功戦略」に進みなさい。
この心理的なメカニズムに真の理解が生じ、それが使える様になるならば、願望成就は後は単に時間の問題だ。
また、豊かな発想力を持つと言う事についても、このメッセージ自体からその「在り方=being」というのを掴み取って欲しい。
このメッセージの様に思考が自由に、また問いかけに対してスムーズに思考が自由に働かないとしたら、世界支配綱領(※)のワナというか、常識に既に洗脳されていると言う事になるからだ。
教えられたら解るのは当然の事として、「教えられないから解る」と言う発想があり、それはフロンティアに立つ人間が持つ質である。
今までの君の発想力の自由度というモノは如何だっただろう?
※「人々の思索力を隷属化させる事は既に視覚教育と称する方法で始まっている。
この視覚教育の主な狙いは、被ユダヤ人総てを脳を働かせてもモノが考えられず、絵を見なければ何も理解出来ない従順な動物にする事である。
彼らに事情を悟らせない為に我々は更にマス・レジャーを盛んにする。やがて我らの新聞で芸能・スポーツがもてはやされ、クイズも現われるであろう。
これらの娯楽は、我々と政治闘争しなければならない人民の関心をすっかり方向転換させてしまう。
こうして人々は自ら独立して思索する能力を失い、我らが考える通りにしか考えられなくなる。・・・続く」(プロトコールより一部抜粋)
これは1898年スイスのバーゼルのシオニスト会議で採択された「世界支配綱領」と言われている怪文書の一部だ。
そして世の中は一応、世界支配綱領の通りに進んでいる様だね。だからそれに十分対抗出来る思想と勢力が必要だ。君がしっかりした一人の人間と成り、個として立てる様に成る事で、世界は平和に向かうんだ。
いまは、自分の存在意義、そして自分の使命に付いて瞑想しなさい。ゆくゆくは天命の発見に至り、生の目的までをも見出せる様に成るだろう。
そして、君はそれを多くの友に伝える事で君は多くの人の信用と信頼を勝ち得て行くだろう。
信用と信頼、それこそが自由である事を目指す人・・・自由人が立つ一番の基盤となるモノだ。
今日のメッセージは特に、「時置いて」反復しなさい。厳しい言い方だったかも知れないが、1より99の側に重点が有る解説だったし、その部分は一回で解る様な内容じゃないからね。でも1の部分はとても簡単だったでしょ。
次は、内なるエネルギーの醸成法とでも言うべき、エネルギーに突き動かされる様にして事を為して行く、成功者の持っている「意識の力」の育て方に付いて解説するよ。
05・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.08.31facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 05
・・・・・・・・・・・
今日の命題も実に簡単だ。前回最後に予告した解説だ。覚えてるかな?ふり返って確認してごらん。
成功者の持っている、内から突き動かす衝動の「意識の力」を育むには「夢・願望はじっくりと育てよ!」と言う事だ。
・・・で、衝動ってどんなモノだろう。一応、ここを確認しておこう。内から勝手に湧き、突き上げる欲求の様なモノだ。色々考えてごらん。
何も考えない人は生理的な欲求、衝動しか知らないだろう。しかし「考える事」も、それを達成したいという衝動を生む様になる。
成功者の衝動とはどんなモノだろう?何故、その人にはその様なモノが内から発生するのだろうか?
今回は、この衝動=「意識の力」を味方にする秘密を話そう。
君は今高校生だから、例えば、進路を考えるに「3年間は、寝ても覚めても夢に見るまで、楽しみを見出す様にしながら目標の事を思い込む」。
そうすると、潜在意識は「快」と感じているので、その目標に至るプロセスにやる気ホルモンを分泌し始めるのか、意欲を持って突き進める。
意志の力で頑張ると言うより「やりたくてやる」気持ちが前面に出て来るのは、まるで帆船が順風満帆で進みゆく様なものだ。
それは前回学んだ通りだ。技法・やり方としては、アタマで考えるに実に簡単な事だ。なんと理屈は簡単な事だろう。
簡単な事ではあるけれど、@何故それがそうだとそう成るのだろう?
そんな簡単な事なら、A何故大勢の人がそうしないのだろう?
この実に簡単な事ではあるが、その裏打ち・裏付けをしっかりと99個認識しないと殆どの人は、この簡単な事が出来ないのだ。
「何故?どうして?こんな簡単な事なのに。・・・だって楽しみを見出そうと頭で想像すればいいだけの事じゃ無いか!」君はそう言うだろう。
何故?どうして?・・・簡単と思える事でも周囲を見渡してそうでないならこの様な疑問が自然に立ち上がる事が重要だ。
それは、「読書百遍意自ずから通ず」という、自分に生じた疑問・解らない事に「粘着する質」と、その先の「解って尚繰り返す」という質が身に付いていると、この様な発想が自然に立ち上がる。その様な、普通の人が考えない部分に気付きが生じるという事だ。
実はこの秘密というか、@とAのメカニズムを知ってこそ、一般の人はやっとこの技法が使いこなせる様に成るのだ。
この技法とは「意識の力」を育むには「3年間は、寝ても覚めても夢に見るまで、楽しみを見出す様にしながら目標の事を思い込む」と言う事。
傍目には簡単だ。だけども BUT だが しかし、である。
君が社会に出て、今までここで習った事をそのまま友達に伝えようとしたら、君が巧く行った技法が他の人には殆ど効果を見せなくなるのだ。
今の自分自身に可能性を感じている君には不思議と感じるだろうが、それが何故かと言う事を事前に知っておく事。
それが分かれば、人間心理の妙味というか、知らない内に無意識にハマってしまうワナを避ける事が出来るし、落ちた人を助ける事も出来る。
故に、知っておかなければならない事が@とAを中心に幾つかある。
というわけで、今回も表向きは実に簡単な「1」より、その裏に潜む「99」の側にその重点が有るので、そこをしっかりと理解し、学び取って欲しい。
人間の意識というモノが、年と共に如何いう条件で如何変化するのか、そのメカニズムを心得て置くのだ。
カンフォトゾーンとは何か?顛倒夢想とは何か?心的態度とは何か?統合分離とは何か?言葉の力とは何か?オートパイロット機能とは何か?・・・そしてそれらが組み合わさってどの様に働いているのか?
一度読んだくらいで解る訳がない。何度もこのメッセージを読み返し、読み込む内に、それらがパッと解るくらいになる様、反復に勉める事だ。
このメッセージで問いかけられている些細な疑問提起に答え、指示している些細な事を実践する事で、心眼が啓いて来る事を保証する。
大根は美味しく食べられるが塔が立った大根はもう食べられない。それはニンジンも同じ。
トウが立つって分かる?・・・大根も生長すると茎が地上に高く伸びて花が咲く。丁度菜の花の様にね。そうすると根の部分は筋だらけになって食べられたもんじゃない。人間も丁度その様に、良かれ悪しかれトウが立つ。
無自覚なまま出来てしまった顛倒夢想をカンファトゾーンに据えてトウが立つのか、意識して直観的判断力を育てリミティングビリーフを打ち破る事をカンフォトゾーンに据えてトウが立つのか。
前者のトウは虫食いだらけだ。花も咲かなきゃ実もならない。同じトウが立つにしても、後者のトウからは花が咲き、実が実る。種が穫れる。
では、まず@の「何故それがそうだとそう成るのだろう?」というメカニズムの理解からだ。
それは、「夢・願望はじっくりと育てる」と何故「意識の力」が育つのか、という理解からだ。
願望は強いほど障害をはね除け、乗り越える力を持つ。逆に願望が弱いと、ちょっとした障害の出現でその願望は潰されてしまう。
それは経験的に誰でも理解出来る事だ。では、その願望の強い弱いはどの様な要素に拠って形成されて来るのか?
ここの処を良く理解する事だ。ここを見逃さなければ君は重要な事をスキルとして掴む。
願望の強弱・・・それは、たまたま強かったり弱かったりする偶然によるモノでは無い。赤ちゃんで凄く強い意志や根性を持っていると言う事もない。有り得ない。それは確かに何らかの条件で育まれ年と共に成長しているのだ。
では、願望の強弱とはどの様な要素で、人それぞれの内に育ってくるのだろう?そこには聞けば納得する明らかな公式がある事を理解しなさい。
高校で習う数学の公式群より遙かに簡単だ。Y=axの二乗・・・中学生二年生の方程式だね。理解出来れば覚える必要すらない。と言う事は、中学二年生でも分かる話だ、と言う事だ。
願望は、それをどの位の強さでどれ位の期間思い込んだかで、その強弱が決まる。それは丁度ベクトルの様なものだ。それは次の式で表される。
願望の強さ=イメージの強さ(リアリティ)×思い描いた期間(時間)の二乗
繰り返している感じ方や思い描く事というモノは、願望に限らず変なモノでも蓄積してやがて二乗的に力を持つようになる・・・それは恐るべき力だ。
如何、恐るべき力となるのだろう?願望は何となく解る。が、変なモノが恐るべき力に成る、とは如何いう事だろう?・・・その内じっくり考えなさい。
立ち向かう事も、その逆の怠惰を許す事も蓄積して、やがて二乗的に力を持つようになる・・・この原理をよく理解しておく事だ。
で、話を続けるが、これはそのまま「意識の強さ=イメージの強さ(リアリティ)×思い描いた期間(時間)の二乗」だとも言える。
頭の判断から生まれる意志の強さではない。「意識の強さ」とは、内から起こり来る97〜98%の側からの力だ。
心的怠惰な人間が、怠け心の存在を許したままで年を重ねたら如何なるか?
こんな諺がある。・・・30才の人間が二十歳時点に戻って遅れを取り戻すのに10年掛かるが、40才の人間が二十歳に戻って遅れを取り戻すのに100年掛かる、と言う訳で「40バカは治らない」。20年ではないのだ。
それは目に見えるモノでは無いが、もう、怠惰という部分が動かしがたいほど頑固な岩の塊の様に成長する。怠惰性というモノがとてつもない巨大な木の切り株の様に根を張り、動かし難き「意識の力」としてその人の潜在意識にどっかりと居座るのだ。そういう事が心眼を開くと見えて来る。
多くの人は、逃避したい・責任を引き受けたくない・人を変えたい・努力するのは嫌・認めんなどの分離側の意識を深く考える事無く抱き続けている。
それは、無自覚だろうが、年と共に凄い力積に成って行くのだ。何せ、期間に二乗が付くのだからね。二次曲線のグラフだ。
それが時間の経過と共に、二乗的に力を拡大して自分の潜在意識に居座る様に成るのだ。
では、どちらで在らねばならないか、どちらで在りたいかと言う事だ。
そしてこの知識を知っているかいないかと言う事だ。・・・この知識を知った者は知らないでいる事に恐怖を覚えるだろう。
知らない者は知らない事に全く「平気の平左」だが、知らないままワナにハマってしまい、実際、リアルな現実世界に理由の分からない不安、そして恐怖という現実の苦が忍び寄る事になる。何故それがそう成ってくるのか訳分からないままに。
今、自分が「感じる」その感じ方を「放任」していてはならない。モニター的に自分を観察し、イメージと想像の力で準備段階でコントロールする事だ。
君には、如何感じるかの為に、物事を如何捉えるかという、選択の自由、つまり人間だけに与えられている特権がある。
動物にはそういう選択の自由は無いし、この種の選択の自由を放棄した人間は、動物レベルに留まり成長しない・進化出来ない事になる。
ここで「人間の心理は、統合の方向を向いているか、分離の方向を向いているかのどちらかだ」と言う「心的態度の向き」という概念を伝える。
統合分離表というのが有るので、それを見れば一目瞭然だが簡単に説明しよう。
統合分離表 ../goi/tougobunri.html
統合の方向とは、宇宙的見地から見て、総てのモノが生々化育する建設的な方向性の事を言う。
分離の方向とはその逆で、生々化育するのを阻害する破壊的な方向だ。
この大まかなモノサシを持って人間心理の様々な状態を観察すれば、今のその意識状態はどちらを向いているかは自ずから判断出来る様に成る。
例えば、立ち向かう・与える・許す・愛・自由・応援する・賞賛する・感謝する等はもう自分で判るだろう?そう!建設的だから「統合」だ。
それに対して、逃避する・奪う・許さない・認めん・嫉妬する・束縛する・支配する・不平を言う等のマイナス思考は、破壊的と言えるから言わずと知れた「分離」の側だ。
それが理解出来たら、「人間の心的態度は、統合の方向を向いているか、分離の方向を向いているかのどちらかだ」と言う事と、「意識の強さ」を表す公式を掛け合わせて考えて見て欲しい。ここの処はゆっくりと、そしてじっくりとイメージが湧くまで繰り返し読み込む事だ。一度で解ろうとする必要は無い。
まず、色々な言葉に慣れる事だ。そして読み込むと言う事に、そして更にイメージを描くと言う事に慣れる事だ。それ自体が訓練だ。
赤ちゃんを育てる様に、自分に優しく。競争社会で洗脳されているパターンをふり返り、理解出来ないとイラつく・焦る・すっ飛ばす、その感じ方を観察しなさい。それ自体が既に社会から受けている洗脳の一つなのだ。
だから多くの人は自分で考える能力を失うのか、と他人のフリを見て自覚する事だ。
このメッセージは単なる知識の伝授ではない。知識の伝授と言う手段を更なる次元で活用して感覚・感性の開発までをも意図しているのだ。
「自ら独立して思索する能力」を失っている者は、イライラし始めてすっ飛ばそうとする部分だ。ゆっくりやればいいのだから急ぐ事はない。文字から読み取るイメージ訓練だと思って進めなさい。「絵を見なければ何も理解する事の出来ない従順な動物」で在ってはいけない。洗脳を解くには正しい訓練が必要なのだ。
もう一度、「心的態度は、統合か分離を向いているかのどちらかだ」と言う事と、「意識の強さ」を表す公式を掛け合わせて考えて見よう。
分離側の心的態度では・・・マイナスに働く意識の強さ=分離側の心遣いのイメージの強さ(リアリティ)×思い描いた期間(時間)の二乗
統合側の心的態度では・・・プラスに働く意識の強さ=統合側の心遣いのイメージの強さ(リアリティ)×思い描いた期間(時間)の二乗
と言う事になる。・・・文字を見ていたらややこしく思えるが、イメージで掴めば簡単に理解出来る。時間を掛けて文書を脳裏でイメージにしなさい。
無自覚であろうと、知らないでいようと、幾ら否定して認めなかろうと、心のメカニズムはそう働いて各人のデータベースを形成していく。
分離側の心遣いを放任していると、意識の力はマイナスに働く力となって、後説明する顛倒夢想を無自覚に勢いづける事になる。
これに無自覚な事が、人それぞれの人生を、実にややこしくしているのだ。
豊かな心と貧相な心と言う事を考えて見た場合、普通は目に見えない世界だから、等閑(なおざり)にされているが、心眼を開いてみれば等閑だなんて、これはとんでもない事だと見えて来る。
豊かな心と貧相な心では、統合と分離の心遣いの「履歴の差」がとてつもなく生じているのだ。履歴とは蓄積されている力積だ。
豊かな心とは、例えて心の貯金がどんどん貯まっていく心、それは心的エネルギーが蓄積されている。
貧相な心とは、例えて心の借金がどんどん貯まっていく状態だ。
豊かな心とは、統合側の心遣い・心的態度で育まれるモノ・・・それは願望を叶える、或いは応援・推し進める「意識の力」として働いてくる。
貧相な心とは、分離側の心遣い・分離側の心的態度で汚染されてしまったモノ・・・それは願望の成就を阻害・破壊する力として働いてくる。
多くの人は、この様なメカニズムが存在する事を考えもしないので、顛倒夢想でトウが立つ。
願望は育てないといけない。願望は育てると大きく成長していく。それは力、つまり心的なパワーを持つ様になると言う事だ。
願望は育てないと育たない。そしてこの概念が世間には無い事に気付く事だ。これは君にチャンスをもたらす。
育つ前と育った後の力の差、・・・ライオンの赤ちゃんと成獣の力の差を考えてごらん。どれだけの力差が有るだろう?
「こう成りたい!」という夢や願望という種を君は蒔いた・・・今それを自分はどれ位育てたろう?それは苗木かな?巨木に成りつつあるかな?
意識の力を生み出す公式を覚えていて欲しい。ビジュアリゼーションの真髄は、統合に向かう心的態度で「意識の力」を育てる処に有るのだ。
イメージしたり感じたりする事は、それが良かれ悪しかれ蓄積して、その方向でのパワーを持つ様になる。
改めて、願望が大きく成長していくとは如何いう事か?
それは「夢・願望はじっくりと育てる」と何故「意識の力」が育つのかと言う事から考える・・・立ち向かう心遣いは統合側の心的態度だ。
それは、建設的なイメージを思い込む力とその期間の二乗の積に比例して、「意識の力」が育つ事に成ると言う事だ。
帆船の帆を大きくすれば受ける風も大きくなり、大きな船が動かせる様になる。
ちゃんと育てられない願望は、「意識の力」として十分育っていないので、簡単な事で直ぐに潰れる。
しっかり時間を掛けていない願望は付け焼刃の様なモノでしかない。
人類史に名を残すかも知れない様な崇高な願望を抱いていたとしても、例えば億単位のお金が転がり込んで来て、それにもし目が眩む様だったら、その崇高な願望など、微塵もなく吹き飛ぶ。願望が未熟で育っていなかったのだ。億単位のお金が障害となったのだ。人間的に未熟だったと言う事だ。障害は現われる。それは当然だ。しかし、その時がチャンスなのだ。自分の願望の育ち具合を知るチャンスだ。
願望は育てる事で力を持つ様になる事をよく理解し、更なるビジュアリゼーションを実践し、今自分に出来る目の前の事を探して、その一歩にチャレンジするのだ。高飛び・三段跳びを自分に強制してはいけない。
ビジュアリゼーションの力を更に高める方法を教えよう。それは「言葉は力を持っている」という事を知る事だ。
目標達成や心構えに付いて端的な言葉で表し、それをイメージと共に言葉で反復する。それをアファーメーション=自己宣言という。
役に立つ言葉を探しなさい。それを自分のモノにしなさい。それはやがて信念の一部となるから。
お父さんが高校生の時に出会い、そして使っていたアファーメーションを紹介しよう。それは次の章句だ。
やってやってやり抜いた結果、それが成功したらそれは信念の深まる時。
やってやってやり抜いた結果、それが失敗したらそれは経験の深まる時。
信念も経験も、車の両輪の様に、人生に共に必要なモノである。(藤本憲幸)
そして氏はこう続けていた。
この心構えで挑んでいたら20個にチャレンジするとして19個成功し、失敗は1個だ。5%の失敗を怖れていると95%の成功を取り逃がす、と。
これを高校3年生の頃から何千回も唱えていたなぁ。そうしていたら、それを受けてお父さんはこう気が付いたよ。
手を抜いていい加減にやった結果、たまたまそれが成功したらそれは「思い上がり」の出る時。
手を抜いていい加減にやった結果、それが失敗したらそれは「後悔」に打ちひしがれる時。
思い上がりも後悔も、人生に不必要なモノである。
と言う事は、成功とか失敗という結果ではなく、やるかやらないかというプロセスそのものが重要なんだ、とね。
今お父さんが使っているアファーメーションはマフィー博士からの言葉だ。それは・・・
自分の内なる創造的知性はあらゆる事を知っている。それは私に仕事に新しいアイディアをもたらす。
というモノだ。お父さんの創造する価値は、お父さん自身の目標と、この言葉によって生み出されている。正に言葉は力を持っている。
では、今度は簡単な事なのに「A何故大勢の人がそうしないのだろう?」に付いてだ。
ここまでの説明を聞けば、おおよそピンと来るはずだ。
「そうしない」のではなく、実は「そう出来なくなっている」のだ。社会人になると目標そのものがなかなか持てなくなる。内からブレーキが掛かるのだ。
そして、自分の出来る範疇でしか物事を捉えようとしなくなる。大きくチャレンジする魂を失う。それは何故か?
大体、歳を重ねるほど、夢が大きくなるのが本当だ。それが在るべき姿・本来の姿の筈だ。
何故なら、歳を重ねた人は、若者より遙かに多くの経験を積んでいるのだから。ところが、殆どの人はそうじゃない。
歳を取ったら夢が無くなると言うのは、何かが間違っているのだ。・・・と聞いて、素直に耳を傾けられる勇気の残っている人がどれだけいるだろう?
何かが間違っている・・・それが事実だ・・・しかし、その間違いを知らしめる何かの機会に出くわそうとすると、その人のオートパイロット機能が自動的に働き、本人が「それ」と気付く前に「為になる事だから事前に排除する」という事が起こる。
また、顛倒夢想とオートパイロット機能は互いにフィードバックし合っており、気付かなければその関係は年々強化されて、終いには動かし難き岩の塊の様な、怪物の様な力に成る。
「間違いを認めん」という、虚構が崩れるのを怖れて、真実を知ろうとする耳と心まで失う。自分でそう成っているとは自分の側からは絶対に気付けない。
更に、カンファトゾーンとは、心的に居心地のいい状況で、それも巨木の切り株の様に居座る様に成り、その上層のリミティングビリーフを破ってそれを超えるモノを許さなくなる。
その訳は、願望とは逆のモノをそれこそ無自覚、気付かないままに「マイナスの意識の力」としてしっかり育ててしまったからなのだ。
分離側のマイナスの意識を繰り返しても罪を問われる事はない。なものだから、それがどの様に作用しているか等、考えもしない。
「願望は潜在意識に引き渡されると現実化する」と言う命題が「願望ではない変なモノが既に潜在意識に引き渡されているとそれが現実化する」と言う事になっていて、それこそ「変なモノが既に潜在意識に引き渡されていると願望の現実化は邪魔される」と前に説明した通りになるわけだ。
この邪魔するモノ、特に成人した頃から多くの人に急速に発達してくる、本来なら望みもしない顛倒夢想に付いて徐々に理解を深めていこう。
顛倒夢想 ../goi/tendomuso.html
顛倒夢想とは、宇宙から観て自分にとって為に成るのに嫌い(悪い)、また、為にならずダメに成るのに好き(良い)と感じて、それが完全な固定観念になっている勘違いの感覚。言い換えると、建設的なのに嫌い、破壊的なのに好きと感じる感覚で、全くの無自覚。良いと信じて知らない内に自分に不幸を導く、本人には全く無自覚な「心の癖」。
普通平均200〜300個、人によっては400〜500個位抱えている。
思い込み・イメージ的結論・無知・自己欺瞞・慣習・ドグマ・イデオロギー
それは自己投影・幻想・虚構を創り出す。良い事を始めたら引戻しの感覚に出会う。無意識のマイナスの願望・幸せ回避症・不幸中毒
多くの人は、「分離側の心的態度の無自覚な練り上げで積み上げた履歴」に因って「成功させないというデータが現実化している」と言える。
願望や目標をちょいと設定して見た処で、それに対する練り上げをする事の重要性・育てる事の重要性に殆ど気付かないから、実にひ弱だ。
今までの自分の圧倒的に積み上げた履歴が無意識レベルでひねり潰しに掛かる。為になる事だったら願望を抱いたが故に、「はじき返し」に掛かるのだ。
いつの間にか、決心は薄らぎ、意欲は消え失せ、忘れてしまったりする訳だ。一旦そのワナに嵌っていたらもっと奥深い処から「感じ方の再生治療」が必要となる。その回復の為には「弱者の成功戦略」と「滝部セミナー講義録プログラム」の二つでの聞き込み特訓が必要になる。重傷になっていると言う事だ。心のクスリが大量にいると言う事だ。
夢・希望・願望や目標を設定・・・これを邪魔するモノには、正体がある。心する者には、そのおぞましいモノの正体はちゃんと見えて来る。
それは、「無意識のマイナスの願望」であり、無自覚なまま「幸せ回避症」となって顕われて来る。
何故不幸に見舞われるのか、何故チャンスはやって来ないのか、本人も気が付かないままに、望みもしない不幸な事はいつの間にか「引き寄せ」、望みたい事は望めもしない様、事前に「はじき返す」状態になっている事に全くの無自覚。そこにはそうなる・そう働く、確かな原理がある。知らないでいるという事はかくも恐ろしい事なのだ。
夢・希望・願望を実現する為に「意識の力」を育てなければならないというのに、反応的に生きるという思考放任を重ねた結果、成功を邪魔する感じ方・・・いつの間にか、顛倒夢想なるモノを育てていたのだ。何たる事か!
人が何を思おうと如何感じようと、それは各人の全くの自由ではある。
しかし、無意識に分離側の感じ方での思いを繰り返す事は、それが履歴となって力積を振るう、マイナスの「意識の力」となっているのだ。
こんなモノが勝手に心中に生成してしまっていた、と言う事が原因で、これこそが、実に簡単な事なのに、Aの「何故大勢の人がそうしないのだろう?」は「しない」のでは無く「出来なくなっている。」と言う事の理由である。
それが君自身の事だったらどうだろう?それでいいと思うかね?
マイナス思考は、ただそれだけで、望む事を内から破壊するブレーキとその力積を、その時々に作ってせっせと貯めていると知る事だ。
みんな、その理を知らないから、マイナス思考は良くないと教えられても、今その瞬間に損を作りだしていると気付きもしないから、気にも留めないのだ。意識が盲目・心がメクラとはそう言う事だ。
その本人にとって、マイナス思考は居心地のいいカンファトゾーンであり、そうする事が大好きなのだ。
不平・不満・愚痴・恐怖・疑い・心配・嫉妬・怒り・憎しみ・敵意・偏見・内気・臆病・妬み・嫉み・優柔不断・自惚れ・横柄・無教養・下品・自己満足
このままの心的態度でいる事が大好きだ。変りたいとすら思っていない。教えて上げたり、注意すると反抗・反発するだけ。
原因と結果を直結すると、失敗したい・・・失敗する「事」が大好きだ、と言っているのと同じなのである。何たる勘違い!
陽転思考・楽観的でいよう・・・真剣さは必要だが深刻さはダメだ。自他共に責めないコツを知る事だ。
希望する進路、そして目指すコンクール上位入賞をイメージの中で描きまくり、喜びを感じてみよう。
何処でも出来る想像はいくらしてもタダではないか・・・しかし結果はどうなるか〜♪試して見る事だ。感じ方の変容を感じるだろう。
そうすると、心的エネルギーが醸成され、内側から突き動かされる様にして事を為して行く衝動が生まれる。
それはエネルギーだ。この原理を知らないで落ち込んだりしている友達に教えて上げなさい。このメッセージをそのままシェアして上げなさい。
ビジョン無き民は滅びると、聖書でソロモンは言っている。
潜在意識と顕在意識のベクトルのずれを修正出来るコツに気付いた者が夢を実現する。
今までは、そういう感じ方を環境か何かで、先天的に身に付けていたか条件が整っていたような人だけが知っている特権の様なモノだった。
誰もその理を言語化して説明する者がいなかったからだ。しかし、ここにその理が明かされたのだ。もう、何処に心配があろう?
地道に今すべき事を通じて快を感じるイメージトレーニングだ。それを直ちに始めなさい。
学力の不安?・・・右脳開発の技法を知ろう・・・世間には面白い事が色々ある。学校で教わらない事は独学だ。
悩みにぶつかったら、「探す・調べる工夫する」だ。
重要な事は今回までに、だいたい述べたが、理解をより深める為に、今までの説明を更に補強する必要がある。
次回はオートパイロット機能の認識を更に深める解説をしよう。
そういえば、今日はお小遣いを上げる日だね。兄弟みんなで取りにおいで。
06・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.09.02facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 06
・・・・・・・・・・・
潜在意識のメカニズム・・・これは、未来に羽ばたこうとする君や君の友達にも是非知っておいて欲しい事だ。
クラスメートに、成績を気にしたりして落ち込んでいる友達はいないかい?人間は考え方を知らないと考える事が出来ない。考え方というのは一種の技術なのだ。考え方の技術を持つと言う事は、人生のサバイバルツール(生き残る為の道具)を持つと言う事だ。丁度ジャングルで生き残るに、ナイフが絶対に必要な様にね。現代社会人の殆どはお金こそが絶対のサバイバルツールだと社会的洗脳を受けているから、そのお金を得ても得なくても、殆どの人が心が行き詰まる。だから君は、考え方の技術をマスターして、知恵を磨きなさい。更にその知恵を智慧にまで昇華させなさい。チエはお金でも何でも総てを生み出す根本となる。だから、友達が無意識に陥ってしまうワナにハマる前に、「考え方には技法が有る」という概念そのものを教えておいて上げなさい。自分より成績が良いからって、嫉妬したり出し惜しみをするもんじゃない。
ここでちょっと、鋼鉄王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーの墓碑銘を紹介しよう。彼の墓石にはこう言う言葉が刻まれていると聞いた。
「自分より優れたる能力を持つ者を、自分の周りに集ましむる法を心得し者、ここに眠る」と。
アンドリュー・カーネギーは、専門性を持つ一流の人間を適所に配置し、そういう人材を動かす事に拠って世界一の鋼鉄王と呼ばれる大富豪になったのだ。彼は最初、鋼鉄の事は殆ど何も知らなかったので、事業体各所に必要なそれぞれの専門家を集めたという。魅力の無い人間の処に人は集まらない。アンドリュー・カーネギーより優れた能力を持つ人達が、アンドリュー・カーネギーのどんな魅力に引き込まれたのだろう?
実に謙遜に満ちたこの言葉・・・しかし、そんな自分より優れたる能力を持つ者を自分のマスターマインド(※)にするなんて、一番凄いのはオマエじゃないか!と言いたくなるね。アンドリュー・カーネギーの心得ていた「法」とは何だろう?・・・そう言う事が常に念頭に有る様な自分に成りなさい。そして探しなさい。調べなさい。その為に君は、自分より優れた能力を持つ者を賞賛する事から始めなさい。彼らは君の事がきっと大好きになる。
※マスターマインドとは、二人以上の、統一した願望や目標を持った人間の集まりのことであり、また、それらの人々の間で行き交う、波長の合った思考のバイブレーションのことです。 「マスターマインド」の協力なしで、偉大な力を発揮し得た人はいません。
http://www.n-hill.com/knowhow/g02.html
お父さんが、今、君に教えているこんな考え方を知らない故に、君より成績が良かろうと如何であろうと、大部分はみんなそれぞれに悩みはあるし、苦しんでいるのだ。役に立つ事だったら教えて上げなさい。「考え方」を教えて上げるという事に、経費は何も掛からない。元手はタダだ。しかし、相手が喜んでくれる事になったら、その無形の報酬は大きい。優秀な人間にこそ信頼される人間になる事を目指すのだ。その事の方が、今目先の成績という結果より遙かに重要な事だ。世のルールに従えば、医者だろうと弁護士だろうと難関と言えるモノでも、ある一定の学力を身に付け、そのラインに到達すればその資格は得られる。前向きに頑張ってさえいるなら、そのラインに到達するのはただ単に時間の問題だ。
記憶力が良ければ早く到達する。そうでなければ、ちょっと余分に時間を掛ければいいだけの事。それなのに、その結果を重要視し過ぎる結果、人間として重要な事を見落とす様な事に成ったとしたら、本末転倒だ。資格=幸せ、ではないと言う事だ。
潜在意識のメカニズム・・・この解ってみれば実に単純な原理に気付けなくて、人類はあらゆる困った問題を自ら創り出してしまう。
もし、誰も自動車学校に行くこと無く、乗りたきゃ誰でも勝手にいきなり車に乗れると考えてごらん。誰も交通ルールや法規を知らないし守らない。運転技術も各人が車を手に入れれば勝手に覚えたとする。道路標識も信号もなく、取り締まるお巡りもいない。どんな状況になるだろう?それはもう、しっちゃかめっちゃかで、あちらこちらで死亡事故多発だろうね。
丁度、潜在意識のメカニズムを知らないと言う事は、今の例えと同じ事だ。
意識次元の事だから、交通事故の様にいきなりの衝突とかいうのは無いけれど、人生のあらゆる処で、無知を原因として苦しみを作りだしている。心の事故は多発しまくっている。戦争だって突き詰めればそう言う事だ。人々は真実を知らない。誤った認識が全人類に広がっている。
では、何処にその解決の糸口を見出すか?・・・250年前のルソーの言葉を紹介しよう。この言葉は、人間心理の真理、或いは原則と言える絶賛すべき名言だ。果たして、どれ程の人がこの言葉の価値に気付くだろうね?
「人間は真実を知ったならば、それを理解した全ての人が同じ判断をし行動する。その判断は必ず正しい判断である。」
何と凄い言葉だろう・・・しかし、現在の日本も世界も人類は正確な情報を知らされていない為に誤った認識が広まっている。
潜在意識のメカニズムという事も今まで、その様なモノに誰も考えを寄せた事が無い。が、ここで、「人間が潜在意識のメカニズムの真実を知ったならば〜」と考える処に先の答えのヒントが見つかる。「人間が潜在意識のメカニズムの真実を知ったならば〜」・・・これは、現在の日本や世界情勢を見るに、混沌として行き詰まった人類にとっての希望の光だ。君は何か見えて来るかな?このメッセージを完全に習得したらそれがはっきりと見えて来る。はっきりと見えて来たか否か、それが修得度確認の一つのチェックポイントになるね。もし見えたら「凄い!」と戦慄を覚えるくらいの感動が走る。
今回は、その潜在意識のメカニズムの中のオートパイロット機能(自動飛行装置)に付いて語ろう。
潜在意識は、快不快で判断し、「感じ方や衝動」を司るデータベースとしての働きだけでなく、それは、私達の人生のオートパイロット機能として働いている。
オートパイロット機能って何だろう?
それは高性能の飛行機の自動飛行装置の事だ。目的地をインプットしておくと、飛行機のコンピュータは、航路のズレを常に修正し、自動的に目的地に向かって飛んで行く。人間の潜在意識にも、その様に「目的」に向かって「自動的」に進んで行く働きが有るので、潜在意識のオートパイロット機能というわけだ。
ここで、@「目的」という言葉と、A「自動的」という言葉を括弧で括った。ここには見逃してはならない、深い意味合いが有るからだ。
潜在意識の目的と、頭で考える目的はズレているかも知れない、と言う事と、「自動的」とは言うが、それは自分の為になるのか否か、という事を吟味する必要がある。
また、潜在意識と言う事は「頭で考える以前」の意識レベルである。それは本能に近い。このメカニズムを深く理解するに、その事も加味する必要が有る。
それらの事をよく踏まえた上で、潜在意識のオートパイロット機能に付いて考えなければならない。
扱いを心得れば大変素晴らしいモノであるが、扱いを間違えればとんでもない事になる。潜在意識には善悪の判断も損得の計算も出来ないからだ。火は正しく使えば色々な事に役立つが、一歩誤れば、火傷をしたり火事になって総てを失う。丁度それと同じ様なモノだ。
潜在意識は、その奥深さを洞察していけば、それは生命そのものにまで直結している。
食べ物を消化し、血液を作り、爪や髪を伸ばして、体は成長する。また、怪我は修復するし黴菌には免疫で対抗し、体温などの恒常性に勉めているが、そういう体の機能を一々頭で考える事も無ければ知覚する事さえない。
「今日は血液を何CCつくるぞ。髪は何ミリ伸ばして〜」なんて考えますか?そんな事考えたからと言って出来るモノでは無いし、考えなくても自動的にそうなる様になっている。また逆に、そう言う事がもし総て顕在意識に上って知覚されるとしたら如何だろう?・・・考えて見よう・・・60兆個の細胞から色々な働きや変化の情報が時々刻々、総て顕在意識に報告が来るとしたら・・・ただ今胃袋ではペプシンを○○CC分泌しまして、38グラムのお肉をペプトンに変えています。・・・ただ今38%・・・膵臓ではインシュリンを○○グラム分泌して糖をグリコーゲンに変えましたが・・・ただ今赤血球は毎秒○万個で製造中です。・・・肝臓では・・・ただ今黴菌○○が入って来たので・・・ミトコンドリアは・・・ただ今、どこそこの細胞はアポトーシスを迎え・・・ただ今、DNAが・・・その一つ一つの変化の総てを数えると、その報告は毎秒何百兆をくだらないだろう。それはもうきっとパニック以外の何物でもないだろう。そんなの一々知覚していたら頭は狂う。
例えば、社員1万人の会社が有るとする。そして、その総ての社員が一人の社長に総て個別にその日の報告を上げていたら・・・。社長はパニックだ。で、そう成らない様に会社では組織というモノが組み立てられ、現場は現場に任され、社長は重要な報告だけを受けて、経営に専念する。
我々の恒常性、つまりホメオスタシス維持も同じ様になっている。
一々現場の詳細は意識に上る事無く、無意識の深い部分であらゆる生命活動に必要な情報が自動的に処理されているのだ。生命はそうやって進化して来た。
人間は、意識という次元を発達させて来た。しかし、その顕在意識というモノは巨大な潜在意識というモノの表層に過ぎない。
だから、意識の部分に於いても知覚されないまま自動的に働いているモノが殆どなのだ。例えば、危険からとっさに身を守ろうと反射的に神経や筋肉が働くのは、一々頭、つまり顕在意識の了解を必要としたりしてはいないと言う事だ。
また、目に入る事、耳から聞こえる事など五感で感じる事を総て識別して顕在意識に報告が上がっていたら、これもパニックだ。
そう成らない様に、潜在意識は見聞きするモノの97〜98%を自動処理しているのだ。
この自動処理が問題だ。
それは私達に起り来る、人生が何処かに向かう情報を97〜98%無意識レベルで取捨選択している。文章の一つ一つをゆっくりと反復しながら読み込んでごらん。「取捨選択」とは何を基準にだろう?また「人生が何処かに向かう」の「何処かに」というこの言い回しは何を意味しているのだろう?
先に、人間の潜在意識にも、その様に「目的」に向かって「自動的」に進んで行く働きが有るので、潜在意識のオートパイロット機能というわけだ、・・・という文と、ここで@「目的」という言葉と、A「自動的」という言葉を括弧で括った・・・という文を思い出して欲しい。
まず@の「目的」だが、よく見るとこれは二通り有る。まず第一は顕在意識で考え定めた目標だ。これは顕在意識と潜在意識のベクトルが揃えば何も問題は無い。このメッセージの技法を正しく使えば、潜在意識のベクトルを顕在意識で考えた建設的な目標に揃える事が出来る。設定した目標が「やりたくてする」となるので、潜在意識は自分の味方として働き、万事OKだ。
もう一つは、正しい技法を知らず、潜在意識のベクトルが顕在意識のベクトルに比べてまるで他所か逆を向いている様な時だ。
目標設定の忘却、無意識のマイナスの願望、幸せ回避症、不幸中毒という様相を示してくるから、注意深く見ているとよく解る。
また、「目標なんて有りません」という人がいるが、それは潜在意識にとっては立派な目標だ。損得の計算判断が出来ない潜在意識は「目標を持たない事が目標」と捉え、無目標という目標に向かって邁進する事になる。そしてまた、それ自体が無自覚では有るかも知れないが人生の目的ともなっている。大体、皆、「どツボ」に向かうね。だって日頃からせっせと顛倒夢想をしっかり仕込み、蓄え込んでいるんだから。
この様な意味合いが有ったので「人生が何処かに向かう」の「何処かに」という言い回しになっていた訳だ。
お次はAの「自動的」が、自分の為になるのか否か、という問題。
人間の潜在意識は、「目的」に向かって「自動的」に進んで行く働きが有る、という事を更に詳細に説明しよう。
その「目的」に向かって、それを取るか捨てるか、顕在意識に関心を持たすか自動的に無視しておくか、それを97〜98%無意識レベルで取捨選択している。
それは、「衝動・感情・気分・関心が湧くか否か」といった「感じ方」で顕われる。
その判断基準となるモノは、過去感じた様々な「快・不快」の総履歴でそれがデータベースとなっている。
以上の要素を複合して理解する必要がある。
その前に「97〜98%無意識レベルで取捨選択している」という事を先に理解すると、前述の事柄がよりよく解る様になるのでそれから説明しよう。
我々は見聞きする情報の97〜98%は、実は顕在意識では一々知覚していない。そりゃそうだ。一々知覚していたらパニックになる。知覚しているのは実はほんの2〜3%なのだ。そして97〜98%の中から、潜在意識が何かの情報を顕在意識に上げるかスルーするかを司っている。
例えば、命に関わる様な瞬間は意識が全開する。潜在意識が引っ込んでと言うか、知覚領域の100%を顕在意識が占める。交通事故の瞬間など、当事者にとっては瞬間の出来事がまるでスローモーションの様に感じられる時がある。非常に長く感じる。経験がなければ誰かに聞いてごらん。たいてい身の回りの人に聞けば数人がそうだ、そう言う経験が有る、と言うだろう。火事場の馬鹿力というのも同じ原理だ。
見聞きする情報の97〜98%は、顕在意識では一々知覚してはいないのだが、実は潜在意識は知っている。その情報を把握している。
お父さんがマーフィー博士の言葉をアファーメーションとして使っているのも、そうである事を理解しているからだ。
「私の内なる創造的知性は、あらゆる事を知っている。」・・・潜在意識の奥深い処は創造的知性の住み家でもある。ここではその詳細ははしょるが、潜在意識は知っている、と言う事だ。潜在意識レベルではちゃんと知覚していると言う事だ。ただ、一々顕在意識を煩わせなくても済む様になっているのだ。
そしてここからの説明が、潜在意識のオートパイロット機能としてのよく理解すべき役割・働きの重要な一部だ。
2〜3%の顕在意識には引っかからずとも、97〜98%レーダーの様に働いている潜在意識の無自覚な知覚力は、それが必要な事か不必要な事か自動的に分別し、必要な事なら、顕在意識に「ハッとする・ピンと来る」という様な感じで、顕在意識に情報を引き渡すのだ。
そこで始めて顕在意識はその事に気付く。意識出来る様になる。
例えば本屋に行った時、正に自分を待ってくれていたのではないかと思える様な本との出会いか有った様な事はないかね?
人間の視点の焦点は2〜3%の部分しか見えていないけど、潜在意識は97〜98%の視力と第六感をプラスしてサーチしているんだよ。
潜在意識・潜在能力は無限の力を秘めていると言うのは、単に可能性が在るからと言うだけではない。
不必要な事なら、顕在意識を煩わせない様に自動的にスルーするので、顕在意識はそんなモノが有ったとさえ気付きもしない。何と便利な機能だろう。こんな便利な機能が有るのなら、潜在意識は自動的に人を幸せにしてくれるではないか!・・・と、喜ぶのは早い。それはあくまでも潜在意識に存在するデータベースが正しい場合にのみだ。
潜在意識のデータベースが、つまり判断基準が逆さまだったら如何だろう?
つまり、逆さまになっている基準。・・・為になるのに嫌い、ダメになるのに好き、と感じて形成してしまっているデータベース。顛倒夢想だ。これは次回のメッセージで更に詳しく説明する予定だ。
殆どの人が何も考えようとしていないが、分離側の意識状態をカンファトゾーンに取り込んで、それを良しとしていたら一体如何なるのか?分離側の意識状態・・・思い出せるかな?
意識次元に於ける破壊の方向性のモノだね。それはじっくり時間を掛けて、顛倒夢想と言う全く逆さまのデータベースを形成する。
それは、それ自体が更にその力を強める方向を目的として自動的に働く。そしてそれは歳と共に二乗的に拡大する。解らない事をほったらかしにする癖はそれに輪を掛ける。ダメに成るモノを為になると信じたり好きと感じて引き寄せ、為になるモノを嘘と信じたり嫌いと感じて排除する・・・。
それ故に、リミティングビリーフを超える様な、カンフォトゾーンをステージアップさせる目標を頭で考え定めようとでもするならば、潜在意識にとっては「避けるべきモノ」として設定されるという、まるで逆になってしまう事が起こる。 引き寄せならぬ、はじき返しが起こるのはこう言う原理だ。
また、人生目標の無い人・・・それは「無目標」という恐るべき「目標」になっていて、それに向かって進んで行く。
つまり顛倒夢想に基付くオートパイロット機能は、その「目的・目標」に向かって、自分にとって本当は必要な事を顕在意識がそれと知覚するその前に、露払いをするかの如くに退けてしまうのだ。目の前をチャンスが通りかかっても、ピンとも来なければ、その重要性も何も気付かない訳だ。真実の方向から観ると、実は自分にとって役立つ事なのに嘘だと感じたり抵抗が出たり無関心だったり。
また逆に、本当はチャンスでも何でもないモノ、或いは嘘や詐欺的なモノを顕在意識にチャンスだと感じさせて飛びつかせる様に促す事にはなる。 とんでもない事だね。
そして、自分が定めた「目標・目的」に到達した時も、要注意!・・・間違って植えられている目的が起動する事が有る。
潜在意識は、現実とイメージの区別・損得の判断が出来ず、快か不快かで判断するので、目標・願望に喜びを感じるイメージを持っていると、それに対して「取り入れるべきモノ」として「やりたくてする」側で、やる気ホルモンを出す他、97〜98%無意識で働いているオートパイロット機能が、その願望成就に必要なモノに気付かせ、且つ取り入れようとする。
逆もまた真なり。
潜在意識は、現実とイメージの区別・損得の判断が出来ず、快か不快かで判断するので、目標・願望に焦りや義務感、プレッシャーを感じるイメージを持っていると、不快と感じているので、それに対して「排除すべきモノ」として働く。なので「せねばならない」側で頑張っても、やる気を失うホルモン・逃避したくなるホルモンを出す他、97〜98%無意識で働いているオートパイロット機能が、顕在意識が気付く前に、その願望成就に必要なモノを無視し、排除しようとする。
この「顕在意識が気付く前に願望成就に必要なモノを無視し、排除」そしてそれが「自動的」というのが恐ろしい。この原理・現象に付いてじっくり考察しなさい。
また、間違ったモノ(分離側の心遣い)に喜びを感じていてもオートパイロット機能は働く。
この場合の喜びも一応「快」なので、これは顛倒夢想というデータベースを拡大する。その結果、建設的な目標を持ったとしても、それは将来、内から潰しに掛かる力、つまり「マイナスの意識の力」として働く事になる。知らないでいるとそんなモノを平気で育てているのだ。
潜在意識には、主な3つの性質以外にも、そのままでいようとする慣性の法則が働く、潜在意識に在る事が現実化する、心と裏腹である事がある、自他の区別が出来ない、何らかの形で目立とうとする、等がある。
この「慣性の法則」が働く事も「現実化」する事も「心と裏腹」で有ると言う事も、今までの学んだメカニズムを良く理解すると「何故それがそうなのか」は自然に解ってくる事だ。現状を維持しようとする「慣性の法則」も、カンファトゾーンと顛倒夢想の関係が解ると「はじき返しの法則」が理解され、それらを総合してよく理解すると説明出来る。
「潜在意識は何故慣性の法則が働くのか?言い換えると、何故現状を維持しようとするのか?」・・・自分で説明の組み立てが出来るかな?少しは自分でも「人を説得出来き納得させる様な説明」を組み立ててごらん。また、「念ずれば花開く」「思考は現実化する」という言葉があるが、それは因果をかけ離れて魔法が使えるという様な意味ではない。顕在意識では知覚出来ずとも、以上に述べて来た仕組みが働いて、リアル世界に顕現してくる・・・そこには理路整然としたメカニズムが有ったと言う事だ。「心と裏腹」と言うのはモロ、顛倒夢想の事を指しているね。知れば知るほど興味深くなる事ばかりだ。
オートパイロット機能の存在を覚え続けていよう。
「顛倒夢想に基付くと、潜在意識は自分にとって重要な事を無意識次元でスルーする」
「直観的判断力に基付くと、潜在意識は今まで認識してなかった自分にとって重要な事を、ハッと気付く様、顕在意識に上らせる」
この機能を自分の望む通りに働かせたいなら、正しいデータベース形成、つまり直観的判断力を養う事を考えればいい訳だ。
願望に向かって正しく働く意識の力、それは目の前に起こり来る事総てを、統合側の心的態度で受ける為にそれが如何したら出来るかと考える「出来る理由を探す」能力如何である。するもしないもその選択の自由は総て自分自身にある。この原理が理解されると、責任転嫁等と言う分離の質は、秋に木の葉が自然に落ちる様に、自然にポロリと落ちていく。そして統合側の質、責任を自覚し引き受けるという質が、これまた自然に育ってくる。
それらは総て絡み合いフィードバックしている・・・複雑な様に見えるが原理は単純だ。その関係性に気付く事だ。
「念ずれば花開く」「思考は現実化する」・・・人間の潜在意識は、引き渡された願望という「目的」に向かって、無自覚レベルでサーチしている情報を「自動的」に取捨選択しながら進んで行く働きが有る。顕在意識では、潜在意識のレーダーがサーチして来た情報を組み立てる必要が有り、それが顕在意識の役割の一つだ。そうしているとそれはいつしか実現へと向かうので、この働き全体を潜在意識のオートパイロット機能というわけだ。
従って、どの様な「想い・感じ方」で潜在意識のデータベースを形成しているかが、実は大問題なのである。
考えた事・感じた事等とデータベース、この二つは常にフィードバックしている事をリアルで感じるスキルを育てよう。
次回は、そのデータベースに付いての認識をもっともっと広げよう。
段々、面白くなって来ただろう?
07・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.09.04facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 07
・・・・・・・・・・・
人生の座標軸と人生の羅針盤を持たない人は、一体何処へ行くのだろう?それ無しでは目標設定など何も意味を為さないのにね。
その上、とんでも無いモノ、目標設定や願望を台無しにするモノは、それをそれと知らずにせっせと、日々仕込んでいる。
それを誰も注意しないし、また出来る者もいない。大体、考え方は技術であるという基本的な事にさえ、誰も気が付かない。殆どの人が、思うがままの好き嫌いのみで判断し反応的に生きる感じ方を許した「思考放任」状態に陥っている。潜在意識に顛倒夢想と言う敵を自ら作り出しながらそれに邪魔されまくって、2〜3%の顕在意識と顕在能力でやっと生きている。不平不満いっぱいでね。
科学は発達したと言うが、意識の科学は、民衆にとって役に立つ形では全く発達しておらず、ほぼ原始レベルに等しい。昔、人間は電気も電波も知らなかった。その存在に気付いて以来、それを利用する事が出来、我々の生活は大変便利になった。それは人間がその存在に気付く以前の太古の昔、宇宙開闢以来ずっと在ったのだ。しかし、誰かがその存在とメカニズムに気付くまでは誰も利用出来なかった。電気の雷でさえ、それは神のいかづち、神鳴りだったのだ。何故、意識をメカニズムから理解する科学が研究され発達しなかったのだろう?フロイトは病人の意識を研究した。覚者と呼ばれる人の意識メカニズムを研究した学問が無かった。いつの時代も解ってみれば何でもない、いつもコロンブスの卵なのだ。
このメッセージで述べられる原理原則に気付く事は、原始レベルの意識が電気や電波の存在を知り、それを自在に操れる様になる事に等しいか、いや、もっとそれ以上だろう。何故なら今現代人類の意識進化は、丁度昆虫が幼虫から成長しサナギの状態に在る様なモノだ。しかも徐々に何かに寄生され、成虫として花開く事無く没って行く哀れなサナギね。知ってるでしょ、冬虫夏草とかね。
後に述べる動物プログラムから人間プログラムへと進化し、それで自分の精神が起動出来ていてこそ、人間で有る事が心から喜びを以て味わえる。人間として花開く事、自己実現し、自由人で在れる事、それは丁度、昆虫がサナギから成虫となって自由に空が羽ばたける様になるに等しい。
ところがサナギの時に寄生虫にやられる事がある。サナギに寄生した他の虫や菌類に冒され、死んでいく。現代人はその殆どが、個人が各自問われる意識の進化成長段階の途中で、サナギが寄生虫に冒されているのと同じである。自分が自分として花開けない。個人個人が無限の可能性を持つと言われる人間の精神は、何に寄生されてしまうのか?この疑問にこのメッセージは的確且つ完璧に答える。
賢者や覚者が昔から、人々は形而上的には深い昏睡状態に在ると表現しているが、それは正にこの理を知らないで逆さまばかりやっている処にある。何故人々は逆さまになってしまうのか?その理を求め探究し、遂に解き明かす事に成功した。
君は、この理を理解し、それを以て自分に起こり来る総ての事をジャッジし続ける事で、変容を遂げ続け、愚かさと言う事の本質を知るだろう。
そして、この理を真に修めた者はマスターとなる。原理は簡単なのだ。膨大な知識や経験は殆ど必要としない。その意味も修めてみたら解る事だ。
人は皆、自分自身を正当化、そして合理化する生き物だ。正しい事を信じ、それに根拠を与えて信念を深めていくのは大いに結構な事だ。
しかし、間違っている事に屁理屈を付けて正当化・・・それをこれからここでは合理化と呼ぶ事にする・・・のは問題だ。
ところで、ここで問題が生じる。何故なら、何が正しい、何が間違っているという定義は民族や時代、国によってもそれぞれに違うからだ。
そのズレが大小様々な争いを生み出す種にもなっている。
そこで、総てをジャッジ出来る普遍的な定義を見出さなければならない。何だったらその善悪を計るモノサシになるのか?
良い事悪い事と教え込まれた洗脳を解き、自分自身の頭で考えなければならない。
「正しい」とは何か?「間違っている」とは何か?
それは「正義とは何か」「悪とは何か」と言う事でもあるが、単なるこの基準では合理化したモノの見方をしている者達には通用しない。
殺人も戦争に於いては正義とされる・・・何かおかしいと薄々感じていてもそれはなるべく見ない様にして、人々はそれぞれに自分を合理化する。
そこで、それは「建設的か破壊的か」という観点から見る事だ。これなら一目瞭然だ。
さらに、その枠を広げ、「宇宙から観て」と「歴史的検証に耐え得るか」をくっつけてみる。
善悪の判断基準=「それは宇宙から観て建設的か破壊的か、そしてその判断は将来の歴史的検証に耐え得るか」
その為に古今東西の賢者・覚者・偉人・成功者の言や思想を学んでみよう。
そして、建設的な方向を「善・真実・為になる」、破壊的な方向を「悪・虚偽・嘘・ダメになる」と理解すると、それは自分自身の人生の揺るぎ無き座標軸となる。
善も悪も人間の心の向きが決める。故に大切なのは、心的態度はどちらを向いているかと言う事である。
まず、何をする(doing)か、より如何在る(being)か、という観点から見るのだ。再び言う、・・・「在り方」を心の眼で観るのだ。
心的態度の向き、・・・宇宙から観て歴史的検証に耐え得る建設的な方向を「統合」、その反対の破壊的な方向を「分離」と呼ぶ。
統合分離表 ../goi/tougobunri.html
自分自身でも、様々な「感じ方」を紙に書き出し、それに対立する「感じ方」を上げて、それは統合側か分離側か、自分で分類してみよう。
不平不満・感謝・逃避・立ち向かう・恐怖・安心・嫉妬・賞賛・無関心・愛・怒り・慈悲・・・・数百個は出るでしょう。自分で分類しなさい。
ハートの声はそれがどちらに属するか、真実を知っている。
多くの人はそれを認めると嘘がばれるのを怖れて見ない様にし、屁理屈を捏ねて合理化をするという、自己欺瞞を積み重ねている。それで得が取れた、今この瞬間逃げる事が出来た、はぐらかす事に成功した、納得したとホッとしているのかも知れない。
が、実は、せっせせっせと、願望をはじき返す「マイナスの意識の力」を育てているとも知らずにね。自分に正直に生きる事が大切だ。
嘘をしっかりと正当化したつもりでも、それは自己の合理化であって自己欺瞞に過ぎず、必ず矛盾をはらんでいる。
その矛盾を自分の認識から消す為に嘘が3倍いる事になる。そしてその嘘を隠す為に更に3倍・・・で、ややこしくなってくるので、もうその先を見ない様にする。
つまり、人の話を聞かなくなる。聞いたら嘘がばれる事を薄々知っていて恐れているのだ。こう言うセンスだけは何故か動物の機敏さかレーダーの様に超発達している。聞かなければ、取り敢えず心乱されずに済むからね。歳を重ねるほどその度合いは強くなる。そしてその先如何なるかは考えない。何故なら恐ろしくて考える事が出来なくなっているからだ。こうして人々は、自ら独立して思索する能力・自分の頭で考える能力を完全に封印して、それだけでは気が済まないのか、叩き壊す様に破壊する。映画マトリックスを見ると面白いよ。
人を変えたい人は、「NO=認めん」の世界観を握りしめていて、自分が変るのは嫌だという意識の力を恐ろしいほど巨大に育てる。
YESと認めたら自分が変らなければならない。それはしんどい事だ。NOはいつでも何処でもお手軽で簡単に使える。自分が変る必要は無いからだ。この手の話は、お父さんの他のプログラムに満載だよ。多くの人がそれが面白くて、次々と買って下さるんだよ。
嘘は矛盾だらけだ。しかし、真実には矛盾がない。実にシンプルですっきりしている。心はいつも爽やかだ。これもチェックポイントの一つだ。
見栄も虚勢を張る事もなく、在るがままで生きられる。そして在りたい通りに生きられる。それを自由人という。こうしたい、こう在りたい、それが欲しいと思ったら、それを邪魔するモノが心内に無いので、そこに至るプロセスが向こう側から賜の様にやって来る。設計図が手渡されるというか、エスカレーターが向こう側から降りてくると表現した人もいる。それに乗るだけでいいのだから実に簡単だ。
揺らがないモノ、永遠と言えるモノを見出しなさい。そしてそれを自分の人生の座標軸にしなさい。原理・原則・法則こそ絶対だ。
次の表を見てごらん。常に自分に起こり来る物事がこの感覚を通して見られるなら、これは人生の羅針盤となるモノだ。
為になるかならないか、好きか嫌いかという4つの象限で考える。現実(y軸)とそれに対する感情(x軸)・・・これを四つの象限で考えて見よう。
そうすると@〜Cの4つの「感じ方」の分野が見えて来る。
まず、単純な図式から。
為になる
A | @
|
|
嫌い――――――+――――――好き
|
|
B | C
ダメになる
@為になる事が好きA為になる事が嫌いBダメになる事が嫌いCダメになる事が好き
問題部分は何処だろう?何番の部分かな?
@&Bはいい事だ。何も問題は無い。そのままでいい。
しかし、A&Cは如何だろう?
そしてここではっきりと、潜在意識のデータベースを形成する二種類のカテゴリーを理解しよう。
自分に取って、為になるモノを取り入れダメになるモノを排除する部分・・・直感的判断力 @&B
自分に取って、為になるモノを排除しダメになるモノを取り入れる部分・・・顛倒夢想 A&C
問題はA&Cの顛倒夢想だ。
@&Bが多いと人生は右肩上がり、A&Cの顛倒夢想が多いと人生右肩下がりだ。
自分にとって為になるか成らないかと言う事は、自分の理解の範疇と理解の範疇を超えるモノにもそれは働いている。
問題は、先人の言葉に耳を傾け、自分の理解の範疇を超えるモノを捜し出す事だ。ここを誤魔化すと、人は一生自分を欺ける。
為になるかならないかは自分で決める事は出来ない種類のモノだからだ。変えられ得るのは現実(y軸)ではなく、感情(x軸)の方だけだ。
しかし愚かな人は、感情の方を変えたくなくて現実の方を変えようとする為、自分のモノの見方の方を変形させて穿ってモノを見る様になる。
今度は少し複雑だが、同じ意味だ。真実か嘘か、好きか嫌いか・建設的か破壊的か、本当か嘘かという分類も同じ事を指している。
(建設的)真実(統合方向)
為になる @為(真実)になる事が好き(本当と思う)
A | @ A為(真実)になる事が嫌い(嘘と思う)
| Bダメ(嘘)になる事が嫌い(嘘と思う)
無関心 | 関心が湧く Cダメ(嘘)になる事が好き(本当と思う)
嫌い――――――+―――――――好き
嘘だと思う | 本当と思う @&Bは目標成就に役立つ
| A&Cは目標成就を阻害する
B | C
ダメになる 真実か嘘か・・・それは歴史的検証に耐えうるモノである事
(破壊的)嘘(分離方向)
携帯だと図が文字と入り乱れてグジャグジャになるかな?予備を記そう。
(建設的)真実(統合方向)
為になる
A | @
|
無関心 | 関心が湧く
嫌い――――――+――――――好き
嘘だと思う | 本当と思う
|
B | C
ダメになる
(破壊的)嘘(分離方向)
@為(真実)になる事が好き(本当と思う)
A為(真実)になる事が嫌い(嘘と思う)
Bダメ(嘘)になる事が嫌い(嘘と思う)
Cダメ(嘘)になる事が好き(本当と思う)
@&Bは目標成就に役立つ
A&Cは目標成就を阻害する
段々分かって来ただろう?
ある事象・・・真実か嘘かに対して、好きか嫌いか、本当と思うか嘘と思うか、関心が湧くか否か、抵抗を感じるか否か、可能感が湧くか不可能感が湧くか。 この文は、時に目を瞑り、各単語・文節をイメージし、体感しながら読み進めなさい。
A&Cの顛倒夢想を自ら醒めて自覚出来る人は殆どいない。
それは、その感じ方に全く自己同化していて不自然さを感じないから。これが偽の自分と呼ばれる部分だ。自分自身のハートの声を聞こうとしない事が問題だ。自分自身に正直に在ろうとしない事が問題だ。エゴは一時の快をもたらすかもしれないが、結局は顛倒夢想を積もり積もらせて苦しみを招くモノでしか有り得ない。自分自身に正直に在ろうとしない事は、自分自身に何処かで嘘を吐いている事になっているので、その嘘に今度は自分の人生そのものが騙されるのだ。
エゴの一つ一つを、「本当にそれは自分に得をもたらすか?」と、自分自身に問いかけ、吟味する事が大切だ。その一つ一つに自分自身で結論を出す事だ。「言われたからする」と言う判断は、一見素直に見えるかも知れないがその奥に責任転嫁が隠れている。
A&Cが存在するという事から、潜在意識は、善悪の判断が出来ないし損得も解らないと言う事が解る。
潜在意識は、善悪の判断が出来ないし損得も解らないから、自分にとって為にならず損を招く事を「インプットされているデータ」に従って平気で実行に移す。潜在意識は入れられたデータ通りに冷徹に動く、実にメカニック的な存在、マシーン的存在だ。
顛倒夢想を積み上げてタナトス(死への衝動)を育てると、自分で自分に死刑判決を下し、その刑を自ら執行するという全くの勘違いを起こすではないか。
ややこしいかい?自殺だよ。毎年3万人以上が自分自身に死刑にされている。
この図表を口頭説明で人に教えて上げたくなるまでよく見よう。人に教えて上げたくなる・・・それは自分の心的態度を計るチェックポイントだ。
カンファトゾーン=心的に居心地の良さを感じている処は@&C
自分のカンファトゾーンを元にA&Cの範疇(顛倒夢想)は逆さまであるにも拘わらず馴染んでいる。
Aの部分は否定(認めない・受け入れない)状態で有る事に馴染んでいると言う事。
A&Cの顛倒夢想は社会人になる頃、普通の人で平均200〜300個は形成してしまう。
この顛倒夢想を意志の力で変える事は大変難しい・・・変容の鍵は繰り返すイメージの使い方に有る。
今までの人生を積極的に立ち向かって生きて来た高校生の君たちには顛倒夢想はまだ少ないし、有ってもまだ小さい。
だから顛倒夢想の除去の仕方はここでは割愛する。既に逃避したり諦めたりしていた人は高校生でもかなり顛倒夢想を拡大し始めているけどね。顛倒夢想が溜まっている人は「弱者の成功戦略」で超詳しく、その解体除去の仕方を述べているのでそちらに進んで貰うといい。
また、顛倒夢想の具体例としては「滝部セミナー講義録」のプログラムに豊富な事例が満載だから平行して進めるのがいい。
「滝部セミナー講義録」は「潜在能力感知開発プログラム」のトピックス的な講演記録だ。
段々、顛倒夢想という概念も深まってきたと思う。この図表が頭によく入ったと思うなら、このメッセージをまた最初から読み込み返してごらん。理解の深さがより増している事を実感するだろう。
起こり来る事象を統合側で受け止められるセンスを啓き、ぶつかって発見する顛倒夢想を、正しい手順で除去する。それが修行だ。
法則性にサレンダー(全託)出来るなら6年で、釈迦が涅槃と言う言葉で示した境地に到達する。更に人が喜ぶ事=徳積みでプラスのエネルギーを潜在意識に積んでいくと、老子が言わんとしていた「無為」の境地が訪れる。
しかし今はまず、今自分が定めている目標に付け加えて、本当に、成功する・自由人になる、という決意を毎日固めなさい。願望を育てるとは、毎日決意を固め続ける事だ。
「成功する・幸せになる」と決意的に考えていない人は「そうで無い処」を潜在意識に目標設定させているのと同じ事なのだから。
人は皆、@とBだけで生きていると信じている。しかし、認めようと認めまいと、厳然とAとCが有る。
微かにAとCを感じるかも知れないがなるべく見ない様に考えない様にしているので、自分の認識の中では無い事になっている。
それを認めると虚構が崩れる事を本能的に察知して、見ようとしないオートパイロット機能が働く。困った事だ。
ソクラテスが、「汝自身を知れ。」と言ってもなかなか難しい訳がここにある。だんだん解って来たかな?
今回のメッセージの締め括りに・・・顛倒夢想は何処に潜んでいるのか?
それは生々化育する宇宙の働きから見て、より優先順位の高い真実に出会った時、それを選択出来ないでいる処に潜んでいる。
真実を知ったならそれを選ぶべきなのに、それがより高い真実と認識させないでいるからである。ルソーの言葉を心に置き、真実を探求し続けているとそれが見える様になる。
自分に嘘や言い訳をしたり自己欺瞞を積む様な事をしてはならない。一番大切なのは自分自身ではないか。釈迦も言っている「唯我独尊」と。心が晴れやかで爽やかか、ちょっと後ろめたいか、それがチェックポイントだ。内なる創造的知性・ハートの声は本当は何が正しいかを知っているのだ。その時感じる「心が晴れやかで爽やかか、ちょっと後ろめたいか」それがハートの声だ。「後ろめたいのは嫌だ」と言っているのがハートの声だ。感じてしまう罪悪感を自分に誤魔化そうとして言い訳や合理化を考えている時、自分への嘘が始まっている。潜在意識はそのままにデータを蓄積する。ちょっとの楽を得たかも知れないが、本当の自分を失うという、大損失を招いている。ただこのハートの声も、三回サボると罪の意識を無くし、完全にマヒして聞こえなくなる。愚か者は聞こえなくなったと大喜びだろう。しかし、大変取り除きにくい顛倒夢想をまた一個、いとも簡単に増やしてしまっただけなのだ。知らないとは恐ろしい事だ。
逆にこの理が解るとは何度素晴らしい事だろう。縁在った総ての人に教えて上げたいね。
08・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.09.07facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 08
・・・・・・・・・・・
君の悩み軽減と夢の実現のために、今日は、今まで学んで来た事をまとめて見よう。まだ全部は話し切っていないけど、今までの概念の復習と取り敢えずの総括だ。
@頭で考える顕在意識は意志の力とか理解した理屈など2〜3%程度の力だが、無意識から働きかけてくる潜在意識は「気分・感じ方・やる気・無気力」等、感情を操って97〜98%の力で働きかけてくるので、潜在意識の力を味方に付けよ、と言う事。
潜在意識は、自分のやりたい事・なりたい事・欲しい事・在りたい事に対して、例えて、応援者にも邪魔者・敵対者にも成り得る。
殆どの人は目標設定、そしてその願望成就に於いて、潜在意識を敵に回しているかの如く、無意識に阻害させている。そしてそう成っている事に全くの無自覚。
周囲のみんなが皆、その次元にいるので、誰もおかしい、不自然だ、と気付かない。
君はこれから、古今東西の覚者や賢者、偉人や成功者の在り方(being)に注目して、一般の人との違い・・・そこに気付いていなさい。
A潜在意識には、その性質と仕組み(メカニズム)が有るので、それを理解して、その性質・法則性に抗わず、逆にそれを利用して味方に手懐けよ、と言う事。
潜在意識は現実とイメージの違い、善悪・損得の判断・自他の区別が付かず、時間の観念もなく、顕在意識とは目指す目的が裏腹になる事が有る。
意識の力を味方に付けると、「やりたくてする」という衝動に突き動かされて進める他、顕在意識の判断を超えて、それに必要なモノを自動サーチをしてくれる。
こんな凄い機能が本来誰でも備わっているというのに、それを使わないで放ったままにしておくなんて、考えられるだろうか?
自分の内なる可能性を無限だと信じていると、潜在意識はそれに応え始める。(我を信ずる者、我以上の技を為さん・・・イエス・キリスト)
B潜在意識は快か不快かの判断で二種類のデータベースを形成し、その力は時間と共に二乗的に拡大する「方向性を持った力積」である、と言う事。
二種類のデータベースとは「顛倒夢想」と「直観的判断力」である。(単なる知識はニュートラルなデータベースである。)
願望は、毎日毎瞬の決意によって育んでいると、大きく強く、揺るぎ無いモノに育っていく。しかもそれは意識の力であり願望成就をバックから応援する。
その願望の二次的三次的展開まで想像力の中で創造しなさい。イマジネーションのなかでクリエイティブでありなさい。
C「為になるモノを嫌い・ダメになるモノを好き」と感じる分離側の心的態度に快を感じていると、それが正しく感じる「逆さまの感じ方」=顛倒夢想を形成する。
その存在に気付かないでいるだけで、それは年々自動的に拡大し強くなり、願望成就のブレーキとして働く様になる。
そして「為になるモノを排除する」というその働きは、本人の側からは全く気付かない。
その人が表面的にはどんなに綺麗事を人生の表に並べ立てていようと、隠している腐った心遣いが在るからこう言う形で必ず表に出る。
だから為になるモノを排除するその現象をよく観察する事で、その人が実は何を隠して置きたいかが、逆に手に取る様に解る。
頭隠して尻隠さず・・・砂漠のダチョウだね。頭を砂に埋めれば敵が見えなくなるので、本人は敵がいないと思っていられるのだ。愚かとはこう言う事。
総てを知っている自分の中の閻魔様が、ご褒美を受け取る事を許さないのだ。閻魔様とは自分自身の事だ。
何故、為になるモノを嫌い・ダメになるモノを好きと感じる感じ方が出来てしまうかは、次回の「苦楽を引き寄せる法則が逆さま」の処で詳細に解説する。
Dその「顛倒夢想」が今まで誰に知られる事もなく、願望成就の阻害を始め、様々な問題を引き起こしていた元凶である、と言う事。
「顛倒夢想は、願望成就を無意識レベルから阻害する」と言う事は、阻害されている事そのものに、本人自らは気付かないと言う事だ。
多くの人が「引き寄せの法則」を実践しても実りが無いのは、無意識レベルで、既に普段から知らずに自ら培って巨大になった顛倒夢想に邪魔されてしまうから。
自分が命令した事とは必ず逆をする召使いを、文句も言わずにずっと雇い続けていると考えたらいい。
何故なら、命令している人自身が眠りこけているから、召使いが逆の事ばかりやっているのに気付かない・・・丁度そんな状態だ。
そしてその召使いは、時々いらない問題まで引き込んで来る・・・。
夢・願望とは、我々のカンファトゾーンをステージアップさせるモノで、自己のリミティングビリーフを超えた処にそれは設定されるモノだ。
正しい意識の力の育て方を心得ていると、それは年々「自分は出来る」という信念を育て、またその出来た結果からカンフォトゾーンは年々アップする。
しかし、普通は顛倒夢想の拡大と共に、頑固なリミティングビリーフが形成されるので、それを超えるものは有ってはならない事とされてしまう。
(ここでの「普通」とは・・・それは現時点での人類の平均的な意識レベルと言う事。マイナスに働いているので、本来はこれが普通であってはならない。)
顕在意識でセットした筈の願望が、顛倒夢想の分量・サイズに応じて、潜在意識では逆の命題として同時にセットされてしまうのである。
それは「やる気=したくてする」の反対、成就してはならないモノ・達成すべきではないモノとして働きかけてくる。まるで、逆をする召使いだ。(はじき返しの法則。)
顕在意識でセットした願望は潜在意識に於いてまだ十分育っていないが、それと同時にセットされるそれを破壊するマイナスの願望は既に十分育っている。
パワーバランスを考えてごらん。どちらが強いだろう?
故に、人間、向上しようなどと考えたら、願望をセットした以前の状態に、強制的に引き戻されてしまうわけだ。こう言う理屈で人は殆ど現状から変われない。
でもそれは、普段からの分離側の心遣いで顛倒夢想を育んでいるその無意識の願望が成就している姿でもある。それを「無意識のマイナスの願望」と呼んでいる。
では、敢えてマイナスの事を考えたらいいのではないか?逆が働いて幸せになれるのではないか、と言うと、そうは問屋が卸さない。
マイナスの想念というモノは、本人自身が本当にそうだと信じられるので、その想念はストレートに蓄積されて幸せを破壊するマイナスの意識の力となる。
「生きているのはつらい・生きるのは嫌だ・死にたい」等という言葉や想念を繰り返していると、潜在意識はそれを実現する為のマイナスの意識の力を蓄える。
そしてそれを叶える為の苦しい理由が次々と見つかる様になって来る。そしてタナトスという衝動が育ってくる。健全な精神とは何かを考えた事が無い。
最初は実に些細だった心的逃避癖が、ここまで勘違いを拡大してしまう。そして毎年3万人以上がこのワナに完全にハマってしまう。
これは極端な話だが、無知というのはかくも恐ろしい事なのだ。
そして考え方のルールを知らないと、人によっては最初は神経症から始まって、鬱やノイローゼ、そして統合失調という精神分裂状態を作り出す。
マイナス思考はダメだと何処かで聞いた事があっても、前もってその意味や作用を考えた事もない。このワナにハマる人は更に何倍だろう?
他人に対して、簡単に「死ねばいいのに」なんて思っている人も問題だ。潜在意識には自他の区別がないからね。
こう言う事は、例を上げだしたらキリがないので、その内、既に作成してある他のプログラムを参考にしなさい。
これが社会人となったら普通の人が、成功法則や自己啓発セミナー等を少々学んでも、なかなか現状から脱却出来ないメカニズムなのだ。
何と、社会人になった時は、その顛倒夢想が200〜300個も蓄積してしまう。希望する命令とは逆をする召使いを雇ってしまう訳だ。そして連中は居座る。
だから一旦、そんなモノが溜まってしまったら、大きな願望を抱いたり目標設定をする前に、それを除去する事の方が実は先決なんだよ。
そして、一旦顛倒夢想に覆われた脳は、自ら考え出す事は殆ど不可能に近くなる。
そこでお父さんは、個人個人がその一々にまず対峙する為に、豊富な具体例を提示したプログラム体系を開発して来たのだよ。
その一つ一つをじっくりと自分自身で吟味する事によって、その一つ一つを解体し、解除していく。最初は地道な作業だ。時間も掛かる。しかしそれが最速の方法だ。
問いかけられている事に心細やかに自分自身で考えて答え、分からない処はほったらかしにしない、気付き帳を付ける、というプロセスから始める。
正しいビジュアリゼーションを始め、頭で考えている目の前の「すべき事」の、その前の「真の一歩としてのすべき事」が有ったのだ。
そして、この様な事実を知ったなら、即座にお尻に火が付いて良さそうなモノだけれど、殆どの人はそうならない。既に顛倒夢想の魔の手に浸食されているんだね。
貯まり込んでいるマイナスの力の力積を凌駕する程の、建設的な思考の蓄積が必要だ。「知った・理解した」と言うだけでは普通は変容など出来ない。
酸アルカリの中和で例えてみよう。一瓶500グラムの苛性ソーダを1tの塩酸では中和出来ないと誰でも理解出来るだろう。意識の力積も同じだ。
建設的な願望を育てないでいる事と、分離側を向いた心的態度による日々の顛倒夢想の育成・・・その弊害が自分は真に理解出来たと言えるであろうか?
平均的には、何故か4〜5年経って何を言われているかを理解し、やっと事の重要性に気付く。本気で学ぼうと考える発想が自ら湧く様になるのはそれからの様だ。
「自由人」という言葉を聞いても憧れが生まれない。それが一体、何を指し示しているのか想像すら出来ない。
その答えを自ら求めてその命題に粘着する質はまるで無いし、そう聞いた事さえ、あっという間に忘却の彼方だ。そういう脳の状態こそ、現代社会からの洗脳だ。
だから逆に真の洗脳が必要だ。自由に働き、発想出来る脳回路を手に入れる為に、一旦、自分の脳を洗うのだ。顛倒夢想という垢だらけの脳ミソを。
「飴と鞭」と言う言葉があるが、今、目の前に提示されているその「飴」すら見えない意識状態だ。
故に、形而上的昏睡・昏沈(こんじん)から呼び覚ます複数の目覚まし時計が必要だ。更に何重ものセイフティーネットが必要だ。
将来の君の友達の為に、滝部セミナー SESSION1〜9+α+スキルアップセミナーまでの内、SESSION1〜3と +α を紹介しよう。
99の裏打ち・裏付け話を知るほど、このメッセージの深みがよく解る様になる。
テキストは他のセッション分も総て開示してある。しっかりと読み込んでいくといいと教えて上げる事だ。
../hitowanaze/hitowanaze_manabu.html
../jinseiwa_art/jinseiwa_art.html
../Fukushu_koryu/Fukushu_koryu.html ・・・後はリンクを辿って自分で探しなさい。
これはお父さんがウインドウズパソコンなるモノを初めて手にして、4ヶ月目に独力で完成させたホームページだ。もう7年そのまんまだ。
全くのド素人でも「探す調べる工夫する」能力が在れば、このくらいの事は誰でも出来ると言う為の証拠にそのまま残している。
えっ?・・・かっこいい事言っているけどそれ以上のPCスキルが無いからでしょ、って?・・・ん〜、バレたかな?
E潜在意識のオートパイロット機能は、二種類のデータベースに基付いて、起こり来る97〜98%の情報を自動的に取捨選択している。
これはよく理解しよく考えて、必ずしっかりとした対策を立てておかねばならない、とても重要な事柄だ。
そして、このメカニズムを一人でも多くの友達に語りなさい。そうする事で、君自身がより深い認識へと到達していく事になるから。
★ 顛倒夢想の分量・サイズに応じて、為になるモノだったら無意識の内に排除し、ダメに成るモノには関心を湧かせる。
☆ 直観的判断力の分量・サイズに応じて、為になるモノだったら「ハッと気付く・ピンと来る」という感じで関心が湧くが、ダメに成るモノには関心が湧かない。
直観的判断力はカンフォトゾーンのレベルをステージアップさせる事が出来る。
しかし顛倒夢想はカンフォトゾーンを超えるモノを許さないし、カンファトゾーンの質そのものを「動かし難き分離側の質」へと年々固め込んで行く。
F以上の性質と仕組み(メカニズム)が解れば、次の様に結論付けられる。
潜在意識は、現実とイメージの区別・損得の判断が出来ず、快か不快かで判断するので、
目標・願望に喜びを感じるイメージを持っていると、それに対して「取り入れるべきモノ」として「やりたくてする」側で、やる気ホルモンを出す他、
97〜98%無意識で働いているオートパイロット機能が、その願望成就に必要なモノに気付かせ、且つ取り入れようとする。
これは、メッセージ06で出ていた文章そのままだね。後は、顛倒夢想の成り立ちの原理と、その作用を忘れない様に心得て置けばいいだけだ。
だから「願望・希望する事は喜びと共に在れ!」と言う事になる訳だ。
たったこれだけだ。高校生から学ぶ「潜在意識を自在に操るに知っておくべき要点」は、たったのこれだけなのだ。
しかし、社会人からスタートする人は顛倒夢想を徹底的に理解し、それを解除する事が先決だ。
プロセスの途上で目の前に現われた想定外の問題・・・それこそそれも願望成就・目的達成、正確な言い方をすれば「自分の意識の進化」に必要な課題なのだ。
成長出来るチャンスから何故逃げる?人間は伸びて行くより他に道は無いのだ。
人生、思う事が思う様に進まないとしたら・・・そこに何か「理」からずれた事が存在しているだけだ。それを探し出せばいい。
それは耳に痛い話の向こう側に隠れている。成功者とは耳に痛い話を聞き続けた人。こう言う要点を困難のまっただ中でその時自ら思い出せる自分がいるなら、潜在意識は必ず次のステージへの扉を開く。一つ一つの文章を心に留めながらよく噛み締めなさい。
顛倒夢想が一つ取れる毎に、認識という視界が一つ広がる。粗方の顛倒夢想を駆逐した暁に顕われる心境は素晴らしいモノだ。
逆に顛倒夢想が一つ増える毎に何かが見えなくなって行く。
全体の流れの復習だ。大事な事は、重ねて言っておく。メッセージも01から何度も読み返してね。
@無意識から潜在意識は「気分・感じ方・やる気・無気力」等、感情を操って97〜98%の力で働きかけてくるので、潜在意識の力を味方に付けよ、と言う事。
A潜在意識には、その性質と仕組み(メカニズム)が有るので、それを理解して、その性質・法則性に抗わず、逆にそれを利用して味方に手懐けよ、と言う事。
B潜在意識は快か不快かの判断で二種類のデータベースを形成し、その力は時間と共に二乗的に拡大する「方向性を持った力積」である、と言う事。
C「為になるモノを嫌い・ダメになるモノを好き」と感じる分離側の心的態度に快を感じていると、それが正しく感じる「逆さまの感じ方」=顛倒夢想を形成する。
Dその「顛倒夢想」が今まで誰に知られる事もなく、願望成就の阻害を始め、様々な問題を引き起こしていた元凶である、と言う事。
E潜在意識のオートパイロット機能は、二種類のデータベースに基付いて、起こり来る97〜98%の情報を自動的に取捨選択している。
F以上故、結論は「願望・希望する事は喜びと共に在れ!」
でも、何故、建設的な願望や目標を持ち、それを叶える必要があるのだろう?
夢を叶え、幸せだったらそれでいいのか?自己満足で終わりはしないか?そしてその欲求は何処から来るのだろう?
その疑問にも、潜在意識のメカニズムから答えよう。
潜在意識は「何らかの形で目立とう」とする、つまり「認められたい」という性質がある。これは人間なら誰しもが持つ本質的な欲求だ。
そして、認められる必要がある。事件や問題を起こす人は、その欲望が捻れてしまった人達だ。
潜在意識の性質や法則性に従えば、人間の必要な欲求はちゃんと叶えられる様に出来ている。しかもムリ無くね。
しかし、現代人の「願望を叶えようとしてとる手段」は、統合の「愛」に拠ってでは無く、殆どの人が分離側の感じ方でなんとかしようとしている。
逃げる事によって・支配する事によって・嫉妬する事によって・奪う事によって・聞く耳を持たない事によって・見下す事によって・騙す事によって・・・
それでも徳が多少有る内は、一時的に何とかなる事が有るモノだから、その方法に固執する。しかし徳を食い潰した時点でそれは破壊をもたらして終わりだ。
物事の因果を高い次元から俯瞰出来る見識を養いなさい。「その手段でそうしたらその先、如何なるのか?」いつもその念を以て物事を観なさい。
統合側の「愛」に基付く認識から生じる手段をとる事こそ、人間の必要な欲求を完全に満たす方法なのだ。
それが本当に解ったら・・・それはあたかもちょっとした魔法使いになった様な気分だよ。
何故なら願望するだけで、そのプロセスの設計図・案内図からチャンスまでがアイディアとして向こう側から提示されてくる。
そして目の前に次々と起こり来る些細な事こそ、・・・それは閃きだったり何かとの出会いだったり・・・次のステージへとアップするチャンスなのだ。
潜在意識への認識を更に深め、それを自在に使いこなして、自分の必要を十二分に満たしなさい。
愛に基付いてそれを満たそうとすればするほど、周囲に幸福な人が増え、そう言う人達に取り囲まれ、支えられる様になる。愛と自由は両立する。何故ならそれは同じ属性だからだ。
41世紀、人類は何処まで意識が進化しているか見えるかな?
今の世のシステムとはまるで変わっているよ。何が如何在ったら人類は幸せと言えるか、という質問を自分に与えるといい。
潜在意識は必ず答えてくれる。
色々と述べようとしていたメモが、以下にまだ相当有るけれど、もうだいぶ解説して来たからちょっと陳腐化しているね。
削除するのも何だし、せっかくだから、今度はちょっと誰かに語るつもりで自分で説明を付けてごらん。
でも、何処かで見たメモだね。そう、「未来に羽ばたく君に贈る」の音声ファイルプログラムのテキストだ。
潜在意識は、頭で考えたり理解する損得で判断出来ない事を覚えておこう。
頭では損をすると判り切っている事でも、潜在意識は構築されている履歴の力積に冷徹に従う。
例・・・居眠り運転、勉強やすべき事に対する何らかの抵抗、やる気・集中力の欠如など。
それ(向かうべき目標のプロセス)が、一応、易々と出来ている人と何処が違うのかを知る事だ。
思いと経験は相互にフィードバックし合っており、悪循環に入るか、成功循環に入るか分かれて来る。
そこで潜在意識の性質をよく知って、その理に抗わずに利用するのだ。
人生を自在に操る秘密の第一は頭で考える目標を潜在意識に如何「快」と感じさせるかにある。
「出来る人」が苦しいスポーツに耐えて訓練するのは何故だろう。
それは、その苦の、その向こう側に在る「得」を「今」感じているからだ・・・この今感じている事が重要だ。
そしてそこには、喜びのイメージと共に必ず「言葉」が在る・・・言葉は力を持っている。
考え方は技術である・・・人は考え方を知らなければ考える事が出来ない。
まず自分を操る、明るく感じる積極的な言葉を持とう・・・そしてそれを繰り返してみよう。
人間は、自分が自分に与えた言葉通りに成って行く。
喜びのイメージを伴った肯定的な言葉の反復は、次第に潜在意識の構造と感じ方を変容させる。
結果に捕われずプロセスを重視するアファーメーションは、焦りを消し「今ここ」に集中させる効能が有る。
そしてそれらの反復は、建設的な衝動・やる気・闘志・意志を支える不屈の心的エネルギーを生み出す。
イメージが「快を感じながら」十分に育つと、「自分には出来る」という感じが内から漲って来る。
潜在意識にとっては想像したイメージであっても、喜びを感じればそれはリアルな経験と同じなのだ。
「出来てない今の自分」を責めるヒマが一秒でも有ったら、それを当技法の訓練に当てよう。
否定的な感情で自分を責める・・・それでそこに幾ばくかでも何か利益が生まれる理がありますか?
世には、結果に捕われて早急に人生を破壊する愚の如何に多い事か・・・その轍を見習ってはいけない。
次回は、今回のCで説明した処から更に掘り下げ、「何故、為になるモノを嫌い・ダメになるモノを好きと感じる感じ方が出来てしまうか」に付いて説明しよう。
それは「物理(肉体)次元と意識次元では、苦楽を引き寄せる法則が逆さま」という事実を認識するだけでいい。
そして、様々な事象を観察してその中から法則性を見出すという「帰納」的能力と、その見えた法則を先に当てはめて推測出来る「演繹」的能力を培いなさい。
※ 帰納・・・個々の具体的な事実から共通点を探り、そこから一般的な原理や法則を導き出すこと。
※ 演繹・・・一般的な前提から、経験にたよらずに論理によって個別の結論を導き出すこと。
8月末の中国大会のコンクールも終わったから、三年生はそろそろ引退かな?
お父さんの頃は県大会が9月初旬、中国大会が10月初旬、全国大会に行けた年は大会が11月初旬だったから、みんな大変だったよ。猛練習が後三ヶ月も続く・・・
09・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.09.10facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 09
・・・・・・・・・・・
最近ちまたでアセンションという言葉が流行っているようだ。知っているかね、アセンション。本来、魂の次元上昇という意味を指すらしいが、これを誤解釈させる様な情報も飛び回っている。酷いのになると、UFOが現われて、正しい人間だけを空中携挙して助けてくれる、とかね。
正しく潜在意識を研究しているとアセンションという意味も、本来如何いう事を指しているのかと言う事は自然に解って来る事だ。それは人間が宇宙から無言のまま問われている「次なる進化」に気付き、それを乗り越える事だ。それが精神・意識の次元上昇と言う事だ。今の苦しみを逃れたくて、人々は何かに寄りすがろうとする。そんな弱点をカルトに発見されたら見事にカモにされるだけ。カルトとはカルト宗教だけでなく、色んなカルトがあるから要注意。自己啓発カルトにビジネスカルト・・・
大切な事は、他の何かや誰かスゴイ人に寄りすがる処に救いを求めるのでは無く、「自分の足で立つ」と言う事、それが最も重要な事なのだ。その為には法則原則をしっかりと自分のセンターに据えると言う事だ。
一つ一つ、自分の中に「これは絶対だ」と言える法則を信念として構築していくと、次の次元が自ずと目の前に啓けて来る。
アセンション・・・つまり、意識の次元が上昇すると言う事は、感じ方が全く変容する・モノの見方が全く変わると言う事だ。今の分離側のモノの見方を維持したまま、如何してアセンションなどあり得よう?「心的態度が統合を向きっぱなしの状態」という現象の存在を知らないままにスピリチュアル世界に救いを求めていても、それはより深い催眠術を探しているだけ。本人自身の努力無しに誰かが救ってくれるのではないかと夢見ているだけ。お金より心が大事と口では言いつつ、お金が稼げない言い訳をしているだけ。餓鬼の面を裏返しに被っているだけで本質はやっぱり餓鬼のまま。
アセンションという言葉が魂の次元上昇を指していると言うのなら、何を以て次元上昇するのか、そこをはっきりさせなければならない。
覚者や賢者が得た「心的態度が統合を向きっぱなしの状態」になる、・・・それは、感じ方が全く変容する・モノの見方が全く変わる、そう言う心境を得ると言う事だ。
その得たというか、到達したと言うか、その変容の所為で、周囲の状況も激変する。自分を取り巻くリアル世界が全く変わる。束縛から解放され、真の自由を得る。そしてより深い真実を知り、それを理解した上でやりたい事がやれる!なんと素晴らしい事だろう!
今回の解説は、「生物としての人間の次なる進化とは何か?」という人類の求める壮大なテーマ・命題に対する解答でもある。人間はどこから来て何処に向かおうとしているのか?
物理次元・肉体次元では、最高の進化を成し遂げた人間の形態を見るがいい。
鳥の様には飛べない。馬の様に早くは走れない。象や熊の様に力はない。しかし、如何だろう。道具を駆使する事によって鳥より高く早く飛ぶ様になったし、馬より早く持続的に移動出来るし、象や熊より力が発揮出来る様になった。知能の代用となるコンピュータまで作った。それを成し遂げるに、二本足で立ち、自由となった手や指はあらゆる事をこなす。馬に人間と同等の知能があったと考えてごらん。如何やってパソコンのキーボードを打ったらいい?ケーキを如何やって作る?
人間の形態は、生命の進化の最高傑作だ。
そして人間は、遂に、意識次元を啓いたのだ。時間を認識出来る様になったのだ。想像し創造出来る様になった。可能性はここで無限大となった。
で、ここで問題が生じる。物理次元と意識次元では、集合と離散・合体と分離の法則性が逆転しているという事実だ。
人間は成長の過程に於いて、例えてサナギの時期を終えるまでに、この違いに気付き、「感じ方」をその次元用に整えなければならない。
現場作業用の服のままで、素敵なパーティーや結婚式場に出られるだろうか?そこではやはりドレスや礼服に着替える必要がある。
素晴らしい庖丁人と言えども、もし刃物をむき出しのままで繁華街をうろうろしていたとしたら如何だろう?
ここで何が言いたいかというと、適材適所・郷に入らば郷に従えと言う言葉が有る様に、意識次元を啓いたのなら意識次元の法則に従え、と言う事だ。
意識次元が展開する人間世界で、物理次元の法則性をそのまま使ったら如何なるのか?
「苦からは逃げる・楽なら取ろうとする」「不快からは逃げる・快なら取ろうとする」という動物の反応と同じ反応をするという事だ。
例えて、「人間関係の躓きから眼を背ける・愛を貪ろうとする」「時間の先延ばしをする・スキルを金で買おうとする」という様な事だ。
意識次元に於いて、その様な物理次元的反応は、全く逆さまの期待しない側の結果を得る事になるだけ。
料理に於いては、最高級とされる油を車の燃料としてタンクに注いだとしたら如何だろう?
畑に撒く、極上の堆肥を、結婚式会場や宝石店、会社のオフィスにトン単位で積み上げていたら如何だろう?
最高のミュージシャンの音楽を、図書館、寝室、公共の場でモニタースピーカでガンガン鳴らし続けていたら如何だろう?
それが分かるというのなら、何故、意識次元には意識次元の法則に沿わないのだろう?
だんだん、解って来たかな?何か、感じてきたかな?
人間は胎内で、今までの進化の歴史を一気に辿るという。エラがある時代を過ぎ、しっぽがある時代を胎内で辿る。進化の過程は総てDNAに刻み込まれている。
そして、生まれ出て、成長は続く。思春期のヒゲが生えたり生理が起こったり、第二次性徴は総てDNAの設計図どおりだ。
総ての生物はその環境に合わせて淘汰が掛かるが、その際先端は常に種としての試行錯誤の適者生存だ。ここはポイントだ。
人間が宇宙から進化を問われている適者生存の為の際先端で試行錯誤しているモノは何だろう?
それこそが、意識が物理次元とは異なる法則性が働いている事に気付く事なのだ。
これはDNAにまだ、記憶として組み込まれてはいない。従って、「感じ方」というデバイスの切り替えが次元の変化に合せて自動では起こらない。放って置いても声変わりしたり生理が始まるという様な自動的なモノではないのだ。
自分で努力し、自分自身でその切り替えのポイントに気付かねばならない。故に、意識次元の進化・アセンションとは、個人個人が問われているモノであるという事が解る。このメッセージは人間が、真に人間たり得る生命体に進化するその扉を啓くモノとなるだろう。現在はその黎明期へと突入するその起爆剤となるだろう。
人間が、宇宙から無言で問われていた「次の次元への進化」のキーワードは何か?
人間が個人の無限なる潜在能力を開花させ、また十二分に必要を満たすそのキーワード的な概念は何か?
それは、次元で異なる苦楽を得る法則性・・・物理(肉体)次元と意識次元は苦楽を引き寄せる法則が逆さまである事に気付く事である。
そしてそれに沿って生きる事だ。それこそが、自然体で生きると言う事になるのだ。
これを真に理解した者からアセンションは起こる。意識次元の真の進化が始まる。そうすると人間とは何かが解ってくる。
顛倒夢想などと言う、本来なら望みもしないはずの逆さまの感じ方が出来てしまう原因は何か? この命題をもっと深く掘り下げよう。その前に、もう顛倒夢想の定義が言えるかね?
何故、自分にとって為になる事に、抵抗が出たり嫌だと感じたり嘘と思ったり無関心だったりするのか?
他にも、為になる事なのに、損すると思ったり苦しみと感じたり。・・・実は知性が低く因果が見通せない故の錯覚の苦なんだけとね。
また、自分にとってダメになる事に、関心が湧いたり好きだったり本当だと信じたりする事が有るのか?他にも、自分にとってダメになるのに、得すると思ったり喜びを感じたり。それは先々で必ずより大きな損を招くから、一時だけの実はニセモノの快だ。
そして、好き嫌い判断のままでいると、それは年と共に拡大の一途を辿る。
また、苦楽を引き寄せる法則が逆さまとは如何いう事か?この心の仕組み(意識のメカニズム)を知る事は、年が若い程有利である。
顛倒夢想が一般社会人程拡大していないからだ。よって説明が楽〜♪ しかし詳細説明が必要な人へは是非「弱者の成功戦略」を紹介して上げてね。
まず、物理次元と意識次元の、結合(集合)と離反(離散)の法則性の違いを見てみよう。
物理次元はプラスとマイナス(異極)が引合い、プラスとプラス・マイナスとマイナス(同極)は反発し合う。
例・・・磁石のS極とN極・陰と陽・男と女
しかし、意識次元は同質同士(似たモノ)が引合い、異質同士は反発する。プラスとプラス・マイナスとマイナスが引合い、プラスとマイナス は反発する。
この法則性を念頭に置き、意識次元が拘わるあらゆる現象を観察してごらん。99の裏打ち、裏付けを自分自身でも発見しようと思う事だ。原則は簡単だ。しかし応用は無限だ。
プラスとは統合側の質であり、マイナスとは分離側の質である。ここで統合分離表を見ながら考えてごらん。
意識次元は似たものが集まる・・・同類親和の法則・類の法則・類は友を呼ぶ等だ。
「持っている者は与えられて益々持つ様になるが、持っていない者は持っている物まで取り上げられるであろう。」とイエス・キリストも言っている。
そして、プラスとプラスは惹き合って上昇するが、マイナスとマイナスは引合って下落する。
マイナス(分離の質)はプラス(統合の質)に反感(無視・嫌悪)を覚える。
物理次元は与えれば減り取れば増えるが、意識次元は与えれば互いに増え奪おうとすれば互いに減る。「人を呪わば穴二つ」と言うよね。
「奪う」とは「分離の質を与える事」になっている・・・即ち「得する事」が減る。それは喜び・心的エネルギーの類だ。
愛も勇気も出せば出すほど増える。憎しみも嫉妬も同じだ。出せば出すほど増える。愛を取ろうとして、人々は愛を失う。
動物は時間の観念が無く、刹那の中に生きている。想像して未来を計画すると言う様な意識次元を持っていない。先祖の恨みを子孫に事象の記憶として語り継ぐ事も出来ない。動物は、刹那の中に「快か不快か」だけを頼りに生きている。
故に、「不快からは逃げ出す、快には寄って行く」という本能に刻み込まれている通りの反応でいい。それが総ての生命の進化を助けて来た。物理次元ではそうだったしそれで万事OKだった。人間もその様に感じるがそれは本能だ。本能・・・それは種として身に付けているチエ、生来持っているチエだ。そして生命は進化を続け、物理次元だけではなく、人をして意識次元がある事に気が付いた。生命は、更に進化を続ける。進化・・・それは生命そのものの命題だ。
ならば、人間として問われている進化は何なのか?
動物も学習する。危険を知らないと、それを危険だとは思わない。
普通の野生の生物は鳥を始め、その多くは人間を見ると即座に逃げる。人間を危険だと認識しなかったアホウドリは簡単に素手で捕まえられ、焼き鳥と羽毛布団にされてしまい絶滅の危機に追い込まれた。この様な話は他にも幾らでも有る。
多くの人が、蜘蛛やムカデ、蛇などを嫌だと感じるのは何故だろう?肉食獣の目は怖く、草食獣の目は優しく感じるのは何故だろう?
肉食ってるから憎々しく、野菜食ってるから優しい?
まぁ、我々人間も、危険を孕(ハラ)むモノには不快を感じると言うのは、種に植え込まれた、人間という「種」としての記憶なのだ。
種としての記憶、・・・個人の学習記憶としてではなく、本能の記憶としてそれがDNAの記憶にまで刻み込まれるのは、種として一体どの位の学習経験がいるのだろう?これは生物学者に是非一度、聞いてみたい事だ。
まぁ、とにかく相当の年月が掛かるに違いない。そしてその種としての記憶を形成するまでは、相当の淘汰が有るはずだ。
農薬に生き残る害虫、抗生物質が効かなくなる黴菌、それらは皆、彼らにとっての過酷な状況を切り抜け、耐性を持つ様になった結果だね。
遺伝的に何かが有利に働き、わずかに生き残ったヤツが新しい形質を獲得して繁殖する。それは総て、生き残ろうとする生命の原理だ。適者生存という。
その中で総ての生物に共通して言えていた事は「不快からは逃げ出す、快には寄って行く」という原則だ。重ねて言うが、物理次元のみに生きるモノはそれに従ってさえいれば総てOKだ。
そして進化は遂に、人間をして、地球上の生物としては初めて「意識次元」という扉を開いたのだ。これは今までの生命には無かった次元だ。
そして意識次元は「時間」というモノをその中に持ち込んだ。つまり、人間は時間という概念が認識出来る様になった、と言う事だ。
動物には時間という観念は必要ない。彼らは自分の死を知らない。永遠にエデンの園だ。アダムとイヴがエデンの園にいたという神話は時間を認識しなかった事の象徴だ。
彼らはチエを得た事でエデンの園を追い払われる運命になった。これは実に意味深き象徴だよ。彼らは時間を知った。そしてそれは自分の死を知る事となった。
動物には物理的な恐怖しか存在しないが、人間はそれ故、観念の中で恐怖を作り出す事になる。
動物の苦と楽が−100〜+100だとすると、人間のそれは、−10000〜+10000、或いはそれ以上と例えてもいいだろう。動物には味わえない喜びを知る事が出来るが、ヘタを打つなら動物より遙かに苦しむ事になる。
潜在意識には時間の観念が無い。動物として生きるに、それは殆ど必要ない。自然の一定のリズムに合せる本能が有ればそれで十分だ。冬眠とかね。
そして潜在意識は、現実と想像したイメージも、その感じたリアル度に応じて区別が付かない。過去の思い出も未来の想像も潜在意識は「今この瞬間」として処理している。しかし、意識次元の「苦楽を引き寄せ弾く法則」は、物理(肉体)次元とは逆転している。
にも拘わらず、意識次元で起こり来ている事象に物理(肉体)次元の法則を当てはめたら如何なるのか?
自分で考えて答えを述べなさい。「法則からは如何言えますか?」と訊ねているのだ。
人間の進化は、意識次元の開闢に当たって、新たなる岐路に立った。これからの進化は種としての肉体レベルではなく、個人個人が意識の進化を問われているのだ。それに気付く事が、真のアセンション(次元上昇)である。
先にも述べた事だが、ここに、知ると知らないとで淘汰が掛かる。その事について、深く瞑想してごらん。
この法則性に目覚めた人間はその行く末、如何なるか?その法則性に目覚めなければその行く末は如何なるか?
人類史以前、人類はネアンデルタール人とクロマニヨン人が競っていた時期があるらしいと考えられている。そしてネアンデルタール人は滅んだ。或いはクロマニヨン人に混血し取り込まれたのかも知れない。クロマニヨン人が現在のホモサピエンスの先祖であると言う事だが、ネアンデルタール人より何か有利なモノが在ったと学者は考えている。ネアンデルタール人は淘汰されてしまった。これからは意識次元を自在に操る人間が適者生存する事になる。この原理を知るか認めないかで人類は二分するだろう。
再び考えよう。意識次元と物理次元では、苦楽を引き寄せる法則性が逆転しているのに、物理次元で覚えた事をそのまま意識次元に持ち込んだら如何なるのか?それは逆さま・反対の結果を得ると言う事だ。
「苦からは逃げ出す、楽には寄って行く」・・・肉体次元はそれでいい。
「苦からは逃げ出す、楽には寄って行く」・・・意識次元でそうするなら、結果的に「苦は更に追いかける様にやって来て、楽は益々遠のいて行く」と言う事になる。
言い換えると、「不快は更に追いかける様にやって来て、快は益々遠のいて行く」と言う事になる。そしてそれは年々、利息を増す傾向がある。
ここで、この様に働いている法則性が、一般になかなか見抜きにくくなっているメカニズムも、ちょっとだけ簡単に説明しておこう。
それは徳がある内は、物理次元にその逆の法則性を適用しても一時的に巧く行く事もあるからである。
徳という概念をしっかり修得する必要があるが、ここでは割愛する。前のメッセージで簡単に述べたし、他のプログラムで詳細に述べているからね。
徳は一種の意識のパワーだからだ。
しかしよく観察していると、物理次元にその逆の法則性を適用して目的達成が巧く行ったとしても、確実に徳が減って行ってるのが見えて来る。
故に、長い眼で観るとこれは無視出来る。またこれは、原則がしっかりと認識出来てこそ、その上に乗る概念なので、まずは原則をしっかりと理解しよう。
話を元に戻す。
「苦楽を引き寄せる法則性が逆さま」と言う事を簡単に言うと、意識次元から起こり来る「苦」には、逃げ出すのではなく立ち向かう事こそが解決になる。また、「楽」はいきなりババ手を出して貪ろうとするのではなく、それがその方から起こり来る様準備して待つ、と言う事だ。
しかし如何だろう?世間を見渡せば、如何に人々がその逆ばかりをやっているか良く解る。「楽を得ようとして、苦を避けようとして、快を得ようとして、不快を避けようとして」逆さまばかりやっている。「これでもか」と言わんばかりに益々分離側の心的態度で挑む。愚かな事だ。失敗から学ばない。真の学習能力が無い。支配者はそう言う事態が大喜びだと言うのに。明かりに誘われて自ら殺虫灯に飛び込む虫の様なモノだ。
理論的には実に簡単だね。「苦楽を引き寄せる法則性が逆さま」と言う原理。「なんだ、そうか!」と言うほどあっけない。しかし、我々の社会は、まだまだ意識世界開闢の黎明期以前にあるから、如何しても世間からの顛倒夢想の波を少なからず被っていて相当の影響を受けている。幼少期からきちんとこの原則を教えられていない。だから理論は理解出来たとしても実際、意識の力は「方向性を持った力積」であるから、既に何処かで背負い込んだマイナスの力を持っているなら、具体例に出会うとその応用に抵抗が生じる。引き戻しも起こる。
でも、それでいいじゃないか。それが在るからこそ、修行の甲斐も有るというモノだ。黎明期を啓く者として選ばれた人間なのだ。それそのものを楽しもう。
この原則が、しっかり自分に根付いて、その眼でモノを観ると、色々な事が見えてくるよ。
例えば、真実を示すと嫌がるのはその逆が有るから。逆に不正を嫌だと思うのは正義が有るから。意識の世界は異質のモノとその程度・分量に応じて反発する。
誰にでも「反対転移」という感覚が有り、それが働く。潜在意識のオートパイロット機能の一つだね。自分の感情を観る事で何と相手が解るのだ。
自分の感じている「好き嫌い」、また人の感じている「好き嫌い」は、何に基付いているのか、心の眼でよく観察する事だ。
分離側同士は反発し合いながらも引き合って互いに堕ちていく。一時は賛同し合っていても、それは盲目だった故、その内互いの正体に気付き、その内やっぱり堕ちていく。
統合側同士は賛同し合って互いに上昇していく。
統合側と分離側の場合は、分離の質を自ら改めない限り、統合側に浮力を与えながら自らはより沈んでいく。この統合側に浮力を与えながら、と言うのがミソだ。
また、両方沈んだとすると、如何言い訳しようとそれは分離側同士だったと言う事が解る。これらは具体例を一々上げないと法則性を示しただけでは分かりにくいかも知れないね。他のプログラムでは膨大な時間を掛けて、その一つ一つを解説しているよ。
この法則性を理解すると、人の潜在意識に如何いう質のモノがどの程度在るかまでが解る。これは、波動として直観的に感じる。これが「反対転移」という感覚だ。
でもその為には、自分自身が古今東西の賢者・覚者・偉人・成功者の示した最大公約数的な基準をしっかりと持っている事だ。それに基付いていない自分の勝手なエゴから出た判断をもし正しいと信じていると、その部分の「反対転移」は逆に働いてしまうから要注意だ。自分の信じる処の判断基準は何に拠っているのか、しっかりと説明出来なければならない。それをチェックポイントとしよう。
掲示板などで、人の不幸を「メシウマ=飯旨」等と言っている輩は、如何いうモノを潜在意識に蓄えたからそう成ったのか、推測してごらん。行く末を知らない気の毒な連中だ。心の充実度というモノは、エゴによっても一時的に少しは満たせるかも知れないが、魂の充実度は無い。愛が解らなくなるし、その充足感は無い。素晴らしい世界を知らないままに一生を終わる。それを知らなかったと言う事を知らないままで。気の毒な事だ。
そして何故、世の中から戦争が無くならないのか考えてごらん。
本当の本当の原因は何だ!?これが解れば一切の戦争がこの世から消えると言えるモノ・・・その人類の不幸の原因になっているモノは一体何なんだ?
多くの人の戦争反対というのは単に恐怖心の裏返しで、戦争と恐怖は同属だ。故にそれは解決どころか、深く洞察していくと、その集合意識は戦争を助長するモノである事が解る。人々が真実を追究し、あらゆる不正を日の本に晒す事の重要性を自覚し始めた時、顛倒夢想の集合意識は縮小に向かう。
知性の無い人間は、為になる様導きを与えても、虐められたとしか解釈出来ない。感じ方が逆さまとはこう言う事だ。
逆に統合側を心的態度が向いている人は、それが例え非難中傷であっても、その中から何かを学び取ってしまう。
今の自分の状況は全部自分が決めていると観る事が出来れば、潜在意識に潜むモノが段々見えて来る。
この一つ一つを解説してもそれぞれが一時間以上は掛かるほど、それぞれが深みのあるテーマだ。他のプログラムで解説しているからここでは省略するけれど、今回のテーマが本当に理解されたら、モノの見方は無限に広がると言う事だ。その応用は無限だと言う事だ。君自身で本質を観切り見極め、解説出来る様になる事だ。難しかったかな?1の部分は簡単でも、それが何故そう言えるのかという99の部分をしっかり押さえないと、本当に分かった感じはしないし、現代にあっては応用が効かない。
要は、意識世界では「苦には立ち向かい、楽は準備して待つ」・・・物理次元とは逆さまだよ、という、ただそれだけの事だ。ただ「知ると成るとは天地の差」だ。
次は、では「意識次元の性質は何故そう成っているのか? 」と言う事を数学的観点から解説してみよう。何でもそうだが、根拠を求め続ける視点が大切だ。
その姿勢は、最終的に揺るぎ無き処に辿り着くからだ。
10・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.09.16facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 10
・・・・・・・・・・・
いままでの話を聞いていて、そろそろ応用が効くチエが湧いて来ているかな?目の前の、直ぐに役立つ事として、応用出来始めているかな?
将来の達成すべき目標や願望の前の、今、出来る事。今までの話を総合すると、今始めて直ぐに役立つ事は何だろう?次の様に気付いていたかな?
☆ 「すべき事」はイメージを先行させよ。
☆ 行動に入る前にそのプロセスをイメージしているか?
☆ イメージが無いまま、ぼやけたまま、取り組もうと考えるから「〜せねばならない」になり、それで気は重く、おっくうになる。
「あっ、そうか!そうなんだ!なるほど」とピンと来ているかな?・・・この3つの文章を良く吟味して、自分のモノにしなさい。イメージが有ると行動は不思議とスムーズになる。この感覚を掴みなさい。これが日常的には、潜在意識を操る些細なコツだ。多くの人は、こんな簡単な原理に気付いていない。だから色々な人に教えて上げなさい。
多くの人は無意識に「嫌だな〜」と考えるからそれを潜在意識が引き受けて体を「しんどく・だるく・重たく」させてくれる。ほら、それは「思考は現実化する」の小さな見本だ。多くの人がイメージと行動の関係性がいつまで経っても解らなくて、嫌々せざるを得ない状況を自ら作り出している。むしろおっくうと感じた事に焦点を当て続けているので、「すべき事」が益々しんどいモノになる。そして多くの人が神経症へと走り込んで行く訳だ。嫌だからと言って辞める事も出来ない。さっさと突き抜けてその状況から次の次元へと上昇すればいいのにね。そうしたら嫌な事を続ける必要は無くなる。そのおっくうな「すべき事」も、次のステップへの土台と考えればそれも訓練と考える事が出来るのにね。それは捉え方が変わると言う事。しかし建設的なイメージが無いとそう言う考えは湧いて来ない。脱出不可能と感じて、倦怠感は益々強まる。成功していく人とは、人生初期の傍目には糞面白くない状況を、面白く捉える工夫をしている。そして、さっさとそのレベルのすべき事を終了させ、その次元そのものから卒業する。
現時点・現状況からの上昇・・・その秘密は、前述の技法をスキルにしてしまう事だ。行動の前には、必ず「目的を見据え、その過程をイメージしておく」と言う事だ。学校の勉強という手段を通して、これを応用してごらん。各教科の予習・復習・演習問題、それを取り組む前に、真剣に取り組んでいる姿をイメージしてからそれに取り組むのだ。そうすると、それに対する集中力というモノは潜在意識が引き受けてくれる。だけど適宜、休憩も挟む様にね。休憩時間はイメージ時間、ビジュアリゼーションの時間にするといい。そうすると一石二鳥だ。腹式呼吸のアルファ波呼吸法と併用するといい。
この理を理解しただけでも、長い人生に於いては、たった今100万円以上は手に入れた程の価値が有るよ。真に理解し、それが習慣化するなら、人生からおっくうさが随分減るからね。しかも様々な人生展望が開ける。そこから生じてくるメリットはもう、金銭では計れない。「あっ、そうか!」とピンと来た人には、とてつもない祝福が来るよ。これを昔の人は「神の恩寵」と呼んだんだろうね。
そして、これから「人の役に立つ人間になりたい」と言う志を立てている君に、心得て置くべき事を幾つか話しておこう。それは正しい人間観を持つと言う事だ。
大衆・民衆・・・と言えば、それは我々もその一部ではあるが、その他大勢と一括りで括られてしまう人々の平均的な質・性癖・心的態度等を知っておく事。
自らの意志で、心構え知識を持続的に学び続けるという習慣の無い人達・・・
・・・現在の教育システムは「勉強なんて嫌いだ」と思い込ませる事が目的の一つであるのだが・・・
・・・そうすれば学ぶと言う事の本質を悟られないで済む・・・
・・・勝ち残って来たとして、それは優秀なロボット化・・・
・・・共に、真に重要な事は、自らの頭で思索する事が出来ない様、条件付けてられている・・・
・・・故に、その多くの人は崇高な目標や、志というモノが持てない。そうすると如何なるか?
無目標は、普段からの分離側の心遣いが目標と成ってしまう。普段人々はどんな心遣いをしているのだろう?様々な目の前に起こり来る事象を如何捉えているだろう?統合分離表を見ながら考えてごらん。統合的心遣いだろうか?それとも分離的心遣いだろうか?平均的には、分離側の心遣いが圧倒的だね。そうすると、普段からの分離側の心遣いのトータルしたモノが目標と成ってしまう。それが知らない内に人生の目的と成ってしまうのだ。そして人生はそこ、=無目標に必ず到達する。それはどんな処だろう?殆どの人が「こんなはずじゃなかった」という処に到達している。世間を見渡してごらん。身に責められる事を地獄という。死んであの世に地獄があるのではない。人はどんな事に身を責められているか観察してごらん。地獄が見えて来るから。
そして目標が有っても、普段からの分離側の心遣いが有れば、それも潜在意識の目的に加算される。それは願望成就のブレーキとなるという事だ。
そして意識する建設的な意識の力と、普段から知らずして為す分離側の心遣いより蓄積するマイナスの意識の力・・・その逆向きの力積同士の差が結果と成る。
運動会の綱引きをイメージしてごらん。「力」というモノの足し算引き算だ。
建設的な意識の力がマイナスの意識の力より大きければ、建設的な結果が出る。
マイナスの意識の力が建設的な意識の力より大きければ、破壊的な結果が出る。実に簡単な計算式だ。幼稚園の子供でも解る事だ。
それに比べて、統合側の心遣いの蓄積は、燃料の継ぎ足し、そして目標が定まれば加速、つまりブレーキの反対のアクセルだ。それは願望成就の応援者だ。建設的な願望や統合側を向いた心的態度からの心遣いは、建設的な意識の力を育み、破壊的な願望や分離側を向いた心的態度からの心遣いは、マイナスの意識の力を拡大する。
ちょっとマイナス思考の習慣が有るからと言って誰も重要視しない。それが何を「溜める」事に為っているのか考えもしない。しかしその「ちょっと」は確実に蓄積していく。不運や人生問題が現実化し始める頃には、ちょっとやそっとじゃ如何しようもない程の「量」が溜まっている。それはデータだ。知性を持たないと、それは見えない。
「願望を育てよ」と教えた様に、それは無意識だろうが、その逆の、変なモノはしっかりと育てていると言うか、放っとけば勝手に育ってしまうのだ。やがて、ちょっとやそっとじゃ切り替えられないモノ、簡単には引っこ抜けないモノとして、確実にその「ちょっと」は育つ。
その「ちょっと」とは「〜でも・〜だけど・〜しかし」と出来ない理由を考える事、そして分離側の心的態度でいる事だ。為に成る事を聞いてもそれを吟味しようとする姿勢の無い事だ。その様に「在る」だけでその「ちょっと」は自動的に溜まり、且つ育つ。幸福や願望成就を阻害する力として育つ。真実から眼を背けているだけでそれは勝手に育つ。無視したり認めないのは勝手だが、その在り方自体がそれの拡大に益々加速をかける仕組みになっている。分離側の質は見ないと育ち、見ると縮小に向かう。統合側の質はその逆で、見ると育ち、見ないと育たない。「見る」とは、意識の光を当てると言う事。
為に成る事を聞いてもそれを吟味しようとする姿勢の無い事・・・それは自分の意識進化の為に無意識が引き寄せた出会いを無視し、責任放棄した事になる。宗教的な言葉を使うなら「神からのプレゼント・恩寵を自ら破棄した」と言う事だね。思考放任している人間はそういうメカニズムが見えないし、教えられても気付きもしない。出会いは総て必然だ。人間には偶然の様に見えるけれど、潜在意識の次元では総て必然なのだ。出会いには総て、何らかの責任が生じているがそれが解る感覚、責任が引き受けられる感覚が啓いて来たかな?まあ、これは将来、自分の天命を悟るだろう頃のチェックポイントと心得て置きなさい。
一般の人の多くは、今までのマイナス思考が履歴となって、既に「もの凄い力」となっている。ここで「既に」と言っている事に注目!見る眼が無ければ、それが在る事自体に気付きもしない。が、たっぷり溜まっている。その量たるや、その打ち消しと再構築には平均2万時間を要する程である。何としこたま貯め込んだモノだろう。一時間1000円の時給なら、2000万円の借金という処だね。しかも利息は年々5%の複利で付いて来る。そんな借金、如何返す?一週間や一ヶ月で如何にもなるものでは無い。自分のマイナス思考の総時間量・分離側の心遣いの総時間量を推定計算してみるがいい。例えてどれ程の心の借金を重ねているか。その計算式の詳細は、「スキルアップセミナー」で提示してある。意識している事は、力積という「力を持った量」となるという事を忘れずに覚え続けておく事だ。ここでのそれは、願望や為になる事を前もってはじき返す、マイナスの心的エネルギーと言う事だ。そしてそれは分離側の質を更に強めるモノだ。
正しい事・為に成る事を弾き返す力・・・悪魔が聖書や十字架・聖水・神父の祈り等、聖なるモノを嫌がるというモチーフはここから来ている。悪魔は正しい事が大嫌いだ。それはホントは悪魔でも何でもなく、正しい事や正義を排除するマイナスの意識の力。昔の人は、そう言う現象が実に不可解故に、悪魔がそうしていると言う事で理解しようとしたのだ。日本では、狐憑きとか言われる現象だ。、間違っていたらそれに気付いて、ただ変えさえすればいい筈だ。しかし変えようとしたくないし、変えられる事に自らもの凄い抵抗を起こす。何故ならそれは既に、相当の「方向性を持った力積」となっているからだ。そして本人はそれこそが救われる方向だと結論付けている。そう感じている。逆さまにね。変な霊能者に出会うと狐が憑いたと言ってカモられるから要注意。
また、坊さんが耳だけに経文を書き忘れて、耳を魔物に千切られた「耳無し芳一」の話があるよね。経文は聖なるモノの象徴だ。邪悪に対抗する力のシンボルとして描かれる。それは建設的な意識の力の事を指しているのだよ。
建設的な方向へ変えられる事に自らもの凄い抵抗を起こす力・・・東洋哲学的な概念ではそれを「業(ゴウ)」と呼んでいる。「業の深い人」という使い方をするけど、良心的な人達に何となく感じるモノだ。願望を育てずに、妙なモノ・おかしなモノを育てているという自覚も全く無いのだろうが、・・・それを無知の無知、「あっ!」と気付けたなら無知の知だ。ボンクラとは、今自分が何を為しているのか全く理解していない。いつ、止めるんだろうね?分離側の心的態度という、自分の心に借金を増やしビッチにするその自己破壊的な心的行為。破壊的という一元的な言い方をしているが、そのニュアンス全体を捉えているだろうか?
不健康な考え、マイナス思考一般、分離側の感じ方総てを、ここでは「破壊的」という言葉で括っているのだ。そこをよく理解しておく様に。そして、今自分が感じている感じ方、心的態度が向いている向きは、統合か分離か、どちらを向いているかをいつでも感じる、いつもモニターしているそう言うセンスを持っていなさい。それも訓練だ。
そして、これからの長い人生に於いて、真に得する側を選択し続ける為には感情でモノを言わない事。好きか嫌いかという判断はちょっと横に置いて、為になるか成らないかという基準でモノを観なさい。但し、ここで述べている事は、直ぐに出来ないからと言って決して自分を責めてはいけない。知ったままで放任していいと言うのでもない。昨日より今日、今日より明日と未来を見据えて、徐々に出来る様になって来たという成長こそが重要なのだ。
ここで、ハートの声とエゴの声を見分ける方法を教えよう。自分に正直に生きるとは如何いう事か?と言う事だ。感じるがままに、好きな方を選択する事だろうか?
それも学習能力さえ完全なら一理はある。それに心底徹底するなら、やがてこれではダメだと言う認識が訪れるからね。お父さんは15才の時に突然始まった自己対話によってそれに気付いたよ。しかし、学習能力が未熟ならそうはいかない。中途半端もダメだ。経験しても帰納的能力が無く、パターンというモノが見出せない。だからそう言う人は同じ次元の失敗をパターンを変えて何度も何度も繰り返す。自分に正直と思って、そうしたいからと自分に嘘を吐いたり自分への約束を破ったりして自己欺瞞を積み重ねていると、それは自分に正直なのではなく、いつの間にかエゴ、イエス流に言うならサタンに従っている事になる。「自分に正直に生きる」という言葉の危うさ、それに要注意だ。エゴは勝手に合理化する。
如何在りたいか?と自分に質問した時、最終的に「こう在りたい」と思う事がハートの声だ。する事=doingでは無く、在り方=beingの方だ。地獄に成りたいと思う人がいるだろうか?いる訳がない。幸せというbeing、創造的に愛に満ちて生きるというbeing。支配したいdoingとか、所有したいdoingではない。よく見ると、その支配も所有も「その結果、如何なりたいのか?」と、更にその先を問う事が出来る。そうするとその先に有るのはやはり、先のbeingに帰結する事になる。
そしてその「在りたい姿=幸せ・創造的に愛に満ちて生きる」を考えるに、プロセスとして出て来る「すべき事」に対して抵抗が出て来る時、それがエゴの声だ。そして分離側の感じ方から出ているdoing。もちろんそれに従ったらアウトだ。その逆を行く事こそ、ハートの声を選択した事になる。そしてその見極めは如何に?
その後それを自分の意志と責任に於いて選択して、爽やかに感じるか如何かがチェックポイントだ。もし後ろめたさを隠す為に言い訳を考えているとしたら、またそれが必要になって来るとしたら、それはハートの声を「無視した・聴かなかった・更に自分に嘘の上塗りをした・自分に正直でなかった」と言う事だ。但し、ハートの声は三度の誤魔化しでマヒするからね。要注意だよ。自分の感じ方を醒めて見なさい。目の前に出くわしてしまったより価値の高い真実からの逃避。それには3倍の言い訳がいる。エゴの声=サタンだよ。最終的に希望する在り方とはまるで逆へと導くからね。聖書では「サタンは光に変容して奇跡を為す」と言う事だから騙されない様に。常に真実を求める姿勢が在れば騙される事はない。レトリックやすり替えは見抜ける。原因を見ず結果だけを求める者が騙されるのだ。
目的という最終結果は誰でも欲しがるが、その手段やプロセスは嫌だと言っている姿を自他の中に見極めなさい。
糖尿病の人は糖尿病は嫌だと言うけれど、糖尿病に成る「事」は大好きだ。太っている人は、肥満は嫌だと言うけれど、「肥満になる事」は大好きだ。分かるかな?
必要以上に食べ過ぎる事は大好きだ。運動は嫌い。それらを解決するダイエットや足揉み、正食とかマクロビオティックとかはめんどくさい。聞いてもやらない。やりかけてもサボる。・・・ほらね。解決する「事」は嫌いだ。その困ったと言っている問題が持続する原因は大好きだ。人間とは面白いモノだ。
これから色々と、良い事を伝えたいと思っている君に、社会に出た後の心構えを言っておく。これを知っていないと、ショックを受ける事になるからだ。
君が信じる良い事を、人に、どんなに「良い事だ、真実だ、これこそが本当だ」と言っても、それが正しくスムーズに伝わるものでは無い。否定する人間・気付かない人間の方が圧倒的に多い。何故そうなるのか?心理的には実に簡単な事なのに、考え方というか、モノの見方というか、その概念・心のメカニズムが世間で常識になっていない事が問題だ。問題はやっぱり顛倒夢想と言う逆さまの感じ方だ。この問題性をよく理解して、少しでも多くの解ってくれる人から伝えなさい。
無意識に、為になるモノを排除し、ダメになるモノを取り入れてしまうと言う、顛倒夢想に基付くオートパイロット機能を再考しよう。
本当は、為になるモノを適度に排除し、ダメになるモノを適度に取り入れてしまうと言った方がより正確だが、表現がややこしくなるので前の言い方を使う。
聞きたくない事は「何を言っているか分からない」「自分には関係ない」「今の自分には必要ない」という感じがして来て、それが本人にとって、まず自分自身を説得する為の「正しい」言い訳になる。そして、そう感じているのは自分に取ってそれが正しいからだと感じる。
しかし、それはその様に、一体何が感じさせているのか?と言う事だ。これが顛倒夢想に基付くオートパイロット機能と言うモノだ。
為になるから排除しなければならない訳だ。好きか嫌いかで判断し続け、自己欺瞞を合理化し続けていると、こういう自分を騙す言い訳能力だけは超自動的と成る。
人をはぐらかせたつもりだろうが、実態はバレバレで、本人が騙し通せているのは本人自身である。無知で無恥の無知という、無知の無知より酷い状態。
何らかの徳が有った故に、幸せや喜びを手に入れていても、深い部分ではいつもそれを自ら崩壊させようと狙っている。その幸せや喜びを自らの側から永く続くモノにしようとはしない。そこに本人の側からの努力はない。何かを切っ掛けにそれを言い訳にして、その幸せや喜びを維持している人間関係などを自ら一瞬で破壊する。それは呆れる程に理由にもならない些細な事だ。そして関係性を修復しようとはしない。その人間のカンフォトゾーンを超える幸せや喜びは本人自身が許さない。
自分をダメにする側が無自覚なまま大好きで=(イコール)それがカンファトゾーンとなっている。自分は可哀想な人間と考える事が好きなのだ。
まぁ、普段からの心遣いの真実を、真の自分自身という閻魔様はちゃんと知っている訳で、ご褒美なんか受け取る訳にはいけない事になっているんだね。
潜在意識は損得では判断出来ず、統合側の心遣いの履歴か、分離側の心遣いの履歴か、その力積差で結論を決定している。その判定基準は絶対だ。それは絶対的な裁判官、恐ろしいほど正確公平な判事だ。昔の人はこの働きを指して、閻魔様と言ったのだよ。今では閻魔様ってあの世の判事という事になっているけどね。そうじゃない。分離側の心遣いの履歴が多いほど、真の自分自身という閻魔様が自分自身を「身に責められる状態」に置く。当然、統合側の心遣いの履歴はその逆になる。思わぬラッキーさが転がり込んでくるし、運命がどんどん開けてくる。
その様な法則性というモノは、人間の側の気分や損得勘定で如何にもなるものでは無い。法則がそうなら、その眼でモノを観る事だ。それが知恵者だ。
そして顛倒夢想が一切なくなったら、四苦八苦する人間の苦しみが一切生起しない心境になる。
為になる話は、お父さんの話だけではなく、心の眼で見れば世間にはそれは幾らでもゴロゴロ転がっている。
為になるモノを排除すると言う事は、「為にならない考え方を持っている」と言う事を示している。それは何だろう?よく観察する事だ。必ず「対」になっている。
何をどの程度排除、或いは拒絶するかで、その反対側の質がどの程度、本人の無意識の根底に根付いているかという事が解る。意識次元は異質のモノは弾き合うからだ。特にマインドセット情報にはそれが顕著に表われる。引き付け合うなら同質のモノが有ると言う事だ。憎しみ合うと言うのも引き合っていると言う事だ。
感謝・賞賛・愛・慈悲・責めない事・許す事・解放する事・責任を引き受ける事・・・等々、およそそれと反対の事を日々、心の中でグチグチぐちぐちと練り上げているのだ。
その反対の、人知れず、心の中でグチグチと練り上げているモノとは何だろう?
嫉妬・妬み・嫉み・見下し・恨み・劣等感・恐怖・支配欲・逃げ出す事・不平不満・責任転嫁の邪悪性・・・等々。なんとまぁ。そういう想念を繰り返す度に深く深く脳回路にそれを焼き込んでいく。怨念等と言うモノも恨みを繰り返すのでその様に育つ。そりゃそうしたいのはその人の勝手だけれどね。何度も言うけど、知らないと言うのは怖い。真の自分自身という閻魔様には全部お見通しだ。他の誰でもない。自分自身の良心、ハートが観ているのだ。それは結果として自分を絶対基準で裁く。物的に成功したとしても完全に愛を失う。閻魔様にはお見通し・・・この知識をスキルとして習得すると、例えてその閻魔様の眼が戴ける様なモノだ。
だから、そう言う現象を目撃したら、必ず記録としてレポートしておく事。それは後々の人の為になる。「賢者は歴史に学ぶ」が分かる人、知性のある人にとって、それは失敗人生の予防薬・ワクチンと成る。それを報告して上げれば、知らなければ陥るワナだと前もって気付けるからだ。
で、「伝えようとする良い事」を、受け取る人と気付かない人・拒否する人とに分かれていく。特にこのメッセージを始め、お父さんが提示或いは推奨する情報群で、「聴く・聞き続ける人」と「聞けなくなる・拒否する人」という、二分する、その行く末をそれぞれ推測してみよう。近未来・将来の想像の中にその結果を見て、今、蒔くべきその種を蒔きなさい。
その前に、ここでまた一言。良き力を発揮するに、それは二つの次元がある。まず一つ目は、それそのものが良き情報であると言う事。それでだけで一部の人達は目覚める。知性のある人達だ。しかし、大部分の人は、良き情報=心構え知識が良いモノだと言う感じは起こらない。それが優れていれば優れているほどだ。何故なら、それが為になればなるほど、その人達の中に在る顛倒夢想が逆さまに感じさせるからだ。そしてそれは顕在意識に理解が生じるその前に排除される。つまり気付かない内に排除される。潜在意識は既に知っているのだ。自己欺瞞という顛倒夢想のデータベースが有るからね。逆に責任転嫁してくれたり罪悪感を刷り込んでくれる様なモノにはそれこそが真実と感じて吸い寄せられる。それは嘘だからだ。恐ろしい事だが、それは今まで何度も説明してきた通りの、世間一般に起こり来ている一つの法則性だ。故に、この単純な「理」を自らの脳で理解するかどうかという、知性の有無が意識革命の第一関門と言えるね。
しかし、伝えたい事が個人的には伝わらなかったとして、それで失望する事はない。次の二つ目の次元が在るからだ。それは数の力、人数の力だ。世間一般に60%の人は自分で考えず、世間評価を自分の判断基準にする。見栄や虚勢は張って、「NO」を突き付けるのは実に力強いが、本当は自分に自信が無いからだ。世間が如何言っているか、人に笑われるか否か、・・・ホントは自分に拠り所が無いので大勢の意見に迎合する。知能の高さは関係ない。人口の60%は日和見なのだ。その世間の常識というモノ自体が支配者によって都合良く世論操作されているというのにね。ある部分に優れた能力を発揮したとしていてもそれ以外は普通だ。トータルしたバランスはとれていない人が殆どだ。顛倒夢想がいくら頑張っていても、30回の反復で脳が無視している事に気付き、90回の反復で大体蓋が開くのだが、その90回反復の先のメリットが一度「理」を聞いたぐらいでは見えない。反復そのものが嫌なのだ。その自覚も無いままに。
そう言う人達には、もう理では説得出来ないから、待っていて貰うしかないね。20〜30年ね。そう言う人達はそれからスタートすればいい。大勢の成功者や意識変容の成功者の出現を見て、その時、人生は「やり変えられるモノだ」という発見をしたらいい。
よって、一部の目覚めた人達が一定の評価を持ち、それがある程度の数に到達したら、そしてその人達が良き結果を出し始めたら、理を無視したり認めなかった人達も、先にスタートした人達から出て来た良き結果を否定する事は出来ない。結果というモノは目に見えてしまうからだ。また大勢がそれは良いと評価し始めると、自分の判断を見直さざるを得ない状況が発生する。本来その人の根強い性癖として在った「人の判断基準・大勢の人の意見」が自分の意見となるからだ。そう言う状況を先陣を切る者が創り出し、発生させて上げる事で、良い事を良い、為になる事を為になる、と改めて検証せざるを得ない状態にして上げる事が出来る。それこそが真の親切と言うモノだ。
百匹目の猿現象とか、1%効果とか言う。知ってるかい?地道な正しい下積みは、ある時突然展開し始めるのだ。下積みと結果の関係は、二次曲線のグラフだ。
二分する、の話に戻るが、「聞けなくなる・拒否する」と言う反応、それ自体は全く以て本人の自由だ。聞かないからと言って、聞かない事そのものに天罰が下ると言う事もない。そう言う事を言うのはカルトだ。「バチが当たる」とかね。ただ本人は今までと変わらないし、変われないだけ。変わろうとしないのだから当然だ。これからも日々、せっせと顛倒夢想を巨大化させ心の腐敗物を増やし続け、心がもっともっとビッチになるという方針を変えるつもりが一切無いと言っている訳だ。顛倒夢想に乗っ取られるとそうなる。そのままでは絶対に損するから教えて上げたいのだが、見ようとしない。それは本人の全く自由で有る。で、如何なって行くだろう?それは世間一般全体を俯瞰し、特に年代を10年単位で眺めてサンプリングし、答えを得なさい。その人の行く末を一々見守らなくても平均値は分かる。「人の話に耳を傾けなかっただろう人達」の行く末を周りから発見し、観察しなさい。
また、学んでいるツモリの人間は、長年の内に多少の知識は蓄えるが、本質的にはやはり盲目なので、ここぞと言う時には結局「分離反応」を示す。つまり、問題点を指摘されたり、示されるとその瞬間、完全に自己観察を失い「逃げる」という反応をする。後ろめたい感じが残る。黙ってはいるが糞を撒き散らかして逃げる様な波動を出す。後始末をしないで逃げ出す。立ち向かう為に一旦退くと心中で言い訳をする。知識を蓄えて、出直そうと考えているのだろう。しかし意識成長のチャンスはその瞬間に有ったのだ。知識不足なのではない。出直すとは、終わってしまった試験の結果しか観ていないと言う事だ。大切なのは結果ではなく、問題点を介してその時に取っている態度そのものなのだ。盲目と言うのは、心的態度が分離側を向いていると言う事だ。最も重要なポイントが見えない。そして盲目なので何度でもその後始末放棄のパターンを繰り返し続ける。もし醒めて在れるなら、そういう機会が総てチャンスなのにね。盲目人間はそうやって、悉くチャンスを反古にする。それは学んでも知識の「ツモリ=積もり」であり、決意が無いからだ。何かをいつまでもいつまでも先送りしているからだ。「何か」と言われてピンと来る様でないとダメだよ。自分のハートに聞けば誰でも知っている。
イエスは弟子に「悔い改めよ。神の国は近付いた。」という二つのメッセージを人々に伝えさせた。何を悔い改めるのか?・・・それを一々指示する必要は全く無い。その答えは自分に聞けばホントは誰でもみんな知っているからだ。自分を誤魔化す人だけが解らないのだ。
人間だから色々問題は有るし出ても来る。覚醒していると言う事は、その時・その瞬間にこそ、立ち向かう姿勢が取れる人間で有る。そして即座に感謝が湧く。故にそれは直ぐ行動に直結する。それが後始末が出来ると言う事だ。それは爽やかだ。それを覚えておくといい。常にその姿勢が取り続けられる人間、その方向にこそ喜びを見出している人は覚醒していると言える。それは経験や知識の量とは関係ない。心的態度そのものだからだ。覚醒しているとは総てを知っていると言う様な事ではない。覚醒とは「反応」ではなく、即座にその状況に「感応」出来る姿勢が自動的にとれる事、心的態度が統合を向いていると言う事だ。覚者とは完全にそのスイッチが入った人だ。
先ほどとは逆に、示されている事・伝えようとしている事を理解して、顛倒夢想を解体解除する決意を持ち、人間力をアップしたいと本気でスキルアップトレーニングを開始した人達は如何なるだろう。まぁ、お父さんの提案が理解出来て、本当に興味が湧いた人、と言う事だね。これから古今東西の賢者・覚者・偉人・成功者の言を元にbeingを研究しようと決意した人達だ。
それは、お父さんがこのメッセージの中で言っている、或いは約束している事が果たされる、実現されると言う事だ。その結果、リアル世界に、しなかった場合の時と比べて人生10倍以上の開き・成果は出て来るだろうね。「聞けなくなる人・拒否する人」はその結果を見て、それから改めて自分は如何するか、考えて貰えばいいんだよ。その時は、時間の二乗に比例して、マイナスがもっと溜まっているから、トレーニング量も二乗的に必要になっているけどね。
さあ、そろそろ、「意識次元の性質は何故苦楽を引き寄せる法則が逆さまに成っているのか? 」と言う事を数学的観点から解説しなきゃね。
二学期が始まったが、複素数の虚数という概念は習ったかな?「二乗すると−1」になるという概念。座標面に何処にも位置が特定できない。お父さんは、中学一年生の時に「マイナスを引くと増える、マイナスを足すと減る」という概念が数日間、どうしても解らなかった。如何して「引いたのに増え、足したのに減る」んだよ!と憤慨しまくっていたよ。「足したら増え、引いたら減る」という概念が頭の中でコチコチの固定観念になっていたんだね。
なもんで「二乗すると−1」という虚数という概念を知った時は慎重に取り組んだよ。一体虚数とは何もんだ?有理数も無理数も実数は解る。数直線上に点が打てる。実態がないから虚数というらしいけれど、それはもう数学者の遊びというか、数式上の語呂合わせというか、その先を知らないんで、何とも言えなかったけれど、数学の試験に答える以外は何の意味も無いと感じていたね。だから、計算は教えられたルール通りに一所懸命解いていた。ずっと疑問を持ったままに。
虚数とはこの宇宙に於いて一体何を意味しているのだ?それだけでは意味を持たず実態が無いが二乗すると実数化しマイナスになる、というモノ。
ニュートン力学の世界観に於いて、また場の理論に於いても、この実世界=物理次元は与えれば減るし取れば増える。取られれば減るし与えられれば増える。
意識次元はそうではないと言う事を今まで学んで来たね。そうしたらその目で虚数を見てごらん。正に、意識次元の性質と符合する。
だからこれはお父さんの仮説だ。しかし、実に良く良く符合するので、虚数とは意識次元を表していると考えた。何処が如何似ているか見てみよう。
(仮説) 意識次元は虚数 i ・・・データ干渉して出せば出すほど増えるが、それまで、そのままでは物理次元に実態がないモノ。
虚数解は座標上に場所を特定出来ない・・・それは意識に於いても「切っ掛けがなければ普段は思い出さない感じない」のと同じ。
意識し認識・分別・判断する事は記憶のデータ群と干渉、つまりi×i 。
それは顕在意識から引き抜いて潜在意識に与える事になっている。干渉し合って実体化したマイナスを引いたら増えると言う事だ。
顕在意識−i(今意識している事)×i(過去の記憶のデータ)= 顕在意識−qi×i (qは適当なイメージの係数)
つまり意識される事は、プラス的な事もマイナス的な事(エネルギーを減らす原因)も増えて行く。
相手に意識させると言う事も相手の内側では同じ事が起る。実際は複雑にフィードバックし合っているが、原則のみを切り出せばそういう事だ。
複素数の虚数は意識次元を表していたのだ。(物理次元の実数が∞なら意識次元は∞×∞・・・?)
将来、人間型のアンドロイドを作る様な時代が来たら、このメッセージでの法則性を用い経験事項を完全に数値化する事で、「感情」をも人間そっくりに学習して発達させる演出が出来るだろうね。
そして、意識する事は、内外に於いて同質のモノと干渉し、貯まり込んで二乗的に力を持つ様に成る。この力は心的なベクトル(方向性を持った力積)だ。
4つの象限に分けた図表を思い出して欲しい。@&Bの直観的判断力からはプラスのデータ(徳)、A&Cの顛倒夢想からはマイナスのデータ(業)。
好き嫌い判断=無覚醒状態(放任思考)に在っては異質のモノを排除する力は益々増えて行く。普通に在っては、殆どの人にその傾向が有ると言う事。
ダメをいいと信じる顛倒夢想A&Cは真に為になる@&Bを排除しようとする。@&Bの排除を完成させる事でA&Cの顛倒夢想を更に強める。
そして顛倒夢想A&Cに真実@&Bをぶつけられると「苦(錯覚)」を感じる。感じ方が逆さまになっているからだ。
耳に痛いと感じるこの「苦(錯覚)」を理解して@&Bをインプットし続けると、A&Cは縮小する。ベクトルなので処理に要する量が数学的に導き出せる事が解る。
しかし、この理を知る人は殆どいない・・・チャレンジ魂を一生持ち続ける人は極めて希だ。何処かで大抵諦め、妥協する。頑張り続けるのは苦しいからだ。
そして自分が自分という納得の華が咲く事無く、早晩、人は「A&Cの顛倒夢想」に絡め取られてしまう・・・それはこの法則性を知らないからだ。
顕在意識の選択がゲートなのだ。ここに人間の尊厳たる「選択の自由」が有るというのにね。コツが分かればそれは苦しいモノでも何でもない。寧(ムシ)ろより楽になる。宇宙から問われている事は、一歩踏み出す勇気、目の前に生じた実に些細な、その立ち向かうという一歩なのだ。
意識次元に於いては、苦に立ち向かえば苦は消滅するが、逃げ出せばそれは育って増大する。解っているツモリを排し、この原則を自分のモノにするのだ。耳に痛い話のその瞬間に心の眼を見開きなさい。そして楽を得るには、現実化するまでにはタイムラグが有るので、原因の種を蒔いて(与えて)待つ事だ。
物理(肉体)次元と意識次元では苦楽を得たり避けたりする判断・選択が逆さまという理の裏打ちを、これからの起こり来る経験を通して、その認識を深めなさい。
法則を心の眼で究めれば、単に願望成就という次元を超えて、自分の人生を自在に操るコンダクターに成れるのだ。次回は総仕上げとして「動物プログラムと人間プログラム」の話をしよう。
11・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.09.25facebook投稿
親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 11
・・・・・・・・・・・
普通、人間というモノは、ある概念を提示されても、それが今までに無いモノなら、殆どの人はそれが何を意味しているか見えもしない。周りの皆がそう言わないからだ。自分の頭で考えるという訓練を為されていないと、殆どの人はそうなる。その一つに現代人類がまだ気が付いていなくて、絶対に気付かねばならない概念がある。普及されなければならない概念と言う事だ。江戸時代に民主平等だと言う考え方が有っただろうか? 誰しも義務教育が必要だと認識していたであろうか? それと同じである。必要なのに知らなければ気付く事も考える事も出来ない。
民主平等や義務教育の必要性という概念は、先達の長い苦労によって広まり、一応定着したと言える。同じ様に現代人類が気が付いて、それに基付いて考えなけれぱならない一番重要な事は「考え方は技術である。考え方を知らないと人間は考える事が出来ない」という概念である。もしこの概念を理解するなら、「では、どんな考え方が有るのだろう?」という次のステップが踏める段階が来る。選択肢が増えると言う事は自由が増えると言う事である。まず、考え方が自由を得ねばならない。思考放任状態に在っては、自分自身の秩序も統制もとれる道理が無い。つまり自分自身が取り扱えない。そしてその状況にさえ気付いていないのが現代人類だ。顛倒夢想を知らない。このメッセージで明かされている概念の殆どは、また誰も気付いていない。ここに、凄いチャンスを感じるだろう?
ただ、その言葉や概念を聞いたからと言って、それだけで99の裏打ちを以て理解し、ピンと来る人間は殆ど居ない。一つの概念を本当に理解させるには、99の裏打ちを提示しなければならないからだ。人間の理解や認識というモノは円錐螺旋型で回顧的に理解が進む。答えだけ教えてもダメだ。伝えたい事が在るならば、99の裏打ちを用意していなければならない。時間も手間も掛かるが、それが伝える者の果たすべき責任である。
今までのメッセージのポイントはしっかり押さえてくれたかな? 何度も何度も読み込んで頂戴ね。それは、とてつもない力を持つ事になるから。これからは己の意識世界を制覇する者がリーダーシップをとる「意識の時代」がやって来る。
では、最終章のまとめと行こう。
物理次元・肉体次元は動物次元で、それはそれの法則性に従う事は重要だ。肉体に適度の負荷をかける事は鍛える事になるが、過度の負担は肉体を破壊する事になる。危険は避けなければならないし、楽は必要だ。その為には快は取り入れ、不快を避ける必要がある。美味しいと感じるのも栄養価が高いからだ。そう感じるのは天から与えられているレーダーの様なモノ。とても大切だ。しかし、それは自然であっての話だ。
しかし今は如何だろう?自然個人ならば獲れないモノでも道具の発達で幾らでも獲れるし、地球の裏からでも運んで来られる。旨い処だけ取り出し濃縮し加工する。また人工的な合成物でそう「感じる」だけのモノを作り出している。食中毒が怖いと言う事で殺菌剤や防腐剤を使用すると言うがそれは命を弱らせ殺すモノだ。その不自然さを訂正する仕組みはDNAには無い。従って何を如何選択するか、頭で知を働かせ補正する必要がある。
また、意識次元・精神次元は苦楽を引き寄せ弾き返す法則性が、物理次元とはまるで異なっている。それは逆さまだ。苦には立ち向かえば、理解が生じたり認めたりした途端にそれは消える。それはその途端にだ。それは「知る事が出来た者」の感じ方だ。しかし愚か者は違う。物理次元では苦から遠ざかる程、安心が得られる。火に近付けば近付くほど熱くなり、火に入ると焼けてしまう。それは破壊を意味する。精神的な苦は立ち向かうと苦しく感じる。認めようとするともっと苦しくなる。だから認めたら苦しみはMAX(最大)に成ると動物次元で考えるのだ。だからそう成る前に逃げようとする。それが破壊を避け、自分を守る事だとするパターンが根付いていて、意識次元で起こり来ている法則性から学習する学習能力が無い。動物的な感覚のままで、帰納的な能力が未発達なのだ。理解が生じたり認めた途端に、つまり、成長する事によって苦が消えるという意識次元の現象に気付かない。
憎んだり、嫉妬したり不平不満をぶちまけたり、奪ったり逃避したり、支配しようとする事で何とか、自分を楽に、つまり幸せを得ようとする。それはゴミ処分場に集まるトン単位の残飯でご馳走を作ろうとしている様なものだ。巧く行く筈が無いのに益々そのやり方感じ方に力を込める。それは顛倒夢想と言う逆さまの感じ方を益々強固に育てているのだ。真偽を自動判定するデータベースの基礎データに嘘をインプットする。その結果間違った判断こそ正しいと感じる感覚が出来上がる。それは自信を無くし不安を増大させ益々自分が信じられない、拠り処を持たない精神状態を作り出していく。
例えを一つ話そう。愛の炎という素晴らしい感覚に水をぶちまけて、互いに相手のその火を消し合っている人々が如何に多い事か。互いが互いをそれぞれにがっかりさせ合っている。彼らは言う。植木に水をかけたら大きく育った。だからこの愛の火を消さないで育てるには水をかけるに限ると。例えてその様な状況になっている。互いに相手を変えようとする。与える事を忘れ、奪う事こそ得る事だと思っている。水をかけるから火は消える。「奪う・変えようとする」という心遣いは、愛にとって火にかける水だ。相手がこちらの言う事を自ら聞きたくなる様な、自分自身の魅力を磨こうとはしない。
愛のエネルギー、その炎がもっと大きくなる様その正しい育て方を教えたとすると、それは失ってしまうと感じるから出来ないと言う。統合分離表を見てごらん。統合側の心遣いこそ、愛のエネルギーを育てる事に成るのだ。それは相手により高度な自由を与える事。ところが意識次元は苦楽を引き寄せる法則性が逆さまだと言う事を知らない人達は如何だろう? いわゆる恋人達というのは、潜在意識では相手の嫌がる事を求め合っている存在だ。相手を囲い込んでおきたい、牧場の牛にしておきたいと言う訳だ。この想いはお互いに強烈だ。そしてそれでいいと思っている。暗黙の了解、暗黙の契約にしているのかも知れない。しかしそれは相手の自由を奪う事だ。互いに自分の作っている柵の中だけの自由は許すが、柵を超えて外で自由に好きな草を食べるのは許さない。相手は常に自分の牧場の牛にして置きたいのだ。自分は自由で在りたいが、相手の自由は許さない。互いがそう感じている。・・・そう決めるのは自由だ。選択は自由だ。しかし愛の炎、それに伴う喜び、そしてエネルギーは法則通りに消えるだけ。そして三年経ったら恋人ではなかった事に気付くだけ。互いに、相手に自分の不幸を求められている事に気付かなかったのだ。柵の中に美味しい草を届けようとしてみたかも知れない。しかし潜在意識に在る事が成就してしまったのだ。顕在意識できっちりと「契約」を交わしていても潜在意識には通用しない。いくら知らなくても逆さまに働きかければ望まない逆さまの結果が出ると言うのが法則だ。顛倒夢想は人を盲目にする。doingの部分だけを見て自分を合理化し、beingを見ようとしないからそうなる。それは逆さまこそが正しいという。そんなモノが一般人には200〜300も在る。
意識次元は苦楽を引き寄せ弾き返す法則性が物理次元とは逆さまなのだ。これが解ると君は本当に自由になる。欲しいモノは真に必要なモノとして向こうから訪れる。
この原則に基付いて日常生活に起り来る事を見直し、捉え直すのだ。人の判断を当てにするのではなく、自分で観察し自分で考えてごらん。この法則性が確かかどうか、実際に自分自身で検証して確認してごらん。
人間は、物理次元と意識次元のコンチェルトを自在に操るコンダクター、またはアーティストであるべきだ。その時々に適宜使い分ける事が自動で出来る様になる直観的判断力を養いなさい。これは物理次元から来ている苦だから避けよう、これは意識次元の苦だから立ち向かおう。これは物理次元の楽だから取り入れよう、意識次元の楽が欲しいからそれが向こうの都合で転がり来る様、準備して待っていよう、とね。
それが自由人(愛と才能と富と仲間と健康と夢の実現)への道だ。そして、幸せという結果を賜として手に入れよ!
動物プログラムとは、苦楽を引き寄せる法則性に付いて、本能通り物理次元で働いている動物用のプログラムだ。
人間プログラム・・・それは逆さまに働く法則性と意識のメカニズムを理解し、それが自由に使える知性を指す。DNAに自然に組み込まれてはいないので、脳に新たなるデバイスとして組み込む必要がある。
動物には、人間の様に過去未来という時間を知覚認識出来る意識が無い。現在のみに生きている。過去に対して怨恨や感謝も無ければ、未来に希望や絶望を持つ事も無い。過ぎ去った事を元にそれが苦しみを作り出す事も無いし、現在の状況が未来に不安や恐怖を作り出す事もない。動物はそう言う事を考える事そのものが出来ない。動物に必要なのは、今この瞬間が満たされる事だけだ。よって、目の前に在る楽を貪り、目の前の苦から逃避する事が自らを守る選択と成る。それは動物にとっては正しい感じ方だ。
人間は、動物には無い「苦楽を引き寄せる法則が逆さまである意識の次元」を持つ様になった。時間が認識出来る様に成ったとはそう言う事だ。
肉体は物理次元なので、動物的反応のままで良い。しかし物理次元では有効に働く「楽を貪り、目の前の苦から逃避する」という反応を意識次元に持ち込むと、結果として、楽を失い、苦を増大させる結果を招く。
無知である動物プログラム人間は、苦が増大すると、益々逃げようとする。自責し自分を嫌いながら、あらゆる処に逃げ道を探すのが既に自動的になっている。
だから、意識次元は「物理次元と苦楽を引き寄せる法則性が逆さま」である事に自覚が無く、相も変わらず「楽を貪り、目の前の苦から逃避する」という心的態度が動物のままの反応スタイルで生きている人を、動物プログラムで起動している人という。
知性が無いと気付きが起こらず、全く学習しない。姿形は人間だが、頭の中を走っているプログラムは「動物プログラム」なのだ。頭も心も人間になる前段階だ。意識の進化が必要だ。そのままに在っては、したい事をしたい様にしようとするならば他人に迷惑をかける存在に成るか、それが出来なくて、葛藤とストレスを作り出し、我慢を無理矢理強いられる事に成るだけだ。「動物プログラム」なので、人間として自由に在れる事は不可能だ。知能は高くても知性が無いとこの理は見えない。知性とはモノの道理や因果を俯瞰出来る能力だ。人間が人間として在る為には、新たなるデバイス「変容した感じ方」、脳には「人間プログラム」を組み込んで、意識次元の操り方をマスターしなければならない。
意識次元は「苦楽を引き寄せる法則が逆さま」である事を完璧に自覚し、瞬間瞬間、物理次元と意識次元のコンチェルトに醒めて感応出来る知性(プラギャ)を獲得した人。また、自分の真実を知ろうとし、間違いが見つかっても自責せずに、ただ変容を得るべき事として認め、それ故、意識次元の苦には喜んで飛込める感じ方を拓いた人。そういう人は「苦に立ち向かい、楽に対しては準備して待つ」為、苦の領域が人生から減少し、楽がどんどん増大する。この様にサットヴァ意識を持ち、暝想的に生きられる無為に至って、人間プログラムで起動している人と言う。
このメカニズムに気付き、動物プログラムから人間プログラムへと書き換えている人はラジャス(修行中)である。ついでに言うと、真実を聞いて笑う人をタマスという。こう言うタイプにはあまり真実を言うと怒り出す。タマス・ラジャス・サットヴァ・・・柳生家の家訓を覚えておくといいよ。・・・小才は縁に出会って縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を活かさず、大才は袖触れ合った縁をも活かす。
動物プログラム・・・ 楽を貪り苦からは逃避する意識状態、それは分離側を向いた心的態度。
人間プログラム・・・ 苦には立ち向かい、楽に対しては準備して待つ意識状態、それは統合側を向いている心的態度。
せっかく人間をやっているんだから、人間プログラムで動かなくちゃね。
動物プログラムで動いているなんて、最新のコンピュータを買ったのにオペレーションシステムをウインドウズ95以前のMS-DOSで動かそうとしている様なモノだ。当然最新のソフトやプログラムは動かない。使い方を知らないと自分の潜在している能力やセンス・感性は使えない。当然味わえる筈の喜びや幸せは手に入らない。
お父さんが中学生の頃、庭に野良生えでスイカのツルが伸びて来た。その前の年、誰かが吐き捨てていたスイカの種が芽を出したんだね。そのツルに直径20センチくらいのスイカの玉が出来た。お祖母ちゃんはスイカが大好きだ。お父さんもそれが日毎に大きくなるのを楽しみにしていた。ある日お父さんが学校から帰って来てそのスイカを見ると、葉っぱが一枚もない。何と、3メートルくらいの一本のツルにゴロンと小さなスイカの玉だけが付いている。不思議に思ったお父さんはその訳を聞いたら「スイカの葉っぱを全部むしってしまった」とお祖母ちゃん。
「何故?????????????????????」
「スイカが根から吸った栄養が葉っぱに行かない様に、全部スイカの玉に行って、より大きな玉が育つ様に。」だって。どひゃー!
お祖母ちゃん、光合成を知らなかったんだよ。当然、スイカの玉はその時からピタリと成長をやめた。とてもミジメそうなスイカがいつまでもそこに転がっていた。
自分の事を棚に上げて、パターンは同じなのに人の事を笑う人達。今の話が自分の事だと自覚出来る人が、どれだけいるだろうね。
顛倒夢想が一つあると言う事は、大切な葉っぱを自分で一枚毟り取っている様なモノ。みんな、大切な葉っぱを200〜300枚毟り取っている。
実が実る訳がない。みんな無意識だから平気。そして自ら創造エネルギーを止める。創造エネルギーも才能も出て来ないのではない。自ら差し止めているのだ。
顛倒夢想が一つあると言う事は、何かの認識領域が一つ見えなくなる。逆に顛倒夢想が一つ無くなると何かの認識領域が一つ広がる。
社会からの洗脳によって、自ら独立して思索出来る能力を失わさせられていると、人々は自分自身の将来ビジョンさえ描く事が出来ない。
周囲を見て、将来の為に自分は何を如何準備しておくべきかとさえ、考えられない状態にさせられている。一例として老人施設を見る事だ。その人達も30年前、30年後に自分はそうなると考えていただろうか? ボケたりオムツになっていたり。誰も考えたりはしていない。そしてその結果だ。また、そうならないで済む確かな方法が有るが人々は、それを自ら探してまで求めようとはしない。しかし君はそう言う事例を自分の事として考えなさい。これはお金が有れば解決するモノではないからね。今の若い内から考えておくのだ。そしてその様な周囲の状況を見て、自分はそれでいいと思うかね? 君は嫌だと言うだろう。
しかし、嫌だからと言って見ない様に反応する人が殆どだ。深く考えもしない内にね。87%の人は、嫌だから見ないし考えない。疑問提起されている問題そのものから逃げ出す。その様に好き嫌い判断の癖は年と共に強化され続ける。分離側の意識を普段からせっせと使い続けているからだ。未来を展望したり設計する事が出来なくなる。人生がただ流されるがままになる。問題が起きて始めてアタフタするが直ぐに諦める。気付きを持たない限りこのパターンからも、この弊害からも脱出出来ない。
何を如何考えたらいいかが既に分からなくさせられてしまっている。顛倒夢想は思索と想像力の自由を奪っている。それはそれらを発達させない。それは可能性を根こそぎ奪う。人々は、何かに怯えているのだが、その怯え自体が何を知るべきかに蓋をするという悪循環にハマっている。為に成る話にこそ恐怖して避けようとする。
一般に人間は、何が重要かと言う事はしっかりと教えられないと解らない。一度や二度聞いたくらいではそういう「感じ」、それが「重要だという感じ」はして来ないのだ。反復されて始めて、そういう「感じ」がする様になる。それが重要だったという認識はそれから生じる。認識の発達とは、一般的にはそういうモノだと心得て置く事。
そして、この「感じがして来る」というメカニズムを理解し、君はその「植え付け」と「育成」を操れる様になる事だ。その権限が顕在意識に在るのだ。そこは自由に操れる。自分のそれが可能になれば、人への「植え付け」と「育成」も可能となる。君は良き羊飼いとなるのだ。羊の性質というモノを知っているかね? 調べなさい。
求める心が在れば「何が重要か」が見えて来る。反復していればその意識は育つ。重要だと感じる度合いは潜在意識が為している仕事だ。顕在意識は決められない。
重要な事を重要だと感じる感覚。それは顕在意識に「求めている意識」が無いとそれは生じない。それは、赤ちゃんや幼児がまだ金銭の価値に気付かないのと同じ。
概念に対する価値というモノ・・・お金は概念だ・・・それは繰り返しによって、その「価値を感じる」という感覚は生まれる。大人になっても開発されていない感覚の部分は未発達、赤ちゃんと同じゼロだ。だから、他の価値有る概念も、ただ繰り返してさえいればいい。そうしていると重要な事を重要だと感じる感覚が育ってくる。それが潜在意識の働きであり、顕在意識、つまり頭で考えただけでは如何にもならない作用というモノだ。
・・・この「感じる感覚が生まれ、育つ」という言い方に注目しなさい・・・それ自体を君が頭で考えて決める事は出来ない・・・ではそれは何が決めているのか・・・。
価値有る概念は、ただ繰り返してさえいれば、重要な事を重要だと感じる感覚が育ってくる。今までに無い感覚が生まれる。そしてそれは力を持つ様になる。
それが嘘でもそう信じられる様な演出や環境が在るとそれを重要だと感じる様に成る。マインドコントロールとはそう言う手段で行われる。嘘も百編言えば本当になるというわけだ。とんでもない事だ。
重要な事を重要だと感じる感覚・・・しかし大人になると、大抵は顛倒夢想がその認識の発生を邪魔する。それに邪魔され、阻まれているとも知らないままにね。為になるからだ。ならばそれをそうだと心得て対処すればいい。また人にはその様に教えて対処させる事。先に意識のメカニズムを教えておくのがコツだね。beingを変えようとしない単なるメカニズムを説明しているだけの知識は、感情に抗わないからね。それはこれから具体例を聞いてbeingを変えようとする前の麻酔薬として役立つ。或いは病気を寄せ付けない、ワクチンの様なモノだ。それを考えて、君の情報伝達システムを構築しなさい。
君が重要だと信じる事を伝えても、相手がピンと来ない時、それはそれが重要だとまだ誰からも教わっていないし、求めてもいないからだ。それを求める事を教わってもいない。いつしか何処かで取り入れた、求める事に対する否定的なイメージ的結論が組み込まれ、無意識レベルで葛藤を生じさせている。そしてここに、この解説から潜在意識のフィードバックのメカニズムを感じなさい。
社会に出たら、求める心を失っている人々に求める心を植え付けなさい。何を求めたらいいのか教えなさい。教えないと、殆どの人は分からないから。価値の認識というモノは、大勢の人がそれは重要だと口を揃えて言うか、自分自身で繰り返して教え込まないとそれ、価値の認識というモノは生まれないし育たない。故に反復のメソッドとその価値を教えなさい。97%の人はそれ自体、君自身が手間ヒマ掛けて反復して上げないと気付けないモノだと心得ていなさい。その中から10%の人はなんとか理解するから。
87%の人は、真実を聞く用意が出来ていない。色々な分野の真実が有るが、それぞれの分野に真実を聞く用意が出来ていない人々が一定数存在する。その逆を信じていたいからである。それが好きになっている。真実を知ったら今まで信じて来たモノが崩壊する事を恐れている。「感じ方」に対して逆のデータがインプットされている為、真実が嘘に聞こえてしまうのである。人は自分の信じていたいモノを信じたい。自分の利益が絡んでいると尚更だ。嘘と知っていても合理化するくらいだからね。だから真実を認めず排除しようとする。医療も教育も政治も意識世界もどの分野でもある。大衆が盲目なので、嘘が幾らでもまかり通る。特に不正を行っている既得権益者は少数の正義など大衆の雑音にかき消されると知っている。そして実際そうだ。人々が個人的に自己欺瞞を積み続ける限り、それは巨大な不正のバリアとなっている。
だから解る人から伝えなさい。そしてその人達に実力を付けさせなさい。学ぶ事の価値と喜びを伝えなさい。このメッセージを君の大切な友と分かち合いなさい。
また、人は三方向から同じ事を聞かされると、認識が生じる。「みんながそう言う」というのは個人にとっては3人の事だ。自分の周囲に真実を求め語れる人を育てなさい。
新聞テレビを見ていても感じる事は、やがてその「感じ方」が力を持つ力積と成る。それはパターンとして繰り返されているので、人々の心で二乗的に力を持つ様になる。それはどんな力に成っているだろう? 何がどの様に育てられているだろう? それを観察する眼を育てなさい。自分の人生に拘わってくる事なのに、解らない事はスルーする癖というモノが根付かされたらアウトだ。マスレジャーに関心が有って政治をうさん臭いと考える人間に成ったらもうアウトだ。
ニュースの流され方、ワイドショー、ドラマ、芸能とスポーツ。繰り返される事は、取り上げられるその内容に反発しながらもそのパターンが好きになる。また有名人がそれらしく断定すると、思索力のない人達はそうなのかと思わされ、その考え方や判断がその人の基準になる。因果など如何でもいい。屁理屈でもいい。平均的人々は判断出来ない。理屈が通っているから正論だと判断出来るのはほんの少数である。嘘でも断定している事が、真実の様に聞こえているのだ。人間が群れとして進化して来た性質の名残である。ボスに従う・寄らば大樹の陰と言うね。大衆の世論操作はそれを利用しその様に為されている。しかし、それは一般の人々の心に何を育てているだろう? そして誰がそうしているか見抜ける様に成りなさい。マスコミを操る者は微弱な正義など、焼け石に水だと知っている。そして実際そうだ。この世は正義とか道徳とかではなく、力が支配しているからである。
だから、情報の流され方によって、それを流そうとする人達が何を意図しているか見抜ける意識を育てなさい。平均的な人々に育っている感じ方の平均値を感じられれば、本来在るべき姿とのギャップからそれが判る様に成る。そしてそれが解って来たら、如何したら正義が力を持てる様になるか考えなさい。
ワイドショーやニュースには憎しみと嫉妬を煽り立てる仕組みがある。そしてフィクションならどれだけ人を殺す場面を描いてもOKだ。おかしいと気付きなさい。微妙・隠微なサブリミナルを見抜きなさい。芸能等の華やかな場面を見て、人々は無意識に自ら惨めさを作り出す性質が利用されている。兄弟が二人いて、片方だけに注目し、その片方だけをいつも褒めているとしたら、もう片方は如何感じるか考えてごらん。自分は必要ない人間・愛されていない人間と勝手に感じ始めるだろう。人間とはそういうものだ。そしてそれは利用される。
また、麻薬や覚醒剤のルートが摘発された、解明されたというニュースは聞いた事がない。映画では「麻薬シンジケートをやっつける」と正義の味方は言いカッコ良く悪を倒すが、必ず、砂糖の袋の様な現物とトランク一杯の札束というシーンを見せる。そしてそれが等価だという。誰もみんな驚く。麻薬で、どれだけ体が破壊されるかという場面は決して描かない。
ニュース報道では、亜ヒ酸や青酸カリなら致死量何人分というのに、麻薬や覚醒剤・大麻などは必ず、末端価格で幾らという言い方をする。それもビックリする様な高価な値段だ。医療費や警察の取り締まり費用と、何よりもその人の人生が破壊される事で、「これだけ国益が破壊される・失われる」とは決して言わない。それが何故か考えなさい。何故だろう? 教えられなくても俯瞰する能力が高くなると、その隠して置きたいとする真相が自然に心の視界に入る様になる。
暴走族が警察を憎む様に、先生や親、そして社会を憎んでいる人達がいる。注目されない人達だ。今の競争社会は負けた人に怨念を持たせる。そう言う人達は、それらに反抗するだけで何某かの喜びを感じる。正義が正義と言うだけでもうそれが嫌いなのだ。そしてストレスだらけだ。人生は惨めで自暴自棄的にもなっている。そう言う人達に、先の麻薬報道と映画は如何作用するだろう?そう言う人達の脳内で、如何情報が合成されて描かれる事になるか、そのサブリミナル効果を考えなさい。
危険を冒すだけの価値・高価格から感じる価値・取り締まられても密売されるにはどんなメリットがあるのか?快感らしい・ストレスから解放される etc.
自分を愛せない人達にはとてつもなく興味が湧く様に訴えているね。変な情報、自分をダメにする情報に関心が湧く。そう言う人は「それを本当は知りたい」と言う感じを普段から繰り返す。それは無意識に力を育てる。だからそういうモノに縁が生じたら、頭ではいくら禁止されているいけない事だと知っていても、潜在意識がそれに手を出してしまう。自動的に為される情報の合成・・・何故そうなっているか、何故情報はその様に流されているか考えなさい。問題解決は総て、原因を見極める処にある。世の中の構造を見抜ける眼を育てなさい。解ってて仕向けられていると気付きなさい。
人々に建設的なビジョンを与えなさい。そしてそうしたくなる様に仕向けなさい。それに付いていつも考えていなさい。「人は如何したらそうしたくなるか?」
知性の低い人は、ニンジンや飴をぶら下げてもそれが直ぐには見えないとも心得ていなさい。だから、その人にとってのニンジンを発見しなさい。
自分を愛する事を教えなさい。自分を責める事をやめさせなさい。そしてここが重要な事なんだけれども、「〜せねばならない」の更に奥に隠れているプレッシャー「成らねばならない」を取り除いて上げる事。その心的態度は、真に為すべき手前の一歩を実践しないまま、結果を変えようとしているのだ。解るかな?原因にでは無く、結果に着目していると言う事。それ故に、無駄な心労を敢えて作り出し、それに挑んでへたばっている。誰もその愚に気付かない。「やりたくてする」の準備が無い。
自分のすべき事と、潜在意識の役割を取り違えているのだ。この単純な原理に殆どの人が気付かない。原因に着目しようとする心的態度が無いからだ。それは社会からの洗脳の一つだ。人々はまずブレーキを作り出して、それから事に挑もうとしている。だから自然に小さく自滅するのだ。事の一つ一つは実に小さいが、人生はその集積体である。歳を重ねるほどに可能性を感じ、夢や希望が膨らむのが本当だ。
「〜せねばならない」「成らねばならない」は傍目には立ち向かっている態度の様に見える。すべき事をすれば結果は出る。しかし心的態度は分離を向いている。言葉はあるニュアンスを指し示す道具に過ぎない。それが如何用いられているかという心的態度が判る様に成りなさい。人によってはその言葉で心的態度が統合を向いている事もあるからだ。言葉を通して相手のbeingを感じる事だ。「貴方なんて嫌い!」と言って「好き」でたまらない事を表現する事も有るでしょ。
「成る」為に出来る事・・・真に為すべき事は「成る」手前の一歩を実践する事・・・自分に出来る事は理を理解する事とアファーメーションとビジュアリゼーションのみである。行動すらそれが正しければ、「やりたく」なって勝手に「動き」が起こる。そうするとすべき事を行動に移すに我慢を自分に強いる必要は無い。顛倒夢想による弾き返しの原理を知らず、イメージ形成が不十分なまま行動を強いると99%の弱者は間違いなく自滅する。だから、理をしっかりと理解したらアファーメーションとビジュアリゼーション・・・それが自分が蒔ける種である。それ以外は出来ない。意志の力で我慢を強いて事を成就させた暁には、その裏に必ず反作用的なモノが同時に育っている。成長と実りは自然の働きだ。その結果、如何「感じる様に成る」かは潜在意識の仕事なのだ。顕在意識と潜在意識の役割分担を間違えない事。結果が如何なるかと言うのは向こう側の勝手、向こう側の仕事。但し、蒔いた種は正確に実る。それが法則。マスコミは人々の心に勝手に変な種を蒔く。
ここは読み過ごさない様に、特に心して深く読み込みなさい。「成らねばならない」では無く、「そう在りたい」からスタートさせるのだ。君自身もそうだ。「成らねばならない」の命題が使えるのは、「真に為すべき手前の一歩」を真に心得ている人だけであり、そう言う人だけがそう言う種の「想い・感じ方」を使う事を許される。
「信じよう」としている時、それはdoingだ。「信じられる」になった時、それはbeingだ。その「感じ方」の違いに気付いていなさい。「信じよう」としている時、それはその裏に猜疑心が潜んでいる。それはまだ理の理解が不足しているのかも知れない。権威に縋(スガ)って責任転嫁しているのかも知れない。その心的態度でdoingに励むとその裏に逆さまのモノを形成する危険がある。潜在意識は「信じられない」と言っているのである。「信じられる」時は安心だ。潜在意識は「引き受けた」と言っている。だから感じ方を観察する事で、潜在意識が如何いっているかが感じ取れる眼を啓きなさい。
将来ビジョンを描く能力を育てるには。
何を願望するか?そして何処に辿り着くか。そしてそれは何の為に?
・・・発想や質問次第で人生は自由自在になる。正しい質問を持つ事。教えられないから気付くと言う発想を持つ。
その為には、普段から様々な必要分野に於いて「物事は本来如何在るべきか?」と自分に問い続け、そこで見えて来た「在るべき姿」をイメージする。
人類全体が満たされ幸せになる状態から何が必要か因数分解して行くのだ。
そして、最初から人に教えるという発想で学ぶのだ。
すべき事をするのが君の仕事、変容は潜在意識の仕事。結果を出すのは宇宙の仕事。
ストーブに燃料を入れて、点火するのが君の仕事、部屋を暖めるのはストーブの仕事、部屋が暖まるのは単に物理法則だ。
ここを皆、捉え間違えているので人々は自ら苦しみを作り出している。結果ばかり見ているからだ。
「人事を尽くして天命を待つ」でいいのだ。尽くせる人事に納得が在ればいい。では何を如何尽くすか?・・・だからいつも研究心を持って「探す・調べる・工夫する」だ。
普段からの準備なのである。
そして、人の役に立ち慕われるリーダーと成る為には不労所得が必要。またしたい事そのものが利を生み出しているならそれもいい。
人が悩んでいる処、困っている処にそれを解決する何かを見出すなら、それがチャンスとなる。コンテンツと言うモノは本来人を救うモノだ。問題を解決に導くコンテンツを作り出しなさい。それは人を助ける事になる。そしてそのコンテンツに作業をさせるのだ。そして君は、君という人間が手をかけなければならない事のみに専念する。知識の伝達はコンテンツが十分役割を果たす。君は、その部分はコンテンツに任せ、応援したり微笑んで上げる事だ。それはコンテンツには出来ない。
今はネットの時代だ。高校を卒業したら、コンピュータであれリアルであれ、労働以外に「仕組み」が利を作り出す事を考えなさい。人の役に立つ事でこそ、利というモノは生まれるし、そうでなければならない。投機などのギャンブルは、経済効果はあっても世界に利を生み出しているとは言えない。誰かが得を取れば誰かが損をしているからだ。人の役に立つ人間に成りなさい。
先日、お父さんの友人がお父さんの先週の講義をYouTubeにアップしてくれたんだ。マクロビオティクの国際的な指導者、岡部賢二先生とのコラボ講演だったんだよ。場所は、地球役立隊のライサスペース(宇部市)。
演題は「幸せ回避症の原因」
人生の オートパイロット(自動飛行)機能 と 顛倒夢想
http://www.youtube.com/watch?v=TShwjmcow18&feature=youtu.be
なんと、話のネタは、実は君にメールで送ったこのメッセージからだったんだよ。テキストもね。
お父さんが君に贈ったメッセージ、ここまで書いて来て、これは人類に必要なメッセージでもあると考え始めている。
だから君にこのメッセージを書いている内に気付いたんだけれど、今、これを元にこのメッセージを普及して下さる講師をこれから募集しようと考えているよ。
みんなが喜んでもらえるモノになって欲しいなぁ。
学校の先生って、人口比でどれだけいるだろう?それを考えると10000人でも少ないくらいだと思う。
このメッセージに、愛お姉ちゃんは絵が上手だから挿絵や解説図を書いて貰おうね。空ちゃんからも頼んでね。祐兄ちゃんには作曲を頼もう。中三の智には高校生活の素晴らしさを今の内に話してやってくれ。志津江母さんとはまた新婚旅行に行かなくちゃ。
エデンの園に帰り着く。
言葉の意味や概念をより深く捉えよう。
未来に羽ばたく君に贈るに戻る
レターページテンプレートに戻る
「親父の高校生の息子に伝えたメッセージ」 講師募集