「弱者の成功戦略」から次のステップへに戻る
                                           親父が高校生の息子に伝えたメッセージに戻る
 

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足

 

 

言葉の意味や概念をより深く捉えよう。

説明自体が円錐螺旋型回顧的理解に応じる必要が有り、そこで用いられる概念が他の概念とフィードバックし合って認識は成長する事に注意。

故に、発展箇所に「→★」を置いておく。詳細は省略しているが、そこから別展開出来ると言う事だ。

概念は有機的に結び付き、また関係し合っている。その一つの概念は他の99の裏打ちや概念によって支えられている。そしてその一つがまた他の概念を支える99の内の一つになっている。ただ知識を知識として知るだけではなく、その関係性を掴みなさい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.10.01facebook投稿

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 01

・・・・・・・・・・・

カンファトゾーン comfort zone

・・・・・・・・・・・

人はそれぞれに自分のカンファトゾーンがある。

居心地のいい状態・・・それが如何いう状態になっているか、自分のそれを見直すのに環境面と心理面から考えて見る事は価値が有る事だ。

何故なら、誰も深く考えようとしてないが、それ自体が成功や幸せの培地となるか、失敗や不幸の培地と成っているからだ。「培地」って解る? 菌の実験・観察をするには、まず菌を培養する為にシャーレの中に寒天培地を用意して植え付けたりするよね。そこで菌は繁殖する。文章を読み込む時は、語彙の定義をはっきり掴む事が大切だ。語彙の定義や意味が曖昧なまま読み進めてはならない。何となく分かっていると言うのもダメだ。分からない言葉、自分で説明出来ない言葉に出会ったら、何となく聞き覚えていて知ってる言葉だと思っても、必ず辞書を繰る事。そしてそれが癖になっている事だ。曖昧なまま放って置けない感じ方が自分に在る事が重要だ。→★言葉の一つ一つを大切にしていると、何が解らないかが解る様になる。言葉を大切にしていないと、何が解らないのか分からない状態に陥る。

成功または失敗の培地と成っている・・・それは単なる意味の説明や定義を超えた、それが作用している次の次元だ・・・この理解はいいかな?この表明の仕方に要注意。 ここの理解を等閑にしていると、カンファトゾーンの定義や意味だけを聞いても、それが真に意味する処のモノ、また作用として顕われるモノを取り逃がすので注意が必要だ。辞書でただ意味を調べても、普通「ふーん」だけで終わっている人が殆どだと言う事。その作用にまでは思考が及ばない。それでは知識が役に立たないし応用も効かない。

 

ある事やある状況は、人によっては居心地がいいが、人によっては居心地が悪い・・・まず、その違いから見ていこう。

潔癖症の人とゴミ屋敷の住人・運動嫌いなデブとスポーツマン・働き者と怠け者・社交的な人と引きこもり etc.

それぞれが対極的な事例であるが、その様な状態になるにはどんなプロセスがあるか、またその様な状態に在るには普段の生活状態がどの様なモノであるかは誰でも推測出来るだろう。じっくりその原因を想像してごらん。如何してそう成っているのか? そこでどんな状態を繰り返しているのか? 皆、個人の自由な選択によってそう成っている。一つ一つをイメージしてごらん。

 潔癖症・ゴミ屋敷の住人・運動嫌いなデブ・スポーツマン・働き者・怠け者・社交的な人・引きこもり

では、それぞれがその反対側の立場に置かれるとするなら如何だろう? その一場面をそれぞれに想像してごらん。それがムリに強いられるとするなら、それはその人にとって大変な苦痛を感じるに違いない。

人はそうである事が平気な状態、また、そうしないではいられない処に落ち着くモノだ。その落ち着いている処がその個人のカンファトゾーンだ。そしてそう在るのは総て個人個人のマインドセット、心構えによる。それは「感じ方」、心理面のbeing の表出だ。

 

考え方や感じ方にもカンファトゾーンは存在する。そう考えていたりそう感じていると居心地がいいモノ。或いはそう考えていないといられないモノ。・・・それがカンファトゾーンか如何かを確かめるには、「反対側の考え方や感じ方を押し付けてみる」とシミュレーションしてみたら直ぐに分かる。

不平不満や愚痴を口に出す事が癖になっている人は、誰かに会うとそうしていないではいられない。人によっては独り言でも口に出す。そうしていると一時的なのだが安心だ。人を囲い込みたい人・支配したい人は、その相手を自由にさせられない。牧場の牛にして置きたい。それが可能なら一時的なのだが安心だ。

それを禁止されたり、道徳的に守らなければならないと考えるとそれは苦痛を感じる。居心地悪いと感じる。

同じ様に、言い訳が直ぐに口に出る人、必要な事を説明しない人、報連相が出来ない人、皆、その逆は大嫌いだ。また責任から逃れられるなら大安心だ。

自分にとって、本当は必要な事なのに解らない事が有っても放ったままで平気。探したり調べたりするのは面倒で苦痛を感じる。だからしないで済むのが安心。

耳に痛い話でも、人の話に耳を傾けられるか否か、出来る理由を自らの責任に於いて探すのが好きか嫌いか、問いかけに応えるか否か。

自分でもそう言う事例を幾つか挙げてみなさい。そうすると一般に、人々が如何いうモノをカンファトゾーンとしているかが段々解って来ただろう?

 

責任から逃れたい質になっている人は、真実を示されると自虐して開き直るかも知れないが、深い部分で絶対に自分の非を認めない。そもそも理を理解しようとする意志も知性も無い。Yes=「はい」と応える事に導かれる問いかけに答えるのは嫌いで、全く自覚無いままにタメに成る問いかけに自動的にスルーしている。それは既に、負のオートパイロット機能になっている。

教材プログラム等からの問いかけに答えるのを全く自覚無いままに自動的にスルー・・・こう言う癖を持っている人に気付いていなさい。

しかしこう言う人は、自分の嘘や虚構を合理化するのは大好きだ。それは強固な心の癖になっている。そして真実を見る事が嫌いだし、見ても聞いても証拠を突き付けられて示されても絶対に認めない。認めると努力しなければならないのは自分と言う事を薄々知っているから、認めるというそれはとても居心地が悪い。そう言うのが酷くなった人は「見る」と言う事そのものが出来なくなっている。そして自分の嘘や虚構を正当化してくれるモノを外部に求め続ける。カルトはこれを利用する。→★なんとカルトは心的病人のニーズを満たし嘘を守って居心地良くしているのだ。

また、人を虐めたり、人に意地悪や皮肉を言う事が居心地のいい人がいる。他にも高慢だったり、見下す事で優越感を味わおうとしたり。

心的態度が分離側を向いている人は、何とか努力をしないで成果が出る様にと常に物事を捉えているので、出来る人の欠点が見つかると喜ぶ。出来る人を引き下げて見る事で、「それが分かる自分の位置」を「相対的に上げられる」と錯覚を作り出す事が出来るからだ。実に、バリバリの分離側だね。

他にも言いだしたらきりがないほど色々有るが、この様にそういう考え方や感じ方がその人のカンファトゾーンとなっている。その様にそのまま在れるのは実に居心地がいいらしい。蛆とか、汚いモノの中でしか生きられない生物がいる。汚い培地、そこは彼らの天国だ。

今の感じ方や捉え方・・・それらは総て自動的に次の考え方や行動の選択の培地と成っていく。

 

また、その状態は嫌いなのにそうしないではいられないモノ、そしてそうなってしまう事の原因は大好きというのも色々とある。

劣等感を感じる事、自責・自虐の念を持つ事、嫉妬する事・憎む事、執着する事、デブである事 etc.

そう感じる事自体は苦しいし嫌な事だ。その状態は不快なので嫌いと感じる。誰もそんなモノは感じたくないとは言うだろう。だから、それが好きになっている、それがカンファトゾーンだと言われると反発したくなる。そんな訳無い!ってね。しかし「嫌い」としている対象をよく見る事だ。それは自分の感じ方に対してではない事に君は気付く事だ。何かがズレている。ここが解るとカンファトゾーンという概念の本質が解る。

そうしていないではいられないという事はそれが好きなのであり、そう在る事がカンファトゾーンになっているのだ。証明するのは簡単だ。何故なら、逆をさせられるのはもっと居心地が悪くて「絶対に出来ない」と言うだろう事からね。この理は実に明白だ。解るね? しかしここは要注意のポイントだ。自己変革・意識改革を求めるなら、ここは特に良く理解しなければならない部分である。好き嫌い判断の人は必ず多かれ少なかれ、この心的ワナにハマっている。ワナを抜けるには、とにもかくにもまずこの理を理解する事からだ。この感覚のズレが心の眼を盲目にしている。拒絶する前にまず言わんとしている事をしっかり聴き取る事だ。この理が理解出来、認められると自分のおかしい処が見えて来る。それは居心地が悪い。そこで居心地を良くしようとして人は二通りに分かれる。一つは聞いた事が不快をもたらしているとして認めず、その先を聞かずに逃げ出す。元の自分に戻る「砂漠のダチョウ」になる人だ。もう一つは理が理解出来たので、おかしい処の方を変えて正常化させ、居心地良くなろうと変容の道を選択する人だ。

 

ここで述べた好きか嫌いか・・・それは比べてみたら直ぐに分かる。この理の説明に反発を感じて、それは好きではない・それが好きだなんてそんな事は絶対ない、と断定するなら、その反対の立場が好きと言えるかね? それが出来るかね? と訊ねて上げなさい。まぁこの辺で砂漠のダチョウは思考をストップさせるがね。そして人間観察しながら続けて聞いてみる事だ。自分が嫉妬する様な状況を賞賛に置き換えられるか、憎い相手の為の幸せが祈れるか、と。反対側の立場を考えて見るといい、とね。すると直ぐに真実が解る。・・・とんでもない。この理の説明に反発を感じ、そして心理メカニズムを知らない人に出来る訳がない。その状況に対して劣等感を感じない様に、自虐しない様に、嫉妬しない様に、憎まない様に、執着しない様に、食い過ぎない様に、なんてとても出来ない。そんな事するともっと苦しい・許せない・絶対に出来ない等という感じが逆に強く出て来て、強烈に抵抗する事に成る。

ほら、どっち側が好きで、どっちで居たいんだろうね? だからそれが好きだと言う事が解るだろう? ならば「ホントだ、それが好きになっている」と事実なのだから認めればよいのに、認めない。事実の方を曲げようとするが事実が曲がる事はない。故に、自分の方のモノの見方や感じ方がひん曲がって顛倒夢想が出来てしまうのだ。この部分はそう言う質が有る人がそうと指摘された時、「そんな訳がない、そんなのが好きな訳がない」と強烈に抵抗する部分だ。

 

貧乏人は貧乏が好きと言われて腑に落ちないのと同じ。→★その状態が嫌な気分をもたらすから「自分はそれが嫌いだ」と信じるイメージ的結論→★になっている。よく見るとそれぞれにそれを嫌う対象があって、それが嫌いなのだ。前述の一つ一つの事例を確認してごらん。それをもたらす対象が嫌いなんだと言う事はこちらも解る。が、ここで問うているのはその「感じ方」に付いてであって、その感じ方をもたらしている対象ではない。その状況に在ってはそう感じる事が無自覚なのだろうが、大好きなのだ。しかし大好きだと言われる事自体が腑に落ちない。どんなに分解説明してその一つ一つのパートを示しても、理解しようとしない。好きだと言われる言い方が気に入らないからだ。泣く子には勝てないが、泣く子と同じレベルだ。理が通じない。こう言う人は理を理として理解出来る人の為の反面教師として存在して、人の役に立っている。自分が沈みゆく事で理の解る人に浮力をくれる。

まぁ、とにかく知性が無いと認める事が出来ない。認めん人は絶対に認めない。あくまでも好きか嫌いかの動物的感情判断だからだ。しかし、事実を観察すれば明白だ。在るがままをそのまま見るだけでいい。事実を在るがままに認める事は変容への第一歩だ。認めないと言う事は嘘を正しいとする事になる。それはそのまま顛倒夢想を育てる事に成る。

 

自虐の念を持つ人は自分を愛する事の方が嫌いだ。自分を愛するのは居心地悪いし、たまさか誰かに愛されるのもリアルでは居心地はいいのが許せなくなり、段々居心地悪くなって来てその破壊を狙っている。それは愛されれば愛されるほどだ。幸せになる事はそのチャンスを含めて、自ら培った顛倒夢想の量に比例して自らの閻魔様が取り上げる。顛倒夢想の量が多いと、幸せやチャンスを自ら気付かない内にタメに成るから弾き返すと言う事だ。そしてダメな自分に憎しみや嫌悪を感じているので、自分を適度に虐めていた方が居心地がいい。潜在意識には自他の区別が無いからね。そう言う感じ方になっている。きっと幼少時に刷り込まれた「罰を受ければ許される」とする変なイメージ的結論を持っていてそれをカンファトゾーンにしているのだ。でもそう言う事をすると結果はいよいよダメなので、益々自分が許せなくなり、自分に与える罰はもっと酷くなる。これはとてつもない悪循環を作り出す。これは神経症や統合失調者に限った事ではない。この理の実証の一例を見るに、程度の差はあるが、自分が「本当はこの相手は絶対に嫌い」と無意識が感知したからこそ、顕在意識では「好き」と感じて結婚すると言う事は世間を見てみると実に多い。→★そして殆どの人がそうだ。顛倒夢想と言うモノは、嫌いなモノこそ「好きだ」と感じる感じ方を出現させる。今この瞬間しか見ないと言う動物的視点しかなく、先々を見通して考えるという常日頃からの心構えが無いからだ。先々を考えた故の判断だったとは言うだろう。しかしそれ自体が顛倒夢想の判断だったのだ。

ビックリかい? 隠微な自己欺瞞の積み重ねの履歴は、この様な所で既に結果を出しているのだ。みんな気付いていないだけだ。この解説はとても面白いのでいつか話そうね。結婚を墓場にしない為のチエだ。今自分がそうでなくても世間を見渡す事だ。

 

そして、統合分離表はちょっとでいいから毎日見なさい。トイレとかに貼っておくといい。そして文字から感覚を呼び起こして意味合いを感じる事だ。如何いう状況でその感じは出て来るのか、想像力を逞しくして、書き込まれている単語の「感じ」を感じ取りなさい。ただ文字を見るだけで「感じ」を呼び起こしもせず、その意味合いを感じるのでなければ何も意味がない。センスの有無は、そういう感じるというイメージで決まる。

分離側の感じ方をカンファトゾーンにしていると、現実世界は、全くの意に反して地獄が出現して来る事になる。自己欺瞞の履歴はその量に比例して必ず自分の人生を裏切る。お父さんのプログラムはね、問いかけに素直に応答しているだけで、この感覚のズレを完璧にアジャストするんだよ。その為に大量の裏打ちが必要となるんだけどね。

 

そして良心が有る故に、もし宗教や道徳等で咎められ、自責の念や罪悪感を感じてそれを我慢して実行しようとするなら、創造エネルギーそのものを止めて、それをした事・出来た事にしてしまう。→★しかしそれは心が枯れる事を意味する。創造エネルギーを止めてしまったのでは解決にはならない。

他にも、出来る理由を探したり、問いかけに応えたり、自分の頭で考えたり→★、許したり、賞賛したり、自由を与えたり、愛する事→★は嫌いになっている。

考えるとは比較する事だ。そして真に得と成る「より質の高い方」を選択する事だ。「自分の頭で考えたり」とは、自分が出くわしたモノの「より質の高い方」を選択し続ける行為に他ならない。この言明は覚えておくといい。何度も復唱する事だ。比較し自分にとって為になる方を選択出来ていない時、「自分の頭で考える」は出来ていないのだ。比較出来ないとは、考える事が出来ていないとイコールだからである。「得する事の方がとれないというのはおかしい」という命題は、幼稚園の子供でも分かる理だ。その部分に何某か自分ではまだ未発見の顛倒夢想が隠れていて「真の思索力」というモノを邪魔しているからである。「得する」と見えないから得する方が選択出来ないでいるのである。しかしそう在る事が安心を覚えるのである。こうして人は自分に騙される。10日間世界旅行のギフトが当たったのに、何かを怖れて、こたつの中で寝ている方がいいと言っているのである。ギフトはパアになる。

 

考える事が出来ていないと指摘されて認める事が出来るかどうか、認めたとして、それでいいのかと問われたらどちらを選択すべきか。

人間の意識の進化はこの問答のパターンを繰り返すだけでいい。原理は実に簡単だ。よく読み返してごらん。しかし自己欺瞞人間は、この理を見る事が出来なくなる。そう成ったら振り出しから再スタートする事だ。小さな理を積み上げる処から再スタートする事だ。

自分が出くわしたモノ・・・それは意識向上の次なる課題として自分自身の潜在意識が必然的に引き寄せているのである。出会いは総て必然だからである。今までの自分の構築して来たモノ総てと比較して、その瞬間瞬間に質の高い方を選択する。そうでないと損だからだ。100万円の収入より5万円の収入の方がいいと言う人がいる訳無いのと同じだ。己の真実のハートの視点から視ると、真の満足はそちらの側にしか存在しない。だから、それが些細を積み重ねるという事だ。自分に正直に生きると言う事だ。そしてそれは価値が低い方は手放していくと言う事だ。その次元はもう、卒業したのだ。それが出来ない時それを執着という。分離の要素は次なる次元の喜びを教えない。ハートは3回まではその選択は「虚しい・後ろめたい」と微かなメッセージを送ってくる。一つ曖昧さを残しているとそれは3倍の嘘を作り出す。逃げ出すのは自由で有る。自由で在りたいとして逃げ出していくのだろうがそこは地獄の三丁目、心の牢屋なのにね。いずれ負のスパイラルに必ず絡め取られる。そして何が虚しいのか原因が分からないままにむなしさだけはどんどん溜まる。そうすると代償行為が必要になって来る。ハートの声を裏切るから、そしてまたエゴの声こそ自分の望みだと顛倒夢想がそう感じさせているだけなのにね。

 

様々な事例を統合分離表に当てはめて考えて見よう。また、統合分離表の一つ一つを見て、自分はどちらが好きになっているか、自分自身に問うてみる事だ。

統合側の要素が好きになっている時、そこは成功や幸せの培地だが、分離側の要素が自分なら、そこは失敗や不幸の培地となっている。

人の不幸を「飯旨」とか言って喜ぶバカがいる。「他人の不幸は蜜の味」と言う訳だ。「隣の家に蔵が建つ、自分の心に腹が立つ」ヤツもいる。感じ方が逆さまなので、それがどれだけ不健康なモノであっても不自然さは感じないし、そう思ったり考える事が居心地良く感じる。無知のカンファトゾーンとはそう言うモノだ。

統合側の質は人生の質を向上させるが、分離側の質とは、人生の質を下げるモノである。

 

分離側の質が好きになっているというのは、理の理解が真に無いというただそれだけの事である。気が付いたら改めればいい。問いかけられる事が嫌いになっていて自動的にスルーしている自分のbeing にまず気付き、それに答える事から始め、自分の頭で考えて理の理解が真に起これば、それが変容するに当たって我慢は一切必要ない。苦は全く要らないのだ。理の理解が真に起こっていないから真実を見聞きして錯覚の苦を感じているのだ。逃げるより、理の理解に勤しむ事だ。納得を早く掴み取る事だ。逃げても何処かで必ずそれはリアルな失敗を招く事を保証するだけ。良きイメージをしっかりと描き、「それが自分にとって利する真の理由」を自分が自分の責任に於いて自分自身に与える事によって、それは一瞬に変容する。→★出来る理由を探すとはそう言う事。

学び合う仲間を作って気付きを発表し合い、またディスカッションし合うのがいい。自分の見えていなかった処の発見が早まるからだ。

 

前向きな人、前述して来た様な分離側の質が嫌いになっている人・そういうモノに反発を感じる人は、その逆である事が居心地がいい。

不平不満や愚痴や言い訳を口にする事さえおぞましい。嫉妬なんて恥ずかしい。人の成長を喜ばないではいられない。感謝しないではいられない。常に目標に向かって前向きにチャレンジしていないではいられない。人間力アップの為の勉強(学ぶ事)をしないではいられない。勝気が強く、努力しないで負けるのが大嫌い。人が喜んでくれる事が大好きだ。またいつもそう言う事を考えているのが大好きだ。解らない事を放っておくのは気持ち悪い。

それがそうであるのは、それがその人のカンファトゾーンになっているからだ。この内面的なbeing のカンファトゾーンは、やがて外面的な生活レベルをアップさせていく。故に、カンファトゾーン自体のステージが時間の経過と共に向上して豊かになっていく。

 

前者を「分離の質のカンファトゾーン」、後者を「統合の質のカンファトゾーン」と呼ぼう。それは理解の為に便宜上分けるのであるが、実際カンファトゾーンとはこの混在だ。

まぁ、普通の人は、「殺人をしてはいけない・泥棒をしたら捕まるからしない」等のそこそこのカンファトゾーンで両者の均衡を低い位置で保っている。大方の人は常識がカンファトゾーン。多くの間違いを含んだままにね。常識っていつの時代も間違いだらけなんだよ。常識の間違いを知れ。→★

「分離の質のカンファトゾーン」は、その部分の統合側が嫌いだ。同じ様に「統合の質のカンファトゾーン」は、その部分の分離側が嫌いだ。

意識次元においての集散離合の法則性は、異質のモノと反発し合うからだ。同質のモノは引き寄せ合う。統合と分離の質は異質なので反発し合う。統合が分離に反発するのは何も問題はないが、分離が統合の質に反発や反感・嫌悪を感じるのは大問題を生じる事になる。如何してそう成るか、説明してごらん。如何いう質が如何いう質を嫌うのか・反発するのか、人に解説するつもりでしっかりと自分の頭でシミュレーションしてごらん。

 

更にそこを詳しく見てみると、「分離の質のカンファトゾーン」は分離の質を拡大し、その部分の「マイナスの意識の力」を強め、統合側の質を問われる事を排除し続ける。その結果、現状を依怙地に守り続ける事となり、変らない・変れない、その結果、将来、生活や人生の質は下落するのみ。

リミティングビリーフ、つまり自分の信じられる限界点を超える目標設定とは、統合側の質が問われる事だ。故に設定された目標は自動的に排除される理となる。ここの処は、しっかりと行間を読み取りなさい。・・・それは、頭で目標設定するだけで、潜在意識にはそれを破壊する命題が同時にセットされる事になるのだ。しかし、この同時セットされるマイナス側の命題は無意識なので誰も気が付けない。弾き返しの法則。→★これが成功や目標の成就を妨げるマイナスの意識の力の正体だ。そして三日坊主の原因。

為になる話や人の失敗談も、自分には関係ない他人の話として、「聞いていても聴く耳を持たない」ので学びとる事が出来ない。「聞いている」スタイルを見て、聞いているんだなと、騙されてはいけない。実は「聞いている」のは自分自身をも欺くフリであり「聞いていても聴いてはいない」。こう言うタイプは、問いかけに応える事に恐怖がある。そして自主学習的な事で有っても応える事を避けて通っている。→★それはいつも「何か言われるんじゃないか」と怖れ、ビクビクしているので、「聞きたくない」という感じを山の様に繰り返した結果である。なんと、変なデバイスを組み込んだもんだ。そう言うタイプは、音声プログラムなら人から聞けと言われるからただ音声を流しているのであって、傍目に「聞くというスタイル」に素直に従っているだけだ。聴いて等いやしない。騙されてはいけない。→★

結果の原因は、その前の原因の結果で、その結果の原因はそのまた前の原因の結果で・・・と言う具合に果てしなく負のスパイラルが続いている。

 

「統合の質のカンファトゾーン」は、統合の質を拡大し、願望を育む培地としてその部分の「意識の力」を強め、更に97〜98%無意識で働いている自動サーチのオートパイロット機能がチャンスには「ハッ!」と顕在意識に気付く様に仕向け、分離側の質に付いては排除し続けるので、カンファトゾーンのレベル自体が向上する。やがて、リミティングビリーフを超えて設定されていた目標も、レベルが上がって来たその範疇に取り込まれ、それは自然な事として成就する時が来る。

 

カンファトゾーンの範疇での目標設定は、両者共に内から抗うモノが出る事はない。それは共に「出来る」と信じられる事だからである。

しかし、リミティングビリーフを超える目標設定をした時にカンファトゾーンの「質」如何でその目標を排除するか、成就に導くかという差が出るのだ。

さあ、どちらがどうかな? ここの処が人に説明出来るかな?

 

「分離の質のカンファトゾーン」は無意識レベルで顛倒夢想に支配され、それ自体を更に拡大する培地だ。逆に「統合の質のカンファトゾーン」は直観的判断力を更に育てる培地になっている。どちらの培地がいい?

「分離の質のカンファトゾーン」が何故居心地がいいと感じたりするのか良く理を考えて、その本質を見極める事である。それは自分を間違いなく不幸に導く。美女と思って骸骨を抱きしめているに等しい。それは知性を働かせず短絡的に、今目の前の楽を取ろうと動物的視点で見るという心遣いの結果だ。感じ方というモノは反復に因ってより強固に育っていくと知るなら、その反対側の感じ方が重要だと言う事を3倍の量を以て反復し続け、潜在意識にしっかりと教え込めばいいのだ。感じ方が逆さまなので嘘の様に感じるし多少時間が掛かるがね。しかし真の損得で考えられるのが知性というモノだ。智を働かせ、ルール通りに潜在意識の「感じ方」というモノを手懐ける事だ。それをするのが人間だ。いつまでもサナギのままでいると、菌や寄生虫に寄生される事になる。

 

人間として時間の観念を持つなら、その選択が将来如何いう結果を招くかを考える事が出来る。原則・法則からその因果をしっかり見つめ、見通しなさい。

失敗して叱られる→動物人間はただ嫌だと感じて逃げようとする。結果、成長はなく何も学ばず更に逃げ出したいとする分離意識を強めるだけで終わる。

失敗して叱られる→統合人間はこれは向上のチャンスだと捉えて、人の話を聞き、自らを改める意識を持つので学び成長する。人に信頼される人間に成って行く。

自分は、どちらが居心地がいいとするカンファトゾーンになっているだろう?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.10.04facebook投稿

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 02

・・・・・・・・・・・

顛倒夢想(てんどうむそう)

・・・・・・・・・・・

これは般若心経のなかの一節だ。遠離一切顛倒夢想究竟涅槃(おんりいっさいてんどうむそうくきょうねはん)と読む。

意味は「一切の顛倒夢想から遠く離れたら、究めた最高の心境は涅槃ですよ。」と言う事だ。涅槃とは苦しみの一切発生しない境地・心境の事だ。あの世の事ではない。まぁ、死んだらもう肉体の苦はないから、生きて苦を超越出来なかった人達は死んだら楽になると考えて、死後を涅槃と捉える様になったのだろうが、それは大間違いだ。釈迦は人間の死後云々を説いてはいない。時代の経過と共に、覚者・賢者の真理表現の真意はズレ、変な解釈が拡大し、大手を振って横行して行く。→★閻魔様も地獄界も畜生界も天界もね。

 

苦しみというモノに付いて、釈迦は8つに分類している。時々、四苦八苦と言うでしょ。「あ〜大変だった、しっくはっくした」ってね。その語源はこれだ。

最初の四苦とは「生老病死」。そして後の四つは「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」。生きる苦しみ・老いる苦しみ・病む苦しみ・死ぬ苦しみは説明の必要は無いだろう。その他にも四つの苦しみがあると釈迦は分類した。

愛別離苦(あいべつりく)とは、 愛する者と別離する苦しみ、・・・生き別れ死に別れ。辛いねぇ。

怨憎会苦(おんぞうえく)とは、 怨み憎んでいる者同士が会う苦しみ、・・・戦争がそうだろうが、家族でこうなったらもう地獄だね。

求不得苦(ぐふとくく)とは、 求める物が得られない苦しみ、・・・モノでも恋人でも。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは、 五蘊(色受想行識=肉体・感受作用・表象作用・意志作用・認識作用=人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ。

 

で、この八つの苦が生起しない状態が涅槃だ。涅槃とは一切の苦しみを超越した心境だ。意識は因果に覚醒しているので苦の原因となるモノを一切積む事がない。そんな状態・心境が在るとしたらそれは素晴らしい事だね。

その八苦が無くなる方法を、この経文のこの一節は明確に説いている。「明確に」だ。・・・遠離一切顛倒夢想究竟涅槃・・・分かるかな?

ここまで言われて「そうか!」が無ければニブい。ピンと来ないと言う事はニブい。だからお父さんの出番があるというモノだが。えっほん!(ロボタンの咳払い。知らないよね〜お父さんが6才の時のアニメだから。)

涅槃とは一切の苦が生起しない状態と説明した。するとこの経の一節の意味はこうなる。

「一切の顛倒夢想から遠く離れたら、究まる最高の心境は一切の苦が生起しないという状態ですよ。」という事だ。

言い換えると「総ての顛倒夢想から遠く離れたら、一切の苦が生起しないという最高の心境ですよ。」と言う事だ。

一切の苦が生起しないという最高の心境、そんな状態が在るとは素晴らしいじゃないか。是非とも生きている内に究めたいもんだ。

 

その前に、四苦八苦を現代語にして見ようね。じっくりとイメージしながら読んでごらん。

生きるとは、ただそれだけで結構苦しいしんどい事だ。歳を取っていくのは寂しい、シミ・シワ・ハゲ・たるみ、目はショボショボ歯もガタガタ、頭にはカッカ血が上るが下半身には力が入らずヘナヘナで足腰はなよなよ。ヨボヨボに成るのは辛い事だ。病に冒されるのも苦しい。不治の病は如何して起こるんだ? もうすぐ二人に一人が癌で死ぬんだって? 医学は一体何をしているんだ! そして挙げ句の果てには、人間は死んでしまうとはなんたる事だろう。死にたくない、死ぬのは嫌だ。自分はまだ楽しみを味わっていない、生を味わってはいない! なのに死んだらオレは如何なるんだ? 大好きな人と生き別れ死に別れなんて、身を引き裂かれる様だ。あぁ、あの人にまた逢いたい。けど、憎いあいつの事は思い出すだけでハラワタが煮えくりかえる。あいつさえ居なければいいのに。欲しくてたまらないモノはいっぱい有るのに手に入らない。失恋の苦しみもそうだ、諦めなければならないなんて、なんと情けない。胸は張り裂けそうだ。持ってるヤツが羨ましい。モテるヤツも羨ましい。ああ、それにしても何もかもが思い通りにはならず嫌な事ばかり、我慢させられる方にばかり事は展開して行く。くっそ〜っ! 一体如何したらいいんだ? 巧く行っている奴らみたいに、アイディアなんか、ちっとも湧いて来ねぇーっ。湧いて来るのはイライラと焦りばかりだ。ああ、将来が不安だ〜。

 

・・・って言う状態からこの経文の一節は、一切、解脱出来ますよ、と言っているのだ。それって如何いう事だろう?それは前述のイメージの逆でもある。

生きる事がエクスタシーに満ちて歓喜となる。老いる事にも重要な意味が見つかる。病は原因を知れば避けて通れる。死というのは生の一局面に過ぎない。永遠の生命の見地というモノがある。命と引き替えに出来る天命が見つかる。愛が集まって来て失恋というモノは存在しない。憎しみは消えて、愛が溢れる。欲しいモノは必要な事として引き寄せの法則が完全に働き、全て満たされる。人生総てが調和し、創造エネルギーが湧いて来て、何某かを為し遂げ、自分という華が開花する。四苦八苦が起こり来るその原因を根絶しているからだ。経の一節の逆に読むなら「顛倒夢想が色々な苦、四苦八苦を作り出している原因ですよ。」という事が解るね。

 

では如何すればいいんだ?・・・すると経文に書いてある。遠離一切顛倒夢想・・・「一切の顛倒夢想から遠く離れたら」つまり「総ての顛倒夢想が消えたら」と言う事だ。ここに、涅槃の秘密がある。一切の苦を超越する方法が書いてある。それは一切の顛倒夢想から遠く離れる事。・・・そうか! 総ての顛倒夢想を消滅させればいいんだ、と言う事になるね。そうすると涅槃という、一切の苦が起こり来ない心境になると書いてある。

では、脳回路から一切の顛倒夢想を削除する。それだけだ。楽になる説明原理は簡単だ。顛倒夢想を消滅させればいいだけだ。そうすると涅槃する。

 

で、理屈は解ったけれど、その消滅させるべき「顛倒夢想」とは一体何だ? お経の専門家の坊主なら知っているか?

 ../../../iiki8/hannya/15.html

色々ググッて見るといい。末法時代とはこの事だ。もう誰も正法時代に説かれていた真理表明表現の正しい意味が分からなくなっている。

困った事だ。釈迦の説いた真の意味を、もう誰も記憶している人が現代にはいない。変な解釈ばっかりで聞けば聞くほど訳分からなくなる説明ばっかり。

涅槃の意味もズレて来ているが顛倒夢想の真意は訳分からなくなっている。顛倒夢想とは一言で言えば「逆さま」。もうちょっと詳しく言えば「感じ方が逆さま」と言う事だ。表面的なそこまでは何とか意味が残っていた。でもそれが何を意味しているか、どんな作用をしているのかという事は完全に失われてしまった。

しかし、お父さんは失われていた真意を完全に復活させる事に成功したんだよ。「どうしてお父さん解るの?」 だって?・・・シャーリプトラに聞いたんだよ。シャーリプトラが誰かって? 手塚治虫の「ブッダ」を読めば出て来るよ。釈迦の智慧第一と言われた高弟だ。経文の中に出て来る「舎利子」だ。

 

「感じ方が逆さま」・・・それは如何いう事か?深く深く瞑想していくとその答えが見えて来る。まず感じ方が逆さまと考えられるモノを対比的に色々と心の中でどんどん描き出して見てごらん。人によって「感じ方」というモノは様々だ。「それ」が好きな人、嫌いな人。如何感じるかは総て個人の自由だ。自由・・・しかし、如何感じるかでその責任は問われる。感じ方は責任が問われるのだ。ここに気付いている事だ。

カンファトゾーンの解説の処でしっかりとやったから、感じ方は人によって様々だと言う事はよく理解出来たよね。「それに対してそう感じる」というのは総て自由ではあるけれど、それが自分の為になるかならないかと言うのは別問題だ。為になる場合も有るし、為にならない場合もある。

 嫌いと感じるけど為になる事 好きと感じるけど為にならない事

メッセージ07で示したA&Cの部分だね。図が頭に描けているかい?じっくりと復習しよう。そしてこれからはその眼を以て、人々が如何感じているか、また自分が如何感じるか観察するんだ。動物プログラムで起動している人は内から湧く「感じ方」に支配されている。人間プログラムで起動している人は、感じ方の形成原理である「植え方・育て方・強め方」を熟知しているので、好きな感情・為になる感情が湧く様に前もって環境や心遣い、イメージという種を蒔いて準備しているので、いい気分を味わいたい様に味わえる。それがスムーズに出来るのは顛倒夢想という邪魔が無いからだ。

 

自己欺瞞や邪悪性→★というのは、その積み重ねによってマイナスの意識として力を持つ様になる。それは結構激しい力だ。この心的な「力」を深く理解しよう。成功に導いてくれる「追い風」とは全くの逆向きの力だ。考えた事・感じた事は全て、その質が履歴として潜在意識に保存される。

悪魔とか魔物というモノは、単にその働きのシンボルだ。悪魔や魔物は神や光を怖れる。神や光とはこれまた、真実のシンボルだ。つまり、自己欺瞞や邪悪性と言うのは光、つまり真実を怖れる。本当の事を聞いたり見たり読んだりするのを怖れる。真実を認識する事を恐れる。真実を示され聞かされる事を拒否する。それは自己欺瞞が積み重ねて来た虚構が崩れるからだ。簡単に言うと、嘘がばれる事を恐怖するのだ。嘘が無ければ、何を恐れる事が有るだろう? しかしその嘘に投資してきたモノ・・・エネルギー、時間は余りにも大きい。その投資が一瞬でパーに帰するかも知れないという怖れである。失うモノは余りにも大きい。・・・本当は得るモノは有っても失うモノは何も無いのだがね。とにかく顛倒夢想は逆さまに感じる。

悪魔とか魔物と言う表現を活用するなら、顛倒夢想とは悪魔とか魔物の巣窟と言う事になる。それは無意識に潜む怪物だ。真実という光から隠れて直ぐにコソコソ闇に潜り込もうとする。ゴキブリやネズミみたいに。真実という光の中に居られないのだ。そういうイヤらしい魂になってしまったのだ。

 

顛倒夢想は、真実が嫌いで見たり聞いたりしたくない。認識したくない。そして、それこそが嘘だ、自分には必要ない事だと感じさせ、代償行為に走る様そそのかす。代償行為にうつつを抜かしていられるなら、それに注目しないで居られるからだ。認めんとか、頑固になると言う事は年をとってしまった、トウが立ってしまったと言う事だ。心が老いぼれ始めていると言う事だ。そして素直さを失った自己欺瞞人間や邪悪な人は、真実の提示を嘘に違いないと嫌悪を感じながら決め付けて、悪魔とか魔物の巣窟たる顛倒夢想の感じ方を信じる。

真実、そしてその解説・・・それは単に概念ではないか。そしてそれが嘘だと思うのなら、笑ってりゃいいじゃないか。ニュースで何処かの誰かが死んだと聞いて、一々苦しみますか? その類の話から逃げ出したくなりますか? いつも感情に抗うことなく、ちょっとは同情を感じながらも聞き流せているじゃないですか。ならば、一概念に過ぎない話を聞いて、何故嫌悪を感じる? 何故バカな話として笑えない? そして何処がバカなのか、ちゃんと説明すればいいじゃないか。ここがバカ臭いと。自分の事でなければ笑えるはずだ。そして自分に、ハートに正直に生きて来た人も大笑いするだろう。正に、この理の通りだ、と。自分とハートに正直に生きて来た人は、「正に我が意を得たり」と感じて、この理を多くの人に伝えたくもなる。

真実を示されて苦と感じる・・・それは当たっているという事だ。当たっているからこそ、それに薄々気が付いて逃げ出したくなるのだ。

 

何故、嫌な感じ・・・責められると感じる? 何故怖れる? それはハートが知っているからだ。それは正に自分の事だとハートは知っているのだ。自分が自分に嘘を吐き、それを合理化し、責任転嫁し続け、思い込む事によって誤魔化していたという事を。ハートは総て知っているから苦しくなるのだ。ハートは穢れを知らない。ハートは捻り伏せられていたかも知れないが、それでも真実の中に生きている。それがハートだ。ハートをマヒさせ、ハートを誤魔化していたから「嫌だ」と感じるのだ。真実を眩しく感じて恐れるのだ。選択は自由である。これからはハートを大切にして真実を求めるか、それとも否定する事によって今後も悪魔に魂を小刻みにして売り続けるのか。悪魔に魂を売ると言う事、否、それは自分がサナギから悪魔とシンボライズされた状態へ変容しようとしている姿である。悪魔は地獄への道案内人と言う事だ。悪魔・・・何と面白い表現を昔の人はしたもんだ。「働き」が正にその通りである。「マイナスの意識の力」の働きがね。

 

もし、それが嘘だというのなら「嘘である」と理論的に説明する事だ。出来はしないし、しようともしない。結局今まで通り、ただ単に動物的短絡判断の「好きか嫌いか」の「嫌いだから嫌いだ」という論理で決定している。この理を理解しようとする事そのものに脳はストップが掛かり、思考は自動停止してしまう。オートパイロット機能は既に「何が真実か」をキャッチしているからだ。顕在意識が理を理解する前に、既に排除しようとする力が自動的に働き始める。そして知性が無いので自分が何を選択しようとしているかの自覚も無く、溜め込んだ履歴のデータベース通りに従って、タメになるから自動的に退ける。あ〜あ、正にその姿こそが、理で説明されている通りを実証する。その反応的スタイルこそが、当理論の一局面の正当性の証拠を示すモノとして裏付けてくれる。二つの選択肢の内、一方を選ぶ人間はどんな人間かという事をね。そう言うタイプが、否定し、拒絶する事で益々当理論を正しいモノと証明してくれる事になるのだ。有り難い事だ。ただ、当の本人だけは絶対に気付かない。こう言うパターンを持っている人は結構多いからよく観察しなさい。

 

しかし、何故、抵抗しようとするのか? それは、自分が自己欺瞞を積み重ね続けて来た人間であったと言う事を認めたくない、という「真実を見ようとしないエゴ」が有るからだ。自分で「自分はいい子ちゃん」とし続けて来た虚構が何としてでも崩れるのを防ごうとしているのだ。

砂漠のダチョウの話も自己欺瞞を積み重ねているという話も、他人の話と聞いていたので笑っていられたのだ。世には色々バカが居るんだなと笑っていられたのに、突然、心の鏡・・・それこそが閻魔の鏡だ・・・その鏡に出会ってしまって、それは自分の姿だったと、ちらりと認識する。そこで慌てて、心を閉じる。「やばい、実にヤバイモノを見てしまったかも知れない」と潜在意識のマイナスのオートパイロット機能がサーチしたモノに薄々気付く。閻魔様と鏡はいつもセットだよね。神話のシンボルには色々と深みがあるもんだ。

 

この時、閻魔の鏡に映るモノ・・・それこそが、自分を磨き、削り落とすべき「垢」が発見出来たので喜ぶべき処である。感謝の質が真に身に付いているか如何かはここがチェックポイントだ。しかし、マイナスのオートパイロット機能は顛倒夢想が支配している故、逆さまの感じ方で、警告を発する。顛倒夢想の理解のポイントは「感じ方」が逆さまになると言う事だ。分かったツモリでいるのではなく、本当に理解する事。実際、逆さまに「感じる」とは如何いう事か?

ここでのそれは、本来「喜ぶべき処」「感謝すべき発見」を「嫌な感じ・責められる感じ・逃げたくなる感じ・他の何かが重要になって来る感じ」等を総動員して引き戻しに掛かる。錯覚の苦を生じさせ揺すぶりに掛かる。感謝の「か」の字も湧かせる事はない。イエスの「サタンよ去れ!」と言った事の意味も、プログラムやメッセージの随処にある「自分を責めない様に」というメッセージも綺麗に忘れる。そしてそれは「逃げ出せ、いつもの通り逃げ出せ、今までずっとそうして来たじゃないか、今度もすぐ、逃げ出せばいいんだ」と言う。これが力だ。しっかりと履歴として積み上げてしまったマイナスの意識の力なのだ。この力は分離側の心遣いや自己欺瞞を積み上げた量の多い人ほど強烈だ。そして、もしその声に耳を傾けでもしたら、チエの扉は内から閉じる。そうするとサタンの勝利だ。間違いなく、その内地獄へ案内してくれる。イエスでさえ、40日の荒野の行の時、とてつもない誘惑と共に引き戻しは来た。しかし彼はそれを振り払った。このマイナスの意識の力こそ、カンファトゾーンを超える願望や目標を阻害する力なのだ。タメに成るからダメになると潜在意識は信じてしまっているのだ。頭でしっかりと理を理解し、顛倒夢想が送り出してくる感情に騙され無い事だ。

 

潜在意識は自他の区別が無いので、過去、人を責めた履歴が、今度は、自分が責められるという感じを作り出す。理論や話が責めているのではない。自分が自分を責めているのだ。にもかかわらず、顛倒夢想は、今見聞きしているその理論や話が自分を責めていると捉える。捉え方まで逆さまだ。それも責任転嫁の癖の表れだ。過去の責任転嫁癖がそう言う顛倒夢想を育てていたのだ。隠しておきたいモノが真実の光に照らされる事に拠って、次々と閻魔の鏡に映し出される。閻魔の鏡とは自分自身のハートだ。自分自身がそのハートを通して、今の自分の実態の真実を見てしまったのだ。映画では、悪魔は光によって焼き殺される様な苦しみを味わう。真実の提示によって苦を感じるとしたら、貴方はいったい何者になってるの?と言いたくなるね。

タメに成る真実は、「分離の質のカンファトゾーン」にとって、実に居心地が悪いらしい。何故、削り落とすべき「垢」が発見出来たのに喜ばないのだろう? 喜ぶべき事が喜べない。寧(ムシ)ろ苦しみと感じる。感じ方が逆さまになっているとはそう言う事だ。顛倒夢想の「為になる事が嫌い」とはこう言う感覚なのである。知性の無い人は逃げ出して終わる。スピリチュアルな戦士にしかこれは乗り越えられない。

 

スピリチュアルな戦士・・・耳に痛いと感じても、その理を自分の責任に於いて理解し、認め続け、その逆のイメージや思いをインプットし続けて行くと顛倒夢想は縮小する。光に照らされ続けて行くと、悪魔が縮んで行くとイメージすると面白いね。丁度塩を掛けられるナメクジみたいにね。マイナスの意識の力積には、プラスの意識の力を注ぎ込めばいいのだ。それは対消滅して行く。後はそのまま、プラスの意識の力を育て続ければいい。

 

顛倒夢想の定義を復習してみよう。顛倒夢想とは何か?

それは、宇宙から観て・・・これは古今東西の賢者・覚者・偉人・成功者の言を基にし、歴史的検証に耐え得るモノかという言う事だけれど、自分にとって為に成るのに嫌いとか悪いと感じ、また、為にならずダメに成るのに好きとか良いと感じて、それが完全な固定観念になっている勘違いの感覚だ。言い換えると、建設的なのに嫌い、破壊的なのに好きと感じる感覚で、全くの無自覚。良いと信じて知らない内に自分に不幸を導く、本人には全く無自覚な「心の癖」。とんでもない事だね。それが普通、平均の人で200〜300個、心的な病を抱えた人は400〜500個位抱えている。

思い込み・イメージ的結論・無知・自己欺瞞・慣習・ドグマ・イデオロギーとか色々な形で潜んでいる。

それは自己投影・幻想・虚構を創り出す。良い事を始めたら引戻しの感覚に出会う。

無意識のマイナスの願望・幸せ回避症・不幸中毒という様子を示すので、法則原則を据えて見ていたらよく見えるよ。それはまるで閻魔様の眼だ。

 

宇宙観点からの「建設性と破壊性」という事に付いても少し説明しておこう。

宇宙には、そこに含まれるモノ全てに於いて、生成化育する方向性、宇宙秩序が存在する。そこで見出される、秩序である処の「理=ことわり」を真理という訳だ。真理とは法則だ。カルト教祖が言ったから真理という基準は間違いだ。それは古今東西の賢者や覚者が帰納的能力で見出して来たモノだ。

その秩序・法則性に従って宇宙は進化して行く。その生成化育する方向性は建設的であり、秩序から外れるとその状態の維持が不能となり崩壊するので、その方向性を破壊的という。

自分にとって真に為になるのは建設的方向であり、ダメになるのは破壊的方向である。宇宙秩序に沿っている時それは建設的であり、秩序から逸れて行く時、崩壊という形で破壊を招く。そして破壊されたモノは、より高次の次元に統合されるモノの素材になって行くと言う訳だ。

愚者の姿は賢者の学びの材料になる。「鶏口となるも牛後と成る無かれ」から「牛後」つまりしっぽならまだいいんだって。牛の尻尾に付いた糞屑なら如何するか? 牛の尻尾の糞屑は不況という嵐で洗い流され、業界の肥料になる、とランチェスター経営戦略の竹田陽一先生は言っている。→★

 

    ← 宇宙秩序 ←

統合 ← 宇宙の流れ・方向性 進化     分離

   より高次な状態へ ← 生成化育  破壊

 高エネルギー状態  ←  エネルギーの無い状態

秩序から外れたモノは素材に戻されて、再び統合方向に向かって進化を進める。

 

この辺をもう少し詳しく学びたい君のお友達の為に、ショートプログラムをプレゼントしよう。それは「感知プログラムとは何か」だ。

これだけでも結構タメになる。これはお父さんが40才頃の作品だ。

 ../../kanchitowananika/kachitowanani_6.html

ネットには無料でアップしているけれど、リアルでは6000円で販売しているんだよ。2時間テープ6本、12時間のショートプログラムだ。

この中にも参考事例が豊富にあるよ。

 

顛倒夢想・・・それを一切排除したら苦の一切生起しない「涅槃」という心境が訪れる。人間心理の至高の状態だ。人類は今、顛倒夢想に覆われている。それがあらゆる問題を作り出しているんだ。もうすぐ二人に一人が癌になると言われて久しいが、「ならばそう成らない様に真実を求めて準備しよう」とする人がいるだろうか? 自分に関わる事なのに探したり調べたりして準備しようとする人は殆どいない。何かを探そうという発想すら浮かばない意識状態にさせられている。これこそが「自ら独立して思索する能力」を失わさせられている結果だ。これを見ただけでも分かる様に、他の分野の問題も皆同じである。考え方を知らないと、考える事が出来ない。

しかしここに光明がある。「潜在意識の秘密を本当に知った人達」の出現だ。親父のメッセージ 06 で伝えたルソーの言葉は真実だ。「人間が潜在意識のメカニズムの真実を知ったならば〜」人々は如何行動し始めるのか?・・・それは、個人レベルで起こり来るあらゆる問題を解決する能力を個人個人が有している。真の人間性が開花してしまった羊飼いとして立てる人達だ。そしてそれだけではなく、その一人一人が、その真実を誰かに伝えないではいられなくなるという事だ。それは内から湧く衝動であり、愛のエネルギーの発露の結果だ。愛に目覚めた人は自然にそうなる。そうならないではいられない。故に、幸せのネズミ講現象が起こる。多くの真の心理メカニズムを解説した媒体が、覚醒した人達によって次々と作り出されるだろう。作り出すというよりは、湧いて来るのにストップが掛からなくなると言った方がいいかも知れない。そして人類の意識開闢の黎明期としての幕が上がる。数百年後、人類の意識の歴史は、「親父のメッセージ」出現の以前と以後という振り分けが生じるだろう。

 

その様な展望の中で、今我々が生きている内に達成すべき事も色々ある。GHQの戦略によって民主平等は良い事だという旗の元、日本民族はバラバラにされた。核家族化から始まって、今では家族がバラバラ、個人の頭の中までバラバラになって来た。神経症や統合失調症の増加がそれを如実に物語っている。我々に出来る事、それは我々の身の回りからそれを修復する事だ。それは仲間内からだ。そしてその為には、世代を超えた触れ合いのあるコミュニティーが必要だ。→★

それが現代社会は如何だろう。世代が世のシステムによって分断されバラバラになっている。幼児は幼児、老人は老人という具合にだ。世の社会システムは効率を考えてもいたのだろうが、返って歪みが出現し、その弊害の方が大きくなっている。みんな寂しくなっている。そしてもう子供が年老いた親を養う事は出来ない状態がやって来つつある。もう子供は親の面倒を見られないのだ。周囲を見回して、まずこの現実をしっかりと直視しなさい。で、如何する? 考えるんだ! 如何したらいい? だからといって、最後、年寄りばかりが収容される老人ホームに入ればいいのか? そこは年寄りばっかりだよ。多少の慰問がなんの慰めになる? 何が楽しい? 生き甲斐なんてありゃしない! だから今の内から、世代を超えた触れ合いのあるコミュニティーを作ろうと考えている。村でも大家族でもいい。心ある人達が心を磨きながらワイワイ暮らせる場所。同類親和の法則が働くから、真理原則に基付いて切磋琢磨し合う仲間が集まると、どんな楽しい集団が出来る事だろうね? 「なんでんかんでん村」酋長とかいいね。村長より酋長。酋長は皆に尊敬されるヒーローだ。当然、酋長はマスターだ。→★

 

しかし、今のままでは皆、如何なる? お上に頼れる? 今の社会システムは頼りになら無い。社会のセイフティーネットは崩壊寸前だ。今、我々が我々自身の手で、我々の為になるモノを用意しなければならない。また、年をとって自分は若者に何を教えられる? 大学で習う最新知識も30年経ったらもう過去の遺物の様なモノだ。しかし、経験を通して得たチエ。真理原則に基付いて磨いたチエは若者に尊敬される。マインドセット知識は永遠に古くならない。

 

実の親による子殺しのニュースが昨日も今日も流れている。なんと悲しい事だろう。児童相談所は引き受け場所が無くてパンク寸前だと聞いている。そんな子供をまず助ける窓口を作ろう。そんな子供達に潜在意識のメカニズムを教育しよう。真に役に立つ人間を育てて、覚醒した人間を世にどんどん送り出すのだ。年をとったからと言ってボケッとしているヒマはない。一緒に歌を歌ったり遠足したり、心の法則を教えたり。動物を色々と飼うといいね。女性だったら料理の仕方を教えたり。大きな庭に好きな花を植えたりね。ターシャの庭を造るといいよ。そんな中で幼い子供達の教育・・・素晴らしい仕事だ。子供達は一人一人が自分の潜在能力を知る様になり、希望と信念をもって社会に飛び出してゆく。正に遊びが仕事になる。夕暮れには大きな風呂でみんなでわいわいやる。大人はちょっと一杯やりながらね。皆、心からの絆で繋がっている家族だ。何と楽しい事だろう。思いやりと育む心で、夢と希望を語り合うんだ。想像しただけでワクワクするね。既に皆で5000坪のプライベートビーチは手に入れた。

 ../../haisetsuno-kagaku/Sunayoku_detokkusu/Nakisunade_sunayoku_detokkusu.htm

次はどっか渓流の傍に温泉が湧かないかなぁ。

 

老人は生き甲斐を感じながら若い世代と触れ合える生涯現役的な仕事が必要だ。引退して年金で余生を過ごすという発想がガンだ。生涯人の役に立つ事を考え続ける生き方が重要だ。従来の老人ホーム・・・人生観がバラバラの人間が一所に集団として集められても、心からハラを割って付き合えるだろうか、また楽しく暮らせるだろうか? オムツと痴呆が待っている老人ホームと、愛と友情と信頼と若者に囲まれて暮らす大家族村とどっちがいい?

そしてまた、正食を中心に考える病院が必要だ。それにはいよいよ君の力が必要だ。医者に成って真の医学を打ち立ててくれ。排泄の科学→★に基付いて「日本正食医師会」を発足するのだ。薬を殆ど使わないだろうから、従来の業界のやり方の中では儲からない。医は仁術だ。算術になってはいけない。現代の「赤ひげ」に成りなさい。君はキャラがとっても明るいから、パッチアダムスでも行けるカモね。知ってる?パッチアダムス。医療事業は儲からなくても、真実を訴える講演家になったら一回の講演料は35万、年100回の講演依頼という世界が展開するよ。コンテンツの作成は不労所得を作り出す。本当にいい事、人の役に立つ事を考えていたら収入なんて、気にする事はなくなる。

 

そしてそんな夢の様な所を、学んで潜在意識のメカニズムの秘密を知り、立ち上がってくれた人達を中心に各地に展開して行く。それは日本の人口の3%、400万人の規模だ。これだけのみんなが力を合せれば何でも出来る。世を覆ってる顛倒夢想を取り払い、政治も医療も教育もマスメディアも総て変えられる。そして、日本は世界の冠たる国になる。偉大な先達から受け継いだ我々の大和魂が世界を救済する。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.10.08facebook投稿

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 03

・・・・・・・・・・・

意識の力

・・・・・・・・・・・

理というモノは、それが目の前に在っても、それがそうだと教えられないと何も見えない。人は考え方を知らないと考える事が出来ない。意識の力というモノがそうである。意識の力・・・人はいつもそれに振り回されているにも拘わらず、それがそうと教えられなければ、そしてそれがどんなモノであるかと教えられなければ、その中にどっぷりと浸かって生きているにも拘わらず、誰もその存在に気付く事は出来ない。丁度、万有引力という概念をニュートンがリンゴの落下を見て気付く前迄は、誰もそれを認識しなかった様にね。

 

意志の力というモノは、その「強い・弱い」等の尺度で誰でも知っているが、意識の力と言われて直ぐに認識出来る人は殆どいない。「意識の力?・・・何それ?」ってな具合だね。しかし見る眼を以て見れば、それは厳然と存在している。今まで誰も明確に指摘しなかったから、誰もその様な眼で見ないので見えなかったのだ。しかし、その眼を以て見ればとてつもないモノとしてのその存在が見えて来る。それが一般ではまだ殆ど誰も認識していない「意識の力」だ。

意志の力に比べて、意識の力は「強い・弱い」に更に「建設的か・破壊的か」という要素が加わる。意志の力は刹那的だが意識の力は持続的である。それは内から働きかけてくる衝動や抵抗という力である。誰でも「そんなの、単に気分じゃん」と軽く考えている。誰もそこに深く注目しないが、君がそこに焦点を当てその重要性に気付くなら、間違いなく、幸運の女神が君に微笑み始める。女神の微笑み・・・それは何だろう?・・・重要性に気付くなら・・・如何いう事だろう?・・・チャンスは自らの意志で探し続けている人に発見される。そうでない人はチャンスが有ってもチャンスに見えない。一般に人は原因を見ようとする人と結果しか見ない人に分かれている。→★そう言う違いに気付いていなさい。このメッセージはそのリトマス試験紙として使えるよ。

 

話を元に返すが、意志の強い人、それは結構知らない内に育てた「意識の建設的な強い力」をバックボーンにしているのである。だから意志が続く。だから意志が強い様に見える。一大決心をして決めた事なのに、何をやっても続かない、意志が弱いと思っている人は、実は心のバックで、知らないで育てた逆のモノに乗っ取られているんだね。決意がスタートするその瞬間だけを切り取って見たら、意志の強い人も弱い人もその瞬間の決意の「強さ」はそんなに変らない。持続するかしないかの違いだ。意志が強く見える人は「意識の力」がそれを支え続けている。意志が弱く見える人はその支えが無いばかりか、それを阻害する力となっているかも知れない。

 

二種類の意識の力・・・自分の応援者として働く意識の力と、自分の邪魔者・阻害者として働く意識の力。前者は建設的だが後者は破壊的な力だ。

「すべき事・したらタメに成ると頭で解っている事」を目の前にして、どんな気分、感じ方が湧いて来るだろうか。その内からの衝動や抵抗が意識の力なのだ。そしてその「意識の力」は、如何して二種類に分かれてしまうのか、それぞれの、その成り立ちと働き・作用・性質を熟知しておく事が大切だ。それは目の前の「それ」がすべき事なら、抵抗では無く、「したくてする・やりたくてやる」という内から動かされる衝動や気分に切り替える為だ。頭で考えて抵抗や衝動というモノを制御コントロールする事は出来ない。しかし、期待する感じ方が涌いて出て来る様に、準備という形で種を蒔く事が出来る。その為に、その成り立ちと働き・作用・性質を知っていこう。

 

前者は、・・・自分の応援者として働く意識の力は・・・繰り返し望み、毎瞬決断し続ける「快を伴った願望」がそれを育てる。更に普段からの統合側での心遣いは、それを抱いた時に爆発展開させるエネルギーとして蓄積される。東洋哲学で言われる「徳」のエネルギーの事だ。成功者はいつもそのエネルギーに乗ってと言うか、突き動かされて事が進んで行く。イメージしてその中で解ったすべき事をやらないではいられない。じっと我慢してはいられない。それをしなくてはいられなくなるのだ。ここに注目する事だ。意志の力で頑張っている訳では無い。内からの衝動という強い力が湧く。そう言う事に似た現象を自分の中にも探してごらん。それをしないではいられないと感じ、その力に動かされて何か行動した事を。そしてその良き力を拡大し、使いたい処でその力が出現する様に準備するのだ。

それは総て自分の「捉え方」だ。すべき事を目の前にした時は如何捉えればいいかは分かった。出来る理由を捜し出し、楽しみを見つけ出す様想像力を働かせればいいと知った。しかし予期せぬ起こり来た事を如何捉えているか? この時準備が無いと過去の分離側的反応が自動的に出現してしまう。そうしたら元の木阿弥だ。

 

さあ、またマスターすべき次の次元が啓いた。さあ、如何捉える?予期せぬ事がいきなり起こり来たら? 立ち向かう勇者は瞬時に次の様に捉える。

 「それは一体自分にどんな学びをもたらすのか?」 「それから自分は何が学べるのか?」

「嫌だな」と感じると同時に今の命題に置き換える。それは瞬時にだ。そう言う事を覚え続けて置く事だ。反射的にそう捉え感じられる様、日頃からの注意と訓練だ。そう言う「感じ方」を無意識的有能→★にまで昇華して置く事だ。ではどうやってその様なセンスを身に付けるか? 準備の前の準備をしよう。

 

その為には、それ自体、瞑想の中で訓練すればいい。潜在意識は現実とイメージの区別が無いからね。イメージであってもリアル体験と同じ学習効果が有る。

 まず、過去の困難だった体験をイメージの中で再現・活用し、先の質問を自分にする。

 また、他者が出くわしている問題・難題を見聞きしたら、自分のイメージの中で活用し、自分だったら如何するか、先の質問を自分に投げ掛ける。

 そして「出来る理由」を探し続け、イメージの中でその解答を掴む。

潜在意識は現実とイメージの区別が無いから、一々リアルに体験した事で無くてもそう言う感性は瞑想中のシミュレーションで十分修得出来る。そして実際の現場でいきなり役立つ。体験も経験も無しにね。信じられないかね? でも本当だ。だから頭の中でしっかりとシミュレーションして置くのだ。リーダーと成る人間の頭の中はこうなっている。多くの人は、事前に「完成されたイメージ」が無いから、事が起こって慌てたり、上がったりして自分を失うのだ。想像力=瞑想に熟達するとはそう言う事だ。これは気付く人には目から鱗の言明だ。これは見逃してはならない重要な部分だよ。自分で考える・脳を働かす人には自然に出来ている事だ。ボンクラはそう聞いても相変わらず、脳内コマーシャルを見続ける。心的怠惰がもう性癖になっている。聞いた3秒後に忘れている。危機意識も何にもない。

 

偉大な成功者達は総て瞑想という習慣を持っている。瞑想という習慣を持たずして偉大になり得た人はいない。日頃からの、イメージでの危機回避や乗り越えるシミュレーションのストックは本当に役に立つ。これで想像力の奥義が少しは理解されたかな? また準備とはそう言う事だ。だから、そういう「もし」に対するイメージのストックを溜めなさい。脳みそは普段その様に使うのだ。妄想や脳内コマーシャルの傍若無人な闊歩を許していてはいけない。でもまず、こう言うテーマを常に覚え続けていられるくらいこのメッセージを何度も読み込む事が大切だ。準備の前の準備の、そのまた前の準備と言う事になるね。

 

そして、後者の「自分の邪魔者・阻害者として働く意識の力」は、普通一般では、普段からの諦めや不可能感、逃避癖やその他常時働かせている分離側の心遣いに拠って、既に相当量の履歴が力積として蓄積されている状態になっている。カンファトゾーンのレベルアップに付いては、いつでもスタンバイOKのブレーキだ。・・・ん? それって如何いう事? それは・・・「スタートしたら直ぐにブレーキを踏み込んで上げるよ、その準備はバッチリだ。」と言っているのだ。この種の意識の力は、目標や夢を描いたその時から、ブレーキまたはそれを弾き返す力として無意識に働き始める。

「捉え方」という事の重要性を理解していない、・・・というより知らないので、「すべき事」を目の前にしても「嫌だな」という捉え方しか出来ず、そう感じる事が潜在意識で如何なるのかなんて考えは全く発想すら無く、予期せぬ事が起こり来たら心的態度は逃げ出す事しか考えられない。我慢するか、逃げ出すか。学ばない人に他の選択肢は存在しない。その心的態度は益々顛倒夢想を育てるだけ。いつも逃げ出したいと感じて生きているので心的な準備等、何も無い。傍若無人な妄想の闊歩をいつも許しているから自分が無い。事が起こって只あたふたし、絶望を感じて直ぐに諦める。何も考えていないと言われるのはそう言う事だ。心的準備が無い。何の価値も生まず只時間の浪費となる妄想という脳内コマーシャルばかり見ている。

 

世間の自己啓発の世界やモティベーションの世界では、前者を潜在能力として扱って来たが、後者にはその名前もなかった。その存在すら知られていなかった。それを言語化したと言う事は大発見・大発明だ。この認識は個人から始まって、ゆくゆく人類の心の「在り方=being 」を根底から変える事に成る。これは何を意味するか?

 

「二種類の意識の力」と、その説明を詳しく聞いて、人は二通りに別れる。「ふ〜ん。で、それがどねぇっちゅうん。」とその先を考えようとしないし、考えられない人。普段から脳内コマーシャルばかり見ている人。こう言うタイプは現金か何かでも目の前に見せつけられないと価値を感じない人だ。今目の前のそれが将来如何いう価値を生む事に成るかという原因を見ようとする発想そのものが無い。結果しか見えない人だ。こう言う人で野心だけはいっちょまえに有るならば、詐欺師の描く射幸心や夢を煽る嘘のストーリーには「なるほど」と道理?を感じ納得するので、往々にしてカモにされる事になる。結果だけを、さもそれが直ぐに手に入るかの如く煽られると、何処に嘘が潜んでいるかなど見抜けない。日和見なので、将来枯れ木も山の賑わいとしての存在価値はある。

もう一方は、「で、それがそうだと如何なるか?」と、その一歩先を見出そうという感じ方が癖になっている人。物事を常にそう言う発想で眺めている。そう言う人は、原則からモノを観て予測しようとするので演繹的な能力が発達してくる。先を見通すので、今の「それ」がチャンスの種かどうかが解る能力が発達する。

 

前述の・・・この認識は個人から始まって、ゆくゆく人類の心の「在り方=being 」を根底から変える事に成る。これは何を意味するか?

このメッセージでのあらゆる呼びかけそのものを、単なる知識の習得ではなく、想像力育成のツールにしなさい。「呼びかけ」を利用・活用してその先を考えるのだ。お父さんはぎりぎりのヒントまでしか示さない。何故なら、リーダー候補としての資質「自分で自ら気付く高い能力」を内在させている人を捜しているからなんだよ。そう言う人はヒントだけで「何か」に気付く。ヒントだけで十分だ。少数だが感性の高い、真実を求めている人が居る。インチキな人間が直ぐ手段にする欲望のみをかき立てる様な煽りは返ってうさん臭い。またそんなのに煽られて動く様ではニセモノだ。カモにされるだけだ。守銭奴はより強力な守銭奴に騙される。類の法則が働くからね。

呼びかけのその先は、法則を通して自分で考え、想像の中に「何か」を見出し、そしてそれを掴み取りなさい。万物は唯心の所現だ。

 

エジソンは電球の設計図を一枚の紙に書いた。たった一枚だ。電球の設計図を書くのにそれ以上の紙は要らない。一枚で十分だ。しかし、その後エジソンは6〜7枚の紙に次の展開を書き付けた。「それがそうだとその次如何なるのか?」・・・みんなに受ける・認められる・必要とされる→大量に売れる→発電所がいる→電線が大量にいる→電信柱もいる→それに従事する大勢の人間がいる→店は夜まで商売が出来る→町が発展する→・・・彼はその一つ一つに準備して、そうして成功をつかんだ。電球を発明したと言うだけでその先を考える能力がもし彼に無かったなら、それをあざとく見つけ出すビジネスマンに買い取られて終わったはずだ。

その先まで見通す眼を育てる事。その為には正しい質問を常に自分に与える事。「で、それがそうだと如何なるか?」「何故それがそうだと言えるのか?」

そして、気付きを書き出すと言う事が重要だ。それを何度も見返す事で思考は整理され、イメージが明確化し、意識の力は育ってくる。

 

今までのメッセージで、この二種類の意識の力がどの様に形成され、そして如何働いているか学んで来たね。自分の応援者として働く意識の力は、直観的判断力を始め、やる気衝動として「統合の質のカンファトゾーン」という培地で育ち、自分の邪魔者・阻害者として働く意識の力は、顛倒夢想として「分離の質のカンファトゾーン」という培地で育つ。いいかな? いまの命題、復唱してごらん。その意識の力の形成のメカニズムが解ったので、良い方を育て、悪い方を削除出来る方法が理解された。それが如何いう技法だったか、説明出来るかな? 忘れていたらその質問を持って今までのメッセージをしっかりと読み返し読み込んでみよう。答えを取り逃がしているのだ。その時それが重要だという認識が浅かったからだ。もう十分人に説明出来るよと言えるならOKだ。

 

良い方を育て、悪い方を削除出来る方法が理解された・・・と言う事は、解った人から、そしてこの理を理解した人から、この概念は応用される事になる。応用した人は人生が大転換する。具体的に如何大転換すると言えるか、予測出来る事を創作して10例くらい上げてごらん。顛倒夢想というゴミ掃除が済んだ人達。夢や願望実現のブレーキを取り外した人達。夢を抱く想像力が解き放たれた人達。さてそんな人達は如何なると思う? 世間の巧くいっている人や成功者の存在をヒント・参考にするといい。さあ、君の想像力は何処まで展開するかな? 自分自身の頭で描く建設的な想像力が正しい意識の力を育てる事に成るんだ。しっかり想像しよう。真に人間が正しく自由になると言う事・・・。こう言う連想的なイメージ訓練をしていると、脳はそのパターンを学習し、何かを見聞きしただけで、自動的に良き連想が展開する様になる。それも意識の力のお陰だ。訓練で、この凄く便利な能力を獲得しよう。連想的なイメージで想像力を鍛える事こそ、人より一歩抜きん出る秘訣だ。

そしてこの理を理解した人から、この概念は応用される事になる・・・これは凄い事だ。如何凄いのだろう? そしてそれを先に実行した人達を見てその事実を知った人は如何なる? 自分もそうしないではいられなくなる。これは人類に意識革命をもたらす。さあ、ここで「更に」如何それが展開するかそのイメージを脳裏に描き出してそれを見てごらん。何故、そう言える? そしてエジソンの様に二次展開、三次展開まで想像し考えるんだ。成功曲線というのは二次曲線のグラフだよ。→★

 

成功者というのは、それで成功する遙かその前に、自分の想像の中でそれが巧く行っているのを「見た」人だ。凡夫は顛倒夢想や貪瞋痴慢疑見(とんじんちまんぎけん)→★という六根に邪魔されて良い事は何も見えない。目を瞑って見えるのはただの暗闇・・・。

つらつらと色々な事を前向きに想像していて、ある時それを見たその人は「凄い!」と思った。その「凄い!」はあくまでも想像の中でだ。そしてその想像の中でその素晴らしさを感じた。かねてからの「〜したい」と思い続けていた事に「出来る」という感じを感じ取った。想像の中で出来る理由が見つかったからだ。想像で体験し、その喜びを味わった。実にリアルにね。そしてそれはもうその人にとって確信となった。それが絶対に必要だ!と。潜在意識は現実とイメージの区別が無いからね。その人は、まだ他の人が誰も気が付かない内にそれが「凄い」と知ってしまったのだ。何故なら、自分の脳の中で見たからだ。そして既にそれが出来た時の「凄さ」を知っているので、どんな障害も乗り越えながら些細な事を積み重ね、すべき事をやった結果、実際にその「凄い」をリアル世界に完成させたのだ。周囲の人達はエンスージアズムの力で巻き込まれ、余りにリアルなそのビジョンを脳内に注ぎ込まれた。そしてそれ自体がその人達のイメージ・ビジョンと成った。そしてその人達も「凄い!」を感じた。彼らはマスターマインドと成った。→★エンスージアズムの力とは魂のこもった熱意という意味だ。

 

想像力というモノが如何に重要かが解るだろう? とてつもない影響を人に与える様になる。少しの空き時間を利用して、リラックスしながらビジュアリゼーションをする事を習慣にしなさい。それが意識の力を養う事になる。宗教的に言えば、それこそが祈りだ。祈りとは意識の力を養うテクニックだったのだ。特に「賞賛・感謝・愛・慈悲」について祈る事は大いなる意識の力を醸成する。それはイエスの使っていたテクニックだ。祈りとは神様に「あ〜してくれ〜こ〜してくれ〜」と乞食みたいにお願いする事ではない。お父さんの場合、リラックスとビジュアリゼーションはいつもペアだ。気に入った子が如何したら喜んでくれるだろう? と言うのも実にいいビジュアリゼーションだな。気に入られようと媚びたり諂(ヘツラ)うのではない。そんな必要は一切無い。ついでにいうと、「統合の質のカンファトゾーン」で育てた意識の力は、ただそれだけで異性にはもちろん同性にもとてつもない魅力と成るからだ。→★意識の力=エネルギーは人を引き寄せる。またそれは、邪悪な人→★をその人がそれと気付く前に退散させる虫除けスプレーみたいなモノでもある。邪悪な人と言うのは聖なるモノが眩しくて見られない質になっているからね。それは邪悪な人自身のオートパイロット機能がサーチした結果だ。

 

良き想像が自由に展開出来るというのも「統合の質のカンファトゾーン」で育つ意識の力が有ってこそだ。対象に対する鋭い集中力。そしてそこはインスピレーションやアイディアの源泉でもある。その培地を蔑(ナイガシ)ろにしていたのでは、良き想像もインスピレーションもやる気衝動も有ったものでは無い。

「分離の質のカンファトゾーン」は、目標や願望成就に必要なモノを顛倒夢想の感じ方でせっせと事前に排除し、アイディアや想像力なんて、猫のノミを潰すみたいにプチプチと事前に潰してくれる。みんな、そう成っていると知らないから、そんな状態になっているにも拘わらず全く平気の平左だ。例えて、買った新車に燃料も入れず、走らないからとトンカチで叩き回している様なモノだ。みんなが皆そうしている。だから走らなければトンカチで叩けばいいと思っている。しかし車はもう、ボロボロだ。「その今の状態」に対する真実からの認識が無い。それは丁度、動物園の猿山の猿が、自分達は人間に観察鑑賞される為に存在していると認識していないのとまるで同じだ。サルは人間に笑われている。人間はサルを見て笑って楽しんでいる。親は子に「ホラ、あれがおサルさんよ。こっち見てるでしょ。やーねぇ。エテ公と言うのよ」とかね。

また、封建制度で奴隷に生まれると「そうで在る事」が当たり前という認識で育つだろう。自ら独立して思索するなど程遠い、何を考えたらいいか分からない、集中力は無く注意散漫、何を想像したら良いかも分からない脳になる。しかしマイナスの妄想だけは幾らでも湧く様に成る。

想像からその先の良い事が見えないとしたら、もう相当に脳が化石化していると言う事だ。総て因果応報・自業自得の世界。そう言う人はお父さんの全プログラムで徹底的な意識と感じ方の再生治療が必要だ。→★真の自分自身を取り戻す為にね。

この例から、より高い認識というモノが存在する事を知り、そうなりたい・より高い知見を得たいと願望し、そう成ろうと努力しなさい。でないと動物園の猿山の猿になる。エスタブリッシュメントを超える視点を啓きなさい。意識というモノは何処までも高くなるから。

 

ところで、先の話の続きだが、「意識の力」という概念・・・ところが現段階では殆どの人はそれを知らないし、一回それを聞いたぐらいでは認識出来ない。と言う事は逆に、ここに真摯に耳を傾け、この理が認識出来た人にはとてつもないチャンスが有る。このメッセージは強烈に人を二分する。そしてその一方の人達がその認識を育て応用するなら、まもなく自身が二乗的な成功の成果を収める事に成るだろう。この理の理解とその理に沿ったイメージ訓練はとてつもない力を得る事になるからだ。もう一方は、運が良ければ遅れてスタートする。そう言う形で、この概念はこれから徐々に人々の間に深く浸透していく。

ところで、君が「人々がこの力に目覚める」その指揮を執る事が出来たら如何なると思う? 自分の頭で考えるのだ。一つ一つの理を積み上げ想像力を膨らますのだ。そしてその想像の中から「凄い!」を掴むのだ。お父さんの元から千、万、否、それ以上の単位で人を動かしていく真のリーダーが何人も育つだろう。お父さんには30年来の大きな大きな願望がある。叶えてくれるかな? 協力してくれるかな? それは、混迷に陥っている現代社会、そして人類を光明に導く真の志、真の大和魂をもった吉田松陰の様な人を100人育てる事。君にその一人になって欲しい。そして君のやりたい事をやるんだ。何度も萩の松陰神社や松陰の生家跡に連れて行ってただろう? そうする事でお父さん自身、その思いをずっと練り上げ育てていたのだよ。みんなは食堂で食う「うどん」に関心が有った様だったけどね。因みにお父さんは吉田松陰を育てた叔父の玉木文之進と言う訳だ。

 

君を始め、君が伝えた人の中から、ここのこの理が理解出来ると言う事は、数十万人、否、数百万人に一人の特別な存在として「選ばれている」と言っても過言ではない。出会いというモノは必然だし、出会いには責任→★が生じている。お父さんの現執筆段階では数千万から億に一人と言っても大げさではない。それをしっかりと自覚する様に。出くわした事には責任が生じている。しかしそれは言い換えると選ばれていると言う事でもある。選ばれているという自覚。それは持つ人だけが持つ認識。持てる人だけが持てる認識だ。それを自覚という。出くわした運命というモノに思いを寄せてごらん。そしてそれはどんな確率で出会っているのだろう? それも想像する事だ。そしてそれが如何凄いのか、一々言わなくても自分で感じる様に。それが自らの発想で解ったら「凄い!」が自分のbeing となるからだ。ここの件(クダリ)で訳解らずともドキドキした人は間違いなく選ばれている。それは潜在意識がオートパイロット機能でサーチしているからだ。自分でまだ気付いていない凄い資質がその人に在る。ここまで来て出くわした「何か」はまだヒントしか聞いていないが、潜在意識は完全に「何か」を感知してしまった。それが余りに大き過ぎる事なので顕在意識が付いて来れない。しかし、その内なる何かに触れてしまった。だからドキドキする。それは魂が希求していたモノだからだ。

「国家百年の計」を立てよ、と言われたら何を如何描く? それが直ぐに見つからないとしても、今からそう言う視点を持つ事が大切だ。出来る出来ないの前にまず考えるのだ。何が如何在ったらいいのか? 物事は本来如何在ったらいいのか? と。そしてそのビジョンを見た人だけが、そのビジョンが正しければそれが自分のモノになる。

今君の目の前に開けているチャンス・・・例えて金銭換算するなら、・・・これは高校を卒業し、大学に進学してしばらくした地点での、という段階の事として言って置くが、・・・今この認識地点に立てている君には、お金で例えるなら数十億〜百億くらいの価値が有ると言えるがそれが見えているかな?→★ 空ちゃんから聞いて知った君、君もだよ。

 

さあ、意識の力を養う訓練だ。それはいつでも何処でも出来る。日常起こり来る事総てを通して、直観的判断力として働く「意識の力」というバックボーンを持ちなさい。それを育てる意識を持ちなさい。そう捉えると、起こり来る総てがチャンスに変容する。起こり来ている事には総て意味が有るのだ。知性の無い人はその意味を取り逃がす。「難有り」それは即ち「有り難し」と言う事だ。「有り難い」と言う事は感謝出来ると言う事だ。「有ること難し=滅多にない」というわけで、物を貰ったり親切にして貰った時も「ありがとう」だが、それだけが有り難いのではない。これが真の日本人の感性だ。困難に感謝を覚える・・・それは何故か?

君は出来る理由を考えなさい。そう言う言葉を使いなさい。出来ない理由の発明発見はボンクラに任せなさい。彼らの出来ない理由は常にトラック一杯の在庫があって要らんと言っても直ぐに運んで来てくれる。ボンクラ同士は、それを売り買いしてストックをどんどん増やす。何せ意識次元は、与えた方も受け取った方も共に増えるからね。ボンクラにはチャンスだと気付く知性が無い。日常起こり来る総て・・・それがチャンスに見えないと言う事は、心的態度が分離側を向いている証拠だ。「総てがチャンスに見える。それは毎瞬毎にある。」・・・そう感じる・・・それがチェックポイントだ。ちょっとした空き時間を利用して瞑想タイムを持ちなさい。起こり来る事総てを楽しむ能力というのがある。→★

 

テープや音声ファイルを使っての学習による繰り返し巻き返しの反復の力は、考えながら聴く事で、認識の深さと意識の力を育てる。そして頭の中でも在るべき姿・良きイメージを反復しなさい。それがお父さんの様に「自動的である」と言える様になるまでね。賞賛・感謝の対象を捜し出し「感じて」それを心にいつも焼き付けていなさい。感じて居なければ殆ど意味がないよ。感じれば・・・それは「統合の質のカンファトゾーン」を育てる。

そして、ここで述べた「自分に問いかける質問」そのものが無意識的有能になるまで反復しなさい。質問そのものが無意識的有能になる・・・それ自体がまた重要な概念だ。それは必要な時に勝手に飛び出して来て的確なアドバイスをくれるアドバイザーの様な存在に成って行く。→★これが直観的判断力の一つだ。で、「自分に問いかける質問」って、どんな質問だったかな?

そう成るには思考と想像、ビジュアリゼーションの訓練に次ぐ訓練だ。脳がくたびれそうかね? とんでもない。一旦理さえ理解してしまいさえすれば、この様に自然に思考が流れる様になった時、脳はとてもリラックスする。ストレスが生じないからだ。この訓練に次ぐ訓練こそ面白いし、こんな楽しい事はない。適確なビジュアリゼーションは、潜在意識の側から「行動」させようと、向こう側から勝手に押してくる。この感覚を掴むのだ。これが意識の力だ。ここは重要な言明だ。この感覚を掴むと言う事。

この力の引き出し方の説明とその凄い働きをここまで受けて何もしないとしたら、もう頭がどうかしてると言える。向こう側から勝手に押してくる感覚・・・これが意識の力。それは良き衝動だ。内から動かされるので、「はい〜」という感じで動いてりゃいい。お父さんの執筆活動が正にそれだ。すべき事がやりたくて、しかも溢れる様に飛び出してくる。もう、脳の中が、アイディアのバーゲンセールみたいになって来る。執筆活動の他の局面にも、総て応用しているよ。動きたくなって動いている。君たち兄弟を見ていると、お小遣いを上げたくなるので上げる、とかね。

 

願望も毎日毎瞬、その成就のイメージを繰り返し続ける事に拠って育ち強くなる。子供は顛倒夢想も少ないが意識の力も直観的判断力も育っていない。それじゃダメだ。未熟じゃ困難は乗り越えられないし問題は解決出来ない。

困難より意識の力が強くなれば、それはもはや困難ではない。出来る人の話に耳を傾け、役に立つ話を見つけたら、自分の認識を広げる素材にしなさい。想像世界の素材にしなさい。このメッセージの文章の一つ一つをイメージで掴んで潜在意識に落とし込みなさい。落とし込まれたと確信を得るまで反復しなさい。

そして、意識の力の質と形成原理のメカニズムを知って、それを準備というスタイルで操れる様に成らなければならない。何度も言うが、その為にはまず在るべき姿をありありと想像する事。そして、・・・ここが重要だ・・・目の前の起こり来た些細な事を実践してみる事。もしかしたら、それが次のステージへのキーとして無意識がそれを引き寄せたのだ。それは目標とは何の関連も無い様に感じるかも知れない。しかしアイディアは実践してみる事。閃きを行動に移してみる事。普段からの良き心がけでいる自分の直感を信じるのだ。すると思わぬ処から次の次元の扉が開く。その時、した方が良いと分かっているのに臭う様に顕われる引き戻しの感覚に注意する事。その時こそ、頭を使って理で考えるのだ。一歩踏み出せばそのニオイは直ちに消える。占い師に頼る必要は無い。後から「これだったのか!」と言う事になる。自信はそう言うパターンの積み重ねで醸成される。

 

困難な状況を如何乗り越えるか、如何良き展開を図るか、そういうイメージを一々人から指図される事無く、普段から自分でストックする。それが知恵だ。それが脳を使うと言う事だ。自分で考えると言う事だ。普段から瞑想やビジュアリゼーションなどイメージを通して潜在意識に大量にインプットしておくと、それは必要な時に適当にアレンジされて必要な形で湧き上がってくる。その素材となるモノは周囲に幾らでもゴロゴロしている。イメージ訓練のネタとする困難な状況は、周囲の人達の失敗を観察する。良き展開は色々な人の知恵を拝借する。座右の書とすべき良書・ノウハウ本・セミナーなどね。

脳内コマーシャルを見るのが忙しい人は、この様なイメージ訓練をするヒマがない。

 

そして更に意識の力を高めるには、このメッセージの知識を友達と話題にしてディベート能力を高めなさい。一つの概念を選んで理解納得してもらえる様に話す事だ。根拠を添えて論理的に話を組み立てる。説得力を養う事は大いに自信を付け、意識の力を大いに高める事になる。

チャンスはそれが芽を出す前の種の地点で掴みなさい。そして、自分がチャンスを作って人に提供して上げなさい。→★

 

更に意識の力をパワーアップするには、人の意識の力も自分のベクトルに揃える事を考えなさい。意識は量→★の様なモノだからそれが可能となる。

人のして欲しい事・望んでいる事の解決の手伝いをする事だ。求めているモノを手に入れる知恵を届けて上げる事だ。そう言う様に心がけて人生を歩んでいると、みんな自分の応援者になってくれる。そうすると、自分一人では出来ない事がみんなの力で出来る様になる。

望みを同じくする者同士は集まる事だ。自分の必要は、法則原則を理解修得したら簡単に満たせる。したい事をするべきだ。それで個人は幸せだ。しかし世の中の必要を考えるならば、それは一人の力ではままならない。だから、世の中が「こう在って欲しい」と望みを同じくする者同士が集結する事だ。個人個人の個人的な必要は、自由に個人で満たしながら、世の必要はみんなで力を合せる。個人個人が如何在りたいかは自由だ。そしてそれは最大限尊重されなければならない。犠牲が有ってはならない。しかし、世の中がこう在って欲しいと言う思いは「潜在意識の秘密を本当に知ったならば」・・・誰かが良きアイディアを提案して、それが従来の物よりメリットがあるならそちらを選択するのは当然の事となる。ルソーの言葉が示している通りだ。それは一人一人が「考える」力を持ったからだ。そして法則に沿って生きるチエを獲得した者は、個人の望みや自由と世の中がこう在って欲しいと言う思いは全く矛盾を生じない。両立が可能である。むしろ「世の中がこう在って欲しいと言う思い」が実現した方が、より個人の望みや自由度が拡大すると気付いている。犠牲者はいない。究極の三方良しだ。→★

 

そして世の中全体の意識の力も見通せる眼を育てなさい。

今人々は、個人個人がバラバラに成る様に仕向けられている。人々をバラバラにしてコントロールする。集団化するとコントロールしにくくなる事を知っている。だから人々の間に疑心暗鬼や不信が湧く様に、そして社会が混沌となる様にマスメディアを操っておく。分かっててそれは仕掛けられている。エスタブリッシュメントや既得権益者がこのメッセージのアイディアを採用すると思うかね? それは有り得ない事だ。何故か解るかい? イソップ寓話の「牛とライオン」の話を思い出しなさい。

それを理解して自分の為に手を打つ事だ。周囲を守る事で自分が護られる。守った者が護られるのだ。それを守護という。そしてそれが十分可能である事を人々に教えなさい。自分一人を完全に救済すればいいのだ、と。唯一すべき事は自分自身を救済する事。自分自身を救済する為に人を助ければいい。真に人を助けるとは、チエを授ける事だ。釣った魚を上げるよりも、その人自身に魚の釣り方を教えて上げる事だ。

 

自分の為に手を打つ・・・それは潜在意識のメカニズムを真に理解する事だ。そして在りたい様に在る・成りたい様に成る事だ。法則に沿って欲しいモノを手に入れ、幸せになる事だ。それは己自身のイメージを操る事からスタートする。その為にしっかりと顕在意識を働かせるのだ。選択の自由の極意はそこにある。

選択の自由・・・解るかな? どんな感じ方で居たいか、その捉え方に選択の自由が有るのだ。分離側で捉えようと、統合側で捉えようと自由だと言う事だ。但しその選択には宇宙から責任が問われる。分離側を選択する人が多いぃねぇ。しかしそれは自分を大切にしない様、選択の自由が行使出来ない様に仕向けられているからだと気付きなさい。エスタブリッシュメントが真に良き情報を流そうとしていない事から気付きなさい。

世の中が「こう在って欲しい」と望む事・・・既得権益者の抵抗も数の力が克服していくだろう。既得権益者と言うのは大多数の犠牲の上に自分達の利益のみを存在させようとしている。それじゃダメだ。既得権益者自身、物的なメリットがあったとしても心の平安は無い。涅槃には拠り遠い存在に成って行くからだ。

 

昔、閨閥というのが在った。バカでも殿様の息子ならエラかった。それから財閥というのが出て来た。金を持ってる人がエライとされる時代だった。これからは意識の時代だ。誠と真の「智慧」で繋がる「閥」・・・智閥がスタートする。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.10.17facebook投稿

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 04

・・・・・・・・・・・

意識の力とイメージトレーニング(感じ方の目標設定)

・・・・・・・・・・・

お父さんの君へのメッセージが一般の方々へも広がり始めたよ。嬉しい事だしありがたい事だ。潜在意識の仕組みに目覚め、自らの手で真に幸せを構築出来る人が一人でも増えて欲しい。

そしてそのためにも君が、リーダーと成って人を助ける立場になった時、人が自助努力して、自分を助けようとするのに何処で躓くかを前もって知っておく事は重要だ。人は実に簡単な事を知らない故に見落としているモノだ。結果ばかり気にして、なかなか原因を見ようとしないからね。特に「すべき事」を前にして、そのdoing に入る前の思考段階で実に些細な要素を見落としている。しかし、知っていれば見落とさないで済む。だから一人でも多くの人に、何を見落としているか、まずはその理を知って欲しいと思っている。

 

今までの解説で、如何に「意識の力」というモノが重要か、と言う事が解ってもらえたと思うが、今回はその良き意識の力を速やかに育てる為に、ここの見落としがちな重要点を解説しておこう。これを見落としていると、幾ら学んでも、知識は身に付くが意識の力はなかなか成長しない。意識の力は知識量ではない。強いて言うなら「感じ方量」と言っていいだろう。特に人生を大きく展開する意識の力を付けるのは、理解を以ての責任を伴った「自分の意思で選択し肯定的に決断する事」を「感じる」質と量である。

先に行動を促す事によってこの感覚を理屈無しに修得させようとする試みは多い様だが、それは万人向きではない。巧く行くのは一部の人だけだ。多くの人は事前のbeing の設定が巧く行っておらず、それ以前の重要要素が欠け落ちている為に、失敗させてしまう事の方が多い。しかしこの仕組みが解れば、筋肉を運動で鍛える様に、心のバックから働きかけてくる「人生を啓く意識の力」を計画的に、そして確実に大きく強く育てる事が出来る。行動に入る為の決断というのはその次の段階だ。まずは大切な「質」を整えてからだ。まぁ、実際的には平行してても良いけどね。doing より先に整えるべきbeing が有ると言う事だ。

で、今回のメッセージは意識の力を育てる為に、一般に人が考えるその「すべき」doing に入る前のbeing に付いて解説する。ここで決意・決断という言葉が多く出て来るが、行動を促す事を指しているのではなく、捉え方という意識やイメージ段階での決意・決断だ。行動に対する決意・決断というモノは、ある程度そのbeing が整ってからの事だ。寧ろそれが整えば、行動に対する決意・決断は、自分の内から「したい・やりたい」が自然に出て来るので、すべき行動を目の前にして、改めて決意・決断する必要性など無くなっているだろう。

 

本格的な願望実現のビジュアリゼーションに入る前に、というか平行して実践した方がいいんだけれど、イメージトレーニングは何から始めるかと言う事だ。またビジュアリゼーションそれ自体を教えている既存の参考書なども大いに活用しなさい。映画「ザ・シークレット」などもお薦めだ。しかしここで解説するのは、願望や目標そのもののイメージだけでなく、そこに至る為に必要な、今はまだ未発達の「感じ方」の必要性に気付きそれを理解し、それを発達させる目標設定が必要だと言う事。つまり、得るべき「感じ方」の目標設定が必要なんだ。準備の為の準備だ。その「感じ方」を得ていないと、願望や目標を実現に向かわせる意識の力が内から働いて来ない。殆どの人がここを見落とす。必要な「感じ方」というセンスの自然発生を待っていてはダメだ。そう言う必要な感じ方が自然発生する状況にあるのは、何ゆえにか恵まれたほんのわずかの人だけだ。

願望の目標設定の重要性とビジュアリゼーションの必要性とそのやり方を映画「ザ・シークレット」的に説く成功プログラムや講師は大勢いるが、感じ方の目標設定と言う事に着目し、その重要性を説く講師は居ない。お父さんに言わせれば、99%の人に対して実に重要なプロセスをみんな見落としている。だからそのポイントに気付き、願望や目標に対するビジュアリゼーションの前段階のそれをイメージ訓練する事から始める。既存の成功法則や「ザ・シークレット」を実践するには相当の事前準備が必要なんだ。

意識の力を育て、自分を自在に「在りたい様に在れる状態」に導くのには、大変な事でも我慢を強いる事でも何でもない。ちょっとしたコツを心得て、それを思考習慣にするだけだ。思考上の保留癖というモノを決断に置き換えるイメージトレーニングが必要だ。些細な感じ方に付いて、保留しないで自分の意思で決断する。それが意識の力を育てる。そのチャンスが、日常生活を始め、当メッセージやプログラム中にごまんと有る事に気付いて欲しい。

 

モティベーションの本を書く人、またその関係の講演家先生方は、こうしたらいいという選択肢を読者や聴講生に示した時、得するモノを示しているから人はそちらを選択するだろうという推定の元に話を組み立てている。聞いている人もウンウンと頷いているだろうからね。でも読者や聴講生の99%の人は「縁に気付いて縁を活かさず」で留まる。お父さんに言わせれば「縁に気付いて縁を活かせず」だ。「さず」と言うより「せず」だ。「さず」と言うのは、それが「出来る」大才から見たモノの見方だ。無意識に掛かっているブロックの正体を解き明かさずしてそう言うのは残酷だ。「さず」というのは、中才に対して余りに気の毒な表明だ。だからお父さんは弱者の観点から見る。そうすると「さず」では無く「せず」となり、そうするとそこには確かな原因が有る事が見えてくる。「さず」と表明したら原因は何だろう? また、「せず」と表明したら原因は如何見えて来るだろう? 自分で説明してごらんなさい。その違いを。原因を示す答えは全く違ってくる事が解るね。この様な些細な言い回しの違いにも敏感である事が大切だ。

 

出会いは必然と言う事。それは人だけに限らない。本やマスメディアを通じて知った事もそうだし、このメッセージもそうだ。内容や概念自体がそうだ。まずその事について瞑想しなさい。・・・出会いは必然・・・。人間の持つ徳性というものは、個人個人それぞれに、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の様に必ず大なり小なり、良き運命をたぐり寄せてはいる。しかし、それを活かせるか弾き返すかは本人の思考履歴と願望の度合い次第。「分離の質のカンファトゾーン」は真我にとっては大迷惑だ。顛倒夢想は顕在意識がそれと気付く前に、自動的にタメに成る事を排除してくれるからね。

縁に出会って縁に気付けないのは当面如何しようもないが、縁だと気付いてそれを活かさないのは何故だろう。何故、活かせないのだろう? そう質問する事は重要だ。そこには、そう成るブロックが有るに違いない。それはどんなブロックだろう? 巨大過ぎて個人の力では如何しようもないモノだろうか?今回は その正体を解剖してみよう。解ってしまえば単純過ぎて大笑いだ。

時速70q以上のスピードで走る機関車は厚さ1メートルの鉄筋コンクリートの壁をもぶち抜く。しかし、スタート前に4つの動輪の前に4つの石ころを4箇所に置いたらもう機関車は動けない。ここでの例えは、そんな石ころは誰でも簡単に払いのけられると言う事だ。石ころを払いのけて、徐々に加速を掛けて行こう。育って来た意識の力はその内、人生の厚さ1メートルの鉄筋コンクリートの壁の様な障壁をもぶち抜く。だけど今は石ころ4つだ。・・・で、ここでのその簡単な石ころって何だろう?

 

自分を本当に変容させたい、今のままではいけないと感じるなら、次に述べるその技法が無意識的有能になる迄は、このメッセージや無料プログラムを大いに活用し、ちょっと手間を掛けて、大切なそのハートの声を育てて見よう。成功者の感覚がなかなか掴めないのは、実に些細な事がおろそかになっているからだ。

今までのメッセージで伝えた、問いかけには自分で考えて自分なりに答えてみる、という感じ方が自然になって来たら次のステップだ。小さなアイディアや提示された提案も出会いである。この様な小さな縁を大切に蓄積してこそ、大きな縁に袖触れ合っただけでも縁が活かせる様になるのだ。それが基礎を作ると言う事だ。ここの処は復唱しなさい。そして小さな縁を確実に活かそう。意識の力は一朝一夕に育つものでは無い。だから日々の小さなチャンスとは何かを理解し、それを確実にモノにし続ける事。大木になる遺伝子を持つ木の様なスピードでじっくり育つ。大木・・・それは毎日弛(タユ)む事無く水分や養分を吸い上げ続けている。意識の力の育成はそれと似ている。

それは習慣化しさえすれば思考の中だけで出来るほど簡単な事だ。小さな縁・小さな出会いはチャンスなのだ。自分の質を創り上げていくチャンスなのだ。それが大きなチャンスに繋がる真のチャンスだと示しても、小さ過ぎて大したことないと思うのか、殆どの人が無下に扱っている。意識上には顕われていないかも知れないが、自分以下のモノを見下す質を内在させているとそうなる。→★優越感と劣等感はセットだ。どちらかが有ればどちらかも有る。それは対になっている。

だからまず、脳が何をどんなパターンでスルーする癖を持っているか、それを理解し、見抜く事からスタートだ。その為に書き出すというのは一つの能力だ。→★この書き出す能力は3%の人にしか無いらしい。この書き出すという癖も併せて育てよう。

 

まず、メッセージや他のプログラムも通じて、「選択肢を提示され、何かを問われている部分」を出会う端からどんどん書き出してみよう。自分でそれと解るなら、テキストにマークを付ける事でもいい。選択肢とは、損するか得するかを提示している部分だ。特に考え方の損得選択肢だ。色々な箇所に比較や対比が出て来るね。その考えは損するか得するか、自分で考える様に仕向けられている箇所だ。得する方を取るべきだが、それは自分の責任に於いて引き受けなければならない事だ。決定するかどうかは、お父さんは何時も本人に委ねている。押し付けは役に立たないからね。しかしこの自由裁量に任せるというのは、人の自由を認める代わりに天のワナでもある。

また、在るべき姿を指し示したりと、色んな提案があるね。在るべき姿が示される・・・それも今の自分の現状と比べれば選択肢だ。

それに対して自分はどう対応しているか眺めてみる事だ。@得する方を選択しているか、それともまだA嫌だと感じて居るか、B保留しているか。Aの「嫌だ」と感じるのはまだまだ、理の理解が足らないから、何故それが得するのかと言える理由を探し集める意識を持つ事だ。テキストや音声ファイルの反復に勉めるといい。

問題はBの保留だ。何故「保留」が問題なのだろう? ただ、留めているというだけの事じゃ無いか・・・。大した問題の様には思えない・・・。これからこの落とし穴の秘密を解説するが、ボンクラは「あっ、そうか!」が無い。小さな本当を認めない。実に些細な事が重要だ、こんな単純簡単な事がチャンスだったのかと気付かない。そう言う意識状態をボンクラという。些細な重要性に心配りをしようとする注意力も意志も働かせようとしない。何度か読み込む内に「あっ」と気付く人はボンクラではない。

 

ここで述べる、何でもない様な些細な「心遣いのテクニック」に細心の注意を払いなさい。それは単なる石ころ除去の様に簡単な事だ。しかし、余りにも簡単過ぎて、誰も重要視しないという愚に気付いて居なさい。そして愛のエネルギーの流れ→★を止めてはいけない。

これは真に意識を自力成長する方向に向けるか、何時までも手取り足取りおんぶに抱っこまでされないと成長出来ないかの差を付ける起点となる部分だからだ。「自力成長する」というのがいいね。こう言う文一つに付いても深く瞑想しておく事だ。比較し、選択し、自己決定すべき事というのはこの様な何気ない処に潜んで在る。既にこの段自体にトラップがある。ふり返ってごらん。何でもない様な文章でも、そう言う処にも選択肢を見出し、どちらが良いのか、その選択の責任を引き受けて自分で決定する。些細を積み重ねると言う事はそう言う事だ。いつまでもボンクラで居られるのはこの様な「何か」を提示されていても自主選択・自己決定せずに居るからだ。概念が頭を流れただけで終わり。しかし「ツモリ」だけはしっかり作ってしまう。この段の文面でも比較されている選択肢を見逃さないで居られたかな? そして小さな決心が有ったかな?

 

さあ、どれ程簡単な事を人は見逃してしまうのか見てみよう。しかしその前にちょっと自覚を促しておきたい事がある。

それは、良いと知ったのにBの保留するという心の癖に気付く事だ。保留というのは「そう在ろう」と選択せず決心もしないと言う事だ。誰も法律では罪として咎められる事がないので見逃されているが、これは真我にとってはとんでもない悪癖だ。誰も今まで、こう言う事を指摘しなかったので重要性に気付きにくいと思うから重ねて言うよ。これは自分の成長にとって、大変な悪癖だ。・・・で、何が悪癖なのですか? 今言われた事、覚えてる?

保留・・・それは、出会いに於いて生じている責任を自覚していないだけでなく、実は逃れようとしているのだ。責任転嫁、責任逃れと言う事について、深く瞑想してごらん。

 

実は、自分の意識を進化させる為に、出会いというモノは自分を取り巻く総ての関係性の中で、総てハートが引き寄せているんだよ。→★精神の成長と進化の為に必要なテーマは「次はこれ」って感じでね。そう捉えると意識は問題を通して、急激に進化する。知ってか知らずか、人の意識ステージがどんどん高まる人と、低い処で停滞し続ける人の差はここで生じている。責任を自覚し引き受ければ成功する。→★成功の8原則。

明確にそのメカニズムを言語化した人はいないと思うが、意識の高い人は出会いに責任を取っている。責任を取るというのは、良いと思う方向を自分の意思で「結果を引き受ける覚悟」を以て自主的に選択していると言う事だ。「結果を引き受ける覚悟」が持てるのは理を通して見ているので、結果に自信が有るし、万が一失敗しても他の所為にせず、そこから学ぶ覚悟が有ると言う事だ。この、成功者だけが気付いた「実に簡単なスタート地点の理」を知らないと言う事は本当にもったいない事だ。知らないと言うだけで、宇宙から観ると、まるでしっかり罰を食らっている様な状態に自分を閉じ込めている。

 

また、書き出すのは、まず現在の在るがままの自分のbeing を知る為だ。それは「為になると解っているのに反対している自分の感じ方」が無意識に存在している事を知る為だ。矛盾してるけど、今まで考えもしなかったので気付かなかった事だ。自分の「感じ方」を文字で眺める事で、客観的に自分を観察する事が出来る。そして「為になると解っているのに反対している自分の感じ方」を発見したら、自分に良い方を押し付けたり判断せずに、ただ醒めて眺めていなさい。ただ自己矛盾に気付いていなさい。そして、他の出来ると感じる処から選択決断していなさい。その内徐々に「為になると解っているのに反対している自分の感じ方」の不自然さを感じるといい。意識の光を当て続けていると、何時しか不自然は自然に消える。そして、とんでもない状態だった事を後から知る。そうしてこの理の説明に感謝を覚えるだろう。人生に葛藤が生じるのは矛盾した「感じ方」が内在しているからだ。

 

すべき行動のdoing に入る前の「目の前の一歩」とは、イメージの中での憧れの醸成だ。その為に普段から「そう感じられたいいいな・そちらで在りたいな・そう成りたいな」と出くわした選択肢の良い方に憧れを感じるか? 得するのだからただ単純に「そう在りたい」とまずは思う事だ。「得する方を選ぶ」・・・それは幼稚園の子供でも解る理だ。しかし、書き出して見ているとそう成っていない部分が有る事に気付くのだ。知性が育って来たならきっと驚くだろう。端から見ていると、成長している意識は必ず力を持つ様になるので、その力が顕われないとしたら、それが出来ていないと言う事が一目瞭然として解る。すべき基礎訓練をしていないと判る。

また、この時のビジュアリゼーションのコツについて・・・「そう在りたい」と感じたとして「そう在りたい」と顕在意識では思えるが、潜在意識はそう思っただけでは引き受けてはくれない。だから顕在意識で「そう在る・そう成る」と快を想像して、肯定的にそして断定的にイメージするのである。そうしてそれは初めて良きデータとして潜在意識に蓄積される事になる。これがイメージトレーニングだ。やって見れば分かるが、石ころの除去程度の簡単作業だ。頭の中だけでの作業だからね。想像力訓練の一端でもある。書き出すのは忘れないで覚え続けておく為だ。保留する事が無意識の癖になっていたのではいつまで経っても成長も変容も起こりはしない。保留というのは言い換えれば停滞であり、それでは意識が成長する事は無いからだ。だから保留という無意識だった心の癖に気付く事。あっと驚くほどの簡単な理だ。

 

問い掛けられていても脳がスルーする「保留」という状態を何故許す様になったのだろう? そこには決定する事の自信のなさ、決断する事の恐怖がある。それは責任を引き受ける事に成ると薄々気付いているからだ。責任は引き受けると成功する方向に向かうし、それは本当は楽になる事だ。しかし、「責任を引き受ける事は負担に成る事だ・失敗したら罰を食らう」というおかしなイメージ的結論を過去に何処かで形成していて、それが送り出して来る感じ方に支配されている。それは顛倒夢想、逆さまになっている感じ方だ。動物プログラムを通して責任を見るから、その様な逆さまの感じ方が出来、そのまま法則性が逆に働く意識次元に応用してしまっているのだ。

責任という命題を真相まで掘り下げてよく見る事だ。意識次元に於ける責任は取らなきゃ損なのだ。それは自由へそして楽へと通じる道だ。特にここで示される選択肢に対して「自分の意思で選択し、決断する」という小さな責任を取り続ける事で、無意識だった責任逃れの癖という顛倒夢想は徐々に縮小して行く。こんなイメージ訓練、得する事しか無いのだからやらなきゃ損だ。

 

ここまで聞けば、少なくともここでの「選択・決定」は単純なイメージ上での作業に過ぎないと断言しているのだから、「イメージ上ではもう保留はやめよう」と決意する事だ。

で、少なくともここでは「もう保留はやめよう」と決意する事だ、と言われて素直に在れるか抵抗が出るか。自分の感じ方を観察する様に教えなさい。しっかりと読み込んでもらえれば、刻一刻にチャンスはある。抵抗しているモノが有るとしたらそれを見極める様に伝えなさい。「どっちが得するか」と考えなさい、とね。こう言う局面を利用して、感じ方が逆さまになっている処を発見しなさい、とね。

 

日頃からの様々な選択肢に出会う事を活用して、意識の力育成の為に些細なbeing を蓄積すると考えたらいい。言葉は力を持っている。自分の使っている言葉が自分を創る。自分という華を開花させる為に自ら発想し、そして取り組まねばならぬとする大きな決断に自信が無ければ、問いかけられ示されている些細な選択肢に小さな決断を示し続ける事から始める事だ。何十何百とね。まずはこのメッセージシリーズから拾い出し、それをイメージトレーニングの練習材料とする事だ。様々な問いかけには、「どちらが得をしますか?」という意味合いが有るし、暗黙の内に良い方を選択する様、決断を促している。それに答えさせると言う事は、その時その時に得する方への決断を促していると言う事だ。その時に自己決定する事が些細な責任を引き受ける事に成る。その蓄積は力となる。だから反復が重要なのだ。そうしていると、イザというスキル修得にあっても潜在意識はそれに応じる様になって来る。そして可能感が広がって来る。自ら発想する取り組みに自信が湧いて来る。ワクワクしてやりたくなって来る。

小さな選択肢に於ける決意を保留する事が無意識の癖になっている自分に自覚を持つ様、促して上げなさい。放っておくと知らない内に、徐々に自分を失うとんでもない悪癖だと教えなさい。そして自分自身の思索力・表現力を取り戻す為に、そこから始めなさいと教えなさい。保留は魂にとっては責任放棄なのだと。

 

仕事の責任は常識人なら誰でも果たしているだろうが、己の魂に生じている責任を果たしているだろうかと考えて見る事だ。それは非常に価値が在る。出くわしたモノは総て、意識進化を必要としているハートが引き寄せているモノだ。そこに見る眼を以て見れば、魂に意識進化の責任が生じている。見る気がなければ何も見えない。それは責任を引き受けた者、自覚を持つ者にだけ見えて来る賢者の世界だ。この理に気付く事で意識の力は更に成長する。

この部分は良く考えながら復唱してみて欲しい。そして復唱したら次の問いかけに付いて考えてみて欲しい。次を見る前に復唱・・・トラップに対する準備はいいかな?

Q・・・この様な文を見て・・・「見えて来る賢者の世界」という概念を聞いて、

 まず自分は「どちらであろうとしているか」と言う思考が働いていただろうか。

 そして「そう在ろう」または「そう言う眼をもとう」という小さな決意が「「自動的に」」起こる自分だっただろうか。

 自分は、考え、選択するという思考が働いていたと言えるだろうか? それとも、ただ文字を「読んだ」だけだっただろうか?

文字を音声に置き換えるだけなら最近ではコンピュータでもする事だ。日常の中で出くわすモノ総てをその様に「得する方を選択する」という眼で見るのである。ここでの「見る」とは感じ取ると言う事だ。保留はしない。脳のスルー癖に要注意。

ついでに言うと、動物次元では責任から逃れられたら身が安泰という意味では得をする事もある。しかし意識次元は逆さまだ。それがコンチェルトになっている部分では、責任から逃れられ安泰を得ても人から信用は失うと言う様になっているね。意識次元は責任を引き受け続けていると、その積み重ねによって認識の視野が広がり意識の力が育つ結果、負担は減り、自由が広がって楽になる。そう真実を感じないのが、真実を逆さまに感じさせる顛倒夢想というモノだ。

 

出くわしている選択肢を比較して、また過去の経験記憶の総てと今出くわしたモノを比較して、良い方を取るという「イメージの中での決断」が重要なのだ。例えば、オリンピックの体操を見ても、歌手の様に華やかな姿、冒険野郎の話、事業の成功者など、何でもイメージの中では「そう在ったらいい事だ」と肯定する。想像について言うならば、自分自身が、スペースシャトルで宇宙遊泳をしたと想像した事があるだろうか? 1000人の前で歌っている歌手だと想像した事があるかな? サーフィン・スキージャンプ・バンジージャンプ・スカイダイビング、その他何でも、出くわしたモノ見聞きしたモノを利用・活用して自分自身がそれをしていると想像した事がありますか? 他に幾らでも例を上げて、自分がそうしていると想像するのだ。思考を柔軟にし、想像力を膨らませて何事も肯定的に見る感覚を啓くのだ。

そういうイメージ訓練と併せて、感じ方・考え方の選択肢に出会ったら、比較して、得する方を選択し、そちらを選ぶと決意する。自分自身の意志で決意する事を積み重ねる事で意識の力は育つ。

 

保留している人は意識の力は育たない。保留とはよく見ると、それは「逃避」を選択している事になる。魂というかハートの次元では、出会いの責任が生じているのに具体的に取り組まないのだからね。そして「逃避」は立派な分離側の資質だ。だから良き意識の力が育たないのだ。また結果から見ると「比較」してはいないので「考える」にもなっていない。お父さんは昔からプログラム随処で、好き嫌い判断では選択を誤る事が多いからダメだ、建設的か破壊的かで判断しなければならないと、教え続けて来たんだけれどね、具体的にその一々を指摘しないと人というのはなかなか分からない様だ。保留と言う判断が自動的で気付かないので、お父さんの話を多少聞いただけで「好き嫌い」判断はしない自分に成っているツモリだけ出来ている。ちょっと聞いただけで「分かった」と言う訳だ。「好き嫌い」判断はダメだと聞いて、それを好き嫌い判断している事に気付かない。意識が昏沈状態だからだ。自分で原則を応用し発展的に見る事が出来ないのは、演繹的能力が発達しないからだ。そしてそれは想像力・クリエイティブなイメージ能力が封印されているからだ。そしてその原因を探ると、この保留の癖の問題に辿り着いた。

 

保留と言う事は、結局無意識だが「嫌い」と感じているからで、それは結局「好き嫌い判断」になっていると気付けない。取り憑かれている顛倒夢想の呪いは本当に人の意識を重傷に導く。さっさとこんなモン、発見して捨てちまわないとね。きっと目から鱗の人も多いと思うけれど、顛倒夢想が認識を邪魔しているとはこう言う事だ。お陰で、お父さんは人がそう言う顛倒夢想を見せてくれる度に、それを何百とレポートして来たから、誰も真似出来ないほど充実した円錐螺旋型回顧的に学習するプログラムが作成出来て来た訳だ。一つの認識が開けて後、今までの講義やテキストを改めて聞き返したり読み返したりすると、今までとは全く違う感じで理解の認識が広がる。

何を見聞きしても「いい」と感じたら、直ぐに実行は不可能でも、良き事として、イメージの中には取り入れる事だ。「これからはそうしよう・そう考えよう」と今決断する事だ。イメージの中でのやりくりだから簡単な事だ。特別な努力なんて要らない。ただ、それは自分の求めている事ではないとか、関心が無いとか無意識に言い訳している自分に醒めて気付かねばならない。それは肯定ではなく、否定的態度なのだ。イメージの中では、エベレストに登頂する事も映画の主人公になる事も歌手と成る事もスポーツで活躍する事も、否定したり言い訳しない事だ。自分の総ての履歴と比較して、そう在ったらいいとただ肯定するのだ。思考の自由はそうやって啓く。自由に発想する思考の中で、実際問題としてはやりたい事に優先順位を付ける。

 

一つの目標、一つの願望には、それを叶える要素、そしてそれを支える要素を何十何百と数多く見つけ出す必要がある。それを支える要素とは何だろう? まずは、「こんな感じ方だったらいいな、その感じ方が必要だ」という部分を発見する事だ。「する事」の前に感じ方の目標設定が必要だ。それがdoing に先行するbeing としての必要な要素だ。こんな指摘を今までに聞いた事があるだろうか? 「する事」の前に感じ方の目標設定・・・そしてそれこそ重要な事だと思わないかい? 持つ前に成る必要がある。必要な感じ方が発見出来れば、そう言う感じ方を植え付け育つ様にビジュアリゼーションのテクニックを使う。自分自身の願望・目標を叶えるに、その前段階の「必要な感じ方」発見の為のたたき台として、当メッセージの問いかけや選択肢の提示を書き出す事でエクササイズとするのだ。物事がスムーズに行っている時はいいが、そうでない時は、必ずそこに顛倒夢想が潜んでいる。だから、知らずにブロックになっている感じ方を発見する為にも書き出す事が重要なのだ。そして一旦コツを掴めば日常の起こり来る事総てを通してエクササイズ出来る様に成る。

一つの目標、一つの願望を抱いたとして、「それに何が必要か」イコールそれは「どんな感じ方が必要か」と自分自身に問いかけ、当メッセージや閃き等からその必要なセンスを発見し、且つ、それが無意識的有能に成る為の訓練として瞑想用に「書き出す」事だ。書き出したそれをチラリチラリと見ながら、良き方を選択し決心したくなる様に瞑想するのだ。まず無意識的有能に成ったと言える自信が付くまで、書き出してみる事だ。しばらくやってパターンを掴む事だ。書き出すという癖を養わないと、考えているだけでは実態の真実は10分の1も見えないよ。逆を言えば、書き出せば書かなかった時より10倍、見えなかった部分が見えて来る。自分の在るがままのbeing から今まで気付かなかった問題点を発見出来る。

 

そして最終的には、出会ってしまった選択肢その一つ一つに決意決断が必要だ。出会ってしまった以上責任が生じている。無視は保留と同じで逃避だ。事が重要なので表現は重々しいが、やる事は実に簡単だ。決意決断と言っても、それは実に小さな些細な事だ。「その方がいいな・そう在ったらいいな」と思考し「そう在ろう、だってその方が得をするのだから」と思い込むだけだからである。いいと解っているのに決意が鈍る処を醒めて見ていればいい。このエクササイズは、まずその矛盾を発見する事が大切なのだ。問いかけられている選択肢を利用するのは、イメージ能力を高め、意識の力を速やかに育てるとても便利なチャンスだからだ。

この様な普段の何気ない処で、ちょっとしたコツに気付いていれば、意識の力というモノはどんどん大きく強くする事が出来るのである。6年間、保留する事無く、自分に起こり来た意識次元の選択肢の良い方のみを選び続けていたら涅槃する。涅槃なんて何十年も掛かるものでは無いし、ましてや一生のテーマでもない。そこからが人間としての真のスタートなのだ。

 

こんな簡単で易しい事なら、なんでやらない事があろうか? しかし、やらない人はやらない。例えて、石ころ除去程度の事なのにね。心的怠惰で危機感が無いんだろうね。でも、理が解った人にはこれは大変やりたくなるイメージトレーニングだ。この様な普段からの心遣いの蓄積が「統合の質のカンファトゾーン」を育て、徐々に考える能力を養い、願望や目標を抱くにもそれを抱かせ易くする事になるのだ。年を重ねる毎に経験が増えるのだから、夢や希望が広がるのが思考が正しく働く人間の本来の姿だ。メンタルマッスル、精神力というモノ、気丈、気根、これらは、ここで述べた普段の出くわす「実に何気ないモノ」をチャンスとして活用するだけでトレーニングとなり、十分それらは醸成される。最初は書き出したりとちょっと面倒かも知れないけどね。出会いを活かして正しく思考を働かせるだけで人間の意識は何処までも強くなれるのだ。ポイントは自らの意志による選択と決断だ。まずはイメージの中でね。

保留癖というのは、その罰は宇宙から観たら、無期懲役の様なものだ。解る? この例え。意識の力はいつまで経っても育たないし、自由を得る知性が発達しないと言う事。その裏で顛倒夢想だけはしっかり育つ。また、事の重要性に気付くまでは懲役を言い渡されているみたいだね。3年? 5年? それとも10年?

 

保留は、せっかくハートが進化の為に引き寄せているのに、魂の次元の責任放棄と言える現象なので、意識しないで居るだけで、どんどんと顛倒夢想を養える。「嫌だ、そんなの認めん」と言っても、それは法則なので、本人の都合には全く関係なく勝手に育つ。分離側の要素というのは、見ないでいるだけで無意識にどんどんと育ってしまう。見るとそれは縮小に転ずる。逆に統合側の質というモノは見る事で育ち、見ないで居ると育たない。意識次元の恐怖は見ないから生じる。→★見れば何も無い事に気付く。

無意識だった保留癖・・・「何でもない事」だと思っていただろうが、実は「とんでもない事」だと気付けただろうか。ここでの「な」と「と」の違いに気付く事で、納得いく自己実現の世界が展開するか、とんコロリ、後始末人生の挙げ句の果て、こんな筈じゃ無かったという人生になるか、に分かれて来るだろう。

この様な日頃からの単純な心遣いの違いが、人生に於いては賢者と凡夫の違いを作っていく。本当は誰でも賢者に成れるのだ。

 

お父さんのメッセージや他のプログラムは総てホログラムの様なモノだ。些細な部分であってもそれは総て全体の縮図だ。だからこのメッセージだけでも演繹的な能力を持つ聡い人は覚醒するだろう。無料プログラムも含めて必要になる人も居れば、全プログラムが必要となる人も居るだろう。要は何が切っ掛けで気付くかと言う事だ。お父さんは無料だからと言って出し惜しんだりはしない。一つのプレゼンテーションは、その人の総ての履歴を含んでいる。知識の量が覚醒をもたらすのではない。要は心的態度だ。量が多いと、覚醒のチャンスが増えると言うだけの事だ。量は鈍臭い人用と言う事だ。基礎の基礎さえしっかりと捕まえれば、後は幾らでも応用が効く。習わない事でも見えて来る。法則を通して見えて来る。帰納的能力と演繹的能力を発達させなさい。

大才は袖触れ合った縁を活かせるセンスが有ると心得、自分もそう在りたいと望む事だ。袖触れ合う程度と言う事はほんのわずかのチャンスと言う事だ。そう聞いても何も考えないのがボンクラだ。不愉快な事から学ぶ事。→★他人を見て感じる不愉快からも幾らでも学べる。ただ「見て」「考える」だけで学べる。それが賢者だ。瞑想出来る様になったと言う事だ。

 

自分が如何在りたいか如何成りたいかと問われて、漠然としかイメージ出来ないなら、「考える」になっていないと悟り、成功者の思考プロセスを辿ろう。

願望や意識の力を育てるには日々の決断。買った車を何時までも何時までも磨き続けている様な事をしていてもしょうがない。このメッセージは人生の行きたい処に辿り着くツールである。ツールは使わなければならない。ツールを磨いているだけでは意味がない。

ここで問われ、紙に書き出したその何十個を毎日見て瞑想するのである。漠然と成りたい自分をイメージしていたとしても、それを支える何百という必要要素がイメージからこぼれ落ちていたのでは効果は出ない。問われている選択肢、また示された感じ方レベルの「在るべき姿」を紙に書き付けて、その小要素を「得する」と快を見出しながら、繰り返し繰り返しイメージするのだ。これが意識の力を育てる事に成る。だからイメージ用に書き出す事だ。

 

自ら独立して思索する能力を失っていると言うのは、その小さな決意が出来ず、保留する事が自動的で且つ無意識になっているからだ。人の判断基準が自分の判断基準になっているからだ。ここに注目しなければならない。ここは今までの自分の在り方を大きく方向転換する為の小さな勇気の必要とする所だ。ブレイクスルーするには、ほんの小さな穴でいい。今回のメッセージで解説した理を理解する事だ。そして、ちょっと「思考の実験」くらいに捉える事から始める事だ。まず、ちょっとやってみる。いいなと感じ始めたらどんどんやるといい。これは堤防に開いた小さな穴の様なモノだ。しかしこれで培う意識の力は二乗的に拡大する。

 

物事は本来如何在るべきか?

感じ方の目標設定が必要だ。

選択肢の良い方を取り続けていると何処に辿り着くか・・・涅槃の次に起こり来る事。

 

人生で究極一番楽しい事・・・それは何だろう? 人間の一番の充実感、一番の満足は何だと思う? これも想像と瞑想で答えが導き出せる。「それを突き詰めたら如何成るのか」という質問を何時も持っているといいよ。そうすると、色々なモノを経験し、最後に行き着く一番楽しい事は人を目覚めに導く事だ。結局そこだ。早くそこに気が付かないと、人生を大いにムダにする。どんな贅沢もこの楽しみには適わない。歴史を見れば解る事だが、贅を尽くした人は何も残らない。人は感じ方が様々なので、この命題をとんでもないと感じる人もいるだろう。しかし、自分の為に究極に突き詰めるとこの命題こそが真と成る。他の楽しみは全部オマケに成る。そして必要なモノは幾らでも手に入る。何が本当に得する事かを出会いを通して今までの総履歴を元に比較し考える。そして好き嫌い判断ではなく、為になるかならないかと言う損得判断で見る。得する方が好きというのは後から湧いてくる感情だ。顕在意識ではただ、正確に判断だけする。後は潜在意識に任せている。

贅沢もいいだろう。やりたい事はやって見るべきだ。それも成長に必要な経験だから。しかし、「出くわしたモノのより得をする方を選択する」という考えやそれに付帯するイメージを持たずにやりたい事をやっていると、何時までもその次元に停滞し続ける事になり、成長はない。寧ろ、欲望のみが大きくなって、何時までもそれを追い続ける「執着」に囚われそれを拡大し、気付いた時には人生の時間だけを失う。人生は有限だ。やりたいと思ってやり続けた事が、実に最期の地点で後悔になっている、一時的には成功者と呼ばれた人の愚を見なさい。

こうやってみると、釈迦やキリストや老子の様な、その他にも大勢居るが、覚者とか賢者と呼ばれた人は、人生の最大の楽しみを知っていたという事に成るね。

皆、そこに辿り着けなくて意識進化の途中でブレイクアウトする。殆どの人が「こんな筈じゃ無かった」人生になっている。

おもちゃというモノを子供は何時しか卒業する。宇宙から観たら総てはオモチャだ。

    

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.10.24facebook投稿

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 05

・・・・・・・・・・・

アファーメーション affirmation

・・・・・・・・・・・

アファーメーションに付いては、今ではググれば幾らでも技法が出て来るので取り立てて言う事はないのだが、これからの人にとっても、基礎的な知識の足並みを揃える為に取り上げる事にする。「弱者の成功戦略」の中で、スキルアップ出来る素材は巷に、最近は特にネット上にいくらでもゴロゴロ落ちていると伝えて来たんだけれど、今回はそのいい実例だ。ネットでサンプルとしてとてもいいモノを見付けたよ。これらの知識群は宝だ。ほんとにインターネットは素晴らしい。これらは、30年前にこれほどの知識を得ようと思ったら数十万相当の金を払わなければ得られなかった知識だ。

 

何でも出会ってしまって、それに「良い」と感じたら、保留する事無く、それを自分のモノにすべく「感じ取って」意識の中に吸収する事だ。出来にくいモノも有るから、スルーしたり保留しない為に、そういうのは書き出して置く事の重要性を補足の04で述べた。難しさ、つまり自分にとって難易度をABCの3ランクに分け、出来る処から着手して、少しずつ自信を付けて行くといいだろう。感じ方の変容には辿るべきプロセスがある。そうしないと、アファーメーションの行為自体が一つの顛倒夢想と成るワナが有る。

そして、それが無くても思い出したり思い浮かべたりしただけで、即座に自分自身で自分のイメージの中にその「良い」感じが再現出来る感覚が生じるまで反復して育てよう。或いは、勝手にそう言う想いが「ふっ」と自動的に思い浮かんでくる様に成るまで。勝手にそういう感じが「ふっ」と浮かぶ・・・それこそが繰り返しの大量稽古による無意識的有能のレベルだ。解って尚繰り返した処のね。快を伴う憧れのイメージを描く処からスタートするのがコツだ。そして更に、人に講師としてその重要性が教えられるくらいまで。だからこれらの知識群を、最初から人に教える事を前提で学ぶのだ。そうしていると、このエクササイズの実践は有用な知識を得るだけでなく、「意識の力」も急速に育つだろう。

 

今までなら知っただけで分かったツモリになり、見逃してしまいそうなこの様なサイト情報も今なら、この知識が教える重要な意味やその働きが解るだろう。

 アファーメーションを作成し、アファームする事で何が如何変るのか? この事は何が重要なのか? そもそもアファーメーションとは何か?

 「今までなら知っただけで分かったツモリになり、見逃してしまいそうな」とは如何いう事か?

この問いかけに答えられないなら、メッセージを最初から学び直す事だ。大切な事が何か抜けている。じっくりと学習し直す事だ。そして、今、期待感でゾクゾクしていたりワクワクしているなら、更にアファーメーションを実践する事で何が如何変るのか大凡(オオヨソ)予測が立つなら、今までの学習はOKだ。早速このメッセージの実践に入りなさい。もう一度言うが、意味が解って来ていたら、ワクワクが止まらなくなって来ている筈だ。感じ方が逆さまになっている処が次々と発見出来るぞ、そして・・・とね。で、ここの・・・って何だろう? 「・・・」の部分を感じるからこそワクワクするのだ。言語化してごらん。

 

人は、普段から繰り返し「思っている通り・言葉にしている通り・心に描いている通り」の自分に成っていく。そのイメージが潜在意識に引き渡されるからだ。

ん〜、次の説明に行きたいのだが、その前にちょっと・・・この段の最初の文、この命題はいったい何を意味してる? 今の言葉を聞いて如何感じる? ここで人は二通りに別れる。この様な文の表現の意図が読め、応用が効く人と読めない人・・・つまり、文字を音声に置き換えているだけで読んだツモリになる人。それじゃあダメだ。行間の意味が汲み取れなければならない。何故、この様な表明が為される? この命題のその表明の意図は何だろう? そして、この理を建設的に応用したら如何いう事に成る?

だから、この文の真意を汲みとって、この文を自分の為に書き換えるのだ。それが応用すると言う事だ。自分で脳を働かせ、自ら考えると言う事だ。一つの表明された命題から問いかけが無くとも、そう言う思考が自動的に展開して、そしてその答えが自ら掴める様で無ければならない。こう言う処に、問いかけている訳では無いが、比較すべき片方だけの提示という形がある。自らそれに気付き、解くべき謎が暗示されている事が有るのだ。自ら独立して思索する能力を失わさせられていると、頭は応用して働かない。要注意事項だね。

 

では、この命題を活用して、本題に入る前に文章の読み取り方というか、思考のリハビリをちょっとやって見よう。

人は普段から繰り返し「思っている通り・言葉にしている通り・心に描いている通り」の自分に成る・・・と言うのなら、そしてその命題が真だと言うのなら、求める心が有れば思考は次の様に自動的に働く筈だ。

「成りたい自分に成る為には如何するか」といつも考えている筈だから・・・もし自動的でなかったならばこの問いかけを切っ掛けにそう考えればいい。

そうすると、成りたい自分に成れる為には・・・普段から繰り返し「それを思い・それを言葉にし、それを心に描けばいい」という事に成るね。そして、そうしているとそう成ると言うのだ。それが「真」なら素晴らしい事ではないか。そう自動的に読み取れる人がどれだけいるだろう? そしてその命題は「真」だ。

まとめてみよう。人は、普段から繰り返し「それを思い・それを言葉にし、それを心に描き、それが信じられていれば」それの通りの自分に成っていく。

これが法則であるならば凄い事だ。成りたい通りに「思い方一つ・言葉の使い方一つ・心への描き方一つ」、その普段からの繰り返しで成れると言う事を意味しているのだから。先の命題からこの様に読み取れてこそ、脳が働いていると言える。その様に読み取れる思考が働いてこそ、その他一つ一つの命題の重要性に気付けるのである。このパターンを他でも応用する事だ。一つの文からその展開を考える事だ。それが読み込んで読み取ると言う事だ。

 

話を元に戻そう。・・・人は普段から繰り返している言葉通りの自分に成る・・・。

だから、どんな自分で在りたいのかそれに付いてしっかりと考え、そして「成りたい自分の姿」をまずは言葉で組み立てなさい。徐々に微に入り細に至るまでね。そしてそれをアファーメーションしまくりなさい。それが祈りだ。違和感や抵抗の対処の仕方を心得ていればその内、言葉で宣言する通りの「感じ方」が出来上がる。その感じ方がリアルな現象を引き寄せ構築する事に成る。コツは喜びと共に在る事。だから普段からの豊かな想像力と感謝の心が必要になって来る訳だ。これはやればやるほど意識の力を育てる。イエスは何時も祈っていたではないか。→★彼の偉大な力はそこに秘密が有った。

 

不平不満を抱いて生きている人も、人生が正にその人の持つ言葉通りに成っている。不幸を嘆いている人に、それは「思った通りの自分に成っている」のだよ、と説明しても知性が無いと、如何してもその理が理解出来ない。「不幸など、望んではいない」と言うのだ。しかし君はもうその原因が解るだろう? では、百歩譲って、望んではいないかも知れないが、普段抱くその「想いの導く結果通り」にはなっている、とね。分離側の想念のね。如何しても分からなきゃ、「しでかした通りの自分に成っている」と言って上げるとちょっとはいいかもね。でもその「しでかした事」こそ、その人の繰り返し抱き続けた想念だ。つまり、希望した通りではなく「思った通り」だ。結局「思った通りの自分に成っている」。

 

まずは、自分自身で自分自身用のアファーメーションが創れる様になる為に、他者のチエを借りて、アファーメーションというモノに慣れ、その作成の仕方も覚えよう。

自分に対する言葉の使い方一つで想念がコントロール出来る様に成り、途中説明を省略するが、結果として、自分自身の人生を自在に操り、好きな様に構築出来る様になるのだ。・・・ここで、君は質問して上げなさい。「さて、この文を読んでいる貴方の感動のレベルは何処だろう?」と。

この技法をマスターすると言う事は結果から見ると、有限ではあるがとてつもない魔法の杖を手に入れるに等しいと言える。この例えで、その凄さを感じられるかね? まあ、技法を実践していく内に、段々とその凄さに目覚めるだろう。

以下に有り難い参考サイトを上げて置くので、感謝の心を持って基礎的知識をそこで学びなさい。これは既に一般知識となって来始めたモノだからお父さんは一々説明しないからね。4つめからは動画だ。

 

01アファメーションをはじめよう

 http://www.mars.dti.ne.jp/~toko/af/aff.html

02潜在意識のパワーを最大限に引き出す「アファーメーション」!

 http://coaching.livedoor.biz/archives/16044148.html

03ことばの贈りもの〜「ことば探し」

 http://www.kotobasagashi.net/afm.php

04アファーメーションの高速記憶音追唱 - YouTube  [3m24s 640x360]  以下動画保存済み

 http://www.youtube.com/watch?v=UCwtzwM_Joc

05アファメーション〜願望成就〜 - YouTube  [3m56s 854x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=BcqNac6REDU&feature=related

06人生の望みを叶えるアファメーション! - YouTube  [5m52s 654x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=HotI93sRH9s&feature=related

07アファメーション〜愛と美と調和〜 ☆Pleiades affirmations☆ - YouTube  [4m52s 854x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=fIXAjFAz4ws&feature=relmfu

08アファメーション〜ヒーリングパワーから発展へ〜.wmv - YouTube  [4m22s 854x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=FCoHebimrlA&feature=related

09「恐れ」からの脱出 - アファメーション付 - YouTube  [10m53s 854x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=q-Vvrryisrg&feature=related

10アファメーション〜朝日の誓い〜 - YouTube  [3m08s 854x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=SctsWBiIkpU&feature=channel&list=UL

11アファメーション〜Power of dreams~ - YouTube  [3m54s 854x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=avQI08ZG6M8&feature=channel&list=UL

12斉藤一人さん 奇跡が起こり始める魔法の言葉 - YouTube  [3m40s 640x480]

 http://www.youtube.com/watch?v=ZitcA8CzhmY&feature=fvwrel

アファーメーション - YouTube  http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&oq=%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&gs_l=youtube-reduced.12..0.693703.693703.0.694734.1.1.0.0.0.0.812.812.6-1.1.0...0.0...1ac.8do56VvH_mY

 

上記の、03【ことばの贈りもの〜「ことば探し」】のページでは、サイトの下の方に色々なジャンルのアファーメーションが現在700個以上有る。

一つ一つが短いし、非常にオーソドックスでなかなかいい。ずっと目を通して一つ一つを如何感じるか、それを感じ取りながら読んでいってごらん。そこで、自分の中に在る「感じ」を他者の作成した優良なアファーメーションと比較する。その時、その感じは@自分と全く同じだ、と言えるか? 実に馴染んでいるよ、常日頃からそんな言葉やこんな感じが湧いて来ているよ、と言えるだろうか?

言えない処が自分の感じ方の改善点だ。もう解るね。建設的でそう在るべき言葉の筈なのに、A違和感を感じたり、自分が唱えるには気恥ずかしさ等の抵抗感が生じたり、全く逆の自分である現実を認識させられたり。若いと言う事で単に自分の感性がまだ未熟なだけならいいが、成人過ぎてそうならそうはいかない。その裏にとてもヤネこい顛倒夢想が潜んでいる。それが為に成るから受け入れを阻んでいる。とても馴染みにくい感じがするので直ぐに判る。唱えるなら、自分には全く嘘に感じるアファーメーションが有る。この様なマインドセット知識の学びの無い普通の人はそこでストップしてしまうだろうが、今の君ならその一歩先「ここの感じ方が逆さまに成っている!」と気付くね。そう気付くとしたら大したもんだ。人より一歩先んじているセンスとはそう言う事だ。

また、読んだらその言葉には一応馴染むし賛同も出来るが、独りでにその感じが湧いて来る程ではない、としたらB想念のパワー不足だ。想い・・・特にその部分の想念を、敢えて心に強くイメージを描いて、その部分の意識の力を補強する必要がある。何故なら、そこも無自覚な自分の弱点だからだ。

 

在るべき「感じ方」がどういうモノで在るかが理解出来るならAとBの問題点に気付くはずだ。在るべき「感じ方」とは理で考えれば明らかに判別出来る、得する事・為に成る事、それは自分に取って建設的になる事だ。特にAは、今までのメッセージの理を理解して来ているなら、そこにこそ「逆さまの感じ方」が発見出来る。これは凄いチャンスだ。チャンス・・・「何が」だろう? 眠りこけていてはいけない。・・・自分ではなかなか気付けない「逆さまの感じ方」が自分の方から発見出来るのだ。そして、今ならアファーメーションのやり方と効能を知っているので、如何対処すべきかも解っている。それを如何する事で如何成るのか人に説明出来るかな?

 

これは、この理が解った者にとって何を意味しているだろう? おそらく眼が醒めていたら、戦慄が走る程のモノである筈だ。今までに無いセンスが啓いた! ピンと来たね! そうすると、チャンスと言うモノが如何に目の前に泰然とコロがっているかが解っただろう。見える人には観得るが見えない人には見えない。何の事かさっぱり解らない。生後10ヶ月の赤ちゃんは100万円の価値を認識するのは不可能なのと同じ次元を徘徊している。

これは今までのメッセージをしっかりと読み込んだ人でないと理解出来ない感覚だろう。 普通ならアファーメーションの概念や見本を見ても、そして説明を聞いても「あっそう」と言う程度以上の何物でもなく、その内忘れて終わるのがオチだろうからね。結局、他の重要な概念と一緒だ。ちょっとやってみかけたとしても、顛倒夢想にも自覚の無いまま無意識に邪魔されるし、違和感を感じるならきっと、そんなアファーメーションは使いたくないと思うだけだ。それで終わる。理を知らないアタマにとって、それが何故かと深く考える事など有り得ない。それが自己変容、そして意識改革の要になるとてつもない技法だとは殆ど誰も気付かない。自己啓発カルト等に染まって、ただアファーメーションをがむしゃらに実践すれば大部分の人は、逆に違和感や抵抗の方を増大させるだけ。

しかし、ここの処の心理メカニズムが解った人には、「したくてする・もうしないではいられない」という感じで、ここから粘着→★が始まる。成功者の質を一つ獲得してしまったのだ。そんな自分を褒めて上げるべきだ。お父さんのメッセージでは、一つのキーワードになるセンスが啓くと、後は芋づるの様に次々とセンスが啓いてくる。

 

敢えて「普通」の人の意識の認識状態を強調しよう。それは「比較」して自分の中に発達し始めた良きセンスというモノを確認する為だ。

上記のこの様なサイトに、一般の人がただ出くわしたとして、自らのアタマで自分からこの様にAやBのパターンの問題点を感じたり発見する事が見出せると思うだろうか? 良きアファーメーションで在る筈の処の一つの見本文を見て違和感を感じる・・・だからこそ、そこにチャンスを感じるというセンスが有るだろうか? 自分を変容させる要と成るbeing の存在の認識。チャンスが目の前に在っても見えない・気が付かないとはこの事だ。問題に気付くと言う事は解決策を見出すと言う事に繋がる。問題に気付かないと言う事は、それが如何に自分に取って重要であってもスルーされると言う事だ。で、ここにはありがたい事にわざわざ探さなくても既にその解決策もある。

だから出くわしたモノを通してAとBの問題点に気付けると言う事は、普通の人に無いセンスが発達して来ている事を示している。これは凄い事だよ。そしてAとBが問題点だとして判るなら、自分のセンスに大いに自信を持つべきだ。それこそが成功者の質、強者の質と言えるモノだからだ。心眼が開き始めたのだ。

これは、お父さんのメッセージを学ぶ個人個人に於ける大発見と成るだろう。この言葉の使い方の秘密を会得すれば、感じ方を始め、能力など、自分を思い通りに設計出来る。・・・「言葉」でね。もちろんイメージ創りが鍵だ。そうすると後は潜在意識が引き受ける。成るべき状態に成る様に潜在意識が整える。繰り返してイメージすれば意識の力もどんどん育ってくる。

その内、ヨハネの福音書の冒頭、「始めに言葉在りき、言葉は神と共に在りき、言葉は神なりき」と言う意味も解るだろう。

 

そして主観的な評価で良いから、見本のアファーメーションを見てどの程度感じるか、「違和感や抵抗」から「しっくり馴染む・人に教えて上げたくなる」まで、自分自身で、今現在から、これからのその時々の自分自身の感じ方を5段階評価をして見るのも面白い。自分の感じ方の成長度合いや変容度合いの変化が判る。そしてその向上して行く姿の変化を観察する事は益々自分に自信をもたらす。映画「ザ・シークレット」を見たりマフィー博士の本を見るといい。それらが言わんとする奥義・極意をモノに出来る様に成るだろう。もし以前に既に見た事があると言うなら、このメッセージをエクササイズして後再び見たら、入ってくる意味や度合いが俄然違っている事に驚く事に成る。それが意識が成長し、認識領域が広がった処の感覚、センスというモノだ。センスが伸びたのだ。センスはこの様に啓きアップする。その体験の喜びを機会を捉えて友達に伝えなさい。

 

しかし、このエクササイズは、補足04で述べた保留していたモノにどんどん出くわすだろう。その時に顛倒夢想が送り出してくる感情に騙されない様にしよう。それは為に成る筈なのに、違和感を感じて馴染めない処。また、好き嫌いで判断したくなる処だ。何故、そんな「感じ」が起こるんだろうね? 今ならもう理で考えれば、それこそが「感じ方が逆さま」になっている処だと理解出来る筈だ。気恥ずかしさや抵抗感を通して「あれっ? 自分のここの感じ方はおかしいぞ!そう在るべきなのに嫌な感じがする!」ってね。だからそう言う箇所に出くわしたら喜ぶ事だ。反応せず、感応する事だ。そして「顛倒夢想のヤツは今までこんな逆さまの感じ方で、裏から自分を操っていたのか、もう騙されないぞ!」ってね。その一体験がまた一つのプラスデータと成り、顛倒夢想を萎ませる事に成るのだから。そして瞬間かも知れないが、自分の感じ方をモニター的に観る→★・思考を放任しない、が出来、自分の感じ方や考えを見張る事が出来始めたのだ。意識革命の大チャンスがやって来たのだ。後々の為に、如何いう言葉にどんな違和感や抵抗を感じていたか記録しておくといいよ。

 

人によって、アファーメーションには段階設定が必要だ。易しい言葉から始めさせなさい。気恥ずかしさなど違和感や抵抗を感じるままにアファームし続ける事は、その違和感や抵抗を更に育てる事になると言う事が普通理解されていない様だ。為に成る事をしようとしているので、顛倒夢想が信じさせない様に頑張る。それでは益々顛倒夢想が育つだけだ。そんなやり方では、自分の事を嘘吐きだと確信させて終わるだけだ。そんなバカな事をし、それに頼ろうとした自分が益々嫌いになるかも知れない。だから、信じようとするのでは無く、徐々に「信じられる」に持って行く事が大切だ。ここを間違えるとアファーメーションは逆効果である。それが信じられる様になってこそ、アファーメーションとして役立つ。

だからアファーメーションを使いこなすには「常に出来る理由を探す癖」という性質も必要だ。まず「そう成りたい」という憧れを育て、それをイメージし、想像の世界の演出で快を感じる状況を創作する。併せて「そう感じた方が得するんだ」と、潜在意識に言い聞かせて説得する様な途中段階も必要だ。このプロセスを欠いていると、アファーメーションは自分から乖離して浮いたものになる。乖離して浮いたアファーメーション等、反復すればする程、「それは嘘だ!」と叫んでいるに等しい。そしてその思い「それは嘘だ!」こそがその人にとって真のアファーメーションになってしまう。Bを先に強化しておいてその量で自信を付け、そこでAを包囲し、徐々に各個撃破作戦を立てるのもいいだろう。

 

で、そう理を理解したら保留する事無く、頭で理と損得をしっかり考えて、「これが正しい感じ方なんだ」と繰り返し、睡眠を挟みながら時間を掛けて自分自身に教え込んでいく事だ。潜在意識はちゃんと聞いている。後からゆっくりじっくり効いてくる。だから焦らない事。自分を責めない事。それがすんなり「そうだ」と感じられる人も最初は皆赤ちゃんだった事を考えて見る事だ。何故それがすんなり信じられる「感じ」が育ったのだろう? そこにはそう感じられるに至るプロセスが有るに違いない。だから大きなレベルのアファーメーションを実践するには、それに違和感や抵抗が生じないで済む様、それが信じられる感じを育てる為の小さなレベルのアファーメーションを、まずは幾つも実践する事だ。想像力を鍛錬する事と共にね。

それでも出来にくい処の感じ方は、後述するパーミッション等の技法から始める。そうしていると、徐々に違和感は萎んで行き、段々その感じこそが自分の本当の感じだったという感じがして来る。その内、その言葉は実に心地よく馴染んで来る。そんな自分をハートが喜び始める。感じ方が変容したのだ。それを奇跡と言う。

真実を百編繰り返せば嘘の感じが正常化する・・・「嘘も百編吐けば本当になる→★」を逆さまに言い換えてみた。

 

また参考サイトの見本のアファーメーションを見て、@の「その感じは自分と全く同じだ」と言えるとしたら、その言葉から更に発展的な状態が瞬間的に想像出来るだろうか? その情景が浮かぶだろうか? せっかく人が作ってくれているのだ。猿まねで留まらず、連想能力を発達させるビジュアリゼーションの素材としても活かしてみよう。その部分の意識の力をもっともっと強化するのだ。得意な分野をこそ先に伸ばして自信在る分野を増やしておく。各分野から数個ずつ選び書き出して、その感じを想像して味わう事だ。想像し、感じながら繰り返す言葉が良きカンファトゾーンを形成して行く。録音して自分自身で聞き込むともっといい。人に語る場合も表現力が豊かになり、言葉が自在に操れる様に成るだろう。明るい前向きな言葉で満たされた君の周りには、明るい前向きな友達が集まる様になる。類の法則が働くからね。

 

想像力を駆使しながらアファーメーションの実践をすれば、それが出来るキャラクターが自分自身に自然に出来上がる。アファームしている事が自分自身になる。キャラクターなんて、自分の設計通りに作るのだ。どんなキャラになりたい? 良いアファーメーションを正しくアファームしていたら、潜在意識のオートパイロット機能が働いて、それに必要な要素を自動収集し始める。ムリも我慢も要らない。それどころか、効果を感じられる様になるから面白くてやめられなくなる。やってみれば解る。と言うより、理が理解出来た段階で期待感が膨らむから、既にやらないではいられなくなっている筈だ。その実践でカンファトゾーンの質は確実にレベルアップする。人は、自分の思っている「言葉通り」の人間に成るのだ。自信が無い? 疑念が湧く? そう言う言葉を持つからそう成るのだと教えなさい。また反射的に出て来る感じ方に注意しなさい、とね。そう言う時は思考にうっちゃり→★を掛ければいい。「弱者の成功戦略」で詳細に説明している。赤ちゃんは「自信が無い」と言う事を知らないし、疑うという事も知らない。ここにヒントを感じる様教えなさい。無垢で挑めばいいのだと。疑って掛からないと何か損するのかね? それは「成らねばならない」の呪縛だよ。

イメージを持つ事に自信もへったくれも無い。「成らねばならない」とは言っていないのだ。ただ、「在るべき姿」のイメージをしっかりと描けばいい。そう成っている自分は快だとイメージを創作するのだ。素直な憧憬とイメージをしっかり完成させて、後は潜在意識に任せればいいのだ。快を感じるイメージさえ有れば後は潜在意識が引き受けてくれる。自分のすべき責任だけ果たせばいい。その結果如何いう自分が出来上がるかは、潜在意識の仕事なんだからね。解りますか? 今まで何を学んで来たのですか? とまだ抵抗する人がいるかも知れないので一応言ってみる。

 

殆どの人は、無意識に日々の「分離の質のカンファトゾーン」によって顛倒夢想を作り出しそれを育て上げ、逆さまの感じ方こそ正しいと感じて、人生に自らせっせせっせと困難を作り出している。その結果は自分が意図したモノでは無いから、見者(リシ)から、それは自ら創り出している、自分で創造しているといきなり「答」だけ言われても殆ど理解出来ない。知性が無いと、何故そう言うのだろうかと考える事もなく、そして受け入れる事も出来ないまま直ぐに忘れる。判断基準が好き嫌い判断だからだ。そしてそこにこそ、本人にとっては凄いチャンスが到来していたのにね。縁に出会って縁に気付かない。普段から素直な耳と99の裏打ちを持っておく事が重要だ。それが準備なのだ。人間の認識は円錐螺旋型回顧的に理解が進む。だから反復が大切なのだ。

 

いきなり「答」だけ言われても殆ど理解出来ない、また考える事もなく、そして受け入れる事も出来ないまま直ぐに忘れる・・・それは今までのメッセージで述べてきた潜在意識のメカニズムが理解されていないし、そんな概念が存在する事自体を知らないからだ。それを「無意識的無能」という。ところが今の君は違う。潜在意識のメカニズムが理解出来ている。それがどの様に働くか知っている。今の君には、彼らは「何故考える事がないのか・何故受け入れる事がないのか・何故そのまま直ぐに忘れてしまうのか・実践したとしても何故引き戻されてしまうのか」の理まで解っている。君は「真の理解」というモノを阻む「二重三重に存在するフタ」をくぐり抜けて来た訳だ。知ったと言う事で第二段階の「意識的無能」の段階に成長して来た。実践を積む事でやがて第三段階「意識的有能」となるだろう。そしてその練成は第四段階「無意識的有能」の直観的判断力と成る。

しかし彼らは無知で在る事を知らない。「無知の知」という言葉が有るが、それに対して「無知の無知」だ。分離側の想念を日々繰り返し、それを時に言葉にしているが、それが如何いうメカニズムで現実化するかを全く理解していない。たまさか縁が有って、一つの真実や理を聞いても他のフタが邪魔して、結局直ぐに忘れ去られる。だからいくら良い知識が目の前に有っても、いつまで経ってもスキルにならない。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。まるでモグラ叩きのゲームみたいだ。そういう意識の構造になっている。そして愚痴る事をストレスの発散ぐらいに考えている。とんでもない事だ。その言葉が、そして日々抱くその想念が、自分の在り方を創っているのだ。正に、三界は唯心の所現→★である。三界とは、過去・現在・未来の事だ。

 

しかしそのメカニズムが理解された今、君は良き言葉によってカンファトゾーンを書き換え、そしてそれを育てる技法を得た。二重三重に存在するワナも知った。だから安心して、良き言葉・良きアファーメーションに拠って良き感情を興し「統合の質のカンファトゾーン」を育てなさい。興すべき良き感情とは、賞賛・感謝・愛・慈悲だ。その実践はとてつもない威力を生む。良いアファーメーションが心地よく、しっくり来ればいい。後は、それを繰り返す。そうすれば益々意識の力が育って来て、内側から押される様にして自分の望む通りの人生を創造する事が出来る様に成る。賞賛・感謝・愛・慈悲の祈りの実践は意識の力を育てる、イエスの使っていたテクニックだ。

再び言う。この様な有益なサイトに、人がただ出くわしたとして、自らのアタマでこの重要性とチャンスに気付き、この様に活用する事が見出せると思うだろうか? この理が理解出来ていると言う事は凄過ぎる事なのだ。だから理が理解出来た自分に自信を持ちなさい。

 

人のアファーメーションを参考にして、自分自身のアファーメーションを創り出せ。良いモノを見付けたらそのまま戴いても構わない。そして成りたい自分の姿を言葉にせよ。目標設定がすべきdoing の設計図なら、自分自身のアファーメーション集を作る事はbeing の設計図だ。車でも建物でもCPUでも総て設計図がある。しかし、一番大切なモノである筈の「自分自身の人生」の設計図を明確に描いている人は殆どいない。設計図も持たず、航海図も持たず、何処に船出してしまうのだろう? 愚かな事だ。殆どの人は日常雑事に追われるまま、脳内コマーシャル群の合間に、たまに漠然と夢見ているだけだ。これが凡夫と成功者のスタート地点の差だ。成功者は思考を放任してはいない。思考の質、内容をちゃんと目的に沿って管理している。

これからは今回の解説を意識して、今までの成功者がどんなアファーメーションを持っていたかと注意していなさい。その言葉がその人を創り上げている。色々な処から、これは役立つと感じた言葉は書き出して自分のモノにしなさい。格言などを見たら、何ゆえにそう言えるのかと考えなさい。

 

時に嘘のアファーメーションが大手を振っている事もあるので注意しなさい。マイナス思考の人間はマイナス思考のつまらない言葉に引き寄せられて感動していたりする。まぁ、ツマラン詩をせっせと紹介していたりするよ。傷の舐め合い的なね。現代は神経症の人が多いから、タナトスをたっぷり育てたノイローゼ詩人が受けたりする。類の法則が働くからだけど、それを見て自分が心の病気だと気付く事だね。まぁ、ムリか。その言葉に発展性があるか、それとも単に感傷的な慰めか考える事だ。

で、君はどんな自分であったらいいかね? 書き出した? たったそれだけかね? 自分の人生がたった紙半分かね? もっと詳細に描きなさい。そして時と共に更新し、バージョンアップさせて行きなさい。

 

そして、自分にパーミッション(Permission)=許可を与えるアファーメーションで無意識の鍵を外す事も覚えておこう。したい・そう在りたいと感じるのに無意識にブレーキが掛かる事がある。なんだかそうしてはいけない感じ、または「出来ない」という感じがする時だ。違和感の一つだね。その時は、敢えて言葉で、自分に「〜してもいい」と許可を与えるのだ。自分で自分に許可を与える事だ。潜在意識はその命令を聞いている。

見本のアファーメーションがまだ馴染めず違和感を感じる時に「そう感じてもいい」と許可を与える練習から始めてみよう。建設的な方向と言えるモノなら、ブレーキが掛かる必要など無い筈だ。しかし何処かでブレーキが組み込まれてしまった。言葉の持つ力の理を知らなければ、その感じ方に無自覚なままこれからもずっと支配され続け、そのパターンの局面で何時もブレーキが掛かる事に成る。その内、自分はそれが出来ないんだと間違って思い込む様になる。何が原因だったかは知らないが、この勘違いの感覚を取り外すのが自分にパーミッションを与えるアファーメーションだ。今までは知らなかっただけだ。これからは許可を与えよう。

そして「〜してもいい」を早速10個ぐらい書き出して見よう。公序良俗に反しない建設的な方向と言えるモノにはパーミッション=許可をどんどん与えて、全開状態にしてしまおう。そのアファーメーションを持つ事で可能感が益々広がる様になる。

 

更に、人生から「出来ない」と言う感覚や言葉を減らし、可能感を増大させる為には如何したらいいだろう? その時は次の様に考える。Doing としての「出来ない事」に出くわしたら、「その能力をまだ使っていないだけ・開発していないだけ」と捉えればいい。その様にアファームする。

 英語が喋れないんじゃない、まだちゃんとその能力を開発していないだけ。ピアノが弾けないんじゃない、まだその能力を使っていないだけ。

「出来ない」と断言したら可能性はもうゼロだが、前述の様に捉えれば可能性は開いたままだ。潜在意識は自分が何を言うかを総て聞いている。そしてそれを現実化する。人は気付かない処で知らない内に自分自身で可能性を閉じ込め、自ら不自由を次々と創り出していく。

また、やっていてまだ出来ない事なら「出来る様に成りつつあります」という現在進行形を使うといいと教えられている事も、その意味と効果を考えなさい。

 

アファームする事・願望する事、それは人間の要求だ。例えて宇宙に対する商品の注文だ。と言う事は、それに対する代価を宇宙に払う覚悟を併せて持つ事が重要だ。何でも「ただ」ではない。代価を払わないで商品が届く事はない。が、宇宙への支払いはお金ではない。払う代価としては、特に賞賛と感謝が重要。

他に、「閃きは実行します・良いと感じた事は受け入れます・ちょっと勇気を出して一歩踏み出します」などね。更に生々化育する宇宙の秩序に従う事。それは統合側の心遣いを駆使する事だ。それが宇宙に支払う代価だ。人間世界に於いては、人を喜ばせる事。自分も喜びながらね。一番効率がいいのは自分自身でそれが出来る様に成るよう、魚の釣り方を教える事だ。このメッセージで示している事を実践していると、意識しないでも知らない内にどんどん徳が積める。

 

徳が願望実現のエネルギーだ。徳を食い潰すと、アファーメーションも引き寄せの法則も、それが働く「原資」が無い。ここが多くのモティベーターが見落とす重要な理解のポイントだ。3億円の宝くじが当たったと喜んでいても、それは大切な「徳」を確実に消費している。その一部を消費してしまった徳の回復に当てないととんでもない事になる。お金だけ好きな様に使って徳を回復させなければ、従来の意識・生活レベルは保てない。お金を使い切っただけでは終わらない。徳も相当量失っている。巨額当選者の8割の人か破産すると言う事はそれを示している。リアルには現金をたっぷり得たけれども天というか、心にはこれまたたっぷり借金を背負い込んでいたのだ。また悪業は精算される→★。宇宙は公平だからね。法則とはそういうモノだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 執筆中

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 06

・・・・・・・・・・・

帰納と演繹

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 執筆中

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 07

・・・・・・・・・・・

感じ方の変容

・・・・・・・・・・・

 

何かの前には、心でリハーサルをする。潜在意識は現実とイメージの区別が付かない性質を最大限に活用するのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 執筆中

親父が高校生の息子に伝えたメッセージ 補足 08

・・・・・・・・・・・

知恵と智慧

・・・・・・・・・・・

@物事を筋道立てて考える心の働き。物事の道理を正しく判断し、適切に処理する能力。物事の理を悟り、適切に処理する能力。

 人生の指針となるような、人格と深く結びついている哲学的知識

A仏教で、煩悩ぼんのうを消滅させ、真理を悟る精神の働き。真理を明らかにし、悟りを開く働き。宗教的叡知。

 

 

釈迦は人間の意識の成長段階を、有る一説では十段階に分けた。更に160に分けていると聞いた事も有るが、それは知らない。必要を感じていないので調べてない。取り敢えずこの十段階を知っていれば十分だ。この十段階は大変面白いので、是非、覚えておきなさい。碁でも将棋でも武道でもソロバンでも段級が有る様に、人間の精神ステージにもランクが有ると言う事だ。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏(じごく・がき・ちくしょう・しゅら・ひと・てん・しょうもん・えんかく・ぼさつ・ぶつ)と読む。後の解説では声聞・縁覚の言葉遣いが逆転している事もある。言わんとしている事が掴めればいい。今回は、そこの処をいつもとは逆で説明してみようか?地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・縁覚・声聞・菩薩・仏、という順番でね。これは人間の意識ステージを表している。決してあの世の話や世界ではない。釈迦はなんと便利な概念を残してくれていた事だろう。

地獄界・・・

餓鬼界・・・

畜生界・・・

修羅界・・・

人界・・・・・

天界・・・・・

縁覚界・・・

声聞界・・・

菩薩界・・・

仏界・・・・・

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 執筆中

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

01ヒプノ体験ワーク+ミニミニセミナー - YouTube  [7m04s 320x240]

02夢実現・悩み解消へのヒプノ効果アップミニセミナー1 - YouTube  [7m04s 320x240]

03夢実現・悩み解消へのヒプノ効果アップミニセミナー2 - YouTube  [9m13s 320x240]

04夢実現・悩み解消へのヒプノ効果アップミニセミナー3 - YouTube  [9m38s 320x240]

11鏡を使って集中力アップ!自己催眠3分間マスター講座1 - YouTube  [3m57s 320x240]

12小物を使って集中力アップ・自己催眠3分間マスター講座2 - YouTube  [4m18s 320x240]

13楽しい音楽で集中力アップ! 自己催眠3分間マスター講座3 - YouTube  [3m43s 320x240]

14カードを使って集中力をアップ! 自己催眠3分間マスター講座4 - YouTube  [5m50s 320x240]

15夢をかなえるアファメーション!・自己催眠3分間マスター講座5 - YouTube  [4m55s 320x240]

16-1 24時間いつでも電話遠隔ヒプノセッションのご案内 - YouTube  [4m05s 320x240]

16パーミッションで苦手を克服!・自己催眠3分間マスター講座6 - YouTube  [6m12s 320x240]

17すべてがうまく運ぶイメージリハーサル!自己催眠3分間マスター講座7 - YouTube  [6m08s 320x240]

18今回はアガリ防止!自己催眠3分間マスター講座8 - YouTube  [6m53s 320x240]

19-1 幸福になる才能がわかるイメージワーク配信の告知 - YouTube  [6m25s 320x240]

19今回はリラックス呼吸法!自己催眠3分間マスター講座9 - YouTube  [6m20s 320x240]

20-1 子育て中の方へ。ストレス・悩み解消のセッションのご案内。 - YouTube  [5m06s 320x240]

20イメージがどんどん沸いてくる!自己催眠3分間マスター講座10 - YouTube  [7m13s 320x240]

21イメージが映像で見えてくる・自己催眠3分間マスター講座11 - YouTube  [7m12s 320x240]

22-1 幸運をどんどん呼び寄せるヒプノ(催眠)体験ワーク無料配信のお知らせ - YouTube  [6m24s 320x240]

22音がイメージを浮かばせる!・自己催眠3分間マスター講座12 - YouTube  [6m36s 320x240]

23次回からイメージ誘導法講座!自己催眠3分間マスター講座13 - YouTube  [8m27s 320x240]

24理想のあなたになるイメージワーク配信の告知 - YouTube  [6m51s 320x240]

31催眠誘導があなたにもできる?!イメージ誘導法マスター講座1 - YouTube  [10m13s 320x240]

32信頼関係を築く聴き方!・あなたにもできるイメージ誘導法講座2 - YouTube  [7m39s 320x240]

33相手の答えを導く聞き方・あなたにもできるイメージ誘導法講座3 - YouTube  [8m31s 320x240]

34相手を惹きつけるペーシング・あなたにもできるイメージ誘導法講座4 - YouTube  [8m07s 320x240]

35相手を惹きつけるペーシング(続き)・イメージ誘導法講座5 - YouTube  [8m51s 320x240]

36親密感を増すミラーリング・あなたにもできるイメージ誘導法講座6 - YouTube  [5m49s 320x240]

37心のクリーニング屋さんヨネダのごあいさつ - YouTube  [6m42s 320x240]

38過去生退行誘導の実際(ダイジェスト) - YouTube  [5m53s 320x240]

41ありがとう(1分間成功暗示) - YouTube  [1m51s 208x160]

トップページ:ヒプノセラピー(催眠療法)を応用して90分で悩み解決・夢実現へ!大阪の心のクリーニング屋さん・マイリバース

ヒプノ伝導士ヨネダのヒプノ(催眠)なんでも指南

秀穂 米田 - YouTube 動画は、投稿が新しいほど手前にありますから奥にあるモノが最初です。

 http://www.youtube.com/user/yonebon/videos?view=0

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 執筆中

 

 

 

 

 
 
                                              「弱者の成功戦略」から次のステップへに戻る
                                           親父が高校生の息子に伝えたメッセージに戻る