感知プログラムとは何か        \6000GIF25.gif

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           各講義音声ファイルの反復(聞き込み)は30回以上を目標にしましょう。

           反復の力は、貴方の意思の力を超えて内から働く不思議な力を育てます。

           私たちの合言葉・・・解ってなお反復!

 

在能力感知開発プログラム作成の本音

        16章完成間近の現在時点(H14.1月)での総括

         第一部入門編   1〜11章 80本完成(+排泄の科学)

         第二部基礎編   12〜14章 73本完成

         第三部応用前編   15章 81本完成

         第四部応用後編   16章 倍速79本目作成中(後約15〜20本今春完成予定)

         第五部観自在編   17章 未

         第六部飛翔編   18〜19章 未         その他セミナーテープ等数十本

 

「今のまんまでいいのですか?」

 知られざる自らの心の癖を知る。

 

当資料及び解説テープは「感知プログラムとは何か」の現時点のインデックス

 人間リーダープログラム(エゴイズムを滅ぼす、真我の生き残り・復活ゲーム)

 天から授かった技術、思考技術体系とその計らいの意図

 

涅槃の心境(苦の生起しない境地・至福)は実在する。

人生の創造エネルギーを自在にコントロール出来る技術の発見(受諾)。

技法・・・その言語化・明文化による普及が感知プログラムの天命。

智慧を開く知恵の集大成。

命の使い方の科学。

己内部の知られざる尊卑(聖邪・真偽・善悪)を知る。

人間を迷盲の世界にとじ込め続ける顛倒夢想を徹底解明。

「幸せを求めて無自覚にドツボに向う勘違い」を自覚し、修正する為のツール。

但し、天は自ら助くる者を助く・・・そして、縁無き衆生は度し難し。

 

※使用上の注意

 当資料で用いられている言葉の説明・概念の詳細は、全て感知プログラム中(作成途

 上ではありますが)で既に、約800時間をかけて行間の隅々に至るまで解説・証明済

 みです。(何故それがそうだと言えるのかを実証を以て徹底的に論証。)

 16章までの基礎知識を把握している事を前提として作成されています。

※当資料及び解説テープは視聴者の御機嫌をとったり伺ったりするモノではありません。

  意識改革の解答でもありません。

  その必要性を訴える、きっかけとしての些細なる「呼びかけ」の一つです。

  故に、これだけで何とか出来るというモノではありません。

  意識改革を成し遂げるには、真理探求心と反復量稽古というトレーニングが必要。

※初めての方で求道精神をお持ちでない方には、強過ぎますのでご注意下さい。

  「己を知る」には、真の勇気を必要とします。

  「自己に立ち向かう」為の、真の修行の提案だからです。

 それは、自己同化している無自覚な仮面や、己をダメにするエゴという「垢」を知り、

 それを削ぎ落としたい人が用いる心のスクレッパー(皮スキ)です。

 意識改革に成功した人を参考にして、今一度どう言う心構えで取り組むか検討する事。

 効用・効果の話をたっぷり聞く事。

 「内面的素晴らしさ・苦が生起しない・智慧が湧く・心の平安」等という抽象的な概

 念は、一般には理解(イメージ)されない(されにくい)モノだからです。

 

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           各講義音声ファイルの反復(聞き込み)は30回以上を目標にしましょう。

           反復の力は、貴方の意思の力を超えて内から働く不思議な力を育てます。

           私たちの合言葉・・・解ってなお反復!

 

 ※自分の内側を観る勇気の持てない人・邪な想念に無自覚な人は気分が悪くなる。

 EQ指数の低い人・自分に正直でない人も、気分が悪くなります。

 特に嫉妬心を隠している人・増上慢等の慢心に犯されている人は怒りが湧きます。

 (そうである事実を認めないのは自由です。

  黒を白であると思い込む事も、個人に於ては自由だからです。

  自分がそうである事をウスウス知っている故、言い方が気に入らなくなるのです。

   自らに心当りが無い人は「そんな人が居るのか」という程度でやり過ごせます。

   むしろ、面白がっている事でしょう。

  このタイプは、パソナリティーに障るモノなら何を言ってもダメ。

  事実を明らかにする事自体が、特にダメなのです。

  認識したくない事実が明らかにされるのを恐れ、嫌がるのです。

   そういう方は、仕方ないので、その考え方を今後もお使い下さい。

  勿論、本人の側からは、それこそが認められないから嘘だと認識します。

   事の真偽に拘らず「気分が悪い事は認めない」というイメージ的結論が存在。

  そして「無視する・逃げ出す」事を以て、そうである事を自ら証明する。

  統計確率的に存在するこのタイプの、その様に働く心理状態の徹底解明にも成功!)

※畜生界ステージ以下の住人は刹那的快または楽追及に忙しく、関心自体が湧きません。

※認めたフリをする開き直っている人は、恥を感じないので効果は出ません。

 その他、様々な症状が有りますが、感知プログラム中で多数の例で解説済みです。

※真実や義を求め続け、己に於ても邪は邪として「認められる」人には、溜飲の下がる

思いと、ワクワク・ゾクゾクする喜びが湧きます。

 認めない人は、既に解き明かしている説明通りの心理メカニズムで認めません。

 ある人は、当資料を目にしても触れる事も出来ません。

 しかし、もし触れたとしたら・・・うっ!

                                       ・・・ヤバイものを触ったらしいのです。

 

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世の中総て自業自得であるが、自助努力する人に、速やかなチャンスを提供する。

救済のネットワーク造り。(人口比で3%を目指す。)

 (涅槃の境地到達は技術である。一定の訓練で誰でも賢者の境地に到達する。)

救済者として立つ人間教育者の養成。

人類を正しく導く、救済意識に目覚めた真のエリート集団の育成。(1万人以上)

その計画の確かな勝算は何か。(そう言える確固とした理由が在る。)

皆、幸せを求めている。

  (到達した境地の様々な表現)

  真理を悟る・悟りを開く・自己実現する・涅槃する・目覚める・空の心境・自由人

  成功する・彼岸に渡る・解脱する・無為で生きる・神人合一・梵我一如

  心眼を開く・霊眼(右脳)を開く etc.

 これらの言葉は、大変魅力的で古来から多くの心ある人達に求められていた。

 そして多くの荒行やメソッドが伝承されている。

 しかし、その境地に到達・その状態を成就するのは至難の技である。

 従来のやり方では、修行者に何かからの天才性と偶然の何かを要求されていた。

 修行中に天才的資質が拓けるか否かは、偶然の何かによる賜物的なモノだった。

 その証拠を「成就した人」が、「他の人を同じ様に成就させるのは窮めて困難」な処

  に見る事が出来る。

 成就者のそこに至れた道・・・自分に合った方法が、どうも他人にはピッタリ来ない。

 結局、その成就者の弟子も何かから、別角度からの天才性を要求されてしまうのだ。

 多くの修行者は、それに総てを賭けて専心しているのに、その大部分が成就しない。

 それは、歴史が示している。

 故に、それが成就したりそこに到達したりするのは大変な事だと認識されている。

  昔の世界旅行は大変で、それが出来るという事は特別な事であった。

  現代は、地図も手段も整備され、その気さえ有れば誰でも出来る。

しかし当技術は、普通の知的能力の人に、賢者、覚者レベルの目覚めをもたらす。

 賢者・聖者・成功者等が何を悟り、どんな境地であったかが、解る様になるのだ。

 当然、そのステージの能力が発揮出来る様になる。

 普通の人と大悟した人の違いは、思考パターンの違いに拠る感じ方の形成の違い。

  それが基本的資質を形成し、それはやがて能力として認められる様になり、

  そして才能として輝き、常人を超えた力を発揮する。

 そして、その目覚めた人によって鼠算的にこの技術は伝染展開して行く。

 それは「天降の技術」故、もはや、私の存在の有無に関係はない。

 タカを括っている慢心者に言っておく。

 私は既に、それの成長発展していく姿の見守り役に過ぎない。

 私は、単なるパイプ役として選任されているに過ぎない。

 私の力を超えた力が、既に働き始めているのだ。

 チエの降臨であるが、それ自体が天命を持ったモノとして、それ自身の意思で人を通

  して展開し始めているのである。

 モノ見的霊感の次元ではない。(霊感では、真の救済・全体の救済にはならない。)

 降臨現象は人知を超えた不思議であるが、降臨した技術には不思議は無い。

今までの聖者賢者も成し得なかった真理説明の方便と新技術の確立。

 真の自己改善・意識改革&感情・欲求・衝動コントロール法。

 今まで全く見落されていた観点からの願望成就・自己実現法。

 凡ゆる抑圧からの解放。

 「知る」から「成る」へ

 トータルパースンの自由人。

 魂の浄化と絶対平安・至福の到来。

 人々の深層意識を理解する心眼の開発。

 真の愛の波動放射が出来る意識ステージへの到達。

 己内部の「卑=六根」に気付き自責せずに解き放つ法。

 聖人賢者の成就した境地(涅槃・彼岸・無為等)への超スピード到達。

 倫理家や道徳家、人格者と言われる人達が無意識に恐れて扱えない性エネルギー。

 覚者・成就者の多くが、良き人々を逆さまに導いてしまう(救えない)現実の解明。

 巷に存在する、素晴らしい「成功法則」を殆どの人が身に付けられないのは何故か。

真に求道している人が求め続けている、超一級の人にこそ理解されるノウハウである。

 そしてそれは驚愕されるで有ろう。

 「ん〜、こんなやり方が在ったのか!」

 「・・・だから、従来の方法では目的到達に困難を窮めたのか!」

 「今まで自分は、何と遠回りをしていたのであろうか!」と。

 これは歴史が証明する事になる。

 逆に、邪悪な者は「何を偉そうに!」とバカにして嘲(アザ)笑っているべきである。

  そして、周囲にそう宣伝するべきである。

当資料は、救済の意識を潜在させている人々に直観的に響く。

 解る人にだけ解る世界が在る。

 何かを感じる人は、そのセンスを大切にして欲しい。

  (当資料は一行毎に深い汲むべき行間・メッセージが有る。)

 光る文言・インスピレーションとして、期待感膨らむ「何か」を感知する。

 その「閃き」が無限の潜在能力を開く、「鍵」になる。

 ずばり解る人は菩薩。

 それは邪悪性を内在させている者には、何の事やら、伺い知れないモノである。

 人を「牧場の牛」にして、菩薩のフリをしている人は、ただ「許せない」感情が湧く。

現代では、誰もその詳細を解き明かしていない顛倒夢想。

 顛倒夢想とは「建設的なのに嫌い・破壊的なのに好き」となっている感覚体系。

  平均200〜300個、人によっては400〜500個以上在る。

  これを知り、その一つ一つを変容させる事が涅槃へ至る鍵になる。

  動物時代のプログラムを、意識世界に住む人は、人間プログラムに書き換える。

  原則・・「意識世界では、+は+と引合い−は−と引合う。+は−と反発し合う。」

  抵抗と引き戻しのメカニズム(錯覚の苦)を知り、その現象を乗り越える。

 涅槃の状態・彼岸からは、此岸(常識・現実俗世界)が、逆さまに見える様になる。

  (但し、実はこちらが「正見」である。

   苦が生起するのは、自分の感覚体系の何処かが顛倒夢想を起こしているから。

   顛倒夢想を起こし苦しんでいるのは逆さまにモノを見、感じているからである。)

 そして「無為に至る道」の子供でも解る程の易しい定義付け。

 顛倒夢想を起こしている感覚回路が、無意識的有能の段階まで高められる事。

  それは、求めずして満たされる世界。

  ギブ&ギブ・準備による賜物の世界。

  心のベクトルが愛と統合の方向を向いた時に、自然に「成って来る」状態。

 無為に成り得ないのは、心のベクトルが逆を向いているから。

  (この修復に、前向きな人のタイプで平均4〜5000時間を必要とする。)

学問とは「問うて学ぶ」、即ち質問をする事から。

 大事な事は、「何の為に真理を探求(勉強)する必要が有るのか」を明確に知る事。

  「苦は嫌だ。楽は欲しい。」この命題をどう成就させるか。

  「逃げ出し、貪る」か「立ち向かい、準備する」か、選択は自由。

  「その先を見ないで済ませようとする」か「その一歩先を見出そうとする」か。

 感知プログラムでは、その結末・顛末を徹底的に検証。

 無意識レベルの行動パターンも、実に詳細巧な「言語化」に成功。

 人は考え方を知らないと考える事も認識する事も出来ないというワナが有る。

  「幸せ」に付いて多くの人が考えてもいない。(「考える」になっていない。)

  むしろ、多くの人は「嫌な事」を心に抱いている量が圧倒的に多い。

  潜在意識に在る事が現実化するのである。

  「イメージ三分に行動七分」・・・一日4〜5時間は幸せに付いて考えて当たり前。

 しかも自分にとって「建設的な為になるモノをこそ排除し、破壊的なモノをこそ握り

 締める」という二重に絡むワナが有る。

  「一日4〜5時間なんて出来ない」という人が正に前述の事項を証明する。

 幸せや成功は欲していても、それを構成する要素の一つ一つは嫌いで排除する。   

 

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           各講義音声ファイルの反復(聞き込み)は30回以上を目標にしましょう。

           反復の力は、貴方の意思の力を超えて内から働く不思議な力を育てます。

           私たちの合言葉・・・解ってなお反復!

 

元気ビンビンの内に真理を悟って自由になろう。

 キリストの「まず求めよ」も、学問する事。

  真理とはなにか・空とは何か・涅槃とはどういう事か・自己実現とは・自由とは

  それが成就したらどう成るのか・それは如何いう心境・状態なのか

  人間は何の為に生きているのか etc.

 そして人間は、・・・人間だけが何故苦悩するのか。

  そもそも、苦とは、そしてその本質は何か。

  四苦八苦・・・苦悩・・・それは消える。

 感知プログラムは「問う人」に正確に応える。

  また、自らジャッジ出来る様に導くエクササイズ。

  更に「教えられたから分かる」を越える、何でも自ら「見出せる」感性の開発。

質問が出ないのは、「求める」を考えていないからに他ならない。

 「人として生きる」為の法を考えていないし、求めてもいないから問う事も無い。

 ここに「脳の3%しか使っていない」と、よく一般に言われる事を見出す事が出来る。

  それは「脳の3%以外の部分を使わず、97%は遊ばせている」という事でもある。

 普通の人は、その脳の3%領域が固定観念で埋っている(埋められている)。

 既に「益無き(少なき)事」に条件付いており、そのパターンから脱出する事は無い。

 人は、「3%以上を開発したい」等と言いながら、固定観念以外を使おうとしない。

 この世に蔓延(ハビコ)るこの矛盾を、モティベーター達はこの状況が何故解けないのか。

  概念の説明・・・つまり、メカニズムや定義が曖昧で、抽象的過ぎるのだ。

  (そして、その他にも一般の人には何の事か解らない概念が多過ぎる。

   それは、言葉の行間を汲み取らせる力が大いに不足しているのである。

   更に、人々の感覚体系に巣食う顛倒夢想が、真実の受取りを拒む。)

  常に「それは、具体的には如何言う事か」という疑問提起が重要である。

 この資料の問い掛けは、3%以外の脳を使い始めないとならなくなっている。

  感知プログラムでは、自分以外の立場からの「モノの見方」を認識する。

  そして、それに真に「利」が有れば受取るだけの事だ。

自分にとって「有益な」そして「考えてもいなかった事」に挑戦して見よう。

 これが「脳の3%以上を開発する」と言う事。

 自己の可能性の領域拡大は、この「理」に気付く事から。

  脳の中では、4%め以上の細胞に樹状突起を伸し合い、シナプスを緊密にする。

  感知プログラムで生じる「抵抗」を乗り越えた時、可能性領域が拡大する。

 まずは、その考えられない状態にハマっている顛倒夢想からの脱出だ。

 そして遠離一切顛倒夢想究境涅槃・・・「求めずとも成る」無為に至る。

人生の遅れ20年を3年で、40年の遅れを5年で取り戻し、追越す。

 大体、この資料は、常識の見地からはとんでもない凄い事を言っている。

 (真剣?に求道して来たツモリになっている人などは、肚も立つだろう。

  分かってて言っている。しかし、これが感知プログラム作成の本音なのだ。

  しかしそういう人にこそ、早く真理をモノにして欲しいのである。

  そして、今までの苦労を本当に価値有るモノとして成就させて欲しい。

  しかし、真に求道される方々にとっては、この様な辛辣な表現法こそ、最高の親切

   な言い方になっていると気付いて頂ける筈である。

  己の無自覚な固定観念をカチ割らずしては、自己変革の緒には着けない。)

 一般から見れば、嘘か真実かのどちらかだ。

  (ここで何かが「大きく問われている」事にお気付きであろうか。

   脳が働くとは、その一歩先が見通せる事。)

 人生に於て、真実と言えるモノをどれだけ集められるかは、その人のセンス・徳分。

  本物は「本物が判る人」にしか解らない。

 無意識に内在させている邪悪さの度合いが多いほど、真理を無意識に遠ざける。

 そして「チャンスは幾ら目の前に有っても見えない」を実証する。

 それは、感知プログラムの解析を「正しい」と証明してくれる事になる。

成功は「する」のが当たり前。(松下幸之助)

 情報の「嘘か本当か」「役に立つか立たないか」を常に確かめ続ける意識の持続。

  それが本当だったら、取入れないと損をする。

  それが嘘だったら、手を出したら被害を被る。

 この意識が不足している人には、自分に利をもたらすチャンスは見えない。

 多くの人が、本当なのに気付けず、嘘なのに手を出して、成功出来ない今の状態。

 思考回路のリハビリをしませんか?

  1500時間で言っている事の行間が判る様になり、5000時間で目が覚める。

  20000時間で脳が自由になる。

 一般に「多くの人はチャンスが目の前に有っても見えない」と言われるメカニズムを

  「それが何故なのか」感知プログラムでは徹底究明しており、その解答を得ている。

その能力と感性(真実やチャンスを手繰(タグ)り寄せる力)の有無が、実証される。

 自分を信じ自分に正直に生きているか、それとも自分を誤魔化し仮面で生きているか。

  (大体、この資料は、機根の在る人でないと分からない。)

 邪悪な者は、段々気分が悪くなる。

 邪悪な者は、邪悪と言わせない為の弁護・言い訳を己にし、真理を拒否する。

 その者の側からは、それが真理とは言えない屁理屈や詭弁が直ちに見つかる。

 間違いを自分に正当化するから、人生は開けない。

 邪悪な者は、真実を照す精察の光を嫌がり断固拒絶する。(ディベート出来ない。)

  議論を恐れる者は、自分のあやふやな信念体系が崩壊するのを恐れている。

  それが何故そうなのか全部、深層心理から分析・説明済み。

 逆に、真を求める者には「そうだったのか」と、溜飲が下がる思いと喜びを提供する。

 成功して行く我々の5年後・10年後・20年後を、見ていて頂いたらいいのです。

 彼らに残る最後の抵抗手段は「認める位なら死ぬ」という無自覚な身体言語だけ。

 邪悪な者に、幸福度で徹底的に差を付ける技術を提供するのが感知プログラム。

世に埋もれさせられた「真の正義」の奪回と実現。

 夢想家や単なる平和主義には、パワーが無い。

 世界を見渡すと偽りの正義が幅を効かせ、真の正義が死んでいる。

 偽善の蔓延は、人の心に巣喰う「邪悪性」なるモノに対する見解不足故の見過ごし。

 一般の人は「邪悪」に付いて、殆どそれをそれと認識する知識を持っていないのだ。

  特に、それに「とり憑かれて」いる者は、それを認識する事自体を否定する。

 邪悪に対する明確な見解を持たないと、真の正義は樹立出来ない。

 邪悪の見過ごしは、道徳を腐食し良心は殺され、訳が解らないまま人心を荒廃させる。

 感知プログラムは、各人に封印されている無限なる正義の創造パワーを解放する。

 国家100年の計、世界500年の計から俯瞰する。

 ところで「邪悪性」というモノに付いて、説明出来ますか?

大衆という人々の、邪悪・迷盲に対する無知からの覚醒。

 一般民衆は「邪悪性」に付いて、明確な見解を持たない。

 せいぜい、何とも言いようのない嫌悪を感じる程度である。

 邪悪性は、潜在している発病前の病気であり、凡ゆる問題の根源である。

 それは、心ある人の道徳性の社会実現を食い潰して行く思考ウイルスだ。

 感知プログラムは、潜伏している未病(邪悪性)を治す。

 或いは取り除く。

 個人個人が、邪悪性という巧みな責任転嫁をはっきりと認識出来る様になるからだ。

 感知プログラムとは例えて、この世の邪悪性のワクチン、そして抗生物質である。

 汚れの禊(ミソギ)・・・己の内部の邪悪性の認識とその除去こそ真の禊。

  垢に塗(マミ)れている本物のコジキは、風呂に入る必要性を感じない。

  共に、ケガレとヨゴレに対して全く平気。

そして、自由人への啓蒙。

 感知プログラムは、自己実現への実に事細かな階段である。

  (H14.1 現在 テープ400本以上、後300本程度は作成予定。)

 今まで誰も気付かなかった事だが、実はこの量が「心眼」開発の秘密となっている。

 全章通じて既に延べ続けている事だが、潜在意識には、そういう仕組みが在る。

 我こそは!と、真(マコト)を求め、誠で生きたい人に、この秘密を見破って欲しい。

 そう言う人にこそ、人間の無限のパワーと言われる潜在能力は花開くべきなのだ。

 そして、愛のパワーが自在に使える、自分の人生の本当の主人公になるのだ。

 (この事の重要性に付いては、特に深く思索するべきである。

  こう言う事を軽々しく扱って、自己を裏切ってはいないか。

  真に求めるべきはこれだと、自分に素直になれるか。

  諦める癖・逃げ出す癖・その先を見ないで済ませ様として来た癖が明らかになる。)

 タカを括る慢心者は、その人達を鼻先で笑いながら見ているべきである。

 いつの時代にも、自ら真偽を求めない観衆役としての「天道説人間」は居る。

  己の浅はかな理性で認識出来ない事は「信じない」事にしているのだ。

自分は何の為に死ぬか。

 此岸からの問いは「人間は、何の為に生きるか」である。

 彼岸からの問いは「君は、何の為に死ぬか」となる。

  此岸と彼岸からのモノの見方は逆さま。

 それは即ち「自分の命を何と引き替えるか」であり、

          「貴重だと思っている自分の命を、何の為に使うか」と言う事である。

 真剣でない者は、この命題に付いて思考する事そのものに恐怖が湧く。

 ここでたいてい思考はストップし、問い掛けられても心的態度は逃避に向う。

 自分を大切にしようという提案に何故恐怖を感じるのか。

  可笑しな事だが、これがさかさまの感覚体系、顛倒夢想の一つである。

 いい加減にそして適当に人生を誤魔化して生きている事を実は知っているからである。

 それがバレるのを恐れているのである。

 しかしそれは次に述べる命題で、愈々はっきりと明確化する。

己の行動スタイルから、(見ない様にしている)無意識の想念を言語化する。

 一度、今現在している事に「○○の為に生き、その為に死ぬ」と言って見よう。

 今の生活スタイルの目的を素直に○○に当て填めて見よう。

  貴方のしたい事は何ですか。

  趣味等はそのヒント。

 「言えない」も含めて、それがその人のレベル。

 趣味を問われて「食う事」「寝る事」「何も無い」等と平気でノタマうオメデたい人。

 また、人の死にざまから「○○の為に死んだ」と在るがままも見て見よう。

 する事・したい事の分らなかった人の死にざまは、その死に方が無意識の目標である。

  孤独・退屈・寂しさ・生活習慣病

 よく見ると、人は皆、その為に生き、死んでいる。

 そして、その殆どの人が「考える事も無く」である。

顛倒夢想の感覚は「タナトス」を、片時も休む事無く、せっせせっせと養育する。

 マイナス或いは破壊的なモノを惹き付ける力の訓練(当然無自覚・無意識)である。

 心のベクトルが「貪り・逃避」を向いている人にとって、それは日々、増大して行く

  モノである。

  (顛倒夢想の本質が理解出来ないと、タナトスの本質は理解出来ない。)

 一生懸命頑張って来た事は「タナトス」を育て上げ、それを果す事だったのである。

 宝を求めて掘った穴が自分の墓穴になっている。

 何と!不本意な事よ。(動物プログラムを人間たる自分に適用するからである。)

 この大いなる勘違いに「目覚めよ!」と感知プログラムは連呼する。

 原則(道)から外れた生き方が「外道」。

 故にその顛末が、失望・絶望・諦め・開き直り・苦しみ(四苦八苦)巧くいってボケ。

平和ボケは、自分の命の浪費。

 何の為に生きているのかが分からないのが平和ボケ。

 また、世の役に立つ人・居ると困る人・どちらでもない人。

 宇宙からは、要る人間・要らない人間・どうでもいい人間。

  自分は何処に入るか。

  それで良いのか。

  皆自分で知っている。

  だから自分で清算する。(タナトスの強大化・・・豊富な事例で説明済み。)

真の平和を築くには「死の衝動を昇華させる」教育が必要。

 人生の結末が、真の満足か不本意か。

 不本意な結末こそ、無自覚な死の衝動に叩きのめされた結果なのである。

  皆、破壊的なモノ・方向を好きと感じて吸い寄せられて行く心理現象に全く盲目。

 「○○の為に死ぬ」を自ら発想させる教育。

 尊厳在る「命」の使い方は、科学されねば成らないのだ。

 自分の命と引き替える「○○」は何か。

  自分にとって最期、真に満足を得られる価値有る事と言えるモノが何か有るか。

  考えなければ価値有るモノは見出せない。

  無価値な○○と命を引き替えた事に気付く時、人は失望し絶望を迎える。

 一般に人は、考え方を学ばないと「自分の本当にしたい事」は、発見出来ない。

 また、自尊心・誇りを持つ生き方を教えられていない事に気付いているか。

 それどころか、それを持てない様に教育・条件付けられている事に気付けるか。

 マインドコントロールの恐怖は、それを受けていると自覚させない事に有る。

正義の味方を自負する人、正義の味方に成りたい人大募集。

 そして、既存の教えやノウハウに満足出来なかった人・疑問を感じていた人も大集合。

 まず自分自身を幸せと成功の実験台にしてみよう。

 まず、潜在意識の「幸せや成功を呪い、忌み嫌う」データの存在を明瞭に自覚しよう。

 知らない内に、自分を騙す偽善のメカニズムを理解しよう。

 それは、無自覚だが、確実に被害を引き寄せる「獅子身中の虫」に他ならない。

 人を動かすには、人の深層心理から理解出来る心眼を養う。

 心眼は、邪悪を見抜く。

 とにかく、無意識のメカニズムを理解し、その真髄を悟るのだ。

 自分を信じ、自分に正直に生きる。

 人生は自在、そして自由に展開する。

  (但し、多くの人は、自由とか自在と言われてもイメージが持てない。

   自由とワガママの違いが区別出来ない。)

 今までの人生観からは、想像も付かない程、思う事が思う様に展開し始めるのだ。

我々は今、大恐慌を前にしている。

 そこで問われる「普遍的に価値を生み出すモノ」は何か。

 人々は今、個人個人がバラバラになる様に導かれている。

 その仕掛けられる、巨大な見えない力とメカニズムを見破るのだ。

 真のリーダーシップ力を身に付けよう。

  人に利を与える力・・・人の苦しみを解決に向わせ、希望を見出させる力。

  人から利を「取りたい」が「先」にある人には理解されない。

 イエスの言った「人をとる漁師」とは?

学ぼうとしない者に、幸福度で徹底的に差を付ける。

 それが学ぼうとしない者への唯一の導きのチャンスとなる。

 疑う者は、先に学び始めた人がどうなるかを見ていると良い。

 (但し、当面は引き戻された人を見て喜ぶかも知れないが・・・。)

 如何様な技術・養成された能力(智慧)が、己のどういう世界を拓くか。

  自由人は、抑圧や柵(シガラミ)から離れて、無為で生きる。

  自由人は、求めずとも満たされる状況に生きている。

  自由人は、好きな事をしていたら(すればするほど)、周囲に調和が生まれる。

  自由人の漂い着く処に、成功が生まれる。

まずは理で理解出来、実行出来る「機根」の有る人の発見から。

 自己の成長・向上を心から願い、修行の心構えを素質として持っている人がいる。

 いくら資質に恵まれていたとしても、チャンスに巡り合わねば才能は開花しない。

 そういう人が、人口比で3%いる。

 ・真実を直感的にキャッチ出来る、根性に「けがれ」の無い人、少ない人。

 ・心の奥底に、邪悪さを育てていない人。

 ・知らないで犯していたミスを反省して、切り替え、正そうとして自ら誠を求める人。

 ・謙虚である事をモットーに出来る人。

 ・もう真理にサレンダーしたい人。

 ・大志実現の為にその対価を払う覚悟の有る人。etc.

 感知プログラムは、そういう人の心に眠る正義を、まず自分自身の為にそして世の為

  にも、実現・現実化させる為のモノである。

どういう社会が実現して来るか。

 当技術は、人々の間に永遠に拡幅して行く。

 邪悪を見抜く目を獲得した人は、人間関係が一新する。

 詭弁を弄する者には、それは恐ろしい事だ。

 当技術を修得した者は、凡人の数十倍から数百倍のパワーを発揮する。

 平均寿命も数年から数十年伸びるであろう。

 凡夫の隠居の時期に、正にそこからも数十年の教育力・感化力を発揮する。

 学びの無い者は、老後に隠居を迎え、天寿以前に早目に没る。

 また、独自の経済ネットワーク・医療システムが形成される。

 古いシステムは収束して終焉を迎え、新しいパラダイムが展開する。

感知プログラムの進展にその人の志の程度(自分でも気付いていない本音)が表われる。

 そして邪や慢を取払おうとしない人は、説明されている通りの不成功のワナにハマる。

 その因果が、プログラム中で証明されている事にも気付けないのである。

 そしてそうなるメカニズムも、全章を通じて既に解説・説明済み。

 自分を偽り誤魔化す偽善と仮面を自覚しない限り、感知の正しさを証明するばかりだ。

 自分の狡さ・向上への怠慢・慢心・邪悪さを絶対に変えたくないし、存在も認めない。

 感知プログラムを聞くに堪えない感情に襲われ、嫌悪すら感じる様になる。

  不成功を無意識に引き寄せる因子を内在させている人は、必ずそうなる。

  それが、感知プログラムという処方箋の効果であるから、それでいいのだ。

  問題は、それを正しく判断出来る「知力・選択力・直感」が有るかどうか。

 ここで、有る種の人々は「縁無き衆生は度し難し」を自ら証明する事になる。

 その人達は、何が本当に「恥」になるかを知らない。

 「恥」というモノに付いて、自ら思索し考えた事等が全く無いからである。

 真に「恥を知る能力」を養成するには、平均数千時間のエクササイズが必要である。

 感知プログラムでは「無恥」である事に「無知」だった自分を発見する事が出来る。

 学問をしない人は、無恥である事が全く平気な感覚・感性となっている。

 この感覚・センスこそ、幸せや成功を退けるモノである。

 ・・・と、言っている事自体が、学び続けて見ないと理解されないモノではある。

解る人の側から一方的に観える世界が有る。

 分からない人の側からは、解る人の側の思考は知り様も無い世界なのである。

 「見られている・観察されている」という概念(相対的)が理解出来る事が重要。

 そうすれば、今の自分以上の視点が存在している事を推測する事が出来る。

 その存在を知れば、成長を求めている人は、その視点への到達を自然に求める。

 心が成長する人は、思考がその様に流れて行く。

救われるか否かは、究極、その人の根性の持ち方一つとなる。

 逃げ出すか立ち向かうか。

 それは、この世の全ての人間が「宇宙」の「偉大な何か」から問われている命題だ。

  選択は自由なのである。

  人生に於ける結果は、その人の選択通り。(一分の狂いも無い。実に公平。)

  ただ、肯定結果の原因は解るが、否定結果を導いたミスは本人の側からは分らない。

   成功者には失敗者のミスが分かるが、失敗者には成功者のコツは分からない。

   巧くいく人からは、巧くいかない人の原因が手に取る様に分かるものである。

   理の見えない人々は「巧くいく事が正しい」というモノの見方が出来ない。

   故に、「巧く」いっている人から学ぶ事が出来ない。

  そして、分らないまま「没る」という、知覚し得ない最高の悲劇に見舞われる。

 自分に立ち向かう・・・そして「立ち向かう」心的態度の完成。

 感知プログラムは、「自己を見て見つめて見極める」道具に過ぎない。

 スバラしい人は、自己の内面に於て、聞かない為の立派な言い訳を発明する。

 結果的に「救済されてたまるか!」というデータに操られて飛出して行くのである。

  ちょっとの勇気を奮い起こさない為に・・・。

  自分の狡さを正そうとしない為に・・・。

 次第に心の怠惰性に浸食され、忙しく、葛藤の日々に飲み込まれて行く。

 元の木阿弥か、それ以下になる。

慢心者には、この話自体が「自分を丸め込もうとしている」詭弁として感じる。

 何故その様に感じるのか「自分の為に」考えてみる事である。

 そういう心理状態も説明済みだが、そういう人に私はこれからの結果を見て頂くだけ。

 この資料は、老婆心からの発露であると言っておく。

 この理が良く理解出来る人には、巷でこの種の人間がはっきり見える感覚が生じる。

一番理解すべき処を、質問する事も無く一人で勝手に感情的に否定する。

 そして「度し難き縁無き衆生」である事を、物的証拠を揃えて自己証明する。

 「求める」と「逃げる」を天秤にかけて「逃げる」を選択する。

 本人の側からは「間違いだから離れて他に真理を探しに行く」感覚として感じる。

 また、「自分には合わない」という事にする。

  (立ち向かわされるモノは、その人の感性の中では永久に「合わない」からだ。)

 「逃げた」という感覚が生じない事が、解る者から見れば恐ろしい。

 そのパターンの行動・思考原理も、深層心理のメカニズムから解説済み。

一般に、人は真実の自分を見つめる事に恐怖する。

 正当化の為の言い訳は、山の様に何とでも「発明」出来る。

 しかし問題は、結果だ。

 物的証拠は、真に幸せ(自己実現・自由人)に成って見せる事。

  (思い込みの幸せ・ヒナヤーナに注意。)

 結果の出ない言い訳は、どんなに正当化しようともそれは屁理屈、或いは詭弁だ。

 しかし、自己を誤魔化す人は、この理が理解出来ないし認められない。

  「賢者は歴史に学ぶ」が理解出来ず、己のエゴで「やり遂げる」等と宣言する。

  失敗して、もし学ぶ事が出来たとしたら「間違っていた」事に気付けるだろう。

  「逃げる」という否定を選択する方向に、幸せや成功等無いという事を。

 感知プログラムは、結果から原因の因果を帰納的に見出して行った法則の集大成。

 

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           反復の力は、貴方の意思の力を超えて内から働く不思議な力を育てます。

           私たちの合言葉・・・解ってなお反復!

 

天は自ら助くる者を助く。

 ・・・感知プログラムは、自らを助けようとする者の為に有る。

 自らを助けようとしないで逃回る者が、何故その様に振る舞うのかも徹底的に解明。

 知らないでいる事の危険性が逆モティベーションとなって、知ろうとする者を助ける。

  反面教師となって頂ける有難い「方々」。

  心の成熟度・魂の輝度(磨かれ度合い)とその成長度等が手に取る様に見えて来る。

 感知プログラムは、真実の自分を知るプログラムである。

 感知プログラムは、心の垢とホコリを削ぎ払い落とす。

 心の垢とホコリと自己同化し続けていると、自分自身が削ぎ払い落とされてしまう。

  先の格言は、逆を返すと「天は自ら助けようとしない者は助けない」だろうか。

  否、「助ける」の反対は「助けない」ではなく「引きずり落とす」となる。

  即ち、「天は自ら助けようとしない者は引きずり落とす」となる。

 実際、凡ゆる処でそうなっている。

 皆、意識が盲目故、気付かないだけ。

 ・・・感知プログラムは、逃回る者にとって「知る事の出来ない最大の皮肉」となる。

人には選択の自由が有る。しかし、その選択のツケは必ず払わされる。

 この言葉は、数百時間は思索し味わいたい「因果の理を悟る原点」である。

  蒔いた種に従ってしか、収穫は見込めない。

 逃回る者は、この理を絶対に認めないぞというマコトにスバラしい選択をする。

 逃回る者が、逃道や隠れ場所を探し回っている間に、我々は、

        「逃回る者が、何故、理が理解出来ず、

         何故、逃回り続けて、

         何故、ドツボに陥らなければならないか。」

 という無意識のメカニズムを、完璧な迄に理解しよう。

 学ぶ者は、逃げ出す者を見ている。

 「人のフリ見て我がフリ直す」のだ。

 我々の元では、正義が集合する「同類親和の法則」が如実に顕現する。

 慢心者は「馬鹿馬鹿しい!」と、捨て台詞(セリフ)を吐くべきである。

質が低い内は、真に価値あるモノの価値は全く見えない。

 人間の認識のメカニズムは「円錐螺旋型回顧的理解」。

  ・・・まず学んで見て、後からでないと解らないのだ。

  人は、考え方を知らないと考える事が出来ない。

 この話自体、理解出来る人とそうでない人に、既に分れている。

 そして理解するとせざるに拘らず、その人の直観力のリトマス試験紙に成っている。

 それは機根の有無だ。

 「何かが違う」と直観が働き始めている人がいる。

この資料は「言霊」となって、貴方の中の失敗を引き付ける因子と、既に闘っている。

 貴方の中の正義が、この「言霊」と一体になろうとしている。

 自分の主体が正義に在るか、それとも仮面(偽りの自分)に在るか。

 自分を騙しきってしまうと、仮面に乗っ取られてしまう。

  正義に在る人は、この話が面白くてしようがない。

  それは、繰返して覚えたくなる程である。

   (当資料のバージョンアップ毎に、録音し始めてくれている人がいる。)

  仮面に在る人は、嫌で嫌でたまらず、二度と聞きたくなくなる。

  が、勇気有る人は、この理が自分の中の悪因子追出しに役立つ事に気付いている。

 この言霊は、仮面を燻(イブ)し出し、そして追出す。

  自分を裏切らない様に。

  真実の自分を仮面に同化させない様に。

  そして、仮面に乗っ取られない様に。

 どちらの自分に勝たせたいですか?

邪悪は、正義を装うが、真の正義は拒絶する。

 邪悪の側には、この理に対する反論と自分なりの「正しい見解」も有ろう。

 ならば邪悪は、この理を認める人をどう見るか。

 この理に反感を感じる人は、増え始めたこの理を認める人をどう見るのか。

  まず内面的成功を勝ち取り、「幸せだ」と言っている人達を如何否定するのか。

  否定した結果、自分自身はヒナヤーナではなく「本当に幸せ」と言えるか。

  仮面によって「幸せと嘘吹いている不幸」というワナに陥らされていないか。

  その考え方は謙虚であると言えるか。(それは貴方自身の願望か仮面の意見か。)

 ・・・出て来るのは、更なる反感の感情のみである。

 人間として在るべき姿を否定しつつ、成功する事は有り得ない。

 世間は、そういう人の開花を許さない。

涅槃・自己実現等を自力で成し遂げるには。

 日常起こり来る、実に些細な「小さな本当」を確実に掴み取り続けるセンスが必要。

  何がそれか?

  それがそうと判断する、その基準は?

  それはいつ来ているのか?

 その瞬間が、リアルタイムで解る様になる事。

 「真に得する方向」をいつも掴み取り続ける選択能力が有れば良いのだ。

 たったこれだけの事だが、これは大変に難しい事だ。(世間と歴史が証明している。)

 心のベクトルが貪りの側を向いている限り、それは絶対に不可能。

 実際、己の教師と成る事例は、反面教師も含めて毎日山の様に起こり来ている。

 しかし、殆どの人がそこから何も学ばないではないか。

  感知プログラムでは、その学べなくなる訳(学習能力を失う訳)を実に詳細に解説。

  原因が明らかになれば、正すのは、実に容易になる。

 人の一生の内には、否、20年位の期間で涅槃に至れる材料は十分に起こり来ている。

 人は一生の内に、2〜3回分は涅槃出来る準備期間が与えられている。

 しかし、誰も自発的には気付けない。

そこで、そのセンスの訓練が繰返し巻返しの「反復トレーニング・量稽古」なのだ。

 20000時間の特訓で、そのセンスが己の資質と成る。

 たった5〜8年。

 観自在・・・愛のエネルギーを自在に使いこなして、真の自由・事業の成功等々。

 真理を悟り得ない者は、人と同じ、今のまま。

  開き直りは、負け犬、最期に後悔するだけ。

  それはその人の真我の思い・願いではない。

  相変らず、自分を偽り続ける姿である。

 そしてその姿こそ、データに操られている事を感知では見事に証明しているのである。

  当呼びかけスタイルは、解った人には「目茶苦茶親切だ」という事が解る。

  しかし、解らない人には、親切だという事が解らない。

  愛(欲)を欲しがっている癖に、愛を知覚する能力が極めて低いのである。

  そういうタイプは、他からの親切も間違い無く取り零(コボ)している。

  しかし、そうであるとは絶対に気付き得ない。

 資質とは一事が万事、無自覚な「総ての自動判断装置」。

 成功は、テクニックではなく、己の資質に注目する事からだ。

「自分の為に成る事を自ら蹴飛ばす」とは、如何いう事か「その真意」を知ろう。

 その選択の結果、起こり来ている苦は、自分にとって尋常成らぬ大変なモノである。

 我々は、その苦が我慢出来ないから学問しているのである。

 騎士精神は立ち向かう。

 奴隷根性は逃げ出す。

 真実が掴みとれるか否かはその人の直観、そしてその直観はその人の履歴なのである。

 

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感知プログラムのワンポイント感覚体験1

知っておきたい原則中の原則(鉄則)。

 

多くの人が無知(苦)から脱却出来ない訳。

 未熟な内は、現象を支え運行させている「理=因果」が観えない。

 次の3点は、弱者として成功を目指す者が絶対に知っておきたい心構え知識の原点だ。

  ☆人間には、幸福度を自分で無意識に決めている一定のボーダーラインがある。

   それを基準にして、人の無意識の機構は次の様に働く。

  @幸せや成功の原因となるモノを全く無自覚・無意識に排除してしまう。

  A不幸や失敗の原因となるモノを衝動的に引き寄せる。

  B或いは、そのままの低い状態を維持し続けようと無意識の機能が働く。

 この論理の組み立て自体も、人を幸せに導こうと意図されているモノである。

 故に、この種の話自体を排除しようとする力が、既に無意識に働いてしまう。

  真実を間違いと感じる・嫌悪感・無関心・価値が見出せない etc.

  その様に感じる・・・これも潜在意識の働きなのである。

 それは成人した人に対して、意識レベル(心の成熟度=EQ)が低い程、強く働く。

知らないとは、そうなっている事自体にも気付かないのだ。(無知の無知)

 何故その様になるのか。

 感知プログラムでは、このメカニズムがイヤという程、詳細に説明されている。

 この理を知る(真に悟る)事によって、「無知の知」から人生が再スタート出来る。

 また、心のベクトルは殆どの人が「貪り」の方向を向いている。

 離せば良いモノを握り締めてしまうから、離せないのだ。

 (これをリアルタイムに知覚出来る様になるには、数千時間の訓練が必要になる。)

 まず個人個人自ら、自分の何処がそう成っているかの発見に努める。

 これが「自らを助ける」の第一歩となる。

 この理を聞いて、そうしようと発念出来ない者は、既に「逃げる」が身に付いている。

 幸せを得たいとしながらも、既に「自らを助けない」を選択している事になっている。

 或いは「自らを引きずり落とす」を選択する。

 エゴだらけの人間は、そのエゴが邪魔をして、この理を認めない。

 認めないのは、その人の自由である。

 但し「それを選択した故、廻って来るツケから逃れる自由はない」と忠告しておく。

 法則に逆らう者が迎える顛末には、大変興味深いモノが有る。

この@ABの力は、凡そ次の様な割合で働いている。

         上層の 3%の人に  3〜13%

         中層の10%の人に 13〜87%

         下層の60%の人に 87〜97%

        最下層の27%の人に 97〜100%

 27%の部類の下方にいる人は、ほぼ100%近く働く。

 逆に幸せや成功を引き寄せ、不幸や失敗を排除、或いはその位置を保とうとする力は、

  この逆である。

 そして、下がり行く人は、無自覚なまま加速的に人生に失速して行く。

 これは、殆ど無自覚なまま進む。

 自らそうしていると気付く事も無く・・・である。

この現象(力)をかろうじて知覚する者には、「引き戻し」現象として理解される。

 ここが、自らをダメにするエゴと決別するか如何かを問われる処だ。

  (この理の説明にも、ハッと気付くも、逃げ出すも嘲笑うも自由である。

   この理の真偽に対する直感は、その人の魂の成長度とセンスだからだ。)

  (また、こういう処で、EQ指数の程度が推測出来る。

   EQ指数の低い人程、「心の状態」を良くする話に抵抗を示す。)

 我慢や抑圧をかけないで乗り越える「理」を早く理解し体得する事。

  その「事」の受け止め方にはコツが有る。

  それを体得していないから、苦を感じてしまうだけである。

  感知プログラムは、この技術が凡ゆる角度から語られ、その集大成でもある。

 この力は、宗教や哲学で「業=カルマ」等という概念で理解されている働き。

 良かれ悪しかれ、その次元そのレベルに固定される働き。

 自分にとって真に得する話には上の空。

  或いは、一旦理解した事も綺麗に忘れさせる。

 昔ながらに伝承される、実に些細な正しいアファーメーションも持っていない。

これらの認識を否認していると如何なって行くか。

 否認する事は、自由ではある。

 しかしその考えの選択の結果、如何いうツケが廻って来るか等、考えてもいない。

 「理解出来ない事は『これ幸い』と認めない事にする」と決めている人がいるのだ。

  実証されるか否かに関係無く「理解出来ない事は認めない」というイメージ的結論。

  何とも、それがその人の思考を支配している論理体系の根幹に成っている。

  個人が認めようが認めまいが正しい事は正しいのだから、「正しい事でも認めない」

  というミスが発生する事になる。

  しかし、このミスは放置されたまま、誰も進んで正してくれる事は無い。

 その後その上に構築される色々な判断基準が皆、ボタンの掛け違いの様に狂って来る。

  絶対とは言えないモノの見方がデータベースとなっていて判断が曖昧になる。

  正しいモノの見方と顛倒夢想の感覚が混在した状態からの判断力。

  真理とは絶対と言えるモノである。

  絶対と言えるモノでデータベースを形成すると、確固とした判断が生まれる。

 EQ指数の高い人には、説明しなくても「自明の理」であろう。

 抵抗を感じ、どうしても客観視出来にくい人に言っておく。

 この理が面白くてしょうがない人達が、既に「大勢いる」という事である。

 これは、好き嫌いの「好み」で、かたけられる問題ではない。

 そういいたくなるのは、今まで使って来た大変便利な「逃げ口上」である。

 絶対的なモノであるにも拘らず、相対的なモノにすり替えようとレトリックを使う。

 「仮面に操られ、真我が仮面に騙される」という現象が在る、と言っておく。

今までの考え方を使い続ける限り現状の変化は無い、という事を如何しても理解しない。

 今までの考え(選択)が今の状況を導き出している。(三界は唯心の所現。)

 「自分に、もしかしたら非が在るのかもしれない」と考えて見る事が出来ない。

  指摘されてやって見るのでなく、自らその考えを発案発想する感じでする事が大事。

 この様な、道理を以ての正しい「諭し」に対して悉(コトゴト)く反発・反抗する。

  真理を、それが真理である事の認識に導こうとしても、その重要性が解らない。

  大体、真理という言葉の「意味合いそのもの」が解っていないのだ。

  だから、真理を希求する気持・それを見出そうとする気持は全く生まれない。

  こういうタイプは、真理を指し示されても、ハナクソ程度にしか見えない。

  真理に対する認識が無意識的無能の段階なのである。

 自作の苦に対するストレスの捌け口を、救いをもたらしてくれる者にこそ打付ける。

 本人は、そういう言動をとる事が好きであり、耳を傾ける事はまっぴら御免。

 そして、救いの手に自らドロをかけるか噛み付いて、心ある人を呆れさせる。

 本人の側からは「愛がない」「愛をくれないアンタが悪い」と踏ん反り返っている。

 その認識には、本人の側(本人の感覚)からすると、一切間違いは無いのだ。

 そういう思考回路に成っている人間が存在すると知ろう。

本人の側からは、悪いのは(原因は)全て周囲であり、自分には「非」は無いのだ。

 何故、本人に非はないのか?

  それは、考えてないから、本人の認識の中に「非」なんてモノは「無い」のだ。

  「考え方の中」に「非」が無いのだ。

  だから自分に「非」は無いのだ。

  ・・・この気持を繰返し強めて行くと、「非が無い」事に確信を持つ様になる。

  「非は無い」のだから「非が有る」訳が無くなる。

  だから「非がある」とは、微塵も認めない。

 これがその人に於ける論理となる。

 自分に都合の悪いモノは、既にそうであるにも拘らず、一切認識しようとさえしない。

喜びを見出す心(感謝の心)など無い。

 但し、本人は出来ているつもり。

 つもりが何故出来上がるのか。

  先程とは逆に、「いい事」は出来ていなくても「出来ていない」とは認識しない。

  自分に不利と直感する事は、ただ只管「出来ていない」と認識しないし認めない。

  その思いを繰返し、強める。

  故に、「出来ていない」という記憶が無い。

  そしてそれは、絶対に「出来ていない事はない」という認識に変化する。

  「出来ていない記憶」が無いから「出来ていないよ」という指摘には断固拒否する。

  自分がそれを断固拒否・拒絶する事によって「出来ている」と同じ錯覚を生ずる。

 故に、それは「出来ている」に「限りなく近い感覚」として認識するのだ。

 では実際、今日、心の底から「有難いなぁ」と何回思い感じましたか。

 昨日は如何でしたか?一昨日は?

自分騙し・誤魔化しは、この様に自らの感覚にレトリックを生じさせる。

 凄い思考回路、信じられない論理である。

  本人は長年に渡って、この独自の論理で自我を守って来た(実は破壊)のである。

 故に、成っていない事を告げると、「如何したら良いか」を問わずに反発する。

  これは、心のベクトルが貪りの方向を向いている人の特長だ。

  親切(真実を告げるアドバイス)に対して、反抗する。

  その態度が既に、苦を呼寄せる本人の資質の全てを物語っているにも拘らず・・・。

  固定観念以外には、一切脳が働かなくなっているのである。

  謙虚さを忘れ頑固になる・・・それは歳をとった物的証拠。

 自分を引上げてくれる「真実の愛や親切を知覚する能力」が非常に低い。

 感謝の心が無いその物的証拠は、自分の為を思ってくれているとは発想もしない事。

 愛を知覚する能力に欠陥が在るのだ。

 愛が知覚出来る人は、心からの忠告に感謝の念が生じる。

 そのアドバイスは自分の為に言ってくれているという事が解るからだ。

 自分の「非」を発見せずして、自己の向上等有り得ないではないか。

 しかしEQが低いと、こんな簡単な理が分らない。

幸せな人の側からは、苦しみもがいている人の因果はよく見えるモノである。

 ところが、苦しい人が、幸せな人からのアドバイスに感情(屁理屈)で反論する。

 自分の歪な主観的決め込みで、幾らでも同じ事を繰返し、理による説得が効かない。

 自分の主観的認識こそ絶対だとして、話が全く進展しない。

  「痛い話に耳を傾ける?」

  「何を言わんとしてるか吟味する?」そんなモノはハナクソの屁のカッパ。

 「何と言われようが、自分の考えは絶対に曲げる事は出来ない。」という態度。

 ここまで根性が腐って来ると、親鸞上人の格言が脳裏から聞え始める・・・縁無き〜。

  「そう、アンタは正しいのだ。」

  「アンタの考えは全て正しい。間違っていない。」

  「そして、心は真っ直ぐ、清らかです。要らない忠告等して御免なさい。」

  「非の打ちどころも、指摘して上げるべき問題点は全く無い様です。」

  「正しい貴方が、『そうではない』と断定するのですから。」

  「苦しみもがいている清廉潔白な貴方に忠告なんて、とんだご無礼を致しました。」

  「間違っているのは、きっと我々です。」

  「と言う訳で、どうぞいつまでも、貴方のその『考え方』をお使い下さい。」

 これで☆@ABの理論性が理解されただろうか。

 ここに、苦の状況から脱却出来ないループの仕組みが浮き上がって来る。

    

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           反復の力は、貴方の意思の力を超えて内から働く不思議な力を育てます。

           私たちの合言葉・・・解ってなお反復!

 その考え方が不幸を引き寄せるので苦を感じる故、本人は益々周囲を憎み呪う様になる。

 その不快を感じている感じ方が、「不足の心」の立派な物的証拠である事を理解しない。

  頑固・オーラ泥棒・感謝の心が無い・不平不足・悪波動・認めない・貪り

  慢心・無知・責任転嫁・甘えの依存心・「待っている」ホイト根性 etc.

 良識人には、ヘドが出そうなこういう腐れ根性の人間にはどう言う未来があるのか。

 心眼を磨き、じっと観察して見よう。

  自らの閻魔様が、現実的幸福を受取らない様にと自らを裁く。

  苦を自ら招き寄せているという自覚は絶対に生まれず、もがきつづけると言う罰。

 これを「握り締める」と言う。

 こんな恐ろしい事があるだろうか。

 今まで用いて来ている心遣いの在り方を自らが裁き、その結果を味わっているのだ。

  妬み・嫉み・いじけ・自虐・他人の立場を察知しない・恐怖心・怒り etc.

 人に迷惑をかけずとも、こういう心を続ければ自己破壊を招く。

 自分を大切にしないという意味で、その根性にヘドが出そうな気分になるのだ。

 自業自得・因果応報等の言葉の行間が、何処まで読めるか。

 全ては必然である。

師となり得る事象、学びのチャンスは日常にゴロゴロ。

 しかし易し過ぎて、事の重要性を認識する価値すら無いと感じている。

 では、難しい事は如何かというと、難しいから分からないとして求めもしない。

 そして「事」に対してあたふたするが、何故それがそうなったのかは分からない。

 「事」は見えているが、それを支える因果「理」は観えないからだ。

 更に、心眼を拓かない為の特殊訓練を、何も知らないままに徹底して実行する。

 故に、いつまでも意識の「盲目」状態は続く。

 自ら己自身にかける「無意識のブレーキ」のメカニズムとその形成に付いて知ろう。

 無自覚だろうが、日々「祈り」ならぬ「呪い」を捧げているのである。

  →「如何いう事?」という質問が自分の内奥から立上がって来るであろうか。

   疑問が内から提起され、その解答を見出そうと思わない事事態が既に意識の盲目。

   ・・・等と指摘されても、脳が動き始めない。

   だから、本格的な「思考回路のリハビリ」が必要だと進言するのである。

 自由を感ぜず、不本意な人生を味わわされているのがその物的証拠になるのである。

  と言っても、これは脳が使える人にしか、理解されない。

  「理解せねばならない」必要性の高い不幸者ほど、理解する力を失っているのだ。

頭が自由に働かないから、目の前に有る自由になれる生き方が見出せないのだ。

 結果からモノを見る(見直す・反省する・因果を考える)という思考回路の有無。

 それは学習能力の有無・・・新しい思考パターンを学習する能力の欠如。

 固定観念の範疇でしかモノを見ないし考えない。

 固定観念に合わない概念は「認めない・受け付けない」が自動的。

  3%以上の能力を開発する事を自ら拒否する事が、ここに見出せる。

 何がその様に思考の柔軟性を失わさせるのか。

 自分で自分を誤魔化し偽った分だけ、脳はその回路を自ら閉じて行くのだ。

  「三方良し」で考え続けるならば可能となる筈の、欲求の諦めと否定。

  自分で自分を誤魔化すとは何か。

  自分で自分を偽るとは如何言う状況を指すのか。

  無自覚で等閑(ナオザリ)にされている、その実態の詳細に目を向けよう。

  成功に対して内からかかる無意識のブレーキは、ここで作られてしまうのだ。

 これが怖いのは、「頭が自由に働いてない」と自覚させない事である。

  人間は学問を学んで見て後、頭が自由に働いてなかった事が自覚出来るのである。

 自分に偽りが多い程、得をもたらすモノに「ピンと来る・ハッと気付く」が無くなる。

 チャンスが目の前を通り過ぎつつあるのに、ボーッとしているのだ。

 IQや学歴には、一切関係が無いのが面白い。

 この資料は、この理が認識されている人にとって、その人選のフルイとして役立つ。

 相手のとる態度は、貴方に隠していた己の正体を、ありありと見せてくれるだろう。

故に、この@ABのメカニズムを知って(悟って)挑戦する者には、チャンスが拓ける。

 事前に出来るだけ知っておけば、事は何でも大変有利になる。(賢者は歴史に学ぶ。)

  冒険や探検では、危険箇所を知り得る限り、前もって調べておく。

  落とし穴やワナの「ありか」を、前もって知っておく。

 その状況に立たされた時「これが、それか!」と認識出来るからである。

  感知プログラムを聞き進めて行くと、至る処でそれに出くわす。

  見たくない自分・考えても見なかった自分の正体。

  しかし、それを突き抜けた時、己の中の輝く自分、ハイアーセルフが発現する。

 そして己を毒する、怠惰や慢心や邪悪さの鼻頭をへし折る勇気を奮い起こせる。

 成功法則を修得しようとしたり、成功や幸せを目指したりしたなら、普通の見識では全く気

  付けない、とんでもないワナが存在していたのだ。

この原理を知らなければ、自分の顛倒夢想に流されてしまう危険性は大である。

 知らないで人生を拓こうとするなら、大変な意志力の有る人しか乗り越えていけない。

 実際、強者の資質を先天的に持っていた者でなければ乗り越えられなかった。

 しかし、事前に「これをそれ」と気付けば、じっくり吟味が出来る。

 ここが「脳を働かせてモノが考えられる」か否かの分かれ目になる。

 精察な知恵と洞察を以て挑めば、それは力ずくでなんとかしようとしなくて済む。

 実際、意志力という力ずくでは、殆どの人が潜在意識のマイナスの力には叶わない。

反復の秘密を悟って、理の理解にさえ勤しんでいれば、行動は内から変容する。

 理の理解に勤しむとは、納得を求めると言う事だ。

 行動から変えようとするから出来なくなる。

  習慣の記憶領域なら可能だが、資質に関する奥深いモノは行動だけではムリ。

  多くがムリをして顛倒夢想を起こしてしまう。

  「取り組みに対する心構え」の潜在意識の仕組みに無知だからだ。

 潜在意識に納得を受け渡したら、内から「そうしたくなる」が湧いて来るのだ。

 納得を求めて問い続ける事。

 それが「学問」である。

そして「解って尚繰返す」が理解出来る人が賢者。

 ボンクラは、反復の秘密や書く事の秘密がどうしても理解出来ない。

  感知プログラムの中で、口が酸っぱくなる程言っているにも拘らず、です。

  EQ指数が低くボンクラだから、その一歩先が「暗くて」見出せないのである。

  理解出来ただけで「次に進む」という学生時代に身に付けた悪癖、それが条件付け。

  「知ると成るとは天地の差」という音声を知っただけで満足しているのだ。

 解らない処・納得出来ない処を等閑にしたまま、問えない人が「聞きボイト」。

  そして、聞きボイトと言われて「肚が立つ」のが真性の聞きボイト。

  その姿こそが、自らその劣悪な資質を吐露し、自ら「己はそうである」と証明して

  しまう事に成っているとは気付きもしない。

 隠しておきたいバカを丸出しに曝け出すのは己自身。

 「無恥」に付いて無知なのだ。

 感知プログラムでは、知ったら恥かしい真の「無恥」の事例が豊富・満載。

質問しないのは「タカを括っている」慢心の表われでもある。

 感知プログラムなんて、大した事は何も無いのだそうである。

 ・・・だから、解る皆さん!チャンスなんですよ!

 札束評価や世間評価が基準の人々。

 この人々は、皆さんの既に「解っていた」認識に将来平伏するというのが歴史です。

 自らの直観力の鈍さが、自ら権威を皆さんにプレゼントする事になるのです。

 それ迄に、陽転思考の反復訓練を大いに積み、実力を養っておきましょう。

 後から慌てても、量稽古にかなうものは無いのです。

 また、既に解ってくれる人も大勢いますね。

潜在意識を説得する事。

 それは「成る程そうだ」という得心いく納得。

 そうすると、行動や感情は自然に変る。

 それが「理を真に理解すれば責任を引受けられる様になる」という事だ。

 それは、感知プログラムで学ぶ概念の定義が人に話せるレベル。

 必要な処こそ、無意識に無視してしまうという癖に注意する事。

 「したくなって出来る」様に、「前もって」感情・衝動の種を蒔く。

何が建設的かが判ったら、抵抗を減らすべく、出来る理由を探し続ける処に成長が有る。

 そして真理に到達した瞬間、その抵抗や苦は消滅し、心は苦から解放される。

 故に、問題は、因数分解し続ける。(それもプログラム中で修得する技術。)

  「何処まで因数分解出来るか」の一端を次の「感覚体験2」で見て欲しい。

 抵抗とは、突き詰めて見ると因果の起点を否認しているに過ぎない。

  感じ方が逆さま顛倒夢想

 そこに生じる抵抗と、そこ迄に生じる抵抗を推し進めて、道理を道理と認識する。

 それが魂を磨く修行になるのである。

 感じ方・モノの見方が180度変容する。(安心・平安・楽)

問題を因数分解しないから、一つ一つの抵抗が大き過ぎて大変になるのだ。

 己の修行から逃げ出すのはそれが嫌であり、強がって見せるが即ち弱い人なのである。

 自分で探り当てるも良いが、個人の真に活躍出来る時間は僅かしかない。

 感知プログラムは真か偽か。

 それを判断するのも、「泣いても喚(ワメ)いても」それがその人の実力である。

 邪悪なサタンは、聖書・十字架など聖なるモノを忌み嫌うと言う。

感知プログラムの仕組みのアバウトな説明。

 顕在意識と潜在意識(もう一人の自分・裏腹な自分)の二重構造の理解。

 潜在意識のメカニズムと性質に付いて知る。

 自己同化してしまっているモノの見方(固定観念)、条件付けを再検討する。

 成功の原因を排除し、失敗を引き寄せてしまう無意識の機構を知る。

 抵抗と引き戻しという錯覚の苦のメカニズムを理解する。

 顛倒夢想の実際に付いて理解する。

 感情のメカニズムに付いて知る。

 自責・自虐癖の解除。

 感じ方の理解。

 日常の生活を通じて、プラスとマイナスのデータの入替え作業を習慣化する。

 反復の真意を正しく認識理解し、その「応用が自動的になる」効果を体得する。

 志・正義感の養成、立命。(利己心を突き抜けて利他心へ。)

 客観的な歴史認識と先見力の養成。

 邪悪を見通す炯眼の養成。

 そして邪悪や邪悪な者のあぶり出し。 etc.

 以上の様な内容が、様々な事例を以て幾度となく円錐螺旋型に説明されて行く。

 総て、一般に言われている成功法則をマスターする前準備とも成る。

道理を道理として、吟味・認識出来る「まともな」頭脳を獲得する。

 一人自ら独立して思索出来る能力(脳力)の養成。

 「建設的か破壊的か、好きか嫌いかの四区分」という、自分を覗く魔法の眼鏡。

 無意識的有能となっている弁証法的思考回路が真の中庸・空の心境を維持する。

 天才に起こり来るインスピレーションの世界(縁覚)を開く。

 自由人の遊び行く処に救済が起こる。

 無為なる自由人とは、かつて菩薩と呼ばれていたステージの人である。

 ここ迄来て、心のベクトルは「ギブ&ギブ」に向いたと言える。

 真理に付いて思索したなら、もうそれに明け渡すしか無い事に気付く。

 

邪悪さを内在させている者は、ここまでに「ある現象」が出始めている。

正義と真を求めている人は、ワクワク感が出始めている。

そのメカニズムも、プログラムでは既に解説済み。

 

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                             音声ファイル6の再生&ダウンロードはこちら tsign_purple_next.gif 約120分

          再生はリンク先でファイル名kanchi-p-towananika6 をクリック、

          ダウンロードは、ファイル名を選択し、右クリックで「対象を

                   ファイルに保存」を選択します。

           各講義音声ファイルの反復(聞き込み)は30回以上を目標にしましょう。

           反復の力は、貴方の意思の力を超えて内から働く不思議な力を育てます。

           私たちの合言葉・・・解ってなお反復!

感知プログラムのワンポイント感覚体験2

成功者と自分の思考のズレ・感性の違い、思考の流れの違いを知る。

(カイ)間見る、考えた事も無かった内からかかるブレーキの正体、その起点を解析。

その先を見ないで済ませ様とする資質は、斯くも根深い。

(コトゴト)く、そのワンステップ毎にブレーキを掛けて来るのが自動的。

 

成功したいか、幸せを得たいか。

 (この素直な質問にさえ、まともに返事が出来ない人が居る。問題外。呪い。)

 まず、

 成功したいと願うならば「自己変革が必要だ」という事が認識出来るか。

 ならば次に、

 「自己の何処を変革させる必要が有るか」が「全く解っていない」事が認識出来るか。

 (たいていの人は、ここいら辺りで既に、自発的な思考はストップしている。

  これが大変な事である事に気付くに、数百時間以上のリハビリが必要になる。

  それまでは「はぁ〜?」という状態。

  自分の真の利に付いて考える知は無く、頭が「ぽーっ」としている。

  これを「ぽーやん」という。)

 更に、それが指摘されて、字面的には認識出来たとしても、

 「変革すべき処が解る様になるには如何するか」と「考えない自分」が認識出来るか。

 そして、

 解っていない事を「解っていない」と認める事が出来るだろうか。

 また、

 出来ていない事を無視する事無く「出来ていない」と認める事が出来るだろうか。

 そして、そこに「無知なる恥」を感じる感性を持ち合せているか。

 持っていないなら、「認める」ではなく、単に開き直っているに過ぎない。

幸せも成功も「解っていない事が解り、それが出来る」様になれば良いだけの事。

 また、この理が「理である」と認識出来る知性と徳性を持ち合わせているだろうか。

 またこの様に、自分の感じ方を虱潰しに点検する事の重要性が認識出来るだろうか。

  人によっては、たったこれだけの内容でも納得は出来ない。

  また、この様に点検する意味合いの重要性も感じない。

  知で字面的に理解は示しても、得心はしないのである。

  (行間を読もう・理解しようという意識が生まれない。)

  信じられないかも知れないが、一般的に人とはそんなモノなのである。

  認めずに精々、開き直る。

では更にその「解っていないモノ」を知りたい、理解したいと欲求が立上がるだろうか。

 そう欲求しないとしたら、それは不自然である。

  (幸せになりたいと要求しつつも、そうしないという事で不自然なのである。)

 それも道理として認められるか。

  (これら一連の思考が、何の努力もせず無意識的有能に流れる事が重要である。

   それが自発的であってこそ、ここに自己向上への要求が衝動の様に発生する。

   成功者の思考回路は、成功する方向へアイディアが自然発生的に流れて行く。

   イメージは、問題の解決・目標の達成に向って連想し続けてしまうのだ。

   思い浮かぶイメージの中で、遊んでいるだけでそうなるのである。

   何故そんな好都合な事が起こるのか。

   それは、心の根底に「出来る理由を探し続ける」という意思を持つからである。

   その一歩先を見出そうと「立ち向かい続ける」感じ方に育っている。

   成功する人の資質・感覚の内では「逃げる」事こそ、苦と感じる。

   感知プログラムは、思考のそれが成功する人と同じになる様に訓練を重ねる。)

これらの問い掛けに、心の底から賛同出来るか、多少なりと抵抗を感じるか。

 たったこれだけの問い掛けに対する反応からでも、色々な事が読み取れるのである。

  ・「そりゃそうだ」「なるほど」「しかり、ごもっとも」というレベルの納得。

  ・質問や呼び掛けの意図まで見通せる炯眼の有る人。

  ・これから考えて見ようかと思う人。

  ・思考の混乱を感じる人。

  ・内容に対する嫌悪感を感じる人。

  ・内容そのものに対して無関心な人。

 感じ方は深層意識の反映であり、解る者にとってはまるで鏡である。

  鈍い程、自分にとって事態は深刻なのだが、深刻な者ほど、指摘に苦が生じない。

  恥も感じない。

  これが実に面白い「人間の意識」のメカニズムの一端である。

 故に感じ方によって、アドバイスの処方せんは全く異なって来る。

話は、一律では済まない。

 法は人を観て説かれる必要があるからだ。

 解る人(出来ている人・成っている人)には待たせてしまう。

 道理の賛同者は、次のステップへ直に進める。

 求めていたから、そういう思考回路を形成していたのである。

 しかし、抵抗者にはその様に考える思考回路が育って(形成されて)いない。

 まず、それが認められるだろうか。

 この様に問われて、自分の中にウズウズ感じるこの嫌な感触の正体は何であろうか。

 この200〜300にも及ぶ「寄生虫」の処理・除去が、感知プを通しての修行なのである。

 その見返りは無限だ。

問題は、自分では気付けない深い処に潜んでいる。

 正しい道理を「正しく認識する思考回路が無い」だけでは無いのである。

 正しい道理を無意識に拒絶する「心の癖」に気付こう。

  →もう、この「理」にピンと来ただろうか。

   ピンと来ているか否かは、返事の有無や表情が如実に語っている。

 「幸せになりたい」という命題に対して、今までの問い掛け部に非論理性が有るか。

 無い筈である。

 しかし、この様な問い掛けのスタイルに心から「そうだ」と納得出来ない人もいる。

 論理性が有り、筋が通っているのに抵抗感が在る。

 ここが自分でも気が付かなかった問題の隠れ場所なのである。

 そして、そこをこれから、どの様に捉らえるか。

 「あっ!」と膝を叩くも自由、「待てよ?」と考えるも自由、無視するも自由。

正しい道理の拒絶は、成功と幸せの原因を引き寄せる心構えを拒絶する事になる。

  →この「理」が理解出来、「道理」として認められるだろうか。

 また、心の底から、道理には「そうだったのか」と思い返せるのが反省する能力。

  苦しみ続ける人は、こういう解りきった様な些細な「理」でも認めない。

  自分の判断基準に「理性ではない何か」が介在している事に気付いて欲しい。

  それは何だろう。

  理を理解しようとしても、それを認めようとしない「内なる何か」である。

  (順次段階を追って顕われるその極限は「認める位なら死ぬ」である。

   質問も問い直しも再説明の要求も無い。

   それは、更に深い処に「その様に反応する」因果が存在するからだ。)

 何故この様な一連の意識状態が形成されるのか・・・それも既に解明&説明済み。

求める意識さえ持ってくれるなら、それからの脱出法も解説済み。

 逃げ出さずに乗り越えた人は居る。

 そして、これから大勢出て来るだろう。

 逃げ出す事は自由であるか、道理を否定する感じ方を持ち越す事になる。

 この理は「魂に渡される引導」となっている事に気付けるだろうか。

  この資料で躓(ツマズ)きを感じた人、或いは、感知プログラムで引き戻されている方、

  是非、感知プログラムを本気でマスターして下さい。

  人間は、真に幸せを指向するしか救済の道はないのです。

 人の話に耳を傾ける事を否定する事は出来る。

 しかし、宇宙の法則を否定し得る者は、この世には誰も存在し得ないのである。

 ところで、人の上に立ちたい人なら、この様に理が人に問えるか。

  詰まれば、スゴロクの様に、更なる元から質問が出来る能力が必要。

  説得力は、相手も気付いていない相手のネックを発見して諭しを入れる能力。

問題を掘り下げて、その起点に到達して見ると、総てこのパターンである。

 「そう考える」だけで済む事を難くなに拒否している自分を発見する。

 自分で自分が納得出来ないのは、納得していないモノを心の奥底に抱えているからだ。

 その様な些細なモノが、何と200〜300個、人によっては400〜500個も在る。

 「あっ」と気付けば、ソレ等は消える。

 併せて、そこに無意識にしまい込まれている恐れの存在を発見する事。

  →「そういうモノか」という認識に立脚してみようとする勇気が持てるか否か。

「小さな本当」を本当として認める練習の積み重ねで、幸せと成功は自動的になる。

 感知プログラムは、この様なエクササイズが数百、円錐螺旋型に順次並んでいる。

 「分っちゃいるけど・・・」を、如何乗り越え「分かってるし出来ている」にするか。

 更に「余り考えていないけれど出来ている」に迄、昇華するには如何するか。

 解って尚繰返す・・・繰返し巻返しの秘密。

抵抗の度合いが多い程、自分に嘘を付いている度合いが高くなっている。

 「道理」に素直になれない仮面が形成され始めている。

  (それはやがて、自分を騙す様になる。

   道理を道理として認識しようとしない。吟味して見ようともしない。)

 それは、自分に正直に成れない姿、・・・自分を信じていないからである。

 真の自分(L・Hセルフ)と仮面の自分の見分けが付かなくなっている。

 そして、本当を見るのを怖がる。

  それより何より、自分に嘘が多い人は、既にこの資料に嫌悪を抱く。

  そして、触れる事が出来なくなるか、無関心を装う。

  この資料は、実は邪悪のリトマス試験紙なのである。

  修行者にとっては、増上慢にハマらない為の自己チェックシートとして役立つ。

その「本当を見る」恐怖を避ける為に、巧妙に自分の心を誤魔化し始める。

        症状                     道理

  無自覚な責任転嫁・・・・・・修正するのは自分から。

  自動的な自己逃避癖・・・・・問題には立ち向かう事から。

  マイナス思考・自虐思考・・・そのデメリットを自覚する。

  道理のずれた自己正当化・・・白を黒と言い含めて自分の判断データを狂わす。

  自己弁護的言い訳・・・・・・出来ない理由の発見にメリットは有るかを知る。

  慢心・思い上がり・・・・・・自尊心の低さと傲慢さに原因。

  妬み・嫉み・・・・・・・・・智慧の扉が内から閉じる。

  無知・無恥の放置・・・・・・怠惰性と盆暗。

  貪りに無自覚・・・・・・・・徳の食い潰し。ババ手。準備こそ、賜物が来る世界。

  代償行為に走る・・・・・・・優先順位の無視と無知。 etc.

 これらが総合して「幸せ回避症」となる。

 さらに仮面に乗っ取られると、認めたフリをする演技を覚えたりする様になる。

解っていない事を認識する技術と、それを出来る様に導く技術が存在する。

 成功はまず内面の成功から。

 内面の成功は「理」の理解から。

 「理」の理解の為には「小さな道理の小さな『認める』」を蓄積する処から。

 小さな道理の認識を無意識に無視する癖に気付こう。

  ・別の質問ではぐらかす人。

  ・次の困った出来ない理由を次々と探し出して来る人。

  ・聞いてない事に答えて、聞いた事に答えない人。

  ・自己弁護と正当化に忙しく、状況の認識に務めようとしない人

 結局、人の話が聞けないのである。

  触れて欲しくない事を自動的に回避しようとするみっともない癖。

  逆に何を隠そうとしているか、その根性の資質が見えて来る。

 その前に、その変な癖が己に存在するのなら、それに気付きたいという意識を持とう。

 道理は順を追って理解して行く。

 或いは、結果から因数分解して掘り下げて行く。

自分の幸せに成れない訳を知りたいか。

 自分の無自覚な癖を知りたいか。

  →その様に思うか、思わないか。

      真実の自己から逃回る。

 邪悪な者にとっては、それを観通してしまう感知プログラムは恐怖の存在になる。

 内から掛かる、無自覚なブレーキに付いて理解する事。

 また、その形成の由来に付いて理解する事。

心眼は「理」を観通す目、それは心の豊さ、徳分がベースになって拓かれる。

 凡夫の肉眼は「事」を見ているだけ。

 志が無いと、心を豊にする気概も生まれない。

 徳が無いと、理の理解は上の空になる。

 そう言う人は、何者かのロボットとして操られ不本意な人生を歩むしか無い。

  自分が分からない。

  計画が思う様に運ばない。

  葛藤や焦りに悶えるか、失望絶望、諦めの開き直り。

  無限の宝を持っていたとも知らずに、オンボウ往き。

 真理に縁が生じても目が覚めない人の場合のそのメカニズム迄をも徹底解明。

 問題に対する自業自得と、その因果が説明されても認識出来ない自業自得。

真理に目覚めた先達の多くは、大衆の無知と邪悪さに草臥(クタビ)れてしまう。

 「自業自得、もうあんたらは勝手にしなさい。」という気にさせてしまう。

 そういう心ある人にこそ感知プログラムは役に立つ。

真偽に対して正しい直感が働くか否かは、その人の徳分・徳性で決る。

 それは、真の正義感のセンスでもある。

 心が捩れているのを隠している人は、知的能力を「しない為」の言い訳に使う。

 しかし、感知プログラムの出現は、今まで通用した邪悪の隠れ蓑を完璧に見通す。

 邪悪の通用しない個人の集団が出現し、これから増幅して行くのだ。

 集団意識の中に、時折発生する正義のセンスは、未熟故に邪悪性に潰され続けて来た。

 しかし正義のセンスは、これから実質的パワーを獲得する。

 これに対して、邪悪は如何いう逃道・言い訳を探すか。

 闇夜故、暗躍出来ていた邪悪の世界に、一条の光が射し込んでしまったのだ。

 感知プログラムの提供する思考技術は、類代に渡って自己増殖する。

 

 

   当研究所がお届けしているテープ全体の概要(現在約750本分1500時間)

 

 

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                     人生に真のチャンスを求めている人へ。

                     次をクリックしてその謎を解いて下さい。

                     桜沢如一(さくらざわゆきかず)先生が求めていたもの

 

  私、重見幸俊はこのホームページを訪れて下さった皆様に公平にチャンスを提供いたしました。

  人生最大のチャンスとも言えるべきチャンスです。

  この謎々を自らの発想で解かれん事を心よりお祈り申し上げます。

 

 

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