潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る
史上初、世界で初めて明かされた、弱者の為のマインドセット知識、弱者の成功戦略です。
自分の望む成功へ主体的に行動を起こせる人を強者、そう在りたいのにそう成れない人を弱者と呼びます。
弱者は、強者の成功戦略、つまり従来から提唱されている様な成功法則から学んではいけません。
弱者と強者は、取るべき戦略も、またその為に学ぶべき手法は全く異なるからです。
従来の「成功法則」とか「引き寄せの法則」を学んで来られている方にとっては、目から鱗の世界です。
潜在意識や、自分の隠れた才能を見出したいと思っている方に、きっとお役に立つ情報です。
088 統合分離表の見方 その1「カンファートゾーンの中身」。
世の中には心を開きさえすれば、人間を幸せに導いてくれる教えはよく見れば古来から山の様に有ります。
皆でこの教えに従い、それを忠実に守りさえすれば個人の幸福は勿論、世の中まで良くなるとする教え等ですね。
それに気付いた覚者や賢者と呼ばれる人の教えが、道徳や宗教となっていた訳です。
そしてその教えに感銘し、人間の美徳の価値に気付いた人は益々自分を高めようとし始めます。
それもその人の内側で、同類親和の法則が働いている結果です。
そしてそういう人は、年々精神性や意識を成長させて行き、人々の啓蒙を図ろうとする様にもなります。
それはそれで素晴らしい事ですが、私には疑問が湧いて来るのです。
それは、「だったらそれで世の中は良くなって来ているだろうか?」という事です。
長い目で見れば、人類は成長しています。
しかしそれはあまりにも遅々とし過ぎている様です。
その間に人類は次々と新しい問題を生み出し続け、人々の苦しみの総量はちっとも減っていません。
寧ろ人々の苦しみはより複雑化し、その混迷の度合いは年々増し続けている様にさえ見えます。
それは何故でしょうか?
私はその答を求め続けていたのです。
そしてその謎は解けました。
それは崇高で愛や利他心を謳う素晴らしい概念や教えであればある程、精神の成長した人は引き寄せられますが、一般大衆には「無意識の真理否定」を引き起こしている事が原因です。 →009・024
弱者に対してはこの謎を心得て「無意識の真理否定」を起こさない様にアプローチをしない限り、その良き教えは大衆化する事は無いという事です。
これは私が世のリーダーの方々に是非伝えたい事です。
人々のマインドには、現代人は我々以外まだ誰もその存在を自覚していませんが、顛倒夢想という感覚から生じた潜在抗力や潜在邪魔力という意識の力が生じています。
そして、幸せになる「事」・健康になる「事」・稼げる様に成る「事」・自由になる「事」等を、その人の分離度合いに応じて、本人も無自覚なままそれを原因の部分で拒否しているのです。
それは幸せになるから・健康になるから・稼げる様になるから・自由になるから、排除しているのです。
知ってしまえばとんでもない事なのですが、それがそうと言うそのメカニズムを系統だって教えられない限り、誰も「そういう働きに自分自身の感じ方の根底部分で支配されている」とは気付く事も出来ません。
無自覚に積み上げた自己欺瞞の量やハートの声を無視する事によってそう言う感覚が出来るのです。
そんな弱者の居心地良しと錯覚しているカンファートゾーンの中身は、顛倒夢想だらけなのです。 →065
ですから私は愛や利他心に生きる崇高な教えを説く前に、「如何に自分は損をしているか」を自覚する様徹底的に教え、まずはそのメカニズムに覚醒させる事が第一だと考える様になりました。
潜在している意識の力、つまり潜在邪魔力や潜在抗力を削ぎ落とした量に比例して、それからやっと、愛や利他心を説く崇高な教えが人々の心に浸透する様になるからです。
こう言う事を心得て統合分離表 を見て行きましょう。
統合分離表に付いての解説は15を御覧下さい。
この統合分離表の概念を修得するならば、自分自身で人生の謎が解ける感覚が啓きます。
人は皆、自分の言動想念総てに於いて「自分が居心地がいい」としている感覚、カンファートゾーンが有ります。
糖尿病の人は、その病を進行させてしまう食環境が好きですし、自然療法的な提案を聞いても苦手と感じ、その実践は居心地が悪く感じる様です。
太ったりメタボを気にしている人も同じです。
成功を目指すに在っても全く同じで、成功に役立つ事を聞いたり実践するのは居心地が悪く、その逆を居心地がいいと感じるのは問題です。
潜在意識は、自分の為に成るか成らないかを判断出来ません。
潜在意識は、その様な損得や善悪の判断は出来ないのです。
ですから無意識の反応の言いなりにならず、顕在意識でちゃんと判断しましょう。
顕在意識はちゃんと理を積めば、どちらが得するか・どちらが為になるかをきちんと判断出来るのです。
では潜在意識は、快とか不快とかをいつ、どんな基準で判断する様になるのでしょうか?
それは、原初の経験に於いて、その状況のそれを快と感じたか不快と感じたかが原点となるのです。
そして快と感じたモノを拡大しようとしますし、不快と感じたモノは排除し続けようとする様になるのです。
しかしそれを快と感じるか、不快と感じるかは人それぞれです。
例えば、タバコの煙をその害も知って嫌なものだと思い続けるか、ニコチンの作用を知ってそれを快と感じるかで分かれて行くのです。
かけっこでもビリで恥を感じたか、トップで得意さを感じたか、・・・勉強でも音楽でも絵でも皆同じです。
それそのものよりも、それを通して褒められたか貶(ケナ)されたか、苛められたか応援されたか。
その様に周りから与えられる影響も大です。
また、乗り越える事に快を感じたか、逃げ出して楽を覚えたか。
食べ物の味覚に囚われて食べ過ぎ自分のスタイルを失うか、自分のスタイルを重要視するが故に味覚の快感をセーブするか、結局人はそれを天秤に掛けて、自分にとって快の方を選択するのです。
楽だったけれど後ろめたい、しんどかったけれど爽やかで心が喜んでいるという感じ方も有ります。
さて、多くの人はどちらを選択するでしょうか?
目先の楽?
それともその苦の先にある楽?
将来の利益を考える事が出来るのは能力です。
そして能力とは、訓練されてこそ開発されるという事です。
そうやって、自分に為に成るか否かという基準とは関係なく、好きと感じたか否かでカンファートゾーンは次第に強く形成されて行くのです。
これが強く育って来ると、それは意識の力の一種となり、段々と動かし難き状態になって行きます。
それから外れようとするモノは許さず、慣性の法則が強く働いて元に戻ろうとするのです。
その現象を「引き戻しが掛かる」とか「現状維持メカニズム」「潜在邪魔力」等と言います。
貧乏な人の潜在意識はお金が嫌いですから入ったお金を投資に回すより、散財させる方が大好きです。
お金が好きな人は、それを元手にそれが大きく膨らむ様に回す事を考える事が大好きです。
そしてこの様な言い方、つまり潜在意識の側から観た言語体系にも慣れて下さい。
そうする事で自分自身は勿論、他人に対してもその在るがままを客観的に把握する感覚が育って来ます。
ソクラテスの言った「汝自身を知れ!」の「汝自身を知る」にはとても大切な感覚だからです。
カンファートゾーンの中身が良いモノ(建設的な感じ方)で出来ている部分はいいのですが、その反対の良くない感じ方で出来ているのは問題です。
直観的判断力か顛倒夢想かという事ですね。
それらは認識の第四段階に落とし込まれているモノであり、思考放任状態のままでいると、年と共にその感じ方を大量に反復する事になりますから、やがてそれは絶大な動かし難き意識の力となります。
正しい信念や理想がその様になれば良いのですが、悪癖が動かし難き状態になるのは困った事です。
年を取ると、悪癖のツケが終に顕在化し始めて問題が生じても、「今さら」等と考えて、たとえその問題の解決法を聞いても、おいそれと変えようとしない信念の人、つまり「頑固」になってしまいます。
頑固になったという事は、心が年を取って来た、老いぼれになったという事です。
恥ずかしい事です。
生きていれば、日々何かを感じ、その感じ方を繰り返しています。
無意識ではあれ、繰り返す事は落とし込まれて力を持つ様になるのですから、どうせ力を持たせるならどんな感じ方を繰り返すかという事が、本来なら大問題になる筈です。
夢や希望や感謝やチャレンジ精神を繰り返すか、それとも諦めや開き直りや不平不満を繰り返すか。
貴方は年を取りますが、どちらの感じ方で固まって行きますか?
素直な心を持ち、知性を育ててあらゆる可能性にオープンである心的態度で固まりたいものですね。
どんな感じ方を選ぼうと、人にはその選択の自由が在ります。
しかしその選んだ結果に自由は有りません。
その先一歩を見ようとするセンスが在るならば、それは誰でも解る事です。
高層ビルから飛び降りるか否かという自由は有りますが、一旦飛び降りるという側を選択したなら、そのままスーパーマンの様に飛んで行けるという自由は有りません。
地面に叩き潰されて終わりです。
感じ方の選択に付いても同じです。
雨の中に立っている人がいるとして「濡れたくない」というのなら、軒下に入るか傘でも用意するべきですが、「このままここに立っていたいけれど、濡れたくはないんだ」と言うなら、それはムリだという事です。
チャンス追求型で結果志向の人は原因を改めようとせず、出てしまった結果の対処療法を探すのが癖です。
因果を見極め様とする発想が無いのです。
ご馳走を好きなだけ食べ続けて生活習慣病を治したいとか、肥満やメタボを治したいと言っても無理です。
成功や幸福を得たいと言いながら、それを無意識に破壊する言動・想念を持っていたら、その実現はムリです。
そして単発的な言動・想念を通した感じ方も反復を重ねて力を持ち、それは潜在抗力となります。
私達は、成功や幸福を求めながら、無意識にその要素をどれだけ排除しようとしているでしょうか?
排除してしまうという事は、それを取り入れるのは居心地が良くないと感じるからです。
それが入って来ない様に排除し続ける事こそが居心地がいいと感じているのです。
そしてそれはオートパイロット機能という、知覚以前の段階で既に働いているのです。
それでいいと思いますか?
私達は、自分のカンファートゾーンをよく観察して、変なものを居心地良しとしていないか、知性を以て点検する必要があります。
為に成る事なのに嫌だと感じたり、嘘だと思ったり、関心さえ湧かなかったり。
自分の中に、この顛倒夢想と言う逆さまの感じ方を発見せねばなりません。
そしてそれを発見したなら、当シリーズの記事や「弱者の成功戦略」の中で述べている方法に従って切り替える事です。
私の「お父さん塾」を始めとする一連のプログラムでは、豊富な事例で隠れ込んでいる顛倒夢想まで、見事に晒し出して排除しますよ。
なんせ、量が量ですからね。
感じ方を切り替える・・・それは顛倒夢想というエゴの側から観たら、好きなモノを捨てるという事です。
その為に捨てる勇気を持つ必要が在ります。
それは地獄行きの切符ですし、そうだと認識出来たら嫌いに成ります。
何の苦も有りません。
そして「円錐螺旋型回顧的学習法」でその感覚を育てて行くのは、とても充実感を感じるエクササイズです。
潜在意識のメカニズムに従えば、何の我慢も要りませんから、楽なもんです。
好きなモノを捨てる・・・と聞いて、その瞬間にどんな感じが立ち上がるかが、自分に落とし込まれているモノです。
人生の試験はいつでも、突然に終了時間だけが伝えられます。
好きなモノを捨てると聞いてその時に感じたモノは、立ち向かう質問だったでしょうか、それとも出来ないんじゃないか、また辛そうだと感じる感覚だったでしょうか?
赤ちゃんなら何も知らないから、その様な逃避的な質問や出来ない理由は考えません。
ですからそれを見習って判断等せずに、在るべき姿から得する事のみを想像し、そこに於ける快をイメージしたら良いのです。
積んでしまったデータに操られてはいけません。
過去はもう過ぎたのです。
そんな小さな条件付けを解放し、今この瞬間に生きるのです。
常に、この瞬間からスタートするのです。
過去を引き摺るのは、例えて川を渡り終えたのに今だ筏(イカダ)を担いで陸路を行こうとしている様なモノです。
決意決断はいつも目の前この瞬間です。
そしてその決意決断出来る事自体がチャンスです。
今までここで聞いて来て理屈をちゃんと落とし込んでいるなら、出来ていた筈です。
さて如何だったでしょう?
知ると成るとは天地の差です。
100回反復で原理原則を落とし込む! ・・・「読書百遍意自ずから通ず」の実践編。
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