潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る
史上初、世界で初めて明かされた、弱者の為のマインドセット知識、弱者の成功戦略です。
自分の望む成功へ主体的に行動を起こせる人を強者、そう在りたいのにそう成れない人を弱者と呼びます。
弱者は、強者の成功戦略、つまり従来から提唱されている様な成功法則から学んではいけません。
弱者と強者は、取るべき戦略も、またその為に学ぶべき手法は全く異なるからです。
従来の「成功法則」とか「引き寄せの法則」を学んで来られている方にとっては、目から鱗の世界です。
潜在意識や、自分の隠れた才能を見出したいと思っている方に、きっとお役に立つ情報です。
015 殆どの人は、潜在意識に願望を引き渡す事に失敗している。 その2「統合分離表」
人の心的態度はその時々に、建設的な方向か破壊的な方向、つまり統合側か分離側のどちらかを向いています。
立ち向かうか逃避するか、許すか許さないか、感謝の心か不平不満の心か、と言った具合にです。
是非刷り出して、トイレにでも貼り、毎日眺めて下さい。→もっと詳しい統合分離表
人間の心的態度の向きは、統合側か分離側のどちらかです。
分離側の状態と統合側の状態が同時に起こる事はあり得ません。 互いは互いに反発します。
同質・同極同士は引き合います。この表を活用して同類親和の法則の理解を更に深めましょう。
我々は常日頃、どちら側の想念を抱き、その履歴を蓄積している事でしょうか?
願望希望を叶えようとして働かせる心遣いは、統合・分離のどちら側でしょうか。
「ゴミ箱+マズローの欲求5段階説」と重ね合わせて瞑想しましょう。 006も再度、復習して下さいね。
この表をよく見て、その抱いた想念の蓄積する量が、力となって現実を造り出している事に気付く事です。
総ての人に於いて、無意識の感じ方までをも含めた普段からの思考が現実化しているのです。
では、心的態度の向きに付いてですが、心のベクトルをイメージして見て下さい。
ここで解説する統合分離表は、平成16年1月17日バージョンからの解説です。
ベクトルとは、力を持った矢印、方向性を持った力積の事です。
小さくて細い矢印か、それとも大きくて太い矢印か、そしてそれが何処を向いているかという事です。
左側を統合、右側を分離と大別します。
左側に寄るほど統合の質は増し、右側に寄るほど分離の質が増す訳です。
統合側は愛ですが、分離側は愛の無い状態です。・・・イメージは図表として頭の中に描けていますか?
真ん中の分かれ目となる基点から観ると、統合は結びつきを感じて安心が生じ、楽が生じて愛を感じます。
それは、一体感を感じる世界です。
ところで、愛とは一体何でしょう?一言で理解出来る定義が欲しいですね。その定義はのちほどに。
昔から「愛とはこうだ」と一言で、誰にでも解る様に、見事に言い当てた人は何処にもいませんからね。
そして統合とは逆に、分離とは読んで字の如く、分れ離れるので、孤立から不安が生じ、楽ではなくて実際の苦を感じます。
そして、その恐怖からあらゆるネガティブな感情が生まれます。
統合側に於いては、人生の中心軸として「法則に対する絶対の信頼」が生じていますが、分離側では「拠り所が無い」状態です。
そして、愛という統合の質が高まると、梵我一如とか神人合一と呼ばれる、宇宙との一体感が有り、生命の歓喜と共に永遠の生命を感じる世界が広がります。
ところが、愛が無くなる分離側では、失望と孤独感に襲われ、実際に悶えや痛みという苦しみを味わい、最期は絶望と共に死が訪れます。
創造エネルギーや生命エネルギーは、統合側ほど多く湧いて来ますが、分離側に寄るほど出なくなっていきます。生きる意欲を失うのです。
分離側では、無意識に自らエネルギーを差し止めてしまうのですが、統合側は意識が高いので、エネルギーを差し止めたりなどしません。
感じ方は誰しも自由ではあります。
人間には選択の自由が有るからです。
しかし、その選択した結果が、どの様な状態を招く事になるかを、心得ていなければなりません。
統合分離表は自分でも作成出来ます。
今まで申し上げて来た事をベースにして、心が安定方向に向かう心遣いや感情を統合側とし、心が不安定に向かう心遣いや感情を分離側に書き出せば良いのです。
統合側の心遣いとは、基本的に陽転思考・プラス発想であり、分離側の心遣いとは、マイナス思考の事です。
コップ半分の水の例え「半分しかないと半分も有る」の話は誰でもご存知のはず。
「半分しかない」はマイナス思考で「半分も有る」と捉える事が「プラス思考」だと知った時、誰でも「自分はプラス思考」でいようと決心した筈です。
その決心は落とし込まれて、自動化していたといえるでしょうか?
知った事、学んだ事は、応用してこそ自分のモノと成るのです。
統合側を心的態度が向いている時は、喜びを感じる感謝の心ですが、それが分離側を向くと、感謝とは反対の不平不足の心が湧き上がって来ます。
統合側とは、常に前もって準備し立ち向かう心構えですが、分離側とは、準備等考えもせず貪ろうとし、立ち向かうべき事を保留したり逃避します。
成長とは、丁度山登りに似ています。
抵抗や引き戻しを押して登って行く世界であり、高度が高くなれば下界が見下ろせる様に、意識も高くなれば、様々な理が俯瞰出来る様になります。
しかし、分離側は下りの道です。
せっかく元々有るエネルギーを代償行為で擦り減らし、理を理解する意識をどんどん下げてしまいます。
そうすると、モノ事の道理が段々見えなくなって行きます。
統合側は、「苦を乗り越えて楽に至る道」ですが、分離側は、「楽を求めて苦に陥る道」です。
どちらがいいでしょうね?立ち向かうか逃避かという分類は、幾らでも細かく分類して行けます。
立ち向かう統合側の心は、「責任を引受け真実を知ろうとする心」ですが、「嘘を隠す言い訳と責任転嫁を求める心」は正に逃避と言えますね。
立ち向かう統合側の心は、良いと認めたら好き嫌いの感情を超えて認め、肯定する「YES」の世界です。
YESと認めたら、自分が変わらなければなりません。
しかし、逃避である分離側は、好き嫌い判断で、嫌いと感じた途端に「NO」の世界です。
為に成る事でも認める事が出来ません。
あからさまに「ノー」とは言わずに保留するのも、自己を欺く為に発明した巧みな「NO」の一形態です。
NOと言えば、自分が変わらなくても構いませんからね。
保留はハートを欺く「NO」の一形態ですよ。
何故なら、ハートはいつも、成長の機会を無自覚・無意識レベルで引き寄せているのですからね。
このポイントを忘れちゃダメですよ。
認めて受容すれば、道理に通じて「今自分がしている事」が意識出来ますが、認めず、非受容の態度を重ねていると、「自分が一体何をしている」のか意識出来ない無意識に支配される様になって行きます。
心は閉じ、人と共感出来なくなりますが、何故か人のケチ(欠点)は、とてもよく見える様になって来ます。
統合側では自然と心がオープンし、多くの人と共感する事が出来るので、人のケチより長所が見える様になって来ます。
統合側では、「潜在意識には自他の区別が無い」事を心得ていますから、許す事から訓練し始めようとします。
しかし、理を心得ない分離側の心では「許さない・許せない」を握り締め、相手を責め、自分に付いても自責する様になります。
統合側の心遣いを積んで行けば、心的エネルギーが豊かに成り、握り締めている「許さない・許せない」は自然に解(ホド)ける様になります。
真の許せた状態と言うのは、その人の事を思い出した時、ほほえましく感じると言うか、もう良き思い出としてしか思い出せない状態です。
豊かに成長して行く統合側の心遣いは、分かち合いの心であり、人の富や成功を賞賛・祝福出来ます。
自分も心が豊かになって来ているからです。
しかし、分離側の心遣いを積み重ねていますと、心が貧相に成るだけでなくサモシクもなって来ますから、人と分かち合いや良い事など伝えられません。
人の富や成功など、他の優れたモノには嫉妬を感じるだけです。ルサンチマンですね。
但し、エネルギーが枯れていれば負け犬となって、それすら感じません。
統合側は、基本的に「与える・手放す」というギブ&ギブの世界ですが、分離側の感じ方は「握り締める・奪う」という自己中心的な世界です。
その結果、統合側では、他人と協調し、建設的な事がどんどん進んで行きますが、分離側では闘争が起こり、それは破壊的です。
分離側とは、なんと狭量で寂しい世界でしょうね?
しかし、分離側とはその心遣いの積み重ねによって、段々無意識に支配されて来る世界ですから、何故その様な不本意な状態に在るのか、自分では皆目検討も付きません。
原理原則など永遠不滅のモノを拠り所とせず、思い込みで生じている断片的な概念を繋ぎ合わせて虚構世界を造り上げ、それに閉じ込められています。
矛盾を突かれて虚構が崩れるのを恐れる為、益々人の話が聞けなくなります。
しかし、統合側の心遣いで生きる人は、心配も何も有りません。
真実に生きる世界は、矛盾も嘘も無いので、緊張する必要が在りません。
そしてその先には自己実現が待っています。如何でしょう?
統合側と分離側。貴方はどちらの方がいいですか?
他人の言動に一々囚われない統合側では、くつろぎが生じています。
囚われない・拘らない・偏らない、空の心です。
しかし、分離側に在ってはそうは行きません。
いつ自分の長年掛けて構築して来た虚構が崩されるか分らないので、いつも何処かで緊張しています。
ちょっとした事に、すぐ囚われたり拘ったり偏ったモノの見方しか出来なくて、人生が段々草臥(クタビ)れて来ます。
統合側の心遣いは、自他の解放に主眼が有り、育てる心を持っているので、自らが自由です。
しかし、分離側の心遣いは、自らの自由を得ようとして人を支配しようとします。
それは囲い込む心であり、優越を貪ろうとする心です。
そして、何かの呪縛に掛かったり、隷属状態を強いたり強いられたり、自分が理解出来ていないゾンビになったりします。
統合側では、自らに自立心が在り、他をも自立する様仕向けます。
しかし、分離側では依存心が強く、他から慰めを貪ろうとします。俗に言うオーラ泥棒です。
もし、自分が相手より強い立場で有るなら、下位の者には依存性が助長する様慰めを与えますが、それは愛では在りません。
それは、相手の依存性を確かめる事で、承認の要求と「自分の優越性を貪る事」を満たす為です。
理屈を知っても知らずに居ても、自分が好きならまずは心配要りません。
しかし、自分が嫌いと感じる事があるなら、直ちに無意識で為している分離側の心遣いに目覚めましょう。
分離側の心遣いを積んでいると、自分の何処かが嫌いになって来るのです。
ハートが本当の事を知っているからです。 そのまま行けば地獄です。
しかし潜在意識のメカニズムに沿って訓練を積めば、間違いなく涅槃に辿り着けますよ。
「意識の時代が来る!」のシリーズをご覧下さいね。
真に求める心さえ在るならば、誰でも涅槃に至れる秘密が解き明かされています。
潜在意識のメカニズムと原理原則に従って、統合側の心遣いを積み重ねていると、顛倒夢想はどんどん減って行きます。
そして有る時、光明が訪れ、智慧の世界が啓きます。
人間心理の真理に関して、問えばインスピレーションで答が返って来る世界です。
しかし、この様な学びの価値に気付かないままでいると、顛倒夢想はどんどん増え、無明という闇に人生は覆われます。総て無知である事が原因です。
顛倒夢想は平均的な人で200~300個は抱えていますが、人生に深刻な問題を抱えている人は400~500個も抱え込んでいます。
以上、簡単に纏めますと、自分の真実に付いて、統合側は知ろうとしますが、分離側では知ろうとしません。
為になる話は、統合側は「ありがとう」と感じる感謝の心が有りますが、分離側では、為になる話を責められると感じます。総ては、捉え方・感じ方の問題です。
どちらで感じるか?・・・そしてそれでいいのか?です。自分に質問して下さい。
問題や障害に出くわしても、統合側は乗り越え様とする意欲が湧きますが、分離側では意欲が喪失します。
フロイトの唱えた死への衝動タナトスに付いては、統合側は、活気有る生命力に満たされていますが、分離側では破壊衝動や死への衝動が増えて行きます。
それを自ら欲する様になるのですが、破壊衝動や死への衝動等、これもゴミ箱に入れるべき欲求ですね。
自我に付いても、統合側は、必要を満たせば満足ですが、分離側では、欲望を追いかけ続けるので満たされる事がありません。
意識の力の源泉と成るプラスのエネルギー「徳」に付いては、統合側は、生活しているだけで段々溜まって来ますが、分離側では蓄積する事を知らないので、生来持っている徳を使い果たしたら、もう、人生に喜べる事は何もなくなってしまいます。
統合側は、気付くと育ち深まるモノであり、分離側は気付くと消えて行くモノです。
気付かなければどんどん増えてしまいます。
意識の光を当て、自分を責めずにどちらが得かを考えましょう。
統合側は、知性が発達し、意識が高くなるので色々な事が俯瞰出来ます。
それは、時間に対する垂直の次元への成長です。その先に、永遠の生命への知覚が啓きます。
そして、愛とは何か?という質問の答えです。・・・それは統合側の質が全部揃って愛です。
分離側の質が一つでも混じったら愛では無くなります。
100回反復で原理原則を落とし込む! ・・・「読書百遍意自ずから通ず」の実践編。
当シリーズは「読み物」ではありません。強者の質と感覚を啓く、最強のトレーニングツールです。
反復トレーニングの効率を上げる為に、合成音声ハルカによるテキスト読み上げ音声を用意致しました。
テキストを熟読して後、理解が起こりましたら、後は音声で反復効率を上げて下さい。
何を言っているのか聴き取れないと感じたら、テキストに戻って再度熟読して下さい。
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