ついに、ここまで来ましたね。

では特別貴方に秘密を差し上げましょう。

前回アップは2011.08.23-1、第17番目のバージョンでしたが、

これは2011.08.30-1 、第19番目のバージョン推敲原稿です。

今後、もう少しグレードアップします。

この詳細解説はおそらく40時間を超えると思います。

session9までとセールス力スキルアップセミナーを修得した方がこの音声ファイルを購入出来る事とします。

 

41世紀の愛と自由とセックス      愛と自由の永遠の矛盾を解く。

                                       (潜在能力感知開発プログラム17章より)

 いつの時代も先ゆく真実というものは、常に常識の向こう側に在る。

 新しく明らかになる(解き明かされる)真実は、常識ではない。(しかしそこには確かな理がある。)

 真の精神的努力を厭わない覚悟の在る者だけが、これを学ぶ価値が在る。

 真に解き放たれる事を望まない者、自分の都合で解釈や選択をする者はまだ紐解いてはいけない。

 複数の女神が欲しくない男性、マルチオーガズムという言葉に関心のない女性も聞いてはいけない。

 しかし、既に愛に至っていた者にとっては、この解説は単なる言語での確認事項となっているだろう。


宗教家や道徳家、教育家が一番怖れているモノ、最大のタブー・・・それはセックス。

 そこには、動物が火を怖れるのと同じ構図がある。

 セックスを怖れるのは愛を解き明かせない事がその根本原因・・・それは自らが分離側で在る為だ。

 それを罪悪と感じる彼らは、昔から良識あるとされる人々にも罪悪感を植え付け続けて来た。

 ブラフマチャリア(性超越)を信じる彼らは、抑圧を以てそう成れる・成れていると思い込む。

 その実態は、性超越どころか、その真逆たる性逃避だ。

 抑圧や戒律でそれらを消し去る事は出来ない。(何故そんな事が分からないのだろう?)

 抑圧と我慢の裏には、それが歪になるかその逆さまが育つだけだ。

 人々の抑えきれないねじ伏せられた要求は、争い・権力争奪・金銭指向、そして戦争へと駆り立てる。

 それを通して生来の欲求を叶えようとするからだ。

 ねじ伏せられたモノは形を変えただけだ・・・しかもその様にもっと質を悪くして。

 そうすると聖職者達こそが、廻り回ってそれらを作っている真の原因と言えるではないか。

 NHK人体小宇宙の「生命」で命の育つ様子を、「素晴らしい・神秘だ」と言い、それを人々は賞賛する。

 しかし、その大前提となる前段階は「イヤらしい・猥褻だ・教育に悪い」として隠す。

 こうして子供の脳回路は、それが矛盾と気付く前にイメージ的結論として組み込まれ、分離されて行く。

 理の成り立たない矛盾に違和感を感じない感覚・・・顛倒夢想は至る処で刷り込まれて行く。

人間の根源的欲求・・・。

 強烈な思い込みは、本能さえ狂わせて拒食症になる事が有る事から解る様に、彼らも本能を狂わせる。

 精神進化と成長に於ける途中の大切な大切なプロセスを何故飛ばすのだ?

 セックスのエネルギーとそれに対する間違った観念の言いなりになるのではなく、セックスは使うのだ。

 セックスのエネルギーは、そのコントロールの技法を知らない人を打ちのめす。

 押さえ込んだそれは、嫉妬や支配欲その他、代償行為へと変化して自他共コテンパンに打ちのめす。

 彼らは、エネルギー保存の法則を知らないのだ。

 それは隠したり、押さえ込んで歪にしたり暴発させるのではなく、正しく開花させねばならない。

 彼らにはタントラが理解出来ない。

 いきなり、近道をしようとして脱出不可能な永遠の迷い道に嵌り込む。

 盲人が、指導者と称するもっと狂った盲人に導かれて、二人とも共に溝に嵌るのだ。

セックスは例えて火である。

 火を神聖なモノ・役に立つ便利なモノととるか、危険なモノ・火傷し破壊消滅させるモノととるか。

 セックスも同じである。

 神聖なモノ・成長と進化に役立つモノととるか、不潔なモノ・堕落し人を無秩序に貶めるモノととるか。

 いわゆる聖職者という存在は後者「不潔な〜」のみを語り、前者「神聖な〜」を知らない。

 結婚という制度においてのみ純潔とする観念を作り上げた。(そこには政治的・複合的な目的が有る。)

 それでは動物が火を使いこなせないのと同じである。

 彼らにとって性行為・性エネルギーとは、低次な忌避すべき動物性そのものだと捉える。

それ故、手に負えない動物性というモノは、理性で押さえ込めば何とかなると考えて来た。

 そして「愛が大切」と言いながら、やっている事は様々な抑圧や事実・真実の隠蔽。

 その結果それは、個人と社会の双方に於ける、分離の側の質の増大化でしかなかった。

 花は綺麗だが、根は醜いと言って切り落とす・・・分離させなければならないと考える。

 また、暴力シーンや殺人シーンはOKだが、愛の営みのシーンは何故か御法度だ。

 誰がどこで正しい事を教えるのだろう。

  モテない自分が女とするには・・・と、レイプを妄想する青少年がどれだけ居る事だろう。

  如何していいか解らないから、彼らは日々社会の陰でその妄想をイメージし潜在意識に蓄積する。

  そうすると、それはやがて事件として社会に顕現する。

  薬物に手を出す事になるのも、悦びと生命の歓喜を得る正しい技法を教えないからだ。

  止められない程の激しいエネルギーの噴出を、自分の為だけに用いるか。

  それともそのエネルギーを相手の悦びの開発・発現の為に用いるか。

 文部省推薦・教育ママご自慢のトッチャン坊やに何が出来るのだろう。

 それは知識も教育も与えないで、20歳になったらいきなり博士論文を書けと言っている様なモノ。

 本来、幼児の時点からその感性の芽は周囲が育てるべきなのである。(18〜20才がピークである様に。)

 特に女の子には重要だ。(初潮期以前までに、愛される事への自信を育んでおく必要性が有るのだ。)

 また男の子は、大いに女の子の体の構造と精神構造に付いて興味を持ち、研究心を育てるべきである。

 本質を解き明かさない・・・否、スタート地点と方向が間違っている故、彼らには解き明かせないのだ。

 ここに、人々の間に「愛と自由が気付かない内に次第に乖離してくる原因」が潜んでいたのだ。

 人々は益々愛が分らなくなるし、愛を手に入れたと思えば自由を無くしてその愛もあっという間に消える。

しかし、ここに宣言する・・・愛が真に理解出来た者には奇跡が起る、と。

 愛は無限に広がりを見せ、しかも自由を妨げる者はいない。

 貴方の恋人達は互いに仲良く、大の親友となり、貴方を応援してくれる存在になる。

 それは、貴方にとって肉体として顕現した女神達。

 女神は貴方の腕の中で歌い踊る・・・それはどんなに素敵だと言われる音楽も及ばない美声とバレエだ。

 一つになった肉体の中で意識はアストラルへとトリップし肉体は融けてしまう。

 貴方は女神からのノーベル賞を5つも貰ってしまう。

 「「この悦びを他の人(女)にも分けて上げて。」」

  快感が凄すぎるというだけでそう言う言葉が出るものではない。

  女神故、それを通して男が何をしようとしているのか、その価値と先々までの結果が見通せるからだ。

  何をしようとしているのか・・・「何の為に」・・・それはそこに崇高な目的意識が在るのである。

  低次元しか見えない意識の下品な女には、崇高な事も下作にしか見えない。

 貴女は、こんな素晴らしい事を何故神が許し給うのだろうかと思わずには居られない程の愛に包まれる。

 そのエネルギーと快感は、次第に貴女を女神へと変容させる。

 それは、シンデレラの貴女を迎えに来た白馬に乗った王子様。

 そのときめきは互いに、10年20年30年と時経つ毎に増大して行く。

 貴女は、見つめられるだけでオーガズムとエクスタシーに至る。

人類は、「愛と自由とセックス」の統合側に於ける真の相関関係に開眼しなければならない。

 そして貴方は今、誰よりもいち早くそれを自分のモノにしなければ成らない。

 41世紀まで待つ必要はない。

 何故なら、貴方はそうなれるのだから。(但し、早いほうがいいよ。元気ビンビンの内にね。)

 41世紀には一般常識として広がっている概念・世界観である。

 そして、この情報が意味するもう一つ大変重要な事・・・。

 一般の人々に先んじて縁在る貴方は、選ばれた人であるという事。(それが認識出来たなら。)

 現在人類70億の中で、アセンション(意識の次元上昇)の先駆けとして貴方は選ばれているのですよ。

 「縁」というのも、貴方自身の徳と潜在的才能が導き、それ故開かれた天啓の一つです。

 この事に付いても深く瞑想し、自らの力と意志で大いなる自信と自尊心を高めましょう。

ときめきが消えていくのはそれは恋では有ったかも知れないが愛には成り得なかったからである。

 愛・・・それは永遠という属性を持っている。

 男にとってのセックスと自由・・・権力やお金がそうさせるのではない。

 それは、出来る理由を探そうとし続ける者にのみ開けてくる世界。

 まだ誰も言語化していなかった心理の真理、そのハイステージに誰でも成れる法則性が在ったのだ。

 動物プログラムのままでセックスと自由を手に入れようとするから、権力やお金を求める様になるのだ。

 そしてそのやり方では一時は何とかなっても、必ず何処かで綻びが生じ、間違いなく途中でコケてしまう。

 周囲を見て何故学ばないのだ?(歴史からでも小説からでもワイドショーからでも親からでも。)

 周囲は失敗ばかりしているではないか!・・・更には、自ら経験しても何故学ばないのだ?

 何故、同じ事を繰り返す?・・・人々の学習能力というモノは一体如何なっているのだろう。

このプログラムの危険性。(動物プログラムのままでは、幼児にカミソリ。)

 偽医者に騙されていたとして、医者の資格も無い人だと解ったら貴方は手術を委ねますか。

 当シリーズを学ぶに当たっても、ある一定レベルの心的態度の変容lを超えた心的技量が必要です。

 今までのセッションを修得し、すべき些細な実践を重ねて必要な心的履歴を十分に積んでおく事です。

 セックスを邪な考えや偏見で見る様洗脳されている人達は危ない。

 神聖なその世界の真意を汲み取ろうとする前に、偏見と嫌悪の念で見、誤解しかしないからだ。

 そんな彼らは悪口揚げ足取りが大好きで一部をとって勝手な解釈を作り出し嫌悪仲間を増やそうとする。

 或いは無意識に恐怖と嫌悪を感じて逃避する。

 人の話の真意を聞き取る能力を持たず、理を筋道立てて考える能力のない人もムリです。

 相変わらず精神が動物次元である故、感情主体のエゴの好き嫌いでしか判断しようとしないからです。

 彼らは、そうしたらそうなるという説明を聞いた上でその実例を体験しても、何故か学習しないのです。

 また、口先で理屈とトークをテクニックとして使用しても、beingが伴っていない人も危ない。

 エゴが「知識として記憶している真理」の「つぎはぎ」の下にしっかりと隠れているからだ。

 それは自分の知らない部分で相手を傷つける様に無意識に働く。

 サレンダーの覚悟が出来ていない人も危ない。

 それ自体がまだまだマイナス思考でしかも理解不足である事を証明している様な状態だからだ。

 貴方は何に逆らっているのだろう・・・そこを本当によく考える事だ。

実践に当たって、これまでに為しておくべき事。(本来ならば感知プログラム16章までの修得。)

 最低限、滝部セミナーの全シリーズを事前に何度も繰り返し、その要点は完全に押さえていて欲しい。

 このシリーズは主に男性向けに作られている。

 セックスのイニシアチブは、男性の側に在るものだからだ。

 本来、16章までと解説朗読シリーズ・滝部シリーズを完全に押さえて原理原則を習得しておくならば・・・。

 このシリーズの内容の90%以上は自発的に気付ける様になっている。(またそうであって当たり前。)

 「出来る理由を探す」の真のセンス開発訓練は、自然にこのステージへと招待されてしまうからだ。

 招待、そして招聘(ヘイ)・・・健康な男性なら、そのほぼ総てが望む世界へである。

 この自発的理解は縁覚のステージであり、実践には菩薩ステージの人間力が必要となる。

 拡大した意識領域の中ではセックスすら救済の手段・・・菩薩行の一端なのである。

 女性の男性に対する救済方法、菩薩行の実践方法は全く異なる。(後述する。)

そして、一言一句を腑に落ちるまで、瞑想的に読み解いて行こうとする意志が重要だ。

 勿論、今までのセッションも含めて総てである。

 ここでは、「瞑想的に」というのが特に重要なポイントだ。

 一言一句にその含み・周辺が見えて来るまで、思考力・思索力・連想力を練り上げねばならない。

 頭の中で復唱し、リラックスしてそれに集中し、自分の体験や想像と繋がりを付けて行くのである。

 この「繋がりを付ける」という何でもない様に聞こえる作業が、センスを啓く基礎作業である。

 能動的にそうすると、脳神経のネットワーク形成の様に、脳内イメージのネットワークが形成してくるのだ。

 そしてあるレベルを超えると、その作業自体が自動的になり、無意識的有能となって勝手に育ち始める。

 それが「愛はそれ自体が語る」といわれる縁覚のステージの意識を啓くのである。

 貴方は、新しい能力を手に入れる。

 関連事項が自動的に結び付いて、新しいイメージ・新しい表現が凄まじいスピードで湧いて来るのだ。

 自らの意思で日々「脳内イメージネットワーク」の総量を増やす研鑽に励んでいたと言えるだろうか。

 「脳内イメージネットワーク」をマイナス思考で形成させるな・・・それも自動的に拡大する。

 実力が出て来ないとしたら、いつも受動的で自ら想像思索し能動的に脳を働かさないからだと言える。

例えば今まで何度も聞いていた「出来る理由を探す」を自分はどの様に捉えまた使っていたか。

 どれだけ自分の事として、そしてとても重要な考え方だとして真剣に捉えていたと言えるだろうか。

 それを意識し続けるというのは、常時チャンス発見能力、つまりそのセンスを磨いていると言う事だ。

 日常の時間帯に於いてそれが常に念頭に有る、つまり常にそれを通して見ている感覚があるだろうか。

 忘れているというのは、注意力の散漫、思考の放任をしたまま、つまり脳が怠慢しているのである。

 思考が弛緩している人間は、平和ボケが益々進み、最期は己の存在価値を自ら失ってしまうだけだ。

 脳内には、常に人生を通して追い続けるテーマが有るべきである。

  ここでは普通どの男性もが願望する「複数の恋人がいて、嫉妬されない為には」の答えにもなっている。

  常識では不可能と思えるこの命題にさえ、そこに至るプロセスが開示されてしまった。

  更なるテーマの副産物、しかも役割としてである。

貴方は今まで、何に対して「きちんと系統立てて」それが出来る理由を探していたのか。

 どんなテーマをどの様に立てるか。

 そして、それに対してどの様に心を遣っているか・・・それ次第で奇蹟は起る。

 潜在意識は、その成就方向への「きっかけ」「素材」が見え始める様にとセンスを啓き始める。

 今の貴方の実力を遙かに超える力が貴方の中に眠っている事を知っているだろうか。

 でなければ、せめて「信じて」いるだろうか。

  自分に対する疑いは、能力・センス開発の大きな妨げとなる。

  貴方は人から疑われるのはイヤだ・・・しかし自分に対しては疑いがあっても平気。

  この分裂状態・・・矛盾を自覚しなければならない。(また何故そう成っているかも知らねばならない。)

 後は、「一歩踏み出す勇気」「些細の積み重ね」「代価を惜しまない」で進むだけ。

 この「愛と自由とセックス」で述べている現象は空想ではなく、既に起ってしまっている現実だ。

 この超凄すぎる命題を軽んじている事に、その自覚もない様な鈍い人のセンスは閉じたまま。 ・・・ドンクサ

愛に基づく故、イキイキと展開して行く自由な、そして神聖なセックス・・・。

 言い換えれば、それは菩薩レベルに至った人の神から与えられた特権と言ってもいい。

 しかし、それでもその先をちょっとでも早く垣間見たい人の為にこのシリーズは作られた。

 よって、人間力の向上に努める結果、述べられる事が賜の様に起り来るbeingを目指して欲しい。

 貴方の妻、恋人、愛人、お妾、呼び名は如何在れ、彼女達が女神となり互いに親友と成って行く姿を。

 しかも、女神は更なる女神を貴方に呼んでくれるのだ。

 貴方は女神達に求められてやまない存在となるのだ。

 男がいい女を抱きたいなら、女だって同じだ・・・いい男に抱かれたいと思っているのだ。

 自分自身を克服し、勝利を掴んだそんな男を。

 そう成ったら、いわゆる女性を口説く様な努力さえ必要ない・・・相手の方が望んでくれるのだ。

 貴方は、女性達の多くが「探している」類い希なる貴重な存在の男性になったのだ。

 男は外面を見るが、女は直感で男の「愛の実践履歴」を観るのだ・・・気持ちいいという感覚の度合いで。

 男性に今問われるモノは、そう在りたいとする絶対の覚悟だ。

 (しかし統合側に有ってはそれすら無為・無努力である。)

このシリーズを学ぶに当たって、繰り返し読んで、ポイントをしっかり押さえておきたい参考書籍。

 既にHPで紹介している、解説付きで朗読してあるお薦め本の一通り。

 それらを読書後、解説付きの朗読テープを聞いてくれているなら、なお宜しい。

 読み落としそうな重要な処を解説してあるので、自分の読解力・行間汲み取り力と比較してみて欲しい。

 このシリーズでは、これらを読んで一応納得理解しているという事を前提として解説が進む。

 解らない事・出来ない事・進歩の停止に出くわしたら、何処かを脳が無視していると自覚して探す事だ。

 滝部セミナーシリーズでは、やっておくべき些細なトレーニングの提案が十二分に解説されている。

 当技法の秘密の総ては、実は今までのセッションで既に語られているのだ。

最短コースで自由人となる必要条件。

 上記+滝部セミナーシリーズ+αの全内容を漏らす事無く心からの理解が生じる様に勉める事だ。

 些細な実践を確実に積んで統合側での履歴を蓄積する。

 更に真理伝道者・救済者としての自覚を深める事である。

 その履歴こそが智慧とパワーの源泉に他ならないのだから。

 女性は、男が陰で積んでいる愛の実践履歴・統合側での実践履歴を瞬時に読み取る閻魔様である。

このシリーズが貴方に求める事・・・それは単に知識を知る事ではなくて感覚を啓く事。

 既に、説得力や人を動かす原則の修得は勿論、語れる人間に成っている事は当たり前の大前提だ。

  (そのセクションをマスターし終わっていてこそ、このシリーズのエクササイズが始められる。)

 その上で、自分のとる一挙手一投足が、法則に沿っているのをモニター的に見張っている意識状態。

 そのレベルに至ると自明的に啓けてくるセンスがある。(女神の卵が複数現われてきた時。)

  差別しない・隠さない・仲間はずれにしない・自分から選ばない・えこひいきしない・

  起り来る秩序に従う・それは救済になっているか・成長の動機付けになっているか・

  今己の欲で動いていないか・それは崇高な目的の為か、等々。(言われないから解るセンス。)

 それは常に相手の立場からは如何見えているか・如何感じているかをサーチし続けている意識状態だ。

 それが常に念頭に在る様な鋭敏繊細な感覚無くして、起り来るその瞬間瞬間に如何対処出来るだろう?

 だから、単なる知識ではなく、センス・感覚を高める事・啓く事が重要なのだ。

 今までのセッションの些細な指示を着実に積み上げていたら、自然に出来る様になっていて当然だ。

 部分的に認めない処の存在は、「愛になる」事にとって致命傷となる。

 取り残して置いた「認めん」は、意識の光を当てなければいつしか自動的に大きく育ってくるからだ。

 それは、気付かない内に大切なセンサーを覆い隠す心眼のカーテンとなってしまう。

 自己中心的な心になった時、智慧の扉が閉じた時、求める姿は崩壊し始める。

 それは愛ではないからだ。

殆どの人は、愛の本質を理解していない。

 ハイファイセットの「フィーリング」、かぐや姫の「ペテン師」、高橋真理子の「桃色吐息」。

 これらは凡夫の「愛・自由・セックス」というモノの捉え方をそれぞれ見事に表し、また代表している。

 そこに在るモノは、その矛盾から生じる不満足と煩悶、苦しみでしかない。

 彼らは愛と自由は両立しないと、或いは両立出来ないと信じている。

 セックスに於いて、女性は本物を知らずとも、「こんなモノじゃない」と薄々気付いてはいる。

 永遠に続くと言われている男女の平行線・・・答えがない・・・誰も答えてくれない、教えてくれない。

 そして「一つになっても一つになれないアンタとあたいの数え歌〜♪」長渕剛の歌になる。

 一体如何なっているのだろう、何を如何理解したら良いのだろう。

それは、愛ではないモノ(執着・支配欲・性的欲望)から生じる快感を愛だと捉えているから。

 愛だと思って来たそれをよく見れば、それは愛であるどころか分離側の質そのものである事が解る。

 そんなところに自由は無い・・・統合分離表をよく見て欲しい。

 統合側の質である自由は、分離側の質のモノと共存は出来ないのである。

 言い換えると「自由」と、自分が愛だと思って来た「執着・愛着・支配欲」は共存しないのである。

 愛が欲しいと言っている今の貴方は、まだ愛する「事」は嫌いだ・・・しかも大嫌いだ。

 そして愛ではないモノを愛だと思って来た。

 この、世界中が信じている間違いに気付けたら、貴方は愛になるスタート地点に立てる。

 愛は自由と同じ側である・・・真の愛は自由と共存する。(ここでその命題に付いてしっかりと瞑想しよう。)

 貴女のしたいやり方(分離側の質)では永遠に、欲しいモノ・生来の欲求を手に入れる事は出来ない。

今の貴女のままでは、嫌っている方向・やり方でこそ、生来の欲しいモノが賜として手に入る。

 貴女にとって、やり方と結果とどちらが重要なのかよく考えて断固とした結論を先に出しておく事だ。

 自分のしたいやり方ですか、それとも結果ですか?

 愛の原理の真実を聞いて「嫌」という感じが出る事が有ったら、それ自体が分離側の物的証拠である。

 それが、自分では絶対に見たくない貴女の現在の実態だ。

 「認めん」意識状態では、永遠に愛の本質(悦び・喜び)は理解出来ない。

 エゴをとって今の状態を続けるか、エゴを放って愛を手に入れるか、天秤に掛ける自由が各人に有る。

 「あれ(夫)が自由になる位なら、あたしゃ幸せはいらん」とのたまっていた人がいた・・・そしてその通り・・。

人々は他人を直接支配したいが、真に支配出来るモノのは愛でしかない。

 しかし、愛は支配しようと等しないのがその質である。(愛の矛盾。)

 そこに気付いて、人として生まれたなら総て「愛」になる事である。(そしてそれは誰でも成れる。)

 恋愛と恋着・・・恋愛は互いが人間プログラムで起動している次元にないと出来ない世界。

 凡夫は恋着を恋愛だと思っているが、真の恋愛が出来るカップルなど、0.001%以下だろう。

 恋は花の蕾、愛はその蕾の開花、止まる事を知らないオーガズム、そしてそれはエンドレスラブとなる。

 蕾はみんな経験するが、それが開花に至っている人がいるだろうか。

 それが開花を迎えるその前に、みんな蕾がそのままコロリと落ちて行くのである。

 単なる猿的交尾をセックスと言い、恋着を恋愛だと勘違いしているから、時めきは消え去るのだ。

  猿的交尾・・・男に射精は有るが、女にオーガズムはない。

  真のセックス・・・女性はマルチオーガズムか谷底のエクスタシーが起り、射精は無くても全く構わ無い。

 自分のそれが恋着と交尾である事に気付き、真の恋愛とセックスというものの実態をまずは知る事だ。

分かりやすくしようとして説明言語を単純化する程、凡夫には分らなくなっていく「愛」の定義。

 愛とは何か?・・・いままで言われていた、或いは聞いた事のある言葉を思い出して欲しい。

 あまり思い出せないと思うが、有ってもその一言でその本質を理解出来る様なモノでは無いだろう。

 では、説得者が自らの理解しうる限りを詳細に説明すると、理解は複雑になりバラバラに分離して行く。

  それを聞いて、ちょっとは解った気もするが、掴み所のない深淵の暗闇が併せて見えて来る。

  現実とそぐわない処が現われ、自己犠牲か出来ない自分に自己嫌悪・罪悪感を生み出す。

 故に、誰も「愛」という概念の大枠を一発で理解に導く事は出来なかった。

 単純な一言が総てを包含する表現・・・愛の理解のスタートにはその単純な一言が必要だったのだ。

 この数千年に及ぶ人類の理解を妨げていた矛盾を遂に一発で解いたのが「統合分離表」。

愛の説明定義・・・「統合側の質が全部揃って愛」。

 実に単純明快、それ(愛)がそういうものであるという枠・輪郭を捉えるには超簡単だ。

 子供相手にも確かな説明が出来る。

 今まで誰も説明し得なかった全く別角度から「愛の本質」が指し示せた訳だ。

 心の状態としては、いつ如何なる時でも心的態度が統合の方向を向いている状態である。

 後は、ゆっくり時間を掛けてプログラム解説を参考とし、その一つ一つの理解を深めていくだけでいい。

 この見方一発一言で、愛という概念が何処までも因数分解して理解出来る様になったのだ。

 前代未聞の偉業となる発見である事に気が付いて頂ける質が貴方に在りますか?

相対性理論では、光速度を絶対としているので時間と空間の方がねじ曲がる。

 時間と空間がねじ曲がる等と言われても、通常の感覚では捉えがたいモノである。

 自分の感じ方と愛に付いてもこれと同じ関係が見出せる。

 貴方は「自分の感じ方」と「愛」とどちらが絶対だと思いますか。

 宇宙の原則・働きである「愛」は時や場所でその質や様子を変えるモノでしょうか。

 自分の感じ方が捻れているというのも大変捉えがたいモノである。

 何故なら、自分の側からはそれに対して不自然さを全く感じないからである。

 歪んでいる感覚を絶対視しているから、愛の捉え方が支配欲など歪んでしまう訳だ。

 それ故に、宇宙の原則たる愛が絶対なら、捻れているのは・・・と考えられる知性が必要だ。

 愛を絶対とすると、ねじ曲がっているのは自分の感じ方の方だと賢者を目指すならば気付けるだろう。

 凡夫は、自分の感じ方を「それが自分だ」と絶対視するから、愛の方こそが捻れて見え分らなくなるのだ。

殆どの人は、愛する「事」は嫌いだ・・・愛の構成要素のその一つ一つに注目するがいい。

 相手を、自由にする・認める・許す・見返りを願わず与える・・・・

 何と、嫌いな事だらけではないか。

 では自分の好きな感じ「支配したい・愛着していたい・握りしめ離したくない・許せない・・・」を見てみよう。

 何と、それこそそれが分離側ではないか!

 そしてその心遣いの蓄積と履歴は、如何いう結果を招く事になるのかをここまで来た貴方は知っている。

 どうしてそんな事になってしまっているのだろう。

 また言い訳も出てくる・・・「でもそんな事したら相手は我が儘になるだけじゃないか!」「我慢出来ない!」

  例えて、手術をしたら目が見えるよと言われた生来の盲人が、術後の杖の心配をしているのと同じだ。

  また、モンシロチョウの幼虫が変態したらキャベツの葉は要らなくなると聞いて、恐怖する様なモノだ。

 いいえ、愛の観念が啓けた世界観からはそうはならないのです。

  映画トータルリコールで見た様に、シュワちゃんはもう元の自分には戻りたくないのです。

  元のシュワちゃんは、元の自分に戻りたくてメッセージを残しているのに、です。

 自分が愛が嫌いだから、また本当は相手を信頼してないからそう言う見方しか出て来ないのです。

 信頼している?・・・それは盲信か自分の作った虚構の押しつけではありませんか。

 その貴方の信頼は、相手が口には出せない本人の自己犠牲の上で成り立っています。

 私は我慢しているんだから、貴方も我慢しなさい・・・という契約関係です。(決して応援ではない。)

 信じていたのに裏切られたとしたら・・・貴女が信じていたモノは貴女が描いていた勝手なイメージです。

また、この様な解説で真実に出くわして、この実態の自覚が出来る人はどれだけいるだろう。

 一度、「本当だ、自分は愛する事が嫌いだ」と言って認めてみよう。(そしてその後何を決意するかだ。)

 凡夫は「執着・支配・収奪」が大好きなのであって、それを「愛している」とすり替えてツモリを作っている。

 それが当面出来ている間は心地良いからだ。

 それから生じる快を愛の快だと勘違いしているのだ。

 そんなものはやがて消え去る。

 間違い・勘違いはこの様にして展開し、無意識無自覚のまま更に拡大するという恐ろしい状態に在る。

 これまでは愛の定義が曖昧だったので、途轍もない顛倒夢想が人類に蔓延ってしまった。

 まず真実を知る・客観的な実態を正確に把握する・・・自分の立っている位置を知らねばならない。

では目覚めた人にとって、この部分に於ける愛の喜びは如何して生じるのか。

  欲・・・つまり「執着・支配・収奪する」等は全く必要ない。(ここは教えられる前に自ら気付くべき項目。)

 貴方(貴女)が愛になっていたら、皆の方から頼りにされ、従われて、捧げられるからである。

 貴方を知った人は、貴方の意見や考えを取り入れたい。

 人は、貴方の言う事に聞き従いたいのである。

 そして貴方が必要なモノは、どんどん捧げられて来る。

 皆は、そうやって貴方を喜ばせたくなっているからだ。

 「そうか!そうなれるのなら欲を捨てよう。」と言う事で、新たな分離意識を作り出さない事。

 そういう駆け引きは愛の質ではないからだ。

 真理に沿って生き、与えるのが喜びだから、与えていたらそう成っていたという感じが大切なのだ。

 こういう部分が「書き記すと嘘になる」現象を作り出すので要注意。

また、自分が愛に成っていたら無限に智慧が涌く。

 人生の謎は、そのテーマをイメージするだけでどんどん解けていく。

 原則を修得しており、起り来る事総てを詳細に心眼を以て観察しているからだ。(瞑想的に生きる状態。)

 しかも愛はそれ自体が語る様に成るので自分で解る。

 しかも抑え難き衝動に突き動かされて何らかの愛の実践行動が起る。

 そう成らないとしたら、理屈を知っているだけで行動に移した愛の実践履歴が圧倒的に少な過ぎるのだ。

 またその状態では、説得を試みようとして、誰かが成功した同じトークを使ったとしても何処かが違う。

 陰徳を積む・・・つまり愛の実践履歴の蓄積そのものが説得力に於けるパワーの90%だからだ。

真の愛の世界には、嫉妬などは存在し得ない(それは愛の光に照らされれば消えゆくだけ)。

 むしろそこにはパートナーの応援すらある。

 嫉妬は劣等感・不満足、そしてその成り立ちを理解する智慧不足が原因。

 「絶対的な優越」と「男女の質の違いの理解」の元に愛が在れば嫉妬は起らない。

 それは、人間力が未熟故に最初は誰にでも存在するが、やがてそれは縮小し零へと収束して消える。

 それが人間心理に於ける法則性というモノである。

 そこには我慢も抑圧も、ましてや誰かの犠牲など在る筈もない。

 その反対にすべき事をしていると大いなる信頼が育ってくる。(それは盲信の様な分離状態ではない。)

 また現代日本女性の嫉妬の原因は、現代を取り巻く環境に於ける学習の結果にもある。

 聖書に見るヤコブと4人の妻達の話。

 自分の「許せない」と思っている感じ方は、単なる洗脳的学習の結果だと悟れば誰でもコロリと落ちる。

 男性の貴方は自由なセックスが欲しい・・・では貴方は女性に何を捧げるのですか?

男と女の絶対的な「質の違い」を理解せねばならない。

 女性が自らの希望と意思で絶対に知っていなければ幸福にはなれない男性性(アニムス)。

 勿論、男性も男とは決定的に異なる女性性(アニマ)というモノを理解しておかなければならない。

 学年一不細工なケメ子と学年一鈍臭くてキモいダメ男の話。

  健康な15歳の男女それぞれ100人に聞きました。

  神様がこっそり・・・

  童貞男子は全員ケメ子でもいいのです。ケメ子でもいいからしたいのです。100人が100人全員です。

   ホモに走る男達の原点・・・ケメ子が居なければ男の穴でもいいと一部の男子は夢想するからです。

   そしてオカマ役も引き受ける内に、別の世界で目覚める訳です。(リバと言うそうです。)

   女のレズビアンとは成り立ちの原理が違います。

  ところで健康な女子生徒100人に聞いたらどうでしょう。

  「誰でもいい、ダメ男でもいいからしたい」という女子が一人でもいるでしょうか。

  「したがっている」ダメ男の要求に応えてくれる女子がいるでしょうか。相手は学年一キモいダメ男です。

 これが男と女の本質的な違いだ・・・そして、その様に造られていると知る事だ。

 女性は、3人以上の「出来る」男に聞いてみる事だ。

 男は、60点以上が結婚の合格ラインで、相手が一人では減点方式、多数では加点方式になる。

  A子85点  B子75点  C子65点  D子45点(セックスは条件付きで合格)

  各人それぞれに長所と短所が有る。

  一人だけ選ぶと、その人にない他の人の長所が目について、どんどん減点されて行く。

    A子85点と雖も、70点→50点→40点→30点となる。

  複数いると、今目の前のその人の短所は、他の人がカバーしてくれる事になるので加点されて来る。

    A子95点  B子85点  C子75点  D子60点という具合に。

   その結果、その女性本来の魅力以上に可愛がられ、愛される事になる。

  また、男は愛の配分を取り残されている人の方からフォローしようとするので甲斐甲斐しくもなる。

  これが女性には目から鱗の、神によってプログラムされているアニムスというモノだ。

 女は、70点以上が結婚とセックスの合格ラインで、選んだ相手を100点にして他は全部0点にする。

  (三下り半を突き付ける事になる迄の、当面の間だけね。)

  80点の男をモノにしたら、たとえ次に90点の男が現われてももうセックスに於いては0点だ。

  それ故、女は男の浮気を、女の感じ方・アニマで男もそうだろうと考えるから間違って苦しむ事になる。

  女は80点の自分が0点にされて、あの70点の女が100点にされたと感じるから怒りも湧く。

  そうではないという事実を悟るのは女性自身、自分の為である。(賢い女性は気付く。)

かつて、赤線(公的売春宿)の存在は家庭崩壊を防いでいた。

 男は事を済ませると、今度は家で待っている女房が可愛くいとおしくなる・・・それがアニムスだ。

 しかし、世のシステムは家庭が崩壊する様仕向けられてしまった。

 良識ある女の人達のタダシイ見解は、全体から見ると男達を死に体へと追い詰めている。

  校長先生や警察署長が大手を振って、ソープランドや風俗に行けますか?

  エライ人程、みんな抑圧するしかないので、暴発するか死に体となるだけです。

 その結果、女性達が受け取れるだろう愛の総量を減らし、愛を受け取れなくしてしまっているのだ。

 愛の総量が減ると、社会はいらだち殺伐としてくる。

 また、愛せる能力を大いに潜在させている「出来る」男たちが、日の目を見ない内に封殺されて行く。

 そういう男は、一人の女性を愛する事も難しくなっていく。

 このままでは、アニムスは息の根を止められ、社会全体からどんどん愛の総量が減っていく。

 複数の女性を幸せに出来る男達がいればこそ、社会に於ける愛総量の均衡は保たれるのである。

 愛する能力を持たない男達・・・彼らはソープや風俗で刹那的救済をされる必要が有ります。

射精したら次・・・それは神のプログラミングだった・・・「男は片手で恋をする」とは。

 中学体育教師柳井先生(女性)の話。

 クーリッジ効果に付いて。

 女が男を選んでいるのが生物界に於ける、無意識下での原則。

 男は本来、何のしがらみも無ければ射精の相手を選ばない。

 自分は相手を選ぶと思っている人、それは何らかのしがらみ故だと気付いていますか。

 一人だけを選ぶしかないと考えるから、政治的思考が働いて相手にも条件を求める様になる訳です。

 モテるだろう貴方、A子もB子もC子もその他も、みんなOKですと言われたら如何ですか。

自然に任せたら起ってしまうパレートの法則について。

  トップ2割の男子に8割の女子が集まってしまうだろう事は容易に想像が付く。

  その逆は成り立たない。(男は寄って来る者皆良しだが、女はそうはいかない。)

  一夫一婦制は男の為。(それは生産手段として支配の為であり、今一男達への女配給制度。)

 男性諸君、男は女性から選んで貰うしかない存在だと気付いていますか。

 女性の皆さん、男っちゅうものは・・・。この話で目から鱗が5枚は落ちます。

しかしアニムスには、アニマに於いては考えも付かない素晴らしい事が平気で出来る。

 女性の皆さん、世の中のキモくて女にもてず如何しようもない男達を慰め、救済してあげられますか。

 ニートとか、むっつりスケベとか、メタボでぶとか、文無し男とか、そんなかわいそうな男達を、です。

 誰かそんな人いますか・・・見返りもなく、しかもタダで。

 アニムスは、それがしようと思えば平気で、しかも喜んで出来るモノなのです。

 自分のソレが役に立つモノなら、幾らか気持ちよく慰めて、多少なら助けて上げたいと思うのです。

 女性はここの処を笑って誤魔化したり無視するのではなく、しっかりと認識しなければなりません。

 これは凄い事です。(それはどんな聖女にも出来ない事です。)

 男の在り方・質・感じ方等は、この様に貴女と全く違うのです。

 しかし愚女達は自分の感じ方こそ正しいと信じ、男をそれにハメようとする。

 そして、自己欺瞞の男はこの愚女達の認識を受け入れ、自ら死に体への道を進んで行きます。

 故にそのアニムスの性質・特質・特徴・特長は、考え方一つで救済の一手段としても使える訳です。

 愛をくれない男の処に行くしかなかった今一の女性も大いなる愛と悦びを手に入れられるのです。

 但し、逆に優しくてもチエの無い男はその質が祟って抜け出られないブスのワナに嵌ります。(要注意!)

 悪い男はその質を、女性の立場を考えもせず自分の性的欲望を果たす為だけに使います。

男性の浮気は、先天的に仕組まれている男性性が原因。

 卵子は、精子を条件を与える事によって選ぶが、精子は卵子を選ばない・・・アニムスとアニマの原点。

 その質が生命の淘汰と多様性を育んだのだ。

 質として備わっているのなら、抑圧を考えるより活かす事を考えるのが智慧の有る人間のする事だ。

 抑圧は、歪化するか死んでしまうだけなのだから。

 そんなのは嫌だというのは勝手ですが、貴女は何に逆らっているか気付いていますか?

 エゴにはエゴが寄って来るのが法則です。

女性の浮気は、男が絶対の原因・・・空の充電電池では電気製品は動けない。

 女性にとって、女神となれるエネルギーが手に入るか否かはアニマの死活問題なのだ。

 愛のエネルギーを「気持ちいいかそうではないか」という尺度とアンテナで探さなければならない。

 但し、心の履歴が糞だらけの女は、いくら探し回っても分離のハエ男しか寄ってこないので要注意。

  分離男は、入れ物は男だがエネルギーたる「愛」はからっぽだ。

  下手をすると、毒の様な「寂しさ・孤独・怒り・恐怖」などを注ぎ込まれる。

   心の履歴が糞だらけの女は、分離のハエ男達からそういうモノを受け取ってより糞になる。

 アニマはそれが十分手に入るなら、他に心は向かないものである。(この知が男たるものの自信。)

 アニムスは逆にエネルギーが多い程、より多くにバラ撒く様にと造られている。

 女の嫉妬は、本人のアニムスに対する無知もしくは、男が愛でない事が原因。

また、自分だけを見て欲しいとする女の願望は、真の愛の世界を知らないからである。

 「女は自分だけを見て欲しい」・・・それが何を意味しているか、愚かな女は何も解っていないのだ。

 解っていないから、こんなバカでアホな事・・・「自分のbeing分離の宣伝」が平気で言えるのだ。

 それは、愛ではなく執着が欲しいと言っているのである。

 言い換えると「私は収奪に於ける快感が好きなんで、愛する事は出来ませんよ」とも言っているのである。

 またそれは、優越無き処の劣等感の裏返し・・・夢中にさせる自信は無いと言っているのである。

 つまり、男に愛ならぬ「分離」を売り込んでいるというか、無理矢理買わせようとしているのである。

 その心遣いは何を引き寄せる事になるのか、法則から考える事だ。

 人間は誰でも「優越」であるべきで、優越感を求めるべきではない。(それは虚構。)

 優越は統合状態で有るが、優越感を求めるのは分離状態故の欲望となっているからだ。

 優越とは既にそうある状態であり、優越感を求めるのは、そうではない状態だからだ。

また男の本能に逆らわせて、男は「死に体」となる事を、全く考えもせずに望む無知な女達。

 それは海の中での焚き火を望む様なモノ。

 また、魚に陸上生活を強要する様なモノで、アニムスに死んでくれと言っている様なモノ。

 そして男達も、作られた低次の観念を常識と信じ込まされてどんどん「死に体」となってゆく。

 自ら飼い殺し「死に体」に導いておいて、「満たしてくれない」とノタマウ愚かな猿女が如何に多い事か。

 オトコをコロしてしまったのはあんたでしょ。

 それは男達にも言える・・・可愛い娘を嫉妬鬼婆にしてしまったのはオマエじゃ!

アニムスとアニマ、それは先天的なものであるというその質に対する理解を改めて正しく持つ。

 理解のない人間は、それぞれその質をエゴに変えて、互いに相手の首を絞める事になる。

 天から性質として与えられているそれが、本来は如何いうモノであるか、考えようともしないからだ。

 火や出刃包丁を「間違って使う見方」しか知らないし、その正しい使い方を探ろうともしないのだ。

 人は分離側で在る限り、永遠にその違いや特徴を理解する事は不可能だろう。

  浅はかな女の無駄な努力・・・それが成功すると、男を枯らす・死に体にする。

  愛のない男のその質の無駄遣い・・・それが成功すると、女を泣かす・傷つける・嫉妬の鬼婆にする。

 動物PGで起動している人間は、意識世界が啓かれた人間界に於いては恋愛など出来る訳がない。

 理性的な人間に於いてのみ、抑圧の中で、平和の為に自分を何とか殺して生きるのが精一杯。

アニムスとアニマ、その自然な在り方に目覚めた者にだけその融合を許す仕組みになっている。

 それはアニムスとアニムスが結び付き、アニマとアニマが結び付いて融合が起る。

 即ち、女性にアニムスが啓け、男性にアニマが目覚めた時である。

 同類親和の法則がここでやっと働く様になるのである。

 お互い相手の中に本来の自分の質と同質のものが生じたからである。

 女性のアニマと男性に目覚めたアニマが融合し、男性のアニムスと 女性に啓けたアニムスが 融合する。

 意識次元では、同質のものが引き合うからである。

 男がアニムスのままそれをエゴとし、女がアニマのままでそれをエゴとしていたら、反発しか生じない。

 互いに恋のノボセから目が覚めた時、目の前にいるのは敵でしかない。

質そのものが違う生命体に、自分と同じ在り方と質を強要する愚かな女達が如何に多い事か。

 しかも、そうある事(主義主張)は当たり前という風潮を社会全体に作り出している。

 その認識は、畜生界レベルであり、修羅界にはなるが、人界まで成長する事は殆ど無い。

  (セックス認識が人界レベルの女性・・・かつての日本女性にはそこそこには居たと思われる。)

 それは先天的な質としての特徴なのだから、それが如何在ったら互いに活きるか考えたらいいのだ。

 ニュートラルなモノ・・・何でも、それを如何使うか、如何捉えるかはその人の心構え次第だ。

 良くとれば良く使え、悪く捉えていれば悪くしか使えない。

 凡夫は、アニムスとアニマの質を分離側からだけしか見えない、実に下作下品な意識状態なのだ。

 その質というモノを統合側から見られるなら、その質が本人達のみならず周囲までをも幸せにする。

 それはある様にあって、つまり在りたい様にあって(したい事をしたい様にして)である。

下品な人間には、いくら説明しても見えない、見える人だけに見える世界があるのだ。

 見える人にとって、見えない人が見えなくても一向に構わない。

 何故なら、見える人は既にその見えている世界の住人として暮らしているからである。

 地獄の住人が「天国なんて無い」と認めないのを天国の住人は笑って見ているだけである。

 地獄の女達にとって、当「理」を認める女神は「女の裏切り者」の様に見えるだろう。

 女神には、この説明されている「理」が理解出来るし、しっかりと認めて賛同しているからである。

 苦し塗れ人間には、楽を悟った人間の方こそ、そんなやり方は間違っているとして認めないのだ。

女の側からの努力だけでは如何にもならないモノがある。(問われる努力の方向性が全く違う。)

 セックスのイニシアチブは男に在るからだ。

 また、男とは複数の女性を同時に幸せに出来る潜在性を秘めている。(精子と卵子の数の違いと同じ。)

 女性が男性の真心から注がれる愛のエネルギーが無ければ、独力で女神になるのは難しい。

 愛のエネルギーを真にたっぷり受け取れるなら、女性は誰でも女神に成って行ける。

 実に簡単だ。

 しかし、男は真の自由を得たければ、独力で菩薩ステージに昇らねばならない。

 女は気が付いたら女だが、男には男になる努力が問われる・・・これは大変だ。

 その様な男が居たら、良き女性なれば認めてしまうのも神が女性に仕組んである潜在プログラミングだ。

 このプログラミングに事前に自ら気付いている女性はいない。

 しかし、そういう男に出会った時、女性のその内なるプログラミングは発動し始めるのだ。

  名付けて「女神プログラムの発動」・・・そのキーはそのキーの存在に目覚めた男性の側にしか無い。

  良き女性は、そのキーを差し込まれると女神に変身し始めるのだ。(その前に垢落としが始まる。)

 女はその様な男を捜し出す努力が問われるだけ・・・簡単な事だが、これも現代に於いては大変だ。

「愛」というモノの本質・・・愛は丁度スプリンクラー。

 愛は全体性であり、選択的に愛すると言う様な事は出来ない質を持つモノだ。

 花の漂う素敵な香りを、花の側から「オマエは匂うな」と選択する事は出来ないのと同じである。

 無知な女が男にそれを無理矢理させようとするので、花は枯れるしかない。

 愛と似て非なるモノに「執着・愛着」がある。

 「好き」と感じる感覚から生じる喜びは、最初は愛も執着もそっくりなのである。

 見返りを願っていたとしても、互いに与え合えている束の間の期間だけは喜びだ。

 これが多くの人に勘違い、愛に対する誤解を与える原因だ。

 愛は与える処から生じる喜び、執着は奪える間は喜ぶが枯れて奪えなくなってもしがみついている状態。

 見返りを願わず与え続けていて、もし相手が与えてくれるのなら自分は素直に戴けばいいのだ。

 観念が切り替わろうとする頃、最初は損する側を選ぶ様に感じるが、本当は得する事を知るでしょう。

 「損してもそれが義だから実践する」という質からそれは育ちます。

 そして、本当の得はこちらの側でしか手に入らないものだという事を悟るでしょう。

 「得するならその義をやろう」と言う質の人はいつまでもこの原理が解らないでしょう。

今一歩立ち止まって、自分が考えていた「愛」は本当に愛だったといえるのかよく考えて見よう。

 貴女は知らない内に日々執着を育て、やがて地獄の住人たる夜叉・鬼婆に変身するのですか。

 愛する側を選ぶなら、貴女は既にそのままでこの世を天国とする女神になるでしょう。

 そしてそう成れるか否かは、貴女が選択する男性にその責任の殆どがあります。

 選択を間違えたという責任だけが女性の責任です。

嫉妬の愛憎劇・・・それは「無いモノ」の奪い合い。

 それは例えて、スキンヘッド、ハゲの盲(めしい)同士が髪の毛を奪い合う図だ。

 愛の本質を知らないから、心のメクラは相手はそれを持っていないと言う事さえ知らない。

 有ると思っている「からっぽ」を他所にやったと言って怒る・・・「からっぽ」を十分くれないと言って怒る。

 「からっぽ」を貰ったところで、満足も充実感も無く、「満たされる」事は全く無い。

 闇を奪い合っているのだ。

一般に、いわゆる恋人関係・夫婦関係というモノは互いの不幸を願い合っている関係と言える。

 それは、99.999%の人達にとって最初からです。

 相手は、貴方(貴女)が自由にならないようにと、最初から笑顔の内側で睨んで見張っているのです。

 貴方は、牧場の牛で居てくれなければいけないのです・・・牛ですよ。牛!

 柵を越えて自由に餌を食べてはいけないのです。

 また、相手の寂しさ・孤独感や性欲を人質にとってコントロール・支配しようと躍起になっているのです。

 相手は貴方の自由に呪いをかけます。

 相手は、貴方の求めている一番の幸福は嫌いなのです。(それって、よく考えると敵ですよね。)

 もし貴方もそうなら二人の関係は不幸を願い合っている事になりますね。

 だから殆どのカップルは、何十年も時めき続ける様な崇高なレベルの幸せにはなれません。

 この顛倒夢想の原理にカップルで気付けば二人にはとてつもない永遠の喜びが訪れます。

 愛を使うと相手は貴方に夢中になります。

 愛を使われたら・・・貴方は夢中にさせられます。

 そこには、支配もコントロールも呪縛も嫉妬も、その他嫌なモノは全く有りません。

男性と女性は互いに学び合う事。

 二人の間に確固とした座標軸を持つ事である。

 揺らがないモノ・・・法則原則を相手との中心に据えるのである。

 滝部セミナーシリーズを中心に据えるのが一番手っ取り早く、現われる効果も最速だろう。

 それは「認める・立ち向かう」の決心在ればこそだが。

女性が快感を求める訳。

 それが女神へと変容するエネルギーである事を本能で知っている為。

 それが女性への神のプログラミング。

 ツァンダリーが起り、アムリタ(不死の甘露・神のネクター)が頭頂から降り注ぐ様になる。

 男性は、自分のやりたい通りの「在り方」を主張する前に、女性に届けるべきモノを届けていますか。

 その時その時、その一瞬一瞬に真心を持っての誠を尽くして来ましたか。

 直ちに、今この瞬間から始めて下さい。

男性の性技能の十段階。(個人個人、月とすっぽん程の能力差が有ると知る事。)

 その場で瞬時に解決して上げられるだけのマッサージ技術を持て。(当教室で教えている事です。)

  肩こり・腰痛・ちょっとした頭痛など。

  多数の老若男女に実践して履歴を積め。(その実践履歴量を女性は気持ちいい男と感じるのだ。)

  特にお年寄り・ご年配を大切にせよ。

  若い子だけにそうしようとする様な男は、いい女性からは一発で「気持ち悪い」と見抜かれます。

 言葉の力を知れ。

  それは相手にトランス状態を作り出す。

 テクニック等を教える教材を集めろ。

  既に十分に集めてあります。(その殆どを差し上げます。)

貴方の相手は、貴方の自由を条件無しに応援してくれていますか。

 本当の信頼とは何でしょう。

 相手の自由を認め、本当の信頼というモノを築くには一定の条件があります。

 それは成長です。

 信頼と盲信、自由とわがままの違いに付いてもその深い意味合いを感知する必要が有ります。

 真の大人へと成長した時、相手は自由である事を「知る」のです。

 20才で成人と社会が認める様に、精神が本当の成人になるレベルがあるのです。

 会社でも、新人はいつか本人の成長度合いによって重要なポジションを任される時が来ます。

 それまでは、いつまで経っても「こどな」です。

 分離側の質に気付いた途端に、改め変容すべく、するべき些細をすぐ実践するという心的態度の完成。

 それが有ってこそ、お互いに信頼が生じ、その上でこそ互いの自由は認められる様になるのです。

 そこには盲信もないから裏切りもないし、我が儘もありません。

 その次元では、男はアニマを知っており、女はアニムスを理解しているので、何の心配も無いのです。

 相手に対する信頼とは、即ち自分を信頼している事の裏返しだからです。

 相手が信頼出来ないとしたら、その前に貴方自身が自分を何処かで裏切っていると言えます。

人は成長しないと素敵な恋愛は出来ない。

 本当にいい女は、男がしようとしている事を見てその応援が出来る。

 自己の真実を見ようとしない人は、男がしようとする事を見たくても見る事は出来ない。

 また考えもしない。(交尾的快感を求めて徘徊するレベルのサル女だから。脳?・・・ポンスーですよ。)

 呪いが掛かっている女は、応援出来ないタイプから男性破壊まで様々。

 呪いが有っては、心が溶け合うという素晴らしい経験は起こらない。

 それは、時経つ毎に「より強固に一つになっていく」という無上の体験だ。

 恋愛?・・・自分が作る虚構の理想像にしばらくトボケられる錯覚に陥るのが関の山だ。

志の無い男に盲目の女ならいいけれど、志の有る男は男のする事を見ない女を避けよ。

 結婚相手や自分の志を成就する為の応援を得るパートナーとしては、という事である。

 親に対する復讐心が凍り付いた精神時間複合体と成って潜在している。

 男性不信の女は基本的に恋愛感覚が狂っていて、男の応援は出来ない。(しようとはする。)

 身の程を弁えない女。

 愛を中心に考える女と契約を中心に考える女。

女神の高次元の認識は、学ぼうとする女性達に感化して行く。

 貴方の女神候補を、他の学ぶ女性に引き合わせなさい。

 学び続ける女性と友達にさせなさい。

  但し、学ぼうとする動機付けだけは、自分で説得しておかなければなりません。

 貴方の説得を越えて、そのセンスはより早く開花する。

 「自分は未熟だった」「そうなんだ」「そう考えてもいいんだ」と自ら変容して行く。

 その方がいいみたいと感じるのは、楽になっているbeingを目の当たりにしているからである。

女神達の不思議な共時性(シンクロニシティ)。

 蛍の点滅の共時性と蝉時雨。

 祝福の心のもたらす効果・・・それは女神達にオーガズムの共時性として顕れる。

 一人が悦ぶと別の場所でも同時にそれが起るのだ。

 それをその様になるモノだと知った存在に、如何して嫉妬が存在し得よう。

男性が愛にある時、失恋の苦しみは存在しない。

 それは、双方共にだ。

 失恋というのは、分離側意識の苦しみの一つだ。

女性としての救済者。

 この理を男達に伝えて、自らの足で立つ様、男が自ら男になる様仕向ける事である。

ヨガとタントラ。

 、

ブスのワナ。

 愛し合う喜びに於いては一生を台無しにする男達。

 浅はかな性の欲望が地獄を招く。

言語以前の真の語り。

 女は男の武勇伝を膣で聴く。

 男のしょうもないヨタ話を我慢して聴いてくれるのが風俗嬢。

オタク趣味・Hなアニメに出て来る少女は実はアニムス。

 冬のソナタのチュンサンはアニマ。

 だから、それぞれ男女に受ける。

 アニムス少女を描けば男に受け、アニマ男を演じれば女に受ける。

 迷惑スパムメールの誘い文句はアニムス女。

 そんな女は居ないから、実は男だと解る。

イカしてくれない男は、貴女の本当の彼じゃない。

 性の悦びを与えない夫は、妻を飼い殺しにしている。

 女性の恋人に捧げる最高のプレゼントは、最高の感度を開いて上げる事。

 天使を女神に育てるのが男の魂の仕事。

 それをサボった男は女を夜叉・鬼婆にする。(代わりに、男は生きたまま「死に体」にされる。)

女性にとってオーガズムは、男の様な「刺激」所以ではない。

 頭が考える理想男性・・・オーガズムが起こらない。

 ハートが求める理想男性・・・オーガズムが起こる。

 両者の一致が理想の恋愛。

 顛倒夢想を無知とは言え、放ったままにしていると・・・。

 セックスに於いては一番したくないタイプと共に居る事にある時気付く。

 40代でおチンポ立ちにくい人要注意、30代でおチンポ立ちにくい人アウトです。

 必ずオシメが待っている。

イエスの教えの残り半分・・・女人を見て聖なる想いを抱く者は、聖なる徳を積む。

 イエスの言葉を聞いてその反対側も同時に理解されるのが陽転思考というものだ。


恋とオーガズム・・・恋は蕾、オーガズムはその開花。

 「恋」迄は神の仕掛け、その先の「愛」は自分自身の正しい自助努力。


 可愛いか美しいかは重要だが、それより可愛くなろう美しくなろうとするその女心がより可愛いし美しい。



ポルノ映画製作の公的指針が必要。

 それは立派な教育教材と成り得る。


今の処ここまで。

 

 

 

 

重見 幸俊 <tbcby865@yahoo.co.jp>

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