潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る
史上初、世界で初めて明かされた、弱者の為のマインドセット知識、弱者の成功戦略です。
自分の望む成功へ主体的に行動を起こせる人を強者、そう在りたいのにそう成れない人を弱者と呼びます。
弱者は、強者の成功戦略、つまり従来から提唱されている様な成功法則から学んではいけません。
弱者と強者は、取るべき戦略も、またその為に学ぶべき手法は全く異なるからです。
従来の「成功法則」とか「引き寄せの法則」を学んで来られている方にとっては、目から鱗の世界です。
潜在意識や、自分の隠れた才能を見出したいと思っている方に、きっとお役に立つ情報です。
082 自分を愛するとは、保留癖が無いと言う事。
自分を愛する事の重要性は、自己啓発や精神世界に於いては、誰でも最初に耳にする事柄です。
それまでは「自分を愛する」という形の言葉で言語化されたモノに出会っていないと、考えた事が無いと言うのが殆どです。
それ故、誰も「自分を愛する」という事を具体的に考えませんし考えた事も有りません。
何故なら、「自分を愛する」という考え方が存在する事を知らなかったからです。
考え方とは、この様な概念を一つでも多く持つ事に因って、それはスキルアップして行きます。
考え方は技術ですし、それは言葉を用いるという事です。
言葉が無ければ考える事が出来ません。
考え方は技術であるという、それに続く、「考え方を知らないと考える事が出来ない」という事は、「適切な言葉を知らないと考える事が出来ない」という事です。
この場合では、「自分を愛する」という言葉を知らなければ、それに付いては考える事も無いという事です。
それに付いて考える事が無ければ、その分野の領域の認識はカラッポだという事です。
そしてそこが無知だ、という事に成ります。
知らなければ考える事が出来ないし、そこが無知の領域です。
そしてその無知が、あらゆる苦しみや悩みの根源となって来るのです。
お金の源泉を見出す眼は無いのに、苦しみの源泉と言う無知は抱え続けたままで平気でいる。
可笑しなものですね。
心理的盲点・スコトーマです。
考える事が出来て初めて、現状が認識出来るのです。
ですから現状が認識出来ない人に、改善も何も有ったモノでは有りません。
でも、何でもそういうモノだと思いませんか?
良き概念を一つでも多く知る事が大切です。
ですからこの例を元に、当シリーズでは新しい言葉や概念を色々と提示していますから「それって如何いう事?」と徐々に思索を深め、思考領域を広げて行って下さい。
そうする事で自由度合いが増えて行きます。
話を元に戻します。
今回は「自分を愛する」とは如何いう事かに付いて、本当の認識を育てましょう。
多くの人は、自分を嫌悪している部分が在ったりしますが、その間違いと弊害に気付いていません。
競争型努力に漬け込まれていると、思春期辺りから劣等感を感じる部分を自己嫌悪する様になります。
「それは間違いである」とか「弊害がある」という考え方が無いから、自らの側からは考える事も出来ません。
その様な「自己嫌悪している部分を持っている」感じ方が在っても平気です。
寧ろ、嫌な部分の自分を発見して、そこをやっつけようと苛める事が良い事の様にさえ感じています。
それが自責の念ですが、その外し方はこちらでしたね。 →これからの潜在能力開花法その1
自己嫌悪や自責の念は、実は本人が知らないだけで、そういう感じ方は創造エネルギーを止めたり自分をダメにする方向です。
これも知らないと考える事が出来ない、心理的盲点・スコトーマの一つですね。
そこで多くの心ある指導者は、その弊害を説き、間違いを修正する様に指導します。
それは自分を傷付ける事に成るのだから、自分を責めなくていいとか、在るがままでいいんだ、とか。
自分を無意識に傷付けていた癖などを自覚した人は、事実を理解すると無知だった愚かさを悟ります。
「本当に愛すべきはまず自分自身なんだ」と認識させたら、その指導はまずまずの成功です。
しかし、殆どの人がこのレベル、つまり敢えて自分を傷付ける事はしなくなった、という程度で留まります。
自分を愛する事の重要性を聞いていながら、“本当に”自分を愛せるレベルには到達していません。
それは何故でしょうか?
それは、自分を愛するという事は如何いう事なのか、その真意、またそれを誰でも分かる具体的なレベルにまで因数分解されたノウハウが無いからです。
言い換えると、「本当に自分を愛する」という考え方やその定義をまだ知らないという事です。
まぁ、その大前提である「愛」という概念自体が、深く考えるとも無くその言葉を何度も聞いていると、何となく分ったツモリが出来てしまうという話を79でしましたね。
故に、「自分を愛する」というとても大切な命題が、「何となく」とか「出来ているツモリ」という、漠然とした状態で留まってしまっているのです。
しかしこのツモリが大問題なのです。
何故なら、ツモリでは同類親和の法則が働かず、それ以上思考領域が広がりません。
ちょっと序に申し上げますと、その他の何でもですが、同類親和の法則が自動的に働いて来ないとしたら、それはまだ認識の第四段階に落とし込まれてはいないと悟れるのは、チエであり、それこそが知性です。
ですから自分を愛している事と、自分を愛しているツモリは、それこそ月とすっぽん天地の差です。
ツモリだったら、それは大嘘吐きでも出来ます。
アタマでその様に思い込むか、口先で自分を愛していると言えばいいだけの事ですから。
但し、潜在意識のメカニズムを理解している者の眼からは、そう言う欺瞞や自己満足はバレバレです。
そして、当シリーズがお伝えする様な理解が無いと、このアタマで思い込んでいるツモリというのは、とても厄介で手に負えません。
何故かと言うと、自分自身でも、どこかで聞いた「そう在るべき」という知識だけが在る為、「その様に思っていたいから自分はそうだ」と思っている内に、そう思い込んでしまうツモリが出来てしまいます。
自分はもうそれは知っているし、ちゃんと「出来てる子ちゃん」なのです。
本当は、出来ていないのです。
出来ているというのは本当は嘘なのに「ウソも百回繰り返すと本当になる」という訳で、繰り返していると本当の様な感じ、つまりそれが真実と思える気分が湧く様になるのです。
或いは思い込む事で、自分の感情が欺ける事を知っていたりします。
インチキですねぇ。
同類親和の法則が如何いうモノかを知らず、アタマだけの情報スイーツの食べ過ぎで、認識の第三段階止まり、頭でっかちの情報メタボになっている訳です。
また、出来ていないというその基準も証拠も無い為、そう思い込んで、当面は虚構の中で安心しています。
これは自己欺瞞です。
自己欺瞞とは、自分にさえバレない様に吐く自分自身に対する嘘です。
では、そんな状態と、本当に出来ている真実をどこで見分けると良いのでしょうか?
それは、自分の「感じ方」と言うモノを、細心の心と矛盾の生じない「理」を以て観察する事です。
その為に先ほども述べました、それ自体に同類親和の法則が働き始めているかを目安にするのです。
本物だったら、それは正しく建設的な方向に展開し始めますが、自己欺瞞なら嘘が増えて行きます。
そして、真実を示す言葉に耳を塞ごうとし始めます。
それが同類親和の法則です。
今から「本当に自分を愛する」事が出来る様、その理解が進む思考順番を提示します。
今からご自分の認識の中に、次の言葉から一つずつ、正確に理の理解を積み上げて下さい。
これは原因追求型の思考を育てる訓練でもあります。
原因方向へと質問を発するのです。
行って見ましょう!・・・
自分を愛するという事は、自分を大切にするという事です。・・・これはOKですね。
自分を大切にする為には具体的なアクションが必要です。具体的なアクションとは言動・想念です。
自分を大切にする言動・想念とは如何いう種類のモノでしょうか?
自分を大切にする言動・想念とは、自分の為になる発言・行動・考え・感じ方です。
自分の為になる発言・行動・考え・感じ方とは、その基準を何処にどの様に見出せばいいのでしょうか?
それは古今東西の覚者・賢者・偉人・成功者の言動や足跡・実績から学べばいいのです。
賢者は歴史に学ぶと言います。
人のフリ見て我がフリ直せとも言います。
自分を愛しているなら、それは自分が大切な訳ですから、本当にそう感じている人は、古今東西の覚者・賢者・偉人・成功者から学ぼうとします。
何故ならそうする事が、自分で暗中模索するよりも遥かに時間を節約、そして大切に出来るからです。
時間を大切にする事も自分を大切にする事ですからね。
そして、一度耳にしてしまった「自分にとって為に成るかもしれない話」を保留したり逃げ出したりしません。
必ず吟味して、自分の為になる事は落とし込んで必ず修得しようとします。
先送りなどしません。
一瞬一瞬を大切にする生き方が根付いていて「今を生きている」と言えるからです。
自分を愛しているならハートの声に耳を傾け、ちょっと面倒でもその声に従います。
ハートは、出会いは総て必然であり、責任を引き受ければそこに成長のチャンスが在ると知っています。
自分を愛すると、自然にこの様な流れに成るのです。
ツモリとは大違いです。
ここまで、OKでしょうか?
さてここで、では自分の為に成る古今東西の覚者・賢者・偉人・成功者の教えをどれだけ人は学ぼうとしているでしょうか?
よく見ると、殆どの人は逃げ回っています。
聞いても保留します。
ツモリの人は、自分の好き嫌いで選択し、為になる事でも嫌と感じるなら、認識しようとすらしません。
結局そういうタイプの「自分を愛する」は単なる思い込みのツモリで、ツモリという事は実は嘘ですから、為になる話から、無視したり保留したりして逃避するのは既に自動的です。
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」と言う諺があります。
自分を真に愛しているなら、厳しくとも為になる真実を選択しようとするのが自然な発露であり、当然です。
何故なら、目先楽を感じる虚構には、本当の幸せも真実も無いのですから。
更に、本当に自分が愛せるなら、自分の有限である活動時間から、無意味なモノ、価値の低いモノを外し、より価値の高いモノ、より充実感を感じるモノで満たそうとする様になります。
自分の為に成る話は、一切取り零せなくなり、為になる事の修得を人生の第一義にする様になってしまいます。
為になる事の修得を第一義にするのは、それを得てこそ人の役にも立ち、人を愛せる様になるからです。
「人を助けてこそ我が身助かる」が、正に文字通りで有る事を感じてもいるからです。
日常の忙しさの中から、「如何に余分な事を排除するか?大事だと思っているそれは本当に大事なのか?
自分は何の為に自分の命を使うのか?」・・・この問い掛けに対し、自分の答えを持っていますか?
自分を本当に愛せる様になった時、その人は人生をこの解答と共に生きています。
自分を愛するとは、一切の保留癖が無いと言う事です。
愛とは統合側の質が全部揃って愛です。 →015
ここに、自分のツモリのレベルを客観的に計る方法が有ります。
どの位、為になる問い掛けや質問に立ち向かっているかを観察する事で「何%自分を愛していると言えるか」という事を、客観的に観察する事が出来ます。
現段階で、自分が為になる問い掛けに立ち向かっている割合は、出くわす全問い掛けの何%位だろう?
認められる処、賛同する処、納得行く答えを見付けた処が自分を愛していると言える部分です。
否定したくなる処、保留したくなる処、聞きたくない処が、今はまだ自分を愛せない部分です。
さて、今貴方は何%自分を愛していると言える様に成って来たでしょうか?
今の自分自身の現状の、大体の感じを正直に掴んで下さい。
これは反復を重ねると変化して行きます。
お勧めの一連のプログラムも使用すれば加速も掛けられます。
良き概念の落とし込みが増えるに従って、徐々に自分を愛せる割合が増加して行きます。
反復を重ねて、二回目三回目、五回目十回目、三十回目五十回目、百回目になった今は如何でしょう?
再度、愛とは統合側の質が全部揃ってこそ愛ですが、自分を愛するとは保留癖が無いと言う事です。
無自覚だった保留癖を発見し、100%自分を愛せる自分になる事を目指しましょう。
人は自分で自分の事が嫌いなのに、人には好いて欲しいと思っています。
矛盾ですね。
それはまるで、欠陥品を売ろうとしている様なモノです。
自分はそのケチを知り尽くしているのですからね。
自分で自分の事が大好きになって、しかも本当に愛せる様になったら、逆に人が放って置かなくなります。
これは例えて素晴らしい商品だと貴方自身から保証100%のオーラが出る様になるからです。
100回反復で原理原則を落とし込む! ・・・「読書百遍意自ずから通ず」の実践編。
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