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これからの潜在能力開花法。 その1       そのプロセスの全体像。
眠れるパワーのスイッチを入れる、落とし込みと自動化の秘密。

人格とは、その人の記憶から来ているモノの総体です。
過去に経験したあらゆる状況に於いて感じた事、その状況を「そう」捉えた事、受け止めた事などが総合して、今の感じ方・捉え方が出来上がっています。
「こんな状況にはこう反応する」というパターンです。
そしてそのパターンは繰り返されるほど強化され、深い習慣となっていきます。
行動や動作の習慣は目に見えるので分りやすい事ですが、目に見えない思考も習慣化しています。
思考にもその人固有のパターンが習慣として根付いているのです。
それは積極的な考え方か、それとも消極的な考え方かという形で現れて来ます。

この思考の習慣、つまり思考パターンとその仕組みを知る事で、人生を激変させる事が出来ます。
その思考パターンは次に、「或る感情やある気分」を導きます。そのある感情やある気分は次の言動想念に多大な影響を与え、そこから出て来る思考がまた次なる、「ある感情やある気分」を導きます。
そしてその導かれる「ある感情やある気分」は、その前の或る思考習慣に因る訳ですから、その思考パターンに変化をもたらすならば、それから導かれる「ある感情やある気分」は当然変化します。

早い話が、考え方を変えたら感情や気分が変わるという事です。
考え方を変えるとは、その状況を捉えるに、他の考え方を使うという事です。
例えば、ちょっとした階差でも直ぐにエレベーターを使う人が、「階段を使うと日頃の運動不足解消の足しに成る」と考えたとします。
それまでは、階段なんてシンドイから嫌だと考えていましたが、普段気になっていた「運動不足の解消」と捉えた途端に、むしろ積極的に階段を使おうと思える様になるから不思議です。

この様に考え方を変えるとは、新しい考え方、つまり今までとは別の状況の捉え方を「知る」事です。
自分にとって為に成る考え方を知ったら知った分だけ、人生に得する事が増える訳です。
考え方は技術です。人間は考え方を知らないと考える事が出来ません。
得する考え方をたくさん知りましょう。
何故なら、人生が巧く行き、幸せな人ほど、そういう得する考え方を知っているのです。

しかし、新しい考え方を知るとは、自分の出来ていない部分を知る事でも有ります。
ここに、効果の有る学習を始める場合に殆どの人が陥るワナが有ります。
「良心」を持つ様に教育された平均的な人は、自分の出来ていない事を知ると「自責の念」を持つ様に条件付けられています。またそのパターンを植え付けられている人は、無意識に子供や人にもそう感じる様に仕向けています。

人は平均的に、思春期辺りに「自責の念」を持つ様に世のシステムに仕向けられます。
「自責の念」・・・この感覚は、有効な使い方が、とても微妙です。
それを感じるが故に、正しい努力を重ねてその状況から「それ」を感じなくて済む様に、成長に切り替えられるのなら素晴らしい事ですが、たいていは巧く行きません。
その「自責の念」を元に、より良い方向へジャンプ出来ないという事です。
何故なら、その時、どの様にしたら「正しい努力」を重ねられる事になるのか、その考え方・知識それ自体を準備していない場合が殆どだからです。
そしてその「考え方や知識それ自体を準備していない」という認識もありません。
言い換えると、その「自責の念」からの正しい逃げ道を知らないという事です。
そうすると如何なるでしょう?
潜在意識は快か不快かで判断するので、それが幾ら自分の為になるモノでも、ある時「自責の念」を感じさせるモノ自体を投げ出してしまいます。それを繰り返すと、逃避する事が習慣化してしまいます。
間違った心的逃げ道を作り出してしまうのです。
そして徐々に、真実を見聞きする事そのものが出来なくなって行きます。
ちょっとした一時退避的な逃げ道を知らないと言うだけで、大変なチャンスを取り逃がす事になります。
ここをもう少し、詳しく述べましょう。

「自責の念」は、やがて2つの感じ方に別れて行きます。
その一つ目は、そのまま自分を責める事です。
つまり、言われたり指摘されて見れば「出来てなきゃいけない」事なのに、出来ていない自分が情けなくて自己卑下したり、真実を知ってそれと比較して自己嫌悪に陥るパターンです。
ちゃんと出来る様になりたいと思ってはいるのです。しかし出来なくて苦を感じるパターンの人。
二つ目は、言われたり指摘されると良心が痛むので、その苦から逃げ出そうとして、自分の問題点を指摘するそれが自分を責めると考え始めるパターンです。
特に、真実の光によって自己欺瞞や誤魔化しを暴かれそうになる時に、その反応は顕著に顕れます。
前者は自分が悪いと考えますが、後者は自分は悪くないと考えます。自分が悪くなければ、悪いのは外部だと捉え様とするのです。
こちらは、責任から何とか逃れられないか、転嫁出来ないかと考え始めて、その感じ方を形成します。
自分が自分を責めているとは感じたくないので、その何か自分の問題点を指摘するそれが自分を責めていると感じる訳です。
言い換えると、外部を悪いと思い込む事で、自分は悪くないという感じを作り出すのです。
ここに自己欺瞞が発生し始めているのですが、そんな事を一々言語化して理解している訳では有りません。イメージ的に無意識レベルでその様に自動処理しています。
精神的な虐待を幼少時から受けた様なタイプが、保身の為にこの様に間違った逃げ道を作り出すのです。
共に言われたり指摘されたり、真実を示されたりして、ドキッとするのですが前者は認めて自虐的になります。後者は自分が悪くは無いとし、全く自分を責めたくは無いので、言われたり指摘するそれが自分を責めると捉えて真実に対する拒絶反応をとるのです。
前者には、自責と言われて自覚が有るでしょうが、後者は自責の自覚は無いでしょう。
しかし、後者も「自責の念」から逃れようとしてマインド操作をし、そういう感覚に成っているだけですから、元を辿ればやはりその根本は自責なのです。

こちらは「自責の念」+「自己欺瞞」+「責任転嫁」となっているのです。
「自責の念」を感じない様にと言っても、自己欺瞞や責任転嫁を無意識にする様では何にもなりません。
後者は、そのまま放っておけば、真実の光、つまり本当の事を言われたり示される事を段々恐れる様になります。年と共に、認めようとしなくなる感じ方を強め、人の話が聞けなくなる傾向を持っています。
特に、真実や為になる話に対して、その理を検証する事も無く、それを薄々認識した段階で、「それは間違っている・そんなのは大嫌いだ・そんな話は聞きたくない・絶対認めん」という感じ方をただイメージ的に生じさせて認識する事を拒否し、傷付く事から自分をブロックしようとします。
一々「それは間違っている・そんなのは大嫌いだ」と言語化する訳では有りません。
その様な防御パターンが思考習慣になっているのです。
こう言うタイプにとっては、外部から責められる・攻撃されていると感じる訳です。
自分を護ろうとして他の対象を責める訳です。
前者と後者では、感じ方はまるで逆の様ですが、自他の区別の出来ない潜在意識にとっては同じ事です。
故に、「自責の念」とは自分自身の認識に拘らず、真実や為になる話を見聞きした時に生じる苦痛を指します。
その対象が外部のモノだと責任転嫁した処で、自分が責められると感じる事には違いない訳ですからね。
よく観ると、それはやはり自分で自分を責める「自責」なのです。
後者は、その同じ話を聞いても「自責の念」等生じない人が他に幾らでもいる事を考えて見るべきです。
絶対に「真実や為になる話」とは認識したくないその「真実や為になる話」が、その人を責めている訳ではないのです。自分が勝手に「責められる」と捉えているだけです。
どちらも、その様な思考習慣は問題で、成長のブロックです。

ですから学びを開始するに当たって、このワナに陥らない様にする考え方がとても重要になります。
当プログラムでは主に、前者のタイプの人に向けて、自責の念を持たないで済む様にする方法をお伝えします。後者のタイプも聞く耳さえ在れば救われます。
まず、自責の念を持たない訓練から始める必要が有ります。
幼児や子供は、自責の念を持ちませんし、そんな感覚の存在すら知りません。
考え方の準備が出来ていない良心的な殆どの人にとって、自責の念は有害で有るとしか言えません。
世のシステムは、人々に「自責の念」を植え付けるだけで、そこから如何ジャンプすれば良いのかを併せて教える事はしません。
何かに出くわして、つまり自分の出来ていない事を知っても「自責の念」など持つ必要は無いのです。
(ムシ)ろ、そんなモノは成長の邪魔でしかありません。
ここの処を良く心得て下さい。「自責の念」とは、よく観れば現代教という宗教の洗脳結果なのです。
それは後で述べる「人の目が気になる」と共に、人々を無意識に隷属状態に置き続けるドグマにすっかり条件付けられてしまっているのです。

良心的な人にとって「自責の念」とは自分の心の首を絞めている様なモノです。
この「自責の念」を持つ人は、自分を追い込む癖を育てて行きます。
すべき事や良き事を意識すればするほど出来なくなって、最後は自壊します。
この間違ったパターンから脱出しましょう。嘘を吐く必要も有りません。
嘘は「自責の念」の壁を更に厚くするだけです。
これからプログラム学習を通して自己強化を図るのです。
知らなかった事を知った・自覚したという事は、知らなかった時より一歩前進しているのです。
それは小さな小さな成功です。
そこを認めましょう。その方向で自分を肯定するのです。「自責の念」はよく観るとそれは自己否定です。
自己否定をする必要は有りませんし、してはいけない事です。
但し、逃げ出す方向の肯定は、自己の肯定にも正当化にもなりません。
それは自己の合理化であり、よく観ると自己否定です。
よし、これから「自責の念」を持ったりそのままにしておくのは止めようと決意したらいいだけです。
それこそそれも、大きな成功に繋がる、その一歩目の成功なのです。

何かの教えやプログラムが聞く人を否定しているのではありません。
真実を示されて、否定されていると感じるのは、その人の捉え間違いなのです。
それ自体、「自責の念」を回避する為に間違って身に付けた思考パターンなのです。
それは損を招く思考パターンなので、修正しましょう。
そして、これから徐々に理解が深まる原理原則で、自己正当化しましょう。
古今東西の覚者・賢者・偉人・成功者が教えてくれる原理原則で自己防衛・自己正当化しましょう。
そうすれば、どんな事にも揺るがない、最強のマインドを構築する事が出来るのです。
しかしそこに立ちはだかり、成長の邪魔をするのが真実を知らしめられる処から起こり来る「自責の念」です。
屁理屈では自己正当化は出来ません。それは自己合理化のワナに落ちてしまいます。
「自責の念」は、世のシステムが貴方を「自分で自分を縛る」様、条件付けている一種の洗脳だと知って下さい。
そして、その目に見えない足枷を外す事から始めるのです。
この「自責の念」という観念は、人によっては相当深く落としこまれて自動化しているので、削除するには相当の訓練が必要です。それを削除する言葉と共に、それに出くわす場面での切り替え訓練が要ります。
「自責の念」など、本来持つ必要は無いのですから、それを持たないで済む「言い訳」をいっぱい発明発見しましょう。そういう言い訳を「出来る理由を探す」と言います。「自責の念」が湧いても、それに立ち向かおう、或いは、それを湧かせない自分になろうと立ち向かう自分を褒めないといけません。
「自責の念」が湧くその瞬間に、この事が思い出せる様に成るまで反復しましょう。

幸せに成るコツは、それはもう自分のモノになったと言えるまで反復する事です。
そうやって一つ一つ、「考え方」というモノを自分の中に落とし込んで蓄積して行くのです。
出会いを受けたその瞬間瞬間に、それを落とし込まず、蓄積もせず、次に進む思考習慣を持っているから感情や気分が付いて来れなくなるのです。
それは、競争競争で追いたくられていた義務教育の弊害だと知りましょう。
十分理解したり落とし込まれてもいないのに、曖昧な処を残したまま次に進む様に癖付けられていたと理解しましょう。このタイプは、分からない処があっても放ったままで平気になっています。
既に習慣になっていますから、無自覚だったでしょうが、その思考習慣をこれから改めるのです。
「寄らば大樹の陰」的で、没個性的な負け癖・負け犬根性とは、この癖の拡大ですから気を付けましょう。
自分の人生が自分で納得いかない、何か燻ったモノを抱え続けている様な状態に陥ります。
ハートの声が聞こえていないのです。自分自身のハートの声に耳を傾けてみましょう。
その瞬間だけの「理解する」「その考え方を落とし込む」という責任を果たしていたら良いのです。
目の前に起こり来る総てを、人生の「糧」にするという感覚を掴むのです。
そして、どうしても分らない時は「何故?」という質問にして、その質問を落とし込んで置けば良いのです。
何故なら、質問は落とし込んでさえ置けば、普段は忘れていても、潜在意識がいつもちゃんとサーチし続けてくれているからです。そのコツは「それを知りたい!」と何度か強烈に思い込めばいいのです。
そして「それはもう自分のモノになった」と言える事を習得の目安として反復しましょう。
アファーメーション
私は、自分を許す事から始めます。「自責の念」を持つ事はもはや私にとって過去の遺物です。
昨日まではリハーサル。今日からが本番。私は毎日新しい事を一つ知って成長します。

また、良い考え方を知っても、おいそれとは感じ方や気分を変えられない事も多々有ります。
甘いものは控えなきゃ等と「考えて」その弊害を「知って」いても簡単にはいかない事は多いですね。
分っちゃいるけどやめられない。
この様なパターンは、皆、幾つもあるはずです。
何が、如何なっているのでしょう?何が、如何なっているから、そう成るのでしょう?

潜在意識が「そうする」と決めている事には、意志の力はなかなか逆らえません。
一時的には逆らえても、間違いなく反撃を食らって意志の力は捻じ伏せられます。
潜在意識は、とても粘り強いのです。持久戦に持ち込まれたら、意志の力なんて消し飛んでしまいます。
何か困ったモノが落とし込まれて自動化してしまっているのです。
そのメカニズムに付いては、「誰も知らなかった潜在能力開花法」「けんちゃんもゆうちゃんもみんなブッダ」
潜在意識のメカニズムを知ろう」の中で、様々な形で詳細に解説しています。

既に落とし込まれている命題に反するモノは、それを削除しない限り、無意識に排除し続けます。
良い事・為に成る事が身に付けられないとしたら、それに相反する何かが落とし込まれて自動化しているのです。
多くの人は、このメカニズムに気付けなくて、潜在意識の力に抗う形で何とかしようとするので、思う事が思う様にならないのです。
なんとも強い力ですね。
意志の力を遥かに超える、内から働きかけて来る意識の力・・・これを味方に付ける方法が有るのです。
世の中には、総ての人々の持つその潜在的な力を封印しようとする圧倒的な力が存在しています。
その潜在力で、自ら自分を縛り上げる様にと仕向けて来る慣習の中に、既に我々はいるのです。
その様な中で、その意識の力を潜在能力として開花させるか、それとも、操られるがままを受け入れて潜在抗力として自分の人生を問題だらけにするか?
それは、そのコツを「知っているかいないか」ただそれだけです。
言い換えると、操られるがままの人生でいいのか、それとも自分の人生は自分で決めるという決意を持つかです。是非、そのコツをマスターして、周囲に一歩差を付けましょう。
そしてこの様な時は、潜在意識に聞こえる様に嫌なモノには大きな想いで「嫌だ!」と伝えましょう。
流されたり飲み込まれたくないモノには「嫌だ!嫌だ!」をしっかり繰り返す事です。
潜在意識はちゃんと受け取ってくれます。優柔不断な曖昧さがいけないのです。

社会システムによって洗脳される、もう一つの「人の目が気になる」というブレーキがあります。
思う事が思う様に人前で表現出来ない、思う事が思う様に言えないというのも、潜在的に何かがブレーキとして働いています。
シリーズ「意識の時代が来る!」はその最適なエクササイズになっています。
釈迦は「自己を島とし自己を頼りとして他人を頼りとせず、ダンマを島としダンマを頼りとして他のモノを頼りとせずにいなさい」と言っています。島とは流されないモノ、ダンマとは法則、つまり原理原則です。
つまり、自分と原理原則を信じて他のモノに流されない様にしなさいと言っている訳です。
日本では、この釈迦の教えが「自灯明・法灯明」として知られています。これはとても大切な考え方です。
そう考える事によって、人は責任を引き受け勇気や自信を培い、揺るがない人間へと成長します。
しかし、この教えに反して「人の目が気になる」と言うのはまるで逆、その判断基準が他人に在るという事です。「自分で判断してはいけません・判断基準を他人の意見にしなさい」となっているのです。
とんでもない事ですね。
何かしたいと考えても、人から可笑しな目で見られるかもしれないと考えると行動出来ません。
それでは、自分に自信を持つ事も出来なくなってしまいます。何故、そうなっているのでしょう?
それは、社会システムの何者かによって決められている規範、つまり「これは良い事・これは悪い事」が人々をその様に条件付けるのです。規範とは、必ずしも善悪を正しく指し示すものではありません。
しかし、規範が決められると、人々はそれに縛られる様になります。
エンプロイーに常識から外れてもらっては困るからです。それは何故でしょうか?
現代社会は、人々は他の人に自分より抜きん出て欲しくはないと誰しもが考えています。
それを更に高所から俯瞰してみましょう。
そうすると、そこには「独立して自ら思索」等せず、言われた事だけに忠実に従う様にと、支配的立場に立ちたいとする者からのバイアスが、社会全体に掛かっているのが判ります。
でも何故、それが「人の目」なのでしょうか?

ところで「人の目が気になる」と言うのは、一種の罪悪感です。
支配者は、支配の力を振るいたいが為に、人々の自発性に対して自らの内からブレーキが掛かる様にと、巧みに罪悪感を持つ様に仕向けて来ます。
人に罪悪感を持たせるならば、その人を縮こまらせる事が出来るので、微妙にコントロール出来る様になるからです。「人に罪悪感を持たせる」というのは、人を操る技法の一種なのです。
親も子供に「そんな事をしたら人が笑う」と言って自発的に何かしようとする事に対して、罪悪感を植え付け、子供をコントロールしようとします。自発的な芽は、この段階でどんどん刈り取られて行きます。
しかし、いつも「人の目が気になる」と如何なるでしょう?
「こんな事を言ったら人から何と言われるだろう?こんな事をして失敗したら人はどう思うだろう?」とそれが気になって、自由な発想は持てなくなります。それは思考の牢獄です。
そして今では、誰に頼る事も無く、自分でせっせと「自発的な何か」を刈り取る様になってしまいました。
それでいいのでしょうか?

本当は、人は他人の事など一々かまってなどいやしません。
だから本当は何も気にする必要など無いのです。
しかしこの感覚に囚われてしまった人は、有りもしない恐怖に怯える訳です。
それは支配的立場に立つ者にとっては好都合です。その人は自発性を失うからです。
また、人の意見にいつも自分を委ねる事によって、責任を引き受けなくても済みます。
それは、責任を引き受けなくて済めば楽だと捉え違えている感覚も内在しているからです。
こうして、多くの人は「人の目」を気にして、自分で考え自分で判断するという思考力を徐々に失い弱体化して行きます。
この「人の目が気になる」様にされてしまう事は「独立して自ら思索出来る能力」を奪うモノです。
そうすると、あらゆる判断を他人に委ねる隷属的な人間が出来上がります。
「裸の王様」に出てくる素直な子供の様に、自分からは「王様は裸だ」と言えなくなるのです。
それでいいのか、深く考察しましょう。

「人の目が気になる」と言うのは(独立して自ら思索出来なくなる思考の牢獄です
また、成長したくて何かを学んでいても、これが判断基準として落とし込まれている限りは、それに同類親和の法則が働いて、原理原則は落とし込まれません。
同類親和の法則は、既に在るモノと比べて「異質だ」として、為になる筈の原理原則を無意識に弾き返してしまうからです。
判断基準を自分自身と原理原則に置くか、それとも人の意見、しかも自分の偏った主観による人の意見に置くか、それはまるで逆です。
潜在意識は基本的に、同類のモノは受け付けますが、異質だと受け付けません。
そして潜在意識は、自分にとっての損得など考えもしません。
そうすると、せっかく学んだ心構え知識の総てが「知っているレベル」の知識段階で留まってしまいます。
いつまで経っても、それが落とし込まれて自動化する事はありません。何故学んだ事が、多くの人はなかなか身に付かないのかと言うと、この様な原理が無意識レベルで働いているのです。
バカだからとか、物覚えが悪いとかではないのです。
ちょっとしたその様な思考習慣の違いに気付いているか、それを知っているか、それともまだ気付いていないかというほんの僅かの違いなのです。そして、その違いに気付かせない様に仕組まれているのが義務教育なのです。
この様に、人々をその牢獄から出られなくなる様に、人間の弱点を利用し条件付ける様な偏りが、世には存在しているのです。

その為に世の支配的立場に在る者は、自分達の都合で勝手に規範を決めるのです。
「人の目が気になる」と言うのは、真実を理解していない事より引き起こされている症状の一つです。
「人の目が気になる」人もいれば、全く人の目など気にしない人もいます。
「人の目が気になる」人は、人の目など全く気にしない人が「何故そうなのか」、そしてどっちが得かを考えてみましょう。
真実を知れば、ルソーの次の言葉「人間は真実を知ったならば、それを理解した全ての人が同じ判断をし行動する。その判断は必ず正しい判断である。」という言葉が成就します。
人は、真実を知ったならば、「人の目が気になる」という洗脳されて植え付けられた間違った感覚を解除する事が出来ます。そして、責任は引き受けた方が遥かに得する事も解って来ます。
人は独立自尊の存在として在るべきです。
そういう人は、自分を大切にする為、「人は人、自分は自分。言いたい奴には言わせておけ。」と考えているのです。そしてその言葉が落とし込まれて自動化しています。
だからと言って、我儘奔放な訳ではありません。「自分は自分」という処に、何が有ってもその責任は自分が選択した結果であるという自覚が有るからです。そして、それは自信を培うものです。
故にこういうタイプの人は、自分自身の人生のマイウェイを堂々と歩める様になるのです。
こういうタイプは思考の牢獄にはいません。人の目という錯覚から解放されていて思考は自由です。
そういう人生観は、普段何気なく繰り返している言葉によって作られて来ます。
繰り返す言葉の力に気づいて下さい。

伝えたいモノ・伝えるべきモノを自覚していたら、人の批判・中傷等気にしない事です。
気にしないとは、「認識しない」という事です。誰しもが心得ているこの技を如何使うかです。
人は平均的に、同類・同族レベルと思っている他人が、自分より抜きん出るのを嫌います。
そうすると、こちらが何か良い事をしようと思った時、マイナス思考の人々から微妙に足を引っ張られます。
彼等は、あらぬ批判・中傷をする訳です。面白くないからです。
同情する様見せかけて、口先だけで「心配している」という言い方をして不安を与えるかも知れません。
真にプラス思考の思考習慣を獲得したなら、そういうマイナスな波動の類には反発が起こって、益々やる気やファイトが起こって来ます。
何故なら、より高い次元に、待ってくれている人がいる事の確信が有るからです。
しかし、それに引き摺られるとしたら、潜在意識ではマイナス思考で溜め込んだデータが作用しています。
意識次元では、同質のモノは引き合い、異質のモノは弾き合うからです。
出る杭は打たれると言いますが、出過ぎた杭は称賛されます。
或る時、その次元の批判はピタリと無くなります。批判する人も批判ネタが無くなるからです。
「人の噂も75日」です。それからは人も、新たな認識でこちらを見る様になります。
伝えたいモノ・伝えるべきモノを自覚したら、その事ばかりを考えていると信念や確信が育って来ます。
潜在意識のメカニズムを学んでいると、他人のマイナス波動の影響を受けなくなります。
それはプラス思考の思考習慣が身に付き、意識の力が何倍にも大きく育って来るからです。
人より一歩抜きん出る人が、どの様に批判・中傷をかわしているかも研究心を持ちましょう。
彼等は、自分にとって不利になるマイナス波動を、認識しないのです。
マイナス思考の思考習慣に陥っている人は、自分の為になる事を認識しないのです。凄い技ですね。
この様な事も、単に思考習慣の違いがもたらしているだけです。どちらが得かを考えましょう。

潜在意識に於いて、矛盾した命題は葛藤する。
良い事・為になる事を身に付けようとして、或いは学んだ事を実行しようとしてそれがスムーズに行えず、葛藤が起こるとしたら、その裏にはその良い事・為になる事に反する何かの命題が落とし込まれていると理解しましょう。
その理解のキーワードは「同類親和の法則」をよく理解する事です。潜在意識は実にメカニカルです。
意識次元は、苦楽を引き寄せる法則性が物理次元とは逆さまで、プラスとプラス、そしてマイナスとマイナスは引き合いますが、プラスとマイナスは反発しあうのです。
つまり、原理原則に反した観念が、イメージ的な結論として落とし込まれていたら、自分にとって為になる事を無意識・無自覚なまま弾き返してしまうのです。
それは、幾ら良い事を学んでも身に付かないという事です。知識段階で留まるのです。
ここでは「自責の念」や「人の目が気になる」が如何に学びと成長の無自覚な障害になっているかを見ています。その他にも、人は良く理解して切り替えるべき様々な感じ方が色々あります。
何故、色々と感じ方を切り替える必要が有るのでしょうか?
それは、切り替えたらとても得をするからです。
それらの真の問題を各種プログラムを使用して、自責しないよう心がけながら発見して行くのです。
それらを発見し、削除する度に、人生から苦の領域が減り、楽や自由の領域が増えて行きます。

潜在意識には、落とし込まれると良かれ悪しかれ自動化するという事を知りましょう。
この原理は、他のシリーズやプログラムで何度も詳細に解説しています。
認識を徐々に深めて行きましょう。認識は円錐螺旋型に成長して行きます。
そしてその原理を掴んだら何を自動化するか?です。
正しく願望を潜在意識に引き渡せば、潜在意識はそれを叶えるべく自動的に動き始めます。
正しく質問を持てば、潜在意識はその答えを探り当てるべく、意思の30~50倍のサーチ力を持つアンテナを伸ばします。
そういわれて、その実感が掴めますか?楽しみにして下さいね。
反復を重ねていると、ある時「これか!」という感触を掴む事が出来ます。
これを右脳の能力だと表現する人もいます。
それと同時に殆どの人が、素晴らしい性能のマシンをとんでもない邪魔な「置物」にしている事に気づく事でしょう。
間違った観念が、潜在意識に届いてしまうと、潜在意識はそれを叶えるべき願望と捉えてその実現に動き始めます。
多くの人は、思考というモノを思い浮かぶがままの放任状態にしていますが、それはとんでもない事なのです。

潜在意識は、頭で考える様な「損得判断」が出来ません。
潜在意識は快か不快かで判断するので、或る状況を快と判断したパターンを繰り返そうとします。
それは体や人生に有害であってもです。潜在意識は「損得判断」は出来ないからです。
その様な、潜在意識の基本的な性質への認識も、徐々に深めて行きましょう。

陽転思考・プラス思考とマイナス思考。
プラス思考とマイナス思考に付いては、それがどういう事かは、誰でも何と無く理解してはいると思います。
しかし、現場に在って、今自分がどちらの状態に在るのかを知覚するのはなかなか難しい様です。
特に、マイナス思考に成っている場合は殆ど無意識・無自覚です。
そこで、普段自分はどちらの傾向に在るかを確認する良い方法をお伝えしましょう。
それは、自分は全般的に肯定的であるか否定的であるかと考えて見るのです。
例えば、人の言でも良書を読んでも「うんうん・・・」と頷いたり、肯定しているかという事です。
新しいアイディアを聞いた時、「なるほど!」とか「あっそうか!」とリアクションが直ぐ出るかどうかです。
陽転思考・プラス思考という状態は、日常のこういう些細な処から育って来るものです。
それは、応援するという心の姿勢や態度によって形成されて来るのです。
この些細な心の姿勢が、どれほどのメリットをもたらすかを考えた事が有るでしょうか?
それはまるで、良き運命の貯金の様なモノです。良き運命は貯金出来るんですよ。ご存知でしたか?
大きな貯金箱に、毎日五百円玉をチャリンチャリンと入れていると考えて見て下さい。そして・・・
良き運命の貯金の様なモノ・・・と聞いた瞬間に「あっそうか!なるほど!」が有ったかどうかです。
知らない内に、マイナス思考に陥っていく人を観察していると、こう言うタイプにはこの姿勢が在りません。
一々反論はしないかもしれません。しかし、応援というスタイルが無いのです。
理の通った事を言われてそれを認識した場合は、何と無く負けた気がするのかも知れません。
「なるほど!」とか「あっそうか!」が絶対に有りません。或いは滅多に有りません。
それはそのメリットに気付いていないだけです。何とかしましょう。

陽転思考・プラス思考のタイプの人を観察してみましょう。
日常の中に「なるほど!」とか「あっそうか!」が多く、一旦何でも肯定的な側で受け止めるのが癖に成っています。その様に自分で癖付けたのです。
肯定的な心の姿勢は新たなる認識をどんどん拓いて行きますが、否定的な心の姿勢は行き詰まりや人生の壁が生じて来ます。思考習慣・思考パターンとはそういう事です。正にそれは心の癖です。
・・・という事は、陽転思考・プラス思考の育成は、普段から「なるほど!」とか「あっそうか!」をどんどん多発していりゃいいのです。プラス思考のタイプの人は、既に知っている事でも、確認の為に、或いは賛同の姿勢を示す為に「なるほど」が有るのです。
人の言葉に、一旦大きく頷いて上げる姿勢が有ります。それが即ち応援です。
理の通った事を見聞きして、何と無く負けた気がするのは錯覚です。
勝ちたいのでしょうが、その心的態度は結果的には、マイナス思考になるという負けを引き寄せています。
「人生負けるが勝ち・人生負ける度胸」という言葉が有りますが、「なるほど!」とか「あっそうか!」とリアクションを起こし、何でも一旦肯定的に受け止めて応援する姿勢こそ、陽転思考・プラス思考が自然と出来る勝者になるのです。頷くだけでいいのですから、只で幾らでも貯められる貯金・貯蓄に励みましょう。
その理が解ったら、早速「なるほど!」とか「あっそうか!」とか「うんうん・・・」を心の内で多発しましょう。
でないと損ですよ。その姿勢が、自分のモノになったと言えるまで反復しましょう。

潜在能力と潜在抗力・・・それは成功や幸せへの推進力とブレーキ。
陽転思考・プラス思考は、成功や幸せへの推進力となって潜在能力を引き出し育てます。
マイナス思考は、成功や幸せのブレーキとなる潜在抗力を育てます。
どちらがいいのか、その損得を良く考えましょう。
肯定的な思考習慣・思考パターンを持っていると、自信とか、決断力とか、勇気が育って来るのです。
そして、日常から肯定的な心的態度でいると、少ない理の説明でも素早く理解が起こる様になります。
逆に肯定的な応援の姿勢を取らないでいると、自信・決断力・勇気が育って来ないのです。
しかし妬みや嫉(ソネ)みの心は、いつの間にかこっそり育って来るかもしれません。
妬みや嫉みの嫉妬も、元を正せば自責です。そうでない自分をホントは責めているからです。
生活習慣病と言われる病気は、読んでその字の如く、良くない生活習慣が原因で起こっています。
人は年を重ねる毎に経験は増えるのですから、チエを蓄え、自信・決断力・勇気も育ってしかるべきです。
しかしそうならないとしたら、生活習慣病の様に、思考習慣がそれを妨げているのです。
そうすると、マイナス思考は様々な不利益を引き起こす原因ですから、それによって引き起こされる様々な結果は、思考習慣病と名付けても良いでしょう。
「うんうん・・・」と頷きながら、講義音声を聞いたり本を読んだりする練習を早速始めましょう。
やれば利は有りますが損は全く有りません。やらないと100%損です。
そこに生じて来る抵抗感の正体を見極めましょう。ニセモノから来る思考パターンに騙されない事です。
潜在抗力という、成功や幸せを妨げる巨大な力の正体とその削除方法は「弱者の成功戦略」の中で詳細に述べています。
潜在能力と言う言葉は一般的に認知されていますが、それと同等の力で成功や幸せに抗う力、潜在抗力に付いてはまだ殆ど誰もその正体に気付いていません。
顛倒夢想(テンドウムソウ)という言葉がかろうじて残ってはいたのですが、現代ではその意味もやっと残っている程度で、その作用などに付いては、奇麗さっぱり忘れられています。
潜在能力が在るならば、潜在抗力も存在します。そしてそれらはペアで理解する必要が有ります。

既に用意されているプログラムの組み合わせによって、様々なコースが設定されています。
大まかには、心の平安レベルなのか経済的成功レベルかという、成功や幸せへの目標とする段階の違いです。
 01.聞いているだけで達成出来る平安コース。
 02.自信と決断力養成コース。
 03.各種センスとスキルの開発の為の、基礎センス開発コース。
 04.自由を得る為の、無自覚な心的ブレーキ・無自覚な条件付け解除コース。
 05.子育てママ必修コース。
 06.真実追求・正義実現コース。
 07.リーダー養成コース。
 08.独立起業・ビジネス・副収入コース。
 09.コンテンツ作成スキル養成コース。
 10.真理探究コース(涅槃・無為へのアセンションテクニック)

興味が湧いたら、各種コースへお進み下さい。
各種コースとは、その目的を持って聞くという事です。
それぞれの目的によってプログラムの活用の仕方が異なって来ます。
同じプログラムでも、最初は全体像を把握する為に聞き、次は、自責の念に対峙し、それを削除する目的で聞き、次はその理解を深める為に聞き、最後は落とし込む事を目的として聞くのです。
それぞれの段階で、その目的を達するまで聞き込みます。
そして、今までだったら「自責の念」が勝手に湧いて来るその瞬間に、それを切り替える「言葉」を使うのです。その瞬間こそが、不要な「自責の念」を削除するチャンスの出現です。
正しい言葉の使い方は、とても強い力を発揮します。
さて、どんな言葉が、勝手に湧いて来る「自責の念」を切り裂き、それを無にしてくれるでしょうか?
「自責の念」に従った言い訳を考えるのではなく、「自責の念」そのものをぶった切る言い訳が必要です。
「自責の念」に従った言い訳も、よく観れば習慣化している思考パターンに過ぎません。
そのパターンの損を、不快を感じるまでイメージすれば、簡単に切り替えられるというこの感じ方を掴んで、腑に落とし込んで下さい。

この「腑に落ちる」と言う感覚を掴む事は重要です。それは「あっそうか!なるほど!」と言う感覚です。
心の向きがマイナス思考を向いていると、何も感じられませんが、積極思考・プラス思考を心がけると、この腑に落ちる感覚が、次々と感じられる様になって来ます。
「意識の時代が来る!」は無自覚だった洗脳を解き、勇気を培う訓練です。
「誰も知らなかった潜在能力開花法」は、成功者のマインドの秘密を自分のモノにする訓練ツールです。
反復の奥義が解説されています。当解説と重ね合わせて聞き込んで下さい。
「弱者の成功戦略」は逆さまの感じ方(顛倒夢想)の外し方と、潜在意識のメカニズム、その他コンテンツ作成スキルの開発に付いて解説して有ります。
「けんちゃんもゆうちゃんもみんなブッダ」は、e-bookと朗読CDで提供しています。目標実現、更には悟りや覚醒を目指す方に意識進化の秘密を解き明かしています。
その中でも一番ベーシックなのが、月1回滝部セミナーと称して10年続いている勉強会の6年分と+αインナーープログラムまたはポーラスタープログラム としてデビュー。後半4年分がオプションです。
総ては「潜在能力感知開発プログラム」から生まれ出ています。

成功者が心得ている秘密を知りましょう。
その考え方は自分のモノになったと得心・納得が起こるまで聞き込むのがコツです。
「その講師先生の教えは、今ではすっかり自分の考えと同じだよ」と言える様に成るまで聞き込むのです。
「いいな」と思ったものから、それを確実に実行しましょう。
「これは落とし込みたい」という感覚が出始めたらしめたものです。
重要な事が重要だと感じる感覚・センスが開いた証拠です。その芽を大切に育てましょう。
それは次々と認識世界を広げます。
「そうか!なるほど!」と頷く事で、プラス思考が養成されます。
更には「それがそう言える訳」を自らも見出そうとする心の姿勢がプラス発想の能力を啓きます。
特に、古今東西の覚者・賢者・偉人・成功者の教えの原理原則から始めましょう。
賢者や成功者の残している言葉を、自分でも「それはそう言える」という理由を考えたり集めたりするのです。
プラス発想の能力を啓いている人は、この様な思考習慣を自然に身に付けているのです。
現実世界は安全の為に逃避や避難は必要ですが、思考やイメージの世界ではチャレンジから逃避する必要は一切有りません。何故なら、危険はゼロですから。

しかしここにも、潜在意識の性質を心得ていないと陥るワナが有ります。
それは、潜在意識は現実とイメージの違いが区別出来ないという性質です。
現実世界で「決意決断」した所為で引き起こした何らかの失敗体験を、イメージ的な思考の内にも持ち込んで、イメージ的な事に於いても「決意決断」を躊躇する様になるという事です。
そこには、かつて罰などが有ったりもして、責任から逃れたいという感覚もここで芽生えてしまいます。
つまり、教えられた「為になる話や役に立つ概念」に対しても、それがそうだろうとは感じつつも、認める事が出来なく成るのです。認めるとは「決意決断」と同じだからです。
そしてそれは、責任を引き受ける事も意味しています。
アタマでしっかりとその分別を付けないので、潜在意識が、自動的に「決意決断」を避ける様にと判断しているのです。そしてそれが出来なくなる様な気分を湧かせて来るのです。
しかし、これは単なる認識不足です。こんな勘違いを放ったままにしていてはいけません。はっきりと分別を認識すればいいだけです。そうすれば、潜在意識はそのまま素直に従う様になります。
放ったままにしておけば、保留癖や逃避癖を育て培う事になります。これは心の雑草の様なモノです。
理を理解し、理解出来たそれを認める事には何の危険も有りません。
理を理解し、理解出来たそれを認める事は小さな成功体験です。そうアファームしましょう。
些細な成功であり、それはヒーロー体験なのです。
「些細を積み重ねれば成功する」とは、松下幸之助の成功の六原則の一つです。

「理解出来た・落とし込めた」という小さなヒーロー体験を積み重ねましょう。
出来ていない話を聞いて、その理を認めても自分を責めずにいられるなら、それが最初のヒーロー体験です。どんな言葉が自分を護り、そしてその理を習得する可能性を拓くでしょうか?
そんな言葉を発見し、勝者として立ち向かう為の言葉の武装をして下さい。
各プログラムには、必ずそういう言葉が埋もれています。聞き込んで掘り出して必ず獲得して下さい。
そんな言葉を発見するのもヒーロー体験です。
そして先に進むほど、理解し落とし込めた原理原則それ自体が、心の屈強の防具となります。
その内、初期の言葉の防具は要らなくなります。その時はマインドに身に付けた原理原則が防具です。

すべき事が巧く進まない時は、前もってのイメージが出来ていない事に有ります。
自責の念を持たずに、イメージを描きましょう。
そして何かの原則を忘れているのだと考え、それを思い出す質問をしましょう。
今、何に気付けばよいのでしょう?と。

自動化(オートパイロット機能)の原理を理解しましょう。
これぞ、成功者が皆実感し体得している成功の秘密中の秘密。とは言っても公然の秘密。
総ての人が持っているけれど、その仕組みを動かさないと、これは思い通りには動いてくれません。
但し、これが動き出したら大変です。
人間には皆、無限の可能性が眠っているといわれるその無限が目を覚ます訳ですから。
「誰も知らなかった潜在能力開花法」「けんちゃんもゆうちゃんもみんなブッダ」「潜在意識のメカニズムを知ろう」で詳細に解説が有ります。
人間誰しも持っているこの機能を正しく使いましょう。そのコツさえ、心得れば、愛も自由も富みもその取得に向けて潜在意識はオートパイロット機能として働く様になるのです。
こんな便利な機能を使わない手は有りません。

何から自動化させるか?
それは何と言っても原理原則からです。
原理原則は、潜在意識に願望を叶えさせる為の武器になるモノだからです。
言い換えると、願望を叶える為の道具です。物事には、道理や秩序というモノが有ります。
願望もそれを叶える為には、道理や秩序に沿わないといけません。
ですから、原理原則から落とし込んで自動化させ、その部分を潜在意識に任せるのです。
その為には、古今東西の覚者・賢者・偉人・成功者の教えの原理原則を中心に、「それはなるほどそう言える」という了解と納得を自分にプレゼントする事が大切です。
こここそが、プラス思考かマイナス思考かが無意識に問われている、とても重要なポイントです。
凄い人たちの教えには、「それがそうだと言える訳」が必ず有るのです。
それなのにそのフィールドを考えもせず、へんてこりんな言い訳で反論などしていたら、損をするのは間違いなく自分の方です。
何故なら彼らは、何かの実証を以てそれを教えているのですから。

自分の論理の根拠は、実証される事に置きましょう。真理は、実証されてこそ真理なのですから。
早い話が、証拠を求めるという事です。そして試してみるという事です。
多くの人が好き嫌い判断で無意識に犯してしまうこの愚かさに、貴方は醒めていましょう。
「それはなるほどそう言える」という了解と納得を自ら見出す心的作業を重ねるのです。
それは脳内の復唱であり、このちょっとした自らの意思で行う脳内での復習が、その理を自分のモノにするコツです。このちょっとした癖、このちょっとした思考習慣が、独立して自ら思索出来る能力を開発する基礎となって来るのです。「それはなるほどそう言える」と自分自身で何度か繰り返して見ましょう。
センターに原理原則が落とし込まれ、それを基準に判断決断が出来る様に成ったら、自分自身にとてつもない自信が湧いて来ます。何故なら、自分が一番信頼出来る様になるからです。
このちょっとしたパターンを自動化しましょう。自動化したら後はパターンですから、潜在意識が完全に引き受けてくれる様になります。
自動化するまで、「そうしよう」と思う意志を持続する必要が有ります。
それを忘れない様にチェックし続けてくれるのが、反復なのです。忘れていたら反復時に思い出せます。

それが「その時」に出て来るのがチエです。忘れているのは知識です。
チエとして瞬時に湧くまで聞き込み落とし込んで置きましょう。
それをまずこのコンテンツで実感して見て下さい。その目安は100回です。
聞いた事が、しっかりとイメージ化されるのに慣れるまで、普通そのくらい掛かるという事です。
普通、一概念300回の反復でそれは完全に自分のモノになります。
音声反復で100回、その度に自分の頭で復唱したり、思い出してイメージを200回は描く事です。
それでおよそ300回の反復になります。
また、この中で紹介されているその先のそれを「どうしても学びたい」と言う気持ちをたっぷりと溜めて下さい。
直ぐ次に進むのではなく、その想いを溜めるほどそれは落とし込まれて自動化され、後の持続力として続くのです。
特に06.番以上は、どんな事が有っても「自分を許す・自分を愛する」と覚悟が決まってからお進み下さい。
そういう言葉を快なるイメージと共に繰り返し、落とし込めば良いのです。

総ては自動化した感じ方・・・それを丁寧に育てるのです。
願望も、質問も自動化します。自動化したらとても楽になります。一々注意を払って意識しなくても、潜在意識が常に意識し続けてくれているのですからね。そして、必要な時にパッと気付きを上げて来るのです。
意欲ややる気、嫌気や無気力など、そう感じるのは総て潜在意識のしている仕事です。
意志の力で抗うべきものでは有りません。そう感じるのは総て、アタマで認識した捉え方が、潜在意識がそういう仕事をする様にと与えたデータなのです。
どんなデータを与える事になっているのか、それに逐一覚めているのが覚醒者です。
覚醒者はそれに覚醒しているので、自分に与えるデータを分別します。
大抵はその道理を心得ない為に、「そう感じるから」とそのまま流され、グルグルとそのデータとそれに対する反応が悪循環を始めるのです。
悪癖の自動化を許していたら苦しくなるだけです。
頭で考え感じる「好き」と潜在意識が「好き」になっている事はまるで違う場合が有ります。
頭で感じる「嫌い」が潜在意識にとって、もし「好き」になっていたら、頭で嫌がって排除しようとすればするほど、潜在意識はその30~50倍の力でそれを引き寄せようとしてしまうのです。
逆に、頭で感じる「好き」が潜在意識にとって、もし「嫌い」になっていたら、それを頭で求めようとすればするほど、潜在意識はそれを露払いの様に、先回りして退けてくれます。
この現象を、詳細なメカニズムまでは解き明かしてはいませんが、心理学者のクーェは「逆効果の法則」と名付けていました。この単純な原理に覚醒して下さい。
どんな感じ方でいたいのかを考え、そういう感じが湧いて来る様にと、心遣いを働かせれば良いだけです。「今」そう感じていたとしてもそれをフィードバックさせて増大させる必要は無いのです。
自責を続けるとそれは自責という悪癖を認める事に成り、それは益々増大して、自壊を招くだけです
総て道理から考えましょう。今の出来ていない事に焦点を当て続けるのではなく、その先の良きイメージだけを描いていたら良いのです。
その先の良きイメージとは、結果だけでは無く、プロセスを楽しむイメージです。
結果のみに目的を置くと、それは自らワナを仕掛ける様なモノですから要注意ですよ。

願望も質問も、それらを知識、或いはデータとして「知ってる」レベルに留めていたらダメです。
「パソコンを使ったら便利だろう」と知っているのとパソコンを使いこなせるのは次元が違います。
「ダイエットしたら健康にいいだろう」と知っているのと、実際ダイエット出来るのは次元が違います。
断食でも、何かのスキルでも何でも同じです。「知ると成るとは天地の差」なのです。
願望も質問もそのままでは、普通は単に「知っている」レベルです。
それは、請求書は書いたけれども相手に届けないのと同じです。いつまで経っても振り込みは有りません。
請求書を先方に届けてこそ、相手は支払いの行動に入るのです。
潜在意識に請求書を送り届けるのも同じです。ただ、こちらは何度も何度もしつこく送らなければなりません。
そして、一旦潜在意識に請求書が届いたら、今度は何度も何度もずっと支払い続けてくれるのです。
その何度も何度も請求書を送り届けるのは、植物を育てるのに似ています。
今日水をやったからと言って、最初の内は、明日結果がいきなり出るものでは有りません。
願望も質問も、何度もイメージする事で、それを育てるのです。それは意識の力です。
それは育って、有る時、次々と実を実らせる様になって来るのです。
反復する度に、時には音声ならそれを止めて、そこで呼びかけられたり質問されたり何か提案されたら、自分自身のイメージを描いて下さい。内なるそれが育って来ます。
「それがそうありたい」と意識して、快なるイメージと共にそれを反復していたらいいのです。
それらが意識の力として育って来ると、それを発見しよう、それを見つけ出そうと内からの衝動として、意識の力は働きかけて来るのです。
そして、意識の力は顕在意識の30~50倍のサーチ力で内外にアンテナを張るのです。

意識の力を育てるビジュアリゼーションを趣味の一つにしよう。
それは瞑想であり、祈りでもあります。
「こうだったらいいな」を元に、頭の中で「そうなるプロセス」を色々と想像して描くのです。
アイディアが湧いたら、必ず気付き帳を付け、それを度々見返す事を習慣化して下さい。
瞑想習慣を持たずして成功した人はいません。
音声反復の目的は、原理原則を理解し、それを落とし込む事と、最後はそれを元に自由自在にイメージが描ける事、つまり瞑想に持って行く事に有ります。
原理原則に基かないイメージは幻か蜃気楼で終わります。原理原則とは宇宙の秩序です。
瞑想、つまり自分にとって建設的なイメージを描くビジュアリゼーションは、意識の力を培うテクニックなのです。賞賛・感謝・愛・慈悲に沿って、やりたい事や為したい事をイメージするのです。
それらの実践は、総て心の貯金となって、潜在意識を動かすエネルギーになるのです。
覚者や賢者の教える原理原則を元に描くイメージは、可能感を広げます。
そして、潜在意識は何処からそのアイディアを持って来るのか、次々と素敵なインスピレーションが湧く様になります。
人並み外れた事を成し遂げる人は皆、この想像の中からアイディアを掴むので、創造的(クリエイティブ)に生きられるのです。この様な現象も、総てそういった単純な思考習慣の積み重ねです。

この価値に気付いたら、代償行為で大切な時間を潰している暇は無くなります。
立ち向かう質問も落とし込む感覚も、総て建設的な瞑想習慣がその感覚を啓くのです。
ちょっとした待ち時間などを利用して、いつでも何処でもビジュアリゼーションは実践可能です。
自責なんてとんでもない。自責なんかしているヒマは有りません。自責は時間の無駄遣いです。
もっと言うと悪業積みですらあります。「しなければならない」と判っている、いい人の陥るワナです。
自責する処から起こり来る気分は大嫌いだから、それを消そうと益々「大好きな」自責を重ねているのです。自責する事が「好き」になっていますが、社会から押し付けられて洗脳されたから、その様な逆さまの感じ方を形成してしまったのです。知らなかったが故に、その様に条件付いているだけです。
イエスは常に「あなた方は許されている」と言い続けていたではないですか。
その様な、原点とも言えるべき原理原則からビジュアリゼーションし、その認識をどんどん深めましょう。
そうする事で、「こうだったらいいな」に付いてのプロセスのイメージが自在に展開する様になります。
そこで掴んだアイディアを人に伝えたら、人もビックリしたり喜んだりして動いてくれる様になります。
そうやって、人様の力が巻き込める様になった時、貴方の力は倍増して行くのです。
テーマを持って、或いは質問を持ってビジュアリゼーションして下さい。
ソロモンは「ビジョン無き民は滅びる」と言っています。

「こうだったらいいな」に至るプロセスをどんどん因数分解しましょう。
思考を柔軟にし、想像の世界では、現実では在り得ない事も描いたりしましょう。
他民族の風習や歴史も考え、そこに生まれていたら自分もそうだと偏見を持たずに、「それも有りね」という感じでイメージを広げるのです。その為の知識も収集し、認識の世界を広げましょう。
自分を主人公にして、色々とその状況を想像して下さい。
問題が有るなら、自分だったら如何改善するかとか、如何切り抜けるかとか、サバイバルを想像するのです。固定観念を外してイメージ力を広げるにはとても役立つエクササイズです。
固定観念や偏見、思い込みは、自由な想像力と創造力の障害です。
自分を「今・現状」に縛り付けてはいけません。
これら、ビジュアリゼーションや瞑想に熟達して来ると、その価値と効果を感じるようになります。
確かに、現実世界に力を発揮する意識の力が育って来るので、充実感も生まれます。
昔に生きていたら、或いは未来はこうだったら、どんな生活をしているだろうと想像すると、考えるだけで楽しくなって来ます。そういう柔軟な思考力は、何でも認めるプラス思考の思考習慣より生まれます。

「認めん・許さん」という心的態度は、自分を局所に縛り付けてしまいます。
そのパターンに大抵の人が、無意識のまま既に思考習慣になっています。
ですから、ここは敢えて意識して、「うんうん・・・」「なるほど」とか「あっそうか」と頷く練習を始めましょう。
現状を認めるからこそ、本当のスタートが切れるのです。
自責は、自分を許さないから起こるのです。それはいい事だと潜在意識は信じているのです。
というより、自責が「好き」になっているのです。よく観て下さい。確かに「好き」になっています。とんでもない間違いです。
誰にその様な感じ方・思考習慣を刷り込まれたのですか?・・・それは世間からのバイアスです。
潜在意識は自分にとっての損得判断は一切出来ません。自責したら状況は好転するのですか?
「そうしたらその先如何なるのか?」・・・大概は、やる気は益々萎縮し焦りなどが増大するだけです。
それは社会からの押し付け洗脳であり、宇宙から見たら悪い事です。
想像の世界では、法律もモラルも超えて下さい。宇宙には秩序が在るだけです。
「そうしたらその先如何なるのか?」・・・この質問が落とし込まれて自動化していたらそれは自然に観えて来る理屈、または道理です。

「認めん」とか「許さん」と言っているのは誰ですか?
今自分が「そう感じる」事は、総て過去に入れたデータによって潜在意識がそう感じさせているのです。
そう感じるからそれが自分だと思い込んでいたら、ワナに落ちてしまいます。
過去経験したり、何か不安を想像したりした結果が、潜在意識にそう言わせているだけです。
それを人は「今」感じているのです。
過去、違う状況が在ったら、「違う感じ」が出ているかも知れません。
データ次第で感じ方が変わる様なモノは、それ自体が自分の本質では有りません。
という事は、その様な揺らぐ感じの中に真実の自分を見出さないといけません。
それがハートです。マインドはデータ次第で如何様にでもなる構築物です。それは人工物です。
しかし、ハートは違います。本来誰の中にも在る不動の存在です。
それは絶対基準・絶対価値観に基いている存在です。
そのハートの声が聞こえる様になるのも正しい瞑想の成果です。そして、真の自分を発見しましょう。
それは、ハートとマインドの一致です。

マインドがハートに一致した時、人間は、光明を得、覚醒するのです。
それは、当てどなく彷徨い、放浪していた魂が我が家に帰り付く感じです。だから絶対平安に成る訳です。
マインドは成長して、本来のハートに一致する事がその「生」の目的だったのです。
総てのハートは、マインドをそれに一致させようとして、それに気付かせる為に、あらゆる学びの状況を作り出し、また引き寄せているのです。
ですから、総ての出会いには、自己成長の為の責任が生じているのです。
故に、保留や逃避は、自分自身のハートからのプレゼントの放棄です。
潜在意識に、それを要らないとする間違った逆さまの感じ方が自動化している「愚」に気付きましょう。
貴方の中に貴方の為にならない他人から与えられた考え方、言い換えると他人が勝手に住み着いて勝手にその力を振るう事を許す必要は有りません。
貴方のハートが許す考え方「だけ」で、自分のマインドを構築して行きましょう。
そして真の自分を発見し、取り戻しましょう。
魂の永遠性を見出すヒントと、揺らがない自分は、この発見とその自覚に有ります。
輪廻転生理論を信じた処で、それは余り解決になるものではありません。

「人は何故苦しむのですか?」という弟子の問いに、釈迦は「無知だからだ」と一言で答えました。
人間は、如何したらいいか判らないから苦しむのです。
如何したらいいか判っていたら苦しむ必要は有りませんよね。
原理原則に基いてチエが湧いて来るなら、滅多に苦しむ事はありません。
しかし、チエが不足している時、実際に嫌な事や苦しい事に出会って、その時如何したらいいか判らない時、正しい質問を落とし込めば潜在意識が解決策を探そうと働き始めます。
質問は心のハンドルだからです。
「今、自分が本当に知らなければならない事は何か?これはどんな学びをもたらしているのか?」等です。
立ち向かう正しい質問をすれば、潜在意識は的確な解答を見出します。
「どんな原理原則を忘れているのか?」と質問するのです。
是非、やって見て下さい。まずは気分がコロッと変わって来ます。やがて状況も変わります。
自責して苦しくなったら早速この質問を自分自身に問う事です。賢者のチエは使ってみたらいいのです。
「どんな原理原則を忘れているのか?」と質問するのです。

・・・という知識を知って、実はここからが問題です。
実際、苦しい事や嫌な事が起こった時、この考え方を果たして思い出すであろうかという事です。
この考えが落とし込まれていれば、潜在意識は必ず思い出させます。
しかし、落とし込まれていなければ、益々チエの扉が内から閉まる様な思考習慣を繰り返しています。
無自覚なままマイナス思考に埋没し、そんな考え方が在ったという事自体を忘れているのです。
ですから、いざという時の為に、そのチエが勝手に湧き上がって来る様に、反復して置きましょう。
当プログラムは、その確認と成長の為のペースメーカーとなります。
時に起こる自責に対して、自分はどの程度反応し、どの程度の思考的手間で切り替えられる様に成ったか、だんだんその腕が上がって行くチェッカーとして役立ちますよ。
現場で思い出せてこそ、それは「チエ」なのです。必要な時に現場で出て来ない「知識」は何の役にも立ちません。チエと知識の違いを知っていて下さい。
イメージ力が豊かになって、その考えの一つ一つを脳に焼き付けられる様になったら、反復回数は少なくて済む様になります。落とし込む感覚が啓いて来るからです。
普段から、そういう準備の思考習慣があればいいのです。
苦しい時に、立ち向かう正しい質問が、マインドに勝手に立ち上がって来る様になるまで反復して下さい。
当プログラムを成長の為のペースメーカー、そしてどの程度メンタルマッスルが強化されて来たかを確認するチェッカーとしてもご使用下さい。
当プログラムで、自責の問題点がしっかりと認識出来たら、これからは自責が起こるのは、訓練のチャンスです。その時、しっかりとここで学んだ理を思い起こしましょう。
そして、それ自体を忘れていないか反復でチェックしましょう。
本来、効果の出る教えや学びというモノは、ここで述べている道理を知らなければ自責が起こるモノです。
真実というモノは、その人の無意識な悪癖を剥がす力が有るからです。
逆を言うと、耳に心地良いばかりの話は、聞きやすい代わりに効果も何も有りません。
雨は必要ですが、それと同時に雨を避ける屋根や雨具が必要なのと同じです。

潜在能力の開花とは、潜在意識を自分の味方に付ける事です。
それは、やるべき事に「やりたくて」邁進出来る気分が湧く「強者の質と智慧」を啓く事です。
潜在意識からの気分や感情というモノは、意識して与える言葉とイメージでコントロール出来ます。
潜在意識のコントロールとは、常に前もっての準備です。それは快なるイメージと言葉です。
自責の念や人の目を気にする事は、すべき事を目の前にしてやる気を削ぐ元凶です。
昨日まではリハーサルなのです。人間の細胞は毎日生まれ変わっているのです。
いつでも、「今がスタート!」なのです。人間は、いつでも何処まで行っても成長のプロセスなのです。
出来ない事・知らない事だらけなのです。出来てなかったら、そして知らなかったら、今、学べばいいではないですか!出来てなかったから、そして知らなかったから今学ぶのです。
出来る出来ないの結果ではなく、努力しようと考えている自分を評価して下さい。
その様に潜在意識に今までの状態に許しや許可を与え、そしてこれからの命令や指示を与えて下さい。
大切なのは自分を応援するイメージです。自責しなければ、潜在意識はコロッと気分を変えてくれますよ。
自分を徹底的にやっつけないと気が済まない人がいたりしますが、勘違いの悪循環に嵌っています。
大なり小なり、多くの人が抱えている「自己嫌悪」もマイナスの思考習慣の弊害に気付いていないから起こっている現象です。その憎らしい自分・・・その「汝の敵を愛せよ」とイエスは教えています。
そして、「汝の敵は汝の胸中に有り」とも言っているではないですか。
自分の胸中の敵を、まずは愛する必要が有るのです。愛に付いて学びましょう。
今までの「愛に付いては殆ど理解していない今の感覚」で判断してはいけません。
もう一度言います。今までの「愛に付いては殆ど理解していない今の感覚」で判断してはいけません。
何故なら、愛はその敵を愛せるからです。そして「出来ない」と言ってはいけません。
何故なら、それは「自分には愛がない」と宣言する事になりますから。

敵として憎んで対立するから益々、内なるモノが、自分に抗うのです。
愛すれば、それは自分の味方になってくれます。そうすると自分が大好きになって来ます。
そうしてイエスの「我を信じる者、我以上の業を為さん」・・・つまり、自分を信じる者は自分以上の実力が出て来ますよ、という言葉が成就して来るのです。
潜在意識は、良心は知っているのにアタマが「出来ていない」と判断したら「自責の嫌な気分」を出す事がパターンに成っているのです。それは単にメカニカルな反応です。
出来てない事に出会ったら、自責では無く応援を与えましょう。
成功したり幸せに成る人は、苦しい時こそ、自分を責めたりなどせず、自分を許したり応援したりするのです。
ご存知でしたか?人それぞれ、思考習慣とはそういうモノです。どちらが得をするか考えましょう。
この理に反論するのは自由ですが、自分を責め抜くその結果は自殺か統合失調を迎えるかです。
要注意です。今の自分を認めて笑ってそこからスタートです。過去の自分が笑える事が有りますね。
それと同じ様に、将来の自分が今の自分を笑っている事を想像するのです。
そして、今日の一歩を頑張って、ケチは早く過去形にしましょう。
潜在意識は、現実とイメージの区別も付かないし、時間の観念もさっぱり有りませんから、これはよく効きますよ。
自分に「私は幸せに成る」と断定、もしくは「私は幸せになってもいいんだ」と何度も許可を与えて下さい。
この思考習慣が完全に自分のモノになるまで反復しましょうね。

自分の内なる可能性を開放し開花させるには、一つ一つ踏みしめるべきステップがあります。
非常に価値のあるプログラムが各種揃っています。それぞれに特長のあるテーマが有りますが、どのプログラムから入っても、その順番は凡そ次の通りです。
最初に取り組み始めたプログラムの全体像を押えましょう。
順番を間違えると、大切なモノが欠落し、顛倒夢想という逆さまの感じ方を逆に育てる事に成りかねません。
そうすると、ある時、とんでもない潜在抗力に出くわし、瞬く間に元の自分に引き戻されてしまいます。
自責の念が生ずる思考パターンのままで、どんどん先に進んではいけないという事です。
そういう心構えの基礎が出来ていないと、先々で消化不良が起こるのです。
それは学業と同じです。四則計算が出来無ければ方程式は理解出来ません。
基本的な概念が理解され、落とし込まれていないと、先々で応用は利きません。
一つ一つ、確実に理解を進めて下さい。

まずは、人間の潜在意識の可能性と問題(潜在能力と潜在抗力)を知る事です。
可能性は潜在能力、問題は潜在抗力です。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」です。
自分の内なる可能性と問題の原点たるその正体を知りましょう。
好きなモノでも嫌いになったり、嫌いなモノでも好きになったりと、何かによって気分や感じ方が変わる事が有ります。
このコツが解れば、すべき事を好きになる様、準備で気分をコントロール出来るのです。
また、何が無意識に「そう思えない」様、条件付けられブロックに成っているかその正体を知りましょう。
そういう気分自体が、過去の思考習慣がもたらしている結果です。それはもう過去の自分。過去の自分の影の様なモノから来ている事ですから、騙されたりそれに操られてはいけません。
新しい快なるイメージに差し替え、それを注ぎ込む作業を淡々と続けていれば良いのです。
そのコツを各種プログラムの中から発見して下さい。
「そう思わせてくれる」か「そう思わせてもらえない」かは、意識するかしないかに拘らず、与えたデータ通りに潜在意識は応えているだけです。
このインプットしたイメージと、出て来る気分や感じ方の相関関係が解れば、潜在意識から湧き起こる「気分や感じ方」などは自在に操れる様になります。
条件付けられている殆どの人は、可能感を知らないのでリミティングビリーフを超えた願望が持てません。

リミティングビリーフ・・・自分の信じる限界を超えて、可能感を感じる人達がいます。
出来る筈も無さそうな、夢みたいな事でも、本人自身は、可能だと信じているのです。
何故そんな気持ちに成れるのでしょうか?それも何の事はありません。単なる思考習慣の積み重ねです。
或る、幾つかのコツの組み合わせにさえ気付けば、誰でも身に付けられる思考習慣です。
可能感が広がる心境は素晴らしいものです。
「誰も知らなかった潜在能力開花法」でそのセンスの啓き方を詳しく解説しているので、今は「知りたい!」とする希求エネルギーをたっぷり溜め込んでいて下さい。希求エネルギーを貯めるのも訓練です。
そこで今は取りあえずの願望イメージ(幸せ・成功・健康・自由・愛・お金・覚り・覚醒)等を素直な憧憬として持って下さい。その素直な憧れを育てる為のコツ「たおめる」と「とほぶる」を知る事から始まりますよ。
成功する質の在る人の、知ってか知らずか身に付けている3つの秘密・・・それが「タオめる」です。

全体像を知ったら、ここからはいよいよ訓練の段階です。
最初に落とし込むべき原理原則は「自責の念」と「人の目が気になる」で、その牢獄からの脱出訓練です。
「意識の時代が来る!」シリーズの後半に、エクササイズ用のテキストが有ります。
殆どの人が、そしてリーダー的立場に立つ指導者ですら気付いていない、為になる事を学んで悪癖を助長してしまうワナの自覚も必要です。
賢者の言葉の「それがそう言える」という理由を自らの意志で探し出す意識を持続させる訓練が必要です。
集中力を養うのです。
その超時間短縮に参考になるのがインナーープログラムまたはポーラスタープログラム オプションです

プログラムは様々な使い方、言い換えると、様々な目的を持った使い方が出来ます。
自分自身の「テーマと質問」をプログラムを参考に見出す訓練をして行きます。
プログラムは最初、全体像を理解する為に「ただ聴く」のです。次に「テーマと質問を持って聞き」ましょう。
「自責の念」「罪悪感」「人の目が気になる癖」等、心の成長を知らないところでブロックする感じ方を削除するテーマで聞き、自分自身のハートの声に従うと言う決意をするのです。
今ここでその様に在ろうと決意して下さい。自分をダメにする「自責の念」「人の目が気になる癖」等を取り除いて自分自身のハートに従うぞ、と。
この世で一番大切なモノは自分自身です。釈迦も「唯我独尊」、つまり「ただ我一人が尊い」と言っています。自分自身を蔑(ナイガシ)ろにしてはいけないのです。
自分はモノ覚えが悪いとか、頭が悪いとか、ブスとか、情けない人間だとか、そういう言葉を絶対に自分に与えてはいけません。
今・現状のみを見て、自分をマイナス方向に判断し、そして決定・断定するのはもってのほかです。
結果志向という思考習慣のワナに見事に嵌っているのです。何故原因を追求しようとしないのでしょう?
そういう思考習慣を許していると、可能性というモノがいよいよ観えない思考回路に陥ります。

人は大まかに、結果志向型と原因追求型に分かれます。
結果志向型の人はいつも結果だけを見てチャンスを追求しています。ですから嘘や演出に騙されます。
現代の義務教育を通して、そういう思考習慣になる様に条件付けられるからです。
「何故それがそうなっているのか?」「それがそうだと如何なるのか?」というモノの見方が有りません。
そういう思考訓練を受けないからです。
現代の教育システムでは、早く覚えて正確にアウトプット出来る者が良しとされているからです。
何故でしょうね?現代の教育システムはエンプロイー養成システムであり、自らが立ち上がろうとする起業精神は絶対に教えません。

そんな中で、幼少時から好奇心の芽を社会によって潰されなかった数少ない人達がいます。
「何故それがそうなっているのか?」「それがそうだと如何なるのか?」という好奇心です。
原因追求型の人はいつも因果を考えるので物事の組み立てが見え、戦略発想が持てる様になります。
いつも「何故それがそうなっているのか?」「それがそうだと如何なるのか?」と「何故?」という疑問を持っていつも因果を観ているのです。
質問は心のハンドルです。どちらの思考習慣を形成するかは質問で決まって来るのです。
原因を追求する考えを持てば、可能性が見える様になって来ます。
原因追求型の人は、これから咲く花を掴みます。結果志向型の人は、人の咲かせた花を見てそれをチャンスと思い、自分も掴もうとしますが、掴めそうと思う頃には既に枯れ始めています。
前向きに頑張ろうとはするのですが、ノウハウコレクターとかノウハウ収集オタクと呼ばれる状態に陥ります。
いつまで経っても、ノウハウを自分のスキルとして吸収する事が出来ません。
「タオめる」感覚が啓かないからです。
それも、プラス思考かマイナス思考か、言い換えると、可能性を探そうとするか、今の現状のみで判断するかという、思考習慣の違いです。得する側の考え方を使いましょう。
また、そう提案された時に、素直になる事です。素直が得か認めない方が得か考えて下さい。
また、「認めん」が無意識自動的になっていないか、注意して下さい。
「うんうん・・・」「なるほど」とか「あっそうか」という賛同が無いだけで、それは自動的に「認めん」になっていますからね。

「自分を愛する」というテーマは、人によっては一大テーマです。
潜在意識のメカニズムを知らないと、結果志向型の人はマイナス思考と自責の念を繰り返し、自虐的な思考のワナにすっかり嵌っている人がいます。
情けない自分が憎くて、大嫌いという訳ですから、自分の事を絶対に愛したくなど無いと思い込んでいるのです。

自分を憎んだり蔑んだり軽蔑するのは大好きです。ですから自分を好きになる努力そのものが嫌いです。
自分を愛する事が大切だと教えても反抗するだけです。
そして、自分の人生から、ご褒美的なモノは自ら取り上げ、自ら壊して破棄しますから、人生は益々苦しくなります。
よって、自虐は思考力が崩壊するまでエスカレートします。悪循環です。
因果を考えようとする原因追求型の思考を導入しない限り、このループは抜けられません。
早い話が、人の話は聞いて見るという事です。人間は考え方を知らないと考える事が出来ないのです。
苦しいかもしれませんが、その苦しみは「不自然をしているよ」と言うハートからのメッセージなのです。
しかし感じ方・考え方が逆さまに成っていると、苦しいから尚、自虐するのです。
最近は、そういうタイプの人を精神病院が金儲けの為に薬漬けにしようと、手薬煉(テグスネ)引いて待っているので要注意です。
これから表向き、薬の処方を減らそうとするようですが、既に薬物中毒になった人達に、裏社会がより高い値段で薬物を売買しようと企んでいるからです。向精神薬の一部は中毒性のある麻薬だからです。
向精神薬と言っていますが、分子構造が麻薬とほぼ同じなのです。
カルト宗教もそういうタイプを探しています。
宇宙は黙って静かに、本人が気付くまで、永遠に待ってくれています。それでいいのか考える事です。
エゴは死を迎えます。苦しみにメゲズにエゴを拡大したら肉体も崩壊を招きます。ハートだけが永遠です。

人間は、絶対に自分を愛するしかないのです。
各人、総ての人が宇宙から問われている事は「いつそれに気付くか」です。
プラス思考のタイプはちょっとした事で、直ぐピンと来たり得する方が判りますが、マイナス思考を許していると、良い結果やその因果と言うモノを、見せても示しても証拠を付きつけても、なかなか気付けない意識状態に陥ってしまいます。
プラス思考は、どんどん為になる話を引き寄せたり発案したりします。
マイナス思考は、自分をダメにする考え方を受け入れたり発明したりします。
そして、それぞれその方向で拡大して行きます。思考には、同類親和の法則が働いているからです。
プラスはプラスを呼んでどんどん上昇しますが、マイナスはマイナスを引き寄せて下落して行きます。
プラス思考でいる事と、マイナス思考でいる事と、どちらが良いと思いますか?
人の話に耳を傾けられない人は、自分を嫌っていたり憎んでいたら如何なるかという、実験をしているのです。
賢者の言に耳を傾ければ、と言うより、物事の道理をちょっと考えて見れば結果は明らかなのですが、どうもこういうタイプの人達は、ドツボに向かう実験をし続けていないと居られない様です。

「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」と言う諺が有ります。
歴史に学ぶとは、人の経験を見聞きしただけで学べるという事です。それは「物事を因果で捉える眼」を持っているので、他人の経験を自らの脳内でシミュレーション出来るのです。
道理を考えただけで、結果が判る頭脳になっているのです。原因を追究しようと発想する思考習慣を身に付けるとそういう明晰な頭脳になるのです。人間誰しも最初からそうだった訳では有りません。
単に思考習慣の違いです。「何故それがそうなっているのか?」「それがそうだと如何なるのか?」と言う質問を落とし込んでそれが自動化したら、いつもそのフィルターを通して物事が観える様になるのです。
賢くなろうと決意して下さい。
賢さとは、得する考え方を沢山知っていて、いつも得する方側を選択出来るという事です。
その為にはその質問を繰り返していたら良いのです。それを落とし込む為にもプログラムの反復です。
さて、その質問とは何という質問でしたか?
考え方の種類が豊富になれば、人間は幾らでも賢くなって行けるのです。人の愚を観て学びましょう。

そして、良きアイディアや良き概念を知ったら次に無言で問われている事が有ります。
それは「自分はそうしたいのかどうか」と自らに問う事です。提案されている事に対して「そうしたいのか如何か」を、常に自分に問い掛け、今まで自分が知っていた事、また良いと信じて来た事と比較する癖の養成をしましょう。
勿論、得する方を選択するのですが、一応、自分の意思を自ら働かせる事が重要なのです。
何故なら、そうした方が得すると自明なほど明らかな場合でも、顛倒夢想という逆さまな感じ方が潜んでいると、脳が無視するからです。取り零している事に気付かないままスルーしてしまいます。
原因追及型の人は損得で物事が判断出来ますが、結果志向型の人は好き嫌いで物事を判断します。
結果志向型の人は、瞬時に損得、つまり為になるかならないかを判断するフィルターを持っていません。
何か変なモノか間違った観念が落とし込まれていて(それがオート化していて(為になるからそれを自動的に避けているのです。為になる得する事が無意識に嫌いと判断しているのです。
ワナは、この様な形で潜んでいます。気を付けましょう。
「自分はそうしたいのかどうか」自らに問うて見る事と損得を考える事で、自分の中に得をするのに排除しようとする可笑しなモノが在る事に気付けます。
原因追及型の思考習慣が身に付いて来ると、「これって得するのに、何故自分はそれが欲しいと思わないのだろう?」という質問が立ち上がります。

そうすると、何か変だと理解が起こるので、それはやがて修正される事になります。
原因追及型の人は、その様な質問で、どんどん現状を打破して行きますが、結果志向型の人はその様な質問が立ち上がっては来ないので、目の前の真のチャンスを取り零し、同じ状況が今後もずっと続きます。
それは成長も進歩も無いという事です。
得する側を選択しない時、「これって得するのに、何故自分はそれが欲しいと思わないのだろう?」という質問が、勝手に立ち上がって来る事が重要です。質問を落とし込むとはそういう事です。
質問は、落とし込んで置きさえすれば、その様に、潜在意識は必要な時、ジャストタイミングで質問を立ち上げ意識に気付きをもたらすのです。
その時、何も気付かないでやり過ごす事が自動的だったら如何なるでしょうか?
それに気付くか否かの積み重ねは、人生の岐路を決定しています。
人に指摘される前に、自分で重要な事は覚えて置こうとする意志を持つ事です。
その為にも忘却曲線 を理解して、反復の工夫をチョットする癖を落とし込んで習慣化する事です。
その様な小さな意思決定を積み重ねる努力をしないから、いつも人と内面の葛藤に翻弄される自分が出来上がってしまうのです。

故に、「そうしたいのか如何か」を、常に自分に問い掛け、比較する癖の養成が必要なのです。
今「うんうん・・・」とか「なるほど!」とか「あっそうか!」が有りますか?これは為になる話です。
「そうか!」とか「なるほど!」とか、在るべき姿の(在り方・感じ方)から認める訓練をして些細なヒーロー体験を積み重ねましょう。
理が理解出来る・認められる・それを習得したいと思えるという事は、素晴らしい成功体験なのです。
何故なら、殆どの人はどんな良い話・為になる話も聞き流しているだけですから。
新しい理や概念が理解出来た・認められたという事は、小さな成功体験なのです。
今まで考えてなかったとしたら、ここで新しい認識を作って下さい。
幸せや大きな成功は、共に小さな成功の集合体なのです。100万円も1円の集合体です。
それは、小さいけれども成功体験なのだと自分に言い聞かせて下さい。
そしてそれは、それが認識出来た自分を褒めるチャンスです。
それを取るに足らない些細な事だと見下しているとしたら、それは謙遜では有りません。
理解する・認める・自分を褒める・・・これらは全部脳内で、しかも寝そべってても出来る事です。
こう言う言い方をするのは、それくらいとても簡単な事だという事です。
子供の、這った・立った・モノを喋ったと後から考えれば出来て当たり前の事を大喜びしていた事を考えましょう。
自分を認められる様になるのも、そのレベルからの丁寧な訓練が必要なのです。
その訓練の暁には、自分にとって自分こそが一番信頼出来る自分になります。

そして、徐々に永遠・絶対・不滅と言えるモノから、自分でもそう言えると言う理を見出しましょう。
それが、マインドの基礎を固める事になるのです。
人間は、マインドがハートに近づけば近付くほど、平安と充足感が生まれるのです。
欲望を幾ら追いかけても、それが満たされる事が無いと言われる訳は、欲望はハートに向かうモノではない事が殆どだからです。
真理探究とは、マインドがハートに一致する様、ハートは本来マインドに如何成長して欲しいと願っているのか、そのハートの声を聞く事です。
その鍵は、永遠・絶対・不滅と言えるものを見出す処に有ります。
ハートの声に従っていないと、外面的に見て成功と呼ばれるものであっても、それは心の充足感と納得をもたらす事は有りません。
マインドがハートの求める方向へ正しく成長し、ハートと一致した時、光明とか覚醒と呼ばれる現象が起こりますが、それは今まで学んで来た原理原則が、一気に認識の第四段階へ落とし込まれ、オート化したという事です。

もう、原理原則が、自分の感じ方そのものになっていると言う状態です。
今まで、誰もこの様なメカニズムを言語化した人はいませんでした。
何をどの様にしたらブッダフッドとか涅槃・ニルバーナに至れるのか、真理探究者達はその指針も曖昧なまま、各個人個人が暗中模索し続けていたのです。
しかしここに、遂にその地図と羅針盤を発見しました。これは精神世界に於けるコペルニクスの地動説的発見です。
涅槃が科学されてしまったのです。科学されたという事は再現性が有るという事です。
それは、摩訶不思議な事でも、特別な才能を要求される事でも何でもなかったのです。
誰でも、日常生活を通してその状態に至れるという事は、もう特別な修行をしていた真理探究者だけのモノでは有りません。
ですから、覚醒と呼ばれるモノのメカニズムがそうなっていると理解して、安心を持って学びを進めて行きましょう。
原理原則からズレた、或いは逆さまに感じる感じ方を発見してそのアジャストに努める事です。
損を招いたりダメになるのに好きだったり正しいと信じている事、また得する事なのに嫌いだったり間違いだと信じている事を発見するのです。
普通、平均的な人でその数はたった200個~300個です。
当プログラムを習得し尽すだけでも、その数十個は修正出来ます。読み落とさない様、聞き落とさない様、心を解説の微に至り細に至るまで、細心の注意を配って下さい。
残りも、他に用意されている各種プログラムを習得して行く事で、総ての逆さまの感覚が修正されますのでご安心下さい。
意識の時代は、ブッダの智慧を以て生きる者の時代です。
ブッダの智慧を以て、欲しいモノ・為したい事を成就し、やりたい事をやり抜いて生き抜きましょう。
人間には誰しもその能力と可能性を持っているのに、無知が引き起こしている潜在抗力のブロックに出会って、97%は取りこぼしているのです。
それは例えて、毎月100万円もらっているのに、必ず97万円は毎月、落としたり盗まれたりして失っている様なモノです。
3%しか才能を使わないから、皆アップアップしているし、奪い合うしかないと信じているのです。
残りの才能を当プログラムと一連のプログラムで開発したら、与え合いの世界が到来します。
眼を覚まして下さい。

更に、物事の順序を思考次元で組み立てる感覚の2つの訓練に入って行きます。
既にこのプログラムで何度も出て来ていますが、原因探求「何故それがそうなるのか?」と、「それがそうだとその先如何なるのか?」の・・・この2つです。
更に理解した事や質問を、認識の第四段階に落とし込んで自動化させましょう。
「誰も知らなかった潜在能力開花法」または「潜在意識のメカニズムを知ろう」で、同類親和の法則が働いて、潜在意識がオートパイロット機能として自動的に働き始める、この素晴らしいメカニズムに気付いて下さい。
その為にも、如何してそうなっているのかを理解する事はとても重要です。
そして「その言葉」が落とし込まれ、自動化したら如何なるかと想像する訓練を積み重ねます。
反復訓練を重ねる事は、成功者の感じ方を脳内にダウンロードしてインストールするのと同じです。
成功者の脳内に在るソフトと同じものが自分にも組み込めるのです。そのコツは単なる反復です。
「読書百遍意自ずから通ず」という諺が有ります。殆ど誰でも知っている言葉ですが、意味を理解して知っている人は殆どいません。
貴方は、ちょっと手間と時間を投資するだけで、その奥義を掴み取る事が出来るのです。
この奥義を修めれば、脳の改造はもう自由自在です。

また、洗脳され、矛盾したテーマが落とし込まれている故、無意識レベルで葛藤していると知りましょう。
義務教育によって、自己中心的になる様仕向けられていて、一旦社会に出ると「人様の事を考えよ」「人様の役に立てば成功する」等です。
これは矛盾です。突然、そう言われてもねぇー、という事です。
自責の念を持ったまま、成長の為の学びは身に付きません。
人の目が気になる観念を持ったまま、独立して自ら思索出来る能力は出て来ないという事です。
互いに打消し合う関係になっている事を知って、手を打つ必要が有ります。
それを知らないと、大部分の努力は無駄になります。
そして、私達は認識を広げて、心は成長する事が必要です。

では「心が成長する」とは、如何いう事でしょうか?
それは、良き考え方が増え、それが落とし込まれて自動化するという事です。
心がサモしくなるのはその逆で、宜しからぬ想いが蓄積し、それが自動化する事です。
人は本来、成長と共に、経験が増えた分だけ色々な自覚を生じ、考えられる様になるモノです。
しかし、ある種類の人達は、ある部分の認識を持たないまま年だけ取ります。
例えば「自分がそうされたら如何思うか?」という様な認識です。
この様な認識は、小学生時代に徹底的に植え込むべき認識です。それこそが教育です。
幼児はその様な認識を持ちません。子供は罪の意識も無いまま結構残酷です。
それは先の認識が無いからです。そして犯罪者もその認識を持ちません。
その様な認識を持たないまま、そしてその認識を誰に育てられる事もないまま、年だけ重ねて大人になったのです。その部分は認識が無く取り残され、2~3才の幼児のままなのです。誰の責任でしょう?
「自分がそうされたら如何思うか?」という、普通の人なら誰でもが持ち合わせ、自動化している普通の認識。
その認識が無いと如何なるでしょう?よく考えて下さい。
そして、自己中心性から出て来る考え方だけが自動化してしまったのです。誰の責任でしょう?
「自分がそうされたら如何思うか?」という認識が有ったら、人を苦しめる様な事は出来るものではありません。
それが無いから、平気で人を苦しめられるのです。

それは、義務教育で自己中心的になる様仕向けられた、システムそのものの欠陥による弊害です。
その被害者は、社会と本人自身の双方です。
社会から本当に犯罪を減らしたいのなら、この様な原因方向への視点に着目する事です。
犯罪者も自殺者も、何年か前までは、守られている子供達だったのです。
心が成長して来た人は、「自分がそうされたら嬉しい」という感覚が落とし込まれて自動化しているのです。
多くの人は、自己中心性を植え付けられて「人が喜ぶのは嫌い」になっています。
そうすると、それは自動化していますから、「人を喜ばせたくない・喜んで欲しくない」という行動に、無意識レベルで反映される様になります。
この感覚を落とし込んでしまうと、人を動かしたり、その立場に立つ事は、ほぼ出来なくなります。
成人してから社会に出て、やっと「人様の役に立つ事」とか「人の喜ぶ事をすれば成功する」等と教えられても、普通のままでは、殆どの人はちょっと聞いた位では身に付く道理が有りません。
何が落とし込まれて、その様な感じ方になっているかを見極め、当プログラムと一連のプログラムで削除しましょう。
そんなモノが、殆どの人に落とし込まれているから、人々は操られるのです。
社会の支配的立場に立つ者は、実につまらないモノで人々を喜ばせます。知っているからです。
この例で、それぞれ、想いが自動化するとはどういう事かの認識を深めましょう。
そして、その状況からの脱出を図るのです。

まずは、自分自身を愛せる様に成る為に、自分自身をその言動想念を含めて「許す」事から始めましょう
エゴと言う自分のフィルターを通して真理解釈しようとすると、本物の真理の前では同類親和の法則が働いて、自分が吹き飛ぶから要注意ですよ。
真理の一部だけを取って、エゴの継ぎ接ぎにしてはいけません。
隠し込んでいた本性が露出し、愛や親切心すらそれは聖なるモノ故、炙り殺される様な苦しみになります。

般若波羅密多の現代版テクニック・・・ホ・オポノポノ、四つの言葉を心で唱えるだけ。
私達は過去の思いや、感情、ことば、行いから成り立つ存在であり、過去のあらゆる経験の集合体であるという事実を受け入れた時、またその様な過去の記憶庫に左右され、自分の人生や選択の持つ色合いや陰影が決まっている事実を受け入れた時に初めて、道を正し浄化すれば人生、家族、社会を変えられることに目を向け始めるのです。
  モーナ・ナラマク・シメオナ 州宝(Sith-Hooponopono創始者)
 ごめんなさい  許してください  ありがとう  愛しています ・・・のこの四つ  ホ・オポノポノのやり方<基本形>
今までだったら、不快が湧く状態や状況時に、即座にこの四つの言葉を自分に与えるのです。
その言葉に沿った感情を湧かせる事がポイントです。
 ごめんなさい  許してください  ありがとう  愛しています ・・・覚えていつも唱えましょう。
すると、あら不思議。潜在意識は次へのステージの扉を開きます。必ず開けます。
今まで、考えてもいなかったやってみるべき新しい認識が急展開して来ます。
言葉は力を持っているのです。
この簡単なテクニックをマスターしましょう。そして「それがそう言える」99個の裏打ち裏づけを集めましょう。
簡単ですが、その意味の重さと価値を感じるには、99個の「それは確かにそう言える」という裏打ちと裏づけが必要です。
一連のプログラムが大量に用意されているのは、99個の裏打ち裏づけを、早急に自分の認識に集める為です。
人が30年掛けてコツコツ集めたモノを、自分はさっさと手に入れて、3年で習得するのです。
裏打ち裏づけを沢山持つ事が必要です。裏打ち裏づけとは「それがそう言える訳」です。
何故それがそう言えるのか、子供に語って聞かせて上げられる力量が必要です。
殆どの人が、ここを見落とすので、「聞いた・知った」だけで終わってやがて忘れるのです。
そして無意識に「真理否定」というマイナスの実績をまた一つ、何も考えないまま積み重ねてしまうのです。

良い事をしていると信じて、知らないで積み重ねてしまう「マイナスの実績」。
この解説はシリーズで何度も出て来ますが、この「無意識の否定の原理」を絶対に理解して下さい。
この原理を知らなければ、足掻けば足掻くほど足を取られて沈み行く底なし沼だからです。
足掻けば足掻くほどとは、良いと思う事をすればするほど、求めれば求めるほど、という事です。
そしてそれが実際良いモノだったら大変なのです。ハートが引き寄せ出くわした、目の前の一歩を確実に修める事が重要です。直ぐ次に飛んではいけません。
その時如何しても分らなければ、それを質問として落とし込み、それを自動化させた上で、次に飛ぶ事(進む事)です。
質問として落とし込まずに次へ進むから、無意識に「真理否定」を積み重ねる事になるのです。
アタマでは良い事を求めていると考えていますが、潜在意識の側から見れば、保留や逃避を練習し、その実績を積み上げている事になっているのです。
ハートが引き寄せ出くわした、目の前の一歩を確実に修める事が「今を生きる」「この瞬間を完結させる」という生き方に成るのです。
この原理を聞いて恐怖を感じた人も、早速「許す」事から始めたらいいのです。

この原理は、世の優れたリーダー達がまだ誰も気付いていない原理です。
老子自身は気付いていましたが、如何しても言葉として説明出来なかった原理、そして早急に世界に広めなければならない原理です。
何故なら、世のリーダー達は自分の信じる「良き事」を広げる事で、ほんの一部の人を救うでしょうが、大多数の人には「無意識の否定」を積み重ねさせる事に成っているからです。
それは作用に対して反作用の様に出現し、人類全体の潜在抗力として薄く広く拡散して行きます。
結果的に、それは大多数の人には次なる良き事が入り難くなる心的体質を育成している様なモノです。
それは衆生の平均的質を潜在意識のメカニズムから理解していない事に在るのです。
アタマでは賛同しているのですが、潜在意識には、無意識の否定となってインプットされるこの事実に気付かねばなりません。保留癖とは、無意識の否定になるという事を覚え続けていて下さい。
こう言う訳で、人類の覚醒は遅々としているのです。
コピーレター用トークプログラムで詳細に解説しています。難しく考える事は有りません。
「為に成る事はハートが引き寄せている。出会いには総て責任が生じている。人間は成長するより他に道はない。
私は自分を許し愛する。」等、・・・これらの言葉が落とし込まれて自動化していたら、成長は自動的なのです。
起点・原点は本当に易しいのです。
起点原点と言える言葉の裏打ち・裏付けをしっかりと集めましょう。

 

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