潜在能力感知開発トレーニングへの招待

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                            (招待シリーズ講演会資料)

 

        セミナー及び潜在能力感知開発プログラム関連テープ469本分

        推薦する本の朗読及び解説付き朗読テープ157本分

        計626本分 (2倍速テープは2本で計算。H15年6月現在)

        今後引続き、300本程度作成予定。

 

 潜在能力の開発を希望するに当って心得て置く事、前もって知って置きたい事をプログラム中のエッセンスと共に、招待編としてトピック的に当シリーズに纏(マト)めました。

 当シリーズは、これだけても知って得する内容になっていますが、特に本編に入った時に、原理原則の修得・及び自己変容の効率を大幅に上げるでしょう。また、平易詳細且つ多数に作成されたプログラムの概略を掴むのに役立ちます。(但し、50分の1)

 

 混迷する世の中と人間の意識に何等かの真実の光がもたらされねばなりません。万物の霊長たる人間が、何故この様に苦しみ迷走し続けるのでしょうか。大切な事は、まず「真実を知る事」であります。特に、人間、否、自分自身の意識のメカニズムを知る事です。潜在意識の仕組み(メカニズム)を知らないでいては、自分の考えと感情が裏腹、

行動はもっと裏腹。自己コントロールしているつもりが、抑圧と我慢を生み出すだけ。殆どの人は、良かれと考えてやる事が、結果的に悉(コトゴト)く不毛に終ってしまいます。今までの自分の人生を振り返るか、周囲を見回して見ましょう。何故こんな事になっているのでしょうか。(賢者は歴史に学ぶ。・・・小さな本当を見出し認める。)

 「人の話は聞かずとも、自分のやり方でやる!」・・・それも結構ではあります。しかし、何か疑問を感じられた時、人生の何処かに自己修正の必要を感じた時、また人生の幸せや成功には何かのコツ・法則の様なモノが在るのでは?と感じた時、それはチャンスの時です。その様な方の為にこのシリーズを提供致します。

 

 当シリーズでは、特に「感じ方」という、誰でも分りそうな、しかしよく見ると考えた事もない、この概念を深く掘り下げ、顛倒夢想・幸せ回避症という、弱者が成功と幸せ、又は真理探求に於て避けては通れない、否、無自覚なまま必ず落ちてしまうワナに付いて解説します。そして、心的態度が統合か分離か、どちらの側で感じられるかという事の重要性の認識と理解、また考えずとも瞬間ジャッジが出来る様になる「無意識的有能」という意識段階の概念を解説します。これらが理解され、「立ち向かう」という資質造りに挑戦するならば、後は芋づるの様に理解が進み、反復によって強者の資質が形成される事になります。

 知識と智慧・・・知識は「する事=do」に属し、智慧は「在る事=be」に属します。何を「する」より如何「在る」か。前向きタイプの人でも、弱者は「在る事」の意義を知らないまま、「する事」に務めようとするので、失敗か不毛に必ず至るのです。この概念の欠落が、従来の精神的指導者をして、多くの学徒や信者を取り零(コボ)させる一大要因となっていたのです。

 如何したら成功するか幸せになるかを問う前に、何故成功出来ないでいるのか、に付いて探求して見ましょう。そこには人の幸せを自ら妨げる、全く感じもしなかった無意識に働いている小さなブレーキが、平均的な人で2〜300個隠れている事が見出されます。当シリーズを2〜30回以上反復されるならば、その無意識なブレーキを10個程度は発見出来ますから、取外す必要性の気付き(感じ方)に成功するでしょう。

 

 建設的な事は意識して肯定しないと、考えないでいるだけで「感じ方」は自動的に否定に入ってしまい、それは無意識のまま自分自身に悪作用を展開して来ます。考えないと言う事は、否定性を受入れている事になっているのです!否定性は意識する必要が在りません(勝手に身に付く)が、肯定性は意識しないと取入れられません。無関心でいるだけで、人はどんどん、否定人間・マイナス思考人間に自動的に成れるのです。当シリーズの呼びかけ以外にも、周囲で起こり来る建設的な呼びかけに無反応でいる事は、即ち、建設性を否定している事になっているのです。(例・・・当シリーズのテーマを自ら求めていなかったなら、それはこのテーマを無意識が否定しているのです。否定するなら意識して否定する事です。)無意識のままでいる危険性を知りましょう。

  テーマ

@このままでいいのか      − 「今」を喜びに満ちて生きる為に −

A愛に満ちて生きる        − 私たちは愛を知っているのだろうか −

B現状打破                − 今の悶々をいつまで続けるのか −

C爽やかに生きる          − 外からの喜びと内から湧く喜び −

D夢を手に入れる          − 成功、それは潜在意識に任せられれば自動的 −

E意識改革・自己革命      − 自分を変える方法を探している人へ −

Fハートの声を聞く        − 「自分」って何だろう? −

G感じ方の責任            − 不本意人生、問題発生の起点にメスを入れよう −

H知っていますか          − 何故、自分の能力は開花しなかったのか −

I無為に至る道            − タオの真髄・・・そのメカニズム −

J人体エネルギーと神秘    − 真理探求途上で出会ったオマケ −

K燃望を呼び覚ませ        − 探求心の切っ掛けを創る −

L真の人間性の獲得        − したい事をする自由の秘密 −

 

          このシリーズは現在、14本のカセットテープにて提供しています。

                       潜在能力開発研究所                 はじめにに戻る

                       所長  重見幸俊

 

 

 

 

このままでいいのか   

     − 「今」を喜びに満ちて生きる為に −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待@」

 

未来・将来を考えないで暮している人達。

 考えているとしてもそれは漠然としている。

 ある潜在する恐怖が「自分の将来を考える事」にブレーキをかけている。

  考えられる・・・それは創造性に付いて建設的に、一人自ら独立して思索する能力。

 考えているつもりに成っている人達。

  やろうとしている事・・・それが成就したら如何成るのか。

  代償行為で気を逸すワナにハマっていないか。

  自己犠牲的に生きてはいないか。

 このまま行ったら如何なるのか・・・それは、失望が待っているだけ。

  人の振り見て「我が振り」・・・明日は我が身である。

 今のままでは嫌だという人の為に、このセミナー(テープ)は在る。

人生が不本意に成っているのは何故だろう。

 「無自覚に何かしてしまう」・・・それが見える様になろうと考えて見る事。

 気が付けないでいる変な「感じ方」の癖が、気が付かない処で何かを破壊している。

  無意識・・・潜在意識を知ろう。

  それは、素晴らしい世界。

  知らない・知ろうとしない・無知のまま・盲目・・・それは地獄への招待状。

 無意識・自動的に「考えられなくなっている」その心の仕組み・・・潜在する恐怖。

 「考え方」は、それを理解する者にとっては一つの技術。

  不本意人生の人の習慣となっている「考え方」の変なクセ。

 せめて、気付こうとしないクセ(見ようとしないクセ)には気付く事。

 ループにハマっている不本意人生からのブレークスルーは、自分が決める小さな勇気。

潜在している「ある恐怖」とは何か。(知ってるつもり?のワナ)

 (これを見極め、解決つけなくては、人生総てが蜃気楼の様に無駄になる。)

 それは、自らの事としては、絶対に見たくない、考えたくもない「死」。

 その恐怖故、それに繋がる前段階のステップで、無意識に躊躇してしまうのだ。

 将来をつついてしまったら、その先に出て来るのは結局「死」という薮蛇だからだ。

 この避け続けている自らの問題に解決を付けないから「生きがい」も見出せない。

 しかし、本当は死が怖いのではない。

  生を全うする事に於ける死は恐怖ではない。

  それは、宇宙からは誕生と同じ位、祝福されている事。

 「真の自分」として華開けないまま無に帰する事が真の恐怖なのだ。

 生きない(生きられていない)恐怖が、死にすり替えられてしまっている。

 何でも原因と誘因の取違え。

 「考え方の無意識の起点」に存在する「錯覚の恐怖」に騙され続けるバカバカしさ。

  それは、見つけさえすれば消える、存在しないモノ。

 自分は、何の為に死ぬか。

 人は、考え方を知らないと考える事が出来ない。

人間は、生物進化至高の存在。(生物進化最終プロセス)

 人間だけに与えられているこれからの進化は、個人的に選択が問われる。

 それは意識・・・心境という意識の十段階のステージを知ろう。

  地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天 / 声聞・縁覚・菩薩・仏

  言葉は古いがその意味は新鮮。

 六道脱出を図らない人・・・それは緩慢な自殺。

 「いい人」が、不思議と無意識に自分に自ら罰を与えている。

 この馬鹿馬鹿しい心の仕組みに気付く事が、意識改革のきっかけと成る。

  幸せ回避症・幸せ恐怖症・成功への恐怖

  自分で無意識に決めている、幸せのボーダーライン。

 顛倒夢想という、逆さまの感覚体系を理解しよう。

  意識の世界は+と−の働きが、物理次元と逆さま。

  建設的なのに嫌い、破壊的なのに好きになっている、可笑しな感じ方の自覚。

 固定観念より深い、自分に取っては「真」と成っている間違ったイメージ的結論。

何故、人生問題が解けないのか。

 複雑に見える問題も、単純な無知が幾つか絡み合っているだけ。

 それを解こうという勇気を呼び起こす事だ。

  平均200〜300個は在る顛倒夢想

  その一つ一つに、これまた錯覚の恐怖が付帯している。

 本当に理解したら消える。(やらなければ、今は楽でも結局、永遠に苦が続くだけ。)

「分かっちゃいるけど出来ない」を打ち破るのに、意志の力や頑張りは要らない。

 頭の理解と潜在意識の理解の違いを知る事。

 解って尚繰り返す。

 マイナスデータに吟味させるから、プラス情報を退ける。

 プラス情報(正しい心構え知識)には反論しないで、ただ耳を傾け続ける。

  (それを正しいと認知するか否かは、伝える人の実存をハートで読む事だ。

   真実を取り零すのは、その人の直観の鈍さ、不誠実な生き方の履歴がそうさせる

   のである。)

 そうすると脳に新しい認識領域(感じ方)が生まれる。

 人間の潜在的可能性を信じ、素直な憧憬を持って見よう。

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愛に満ちて生きる

    − 私たちは愛を知っているのだろうか −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待A」

 

自分にとって、破壊的なモノを好きになるという不思議な現象。

 この仕組みに支配されている事実に気が付かなければ、相手を取り替えても同じ。

  愛をくれない人だからこそ「好き」になってしまうタイプ。

  或いは、見せかけの「愛」に騙されてしまうタイプ。

 何故、一時はときめいた、あの「愛」は無くなってしまうのか。

 それは、愛だと思っているそれは、真実の愛ではないからだ。

我々が、いわゆる「愛」と呼んでいるモノ。

 それは「のぼせ」。(男は貪り。)

 何故なら、早い人で3ヵ月、遅い人で3年も経てば、ときめきは消えている。

  恋という病を、普通、恋人である男性が完璧に治療する。

  男性は、自分の生き方の履歴を女性に注ぎ込む。

 真実の愛は永遠。

 愛を注がれ続けて女性は天使になる。

一言では定義づけられない「愛」の本質。(感知プログラム16章より)

 愛とは、神や神以外の総てのものとの「結びつき」の経験である。バーバラ・ブレナン

 愛は、統合を向いている存在の質(個人に於ては実存の質)から流れ出るモノである。

                        心的態度の向き(心のベクトル)

  統合←←←←←←←←←←←←←←←←・→→→→→→→→→→→→→→分離

         愛(楽)←安心←結びつき←統合・分離→孤立→不安→実際の苦

         (一体感)                     (恐怖→一切のネガティブな感情)

 梵我一如      法則に対する                       より処が    失望絶望

 神人合一   絶対の信頼                         無い状態   孤独感

永遠の生命                                                                死

                          ・ 安 定 ・ 不安定 ・

                        陽転思考              マイナス思考

                  感謝の心                     不平不足の心

          準備・立ち向かう                    貪り・逃避

        (抵抗)登りの道(→引き戻し)← →(代償行為)下りの道

         苦を乗り越えて楽に至る道      ・   楽を求めて苦に陥る道

   真実を知ろうとする心                     言い訳と責任転嫁を求める心

 肯定・イエスの世界                                     否定・ノーの世界

         共感  ← オープンな心      ・   閉じた心 →  非共感

                与える・手放す                  握り締める・奪う

    有意識    受容  ←認める    ・ 認めん→  非受容  無意識

                        長所が見える    ・  ケチを探す

         祝福する ←分かち合う               良い事が伝えられない→ 嫉妬

                許す・許せる      ← ・ →    許さない・許せない

          建設的  協調       ←  ・  →         闘争  破壊的

   自己実現 ← 真実に生きる世界    ・  虚構世界を造り閉じ込められる

                 自由    解放 ←    ・ → 呪縛      奴隷・ゾンビ

 

        ←エネルギーを差止めない方向    ・ 自らエネルギーを差止める方向→

 創造 ・・・・→ → →  →

エネルギー・・・→→→ → →  →   →    →             エネルギー

 ∞ ・・・・→→ → → →  →   →    →     →       

(無限大)・・・→→→ → →  →   →    →               (ゼロ)

        ・・・・→ → →  →

           智慧  光明  少 ← 顛倒夢想 → 多  無明(闇) 無知

                    100個   200個   300個    400個    500個

           知ろうとする ← 自分に付いての真実 → 知ろうとしない

                有難いと思う  ← ためになる話 →  責められると感じる

                 意欲が湧く   ← 問題障害 →   意欲は喪失

        活気有る生命力     少 ← タナトス → 多    破壊衝動・死の衝動

  無自我      必要を満たす  少 ← 自我 → 多  欲望を追う    エゴ

                           多  ← 徳 →  少

   11章で述べた持った方がいい資質 ←・→ 11章で述べた持たない方がいい資質

        気付くと育ち深まるモノ  ←・→  気付くと消えて行くモノ

 高 ←時間に対する垂直の次元               (気付かなければ増える)

女性は愛されて愛す事が出来る様になり、男性は愛してこそ愛される様になる。

 「好き」である事と「愛せる」事は、次元が異なる。

 愛は智慧を伴ったパワー、統合を向いた実存の質から出る波動である。

 真の愛は必ずしも対象を必要としない。(自ら喜びが湧き、寂しくならない。)

 だだ「受取ってくれて有難う」のギブ&ギブ、見返りを願わないアガペーの世界。

 愛「する」のではなく、その人の実存の質そのものが、愛に「なっている」のだ。

 男性が愛せる様に(愛に)なるには、2,0000時間程度はトレーニングが必要。

 統合方向のカテゴリーの質が、自然体で修得・・・つまり無意識的有能である事。

 愛がセックスに表現される時、やがて女性にマルチオーガズムが起こる。

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現状打破

    − 今の悶々をいつまで続けるのか −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待B」

 

悶々・ストレス・抑圧・不自由等に麻痺して、それが自分には当たり前になっている。

 自由になりたいと人は思う。

 しかし、何からどの様に自由になりたいのかを考えてはいない。

 考える前に、それは出来ない事だと思ってしまい、また、そう決めている。

 大体、自由とは何か知らないし、考えようとしていない事に気付いてもいない。

 幸福になれる話等信じ難いと感じ、何かが差し迫らないと腰が上がらない。

 何故、アメ(希望・幸福)では動けず、ムチ打たれないと駄目なのか。

 「これぞ!」と飛びついて握り締める時は、たいてい偽物・インチキ・紛い物。

向上心を失い、「これでいい」としてしまう奴隷根性が出来る訳。

 自由になりたいと人は言う。

 しかし、その自由になる責任を引受けようとはしない。(自己矛盾に気付いていない)

 もし、無限の夏休みが与えられたとしたら、多くの人は何をして良いか分からない。

 そこで、その様な自分を「拘束はするがその代価を払ってくれる人」を求めてしまう。

 創造的にそこに参加出来ていない限り、必ずそれは抑圧を生み、不平不足の種になる。

 自由を行使しているつもりの娯楽さえ、既にこのパターンにハマっているではないか。

  例 人はテレビに拘束され楽しみを与えられている・・・が、だんだん惨めになる。

 そして、人生の凡ゆる分野に、このパターンが顕われる。

  (既に顕われているが、見ないようにしているから知覚出来ないだけ。)

 「何とかして責任から逃れたい、責任は苦だ」という間違ったイメージ的結論。

 惨めさを自分にすら隠そうとして、真実を指し示すモノから逃回る。

  言い訳と巧妙な責任転嫁のクセは、名人級となるがその結果、如何なるのか。

 自由の責任を引受ける(自分に正直に生きる)事は素晴らしい。

 創造的人生のビジョンは、自己責任を引受ける事と共に在る。

現状から脱出するには、視点を変える(新しいモノの見方を知る)必要がある。

 現状が変らないのは、モノの見方がパターン化しているからだ。

 「もう嫌だ!」と本心から自己改革を決意しない限り、転向は起こらない。

 ずるずるずるずると、悶々を引きずり、その傷を深くして行くだけ。

 「その先もっと大変になりますよ」と言っても、心では「うんにゃ、認めん」。

 しかしそれは、緩慢な自殺の道・・・それも本人の自由ではある。

 真実を真実と認められるか否かは、その人の心遣い(言動・想念)の履歴。

  皆、閻魔様を自らの内に抱えているのだ。

  マイナスの心遣いを働かせるから、プラスたる賜物を自ら弾き返し辞退してしまう。

 苦しくても何とかしようと思っていない人が87%もいる!

 多くの人は、苦しみの原因作りは大好きだからだ。

 この原理の理解が、混沌からのブレイクスルーになる。

無自覚な病気「幸せ回避症」・・・引き戻しの出現は、自分を知る要。

 皆が口を揃えて言わないと認められない、天動説人間的アタマ。

 理の理解から新しい真実が見出せるのは、地動説的人間。

 幸せ回避症とは何か、引き戻しとは如何いう現象か。

 何故、変化・変容したいのに変れないでいるのか。

  既に無自覚なまま顕現化しており、引き戻されていて、その結果が今現在なのだ。

  何処で引き戻されてしまうのか、その瞬間を知るセンスが必要。

 「分かっちゃいるけど出来ない」と感じる人が幸せ回避症に既に罹患している。

 「解ったからするし、出来る」人が、その病に冒されていない人。

 そう言う人は、きちんと自分で自分の行為を決定出来る。

「無自覚な間違い」は、それが正しいモノとして根付いており、全く感覚的に逆さま。

 故に、潜在意識が、殆ど損する方ばかりを選択し続ける。

 「感じ方は人様々」である事を感じとり、自分の井戸の蛙と比較出来る事だ。

 「わかっちゃいるけど」出来ないのは何故なのか。

 「汝の敵は汝の胸中にあり」・・・内なる敵は、決心を妨げたりするだけではない。

 それよりもっと奥深い所で、運命のカギを握る。

 皆、無自覚なまま、自らの潜在意識の何かに自動的に引き戻され続けている。

 皆見えない、貴方の知らない、貴方の中に巣喰っている、無自覚な敵。

 それは小さな「良い事・正しい事」に小さな嫌悪を感じさせる。(顛倒夢想

 為になる事にこそ、興味を失わせ、無関心になる。

その正体は何か。・・・今、それがテープトレーニングで、具体的に明らかになる。

 避けようとする処を突き進む為に、感情的な揺すぶりが発生する。

 そのままで居ようとする潜在意識は、無関心・反発心という感情を仕向けて来る。

 自分にとって必要だからこそ、いつの間にかそれを放棄してしまうというワナが在る。

 敵は、感覚の内だけであれ、真実から逃避する時、自ら造り育ててしまっている。

 引き戻しが起こって来たのはテープトレーニングで成果が出始めた証拠。

このメカニズムを知るのだ。・・・そして人生いつから本気になるのか。

 新しい感覚を切り拓く為に、最初は小さな忍耐は必要だ。

 感覚・センスが無いと、必要なモノ・大切なモノでも平気で捨てる。

 既に、捨てている事すら気付けない。

 耳に痛い話に敢えて耳を傾ける・・・聞いているだけで良いのだ。

 この話を今は避けていたとしても、必ず「必要になっている時」が来る。

 正しい処方せんを無視するのは自由。

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爽やかに生きる

    − 外からの喜びと内から湧く喜び −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待C」

 

自分に正直に生きる。

 生に必要な欲しいモノを、欲しいと正直に自分に言える素直な心。

 ハートは、本当は深い所で「本当の処」を知っている。

  やったらいい事、いけない事。

 その声を捩じ伏せるモノの正体を知る事が、自分を知る第一歩。

 代償行為や生の目的からずれた欲望で、自分を納得させようとしてる何かが在る。

 それに気付かないでいると、自分でも気が付かない自分に対する嘘・誤魔化しが発生

  し、やがてそれは無意識に虚構を作り出して行く。

 それは、誤りを益々正当化してしまう為、不幸を引き寄せる事になる。

 無意識で働いている、潜在意識の仕組みを知ろう。

 それを知らなければ、全自動不幸製造装置を自ら造ってしまう事になる。

人生の生き方の選択・・・アタマで作り出す論理の道とハートの感じる道。

 こう在るべきと信じている、実は足枷(カセ)になっている、固定観念・間違った常識。

 それを自分に押し付け、ハートを抑圧する。(但し、無意識・無自覚自動的。)

 本当の自分の声は、いけない事を言っている自分だと解釈するからだ。

 アタマは「こうしたら喜べるハズ」を元に、言語化して自らに迫る。

 そして本当の自分の声は、その下に埋没する。

 「自分が如何感じているか」も、自己の論理に合わなければ、無視する。

 それが自分の声(要求)だと信じている。

  それはインナーマザー(他者からの条件付け)かも知れないのだ。

 したい事を成就するには、智慧が必要で、そのハートの僕としてアタマを使う事だ。

 アタマがハートに従うべき処を、アタマがハートを従わせようとする。

 逆さま側からは、総てが逆さまになる。

如何様な説明も、エゴは真意を逆さまに解釈する。

  (統合方向を向いた弁証法的視点が持てないと、正確な判断は出来ない。)

 こう言えばああ言って、エゴはエゴを正当化する。

 エゴを正当化する断片的論理は、アタマで幾らでも作り出せるからだ。

  (但し、見ようとしない自己矛盾が増えて行く。)

 「逃避方向に、自分にとっての真実は無い」と言っても「自分は逃避してはいない」

  と言ってしまえば、それでおしまい。

 醒めた目が必要と教えられれば、冷めた目になる人。

 逆さまにハマっている人にとって、どちらが自分の真実の声だと見定めれば良いのか。

 自分にとっての真実を判断する絶対基準は何に、何処に置けば良いのだろうか。

その様な逆さまから、真実の方向へブレイクスルー(脱出)を図るには。

 「本当の事を知りたい」とする探求心と「何をするかより如何在るか」という視点。

  まず、それはお祭気分か深刻か。

  後ろめたさか爽やかさか。

  後ろめたさを感じる自分を無い事にしようとする時、虚構が芽吹く。

  自己犠牲的感覚の有無。(今、それが喜びか。)

 自分に正直に生きようとして立ち向かう時、原則は自ら見出されて来るモノである。

 自ら見出せる感覚を拓く・・・それが感知プログラムの目指すトレーニング。

そして、見出された原則を信頼して生きる。

 統合と分離の表を使って、自分の状態(在り方)を自己分析する。

 在るがまま・今現在の真実の自分を醒めて見る処からスタートする。

  批判も非難もしない。

  ただ、自分を知る事に務めるのだ。

 逃げ続けると智慧の扉は内から閉じ、真実が見えなくなり、苦が生起し始める。

 出来たら、これから起こり来るワナをことごとく前もって知ろうとする事だ。

苦しみは必要だから在る。

 苦しみは、生の道(宇宙秩序)からのズレを悟らせようとする存在からのメッセージ。

 神、或いは超意識からのメッセージと言っても良い。

 逃避者は「逃げている」と言われる事が嫌で、それを知らしめるモノから逃回る。

 そして、責任転嫁をしてくれる所に吸い寄せられて行く。

  そこに成長等在る筈も無く、有るのは「慰めを与えられてカモられる」だけ。

  コスモス(宇宙の秩序の理)は無く、カオス(混沌・訳分からない)が増えるだけ。

 苦しいのに苦しくない事にしている人。(それを認めるのは惨めでエゴが許さない。)

 このセミナー(テープ)は、苦しみに「もう懲りた」と思っている人の為に在る。

 懲りた・・・それは本心からか、それとも口先の、これまた逃避の為の口実か。

 人は、本当に苦しみに懲りた時、宇宙秩序(タオ・法則)に降参する。

人は、心的エネルギー(徳)を蓄えて心豊に成る。

 心の豊さから湧いて溢れて来る喜びが、真の幸福。

 幸福とは、内から湧く理由の無い喜びである。(賜物)

  現代人はこの意識状態を知らないから、外に喜びを求めようとする。

 心的エネルギーを取り崩して得られる喜びは単なる快感。(貪り)

 その快感が去った後の虚しさを消す為に、更なる快を求めて益々徳を食い潰す。

  徳が有る間は、外に喜びを求める事も出来るが、総て刹那的。

  それは、意識の成長エネルギーを消費しているだけ。

 爽やかで在り続けられる様、それを判断基準に探求し続ける処に真理が見出される。

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夢を手に入れる

    − 成功、それは潜在意識に任せられれば自動的 −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待D」

 

夢(したい事・在りたい事)を実現するにはコツが有る。

 世には、成功法則なるモノを教える教材やセミナーが多数存在するのを知ってますか。

 その通りにやれば人は成功出来る。

 しかし、既存のやり方で成功法則を教える事は、大多数の人にとっては不適。

 言っている事は分かるが、全く身に付かないし、何の変容も起こらない。

 成功法則だけに限らず、為になる話からも良書からも殆ど学べない。

 何故、そうなるのか。

 それが真実であるが故に、無意識に排除するという顛倒夢想を知らねばならない。

 無意識に組込まれている感じ方回路が、成功してしまうが故に排除してしまうのだ。

 これを知らずして、安易に幸せを求めたら、逆に叩き落とされるか何の効果もない。

成功者はどうして、成功法則が身に付いて行くのか。

 そこの資質が欠如している大多数の者には、もう一工夫、プラスαが必要だ。

  成功法則を身に付ける為の資質の形成。

  言い換えると、成功法則を身に付ける為の成功法則。

  即ち、強者の成功法則を身に付ける為の弱者の成功法則。

 既存のやり方で成功法則が身に付く人は、強者の資質を既に持っているのである。

 成功法則修得能力は、それが有る強者とその資質が形成されていない弱者に分れる。

 今のままでは嫌だ、本当に何とかしたいと思う人へ知って欲しい知識体系。

 その資質獲得の為にまずメカニズムを知る、弱者の為の成功戦略セミナー(テープ)。

まず、「感じ方」という概念を理解し、その感じ方(資質)の変容を目指せ。

 実に些細な「とある感じ方」が、成功の原因・幸せを無意識に排除している。

 それを知らなければ、するべき事を知れば知る程、動けなくなる。(知識倒れ)

 変なモノをチャンスと感じ、ババを引く事も多い。

 感じ方とは何か。

  コップ半分も有るとコップ半分しかない、の例えを何処まで理解しているか。

  ある現象に対して、「統合の側」で感じるか「分離の側」で感じるか。

  しようとしているのと出来ているのは大違い。

  したくないのにし続けていると、自分にとって偽善になってしまう。

 考え方の反復量が感じ方を導く。(それはフィードバックし更にその観念を強める。)

 成功したいと思っても、その原因の蓄積が大嫌いになっている部分を発見する。

 その為の「モノの見方」という材料を仕込むのが感知プログラムトレーニングだ。

 良い事として知らされるそれ、が成功の原因とは思えない感覚そのものから吟味する。

 今の感じ方では、自分の為になる起点を無意識に退けてしまうのだ。(幸せ回避症)

 そして、無限の潜在能力を知らず、自分は能力が無いという錯覚にハマってしまう。

統合と分離の表を頭に叩き込む。

 自分の感じ方(顛倒夢想)にダマされるな。

  それは、成功や幸福を自動的に排除してしまう不本意なプログラミング。

 顛倒夢想を放置したままの意識状態では、どんな努力も水の泡。

 潜在意識の仕組みを知らなければ、無意識のマイナスの願望がセットされてしまう。

 まず、自分の感じ方が毎瞬時、モニターされている感覚を掴む。

 強者の成功法則を応用に移すのは、心的態度が統合の方向を向いてからだ。

  ここまでは、修行・忍耐が必要だ。

 そうなるとイメージした通りに、潜在意識の方から我慢等一切無く動き出す。

 そして、漂い行く所に小さな成功が現われ、そこには我慢や深刻さ忍耐努力は無い。

自ら考えられないというワナ。

 「騙されている事自体に気が付けない」という事がある。

 「『既に現状で平気』という事がその証拠」と言われて気が付けない意識。

 この様にして、ループは二重に構成されており、昏睡状態で脱出出来ない。

 常識と言うマインドコントロール(条件付け)が潜在能力に封印を掛けている。

 「学んだ後でないと気付けない」という、恐るべきワナ。

明らかにしておきたい様々なテーマ。

 ・今のままで良いのか・自分は何を求めたら良いのか・自分の内なる能力とは

 ・何の為に生きているのか・心の成長とは如何いう事か・学びの結果如何なるのか

求めて聞く耳を持てば成功する。

 人生のサバイバルツールを持っているか。

 豊な精神ステージを築くには、様々なコツが存在する事を知る事だ。

 今まで誰も具体的に指摘しなかった人間心理の仕組の「理解法」を新発見!。

 成功を目指す人に用意されている様々な心理的ワナ・・・そのワナを乗り越えよう。

 裏を取って納得と言う、盲信ではない、自ら見出せる思考回路の獲得を目指す。

新概念は、90回以上反復されないと潜在意識に落とし込まれない。

 頭で理解する事と、潜在意識が了得する事は違う。(分っただけでは役に立たない。)

 成功に必要な資質は小さく分けると数百個、またその組み合わせ。

 その一つ一つがテープを反復するだけで身に付く。(目標は12回突破。)

 円錐螺旋型に説明が進展する感知プログラム。

 成功法則を身に付けられる資質を形成する事と、成功法則を身に付ける事。

  資質形成に1,6000時間と具体的着手に4000時間。

どんな状況であろうと人間は立上がれる。

 最悪の中からでも最善を見つけ出す真剣な生きざまが、人に勇気を与える。

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意識改革・自己革命

    − 自分を変える方法を探している人へ −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待E」

 

問題解決に対する心的態度(感じ方)は如何に?

 自分は苦から逃れようとしているか、それとも真実を知ろうとしているか。

 人生問題・人生苦から「逃れる」方法は無い。

 真実を知ろうとする処に、苦の原因を見出す事が出来る。

  人生問題・人生苦は、既に結果であり、原因を見もせず結果を変える事は出来ない。

 この認識が、問題解決を通じて心の成長を図る方向付けとなる。

  「如何したら今の問題を消せるだろうか」と考えている人。→(逃げ出したい気持)

  それとも「何故こういう事になっているのか」と考える人。→(立ち向かう気持)

 どう考えるか、向う先は180度異なっており、一方は地獄、一方は天国。

 心的態度が、前者は分離の方向を向いており、後者は統合を向いている。

 前者の心的態度は、マイナスの連想を繰り返し、問題解決の混迷を深めるばかり。

  後者は必ず解決を見出し始めるが、前者は解決を見出す事は出来ない。

  前者は問題の根本解決等望んではおらず、目先の不快を除ける慰めを求めてるだけ。

  よく見ると苦の原因作りは大好きで、真の原因を教える忠告には一切耳を貸さない。

 一時的に解決に見えた事でも、問題や苦は形を変えて、再び同じ原因でやって来る。

  同じ原因・・・パターン化したモノの見方・考え方・感じ方・反応の仕方。

真の原因を探ろうとせずに、逃げ出したい方向に意識が働いている自分を知る事。

 見なければならない見ようとしないモノから、どんどん遠く離れて行く事になる。

 盲目のまま安易なアドバイスで問題に向っても、それは巧妙な逃避になる。

  本当に解決したい・解決しようという意志・決断が有るか。

  それとも新たな慰めと逃避出来る可能性を無意識に求めて、探りを入れてるだけか。

 まず、理(因果)を知り、それを理解しようと務める事が真に立ち向かう事になる。

意識次元は、物理次元と+−が逆さまに働く事を理解しよう。

 無意識の集合的な進化は、人間(ステージ)で打ち止め。

 動物は、物理次元の法則に従うだけで良い。

 人間は動物には無い、意識の世界が有り精神作用が有る。

 この意識次元は、+−の力の働きが逆さまであるにも拘らず、無意識のままの人(こ

  の理に目覚めの無い人)は、意識の世界に物理次元の法則を適用しようとする。

 例えて海の中の生き物が、そのままのスタイルで陸で生活しようとする様なモノ。

 故に、望む結果とは裏腹に、不本意な事が起こってしまうのだ。

 良いと思ってしているのに、結果は次々と暗転して行き、人生がジリ貧になる。

 逆さまに見える方向に進む事で、意識の進化・成長が起こる。

 それは、存在から個々に問われている事だ。

 それに気付くか如何か。

 人間は、動物でもあり、動物には無い意識も持っている。

 従って、様々起こり来る問題に対して、瞬時瞬時に意識次元と物理次元の法則を使い

  分けなければ成らないのだ。

物理次元と意識次元の法則の性質の違い。

 物理次元

  +と+、−と−つまり同極は反発し合い、+と−つまり異極同士は引き合う。

  出せば減り、取れば増える。

  苦に感じる所から逃げ出し、楽を求めなければならない。

   (さもないと生命が保てない。)

 意識次元

  +と+、−と−つまり同極同士が引き合い、+と−つまり異極同士は反発する。

  出せば増え、取れば失う。

   プラスデータ・・・・愛・智慧・勇気・慈悲・思いやり・心配り etc.

   マイナスデータ・・・怒り・嫉妬・恐怖・不安・心配・意地悪・悪意 etc.

  苦に感じる処・方向に向い、楽は賜物と心得てその準備をしていなければ成らない。

   (楽に直接アプローチしようとすると失う。)

そして、統合と分離のどちらの感じ方が、自分は「好き」になっているだろうか。

 顛倒夢想という概念を知り、自分を観察出来る様になろう。

 顛倒夢想・・・「建設的なのに嫌い、破壊的なのに好き」となっている感覚体系。

  (宇宙から見て建設的か破壊的かという、法律・道徳・宗教の範疇を超えた見地。)

 それは、自分の為にならないモノが好きになっていて、それを無意識に引き寄せる。

 目を見開いて良く見れば、全く可笑しな自己矛盾。(心眼を開こう!)

 無自覚だが、そんな変なモノが通常2〜300個、人によっては4〜500個は在る。

 この瞬間を見破り、醒めた目を持つ事をトレーニングするのが感知プログラム。

この理が理解出来れば人生すっきり。

 自分にとって、目の前に展開して来る様々な事象を、より高い価値の方向へ法則を応  用し続けるのだ。

 そうすると、人生そのものが祝福と成る。

  困難・・・有っていいじゃないか。(難有り、即ち有難し。)

  生きて良し、死して良し。今は誠を尽くすのみ。

 法則を知って生きる・・・何とも言えない、生かされている喜び!

 内から溢れる喜びが感謝。

 その喜びの表明、感謝の表明が祈り。

 やがて、涅槃・彼岸に渡る・天の王国・無為等と呼ばれている心境が成就する。

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ハートの声を聞く

    − 「自分」って何だろう? −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待F」

 

「自分とは何か」と問われてどう答えますか。

 今の自分の外面的な「何がしか」は答えられるだろう。

 しかしそれは、自分の本心が「納得」する答えだろうか。

 今答えた「それ」が、他に二人といない自分なのか・・・何かその表明に不満が残る。

 十分答えられない処の「何かの部分」の自分は何者か。

  何故、自分はそうし、そう考えるのか。

  自分は、何故存在し、何を求めているのか。

  自分は、何処から来て何処へ行こうとしているのか。

  自分の統一意志は無く、様々な想いや欲望が葛藤し合って何かバラバラ。

 自分とは一体何者か・・・よく見ると、自分自身の事なのに、皆自分が分らない。

何故、皆、自分自身が分らないのか。

 人間は、考えも感じも言動も、殆ど無意識に反応しているだけだからだ。

 ただ、今現在までに、状況に流され機械的(群衆は化学的)に変化して来ただけ。

  ハートは、反応ではなく、常に立ち向かう様「対応」する事を無言で要求して来る。

  そのハートの声に従って、自分で「自分を創り上げた」と言える部分が殆ど無い。

  「いいな」と感じたその瞬間の「何か」も無視し、やがてそう感じた事さえ忘れる。

 無意識反応たる己れの「考え・感じ・言動」が、その先、如何なるかを計算出来ない。

  自分が好きな様にやって、不本意なモノを次々と引き寄せる結果を招いている。

  損する言動を前もって損すると知覚出来ないし、後からも因果が理解出来ない。

 その結果、愛は消え、苦痛が発生し、人生何とか代償行為で持ち堪(コタ)えているだけ。

人は、殆ど深く考える事も無く、好き嫌いで感じ反応して決断を下す。

 考えている・有意識である、と思っているそれ自体が、単にパターンに過ぎない。

 何故、自分は他者(賢者・成功者)と違ってそうしているか、を考える事は無い。

 無自覚な無意識に操られたままであるから、「分っちゃいるが出来ない」になる。

 「分っちゃいるが出来ない」は、自分が殆ど無意識である事の自己宣言だ。

 自分が分らない者は、他人も分らないが、そういう者に限って人を変えようとする。

  (自分を知る者は、自分を磨き、その魅力で人を吸引する。その技を知っている。)

 無意識は無自覚である為、普通の視点ではその存在を知覚する事すら出来ない。

 光明を得ていない殆どの人々は、形而上的には、深い昏睡(心眼が無い)状態にある。

自分を知るには、自分の無意識の思考・言動の様式を知り、ハートの声を聞く事。

 自分自身のハートの声に忠実に従い続けてこそ、人は光明を得る。

 探求に加速をかけるには、賢者の言葉・成功者の言動を参考にする事が勿論必要。

 自分のハートの声ではないモノ、ハートの声を邪魔する雑音騒音。

  条件付け・教え込み・固定観念・イメージ的結論・顛倒夢想・インナーマザー

  マインドコントロール etc.

 これは一体何モノか。

 それは、自分の考えだと思い込まされ、完全に自己同化している他人の意見。

 そして、それを知るには、他と比較出来る確固とした思索の足場が必要だ。

  考え方の技術・賢者成功者のモノの見方・考え方・感じ方

 自分の「考え・感じ・言動」の相対的な位置(凡夫と賢者の間での)を知る事だ。

  その豊富な比較材料が感知プログラムと推薦しているロングセラーの一般良書。

責任を引受けた処だけが意識化されるが、それ以外は無意識。

 自分の条件付けを知り、それを適宜脱着し、また書き換える能力が必要。

 ハートの声を聞き、それに従う。

  ハートの声は、永続する喜びか否かの「感じ」で返事をする。

  それは無言の言葉・沈黙の言語である。

   (神・超意識・タオの言語は更なるその奥、それは脈動する沈黙。)

  心的態度が分離方向を向いている時のアタマは、言い訳等で騒々しい。

  アタマは、心的態度が統合方向で在れる理由を探し続ける為のみに使うモノだ。

 その為に活用するのがアタマ(知性)であり、その時にのみ正しく考えていると言える。

 感知プログラムの反復は、条件付けや固定観念を醒めた目で監視出来るセンスを拓く。

 逃避せず、責任を引受けて立ち向かった処だけが、意識的になる。

 それ故、自分自身の積極的意志で受け止めた処が、自分と言えるモノになるのだ。

ハートの声に従い続けて、人は生命の歓喜を知る。

 総ての人間に、存在から問われているモノは、心的態度の統合方向への変容である。

  それはまた、総ての人間が望んでいる最終ニーズでもある。

 統合の方向の属性(愛)が自分の資質となり、その次元は日々益々高まって行く。

 しかし、無意識の部分に、その自動的な飛翔を邪魔しているモノが在るのだ。

 「したい」と思っている事、それはハートの必要か、それともアタマの欲望か。

 人は、後から見れば、欲しくも無かった物を欲しいと思って買ってしまう事がある。

 意識が盲目の者は、内部の意志が分裂している事にすら無自覚だからだ。

 それ(想念・言動)が正しかったか如何かは、ハートが答えを出す。

 正しい時、爽やかな喜びが発生し、間違っている時、苦が発生する。

 刹那的快感と至福・幸福の違いを感じ取るにもハートの感性が必要。

 アタマは、放っておけば、分離方向の感じ方を正当化する言い訳論理を発明するだけ。

 そんな不自然な納得を喜びとしているから、直観が狂い、感性が歪に成って行く。

 騒々しいアタマの言語を消して行くには、小さな本当を自ら見出し認める事だ。

 但し、真実を真実と認められるか如何かは、その人の為して来た履歴がモノを言う。

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感じ方の責任

    − 不本意人生、問題発生の起点にメスを入れよう −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待G」

 

余りにも当たり前で身近過ぎる故、誰も注目していない考えても見ない「感じ方」。

 「感じ方」って何だろう。

 ある事象が起こる・・・それに付いて人は様々に「何か」を感じる。

 好き、嫌い、或いはその中間。

  健康にいい事が好きな人嫌いな人。自分を向上させる事が好きな人嫌いな人。

  怠けている事が好きな人嫌いな人。

  人付き合い・読書・タバコ・歩く事・汗をかく・感謝・愛・プラス思考 〜 何万

 それは、得をもたらすか損をもたらすか。

  常識は何と言っているか、しかし真実は如何か。

 何故、人によって「好き・嫌い」に付いて、こんなにも違いが顕われるのだろう。

 自分は、何をどんな種類のモノをどんな群を、範疇を好きになっているのだろう。

 一つ一つの影響は小さいので、損する悪影響も然程(サホド)意識されない。

 しかし、それらは集って一つの傾向を示し、ひとつのカテゴリーを形成する。

 そして、それがその人の無自覚な「心的態度」となっている。

 賢い生き方を目指したいと「本当に思っている人」に知って欲しい概念と視点。

当招待シリーズの資料は、求める意識を持って読む気で読み込まないと取り零(コボ)す。

 人の感じ方というモノは実に様々・・・例えば当資料に見る例。

  @貰ったから読んでは見るが、よく分らないしどうでもいい人。(反発する人。)

  A何となく「なるほど」の理解で終って安心し、やがて忘れるだろう人。

  B何かを感じ、何度か読み返し、理解を更に深めようとする人。

  C理解は出来るので、しっかり根付かせたい・応用したいと何度も読み込む人。

  D自分の周囲の救済の為に、話せる位まで自分の技として修得に務めたい人。

 人それぞれ「そう感じる」という感じ方・・・何がこの違いを生じさせるのだろうか。

 賢者や成功者は、「それ」を如何「感じ」ているのか、知る手立ては有るだろうか。

 自分との違いは?・・・但し、求めるのも求めないのも如何「感じる」かは自由。

無意識に「得をするのに嫌い、損を招くのに好き」になっている部分に気付く。

 それはアタマの考えではなく、潜在意識のデータ、今現在の自分の実存の質である。

  「止めたいけど止められない」は「止めたくないから止められない」が本当。

 アタマの意見ではなく、自分の実存の「質」は如何なって(感じて)いるのか。

 アタマは、幾らでも「幻の善」を創り出せる。(→それは実存に染み込む様になる。)

  例・・・私は皆に1億円づつ上げたい!(悪い考えではないでしょ・)

 「間違っていない」はやがて「いい事だ」にすり替えられ、それを信じる様になる。

 そして、それが自分の質であると信じる様になる。(虚構・偽善・顛倒夢想の発生)

持っている者は与えられて益々持つ様になるが、持たない者は持っている物迄奪われる。

 +は+と引合って人生が上昇し、−は更に−を引き寄せて人生が下降する。

 −は+に反発を覚えるか無関心になる。(自分の為になるモノを自ら退ける。)

 残念なのは、持ってない事に気付いてもない故、取上げられている事に無自覚な事だ。

 「感じ方」には、無自覚だろうが、如何感じるかで大いなる損得の開きが顕われる。

 その差に付いて、その行く末に付いて、深く観察吟味した事が有るだろうか。

人は如何感じようが自由、「砂漠のダチョウ」である事も自由。

 しかし総ての人に公平な「逃れる術のない感じ方の責任」。(知らなければ怖い!)

 自覚していようがいまいが、感じ方には、総て存在から責任を取らされている。

  ある事象に対して、分離方向の感じ方が好き、統合方向の感じ方が嫌いな人。

 認めようが認めまいが、この事を自覚している人には理解されている。

  人は本来、総て自己実現すべき存在として生を受ける。

  しかし殆どの人には、そのチャンスの端さえ見えて来ないがそれは何故なのか。

  それは分離方向の「感じ方」を特権の様に、気持ち良く?フル活用しているからだ。

 多くの人にとっては、それは無意識のツケ・・・如何なっているかさえ知覚出来ない。

 自分の「感じ方」が、客観的には如何いう状態になっているか、全く認識が無いのだ。

 しかし先進的な人達はその事を知覚し始めたのだ・・・感じ方の責任が問われる時代。

 天は自ら助くる者を助く・・・当セミナー(資料・テープ)は本気で自分を助けよう

  とする方の為にのみ、その切っ掛けとして有る。

 「脱出出来るから読み込みなさい」という押し付けを受入れるのは学徒の自由意志。

 「縁無き衆生は度し難し」という親鸞の言葉から、我々はその図式を学ぼう。

存在(宇宙)から見て、自分にとって重要な事を重要と認識出来るのは才能。

 それは、立ち向かう意識・心的態度が統合を向いた処から発露してくるセンス。

  理解が深まる程、より学びの重要性が認識されて来る。(有意識)

  その反対の心的態度は、益々反対方向(無知蒙昧)に陥って行く。(無意識)

 上昇する側は自分が上昇する訳も、分離の人が堕ちて行く訳も解る。

 しかし堕ちる側からは統合の人が何故上昇し、何故自分が堕ちて行くのかも分らない。

 自分を幸福に導く重要な事を重要と認識出来ない、分離方向を向いた意識。

 チャンスは目の前に在る、それを見過ごしているのは自分、と言われてピンと来ない。

「する」と「在る」・・・心美人には大勢人が集るが、心ブスからは皆が逃げ出す。

 何を「する」より、如何「在る」か。(在る=感じ方(どの様な心遣いか))

 感じ方が、逆さま(心ブス=分離方向の実存)のままでは、何をしてもダメ。

 キスしようと「すればする」程、男(チャンスや幸福)を自ら追出しているのだ。

 それよりも、心美人(統合方向の実存)で「在れ」ば、勝手に良いモノが寄る。

 心的態度が分離を向いたままの「感じ方」では、とにかく、如何にもならないのだ。

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知っていますか

    − 何故、自分の能力は開花しなかったのか −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待H」

 

悪意を含んだマインドコントロール・洗脳等は、人事ではない。

 間違った事・偏った情報が、公に繰返され、心に植え付けらる。(サブリミナル効果)

 3%以上脳細胞を使わない様、間違った手法で教育される。(悪い条件付け)

 そして、皆、アタマの中は群衆化して、多重人格的神経症に陥り、自分はいない。

 人間本来の姿からは掛け離れた、低いステージの「平均人間」に洗脳されているのだ。

 皆同じで分らない・・・「人のフリ見て我がフリ直す」の真意を知っているか。

間違いを間違いと気付かない意識(閉じた意識・分離方向を向いた心・盲目無明)。

 最初に認識した「それ」が本当だと了解して、その先が見通せない意識。

 ヒヨコの「擦り込み」と同じ事が、人間には概念修得に於て何千何万と起こる。

 ブロックが掛けられた意識、固定観念は、ピンと来ない処を無視し続ける。

 人の可能性は無限大と言われて、自分の無限の可能性が見出せない処に・・・。

そして平均的民衆は、成功を恐れる無意識の心理に支配されている。

 考えてもみなかった人間心理の不思議な現象(幸せ回避・成功回避)。

 皆自覚してないが、そのワナにハマって、気付かない内に自動的に引き戻されている。

 皆、それぞれのステージで全員そうなっている。(人は無限に成長して行くモノだ。)

 これを認識自覚させ、自由へと解き放つのが「潜在能力感知開発プログラム」。

多くの人が、退屈・孤独・寂しさ・病・痛み・四苦八苦に嘆いている。

 そう成る前に、何故、求めなかったのか。

 更にその前に、そういう事に付いて何故考えても見なかったのか。

 絶望と言う絶壁に追い詰められ、最期に突き落とされる。

 どうしてそうなるのか解らない。(考え方の技術が無意識的無能。)

こうして、人間の無限と言われる潜在能力は封印される。

 働き蜂(の本来の能力)は、全て女王蜂になれる筈だった。

 精神環境の類代遺伝・・・封印された潜在能力の証拠を何処に見るか。

  性格が変えられないと思い込んでいる人・自分で自分が分からない人

  自分の性格はこんなもんだと決め付けて、変化に抵抗を示す人 etc.

 自分では、それが解ける迄(誰かに解いてもらう迄)分からない。

 1500時間のトレーニングで見えない世界(何が見えなかったか)が見えて来る。

エスタブリッシュメント(支配者)は、自分の労働部分を民衆の意識に注ぎ込む。

 個人は社会という巨大な機械の一歯車、己れのアイデンティティーは抹殺されて行く。

 人々から利を吸上げる、巨大な仕組みが出来上がっている。

 「自ら気付く」為の材料が無いと、自らは永遠に、本当の自分に気付けない。

考えない様にさせられている仕組みを見抜け!

 成功者の話や良き宗教的話を聴いて「ハッ!」が無い人は、精神的滅亡を辿る。

 何故、自分の本当の目標(天命)が見つからないのか。

 自らを考えない様、偽の目標・すり替えられた目標が与えられる。

 それはよく見ると、他人の願望を叶えるものだ。

  家を売りたい・車を売りたい・○○を売らせたい。

 日々が、充実感に満たされているか、それは最期まで、保証されたものか。

 意味の無い事・価値の低い事に邁進させられているのではないか。

 それは200年後から見てどれほどの価値が有るのか。

学びは苦痛だ、と思っている人は見えない支配に見事にハマっている。

 学校で為される行為の隠れた意図に、人々に「勉強は嫌だ」と思い込ませる事がある。

 しかし、真の学びほど楽しいモノはない。

 真の学びは、凡ゆる面でどんどん自由になって行くからだ。

 そして、こんなに楽な自己改造法はない。

50年先から今を見る力。

 医学はどうなっているか。人々の意識は。 環境は。 経済は。

 人間の能力開発法は。(自分にはどんな潜在能力が内在しているのか。)

 41世紀の人間の意識を知る事が出来る。

「分からないからいいよ」で、立派なキリギリス人生が待っている。

 「アリとキリギリス」の話も、皆解っているつもり・・・現代に応用したその真意は?

 これからは、苦しみを抱える人がもっと増える。

 人々は凡ゆる面で上下、二分されて来るのだ。

 正しい準備をしたかしないか・・・中間は無くなり、その度合いは現代より強くなる。

 「今いいよ」という人にも、嫌でもそのステージは必ず来るのだ。

 せめて、周りを見て歴史的に無かった「不自然の出現」に気付き始めているだろうか。

運命の秘密を解き明かせ。

 肉体を持っての意識活動に関する因果関係・・・帰納的にそして演繹的に科学せよ。

 考え方の技術(陽転思考による弁証法的モノの見方)は科学される。

 心に描いた事は、潜在意識に受け渡される(信じる・感じる)と、現実化する。

 逆さまに働く意識のメカニズムを理解し、そのコツを修得しよう。

マイナスの願望を押し潰せ。(無意識だった自分のパターンに自ら光を当てる。)

 無自覚に働いていた人間心理の仕組みを知って、引き戻しと抵抗を乗り越える。

 錯覚の苦・・・これが、成功者の試練と言われるモノだ。

 1500時間のトレーニングで、自分の人生のスタートラインに立てる。徘徊脱出。

 感知プログラムは、人生の実存的疑問に「自ら答えられる」様に応える。

 そして、人生の遅れ20年を3年で40年の遅れを5年で取り戻し、追い越す。

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無為に至る道

    − タオの真髄・・・そのメカニズム −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待I」

 

無為とは何か。

 老子の説いた無為・・・何も為さない事を為す→自然体で事が自動的に成就する。

 努力を超越した無努力、勝手に良き事が自然発生し続ける人生。

 生き方が自然に調和、宇宙秩序に同調した人生・・・自然界は総て無為だ。

 それは、人間の辿り着く最高の境地を語る一側面。

 早い話が、したい事をしていたら、総てが巧く(充足・満足)行くと言うのだ。

 分離の人は、したい事をしていたら不健康になり、人間関係は悪くなり、金は失う。

 何故、好きな事をしているだけで総てが巧く行く様な状態が起こると言うのだろうか。

 真の成功者の成功は無為・・・人知を超えた力が働いているのが感じられるだろうか。

人間の真理認識を阻むモノ・・・幸せ回避症・徹底理解体得して置きたい、顛倒夢想

 逆さまに働く意識のメカニズムを徹底理解する事。

 おかしな感じ方・・・200〜300は在る、小さなブレーキへの気付き。

  その一つ一つは怖い絵の書いてある障子の様なモノ(2〜300枚在るだけ)。

  それは、単なる思い込みや無知に起因するモノで、実態は何も無い。

  しかし、その一つ(記憶)を書き換えるのに数時間から数十時間掛かる。

  その幾つもの組合せによって解けるモノは、数百から数千時間必要。

 抵抗と引き戻しに対する正しい認識・・・それをそうと知る知識を持とう。

 そうでないと、不本意なモノを自ら引き寄せ、チャンスを自ら退けてしまうのだ。

 動物プログラムは無意識で動いているが、人間プログラムは目覚めないと動かせない。

 顕在意識での納得と潜在意識の納得の違い。(現代の学校生活で身に付ける悪習慣。)

人間の認識の4段階。

 自分の様々な事象に於ける能力及び感じ方の段階が、瞬時に理解出来る様になろう。

  @無意識的無能・・・知らないし、知らないという事自体を知らない。

  A意識的無能・・・・分っちゃいるけど出来ない。

  B意識的有能・・・・分ったから出来る。

  C無意識的有能・・・考えなくても自動的に出来る。

 特に大切なのは感じ方・・・統合と分離の表に於ける感じ方の段階の理解だ。

 今までのプリントの概念の理解にも当てはめて見よう。

  自分の「その感じ方」の相対的な位置の理解。→賢者と凡夫の間で自分は何処か。

  その感じ方のもたらす作用の効果・結果。→何が身に付くか・出来る様になるか。

  その感じ方に付いて、今後、如何在りたいか。→そのままでいいのか。

 皆、考えた事も無いから無自覚でいて平気なのだ。(無知は怖い。)

 損するのに平気なのは、そこが無意識・目覚めが無いからだ。

 宇宙的見地からは、生の目的からズレた処が罪(マイナスデータ・生の負債)になる。

生の目的に沿っている(タオである)時、その生き方そのものが生の貯蓄(徳)になる。

 成功者の「した」事ばかり見ていると、自分には合わなくなるし出来なくなる。

 これが頑張ってはいるが、心的態度が分離方向を向いている人の視点のズレである。

 成功者が何かを「する」に当って感じている「感じ方」を見て、それを真似するのだ。

 それには、どの様にしたら「そう感じられるか」に付いて探求する意識を持つ事だ。

 出来ない処は何でも、本当に出来ないのではなく、真の理解が足らないだけなのだ。

道徳・倫理・巷の宗教等で、感性の乏しい多くの人は表面的な「お行儀」を覚えるだけ。

 意識のメカニズムに沿った形で変容を得ないと、内側の質は殆ど何も変化しない。

 どうしても、如何「在るか」より、何を「するか」に焦点が当てられてしまう。

  そして世の常ではあるが、「した」事のみを以て評価される仕組みになっている。

 「○○しなければならない」を習って頑張り、その努力は抑圧を生み出しているだけ。

 返って、アタマの論理にハートが捩じ伏せられる。(学ぶ人の顛倒夢想。)

 「こうしたら救われる」という断定されるコトバに、縋(スガ)り付いているだけ。

 良き感じ方は、無意識にまで昇華しなければ本物ではない。

 感謝しているという言葉の表明の意図は、人に賞められたいからになっていたりする。

何も為さない(画策する事をしない)で済む様に成る為に成す事。

 それは、分離方向を向いている凡ゆる感じ方の、統合方向への変容だ。

 その感じ方の一つ一つに付いて、メリット・デメリットを理解する事。

  その為の正しい知識とその理解・修得方法を知る事だ。

  説得のされ方一つで正しい事でも、逆に仕向けられてしまう結果に成るので要注意。

  聞いている人に「出来ない」と感じさせるか「それなら出来そう」と感じさせるか。

 更に、そこから展開する様々な概念に付いて、得心が行くまで因数分解し続ける事。

  総合的な理解には、一回通しの講義でも1000〜1500時間程度の説得量が必要になる。

  それを10〜20回の反復が必要。(一回で覚えられ修得出来る人は殆どいない。)

  (感知プログラムでは、12回以上聞込む事を目標にしている。)

 理解出来て(分って)尚、反復する・・・一概念90回の反復で潜在意識が納得する。

 アタマで決めただけでは、殆ど効果は出ない。

自分の感じ方が、統合の方向に属し且つ総て無意識的有能になったら如何なるか。

 真理(原則)に基付いていて、建設的な事が好きで破壊的な事が嫌いになってしまう。

 これぞ、自動成功装置・・・為す事が三方良しで、良き人とは衝突等在り得ない。

 漂い行く処に小さな成功が生じ、したい事が、皆に好まれる事であるから応援が出る。

 したい事をしていたら、健康になり、人間関係は良くなり、金は集る。

 人を幸せにして上げられる技術が欲しいと感じている人は殆どいないから大チャンス!

 愛に(無為に)成った時、神秘なパワーが生じ、自分にとって奇跡が起こる。

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人体エネルギーと神秘

    − 真理探求途上で出会ったオマケ −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待J」

 

既知なるモノ、未知なるモノ、不可知なるモノ。

 秘教には、物質に囚われた現代マインドには理解し難い、奥義と呼ばれる世界が有る。

  ヨーガ・仙道・タントラ・仏教系密教・キリスト教系秘教・黒魔術・白魔術

  神智学・スーフィー教・カバラ・カルト教の類 etc.

 そしてそれらが独自の世界観やモデルを持ち、それぞれ独特の技法を持っている。

 その詳細を当研究所が知る訳ではないが、その根底に流れるモノは人間の内なる神秘。

 それは、未知なるモノから不可知なるモノへと続く。

解明され始めた未知なるモノ・・・超能力と呼ばれていたモノの正体は右脳の五感。

 天才的能力も、超能力と呼ばれていたモノも訓練の仕方次第で開ける事が解って来た。

  シルバマインドコントロール・七田式・ブレナンヒーリングスクール etc.

 人間には、周囲やその当人さえ予測し得ない未知なる力がそれぞれ内在している。

 金儲けであっても、よく見ると常人を超えた能力を持つ人は、一種の超能力と言える。

 何か、常人には気が付き得ない「何か」を知っているか、理解しているのだ。

潜在能力開発研究所として、解明を進めている、名付けて「バプティスマエナジー」。

 「火と聖霊の力」で洗礼を行なったイエス。(イニシエーションとその形骸化。)

 密教で阿闍梨(アジャリ)から受ける秘密潅頂(カンジョウ)。

 「布施の極限は三輪の清浄に有り」と言われた処に起こり来るモノ。

潜在能力の探求をしている当研究所は、予測もしていなかった未知なる現象に出会った。

 それは、通常の「気」と言われるモノとは違う「何か」である様だ。

 感知プログラムで学びを進めている方々に起こり始めた神秘な現象。

  私が、研究員の方の頭頂に手を置くと、強いエネルギーが身体に流れ込む。

  自然に体の律動が生じ、背骨を反転して上昇するエネルギーが強烈なエクスタシー

  を生む。(それは通常のセックスの快感の10〜100倍と言える程。)

  数十分から数時間に及ぶ恍惚境に入ってしまい、止めない限り止まない。

  また、手足がまるで糸ででも吊られて操られているかの様に、勝手に体が動いて不

  調部分を治してしまう!(結構激しい動きである。本人の意志とは関係なく動く。)

 それが何人にも出現し始めた!・・・何なんだ!これは???

このエネルギー現象が導く内面意識の成長。(段々、解って来た事。)

 このトレーニング?を何度も続けていると、慈悲の心が急速に育ち、カルマが減る。

 修練が進むと、自分でも強烈なエクスタシー状態が導ける様になる。

 時と場所を離れて、数人でそれが共鳴する現象も起こる。

 更に、身体から自分が抜けだし、凄いビジョン?の世界にトリップしてしまう。

 どうも、これが秘教・宗教で言われる、幽体離脱という現象らしい。

 人によっては、過去生が何世にも渡って見えて来る。

 人の現世の過去や前生までが見えるという人も出て来た。

 そこから解る事は、今、生きている意味と理由が、完全に「明らかになる」のだ。

 またアストラル次元に導くと、自分の無限の可能性が直接体験出来て大変素晴らしい。

  顕在意識で感じている感覚や記憶が数倍から数十倍に開く。(天才の感覚が解る!)

  全く未知なる感覚が体験出来る。無重力感・味・スポーツ感覚・音感 etc.

 人の持つ波動やオーラが正確に感じられ、読める様になる。

 この能力は、人間関係改善・構築に大変役に立つ。

その前に、この現象を科学する。(といっても文献資料調べと観察結果に過ぎないが。)

 まず伝承的な過去の事例の、不思議な何かを教えていた「何か」が理解されて来た。

 強烈なエクスタシーは、タントラで言うマハムドラー、ヨガや秘教で言われる円環。

  それは、内なる男女が融合するという現象。

  或いは、そのエネルギーを宇宙(実在・神)からのモノと捉らえると神人合一現象。

  荘子の言った「総てのモノと春を為す」と表現された現象。

  日本では20年も30年も苦行や荒行を重ねて、やっと到達するかしないかのモノ。

 また、糸で操られるかの様な不思議な動きは、ラティハン、日本ではカツゲン運動。

  素質によって数割の人に、比較的簡単に起こるらしい。

 アストラル次元に誘導して見るビジョンは右脳が全開している状態。

  自覚夢・夢見のヨーガ等に関連している。

 過去を知る能力は、アーカシックレコードに接続するのか、パラレルワールドか。

 時と場所を離れて共鳴するのは、モルフォジェネティックフィールドを伝わるのか。

当研究所では、テクノストレス研究所も併設しており、真の健康と身体内の浄化法を探求し続けている。

(当然感知プログラムは、エゴ=心の浄化になっている。)

 エゴを離れ、身体を浄化すると軽くなって、肉体以上のモノが飛翔する。

 世界各地に存在する秘教の技法も、結局は、心身の徹底的な浄化に秘密が有る様だ。

特に、授かる者の条件としては、第四と第一のチャクラが開く必要が有る。

 それ以前ではバプティテスマエナジーも安心・平安・一体感・暖かさ等の感覚に留る。

 そして自家発電を含むそのエネルギーは、他のチャクラを開発する原動力にも出来る。

 しかしそれだけでは、不用な波動まで受取る危険が有るので智慧の確立が絶対必要。

 敏感な霊感体質になるので、邪気を防御・ブロック出来る力の養成が必要になる。

授ける者は、心的態度が完全に統合方向を向く必要が有る。そうでないと本物は出ない。

 自分の実存の履歴を相手に注ぎ込む事になるので、エゴが存在していては危険である。

 ボーディサットヴァの心を発現させた上で使わないモノは似て非なる偽物。(要注意)

 愛の本質を修得しない者は、おかしな気(邪気やエゴ)を注ぎ込む事になる。

 「布施の極限は三輪の清浄に有り」を現代に復活させる事が出来た。(賜物です!)

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熱望を呼び覚ませ

    − 探求心の切っ掛けを創る −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待K」

 

若者は、野心を燃やせ。(まずはエネルギーだ!)

 「出来る」の前に「〜したい」という意識(素直な憧憬)を掻き立てよう。

 現代日本において、自己表現出来る最大の場は、ビジネスの場。(竹田陽一氏)

 本当に良い事はビジネス(実業)化しなければならない。(それを通して自己実現。)

 「しなければならない」仕事に付加価値を見出し、「したくてしている」にする。

 「付加価値を見出す」とは、真我の高い目的を知り、仕事をその手段にする事。

成功者を見て、悔しくないか。(マイナスの感情は、エネルギーに出来る。)

 ヤケくその心(嫉みの心・開き直り・自暴自棄等も)を「なにくそ!」に変える。

 「なにくそ!」とは即ち、燃える様な向上心(反骨精神)だ。

 「なにくそ!」の全くないプータロー・・・闘う前から負け犬になっている。

 成功に縁が生じないのは、法則・原則・真理の存在を知らなかったからだ。

 「経営の成功プログラム」を知っているか。(竹田氏のランチェスター経営戦略等)

世の中は、二分して行く。

  ☆宇宙的見地から、正しく頑張る人間と、そうでない人間。

  ☆法則・原則が観える人間と、そうでない人間(盲目意識)。

  ☆自分を使いこなす人間と、持て余す人間。

  ☆心身共に健康な人間と、病魔に苛まされる人間。

  ☆真実を知る人間と、まがいモノに惑わされる人間。

  ☆時代を見極める人間と、時代に飲み込まれる人間。

 前者は成功者として自己実現の道を歩み、後者は失望・絶望という絶壁に辿り着く。

 法則・原則を知るか知らないかが、総てを分けて行く。

 考えない人間は、世の仕組みの中で無自覚なまま、精神的奴隷を強いられる。

 成功法則と言うモノが有るよ、と言われてピンと来ない人。

 自分が分らない人は、既にそのワナに浸食が完成されつつあるのだ。

 自由人・真の成功者は、自分が何者かをちゃんと知っている。

願望は成就する。(想い描いた事・感じた事は成就する・・・これは大変危険な法則。)

 巷の成功法則入門書で成功を指導するリーダーは叫んでいる。

 そしてそれは真実なのだ。(多くの人はマイナスのイメージばかり抱いている。)

 真の優先順位の感覚を開発しなければ、したかった事を成就した時、中身はカラッポ。

既存成功法則の教えの欠落点(成功者がこれからの人の指導に当って見落すポイント)。

 自己の拡大で、3/5が30/50になる。(マイナス=エゴが拡大してしまう)

 確信(感じ方)が伴わないで「出来る」だけを題目の様に唱えているだけではダメだ。

 既存成功法則では、弱者が自らどうしても見出せない心理的ワナが存在しているのだ。

 既存の成功法則をマスターするには、それ以前の資質の養成が必要なのだ。

 それが見える様になるのは、最低1500時間のトレーニング後。

感知プログラムのトレーニングでは、何故本当に「出来る」と言える様になるのか。

 成功のプロセスは我慢ではない。(目標の為に今を自己犠牲的に生きてはならない。)

 意識の仕組み(心理メカニズムの理解方法)を解明した感知プログラム。

 解って尚繰り返す、一概念90回の「間を置く反復」が、潜在能力を呼び覚ます。

エンスージアズムの力を知り、欲望を成功法則と言うレールに乗せるのだ。

 成功には完全な準備が必要だ。(分離方向の人は、すぐ結果を貪ろうとする。)

 成功に必要な準備とは、具体的に何の準備が必要なのか。→ポイントは感じ方。

 そして、売り急がない。(焦らない。しかしこれで怠惰を正当化してはならない。)

 売り急がないとは、急いで準備・段取をより完全に仕上げる事。

法則・原則・真理を見出そう。

 心の目で見る宇宙秩序・法則性・・・気が付けるかどうかが勝負だ。(心眼を拓く。)

 ゴールデンルール・・・それは、学んで見出していく世界。

求める事・憧れる事を素直に肯定しよう。(自分のハートに正直に生きよう。)

 自分の欲するモノ、凡ゆるモノをである。

 観念の壁を破り、成功法則に当てはめて設計図を描くのだ。(コツを知れば出来る。)

入口に於ては、邪心が有っても良い。(問題は、エネルギーの有無。)

 邪欲を正しい欲に置き換える必要は有るが、学びの初級者には「欲を捨てよ」は嘘。

 精神の向上欲も、物欲を通して磨く事が出来る。(この世の存在は総て神聖。)

 物欲は例えて、良くも悪くも使える火の様であり、真理に到達する起爆材に出来る。

 人間は、必要を正しく満たされなくして、欲から離れられる事は無いのだ。

 真の成功法則にのっとれば邪はアジャストされる。(責任を引受ける人は学習する。)

 そしてその願望は、良い形(必要を十分に満たす形)で成就される。

 小さくこじんまりと出来上がるな。(心の平安だけでは、本当の自由ではない。)

学びの中から、法則を見出しそれを信頼しよう。

 真の成功者や賢者と言われる人が見出す世界が存在する。

 エンスージアズム(燃える様な熱意)を発生させるのだ。

自分を発見しよう。

 超意識との交流、インスピレーションが得られる様になる。(縁覚ステージ)

 そして貴方の天命は、必ず見つかる。

有る時、高次の視点から、今まで見えなかった新しい世界が見えて来る。

 見ても観えない、聞いても聴えない人間心理(脳のクセ)の面白さ。

 1500時間で「成功者は何を知っていたか」が、おぼろげながらに分って来る。

 3000時間で「自分は何から如何着手したら良いか」が解り、出来る様になって来る。

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真の人間性の獲得

    − したい事をする自由の秘密 −

                               「潜在能力感知開発トレーニングへの招待L」

 

物理次元の生物進化      意識の垂直の次元

 と意識次元の進化                     仏         人間プログラム

                         統合↑・        菩薩

                                ・    縁覚                   無意識的有能

                                ・  声聞

                  ・・・・・・・・・・・・・・                意識的有能

                                ・ 天    人間・動物プロ

                                ・人      グラムの混在        意識的無能

        →生物進化              ・ 修羅

   動物プログラム・・・・・・・・・畜生・・・完全動物        無意識的無能

                                      餓鬼  プログラム

                         分離↓・       地獄

 動物プログラムから人間プログラムへの切替の自覚が人間の進化(成長)。

  分離方向のまま人格・お行儀(する事=do)を覚えても、それは偽善。

 「苦から逃げ出し楽を取る」から意識次元に於ては「苦に立ち向かい楽には準備する」

 人間プログラムを内に組込み、使いこなす。(己の意識を進化させない自由も有る。)

 物理次元とは逆さまに働く意識次元の法則性を体得し、応用する事。

  無意識的無能→逆さまに働く意識次元の法則性を知りもしない人。(中身は動物)

  意識的無能 →逆さまに働く意識次元の法則性・メカニズムを理解はした人。

  意識的有能 →法則を理解して立ち向かい始めた人。(人間になろうと決心した人)

  無意識的有能→立ち向かい続ける事が、既に実存の質に成っている人。

 人が真に人と成る、人間の意識進化の決定権利は、個人個人が持っている。

我々の内側で混在している、ハートの喜びとエゴの喜びを如何見分けるか。

 ハートの喜びとは、内に蓄積する徳の豊さから溢れ来るモノ。

  神性を見出す時・タオ(宇宙秩序)に沿う時・徳が溜まる時・成長を感じる時

  宇宙の進化に沿う行為。(宇宙と自分は一体。)

 エゴの喜びとは、何かの破壊の上に成立つ自己中心性の欲望の成就。

 何がエゴと成るのか。

  虚構を守る為に何かを破壊する時・成長のチャンスを逃す事・妨げる事

  生の必要を超える欲望・生の代償行為としての喜び・宇宙の進化に逆行する行為

 ハートの喜びとエゴの喜びの混在の割合と量。

  溜まり行く徳から溢れる至福か、徳を取り崩して得られる快感か。

  前者には終りが無いが、後者には終りが来る。

 フィジカル体(肉体)の喜びも、エゴが主となるかハートが主と成るかで全く異なる。

 何を「する」かより、実存の質・状態が如何「在る」か、という概念を理解する。

それは実存の因果に関する、そこに働いている「理」に意識の光を当てると見えて来る。

 意識の光を当てるとは、実存に関する因果の理を見て見つめて見極める事。

 意識の光を当てるとは、理解の焦点を当てる事。

 「何故、それがその様になるのか」と、真実を求める事。

 自分の中に「無意識に根付いている破壊性」を知ろうと務める事。

 自分にとっての真の優先順位の感覚は、この実践の中で育まれる。

 自分にとってより価値が在るモノが見出されて来る。

 意識が高まらないと、真に価値在るモノは見えて来ない。(経営の中心と同じ。)

ハートが嫌がる事とエゴが嫌がる事。

 ハートが嫌がる事は破壊性、エゴが嫌がる事は真実の光に照される事。

 エゴは、意識が低く動物的で、因果の理(本当の損得)を見通す事が出来ない。

 エゴは嫌がるがハートが喜ぶ事を推し進める処に、気付きと成長が在る。

  分離方向は無意識、統合方向は意識の光に照されて有意識。

 試練としての苦しみと悪業の清算としての苦しみ。

 「する事」が分離から統合へ変容させる訓練に成ってさえいれば、何をしても良いのだ。

人間の進化に於て、何故エゴの喜びという不条理なモノが存在しているのか。

 動物にはエゴは無い。(人はエゴ故、自分の扱いを持て余している動物。)

 エゴは魂の進化には全くメリットをもたらさないのに、何故存在する様になったのか。

 それは反物理法則である意識次元に、物理法則に準ずる動物プログラムを持込む故。

 目覚めないから、無自覚のまま逆さまに働きかけてしまう事になり、またなっている。

 エゴが発現し感じ方が逆の顛倒夢想が起こる故、嘘を真と認識する虚構が必要となる。

  エゴは虚構を真実、真実を嘘と信じ込む為の努力を自動的にする。

  エゴの側からは、その嘘(屁理屈)こそ真実だと感じその様に見ている。

  しかし、嘘は苦の原因であり、やがて苦そのものを招き寄せる。

  その苦から逃避しようとして更なる虚構を必要とする様になり、悪循環に陥る。

 意識の光が無い処にエゴが存在出来る故、エゴは意識の光を大変嫌がる。

  無知は闇、光(智慧・意識)の不在、エゴは虚構の中心故にエゴは実態の無いモノ。

  エゴを中心に生きる者は、死と共に永遠に終り・消滅。

 エゴの見ている世界がマーヤ(幻想)、ハートの観る世界が真実の世界。

最初に擦り込まれた感覚を切り替える「抵抗」がエゴの真実を嫌がる感覚の原点だ。

 それを嫌だ・好きだと感じた原点に戻って意識の光を当て、感じ直すと在り方は変る。

 その為に様々な日常事例を通して、因数分解し続けるエクササイズが現代人には必須。

 理屈を増やし過ぎた現代人には、その切替訓練が膨大になってしまうのは仕方ない事。

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