潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る
史上初、世界で初めて明かされた、弱者の為のマインドセット知識、弱者の成功戦略です。
自分の望む成功へ主体的に行動を起こせる人を強者、そう在りたいのにそう成れない人を弱者と呼びます。
弱者は、強者の成功戦略、つまり従来から提唱されている様な成功法則から学んではいけません。
弱者と強者は、取るべき戦略も、またその為に学ぶべき手法は全く異なるからです。
従来の「成功法則」とか「引き寄せの法則」を学んで来られている方にとっては、目から鱗の世界です。
潜在意識や、自分の隠れた才能を見出したいと思っている方に、きっとお役に立つ情報です。
098 抵抗と引き戻し、幸せ回避症 その2「言葉に対する感度」。
子供は皆、心身共に健やかな成長を願われています。
体の部分は誰にでも見える事ですから、如何したら健康で在れるかは巷でも何らかの方法を探す事が出来ます。
しかし心の部分は如何でしょう?
知識を沢山詰め込んだ学力でしょうか?
記憶力や計算力が有能な事でしょうか?
現代教育はそれが唯一の判定基準にされていますね。
でもそれだけでは無い事は、心ある人なら誰でも気付いている事です。
しかし心の成長は目には見えません。
だからいつも「何となく」の曖昧なままで、中々定義付けられません。
でもそんな事を言っている時代ではなくなって来ました。
それは人間力です。 →039
人間力とは、感謝力・称賛力・質問力・反復力・忍耐力・行動力・愛・慈悲・チャレンジ魂・親切心・自主性・積極性等、建設的な意味や美徳を表す言葉を意識の力にして、そこから湧き上がって来るパワーです。
そういう意識の力を育てる事が「心の成長」という事です。
ここまでなら良識人なら誰でも気付く事です。
そこでそれに付け加えて当シリーズでは、よりはっきりと定義付けをして置きます。
心の成長とは何か?
人間が生まれた時は誰でも、「苦からは逃げ出し楽は貪ろうとする」動物プログラムでした。
そしてそのままでは、物理次元の事象にも精神次元の事象にも同じ様に対応してしまいます。
すると精神次元の事象には逆さまが起こってしまい、顛倒夢想やエゴが生まれて来る事になってしまいます。
これがせっかく人間として生を受けていながら、カオスを作り出す根源になっていました。
忍耐我慢辛抱と言うスタイルを強要して、無理に何とかしようとする方法も社会全体としては矛盾や綻びが噴出して来ます。
暗中模索し、試行錯誤し続けられる強者だけがやっと何とかなる状態です。
これではダメです。
そこで一番良い方法・・・それは意識の広がりと共に、OSをインストールし直す事です。
それは意識次元から起こり来る事象は、苦楽を引き寄せる法則性が逆さまなのだから「苦には喜んで立ち向かい、楽は準備して待つ」と、無意識下で自動的に働いてくれるOSをデバイスとして組み込む事です。
この切り替わり度合いを見る事で、心の成長の度合い・意識の進化のレベルが判るというモノです。
つまり心の成長とは、動物プログラムから人間プログラムへと切り替える事です。
ここの処を、この様にはっきりと定義付けて指導している教育者はいませんね。
しかしこの様にはっきりと定義付けられれば、今自分が立っている地点がはっきりし、やり方も分かって向かう地点に迷う事無く回り道をする事無く、最短コースで実感型努力が積める様になるという事です。
そしてその方法は「お父さん塾」プログラム等で既に確立していますから、その重要性に気付かさせる事が一番のテーマに成って来ます。
それは問題意識を育てる事です。
問題意識とは、自分の事として捉える能力です。
この問題意識が強ければこそ、それは願望力や質問力・反復力等へと発展して行くからです。
しかしこの問題意識が充分育っていなければ、どんなに重要な事を重要だと言い続けても、総てが他人事に終わります。
強者とは問題意識を持っている人、弱者とは問題意識を持たない人と言ってもいいですね。
ですから真の教育とは、問題意識を育てる事です。
問題意識がその人を成長させるのです。
良きリーダーとは、人々の心に問題意識を掻き立てられる人です。
さて、貴方の問題意識は如何でしょう?
当シリーズを通して、自分自身の問題意識を高揚させて下さい。
一旦弱者として条件付けられた処から人生の立て直しを図るには、まずマインドセットの立て直しが必要です。
無自覚に根付いている「幸せ回避症」を回避する為には、感性を研ぎ澄ます訓練が必要です。
そしてその思考技術とは「言葉の使い方である」とも言えます。
言葉は力を持っています。
ですから言葉の感度を磨きましょう。
言葉を使いこなせる事こそ、思考を飛躍させられるからです。
自分の人生を年と共に幸せや成功の方向へ構築出来ない人は、概して、言葉を深く捉える能力が未熟です。
良い本を読んでもいい言葉に出会っても、その文字列が意識の表面をかするだけで終わり、瞬時に言わんとする事を深く汲み取る能力が未発達なのです。
そういう時こそ、反復して落とし込まなければならないのですが、深く読み取れないものだから、誰かに強制されでもしない限り、自発的にはその重要性にすら気付きません。
二重のワナにハマっている訳です。
(強制されたとして気付くかどうかは分りませんが。)
文字からイメージや感覚で捉えた事を記憶し、それを感じながら組み立てて行く能力が低いのです。
将棋やソロバンに段級が有る様に、言葉を深く捉える能力も人によってピンきりです。
さて、自分は言葉の有段者だと言えるでしょうか?
即ち、自分は、文字から展開するイメージが豊かだと言えるでしょうか?と言う事です。
脳細胞が樹状突起を幾つも伸ばして、他の神経細胞と複雑な神経回路を造っている処をイメージして見て下さい。
樹状突起の数は多ければ多い程いい訳です。
文章の内、一つの文のそのまた一つの句の単位で、いつでも他の関連する何かにイメージが広げられる感覚が有るでしょうか?
その文字で表現されている意味に、深く感じ入る事が出来るでしょうか?
当解説の様な文章は、その一行一行を深く読み取り、脳全体、体全体で感じ取る事が大切です。
落とし込む感覚が啓けている人と言うのは、文字列で表されているその表現から、五感で感じ取る様な感覚が発達しているのです。
それは自分で描くイメージの中にすっぽりと入れる様な感覚です。
記憶は感情が伴うと深く残りますが、感情を伴わない、或いは伴わせない単なる知識の記憶は直ぐに忘れます。
落とし込む感覚が啓けている人と言うのは、文章を感情で受け取っているのです。
それはプラスの感情であり、目だけで読んでいるのでは有りません。
また落とし込む感覚が啓いて来ると、前もって99の裏打ちになる情報を既に落とし込んでいる為、即座に他の裏打ちイメージと連結する様になるのです。
他の裏打ちイメージが大勢で一斉に手を伸ばして来るので、新情報は胴上げされた様なモノです。
他の人なら水に溺れてしまう処を、一斉にワンピースの様にゴム手が伸びて来て引き上げられる感じです。
だから落とし込みが一発で起こる様になるのです。
コツは、どれだけ言葉から強く「感じるか」と言う事です。
その感覚を発達させるのは、普段からの注意力や問題意識です。
テーマを持たずにボーッとしたまま雑用に追われて忙しくして生きていると、アタマはどんどんそのパターンで固まり付いて行くから要注意です。
何も考えず、ボーッとしているから、生活の雑用次元から抜け出せなくなるのです。
脳内コマーシャルや雑念が浮かぶ状態の事を「ボーッとしている・何も考えていない」と言うのです。
何故なら、考えるとは比較する事でしたね。 →026
そして、今の自分と、出くわした文章から教えられる事を比較して、必ず良い方を選択するのです。
記憶として強く残し、落とし込もうと思うなら、眼で見ただけの文字列を五感全体で感じる様にする事がその秘訣です。
連想記憶術などの訓練は、その感覚を培うのにとても役立ちますよ。
重要だと言われる事は、感じるまで、何かが心に響くまでその言葉を反復し、その中に入っていくのです。
ヨハネの福音書の冒頭は、次の言葉で始まります。
「始めに言葉有りき、言葉は神と共に有りき、言葉は神なりき。」・・・日本でも、言霊(コトダマ)という言葉が有ります。
言葉は力を持っているのです。
感情を伴わせて繰り返す言葉こそ、意識の力を開発する鍵なのです。
自分の言葉に力を感じる様になり始めた時、貴方は言葉の初段になったと言えます。
更に言葉の高段者を目指しましょう。
成功の秘訣は国語力です。
貴方の読書は「読み込み、読み解き、読み取るぞ」という、内から自然に湧く自発的な感じに支えられていますか?
言葉を深く読み取る能力を発達させないと、メリットが無いだけではありません。
知らないでいるだけで、とんでもないデメリットが生じて来ます。
多くの人は日常の中で様々な苦を味わっています。
その結果、自分が傷付く事には敏感になっています。
ですから、自分の欠点を指摘している様な表現に出会うと、そういう部分は直ちに色々とマイナス方向にイメージは勝手に展開し始めます。
書かれてもいない事、言われてもいない事をつい勝手に連想し、そこで表現されていた言葉に結び付けて勝手に酷く傷付くのです。
そういう人は隠微な責任転嫁が得意ですから、自分が考えなくてもいい要らない事を勝手に考えて、自分で自分を傷付けているとは全く感じません。
そして、応援の言葉が有ったり、解決方法が提示されていても、その部分にはなかなか気付きが起こりません。
だから最初は当シリーズの様な、正しいテキストによる徹底的な反復訓練が必要なのです。
例えばここに100行の文章が有ったとして、5行ほど問題点の指摘が有り、そのデメリットの解説とそれを改めたらどんなメリットが有るかという解説が90行、そして貴方も出来るという応援の言葉が5行有るとします。
大抵、モティベーションを掛けてくれる文体はその様なパターンになっています。
ところが如何でしょう。
言葉を深く捉える能力が未熟な人は、5行程の問題点の指摘を10倍に感じて50行も悪口を言われている様に感じます。針小棒大です。
しかし解説の部分や応援の部分は10分の1くらいしか汲み取れず、95行も説明されていても理解するのは9か10程度です。
実際はそれ以下かもしれません。
そして自分の内側では、マイナス50対プラス10の様な感覚で捉える事になっているのです。
日常生活の中で分離側の心遣いが多いと、愛や親切が受け取れなくなりますが、読書一つとって見てもこれと全く同じメカニズムが働いています。
この様に、分離側の心遣いは大変な事をしでかしているのですが、自己中心的な人程、幾らその説明を受けても理解が起こりません。
意味を汲み取る力・・・結局、国語力の問題です。
また傷付く事を恐れる為に、傷付く感度を下げて感覚を麻痺させる事に成功している人もいる様です。
しかしそんな事をすると、創造エネルギー自体を止める事になる為、良い事に対する感動も無くなります。
こういう色々な要素が相まって、人生を転げ落ちて行くスピードは年と共に加速が掛かる様になります。
昔、「豚もおだてりゃ木に登る」と言っていた漫画が在りましたが、応援には素直に乗ったらいいのです。
自分を愛していたらそれが素直に出来る様になるのです。
しかし、殆どの人にとってはこの「自分を愛する」というのは大変な事の様です。
自分を愛するというのは能力です。
感謝や素直さと同じ能力ですから、訓練しないとその能力は啓きませんし発達もしません。
「当シリーズ記事」の中から、どうぞ自主的にこの様な訓練すべき項目を幾つも見つけ出して下さい。
人は幸せになりたいと思っています。
しかし日常の中で、分離側の心遣いが多いと、為になる事はなかなか受け取れず、本来は叱咤激励の言葉すら責められると取る様な感覚を強めてしまいます。
幸せにしてくれる教えの中には、必ず問題の改善を促す部分が含まれています。
最初はいいものだと感じて飛び付いたとしても、その中で育成すべき感覚の訓練をサボったり保留し続けていると、段々感覚が着いて行かなくなります。
それはちょうど、中学の英語でも数学でも思い出してみたら分ります。
復習をしないでいると、授業に付いて行けなくなります。
授業が分らなくなると、全く面白くなくなります。
それと同じです。
ちょっとした抵抗を押して進む事をサボっていると、その溜まりに溜まったツケは強烈な引き戻しとして表れる事になります。
それ自体が自分の問題点を指し示しているのですが、自己中心的で逆さまに成っている顛倒夢想の感覚の側からはそうは感じません。
それは精神から起こり来ている苦ですが、動物プログラムが直ちに起動し、その為になる方向から逃げ出そうとし、実際に逃げ出してしまいます。
立ち向かう事がいくら重要だと教えられていても、落とし込まれていなければ意味は全く有りません。
そして元の木阿弥となります。幸せを感じると、それがいつまで続くかと考え、失う事を恐怖したりもします。
必要な考えるべき事は考えないクセに、要らん事はせっせせっせと考えるのです。
これが幸せ回避症です。
この様な事は、結局、教えられている事総てを一つ一つ、順次段階的に汲み取っていけない言葉の能力の未熟さに起因しているのです。
100回反復で原理原則を落とし込む! ・・・「読書百遍意自ずから通ず」の実践編。
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