潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る
史上初、世界で初めて明かされた、弱者の為のマインドセット知識、弱者の成功戦略です。
自分の望む成功へ主体的に行動を起こせる人を強者、そう在りたいのにそう成れない人を弱者と呼びます。
弱者は、強者の成功戦略、つまり従来から提唱されている様な成功法則から学んではいけません。
弱者と強者は、取るべき戦略も、またその為に学ぶべき手法は全く異なるからです。
従来の「成功法則」とか「引き寄せの法則」を学んで来られている方にとっては、目から鱗の世界です。
潜在意識や、自分の隠れた才能を見出したいと思っている方に、きっとお役に立つ情報です。
026 成功しない人の3つの特質 その4「3つの質の違いがもたらすモノ」。
「タオめる」質を持つ強者と「とほぶる」質の弱者は、良き考え方やノウハウに出会った時に生じている大きな違いが他にも有ります。
また強者と弱者では、行動に移るまでにもとてつもないスピード差が有ります。
弱者がもたもたしている内に、強者はとっくに事を為してしまいます。
何がそういう差を造り出しているのでしょうか?
理屈が解れば、それは難しい事でも何でもありません。
それも単にちょっとした勇気と、思考を技術として使うか如何かだけの、そしてその蓄積の差なのです。
いくら気持ちの上では成功を求めていても、これも言語化され無ければ誰も気付かない盲点でしょう。
これも理を聞けば、あっと驚く目から鱗の感じ方の差です。
人は直ぐに出来るか如何かを問題視しますが、最初は出来る出来ないが問題ではありません。
感じ方というモノが差を付けるのです。
そしてその感じ方を啓くモノが考え方です。
考え方は技術なのです。
人間は考え方を知らなければ考える事が出来ません。
そして、マーフィー博士は「考えるとは比較する事」と述べていますが、この言葉は実に意味深です。
これは考えるという言葉の本質を実に良く突いています。
この「「考えるとは比較する事」とは如何いう事でしょう?
それがどの様に重要なのでしょう?
そしてまたそれを理解する事で、どんな認識が広がり、どんな利益が得られるのでしょうか?
単語自体は小学生でも解る事ですが、それをその様に理解している人は、弱者に在ってはほぼ皆無です。
「考えるとは比較する事」という、この言葉の奥義を掴み取りましょう。
その真意を掴み取るなら、「今までの自分の考えていた事は一体何だったんだろう?」という位、これは今までの人生観をひっくり返すほどの威力を秘めた言葉です。
自分の知っている範囲の言葉の持つ意味合いから連想を広げて、言わんとする意味、指し示そうとしている処のモノを掴みましょう。
「考えるとは比較する事」・・・物事を幾つか並べ、それを良く吟味し比較した結果、どちらが良いか解ります。
その結果、本来なら、というかちゃんと損得を考える知性が働いているなら、人は良い方を選択します。
当り前ですね。
それが「考える」という事ですが、逆を返すとそれは、良い方を選択出来なければ「考える」になっていないという事です。
まずこの事に付いて、何度かこの命題を復唱し、じっくりと時間を掛け、深く吟味して下さい。
第一に、人間はよく分からないから考えるのです。
分かっている事はもう、考える必要が有りませんからね。
自分にとって、より良いと思える方法を求めて人は選択肢をまさぐっているのです。
今の現状と、まだやり方は分からなくても在るべき姿を描けばそれを比較して、そのまだ分からないやり方を探したりする訳です。
現状では無いモノを現状と比較している訳ですね。
ところが弱者の多くは、その探し方さえ知らなくて、右往左往するモノです。
良い方法の提示が有ってもそれを選択しようとしない。
やったらいい事なんて山の様に有りますね。
その中から優先順位を定めて、一つ一つクリアする日常で人生を過ごしていると言えるでしょうか?
保留癖と言うのが人生の曲者ですが、良い方を選択しないという事は、良くない方を選択する事に成ってしまう訳ですから「考える」にはなっていないという事です。
目の前に起こり来る、良い方法とやらの提示が有った時、ちゃんと比較して、必ず得する方を取っていると言えるでしょうか?
比較した結果、良い方・得する方を選択出来てこそ、人は考えていると言えるのです。
そうでなければ自分の思考は「考える」にはなっていないという、事実を知る事です。
嫌だと感じる事から自然に逃避方向を探してしまうとしたら、高所から見た時、それが結局損に繋がる事なら、その人のその思考は「考える」にはなっていないという事です。
当シリーズで潜在意識のメカニズムを学ばれるなら、「感じ方」というモノに付いて考え、強者と弱者の感じ方の違いを一つ一つ比較し、その理解と、得する「感じ方」の側を選択する決断を重ねて下さい。
そして、次の事実を知って下さい。
良き考え方やノウハウに出会った時、強者はその考えを「使おう」と考えます。
強者が考えるという時、それは既に決断を伴っていると言う事です。
そして早速その考えを使い始めます。
それに対して、弱者はその考えが自分に「出来るかどうかと考え?始める」のです。
「使おうと考える」か「出来るかどうかと考え始める」か・・・この違いの重要性にピンと来ますか?
何故、この違いに気付く事が重要なのでしょう?
そしてその違いは、どんな結果をもたらすのでしょう?
何事も原点に立ち返って考える事が大切です。
弱者は「とほぶる」質と、如何しても好きか嫌いかで判断する感じ方が基本にあるモノだから、何となく出来ない感触が湧き上がり、出来る理由を探そうとしても見つかりません。
そしてああじゃこうじゃと言いながら考えをまとめる事も無く、しばらくしたらそんな事等とっくに忘れて、鼻くそをほじっている内にあっという間に10年が経ちます。
その考え方を使うという考えはおろか、その考えを取り入れるぞ・それを自分のモノにするぞという決意決断も、いつまで経っても有りません。
結果、行動にはいつまで経っても移れません。
弱者にとって「考える」とは「比較する」事ではなく、「あ~でもない、こ~でもない」と、結局何でもない事を
吟味する為に、時間を潰し保留している時間が「考える」と言う事のニュアンスとして、落とし込まれている様です。
間違ったイメージ的結論の一つですね。
それは「考える」には成っておらず、よく見ると「考える事が出来ない」思考状態になっていると言う事です。
全く自分に利をもたらす事は無い妄想妄念や迷いは、心に大量に湧き上がっているかも知れません。
でも、そういう想念や意識の使い方は「考える」事にはなっていないのです。
自分は考えていると思っている大きな勘違いの一つです。・・・考える事は出来ていないのです。
好き嫌いではなく損得で判断するという人間的な思考に進化しておらず、動物レベルのままだと言う事です。
動物には、時間という観念はありません。
彼らは自分の死を知りません。
永遠にエデンの園なのです。
時間の流れを感じ、その先を見通すならば、今の小さな損より先の大きな得がとれるのが、動物とは違う人間本来の意識レベルです。
そうすると、好き嫌い判断していてはいけないという理解に到達するのは、人間ならば自明の理です。
従って、強者は、学びに当っては自分の考えを織り挟む様な愚かな事はしません。
何故なら、実証した人が説いている理だからです。
これが成功する質を持つ、強者と弱者のとてつもないスピード差を生じる原点の感じ方の差なのです。
この説明だけで得心がいく様なら、貴方は既に強者の質を持ち始めているのでしょう。
そして、それは如何いう事かと言う事が、自分なりに他の人に説明も出来るはずです。
そのままそれに、もっともっと磨きを掛けて下さい。
「賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ。」と言う諺が有ります。
経験して学ぶ様では既に愚者であり、人の言動から因果を理解して自分のモノに出来るのが賢者と言う事です。
経験しても学ばない、学習能力の無い人が圧倒的に多いようですが、何と呼んだらいいでしょうね?
うましか者?
こんな諺から何を学ぶか?・・・みんな愚者からスタートします。
しかし、賢者を目指せばいいのです。
歴史=人の言動から因果を理解=そこに原理原則を見出しその法則性を知る、と言う事です。
賢者は原理原則という法則を通して物事を観るので、あっという間に実証した人の説く理をその背景まで見透してしまうのです。
審美眼というか、真偽を見抜く真偽眼が育っているからです。
最初に落とし込んでいた原理原則そのものに同類親和の法則が働いて、様々なモノの見方を引き寄せ、知覚力と認識力がとてつもなく高まってくるのです。
「タオめる」性質が時間を掛けて、そういう洞察力を培うのです。
強者は学びに当って、賢者の言には「自分の考えを織り挟まない」と言う事に気付く事が重要です。
逆を返すと、そういう考え方・感じ方だったからこそ、強者に成り得たとも言えます。
例えて、寿司の作り方・握り方を職人さんに習うとします。
強者は教えられた事を教えられた通りにそのまま実行します。
しかし弱者は、自分の好みを持ち込み、カレー粉も焼き肉もうどんも使いたいと言うのです。
それではとても寿司には成りません。
弱者は、あれが好きだこれが嫌いだを直ぐ持ち込みます。
弱者はアイデンティティーを失うまいとして、結果的にアイデンティティーを失った人生になります。
強者はアイデンティティーをその時殺している様に見えますが、結果的にアイデンティティーを確立するのです。
しなければならない質問としたらいけない質問が有る様に、考え方にもその時には使ってはいけない考え方と言うモノが有るのです。
実証した人の説く理を「出来るかどうか」などと考えて、人生の道草、あぶらを売っててはいけないのです。
ただ、使えばいいのです。
ただ使う・・・さて、貴方にとって強者の持つこの考え方が使える様になるのはいつですか?
これを読み終わると同時でしょうか、それとも10年後でしょうか?
そんな考えが使えるだろうか如何だろうかと検討に入りますか?
実証した人の説く理を「出来るかどうか」と考えるパターンを持つ人が、貴方の周囲に溢れかえっている事に気付くべきです。
変容のチャンスは未来には在りません。
チャンスはいつも、今この瞬間の中だけです。
成功には今の一歩を踏み出す小さな勇気が必要です。
その勇気というモノも、最初はそれが無いから絞り出すのです。
自分の事を「勇気が無い」とか「自信が無い」とか、誰かに言ったり思ったりしてはいませんか?
勇気というモノは、それが出て来るのを待っているのは愚か者です。
無いモノなのに、それが出て来るのを待っているとしたら、100年待ってても出て来ませんよ。
最初は、勇気なんて何もないと思っている処から、何とか絞り出すからこそ、勇気なのです。
また自信も、無かった勇気を絞り出す事で、徐々にそれが蓄積してやっと付いて来るモノです。
物理次元は出せば出すほど減りますが、意識次元のモノは、それが愛でも憎しみでも出せば出すほど増えて来ます。
最初は小さな勇気を絞り出す事によって、それは意識の力として育って来ます。
逆にそれを出す事を恐れ続けていた人は、恐怖の意識の力を育てています。
この恐怖は、その時サボれた・その時面倒臭い想いをしないで良かった、と感じるニセモノの「安心」の裏でムクムクと育っています。
誰も気付いていないようですが、こちらで無意識に育つ恐怖は本物です。
多くの人が、いざと言う時に自分の内から湧き起る恐怖心を、この様に自分自身が自分自身の為に、せっせせっせと前以て、自ら育てているのです。
ご存知でしたでしょうか?
勇気は潜在能力となる意識の力ですが、恐怖は潜在抗力となる意識の力です。
さて貴方は、自分に起こり来る瞬間瞬間の中で、どちらの意識の力を育てて来たと言えるでしょうか?
100回反復で原理原則を落とし込む! ・・・「読書百遍意自ずから通ず」の実践編。
当シリーズは「読み物」ではありません。強者の質と感覚を啓く、最強のトレーニングツールです。
反復トレーニングの効率を上げる為に、合成音声ハルカによるテキスト読み上げ音声を用意致しました。
テキストを熟読して後、理解が起こりましたら、後は音声で反復効率を上げて下さい。
何を言っているのか聴き取れないと感じたら、テキストに戻って再度熟読して下さい。
合成音声のダウンロードはこちら。
次の項目に進む
潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る