潜在意識のメカニズムを知ろう 総合目次に戻る

史上初、世界で初めて明かされた、弱者の為のマインドセット知識、弱者の成功戦略です。

自分の望む成功へ主体的に行動を起こせる人を強者、そう在りたいのにそう成れない人を弱者と呼びます。
弱者は、強者の成功戦略、つまり従来から提唱されている様な成功法則から学んではいけません。
弱者と強者は、取るべき戦略も、またその為に学ぶべき手法は全く異なるからです。
従来の「成功法則」とか「引き寄せの法則」を学んで来られている方にとっては、目から鱗の世界です。
潜在意識や、自分の隠れた才能を見出したいと思っている方に、きっとお役に立つ情報です。


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統合分離表の見方 その4「統合側の心遣いとは何か」。

私達は常に「何の為にそれをするのか?」を意識しておかねばなりません。

そしてその質問からの答え「此の為に自分はそれをする」という明確な回答を引き出しておくのです。

これは実に単純な思考ですが、殆どの人がその重要性を意識していません。

誰かに「何の為に?」という問い掛けを持つ事の重要性を喚起されても、思考は停止したままです。

弱者の意識状態は「出来る理由を探す」という事が落とし込まれていないので、そう思考する事で、それはどんな作用を起こす事に成って行くのか、どんなメリットが生じるのかと連想が広がりません。

自分自身で裏打ち裏付けが見出せないのです。

そしてそう言う無知である事に無知のままです。

そしてその現象に、リーダーもモティベーターも、誰も気付いてはくれません。

ですから、そこで置いて行かれたら、弱者は「無意識の真理否定」を積み重ねさせられて沈没です。

しかし「お父さん塾」で思考訓練を重ね、感覚開発のエクササイズをしていると、発想が生まれる様になります。

それは「教えられないから気付く」というセンス・気が付き能力です。

それはどんな気付きでしょうか?

教えられて分かるのは当たり前です。

強者は「教えられないから気付く」というセンスが有るのです。

ここではその一例を、この話の流れの中で見て行きましょう。

原因を追究していると原理が観えて来ます。

「何の為にそれをするのか?」という質問と、その答を見出す様意識し続けていると如何なるのでしょう?

強者の質を啓く思考訓練を重ねていると、まずそう問い掛ける質問が自然に湧くので、思考領域は自然に広がって、今までは未認識だった次のステージが自動的に拓く様になります。

その部分をインスピレーションとか閃きと言いますが、これが強者の持つ感覚なのです。

これが「教えられなくても自分で気付く」という感覚です。

そう言うセンスを啓いて持つ事を願望して下さい。

再度、「何の為に?」という質問と、その答を見出す事を意識し続けていると如何なるのでしょう?

弱者は見落とし、その感触・効能・偉力等を知っている人だけが掴んでいた感覚を言語化して見ましょう。

「何の為に?」という質問を持ち続ける事の効用は、その答がはっきりと見出された時、それは自分にとっては確信的なモノになるという事です。

この確信は非常に重要です。

何故なら、その質問から見出される答えの一つ一つが、その反復量に比例して潜在意識に「したくてする・やりたくてする」という衝動や気分を湧かせる様にするデータ、つまり原因材料になって来るモノだからです。

「何の為に?」という質問から見出された答えが確信となるという事は、認識の第四段階になるという事です。

そうするとそれは自動化して、「したくてする・やりたくてする」という衝動や気分を湧かせてくれるのです。

ヨイトマケの唄の様に「父ちゃんの為ならエンヤコラ~♪母ちゃんの為ならエンヤコラ~♪もひとつおまけにエンヤコラ~♪」で、「何の為に?」の答えを掴んでいると、頑張れる力が内から湧いて来るのです。

やるべき事だとアタマでは分かっているのに、そういう積極的な気分が湧かないとしたら、それは他人的な潜在意識には「何の為に?」という、衝動や気分を湧かせる原因材料が引き渡されていないという事です。

「何の為に?」とその答が認識の第四段階に落とし込まれていないと、潜在意識は動いてはくれません。

そうするとここで葛藤が起こります。

アタマではしなくちゃと思うのに気分が出て来ない。

五蘊盛苦ですね。

そうすると、その原因が分からないので焦る気持ちや焦燥感に苛まされ、自己嫌悪にも陥るでしょう。

「何の為に?」という質問と、その答を見出す事を意識し続けていると、すべき事を目の前にして「したくてする・やりたくてする」という衝動や気分が湧くのです。

この質問とその答をハートが納得するまで明確にしないから意欲は失せる仕組みになっていたのです。

さて如何でしょう?・・・「そうか!成る程。分ったよ、腑に落ちたよ」という感覚・・・掴んで頂けましたか?

この様に理の理解が一つ進む毎に、何か無意識に心に閊(ツカ)えていたモノが外れ、思考領域、つまり自由が広がった感じがして来ませんか?

そして「だったらこうすればいいんだ」という次の打つ手の発見!

この様に、正しい思考訓練を重ねていると、自分でもそういう事に気付けるセンスが啓いて来るのです。

自分の可能性を広げる・・・その為の心遣いが「統合側の心遣い」という事なのです。

前項からの続きです。

好きだったモノが嫌いになったり、嫌いだった事が好きになる事も有る・・・これは「為にならないから嫌いになり、為になると心からの理解が生じれば好きに成る」に応用出来ます。

感じ方は、何某(ナニガシ)かの条件が整えば、切り替えられると言う事です。

これはとても重要なですよ。

「人間は真実を知ったならば、それを理解した全ての人が同じ判断をし行動する。
 その判断は必ず正しい判断である。」

ですから、このルソーの言葉を逆読みしたら分る事ですが、そうならないとしたら、真実を知らないという事に他なりません。

シリーズの記事は、言葉の定義を項目毎にしっかり把握しつつ読み進めて下さい。

言葉の定義をしっかりと把握していないで読み進めると、理解は途中で空中分解しますからね。

貴方は自分の最初にピンと来た直感を信じて下さい。

分かり難くなって来たら最初に戻って下さい。

文章の一行一行をしっかりと飲み込みながら進めるのです。

先を急いではいけません。

文節の一つ一つをしっかりと掴み取って下さい。

速読よりスローリーディングが基本です。

何故なら、理解出来た暁には、とてつもない賜物とチャンスが貴方のモノである事を保証してるからす。

話を元に戻して次に進みます。

顛倒夢想に支配されている感覚は、その部分が逆さまに感じますので、その部分の統合側の感じ方や心遣いが、嘘に見えたり、損する様に感じたりします。

それこそ、感じ方が逆さまだからです。

感謝とか反省という本当の意味合いやメリットを知らないから反発するのです。

支配欲や見下す事など、その後自ら引き込む不利益に気が付かないから、それが好きでいられるのです。

その感じ方は正しいのか如何か、自分で感知しなければなりません。

思考放任状態に在っては反応するがままの動物と同じです。

そこには知能は有っても知性が有りません。

統合の心遣いである事は、「道徳的であれ」と言っているのではありません。

形だけお行儀が整っても、本当の成長ではありません。

道徳とは本来は素晴らしい筈のモノですが、それを強迫観念的なモノにしてしまう事が起こります。

そうして自分自身が道徳という牢屋に入ると、人にもその牢屋を押し付けたくなって、人が入らないと言うと、その人は怒りを感じます。

学ぶ人の顛倒夢想ですね。

人が道徳を守ろうとしない事で腹を立てると、自分はせっせと分離側の感じ方を育ててしまうのです。

しかし、統合の側に生きる人は「過去と他人は変えられない」事を知っており、人を変えようとはしません。

そうではなく、自分の魅力で人にいい影響を与えられる人間を目指す事です。

「自分と未来は変えられる」からです。

「貴方の様に成りたい、貴方の言う事を聞きたい」と人に感じさせて始めて、人を変えて上げられる可能性が出て来るのです。

統合分離表を見て、それぞれの対比する語彙の意味メリットとデメリットを、子供にでも話して上げられる様に、自分でその語感を掴み取りましょう。

本当は、教えられる前に自分自身でも発見しよう、感じ取ろうという意気込みが大切なのです。

多くの人は質問を持って深く考えようとしないから、思索力が発達しないのです。

瞑想しましょう。

その感じ方を持ち続けるならば、その後如何なってしまうのかを心の中でシミュレーションするのです。

既に講師としても活躍し始めているサブリーダーの、統合側の心遣いの説明をお聞き下さい。

「ポースター・プログラム」を始め、マスターの一連のプログラムでは、そのシミュレーションが見事です。

解説を聞いているだけで、分離側の感じ方を握り締めていた、その感じ方を開放してくれるのです。

嫉妬も怒りも焦りも怠惰性も、真に理が理解されると、自然にポロリと外れてしまうんですね。

丁度秋に木の葉が枯れ葉となって自然に落ちる様に。

自分を不幸に導いていた感じ方がポロリと落ちるのです。

何て変なものを握り締めていたのだろうと感じる様になった暁には、以前の自分の感じ方が信じられなくなります。

目が覚めて見たら、実はそれが大嫌いだったし、本当はこちらが大好きだったという訳です。

まるで、映画トータルリコールのシュワちゃんの気分です。

悪い奴の一味だったシュワちゃんは、正義の連中を欺く為、記憶をすっかり入れ替えて、正義のグループに潜入します。

そして、悪い奴らにとって倒すべき正義のリーダーの正体が分かった処で、シュワちゃんの役目は終わり、リーダーは悪人共に殺されます。

悪い奴らはシュワちゃんに元に戻る様に言いますが、もうダメです。

シュワちゃんが悪人だった頃の自分自身からのビデオメッセージも見ましたが、もう元の悪人には戻れません。

シュワちゃんは入れ替わってしまった正義の人格のままで、今度は悪人を倒すという痛快なSFです。

真実に目覚めたら、誰でもルソーの言う通りになってしまうのは人間心理の原則です。

統合側の質というモノは、一言で表せばそれは「愛」と言う事ですが、それは「立ち向かう」事より生まれ育って行きます。

「何故?」という質問は、探究心を育て、フロンティアとして何かを切りいて行きます。

原理原則という法則を中心に持つからこそ、困難に立ち向かえる勇気が湧くのです。

立ち向かえば知性が発達し、色々な事が理解されたり、観える様になって来ます。

原理原則を基軸にしてモノを見たり考えたりするので、的を外す事も少なく、経験を積む自分自身に自信が付いて来ます。

心的態度が統合側を向いた心遣いであるという事はとても大切です。

オープンな心で受容性が有るので、人の意見はよく聞き取る事が出来、結果人から信頼され、人の心を吸引したり射止めたりします。

それは人の言葉から真意を汲み取ろうとするからです。

成功者から学ぶ事が好きで、賞賛する心が在るので目上には可愛がられるし、引き上げてもらえます。

心にゆとりが有り、人の長所を見ているので、短所は余り気にならず、人を責めず許す心が有ります。

思考は流動的で、為になる話は聞き漏らさず、真実を知る事こそ第一義で、たとえそれが苦でも乗り越えて行こうとします。

そんな心構えで生きていると、益々知見が広くなるので、些細な事に囚われたり拘ったりしないので偏る事がありません。

人間力が付き、大勢の賛同者や仲間に囲まれて、好きな事をし好きな事を創り出す創造性にも溢れて来ます。

何事にも準備を周到にし、貪る事無く、与えられたモノに、そして今在るモノに感謝を忘れません。

見栄などを張る事には関心も無く、自尊心が高いので、いかなる人も彼を傷付ける事は出来ません。

自分の事が大好きで、同じ様に人が愛せます。持っているモノは分け与える事が大好きで、自分の失敗が吐露出来るし、それを以て人の心に自立の心が芽生える様にと、人を育てる心を持っています。

また、人間というモノを自他共に観察する眼を持ち、「賢者は歴史に学ぶ」の諺通り、人の経験を見聞きするだけで学び取る能力を持っています。

信念の人でもあるのですが、純粋で無邪気な一面があり、常に夢と目標を追う活気とエネルギーに満ちています。

自己実現に留まらず、更なる成長を求めて、自分の内に向かう探究心を忘れません。

法則に対する絶対の信頼が、自分の内から信じようとするのでは無く、信じられる形で湧いて来ます。

生命の歓喜に満ち溢れ、結果として、いつも寛(クツロ)ぎと自由の中にいます。

の心境を釈迦は涅槃と言いましたし、イエス・キリストは神の国と表現しました。

更にこの状態が続き、プラスの意識の力が蓄積して来ると、それは東洋哲学で言う処の「徳」という概念ですが、その徳が溢れるに蓄積して来ると、老子が記した処の「無為」がやって来るという事です。

マスターに由ると、こうなったらもう、目標設定すら必要無いという事だそうです

「無為=何も為さない事を為す」・・・正に何事もしないのに、何も働きかけようとしないのに事は成就して行く訳です。

もう、ここまで来ると、覚者のレベルですね。

フロイトは病人の心理を科学し、マズローは成功者の心理を科学しました。

マスターは、更にその上を行く精神世界史に於いて史上初、覚者の心理メカニズムを解き明かしたのです。

それは人間の可能性を啓く方法の最新科学です。

 

 100回反復で原理原則を落とし込む! ・・・「読書百遍意自ずから通ず」の実践編。
 
当シリーズは「読み物」ではありません。強者の質と感覚を啓く、最強のトレーニングツールです。
反復トレーニングの効率を上げる為に、合成音声ハルカによるテキスト読み上げ音声を用意致しました。
テキストを熟読して後、理解が起こりましたら、後は音声で反復効率を上げて下さい。
何を言っているのか聴き取れないと感じたら、テキストに戻って再度熟読して下さい。
 
                                      
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