第五回
習慣変容の原点 モティベーションが自発的に持続する人間を育てるには?
凡人に「心構えに付いて一つの真の認識」を生じさせる為には、例えて99の説明が必要となる。
最初に言っておくべき事であっても、それが真に認識されるに数百〜千時間掛かるものである。
思考放任の癖の有る人は、正しいアファーメーションとビジュアリゼーションを持っていない。
テープ学習と共に、自主的に考える様仕向けるべき事(最初に習慣化させるべき事)が有る。
在るがままで人から好かれる自分に成る為に。(みんな、好かれる人になりたいでしょう。)
如何いう人間が人から好感を持たれるか。(そういうテーマをじっくり考えた事が有るだろうか。)
好かれようとする努力・演出など草臥(クタビ)れる事など一切しない今の自分の在るがままで。
その最も重要なものの一つ目・・・それは報連相(報告・連絡・相談)が自発的に出来るという質。
ほうれん草は会社を強くする・・・昔のアニメのほうれん草を食べたポパイは俄然強くなる処から来ている。
自らの不都合時にも(その時こそ)、正々堂々と渡り合えるコツを覚えよ。(爽やかさとは何か。)
このコツ知らないでいるだけで、凡夫はコソコソした見苦しい人間に成り下がってしまうのだ。
また、凡人が正攻法で成功法則を修得する際、絶対忘れてはならないbeingは「感謝の念」。
賞賛・感謝・愛と慈悲・・・と、この言葉をいつも聞いている皆さんにエクササイズを一つ。
今、貴方に訪れているチャンス・・・しばらく経ったらそれを今どう感じていますか。
そのチャンスに、今も感謝を感じ続けているか(毎時毎瞬)、それとも感謝などコロッと忘れていたか。
今、「あっ!」と感じた人、さっきまで「それ」に付いて感じていた感じ方は如何だろう?
感謝が有るなら、人は如何いう態度をとるでしょう?(と問われて、後までそう考え続ける意識が有るか?)
感謝の心が常時有るか、それともいつしか無自覚なまま負担を感じている事に無意識だったか。
感じ方が変な方を向き始めた時点で自ら気付き、修正出来るセンスと技術が必要(天界レベルの意識)。
ボンクラは感謝すべきと知っていても、とっている態度と感じ方はいつしかその逆になっている。
無自覚なまま負担を感じているという事は、無意識の否定であり、本当はチャンスを憎んでいるのである。
「感謝の心が重要」とか「立ち向かう事が大事」とか、耳にタコができる程聞いていた筈だ。
で、自分は如何か。(自分の性根に巣食っている「意識し続ける事を忘れる心的怠惰」を見極めよ。)
忘れていた人と言うのは、意識が畜生界のレベルだから。(一刻も早く畜生界から脱却せよ。)
人生の試験は、いつも終了時だけが告げられる。(始まりに気付かないバカはいつも0点。)
理を聞いて人事、自分の事として聞けない・応用が利かないのも畜生界以下の意識レベル。
その在り方の放置が、今の自分のレベルから、成長と変容・発展を妨げている根本原因だ。
報告・連絡・相談をしにくい時こそする質を持っているのが天界レベルの人間。
報告・連絡・相談をしにくい時に聞かれるまで黙っているのは、畜生界人間の下品な習性。
因果や道理が理解出来ない為、「しにくい事をするのは嫌だ」とその感じ方を無意識に選択する。
動物プログラムの好き嫌いを判断基準としていて、考えようとしない・・・それを逃避というのだ。
その結果その先如何なるか、その一歩先如何いう結果を招くかという事を考える知性を持たないのだ。
自分自身は無自覚なままでも、取っている態度が自分の意識ステージを周囲に明らかに示す事になる。
出ている結果から原因を認める・・・これが出来ない(認めようとしない)のが畜生界レベルの特長。
思考放任して、畜生界レベルのままで在る事を放ったらかしたままでは、天界レベル(成功)は程遠い。
考えようとしなかった自分の心的怠惰(逃避)の真の実態・意識レベルを次の理で自覚せよ。
前者はその逆境を信用信頼に代えていくが、後者は自らせっせと信用を潰す。
前者には「今出来る事」が見つかるが、後者はずるずると怠け続け何も見えて来ない。
前者はそれで乗り越えていくが、後者は一つ躓くと次もその次もサボって罪悪感を膨らませていくだけ。
前者は楽になる方法であり、後者は苦しみを作り出し拡大する方法である。
前者は目上の人に好かれる人間に成るが、後者はキモいので見捨てられる人間になる。
今の貴方は、どちらが好きですか。(貴方に知性が有りますか。)
学んでいるのに後者であったと言う事は、立ち向かうという言葉や知識がツモリで留まっているのである。
畜生界脱却の第一歩は、そういうのが畜生界だと知り認め、それは恥ずかしい事だと感じる事である。
また、畜生界の人は感謝せよと教わっても、本当は何が有り難いのかさっぱり分らない。
故に、「何が有り難いのか」を一々先輩に聞いて潜在意識に教え込め。(自分で判断するな。)
有り難いという感じがしなくても「それは有り難い事なんだ」と潜在意識を自ら教育するのである。
この理が理解出来、実践すれば良いんだなと素直に感じ決心出来て始めて、人間界レベルと言える。
繰り返され、当たり前になっている事には、慣れとマヒを起こす事にも注意しよう。
放っておくと「有り難い」という感じは、誰でもだんだん消えていくからだ。
何が有り難いか、普通の人の10倍は自ら発見出来る様になれたら、それは天界レベルの入り口だ。
毎朝毎時唱える自分自身のアファーメーション集を作れ。(初期は先輩に必ず見て貰う事。)
まず、心的怠惰を克服するアファーメーションを紙に書き、唱える。 (テーマを覚え続けている意識)
そして、ビジュアリゼーションでしっかりイメージして脳裏に焼き付ける。(念誦念信)
その技法を習慣化する・・・規則的にビジュアリゼーションをする時間を持ち、強い願望を育てよ。
モティベーションが消えていくその現象からも、深く考察すればこの様に学べるポイントが見つかるのだ。
正しいアファーメーションとビジュアリゼーションをしていない・持っていないというのが原因だ。
■努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る 〜井上靖〜
■思い立ったら吉日。やろうと思った事はすぐに行動に移さないと意味が無い。自分の安心領域から抜け
出る行動を取り続ける事で、自分の魅力を磨く事ができる。そういう人だけがリーダーになれるのだ。
〜 ネットビジネスマスター@マサユキ〜
第六回
聞きボイト脱却 己の「聞きボイト」を毛嫌いする質を育てる。
自分自身のそこにこそ向けるべき刃を、説明される理に向ける無自覚な愚かしさに気付く事。
自己啓発中毒。(「プラス狸のはぐらかし」技の一つ・・・無自覚な自己欺瞞と聞きボイトの典型。)
狸技を使う人は多い。(相手を欺き、またちょろっと狡く立ち回り、はぐらかそうとするのである。)
しかしその技に熟達すると、なんと、自分をも欺ける様になってしまう。
「良い事」の様に見えるモノを使ったり言ったりして、何かを隠し自分も見ない様にし誤魔化す。
些細を積み重ねる努力をしんどいとイメージ的に結論付け、何とか逃げようとしているからだ。
人間力ならぬ、「狸力」を日夜、せっせと磨いているのである。
その一つ・・・自己啓発書を読みあさり、学んでいるツモリになって、崇高な事をしているツモリ。
そこに書かれている些細な実践ノウハウを、行動には移さない。
そして、しばらくしたら内容は忘れる。
聞きボイトには「読みボイト」も含まれる事は、皆さんもお分かりでしょう。
「自己啓発書を読めば
モチベーションは上がり 気分は高まる。
さらに「何かを得た」という満足感もあるので
読むこと自体が気持ちよく感じる。
だから
次の一冊に手が伸びます。 (本田直之)
結果的に読めば読むほど、定期的に読んでいないと我慢ができなくなっていく。」
一般に売れる自己啓発書は、あまり耳に痛い事は言わない。(言っていたら売れない。)
上記の心理メカニズムは、ツモリを作らせている宗教団体などにも全く当てはまる事だ。
崇高な事をしているツモリ
を作り、何もしないでいる事の罪悪感を緩和させているだけ。
また、二行までは、初期段階は当学習プログラム実習者にも言える事だ。
成功法則を知りたいだけのインチキな人がいる。(結果的に、書かれてある事は認めないから。)
自己啓発中毒者に見る無意識の否定。(行動が伴わない人は他人事と思わない事。)
「(既存の)成功プログラムを持つ事に安心を覚える人がいる。」 (岩田博志)
「自分で努力しなくてもそれを手に入れることによってどうにかなるんじゃないかという幻想。」
「自己啓発をパチンコを楽しむのと同じレベルで楽しんでいる人達がいる。」 (石井裕之
)
自己啓発書の梯子も、流行りのダイエット話や健康法に飛びつく心理も心の奥底に同じもの。
しかも
面向きには褒められる行為。
故に、お菓子の食べ過ぎやタバコ、パチンコと違い、常識の中に於いては罪悪感が伴わない。
しかし、この講義録で理を聞いたら(この理を知った人が増えたら)そうはいかない。
インチキ・嘘・自分誤魔化しは丸見え。
とっている行動から、潜在意識の在り方beingは正確に顕われる。
行動に移さないという事は、本当の深い処では認めてないという事だ。
習得されるまで反復しないという事は、「認めたくない」とも言っているのである。
それで良い事をしているツモリ等作っているのなら、それは自己欺瞞以外の何者でもない。
こうやって、老子の書き渋った「記された言葉」を使って人はどんどんと分離状態を作っていく。
この自らでは気付けないループに終止符の楔を打ち込めるのが、当プログラムだ。
これらの愚かしい人々のパターンから我々は何を学ぶか。
まずは自分の聞きボイド癖の徹底的な洗い出し。(心的怠惰で在る事をこそ、毛嫌いしよう。)
それは、「学んだ事は、行動に移す」と言う事だ。
適切な「言葉」を自分に掛け続けていれば、感じ方を小さく変化させられ始める。
そして「聞きボイト・読みボイト」て居る事は「恥ずかしい」という認識の周知・啓蒙。
学びの心の無い人・立ち向かわない人・逃げ出す人は、例えて「心の裸族」。
それは、心がオープンマインドになっているというのではない。
醜いモノ・自己欺瞞などを隠そう隠そうとする在り方が余りにも露骨に見えて来る。
自分が如何いう状態に在って、何故そんな事を言っているのか、本人に全く自覚はない。
おかしな固定観念・逃避癖・イメージ的結論・顛倒夢想と自分が全く同化している。
しかし、本人は全く隠しているツモリなのだ。
それでいて「丸見せ」なのだから、もう「バカ丸出し」とはこの事である。
テキストを見て、「うわ〜っ、自分の事が書いてある、当たってる!」と大笑いする事。
自分を責めないという命題を守ろうとするなら如何するか。
つまらない処が図星で当たっているなら、笑えばいいのだ。 (言葉の持つ力を嘗め
見たくない、しかし図星で大笑い。 ている者は笑えない。)
痛いとこ、なんと図星で大笑い。痛いとこ、図星で当てられ大笑い。
人のダメな処は、心うちで安心を覚え笑っているくせに、姑息な根性は丸出し。
無い事にして置きたいのに・・・観たくないのに・・・知りたくない・・・聴きたくない・・・
聴かせる奴が嫌い・憎い・・・
人を責める質を内在させている人間は、何かあると自分を責めるので直ぐに解る。
分離度合いの酷い、つまらない部分を抱えた人間程、深刻になる。
第七回
奴隷の目と賢者の眼 人によって見えているモノが違うという事を知ろう。
聞きボイトは、聞きボイトのままでいたら真理は聞けなくなる・・・それが真理だ。
世の中のシステムは、まるで奴隷生産ライン工場だ。(独立自尊のスタイルを教えない。)
世の中のシステムの重要な欠落点の一つ。(事業企画提案書追加
雇用を作り出す教育・・・参照)
今の学校教育システムは、優秀な奴隷(根性)人間を作る為ではないかと思える程である。
かろうじて、そこから抜ける人間もいる。
しかし、抜け出た人間が作るシステム(会社)も、またまた新たなる奴隷を作るラインだ。
それが大きくなればなるほど、下っ端は奴隷そのものだ。(敗者復活の道が現システムには無い。)
人に指示されないと動けない・自分で考える事が出来ないのが、現代の奴隷。
人に生きる事をテーマに考えさせる事をしないのは、角度を変えて見れば「奴隷育成産業」だ。
みんな、その中にとっぷりと浸かり込んでいるのが当たり前になっている。(本当の自由を知らない。)
今の不満を感じているのは、自分のハートが「奴隷は嫌だ」と叫んでいるからだ。
その叫び・エネルギーを凡夫は自分自身の内部や向上に向けず、外部に向けたり逃避に使う。
その様な事をしていたら、社会に於ける自分の奴隷度合いは強まる一方である。
何故、多くの人は賢者が教える、「幾らでも在る目の前のチャンス」というモノが見えないのか。
チャンスを見出せる眼というセンスは、どの様に開発されて来るモノなのだろう。
そこには、見える人・見えない人それぞれに、それなりの理由が在るはずだ。
成功法則では、「+αの努力」という概念を習う。(ナポレオンヒル)
これは、成功に於ける非常に重要な概念であるが、何故か殆ど誰も実践しない・・・それは何故か。
ここで知るべき重要な事は、聞きボイトと実践者は、その概念に対する感じ方が全く違うという事だ。
聞きボイトは「めんどくさい」実践事項と感じるので、概念が脳を素通りするだけ。
現場でその概念を思い出す事はない。
また、忘れている事に平気・・・聞きボイトはそういう感じ方しか選択肢を知らないとも言える。
日々の中に在る目前のチャンスが見えないという事は、心的態度が分離側を向いている物的証拠。
「見える」と言う事は、意識状態がその様な普通の状態とは違うという事だ。
「+αの努力」を忘れているという事は、総ての行動のチャンスをムダにしている事になる。
それこそ、それは「総ての行動」に於いてである。
「+αの努力」・・・それは自分の持てる総ての知恵の結晶(人間力)から生み出されるもの。
緊急では無いが重要だと言える事・・・そのエクササイズは、総ての行動の瞬間に潜んでいる。
それは正に、日々の「+αの努力」実践の中に数多潜んでいるのだ。
それは人間力が複利計算でどんどんと増えていく。(人生が楽々になる秘密は正にココに有り!)
比較して重要だと言えない事は、いくらやっても「+αの努力」にはならない。
その役割は、本当に自分の仕事だろうか。
本当は、知っている立ち向かうべき事を避ける為に「いい事をしてる」ツモリを作って誤魔化したいのだ。
目の前のチャンスというモノは「+αの努力」の意識状態によって、次々と発見されてくる。
それは「+αの努力」という意識状態でないと居られないという状態。(習う前から知っているべきである。)
しないと損と感じているので実践しないでは居られない。(常にアンテナがサーチしている。)
「+αの努力」をしなければならない等と考えている状態では全くない。
何故なら、根底に「人を喜ばせたい」という切なる願望の様なモノが既に在るからだ。
人間の心が少ない人には分りたくない概念である。(人の心とは豊かになる様、育てるものである。)
doingとbeingの違いが識別出来る感覚が啓いたなら、その違いを感じ取る事だ。
そして、自分の「ずれ」を発見したなら、「言葉の力」を使って調整・修正する事。(それが人の良心。)
まずはこの解説の理から、その重要性を骨の髄まで感じ、浸透させる事だ。
目の前にチャンスが見えないという事は、「とある意識状態」である事を自ら語っている。
それは「言われた範疇の事・決められた金額の仕事しかしない」という分離側根性に根付いた感じ方。
いつも、それ以上の努力は損だ・嫌だと感じて生きている。(取っている行動がそうである事を証明。)
人に得を取らせるのは嫌だという計算が無意識に出来るのは自動的。(他にも色々あるだろう。)
心的態度が統合を向いていないという事だけは確かだ・・・奴隷で有り続けたいならそれもいいだろう。
しかし、そのままでは「積不善の家に必ず余災有り」という格言の正しさを証明する事になるだけ。
「ソロモンの選択したモノは金や地位より知恵」の話を聞いても、やっぱり金中心の人。