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session9  成功の為にすべき事
 
 第一回
 
本当の自分の出現  何故、自分自身に真の納得が起こっていないのか。
 
 目前がチャンスだらけに見えないのは、与えられている「些細」から無自覚に逃げ回っているからである。

自分の天命に辿り着く・・・自分の使命、そして天命(役割)を発見する人達。
 自分のそれだと思っているそれは、力強い衝動に裏打ちされ、行動に表れているか。
 それは、いつも忘れられない熱い想いとして心の底から湧き上がり、常に念頭に有ると言えるだろうか。
 そしてそれは愛であり己自身の本望であり、そんな今の自分の在り方に心からの納得が起こっているか。
 そうでなければそれは自分でそう思っていたいだけの単なる願望で、ツモリに過ぎない。
 使命・天命と言われるモノにはほど遠い。
 それを使命と思いたいという感じが時々、それを尋ねられたら思い出すというだけである。
 自分が如何に自分に嘘を吐いているか(嘘になっているか)、ツモリを作っているかを知ろう。
 天命を知って偉業を成し遂げた人と自分を比べてみれば一目瞭然ではないか。
何故、偉人に在る、それほどの強い感触有る「凄い事」が一般の人々には起こらないのだろうか。
 凡夫と偉人の分かれ道は、実に些細な日常生活の中に発生している。
  頼まれ事は試され事・・・そして今出来る事を探す。
  相手の予測を超えて期待以上の結果をもたらしてやろうと努力し続ける。(これがの努力。)
  いつもそうしていたら、役割に出会う。 (田端俊久)・・・何と凄い真理だろう。
 頼まれ事は、自分の可能性を広げ引き上げる、自分の知を超えたチャンスとの出会いなのである。
 自分の好き嫌いを判断基準にしている無自覚な逃げる質の在る人間に、どうして役割が見つかろう。
頼まれ事は試され事・・・これは人に頼まれた事に限らない。
 試され事とは、自分が縁有って出くわすモノ総てだ。(それこそが積み上げるべき些細。)
 それは神(宇宙存在)から頂いた頼まれ事。(縁とは、人知を超えている。)
 自分の役割って何だろう・・・それは「神の依頼って何だろう」と考えていれば分かる。
 今、自分が当面する事に決めているそれと、どちらが重要か。
 ハート(自分の内なる絶対価値観)は総てを知っている。(何に対しても心に爽やかさが有るかで判断。)
  何を第一義とするかを暗示した講義に付いて。
  暗示されている処の答えを見付けるどころか、殆ど皆、その講義そのものまで忘れている。
適宜テープ・音声ファイルを止め、心で噛み締めながら聴く。(座標軸に据えるべき概念。)
 今、聞いている事を自らの意思力でイメージを描き直すのだ。(文意・文言を復唱し、心に定着させる。)
 それで集中力と記憶力、想像力発達の素晴らしい訓練になる。(テキストでも同じスタイルで読み込む。)
 確固たる座標軸を自己の中心(柱芯)に確立する事を求め、まずそれからしっかりとイメージせよ。
道を極める・・・生活総てがそれ(=道 タオ)。
 生活総てを通してその道を探求する。(探求という意志・・・それは起こり来る事総てを楽しむ能力。)
 また、その心構えで道を極めるからこそ、全人生総ての分野に通じてくるのである。
 道を極める・・・それは全人生を通じてその時々のより価値ある方へと立ち向かい続ける心構えである。
 適当に逃避して、逃げている事すら誤魔化そうとしている狡い心に、道を極める事は出来ない。
 そういう己を知らない、見ようともしていない自分に、納得いく仕事・作品等は出来る筈がない。
 感知プログラムは、そういう恥知らずが恥を知るプログラムである。
 無知だった己の恥を知る事は、真実へ変容する第一歩である。
マイナスの信念、リミティングビリーフを知る。
 今、そう感じている分離側のbeing(在り方・感じ方)をアタマや意志の力で変える事は出来ない。
 それを変化させるのが祈り。(但しその変化にも、徳・プラスのエネルギーがいる。)
 変化・変容は奇蹟・・・それは聖霊の仕事(マリアン・ウィリアムソン)。
 我々に出来るのは、それを受け入れる準備のみ。(起こり来る総てに「立ち向かう」と言葉を使う事だ。)
 そのすべき準備の一つ一つは、当セミナーで提案・指示している実に些細な事。
 要点と感じるモノ・・・それをテープ・音声ファイル・テキストから、それを自分の意志で抽出せよ。
 明確な目的と意志を持ってそれを自ら探し出したら、自分自身が発見(CA)した事になるのだ。
 今以て見ようとしていない己の心的怠惰をまず認識する事に立ち向かえ!(スピリチュアルな戦士。)
 感じ方を顕在意識で変える事は出来ないが、変容の為の準備という努力は出来る。
 それをしないのが心的怠け者(聞きボイト)。
今出てくる分離側の感じ方。(怒り・嫉妬・自暴自棄・寂しさetc. 自己同化せずに醒めていよ。)
 例えてそれは、一週間或いは一年前に頼んだ寿司が今頃になって腐って出て来たと思え。
 それを食うな。まずい上にそれを食うから腹痛という次の問題が出てくる。
マイナスの心境と戦うのは言葉。(言葉は力を持っている。)
 放任思考の状態に於いてマイナスな気分にハマると、言葉を持たないと悪想念の為されるがままになる。
 それは山賊が3日間荒らし放題に荒らしているのをじっと陰に隠れてやり過ごす様なもの。
 習っていた言葉をその時、自分自身で思い起せたならそれは、それを迎え撃つ武器となる。
 戦いの勝負は段々短縮し始める。
 最後には、言葉だけで、その気分を事前に撃退出来る様に成る。
リーダーになるには出来る理由のみ考えよ。(そう在ろうとし続ける心の姿勢がセンスを啓く。)
 緊急で重要で無いものを如何に切っていくか。(心の断捨離。)
聴きボイト・・・良い話を何時間聞いて、自分は何時間、人様に向けてアウトプットしただろうか。
 アウトプットが、良い話を聞いた量以下の人は聞きボイトである。
 
 
 第二回 第三回 第四回
 
光明と覚醒、それは起る 光明と覚醒に至る確かな技法が確立されている。
 
 それは必修科目をきちんと修めれば、運転免許も医師免許も取れるのと同じである。

無明には始まりはないが終わりはある。光明には始まりはあるが終わりはない。
 光明を得たら、意識が覚醒するのは間近だ・・・それはほぼ同時である事もあるだろう。
 光明とは、絶対間違いない・これだ!という、それを人生の指針として確信した心境。
 遂に探し求めていたモノを見つけ出した!発見した!これで生の本懐が遂げられる!
 その知覚と理解を通して、もう一切の不安と恐怖、心配は去った・・・無明は終わった。
 法則が見え、法則に対する絶対の信頼が生じ、揺るぎない信念の元に人生が再スタートする。
  さあ、訓練だ、修行だ。より深く法則をマスターするぞ!疑いは完璧に消えた。
  自分の人生に起こり来る事総てに立ち向かい、それを楽しむ心構えは十分に出来ている。
  責任を引き受け、これから起こり来る過去のツケを払う覚悟も今ならある。
 それは誰かからの説得や自分の思い込み等ではなく、自らの腹の内にその感覚が自発的に湧く状態。
 そして光明とは、自分自身に対する絶対の信頼。(自分の選択するモノに全幅の信頼が寄せられる。)
 それは声聞のステージである。
 六道輪廻を解脱してしまったのである。(本当の修行はここから始まる。)
 光明はどんどん拡大、意識の光は益々強くなっていく。
光明・・・それは、法則が絶対のモノとして観え、それに対する確かな信頼が自発的に生じる。
 それがその様に見える・・・それは、如何に自分にそしてハートに正直に生きているかに掛かっている。
 絶対と言われる法則に、自分には絶対と言える信頼が湧かない時、それは自己を省みるチャンスだ。
 それが絶対と言えるであろう事は知識では何となく理解出来るが、問題は心境が伴わない事だ。
 自分の選択に自信が無い・・・それも自分を信じていないという現状の真実を知るチャンスなのである。
 自分の選択(真理理解)に信頼が置けないというのは、自分自身が自分に嘘を吐く事が有るからである。
覚醒に至らない光明は、それを得たと思っても光明等では無く本当は単なるツモリに過ぎない。
 それが確かな光明ならサレンダーが起こっているから、真実なのか単に思い込みなのかが分る。
 サレンダーが起こってしまった人間には、立ち向かう側しか選択出来ない。
 逃げる事が出来ないのである。(六道に堕ちる事が無いのはその為。)
 疑いがある内はサレンダーは起こらない。(無自覚に積んだ自己欺瞞が真の判断力を奪っている。)
 サレンダーとは、本当は意識レベルの高い知性に起こり来るハプニングである。
 それは絶対なるモノに自分を委ね、真に自分を知ろうとした時に起こる。
 全托・・・それはエゴの限界を悟ってしまうからだ。(エゴを強めて一体何が出来るというのだろう。)
 サレンダーを自分に無理矢理、捻り込むのは可能だ。(これは最速の道・技法ではある。)
 決意によってサレンダーするなら、マスターの提供するマハムドラーを超えていかねばならない。
ツモリの光明・・・それはまた、誰かの懐中電灯の光を出口と錯覚したのかも知れない。
 師と称してはいるが実は盲目者のイニシエートを救いと錯覚する事も世間を見渡せば有る様だ。
 盲信・盲従は自分を失うが、光明は自らの意志で選択する「返事はハイ」の世界である。
 誰かが、当技法も含めて「それ」を修法して確かな光明を得たとする。
 しかしその「それ」が他の人にとって光明に成り得るか如何かは、受け取る人次第である。
 ライセンスを受け取る側に、必修科目をするかしないかという選択の自由は1%も無い。
 その事が、受け取れない人にはどうしても理解が生じない様だ。(ツモリの光明等当然時過ぎて消える。)
 貴方は、貴方のそのポンコツのエゴを持って何処へ行くのですか?地獄ですか?
 貴方は本当には人の話を聞かない。(自分自身に対して、聞いているフリを演出しているだけ。)
 都合のいい処だけを聞き、都合の悪い他は無視して勉強しているツモリになっている。
 だからチャンスが聞き取れない。(救いを求める逃避方向に真の安楽も休息もない。ハートは知っている)
例えて、出口の見えないトンネルに人は生まれる。
 求め求めて手探りで進んで行く内、人によっては正しく進み、出口の光を発見する。
 光明の始まりだ・・・光は徐々に大きくなって来る。(時にはエゴを剥ぎ取られる苦も生じる。)
 しかし進むに従って、そこに出口が有るという確信は育ちこそすれ、全く揺らぐ事はない。
 光とは自分自身に対する信頼だ。(自分の選択に信頼が置けるので当然、全責任を引き受けられる。)
 徐々に大きく強くなるその光で、その内、微かにだが手元に有った本も見える様になって来る。
 やがて自分でも法則性からより物事の本質がはっきりと見出せ、その理も明らかに解る様になって来た。
 インスピレーション・般若の智慧・・・それが縁覚のステージ・・・そして更に修行は続く。
とうとう出口に到達、外へ出た・・・そこは明るく広がる広大な世界・・・覚醒である。
 自由である・・・そして開花した花の香りの様に、愛それ自体が自分を通して語り始める。
 ブッダフッド・涅槃が起こった・・・覚者の残していた言葉が自分で解る、既に自分のモノになっている。
 願望に対して、その予定図・設計図は、向こうから提供される・・・自動的に観えて来るのである。
 と同時に、押しとどめる事の出来ない、ボーディサットヴァの心が発現している。
 これは菩薩界である。
 救済・・・それは菩薩行である。(勿論、下位ステージからでも修行として有効である。・・・縁施等で。)
 そうしていると徳が溜まり、やがて無為が起こり来る。
今立ち向かう人は、「言われたら解る」のレベル。
 言わない・言われないから解るの認識レベルへ成長せよ。
 この世は「苦脱出ゲーム」。平均300のアイテムを手に入れたら上がり。
 
   
 第五回

 

習慣変容の原点 モティベーションが自発的に持続する人間を育てるには?  

 凡人に「心構えに付いて一つの真の認識」を生じさせる為には、例えて99の説明が必要となる。

 最初に言っておくべき事であっても、それが真に認識されるに数百〜千時間掛かるものである。

 思考放任の癖の有る人は、正しいアファーメーションとビジュアリゼーションを持っていない。

 テープ学習と共に、自主的に考える様仕向けるべき事(最初に習慣化させるべき事)が有る。


在るがままで人から好かれる自分に成る為に。(みんな、好かれる人になりたいでしょう。)

 如何いう人間が人から好感を持たれるか。(そういうテーマをじっくり考えた事が有るだろうか。)

 好かれようとする努力・演出など草臥(クタビ)れる事など一切しない今の自分の在るがままで。

 その最も重要なものの一つ目・・・それは報連相(報告・連絡・相談)が自発的に出来るという質。

 ほうれん草は会社を強くする・・・昔のアニメのほうれん草を食べたポパイは俄然強くなる処から来ている。

 自らの不都合時にも(その時こそ)、正々堂々と渡り合えるコツを覚えよ。(爽やかさとは何か。)

 このコツ知らないでいるだけで、凡夫はコソコソした見苦しい人間に成り下がってしまうのだ。

また、凡人が正攻法で成功法則を修得する際、絶対忘れてはならないbeingは「感謝の念」。

 賞賛・感謝・愛と慈悲・・・と、この言葉をいつも聞いている皆さんにエクササイズを一つ。

 今、貴方に訪れているチャンス・・・しばらく経ったらそれを今どう感じていますか。

 そのチャンスに、今も感謝を感じ続けているか(毎時毎瞬)、それとも感謝などコロッと忘れていたか。

 今、「あっ!」と感じた人、さっきまで「それ」に付いて感じていた感じ方は如何だろう?

 感謝が有るなら、人は如何いう態度をとるでしょう?(と問われて、後までそう考え続ける意識が有るか?)

 感謝の心が常時有るか、それともいつしか無自覚なまま負担を感じている事に無意識だったか。

 感じ方が変な方を向き始めた時点で自ら気付き、修正出来るセンスと技術が必要(天界レベルの意識)。

 ボンクラは感謝すべきと知っていても、とっている態度と感じ方はいつしかその逆になっている。

 無自覚なまま負担を感じているという事は、無意識の否定であり、本当はチャンスを憎んでいるのである。

「感謝の心が重要」とか「立ち向かう事が大事」とか、耳にタコができる程聞いていた筈だ。

 で、自分は如何か。(自分の性根に巣食っている「意識し続ける事を忘れる心的怠惰」を見極めよ。)

 忘れていた人と言うのは、意識が畜生界のレベルだから。(一刻も早く畜生界から脱却せよ。)

 人生の試験は、いつも終了時だけが告げられる。(始まりに気付かないバカはいつも0点。)

 理を聞いて人事、自分の事として聞けない・応用が利かないのも畜生界以下の意識レベル。

 その在り方の放置が、今の自分のレベルから、成長と変容・発展を妨げている根本原因だ。

報告・連絡・相談をしにくい時こそする質を持っているのが天界レベルの人間。

 報告・連絡・相談をしにくい時に聞かれるまで黙っているのは、畜生界人間の下品な習性。

 因果や道理が理解出来ない為、「しにくい事をするのは嫌だ」とその感じ方を無意識に選択する。

 動物プログラムの好き嫌いを判断基準としていて、考えようとしない・・・それを逃避というのだ。

 その結果その先如何なるか、その一歩先如何いう結果を招くかという事を考える知性を持たないのだ。

 自分自身は無自覚なままでも、取っている態度が自分の意識ステージを周囲に明らかに示す事になる。

 出ている結果から原因を認める・・・これが出来ない(認めようとしない)のが畜生界レベルの特長。

 思考放任して、畜生界レベルのままで在る事を放ったらかしたままでは、天界レベル(成功)は程遠い。

考えようとしなかった自分の心的怠惰(逃避)の真の実態・意識レベルを次の理で自覚せよ。

 前者はその逆境を信用信頼に代えていくが、後者は自らせっせと信用を潰す。

 前者には「今出来る事」が見つかるが、後者はずるずると怠け続け何も見えて来ない。

 前者はそれで乗り越えていくが、後者は一つ躓くと次もその次もサボって罪悪感を膨らませていくだけ。

 前者は楽になる方法であり、後者は苦しみを作り出し拡大する方法である。

 前者は目上の人に好かれる人間に成るが、後者はキモいので見捨てられる人間になる。

 今の貴方は、どちらが好きですか。(貴方に知性が有りますか。)

 学んでいるのに後者であったと言う事は、立ち向かうという言葉や知識がツモリで留まっているのである。

 畜生界脱却の第一歩は、そういうのが畜生界だと知り認め、それは恥ずかしい事だと感じる事である。

また、畜生界の人は感謝せよと教わっても、本当は何が有り難いのかさっぱり分らない。

 故に、「何が有り難いのか」を一々先輩に聞いて潜在意識に教え込め。(自分で判断するな。)

 有り難いという感じがしなくても「それは有り難い事なんだ」と潜在意識を自ら教育するのである。

 この理が理解出来、実践すれば良いんだなと素直に感じ決心出来て始めて、人間界レベルと言える。

 繰り返され、当たり前になっている事には、慣れとマヒを起こす事にも注意しよう。

 放っておくと「有り難い」という感じは、誰でもだんだん消えていくからだ。

 何が有り難いか、普通の人の10倍は自ら発見出来る様になれたら、それは天界レベルの入り口だ。

毎朝毎時唱える自分自身のアファーメーション集を作れ。(初期は先輩に必ず見て貰う事。)

 まず、心的怠惰を克服するアファーメーションを紙に書き、唱える。  (テーマを覚え続けている意識)

 そして、ビジュアリゼーションでしっかりイメージして脳裏に焼き付ける。(念誦念信)

 その技法を習慣化する・・・規則的にビジュアリゼーションをする時間を持ち、強い願望を育てよ。

 モティベーションが消えていくその現象からも、深く考察すればこの様に学べるポイントが見つかるのだ。

 正しいアファーメーションとビジュアリゼーションをしていない・持っていないというのが原因だ。


努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る 〜井上靖〜

思い立ったら吉日。やろうと思った事はすぐに行動に移さないと意味が無い。自分の安心領域から抜け

 出る行動を取り続ける事で、自分の魅力を磨く事ができる。そういう人だけがリーダーになれるのだ。

 〜 ネットビジネスマスター@マサユキ〜

 

 

 第六回
 
聞きボイト脱却 己の「聞きボイト」を毛嫌いする質を育てる。
 
 自分自身のそこにこそ向けるべき刃を、説明される理に向ける無自覚な愚かしさに気付く事。

自己啓発中毒。(「プラス狸のはぐらかし」技の一つ・・・無自覚な自己欺瞞と聞きボイトの典型。)
 狸技を使う人は多い。(相手を欺き、またちょろっと狡く立ち回り、はぐらかそうとするのである。)
 しかしその技に熟達すると、なんと、自分をも欺ける様になってしまう。
 「良い事」の様に見えるモノを使ったり言ったりして、何かを隠し自分も見ない様にし誤魔化す。
 些細を積み重ねる努力をしんどいとイメージ的に結論付け、何とか逃げようとしているからだ。
 人間力ならぬ、「狸力」を日夜、せっせと磨いているのである。
その一つ・・・自己啓発書を読みあさり、学んでいるツモリになって、崇高な事をしているツモリ。
 そこに書かれている些細な実践ノウハウを、行動には移さない。
 そして、しばらくしたら内容は忘れる。
 聞きボイトには「読みボイト」も含まれる事は、皆さんもお分かりでしょう。
  「自己啓発書を読めば モチベーションは上がり 気分は高まる。
   さらに「何かを得た」という満足感もあるので 読むこと自体が気持ちよく感じる。
   だから 次の一冊に手が伸びます。                          (本田直之)
   結果的に読めば読むほど、定期的に読んでいないと我慢ができなくなっていく。
 一般に売れる自己啓発書は、あまり耳に痛い事は言わない。(言っていたら売れない。)
 上記の心理メカニズムは、ツモリを作らせている宗教団体などにも全く当てはまる事だ。
 崇高な事をしているツモリ を作り、何もしないでいる事の罪悪感を緩和させているだけ。
 また、二行までは、初期段階は当学習プログラム実習者にも言える事だ。
成功法則を知りたいだけのインチキな人がいる。(結果的に、書かれてある事は認めないから。)
 自己啓発中毒者に見る無意識の否定。(行動が伴わない人は他人事と思わない事。)
  「(既存の)成功プログラムを持つ事に安心を覚える人がいる。」 (岩田博志)
  「自分で努力しなくてもそれを手に入れることによってどうにかなるんじゃないかという幻想。
  「自己啓発をパチンコを楽しむのと同じレベルで楽しんでいる人達がいる。」 (石井裕之 )
 自己啓発書の梯子も、流行りのダイエット話や健康法に飛びつく心理も心の奥底に同じもの。
 しかも 面向きには褒められる行為。
 故に、お菓子の食べ過ぎやタバコ、パチンコと違い、常識の中に於いては罪悪感が伴わない。
しかし、この講義録で理を聞いたら(この理を知った人が増えたら)そうはいかない。
 インチキ・嘘・自分誤魔化しは丸見え。
 とっている行動から、潜在意識の在り方beingは正確に顕われる。
 行動に移さないという事は、本当の深い処では認めてないという事だ。
 習得されるまで反復しないという事は、「認めたくない」とも言っているのである。
 それで良い事をしているツモリ等作っているのなら、それは自己欺瞞以外の何者でもない。
 こうやって、老子の書き渋った「記された言葉」を使って人はどんどんと分離状態を作っていく。
この自らでは気付けないループに終止符の楔を打ち込めるのが、当プログラムだ。
 これらの愚かしい人々のパターンから我々は何を学ぶか。
 まずは自分の聞きボイド癖の徹底的な洗い出し。(心的怠惰で在る事をこそ、毛嫌いしよう。)
 それは、「学んだ事は、行動に移す」と言う事だ。
 適切な「言葉」を自分に掛け続けていれば、感じ方を小さく変化させられ始める。
 そして「聞きボイト・読みボイト」て居る事は「恥ずかしい」という認識の周知・啓蒙。
学びの心の無い人・立ち向かわない人・逃げ出す人は、例えて「心の裸族」。
 それは、心がオープンマインドになっているというのではない。
 醜いモノ・自己欺瞞などを隠そう隠そうとする在り方が余りにも露骨に見えて来る。
  自分が如何いう状態に在って、何故そんな事を言っているのか、本人に全く自覚はない。
  おかしな固定観念・逃避癖・イメージ的結論・顛倒夢想と自分が全く同化している。
 しかし、本人は全く隠しているツモリなのだ。
 それでいて「丸見せ」なのだから、もう「バカ丸出し」とはこの事である。
テキストを見て、「うわ〜っ、自分の事が書いてある、当たってる!」と大笑いする事。
 自分を責めないという命題を守ろうとするなら如何するか。
 つまらない処が図星で当たっているなら、笑えばいいのだ。    言葉の持つ力を嘗め
   見たくない、しかし図星で大笑い。                  ている者は笑えない。)
   痛いとこ、なんと図星で大笑い。痛いとこ、図星で当てられ大笑い。
 人のダメな処は、心うちで安心を覚え笑っているくせに、姑息な根性は丸出し。
 無い事にして置きたいのに・・・観たくないのに・・・知りたくない・・・聴きたくない・・・
 聴かせる奴が嫌い・憎い・・・
 人を責める質を内在させている人間は、何かあると自分を責めるので直ぐに解る。
 分離度合いの酷い、つまらない部分を抱えた人間程、深刻になる。
 
 
 第七回
 
奴隷の目と賢者の眼  人によって見えているモノが違うという事を知ろう。
 
  聞きボイトは、聞きボイトのままでいたら真理は聞けなくなる・・・それが真理だ。

世の中のシステムは、まるで奴隷生産ライン工場だ。(独立自尊のスタイルを教えない。)
 世の中のシステムの重要な欠落点の一つ。(事業企画提案書追加 雇用を作り出す教育・・・参照)
 今の学校教育システムは、優秀な奴隷(根性)人間を作る為ではないかと思える程である。
 かろうじて、そこから抜ける人間もいる。
 しかし、抜け出た人間が作るシステム(会社)も、またまた新たなる奴隷を作るラインだ。
 それが大きくなればなるほど、下っ端は奴隷そのものだ。(敗者復活の道が現システムには無い。)
人に指示されないと動けない・自分で考える事が出来ないのが、現代の奴隷。
 人に生きる事をテーマに考えさせる事をしないのは、角度を変えて見れば「奴隷育成産業」だ。
 みんな、その中にとっぷりと浸かり込んでいるのが当たり前になっている。(本当の自由を知らない。)
 今の不満を感じているのは、自分のハートが「奴隷は嫌だ」と叫んでいるからだ。
 その叫び・エネルギーを凡夫は自分自身の内部や向上に向けず、外部に向けたり逃避に使う。
 その様な事をしていたら、社会に於ける自分の奴隷度合いは強まる一方である。
何故、多くの人は賢者が教える、「幾らでも在る目の前のチャンス」というモノが見えないのか。
 チャンスを見出せる眼というセンスは、どの様に開発されて来るモノなのだろう。
 そこには、見える人・見えない人それぞれに、それなりの理由が在るはずだ。
 成功法則では、「+αの努力」という概念を習う。(ナポレオンヒル)
 これは、成功に於ける非常に重要な概念であるが、何故か殆ど誰も実践しない・・・それは何故か。
 ここで知るべき重要な事は、聞きボイトと実践者は、その概念に対する感じ方が全く違うという事だ。
 聞きボイトは「めんどくさい」実践事項と感じるので、概念が脳を素通りするだけ。
 現場でその概念を思い出す事はない。
 また、忘れている事に平気・・・聞きボイトはそういう感じ方しか選択肢を知らないとも言える。
 日々の中に在る目前のチャンスが見えないという事は、心的態度が分離側を向いている物的証拠。
 「見える」と言う事は、意識状態がその様な普通の状態とは違うという事だ。
「+αの努力」を忘れているという事は、総ての行動のチャンスをムダにしている事になる。
 それこそ、それは「総ての行動」に於いてである。
 「+αの努力」・・・それは自分の持てる総ての知恵の結晶(人間力)から生み出されるもの。
 緊急では無いが重要だと言える事・・・そのエクササイズは、総ての行動の瞬間に潜んでいる。
 それは正に、日々の「+αの努力」実践の中に数多潜んでいるのだ。
 それは人間力が複利計算でどんどんと増えていく。(人生が楽々になる秘密は正にココに有り!)
 比較して重要だと言えない事は、いくらやっても「+αの努力」にはならない。
 その役割は、本当に自分の仕事だろうか。
 本当は、知っている立ち向かうべき事を避ける為に「いい事をしてる」ツモリを作って誤魔化したいのだ。
目の前のチャンスというモノは「+αの努力」の意識状態によって、次々と発見されてくる。
 それは「+αの努力」という意識状態でないと居られないという状態。(習う前から知っているべきである。)
 しないと損と感じているので実践しないでは居られない。(常にアンテナがサーチしている。)
 「+αの努力」をしなければならない等と考えている状態では全くない。
 何故なら、根底に「人を喜ばせたい」という切なる願望の様なモノが既に在るからだ。
 人間の心が少ない人には分りたくない概念である。(人の心とは豊かになる様、育てるものである。)
 doingbeingの違いが識別出来る感覚が啓いたなら、その違いを感じ取る事だ。
 そして、自分の「ずれ」を発見したなら、「言葉の力」を使って調整・修正する事。(それが人の良心。)
 まずはこの解説の理から、その重要性を骨の髄まで感じ、浸透させる事だ。
目の前にチャンスが見えないという事は、「とある意識状態」である事を自ら語っている。
 それは「言われた範疇の事・決められた金額の仕事しかしない」という分離側根性に根付いた感じ方。
 いつも、それ以上の努力は損だ・嫌だと感じて生きている。(取っている行動がそうである事を証明。)
 人に得を取らせるのは嫌だという計算が無意識に出来るのは自動的。(他にも色々あるだろう。)
 心的態度が統合を向いていないという事だけは確かだ・・・奴隷で有り続けたいならそれもいいだろう。
 しかし、そのままでは「積不善の家に必ず余災有り」という格言の正しさを証明する事になるだけ。
「ソロモンの選択したモノは金や地位より知恵」の話を聞いても、やっぱり金中心の人。
 損得勘定が目に見えない心には殆ど働いてない事より、目に見えるモノしか分らない事を示している。
 チエ習得よりお金・・・学びの経費の出し惜しみ。(真の投資となるモノは脳にした事のみある。)
  そういうタイプでも中には、学歴ブランドを取る為には惜しまないかも知れない。
 人の心の在り方というモノは、物的な欲得が絡む処に如実に顕れる。
 チエが無いとそのお金も守れないという事が猿ヂエレベルでは分らない。(紙幣は単なる紙切れ。)
醒めるべき瞬間・・・理を聞いて「嫌だなぁ」・・・その瞬間を如何捉えるか。
 動物プログラムで起動している人・・・そのまんま。(そのbeの意味などなんも考えんボンクラ。)
 人間プログラムで起動している人・・・「今自分は、嫌だと感じているなぁ」と感じる。
 後者は「間」を持っていて、感じている感じ方と自己同化していない。(自己の感じ方を眺めている。)
 故に、言葉(自ら作り出した適当なアファーメーション)を使って、その感じ方を徐々に変化させられる。
 前者は自己同化し、その思いを繰り返す事によって更にそのボンクラの感じ方の存在を強める。
 
 
 第八回
 
人類の目覚めるべきパラダイム スタートは一個人からでも出来る事。
 
 ビジョン無き民は滅びる(ソロモン)・・・リーダー足りたい者は、高き視点と崇高な観点を持て!

人類救済・・・それは一人一人個別に展開する個人救済の集合体である事。
 救済という事の定義。(当テキストを見て閃いた人は至急連絡をくれたし!)
 政治改革・革命等、個人救済から以外の問題点。
  世のシステムを変えても、支配・被支配構造は結局変わらない。
  民衆の目覚めによる民意の底上げが無い限り、新しい形態の支配体制が現われるだけ。
  政治改革の側からの働きかけも必要ではあるが、良き役割を持っている方々に当面は任せる。
 個人救済の集合体は、政治システムを始め、世の中全体の構造を変えるシフトアップが可能。
世のシステムが支配・被支配構造を維持し続ける様に働いてしまう原理。
 人間には基本的に支配欲というモノが在る。
  注目されたい・自分の話を聞いて欲しい・自分の思い通りに動いて欲しい・動かしたいetc.
 愛に目覚めた人間にとっては支配欲を持たずとも、上記事項は総て可能となる。
 むしろ、それは愛にしか出来ないモノであり、愛が有れば自然、向こうから勝手にそうなる。
 愛で在る事無く上記事項を叶えようとするなら、エゴに基づいた「力(フォース)」が必要となる。
 愛が偉大な力を備えている事を自分の中に発見した者のみに於いて、支配欲から離れられる。
 支配しようとせずとも思い通りに成って行く事を悟っているからだ。
支配者と奴隷は同じbeing(在り方)の表裏一体。
 支配を目指そうとする者、支配を諦め支配される事に甘んじる者。
 諦め支配されている者に、富と権力を与えたらどうだろう・・・聖人になるだろうか。
 否、とんでもない独裁者になるだけである。(人事ではない・・・今の貴方の話。)
 例えて、前者を腐った動物の死骸全体だとするなら、後者はそのミンチの一粒である。
 ミンチの一粒は支配を諦めているだけで、その欲望が消えて無くなっている訳ではない。
支配欲を持つ人間の集合体の中で、その欲望の強い者がヒエラルキーの上に昇る。
 諦めている者は、その下部に否応なく置かれている。
 奴隷は、本当は支配者になりたい。(人に命令出来る立場になりたい。)
 上に昇って行く者で、自分と同じ立場に成れる様、下に働きかける者がどれだけ居るだろう。
 もしそうしているとしても、それは全員が成就可能と言える方法だろうか。
 スポーツなどゲームの世界ではそうあってもいいだろうが、生の部分ではそうあるべきではない。
 動物は、自分の命を自分で支えている。
 人間は、他人に支えさせようと意識を使う様になったから問題を生じさせている。
 そこには、他者からの何らかのエネルギーの簒奪が有る。
 奪うコツに気付けている者は、ヒエラルキーの上に昇り、昇る程、より簒奪出来る様になる。
支配は、他者の生の根幹を牛耳る事で可能となっている。
 最初は力・暴力、次に食料・金融・エネルギー。
 これからは情報。(それを操りこなす人間が、支配者の地位を取る様になる。)
 依存性を助長させ、自分自身では考えられない様にして置けばよい。
 優秀な人間は超専門家へと育てればいいのだ。(専門分野以外は全く分らない意識状態。)
 今の教育のシステムは、それを極めれば極める程、人に使われるしかない仕組みに成っている。
苦しみの中からのし上がって来た者。
 支配される現状の苦から、何とか脱出して来た者は、その時自分にも下部組織が出来ている。
 そして自分の幾ばくかの楽は、その人達によって支えられている。
 大成功者、大会社の末端組織の人達を見てみよ。
 大成功者は偉大だ・・・しかし、末端の人に給料以外、何の報酬を与えているというのだろう。
 大成功者は、現代版奴隷(封建)制度のヒエラルキーを一つ作っただけ。
 そのヒエラルキーも、世の中全体のヒエラルキーの一部として組み込まれて行く。
支配されていた者が、自分も支配出来ると知った時、その立場を自ら放棄する者はいない。
 この仕組みによって世の中の支配・被支配構造は、延々と維持され続けているのだ。
 この人間の質が変わらない限り、支配・被支配の構造は変わらない。
 自分では如何していいか分らない奴隷は、生きる為に自ら支配される事を望む様になるからだ。
 社会構造は人の意識の集合であり、それ故、それ自体がそう在り続ける様働く性質を持つ。
 ヒエラルキー自体がそれ自身を強化するよう欲求しているのである。
 よって個人に独立自尊を教える様には出来ていない。(上に立つ人間が自分の立場を守る為。)
真の独立自尊を目指す人達が、ヒエラルキーの下部に居るより良い立場だという模範を示す事。
 そうすれば人々は貴方に注目する。(資本の掛からない、心の成功から前面に打ち出すのだ。)
 涅槃を目指すそのプロセスで、富もたっぷり得てみよう。
 そして成功のプロセスを人々に語り伝えよう・・・そうする事で、貴方は注目の的となる。
 当プログラムの出現は、人類社会の根本的な構造に針の穴を空け、そこから漏れ出す水となる。
 
 
 第九回 料理教室
 
 
 第十回
 
 成功者の質being修得の訓練 己の説得力育成を本気で考えよ。
 
 弱者にとって、良きbeingを聴き知っただけで、それに粘着する性癖を獲得しない限り成功は程遠い。
 そしてそれが在ったら、既に強者の質を獲得している事に成る・・・当テキストだけで概念粘着が始まる。

知性の高い人は、人の話を自分に応用して聞けるし、随時、優先順位が有益に組み変わる。
 知性の低い人は他人事として聞いている。(徳が無いと畜生界にまで堕ちて理を聞いても上がれない。)
 知性の高い人は、「それを持っていたら将来得するかもしれない」モノを今の内に集める。
 知性の低い人は、「それを持っていたら将来得するかもしれない」モノ等、当然見えない。
 ラジャスに於いて、今目の前の必要なbeing育成から逃避したまま、しているdoingは徒労に終わる。
 何から逃げようとしているか、それを正面に据えようとする発想がいつも自らの内から湧いて来ますか?
 それが無いと言う事は、自分が良いと思ってしているdoingは自分を欺く誤魔化しであり逃避です。
問題点は何か!・・・無自覚な逃避癖に気付き、早急に磨かなければ成らないセンス。
 成功したいと頭で考えはするが、発達して来ないセンス(本来発達して来なければならないセンス)。
 「寝ても覚めても、取り憑かれる様に意識し続けるべき」でなければならない事がある。
 まず、その質が形成されてこない内は、強者の質・・・どんなチャンスもザルで受ける水、成功は程遠い。
 成功を目指す者として、自ら見出さねばならない事は幾つも有る。(例えばコピー力というスキル。)
 しかし、自ら気付くべき処を「重要だ」と示されていてピンと来ない、しかも直ぐ忘れる・・・一体何なの?
 成功者は粘着する質が有ると教えられて「ああそうですか」だけで直ぐに忘れる・・・如何なってるの?
 覚え続けていられないその質beingを一番最初に何とかしなければならない・・・貴方は如何します?
 取り敢えずすべき大事な事と思っているそれdoingは、単に趣味を拡大しているレベルでしかない。
 成功したいとアタマでは考えても「必要なbeingの重要テーマに粘着せずには居られない質」が無い。
 それではいつまで経っても穴の開いたバケツだ。(顛倒夢想によって自動的にスルーされている。)
Beingの一つ一つテーマを絞り込んで一定期間、その一つ一つに粘着してみませんか?
 それは良きbeing一つ一つ落とし込んで行く能力です。(テーマはまず当プログラム内から見つける。)
 直感的判断力を自動拡大形成して行く、成功循環に乗りましたか・・・それは身に付いたら自動的。
 願望をはっきり抱くと共に、まずその質を最初に持たない限りは、知識とツモリを増やすだけ。
 意識してやらなければならないか、それともそれが既に自動的になっている質か。
 フランクリンの習慣改善法を聞いた事がありますか?・・・自分で調べて下さい。
 意識し続けようとする意志の開発・・・成功したいと表明したのだから、屁みたいに簡単な事から逃げ出すな!
 成功する為の優先順位(being修得)とプロセス(doing)を自ら見出せるセンスと能力開発が急務である。
 優先順位の捉え違いとは・・・説得力を磨きもせず、趣味から人脈を広げようとする、等。
成功者のセンスと比べて改善すべき感じ方・・・己の問題点のステージアップを意識し続ける事。
 ●目標に対して、今己に必要なスキルを考え、何を優先すべきかが自ら見出せない。
 ●本来在るべき姿(目標・目的)から因数分解する思考力が未発達・・・何故そのセンスは啓かないのか。
 目の前にそのチャンスが横切っていても、9798%の自動分別オートパイロット機能が無視している。
 当講義テキストを渡して見ただけで、その質の有無が判明する・・・貴方に取って重要急務な事ばかり。
 それは思考が整理されていない事に始まる。         (何度聞いても実行しない人↓は心的怠惰)
 まず、自分は何が言いたいのか、紙に書き出しているだろうか?(気付き帳付けが習慣になりましたか?)
  (それが重要だといつ気付くのだろうか?・・・属している事に安心を覚えるレベルも在る。)
 そしてそれは、人が納得出来て心が動くモノになっているか?
そう言う一連の流れを自分のアタマで考えているか。(逃げる・・・逃避の質とは実にキモい。)
 ●外部からの情報と今までの自分の考えを比較する能力が低すぎる。
 ●その時の「外部からの情報」に対して真意・言わんとしている事の重要性に気付けない。
 その一歩先を見出すセンスとリーダーシップとは?・・・言われない内にヒントだけで気付けヨ!ボンクラ!
 マインドセット情報の一連の流れを大雑把に把握したら、次はbeing一つ一つの落とし込みだ。
 テープ・音声ファイルを止めて、自分の頭で復唱し、意識が逸れない様に気を付けて考える。
 フランクリンの手法を使うしかないだろう・・・大体、それを聞いてもピンと来なかった人は。
 自分のbeing改善のプランは既に紙に書き出されていますか?・・・それとも怠けを放置していますか?
 その覚え続けていられないというその如何しようもない質を今後も大事に持ち続けているのですか?
幾つ法則や概念が落とし込まれたか。(落とし込まれたと納得が起こるまで反復してますか?)
 「それは正に俺の考えそのものだ!」と言えるモノが幾つ生まれたか。
  ★在るべきbeingを知ったら、それに粘着が勝手に起こる。 ★出来る理由を探す。
  ★義を見てせざるは勇無きなり。 ★成功者は衝動・エネルギーに乗って動いている。
  ★人を助けて我が身助かる。 ★分らない処を放ったままにしない(探す・調べる・工夫する)。
  ★自分を醒めてモニター的に眺める。 ★好き嫌いで判断しない。
  ★些細を積み重ねる。(出くわしたモノに付いて考え責任を引き受ける・立ち向かう。) ★三方良し。
 落とし込まれていない処、そこが見ようとしていない処だ。
人は分離側の質を見ようとしない限り、その質は分離のまま。
 例えば、「人を牧場の牛にしてはならない」と自覚しない限り、自動的にそうしている。
 分離側の質は、普段はそのまま不活性化的に存在している。
 それはいつも出番を待っていて、突然活性化する。
 感知プログラムは総て反論処理・・・最後に「出来る」しか残らない・最後にハートの声しか残らない。
 
  
 第十一回                                            \3500   neww.gif
2012年8月25日 滝部セミナーで約4時間の講義でした。session9の11回目  特別公開
  ダウンロードはこちら→「2012_08_25-1智閥・人類救済計画 講義 [3h58m02s 16Kbps 16KHz].mp3」 
 
 
智閥・人類救済計画 小さな力と小さなスタートを如何に大きく発展させるか。
 
 余りに大きな目標は、テンクラに聞こえて、一般の人々には何も見えないのと同じ。
 その確実なプロセスのプランを明かす・・・それは誰でも出来る今目の前の一歩から。

「人類救済計画」等と言える確かな根拠は何か。
 250年前のルソーの言葉
  「人間は真実を知ったならば、それを理解した全ての人が同じ判断をし行動する。
   その判断は必ず正しい判断である。」
 しかし、現在の日本も世界も人類は正確な情報を知らされていない為に誤った認識が広まっている。
 また、誤ったアプローチ(大衆を相手に真実を訴える事)は効を奏しない。
個人から始まる目覚めの境地・・・「覚者に至る道」の技術が確立された。
 無為・涅槃等と呼ばれ神秘とされていた悟りの境地は、分離側の質からの完全なる解脱に過ぎない。
 このメカニズムが、科学的に理解出来る心理システムとして解き明かされたのだ。(史上初!)
 そして誰も明確に言い表せなかった愛という概念にも、大変分かりやすい二段階式で定義が示された。
 変容を得るには、200〜300の顛倒夢想に向かって自らの意志でチャレンジする事の単純な繰り返し。
 この真実を知った(自ら実証した)人は、そこに光明を見出し、自動的にその事実の伝道者となる。
 そしてこの事実(人に伝えたいと心得る人の出現)の理解が、今は貴方の成功の原点に出来る。
世の中のシステムは変えられなければならない。
 問題点は、知る人によって既に「如何在ればいいのか」は、色々と明らかにされている。
  裁かれない悪の存在。(司法・警察そして政治すらそれらの支配下にある。)
  医療・教育・報道、そして金融・食料・エネルギー。
 しかし、真実が俎上に載せられて議論される事は殆ど無いし、現代はそれ自体が不可能である。
 それらを本当に変えようとする民衆のうねりは如何すれば作り出す事が出来るか?
 世の真実を追求している人々の得た素晴らしい知識を遍く民衆に伝え普及するには?
多少のシンパを抱えてはいるが、孤軍奮闘している方々を私は応援したい。
 しかし、そのシステム変革のアプローチだけでは世の顛倒夢想と言う在り方は永遠に変わらない。
 世の中のシステムを真に変えるには、人々が自分自身の真の潜在能力に目覚めなければならない。
 人々が、世のシステム的に封印されている個人個人の真の実力に目覚め、自由人に成る事。
 その段階的アプローチ法を模索し続け、遂にその技法を完成するに至りました。
  「潜在能力感知開発プログラム & 滝部セミナーのプログラム & 弱者の成功戦略プログラムetc.
 遠い将来、人類にとって「お金のいらない国」は実現します。(それは貴方が覚者となる事。)
 常に、今目の前の個人からでも始められるその一歩を捜し出し、実践します。
 やがて怒濤の勢いと育つだろう、その種です。(目覚めた個人の力は計り知れないモノとなる。)
確固とした考え方の技術を持たない限り、人々の思考は反応的に操られるがままになる。
 常に真実を求め続ける意識を持つ事。(それを整理して組み立て直し効率よく伝える能力。)
 支配層と披支配層は考え方がまるで逆である事を知っていよう。
 被支配的立場から支配層への進出を試みると逆さまを要求される。
 現代では、それを飲む(迎合する)者のみが支配者層に入る事が出来る。
 そう言う仕組み故に上からの変革は不可能・・・しかしこの悪循環を完全に断つのが当プログラム。
真実に目覚めた 智閥仲間が400万人居たとすると。
 これは大変な勢力となる・・・しかも、個人は真実を知っていて、個人個人大変な実力を携えている。
 今までのあらゆる問題と諸悪の根源を表の世界に引き摺り出し、真の民主主義を実行出来る事となる。
 そして、知る人によって明かされていた良き事を次々と実行する舞台が設定出来る。
  医療・教育・報道・政治・司法・警察・金融・食料・エネルギー・エコ系新技術
 国家100年の計たる構想を誰も言わないので、我々が提唱する。
人類にとって理想的な社会とは?
 それは真実と真理に目覚めた貴方が、「貴方の理想」を「貴方の愛と自由」に基付いて実現する事だ。
 素敵な事を唱えている方々のビジョンを総合して、自分自身でも想像する事だ。
 真の民主主義とは、真実に目覚めた人によって義が支えられている事である。
 現在の盲目の民主主義ではそれは名ばかりで、結局マスコミを操る支配者の独裁・封建制度に等しい。
 みんなであらゆる分野で夢を語り合う処から生まれて来るのが理想社会だ。
 潜在意識の心理メカニズムを知った人類は大転換を遂げる。(これが真のアセンション。)
真実に目覚めた 智閥仲間400万人の育成の為に、その事業化をスタートします。
 その為にはまず、人々への啓蒙に腕と才能が振える、リーダーが1万人いたらいい。
 その為に、そのリーダーを発掘・発見する、真理に目覚めた師となれる人間が100人生まれるといい。
 そして成功法則を身に付けられる強者の質獲得者400万人の育成を目指す。
 「幸せのネズミ講」的ビジネス化を考える・・・ 現在、年1000億円の市場開拓が見込める。
 やり方次第で、誰も出来なかった、しかし誰もが求めている巨大なニーズが満たせるのだ。
「弱者の成功戦略Program」普及を通じて、その中から有志による当事業の賛同者を募集する。
 既に「滝部セミナー」をProgram化し、有志の皆さんが幾つかのチャンネルで始動しました。
 こちらはもうリアルとネットで展開が始まっています。
 事業計画の詳細は「事業企画提案書」をご覧下さい。
 しかし何はともあれこの企画を活用して、まず個人から、特に経済面から自由になる事を目指しましょう。
 
 
 
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